L-Triangle!外伝⑤(後編)
- 2014/09/05
- 20:31
1と1ミカが降り立ったのは、人里離れた山奥だった。木のざわめきや、川のせせらぎがはっきりと感じ取れるほど静かなその地は、大自然の恵みを余すところなく享受している。
「誰もいないな……」
「いや、何か聞こえるぜ」
1にそう言われて、1ミカも耳を澄ます。楽器を奏でる音が、微かに聞こえた。その美しい旋律に導かれるように、二人は進んで行く。幾重もの繁みをかきわけた先に、開けた場所があった。誰かがつくったのか、あるいは自然のものか、石柱がまばらに並ぶその中心に、ひとりの男がいた。青みがかった銀髪と、尖った耳を持つ彼は、ぼろぼろのマントに身を包み、弦楽器をつま弾いている。
「これは……彼が、演奏しているのか」
「……こいつは、なかなか大したもんだな」
感心したように、1が言う。こんな辺境で聞くには惜しいほど、その演奏はレベルが高いものだった。しばし聞き惚れていると、唐突に曲が止み、演奏者が顔を上げる。
「おや、お客さんが来た」
突然の来訪者を警戒することなく、男が人懐っこい笑みを浮かべる。その瞳は、青と緑が混じった、幻想的な色合いだった。
「演奏の邪魔をしてすまない」
我に返り、1ミカが頭を下げる。気分を害した風もなく、男は彼らに近づいた。
「いやいや、誰かに聞いてほしくて奏でていたものだから」
「そうだろうな」
「え?」
1が発した一言に、1ミカは思わず彼の方を見る。1の表情は、険しいものだった。
「おや……わかるかい」
「ああ。それ、呪歌だろ」
男が、値踏みするような視線を1に向ける。それに対し、1は挑むように返した。
「ジュカ……?」
「魔力が込められた音楽だよ。味方を強化したり、敵を操ったりできる。こいつがさっき奏でていたのは、ひとを惹きつける効果がある曲だ」
不思議そうな顔をする1ミカに、1が解説する。悪びれもせず、男は頷いた。
「その通り。僕が求める、とある条件を満たした者だけがここに来るように、演奏していた」
「貴殿が求める、条件……?」
「そう。僕が求めるのは、ただひとつ。この世界を変えることができるほどの、魂の輝きを持つ者たちだ」
男が、堂々たる態度で告げる。唐突に出てきたスケールの大きい話に、二人はついていけずに絶句した。
「世界を、変えるだと……」
「そりゃあ……また、大きく出たな」
硬直から半ば抜けることができずに、二人は無難な反応を返す。とんでもない電波に関わってしまったのではないか、と1は早くも後悔し始めていた。
「ああ、名乗るのが遅れたね。僕の名は、テルプソロネ。旅の吟遊詩人だ」
「俺様はシーザーだ。こっちは、ハイメライン」
男が、今更ながら自己紹介をする。つられるように、1は自身と、ついでに1ミカの名を告げた。テルプソロネの瞳が、満足げに細められる。
「輝く者にふさわしい、強く美しい響きを持つ名前だね」
「たかが名前でそこまで言うか?」
「そ、そんなことを言われたのは初めてだが……」
過剰な褒め言葉に、二人は反応に困る。元の世界で普段名乗っているのは別の名であるため、本名についてこのような評価を受けたのは初めてだった。彼らの困惑をよそに、テルプソロネは話題を変えた。
「さて。君たちは、この世界についてどれくらい知っているのかな」
「魔王や勇者のことを言ってるのか?」
テルプソロネの問いに答えたのは、1だった。自分が異世界から召喚された身だ、ということは伏せておく。相手の意図が未だ不明であるため、最初からすべては明かすつもりはなかった。彼の返答から、ある程度の事情は察しているものと判断したらしく、テルプソロネは言葉を続ける。
「この世界は、争いが絶えない。強い力を持つ者たちを呼び寄せて、彼らがぶつかり合うことで多くの犠牲を生んでいる」
「争ってばかりいるのは、どこの世界でも同じだろ」
自分の世界のことを思い出しながら、1は指摘する。外部からの侵略者がいてもいなくても、結局は諍いが起こるのだ。現に、彼の世界がそうである。
「そうかもしれないね。でも、命ある者たちは、わかりあえるはずなんだ。そのために、僕は音楽を奏でている」
そう言うなり、テルプソロネは弦楽器を弾き始めた。優しい音律が、静かな場に満ちていく。
「生き物には、魂がある。感動する心がある。いい音楽を聞いて、一緒に歌えばみんな仲間だ。そういうものだろう?」
「そんなに簡単に行けば、苦労しねえよ」
楽観的にも程があるテルプソロネの言葉に、1は渋い顔になる。それで世界が平和になるのなら、彼は仕事三昧の日々を送ってなどいないのだ。だが、一介の吟遊詩人が王の苦悩を知るはずもない。
「僕は、世界に音楽の素晴らしさを広めるために旅をしているんだ。人間だけではなく、魔物たちにもね」
「音楽によって、貴殿は世界を変えようとしているというのか……」
呆けたように、1ミカが息を吐く。1とは違い、彼女はテルプソロネの思想に感心していた。彼の言葉を夢物語と笑い飛ばせるほど、1ミカは世の中に疲れてはいなかった。
「この夢は、僕ひとりで成し遂げるにはあまりに大きすぎる。同じ夢を見てくれる仲間が欲しい。そして、君たちは来た」
演奏を止めて、テルプソロネが二人の方へ向き直る。急に話を振られ、1はたじろいだ。
「おい、ちょっと待て。俺様をてめえの妄想に巻き込むな」
あわてて拒否するが、テルプソロネはあきらめない。
「君には、その素質があるはずだよ。現に、呪歌を知っていただけでなく、どんな効果があるかも当ててみせた。これは、経験者にしかできないことだ」
「…………」
テルプソロネの鋭い推察に、1は押し黙る。目を瞬かせ、1ミカが1を仰ぎ見た。
「シーザー殿、貴殿は楽器が弾けるのか?」
彼女の問いに、1は答えない。そんな彼に、テルプソロネは腰に差していた棒状のものを手渡した。1が手に取ると同時に左右のパーツが展開され、楽器の形をとる。それは、テルプソロネが持っているものと同じ、弦楽器だった。こうして間近で見ると、エレキギターに似ているが、細部が微妙に違うような気がする。
「こいつは……」
「僕が開発した楽器・Fギターだ。楽器の内部に込められた妖精の力によって、音を生み出すことができる優れものだよ」
テルプソロネの説明を聞き、1は魅入られたようにFギターに視線を注ぐ。普通のエレキギターはアンプに繋がないとまともな音が出ないものだが、これはこのままで楽器として成立しているようだ。おそらくは、妖精の力とやらが動力源になっているのだろう。
「……おもしれえ楽器だな。これ、弾いてもいいのか?」
「君の中にある音を、存分に解き放つといい」
テルプソロネに許可をもらうなり、1は弦をつま弾いた。それと同時に、ギターから光が漏れて、辺りがほのかに明るくなる。
「……こりゃ、すげえな」
気を良くし、1は手慣れた様子で音を出していく。ギターのことをよく知らない1ミカにとっては、魔法でも使っているかのようだ。
そうしているうちに、1は自分の音色以外の音がギターから漏れ出ていることに気がついた。
「ギターに添うみてえに、他の音が出るのな。一人でやってるってのに、複数で演奏してるみてえだ」
「それが、Fギターの特徴さ。設定を変えれば、伴奏の方も調節できる」
そう返し、テルプソロネがギターの設定をいじる。弦楽器だというのに、ドラムのようなビートを刻み始めたFギターに、1は驚愕した。
「幅広いな。ひとつの楽器とは思えねえ」
「一人で演奏するだけじゃ物足りないからね。色々と、盛り込んでみた」
子どものように目を輝かせて、テルプソロネの講釈を受けながらFギターをいじくる1。1ミカは、彼のいつもと違う様子をじっと見つめていた。
そして、しばし後。ある程度満足したのか、1はようやく1ミカの存在を思い出したらしく、ばつが悪そうな顔をした。
「悪ぃ、ずっとほっといちまった」
「いや、見ていて楽しかったぞ」
珍しく謝られ、1ミカは首を振る。実際、彼女は放置されたことを不快に感じていなかった。何しろ、1がこれほど楽しそうにしているのは、珍しいことなのだ。
「お前は、楽器を演奏したことはねえのか?」
「天界の音楽は、どうも肌に合わなくてな。それに、武を磨くことに夢中だったし」
1の問いかけに、1ミカは少し恥ずかしそうに答える。音楽自体に罪はないが、教養の一環としてメタトロンに無理強いされた過去があるため、あまりいいイメージを持っていなかった。
「だったら、何か一曲弾いてやるぜ。ノリのいいやつをな」
「もう演奏できるのか?すごいな!」
得意げに、1がギターを構える。本当のところ、何かを演奏したくてたまらないのだろう。
「さっき練習していた曲かい?良かったら、合わせるよ」
二人の会話を聞いていたテルプソロネが、二重奏を申し出る。快諾し、1はギターの音を大きく響かせた。それを合図として曲が始まり、二人の周囲を光がふわふわと取り巻いては明滅する。
(こいつ、初見のくせにやりやがる)
断続的に弦を弾きながらも、1はテルプソロネの方をちらりと見遣る。彼が奏でている曲は、かなり高い演奏技術を要求するものだ。それなのに、まったくとちることなくテルプソロネはついてきている。1の視線に気づいたテルプソロネが、挑発するように笑った。その不遜な態度が、1の闘争本能をかきたてる。
「っし、勝負だ!」
「弾き比べかい?負けないよ!」
高らかな音とともに、1が宣戦布告をする。即座に相手の意図を理解し、テルプソロネは応じた。
そして、二人はギターのソロパートを交互に回しだした。ある程度区切りがいいところまで弾いた後に、片方がサブに回る。1が速弾きを繰り出せば、テルプソロネは情感のこもった音を響かせ応戦する。
「すごい気迫だ……!曲を奏でているだけだというのに、まるでつばぜり合いをしているかのような……!」
火花を散らす男二人に、1ミカは息を呑む。彼女が知るものとは全く違う戦いが、そこにあった。
「……やるじゃねえか」
「君もね」
健闘をたたえ合い、二人は同時に演奏し始める。どちらもサブに回らず、互いの技巧をぶつけ合い、そのまま高みへと上り詰めていく。そして、それが最高潮まで高まった時、曲は終了した。しばし呆けていた1ミカが、我に返って拍手をする。
「素晴らしい演奏だった!こんな音楽を聞いたのは初めてだ!」
「そーかそーか、気に入ったか」
彼女の称賛がお世辞ではなく本気だとわかり、1は嬉しそうな顔をする。
「どうだい?音楽の力は、素晴らしいだろう?世界を変えられるだろう?」
「ああ!現に、私の世界は変わった!」
身を乗り出してくるテルプソロネに、1ミカが力強く頷く。過剰なほどの褒め言葉に、1は照れたように笑った。
「そんなに感激してもらえりゃ、弾いた甲斐があったな」
そう言いつつ、1はテルプソロネに向かって手を差し出す。笑って、テルプソロネはハイタッチを返した。
「そのFギター、君にあげるよ」
「……いいのか?」
1が持っているギターを指さしつつ、テルプソロネが言う。驚いて、1はまじまじと吟遊詩人の顔を見つめた。機能が多彩で音質もいいこのギターをタダでくれるとは、いくらなんでも気前が良すぎるのではないだろうか。
「久しぶりに、熱くなれたからね。そのお礼だよ。そのギターも、君に弾いてもらいたがっている」
「これもらったからって、お前の旅にはつき合えねえぞ。俺様は俺様で忙しいんだ」
テルプソロネの爽やかな笑顔を前に、1はためらいを見せる。ギターは欲しいが、それ相応の額以上のことを求められたら困るのだ。ただより高いものはない。
「構わないさ。君は、きっとこの先、そのギターを何度も奏でることになる。そして、その音楽は必ずひとを惹きつけるだろう」
しかし、テルプソロネの返事は、あっさりしたものだった。世界を変える野望のためには、ギターの一本を譲渡するくらい大したことではないといったところか。
「まあ……こんなのもらったら、せっかくだから弾くけどな」
「使い方を知りたければ、また来るといい。しばらくはこの近くに滞在するから」
「そりゃ助かるな」
そこまで言われて、1はようやく警戒を解いて、テルプソロネの好意を受け取ることにした。何だかんだで、彼はこの楽器を気に入っていたのである。嬉しそうにギターのパーツを収納する1を微笑ましげに見た後、テルプソロネは空を仰いだ。
「君たち、そろそろ帰った方がいいよ。まもなく日が暮れる」
「本当だ……!いつの間にか、こんな時が経っていたのか」
1ミカが、驚きの声を上げる。さすがに空腹を感じ、1はこの場を離れることにした。
「お前はどうするんだ?」
宙に浮かびながら、テルプソロネに尋ねる。彼らが空を飛んだことに特に動揺した風もなく、吟遊詩人は答えた。
「ここに残るよ。暗くなれば、魔物が出始める。彼らは、絶好のお客さんだ」
「大丈夫か?食われちまったら、しゃれにならねえぞ」
「平気だよ。こんなところでやられては、世界は変えられない」
「それもそうだな」
テルプソロネの返事に納得し、1は飛び立った。少し戸惑いつつ、1ミカもそれに続く。
「……本当に、大丈夫だろうか」
遠ざかっていくテルプソロネの姿を振り返りながら、1ミカが案じる。あの詩人は、どう考えても戦闘向きの体格ではなかった。魔物と戦闘になったら、あっさりと食われてしまうのではないだろうか。
「いざとなったら呪歌で何とかするだろ。あいつ、見かけによらず腹が据わっていやがる」
一方、1はテルプソロネのことをさほど心配していない。大抵の悪魔と同様に、弱ければ死ぬのは当然だという割り切った考えを彼は持っていた。そして、あの詩人はおそらくは死なないのだろうという予感が彼にはある。
「何だか、不思議な御仁だったな……」
ナンナル付近の森に下りつつ、1ミカがため息をつく。
「世界を変える、か……ま、そういうでけえ夢を見るバカは嫌いじゃねえ」
「シーザー殿……?」
そう呟く1を見て、1ミカは首をかしげた。彼が、他の誰かを思い出しているような気がしたのだ。少し気になって次の言葉を待ってみるものの、その話題はそれ以上、彼の口から出なかった。
「さて、メシ食って帰るか」
「あ、待ってくれ、シーザー殿!」
大きく伸びをして、1はナンナルの街に向かって歩き出す。どことなく引っかかるものを感じながらも、1ミカは彼の背中を追いかけた。
ナンナルで食事を済ませた後、1と1ミカは彼らの世界へ帰ってきた。到着先は、1の自室である。このままでは何なので、1は彼女を部屋まで送ってやることにした。
「今日は、素晴らしい一日だった。感謝するぞ、シーザー殿」
連れだって廊下を歩きつつ、1ミカは1に礼を言う。1が自分に何かをしてくるつもりがないことは、彼女にはわかっていた。それでも十分満足しているので、これ以上求めるのは強欲というものだ。
「もうこっちに戻って来てるんだ、ルシファーって呼べよ」
「ふふ、そうだったな」
1の注意を、1ミカは素直に受け入れる。本来の名を呼び合う時間は、これでおしまいだ。今からまた、ルシファーとミカエルの称号を用いる日々が始まる。
「ずいぶんとご機嫌だな。俺様、特にお前を喜ばせるようなことはしてねえってのに」
「そんなことはない。貴殿のことをたくさん知ることができた。それで十分だ」
「……なら、いいけどな」
1は、照れたように視線を逸らす。彼にとっても、1ミカとの時間は、意外と悪くないものだった。
「また、ついていってもいいか?」
上目づかいで1の顔色を窺がいながら、おずおずと聞いてくる。しばしの黙考の後、1は彼女の熱意に負けた。
「……ああ。構わないぜ」
「本当か!?……良かった……!」
その途端、1ミカの表情が、ぱっと明るくなる。大輪の花が一斉に開いたかのような華やかさに、1は不覚にも目を奪われた。わずかな動揺を悟られないよう苦心しているうちに、二人は1ミカの部屋に着く。
「じゃ、また明日な」
「うむ」
頷いてドアを開けようとする、1ミカ。そんな彼女に、ふと思い立って1は言葉を投げかける。
「……おやすみ、ハイメライン」
「!!」
「あんまり、呼んでやれなかったからな」
そして、硬直する彼女をよそに、背を向けて歩き出す。しばしの間、1ミカは動けなかった。
なぜ、そんなに優しい声で呼ぶか。油断しているところに不意打ちなど、反則すぎる――そんな思いが、彼女の頭の中をぐるぐると駆け巡る。ジェットコースターのようにめまぐるしい感情は、どこへたどり着くか分かったものではない。
「……貴殿は、また、そうやって、わたくしの世界を簡単に覆す」
真っ赤な顔で呟いて、1ミカは彼の後ろ姿を、いつまでも見送った。
星々がきらめく空の下、『赤龍』の屋上でギターを奏でる音がする。音色の主は、もちろん1だ。1ミカと別れた後、まだ休む気になれず、彼はここに来たのだった。
Fギターの操作を愉しんでいた1だったが、何者かが近づく気配を感じ、演奏を中断する。
「……やっぱり、来たか」
「懐かしい音色が聞こえたものですから」
振り向かぬまま声をかけると、返事を返してきたのは、予想通りの人物だった。冷静さと美貌を兼ね備えた彼の秘書・リリスが、背後にいる。表情を崩すことが少なく、機械のようだと言われる彼女だが、月の光の下で、その冷たさはいくらか和らいでいるように見えた。
「珍しいですね。ルシファーの称号を得て以来、初めてではありませんか」
「まあ、ちょっとな」
言葉を濁しつつ、1がFギターをつま弾く。仄かな光が灯り、二人を照らし出した。
「その楽器は……」
「ああ」
未知の弦楽器に興味を示すリリスに、1は頷く。
「もらったんだよ。お前と同じように、世界を変える夢を、本気で見ているやつにな」
そして、それ以上説明することなく、彼は演奏を再開した。
「……そうですか」
リリスの方も追求せず、1の隣に座る。後はただ、穏やかな旋律が、途切れることなく続くだけだった。
「誰もいないな……」
「いや、何か聞こえるぜ」
1にそう言われて、1ミカも耳を澄ます。楽器を奏でる音が、微かに聞こえた。その美しい旋律に導かれるように、二人は進んで行く。幾重もの繁みをかきわけた先に、開けた場所があった。誰かがつくったのか、あるいは自然のものか、石柱がまばらに並ぶその中心に、ひとりの男がいた。青みがかった銀髪と、尖った耳を持つ彼は、ぼろぼろのマントに身を包み、弦楽器をつま弾いている。
「これは……彼が、演奏しているのか」
「……こいつは、なかなか大したもんだな」
感心したように、1が言う。こんな辺境で聞くには惜しいほど、その演奏はレベルが高いものだった。しばし聞き惚れていると、唐突に曲が止み、演奏者が顔を上げる。
「おや、お客さんが来た」
突然の来訪者を警戒することなく、男が人懐っこい笑みを浮かべる。その瞳は、青と緑が混じった、幻想的な色合いだった。
「演奏の邪魔をしてすまない」
我に返り、1ミカが頭を下げる。気分を害した風もなく、男は彼らに近づいた。
「いやいや、誰かに聞いてほしくて奏でていたものだから」
「そうだろうな」
「え?」
1が発した一言に、1ミカは思わず彼の方を見る。1の表情は、険しいものだった。
「おや……わかるかい」
「ああ。それ、呪歌だろ」
男が、値踏みするような視線を1に向ける。それに対し、1は挑むように返した。
「ジュカ……?」
「魔力が込められた音楽だよ。味方を強化したり、敵を操ったりできる。こいつがさっき奏でていたのは、ひとを惹きつける効果がある曲だ」
不思議そうな顔をする1ミカに、1が解説する。悪びれもせず、男は頷いた。
「その通り。僕が求める、とある条件を満たした者だけがここに来るように、演奏していた」
「貴殿が求める、条件……?」
「そう。僕が求めるのは、ただひとつ。この世界を変えることができるほどの、魂の輝きを持つ者たちだ」
男が、堂々たる態度で告げる。唐突に出てきたスケールの大きい話に、二人はついていけずに絶句した。
「世界を、変えるだと……」
「そりゃあ……また、大きく出たな」
硬直から半ば抜けることができずに、二人は無難な反応を返す。とんでもない電波に関わってしまったのではないか、と1は早くも後悔し始めていた。
「ああ、名乗るのが遅れたね。僕の名は、テルプソロネ。旅の吟遊詩人だ」
「俺様はシーザーだ。こっちは、ハイメライン」
男が、今更ながら自己紹介をする。つられるように、1は自身と、ついでに1ミカの名を告げた。テルプソロネの瞳が、満足げに細められる。
「輝く者にふさわしい、強く美しい響きを持つ名前だね」
「たかが名前でそこまで言うか?」
「そ、そんなことを言われたのは初めてだが……」
過剰な褒め言葉に、二人は反応に困る。元の世界で普段名乗っているのは別の名であるため、本名についてこのような評価を受けたのは初めてだった。彼らの困惑をよそに、テルプソロネは話題を変えた。
「さて。君たちは、この世界についてどれくらい知っているのかな」
「魔王や勇者のことを言ってるのか?」
テルプソロネの問いに答えたのは、1だった。自分が異世界から召喚された身だ、ということは伏せておく。相手の意図が未だ不明であるため、最初からすべては明かすつもりはなかった。彼の返答から、ある程度の事情は察しているものと判断したらしく、テルプソロネは言葉を続ける。
「この世界は、争いが絶えない。強い力を持つ者たちを呼び寄せて、彼らがぶつかり合うことで多くの犠牲を生んでいる」
「争ってばかりいるのは、どこの世界でも同じだろ」
自分の世界のことを思い出しながら、1は指摘する。外部からの侵略者がいてもいなくても、結局は諍いが起こるのだ。現に、彼の世界がそうである。
「そうかもしれないね。でも、命ある者たちは、わかりあえるはずなんだ。そのために、僕は音楽を奏でている」
そう言うなり、テルプソロネは弦楽器を弾き始めた。優しい音律が、静かな場に満ちていく。
「生き物には、魂がある。感動する心がある。いい音楽を聞いて、一緒に歌えばみんな仲間だ。そういうものだろう?」
「そんなに簡単に行けば、苦労しねえよ」
楽観的にも程があるテルプソロネの言葉に、1は渋い顔になる。それで世界が平和になるのなら、彼は仕事三昧の日々を送ってなどいないのだ。だが、一介の吟遊詩人が王の苦悩を知るはずもない。
「僕は、世界に音楽の素晴らしさを広めるために旅をしているんだ。人間だけではなく、魔物たちにもね」
「音楽によって、貴殿は世界を変えようとしているというのか……」
呆けたように、1ミカが息を吐く。1とは違い、彼女はテルプソロネの思想に感心していた。彼の言葉を夢物語と笑い飛ばせるほど、1ミカは世の中に疲れてはいなかった。
「この夢は、僕ひとりで成し遂げるにはあまりに大きすぎる。同じ夢を見てくれる仲間が欲しい。そして、君たちは来た」
演奏を止めて、テルプソロネが二人の方へ向き直る。急に話を振られ、1はたじろいだ。
「おい、ちょっと待て。俺様をてめえの妄想に巻き込むな」
あわてて拒否するが、テルプソロネはあきらめない。
「君には、その素質があるはずだよ。現に、呪歌を知っていただけでなく、どんな効果があるかも当ててみせた。これは、経験者にしかできないことだ」
「…………」
テルプソロネの鋭い推察に、1は押し黙る。目を瞬かせ、1ミカが1を仰ぎ見た。
「シーザー殿、貴殿は楽器が弾けるのか?」
彼女の問いに、1は答えない。そんな彼に、テルプソロネは腰に差していた棒状のものを手渡した。1が手に取ると同時に左右のパーツが展開され、楽器の形をとる。それは、テルプソロネが持っているものと同じ、弦楽器だった。こうして間近で見ると、エレキギターに似ているが、細部が微妙に違うような気がする。
「こいつは……」
「僕が開発した楽器・Fギターだ。楽器の内部に込められた妖精の力によって、音を生み出すことができる優れものだよ」
テルプソロネの説明を聞き、1は魅入られたようにFギターに視線を注ぐ。普通のエレキギターはアンプに繋がないとまともな音が出ないものだが、これはこのままで楽器として成立しているようだ。おそらくは、妖精の力とやらが動力源になっているのだろう。
「……おもしれえ楽器だな。これ、弾いてもいいのか?」
「君の中にある音を、存分に解き放つといい」
テルプソロネに許可をもらうなり、1は弦をつま弾いた。それと同時に、ギターから光が漏れて、辺りがほのかに明るくなる。
「……こりゃ、すげえな」
気を良くし、1は手慣れた様子で音を出していく。ギターのことをよく知らない1ミカにとっては、魔法でも使っているかのようだ。
そうしているうちに、1は自分の音色以外の音がギターから漏れ出ていることに気がついた。
「ギターに添うみてえに、他の音が出るのな。一人でやってるってのに、複数で演奏してるみてえだ」
「それが、Fギターの特徴さ。設定を変えれば、伴奏の方も調節できる」
そう返し、テルプソロネがギターの設定をいじる。弦楽器だというのに、ドラムのようなビートを刻み始めたFギターに、1は驚愕した。
「幅広いな。ひとつの楽器とは思えねえ」
「一人で演奏するだけじゃ物足りないからね。色々と、盛り込んでみた」
子どものように目を輝かせて、テルプソロネの講釈を受けながらFギターをいじくる1。1ミカは、彼のいつもと違う様子をじっと見つめていた。
そして、しばし後。ある程度満足したのか、1はようやく1ミカの存在を思い出したらしく、ばつが悪そうな顔をした。
「悪ぃ、ずっとほっといちまった」
「いや、見ていて楽しかったぞ」
珍しく謝られ、1ミカは首を振る。実際、彼女は放置されたことを不快に感じていなかった。何しろ、1がこれほど楽しそうにしているのは、珍しいことなのだ。
「お前は、楽器を演奏したことはねえのか?」
「天界の音楽は、どうも肌に合わなくてな。それに、武を磨くことに夢中だったし」
1の問いかけに、1ミカは少し恥ずかしそうに答える。音楽自体に罪はないが、教養の一環としてメタトロンに無理強いされた過去があるため、あまりいいイメージを持っていなかった。
「だったら、何か一曲弾いてやるぜ。ノリのいいやつをな」
「もう演奏できるのか?すごいな!」
得意げに、1がギターを構える。本当のところ、何かを演奏したくてたまらないのだろう。
「さっき練習していた曲かい?良かったら、合わせるよ」
二人の会話を聞いていたテルプソロネが、二重奏を申し出る。快諾し、1はギターの音を大きく響かせた。それを合図として曲が始まり、二人の周囲を光がふわふわと取り巻いては明滅する。
(こいつ、初見のくせにやりやがる)
断続的に弦を弾きながらも、1はテルプソロネの方をちらりと見遣る。彼が奏でている曲は、かなり高い演奏技術を要求するものだ。それなのに、まったくとちることなくテルプソロネはついてきている。1の視線に気づいたテルプソロネが、挑発するように笑った。その不遜な態度が、1の闘争本能をかきたてる。
「っし、勝負だ!」
「弾き比べかい?負けないよ!」
高らかな音とともに、1が宣戦布告をする。即座に相手の意図を理解し、テルプソロネは応じた。
そして、二人はギターのソロパートを交互に回しだした。ある程度区切りがいいところまで弾いた後に、片方がサブに回る。1が速弾きを繰り出せば、テルプソロネは情感のこもった音を響かせ応戦する。
「すごい気迫だ……!曲を奏でているだけだというのに、まるでつばぜり合いをしているかのような……!」
火花を散らす男二人に、1ミカは息を呑む。彼女が知るものとは全く違う戦いが、そこにあった。
「……やるじゃねえか」
「君もね」
健闘をたたえ合い、二人は同時に演奏し始める。どちらもサブに回らず、互いの技巧をぶつけ合い、そのまま高みへと上り詰めていく。そして、それが最高潮まで高まった時、曲は終了した。しばし呆けていた1ミカが、我に返って拍手をする。
「素晴らしい演奏だった!こんな音楽を聞いたのは初めてだ!」
「そーかそーか、気に入ったか」
彼女の称賛がお世辞ではなく本気だとわかり、1は嬉しそうな顔をする。
「どうだい?音楽の力は、素晴らしいだろう?世界を変えられるだろう?」
「ああ!現に、私の世界は変わった!」
身を乗り出してくるテルプソロネに、1ミカが力強く頷く。過剰なほどの褒め言葉に、1は照れたように笑った。
「そんなに感激してもらえりゃ、弾いた甲斐があったな」
そう言いつつ、1はテルプソロネに向かって手を差し出す。笑って、テルプソロネはハイタッチを返した。
「そのFギター、君にあげるよ」
「……いいのか?」
1が持っているギターを指さしつつ、テルプソロネが言う。驚いて、1はまじまじと吟遊詩人の顔を見つめた。機能が多彩で音質もいいこのギターをタダでくれるとは、いくらなんでも気前が良すぎるのではないだろうか。
「久しぶりに、熱くなれたからね。そのお礼だよ。そのギターも、君に弾いてもらいたがっている」
「これもらったからって、お前の旅にはつき合えねえぞ。俺様は俺様で忙しいんだ」
テルプソロネの爽やかな笑顔を前に、1はためらいを見せる。ギターは欲しいが、それ相応の額以上のことを求められたら困るのだ。ただより高いものはない。
「構わないさ。君は、きっとこの先、そのギターを何度も奏でることになる。そして、その音楽は必ずひとを惹きつけるだろう」
しかし、テルプソロネの返事は、あっさりしたものだった。世界を変える野望のためには、ギターの一本を譲渡するくらい大したことではないといったところか。
「まあ……こんなのもらったら、せっかくだから弾くけどな」
「使い方を知りたければ、また来るといい。しばらくはこの近くに滞在するから」
「そりゃ助かるな」
そこまで言われて、1はようやく警戒を解いて、テルプソロネの好意を受け取ることにした。何だかんだで、彼はこの楽器を気に入っていたのである。嬉しそうにギターのパーツを収納する1を微笑ましげに見た後、テルプソロネは空を仰いだ。
「君たち、そろそろ帰った方がいいよ。まもなく日が暮れる」
「本当だ……!いつの間にか、こんな時が経っていたのか」
1ミカが、驚きの声を上げる。さすがに空腹を感じ、1はこの場を離れることにした。
「お前はどうするんだ?」
宙に浮かびながら、テルプソロネに尋ねる。彼らが空を飛んだことに特に動揺した風もなく、吟遊詩人は答えた。
「ここに残るよ。暗くなれば、魔物が出始める。彼らは、絶好のお客さんだ」
「大丈夫か?食われちまったら、しゃれにならねえぞ」
「平気だよ。こんなところでやられては、世界は変えられない」
「それもそうだな」
テルプソロネの返事に納得し、1は飛び立った。少し戸惑いつつ、1ミカもそれに続く。
「……本当に、大丈夫だろうか」
遠ざかっていくテルプソロネの姿を振り返りながら、1ミカが案じる。あの詩人は、どう考えても戦闘向きの体格ではなかった。魔物と戦闘になったら、あっさりと食われてしまうのではないだろうか。
「いざとなったら呪歌で何とかするだろ。あいつ、見かけによらず腹が据わっていやがる」
一方、1はテルプソロネのことをさほど心配していない。大抵の悪魔と同様に、弱ければ死ぬのは当然だという割り切った考えを彼は持っていた。そして、あの詩人はおそらくは死なないのだろうという予感が彼にはある。
「何だか、不思議な御仁だったな……」
ナンナル付近の森に下りつつ、1ミカがため息をつく。
「世界を変える、か……ま、そういうでけえ夢を見るバカは嫌いじゃねえ」
「シーザー殿……?」
そう呟く1を見て、1ミカは首をかしげた。彼が、他の誰かを思い出しているような気がしたのだ。少し気になって次の言葉を待ってみるものの、その話題はそれ以上、彼の口から出なかった。
「さて、メシ食って帰るか」
「あ、待ってくれ、シーザー殿!」
大きく伸びをして、1はナンナルの街に向かって歩き出す。どことなく引っかかるものを感じながらも、1ミカは彼の背中を追いかけた。
ナンナルで食事を済ませた後、1と1ミカは彼らの世界へ帰ってきた。到着先は、1の自室である。このままでは何なので、1は彼女を部屋まで送ってやることにした。
「今日は、素晴らしい一日だった。感謝するぞ、シーザー殿」
連れだって廊下を歩きつつ、1ミカは1に礼を言う。1が自分に何かをしてくるつもりがないことは、彼女にはわかっていた。それでも十分満足しているので、これ以上求めるのは強欲というものだ。
「もうこっちに戻って来てるんだ、ルシファーって呼べよ」
「ふふ、そうだったな」
1の注意を、1ミカは素直に受け入れる。本来の名を呼び合う時間は、これでおしまいだ。今からまた、ルシファーとミカエルの称号を用いる日々が始まる。
「ずいぶんとご機嫌だな。俺様、特にお前を喜ばせるようなことはしてねえってのに」
「そんなことはない。貴殿のことをたくさん知ることができた。それで十分だ」
「……なら、いいけどな」
1は、照れたように視線を逸らす。彼にとっても、1ミカとの時間は、意外と悪くないものだった。
「また、ついていってもいいか?」
上目づかいで1の顔色を窺がいながら、おずおずと聞いてくる。しばしの黙考の後、1は彼女の熱意に負けた。
「……ああ。構わないぜ」
「本当か!?……良かった……!」
その途端、1ミカの表情が、ぱっと明るくなる。大輪の花が一斉に開いたかのような華やかさに、1は不覚にも目を奪われた。わずかな動揺を悟られないよう苦心しているうちに、二人は1ミカの部屋に着く。
「じゃ、また明日な」
「うむ」
頷いてドアを開けようとする、1ミカ。そんな彼女に、ふと思い立って1は言葉を投げかける。
「……おやすみ、ハイメライン」
「!!」
「あんまり、呼んでやれなかったからな」
そして、硬直する彼女をよそに、背を向けて歩き出す。しばしの間、1ミカは動けなかった。
なぜ、そんなに優しい声で呼ぶか。油断しているところに不意打ちなど、反則すぎる――そんな思いが、彼女の頭の中をぐるぐると駆け巡る。ジェットコースターのようにめまぐるしい感情は、どこへたどり着くか分かったものではない。
「……貴殿は、また、そうやって、わたくしの世界を簡単に覆す」
真っ赤な顔で呟いて、1ミカは彼の後ろ姿を、いつまでも見送った。
星々がきらめく空の下、『赤龍』の屋上でギターを奏でる音がする。音色の主は、もちろん1だ。1ミカと別れた後、まだ休む気になれず、彼はここに来たのだった。
Fギターの操作を愉しんでいた1だったが、何者かが近づく気配を感じ、演奏を中断する。
「……やっぱり、来たか」
「懐かしい音色が聞こえたものですから」
振り向かぬまま声をかけると、返事を返してきたのは、予想通りの人物だった。冷静さと美貌を兼ね備えた彼の秘書・リリスが、背後にいる。表情を崩すことが少なく、機械のようだと言われる彼女だが、月の光の下で、その冷たさはいくらか和らいでいるように見えた。
「珍しいですね。ルシファーの称号を得て以来、初めてではありませんか」
「まあ、ちょっとな」
言葉を濁しつつ、1がFギターをつま弾く。仄かな光が灯り、二人を照らし出した。
「その楽器は……」
「ああ」
未知の弦楽器に興味を示すリリスに、1は頷く。
「もらったんだよ。お前と同じように、世界を変える夢を、本気で見ているやつにな」
そして、それ以上説明することなく、彼は演奏を再開した。
「……そうですか」
リリスの方も追求せず、1の隣に座る。後はただ、穏やかな旋律が、途切れることなく続くだけだった。
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- テーマ:ファンタジー小説
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- カテゴリ:L-Triangle!外伝⑤
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