L-Triangle!9-5
- 2014/12/24
- 20:17
盛り上がる人々の後方でミナとリルが状況を静観していることを、1と2はすっかり忘れていた。
「お姉ちゃん、どうするの。儀式が……」
青ざめて、リルがミナにすがりつく。その顔は、今にも泣きだしそうだ。妹を宥めるように、ミナは彼女の銀髪を指で梳いた。
「大丈夫大丈夫。あの魔法陣、まだ生きてるから」
「…………え?」
ミナの言葉を聞いて、リルは壇上をまじまじと観察する。2が魔力を放出しているせいで目立たないが、床に描かれた魔法陣は、姉の言う通り輝きを失っていなかった。
「ちんけな生贄をささげるより、本場のルシファーの魔力の方が、いい燃料になったみたいだね」
ミナが、口角を吊り上げる。その直後、魔法陣が激しい光を放った。
「ルシファー様!どうか我々をお導き下さい!」
魔法陣の異変に気づかず、ヘイディースが2に呼びかける。
「おお、任せとけ……ん?」
ヘイディースに軽い返事を返し、そこで初めて2は魔法陣の存在を思い出した。だが、時すでに遅し。
「儀式の魔法陣、消えてなかったのかよ!?」
ばちばちと火花を散らす魔法陣を見て、2が驚きの声を上げる。
止めようとするより早く、光が魔法陣の中央に収束し、弾け飛んだ。膨大なエネルギーがあふれ、その場にいる人々はいっせいに後退する。
「さ~ってと、何が出るかな~?」
楽しそうに、ミナが歌う。魔法陣のエネルギーは荒れ狂い、天空へと吹き上げた。雲に大穴があき、何者かが空からゆっくりと落下してくる。どうやら、ただの暴走ではなく、何かの召喚に成功してしまったらしい。光のカーテンに包まれ、神々しいオーラを放ちながら、その者は檀上に降り立った。
「あ、あれ……?ここ、どこ?」
清らかな雰囲気を漂わせる黒髪の美青年が、不安げに辺りを見回す。天の遣いを想起させる美貌を持つ彼の登場に、人々は息を呑んだ。彼の知り合いである、ごく一部を除いては。
「フォース!?」
仰天し、2が彼の名を呼ぶ。3の方もまた、友人たちの姿を見つけて驚いていた。
「カイン、シーザー……これ、どういうこと?この人たち、誰?」
困惑しきって、3は事態を把握できずに固まっているヘイディースや、反エルファラ教徒たちを指さす。どこから説明していいかわからず、2は簡潔な答えを返した。
「んーと……ルシファーを召喚してエルファラ教会を潰そう会の皆さんだ」
2のはしょりすぎにも程がある説明は、3の胸中に更なる疑問を増やしただけだった。くらくらする頭を押さえつつ、それでも3は状況を分析しようと努める。
「細かいところはさておくとして……それで、私が召喚されちゃった……ってことでいいのかな」
3の問いを、2は無言で肯定する。彼らのやりとりに、ヘイディースがおずおずと口を挟んだ。
「ル、ルシファー様……この方は……?」
「ん?ああ、俺のダチだ。エルファラ教会打倒に協力してくれる」
「おお、そうでしたか!」
2の返答を聞き、ヘイディースは胸をなで下ろした。彼は、2の力に触発されてエルファラ神が復活してしまったのかと危惧していたのだ。
「え?ちょっと待って、エルファラ教会打倒って何!?」
ヘイディースは安堵したが、3の反応は真逆である。確か、自分は1と2に、彼が容疑をかけられた殺人事件の捜査を頼んだはずだ。それがどうしてこんなことになっているのか、まるで意味が解らなかった。
「ちまちまと無罪を証明するより、いっそお前を捕まえてる組織自体をぶっ潰した方が手っ取り早いと思ってな」
「ええええええ!?」
2の斜め上にもほどがある解決策を聞き、3は真っ青になった。
完全に喜劇舞台と化した会場を、ミナとリルは離れたところから見物していた。
「何なの、あれ。何であいつが召喚されるの」
リルが、怒りのあまりわなわなと肩を震わせる。本体が復活するかもしれないというこの日を、彼女はとても楽しみにしていたのだ。そして、そのために多くのことをやってきたというのに、こんなかたちで台無しにされるとは思わなかった。
「んー……手近なルシファーを呼び出すっていったら、やっぱこうなっちゃうかー……がっかり」
妹が絶望する傍らで、ミナも残念そうに肩を落す。その反応は、リルに比べて軽いものだった。彼女は、リルよりは今回の召喚に期待をかけていなかったのかもしれない。それとも、妹の前で取り乱すわけにはいかないという矜持ゆえか。真相は、ミナ本人にしかわからないだろう。
「……くだらない結末。もう帰ろう、お姉ちゃん」
忌々しそうに吐き捨てて、リルがミナの腕を引っ張る。完全に拗ねてしまった妹を見て、ミナは苦笑した。
「そうだね。おいしいものでも、食べに行こっか」
そして、姉妹は人々に気づかれないよう姿を消した。壇上では、男たちが何事かを言い争っているが、もはや彼女たちはそれに関わるつもりはなかった。
「シーザー……君がついていながら、これ、どういうこと!?」
ひとしきり混乱した後、3が矛先を向けたのは1だった。
「何でそこで俺様に振るんだよ!?」
力いっぱいにらみつけられて、1は狼狽する。構わず、3は彼に詰め寄った。
「私、言ってたよね!?カインが目立つことをしないように見張らないとダメだって!どうして止めないのさ!?」
1の胸ぐらを掴み、がくがくと揺さ振る3。彼は、日ごろから2との付き合いについて1に相談しており、そのたびに大事件を起こすことの危険性を訴えてきた。それにも関わらずこんなことになっているということは、1は3の話を全く聞いていなかったのだ。それが彼には許せなかった。
もっとも、混乱の末の八つ当たりというのもだいぶあるようだが。
1の方はというと、なぜ自分が責められるのかという疑問とともに思考停止しており、されるがままの状態である。
彼ら二人のやりとりは、子どもを父親に預けたら目を離した隙にトラブルが発生した際の夫婦のそれによく似ていた。
「俺、何か悪いことした?」
きょとんとした顔で、2が3に尋ねる。ため息をついて、3は2の両肩に手を置いた。怒鳴り散らしたいのをこらえ、気を落ち着けて説得を始める。
「……あのね、カイン。私のために頑張ってくれるのはいいけど、努力の方向性が違うよ」
「俺は祈りを手に入れられる。お前は釈放される。これでベストだろ?な?」
悪気が全くない様子で、2はこんなことを言う。彼が彼なりの信念に基づいて動いているということは、3にも伝わった。だからこそ、余計に厄介である。
「エルファラ教会を倒したりしたら、大混乱が起こるよ。ナンナルだって、きっとただではすまない。君は、本当にそれでいいの?」
「心配すんなって。こんだけたくさんの魂を吸えば、俺に不可能はねえ。きれいにエルファラ教会だけ消滅させてやるよ。それこそ、何も起こらなかったみたいにな」
ヘイディースや反エルファラ教徒に視線を巡らせた後、2は中央神殿塔を指し示す。3は、2の瞳を覗き込んだ。そこには、嘘をついている者にありがちな揺らぎがいっさいない。にわかに信じがたいことだが、彼は今言ったことを本当に実現できるのだろう。2の力で世界が歪に変貌する様を想像し、3は背筋が凍るのを感じた。
「そ、そんなのだめだよ!絶対にだめだ!!」
耐え切れなくなって、激昂する。それを見て、2は腑に落ちないという顔をした。
「えー……何でそんなに怒ってんだよ。意味わかんねえ」
「ああもう……どう説明したらいいんだよ、これ」
まるで話が通じない様子の2に、3は頭を抱える。自分も言えたことではないが、2の常識はどこか欠落している。やっていいことと悪いことのバランスが、どうにもこうにも不安定なのだ。
2が誰かを悲しませようとしたら止めてほしいが、彼自体を否定しないでくれと、以前、3は2の弟に頼まれたことがある。その際に彼は承諾したのだが、実際に騒動が起こった時、それがどれほど難しいことかを今、痛感していた。
多くの者たちを犠牲にして世界を勝手な都合で変革させるのは、許しがたい巨悪だ。
だが、それが2の仕事であり、存在意義でもある。
ここで衝突したら、どうやっても2との間に修復不可能なひびが入る。それを、3はどうしても回避したかった。
「カイン、もうそのへんでやめとけ」
俯いたまま懊悩する3に助け船を出したのは、1だった。2の頭の上に、手を乗せる。
「お前まで何だよ?」
うっとうしそうに、2は1をにらむ。自分がしようとしているのは、立派な取引だ。わけのわからない邪神を呼び出し、世界を覆そうとしているヘイディース達は、目的のために命を捧げる覚悟くらいはとうにすんでいるだろう。天使や人間ならばともかく、同じ悪魔の王である1と3に非難されるのはきわめて不本意だった。
そんな2の胸中を察したか、1は彼の髪をぐしゃぐしゃと乱した。
「てめえの思う通りにやったって、こいつは喜ばねえよ。むしろ怒ってすねて、面倒なことになるぜ」
「は?何でだよ。俺がせっかく……」
わけがわからないというように、2が反発する。1の言葉の中に活路を見出して、3は2に詰め寄った。
「……そうだよ。そんなことしたら泣いてやる!号泣してやる!泣いて泣いて泣きまくって、君に文句を言い続けてやるから!寝かさないよ?半月くらい!」
「げっ……」
力の限り、2に感情をぶつける。予想外の攻撃に、さすがの彼も怯んだ。逆切れ状態のままで、3は畳み掛ける。
「私を泣かせて楽しいのかい、君は!ええ!?」
「…………」
完全に気圧されて、2は押し黙った。3の言っていることは、ただの感情論だ。相手を説き伏せようという論理的な思考が、そこには見当たらない。嫌なものは嫌。だめなものはだめ。実にシンプルだが、当人が折れない限りはどうすることもできない問題だ。面倒見がいい性格ゆえに、2は3の全力での抗議を無視することはできなかった。
「てめえの負けだ」
にやにやしながら、1が判定を下す。彼としては、男女の痴話喧嘩でも見ているかのような心境だった。ヒステリーを起こした相手に、男はこう言うしかない。
「……ったく!わかったよ!わかったからやめろ!そういうのやめろ!」
大半の例に漏れず、2は根負けした。自棄になって、言い放つ。その途端、3は糾弾を緩めた。
「……ホントにわかったの?」
すねたように、聞いてくる。苦み走った表情で、2は返した。
「よくわからねえけど、とにかくお前の言う通りにするから!それでいいだろ?」
もうこれでこの件は終わりだと言わんばかりに、2は3の頭をぽんぽんと叩く。3が何か言いかけたところで、広間の扉が開いた。同時に、エルファラ教会の騎士たちが、なだれこんでくる。いつの間にか塔の最上階まで上って来ていたらしい。
「見つけたぞ、邪教の者たちよ!」
騎士たちの先頭に立って剣を掲げているのは、勇者ロードだった。
「げっ……もうきやがった」
彼らの存在をすっかり忘れていた1と2は、顔を引きつらせる。
「全員、確保しろ!」
ロードの指示に従い、騎士たちはこの場にいる者たちを捕縛し始めた。舞台に押し寄せる騎士たちを見て、ヘイディースが狼狽える。
「ル、ルシファー様……!」
すがるような視線が、2に向けられる。2は、静かに首を振った。
「悪ぃ、これ以上はつき合えねえわ。おとなしく、裁かれてくれ」
「そ・そんな……!」
信じていた者から裏切られて、ヘイディースは失意のどん底に落ちる。抵抗する間もなく、彼は騎士たちに捕えられた。そしてそのまま、外へと連行されていく。反抗組織を立ち上げ、教会を打倒するために生涯を捧げた男の、哀れな末路だった。自業自得とは言え後味の悪さはぬぐえず、2はいたたまれない気分になる。
「君たち、感謝するよ。おかげで、こいつらを一網打尽にできた」
ロードが、1と2に声をかけてくる。
「その……できれば、火あぶりとかは勘弁してやってくれな」
晴れ晴れとした様子の勇者に、2は情状酌量を訴えた。ヘイディースがしたことは、教会から見て許されるものではないだろう。だがそれでも、彼らを騙したかたちになってしまった2としては、寛大な処置を願わずにはいられなかった。
「安心してよ。そんな物騒な真似、正義がすることじゃない。エルファラ教の素晴らしさを、彼らにみっちり教え込むつもりさ!」
「……洗脳か……」
快活に微笑んで、ロードは答える。その裏に黒いものを感じた1の呟きを、勇者はきれいに無視した。
「それに、彼らがやったことって、今のところ死体を盗んだくらいだからね」
そう言って、ロードは配下に死体の回収を命じる。床に転がっていたそれらを、騎士たちは担架に乗せた。
「お、そうだ。フォース、この中にお前のオンナはいるか?」
死体が運び出される前に、1が3に尋ねる。ここまでの騒ぎですっかり忘れていたが、彼らはケレンの死体を探しに来ていたのだ。
「ああ、そうだね。この中に、ケレンは……」
あわてて、3は彼女たちの顔を確認しに走る。戻ってきた彼の顔は、蒼白だった。
「…………いない」
3が、押し殺したような声で報告する。これには、二人も動揺せずにはいられなかった。
「え、嘘だろ!?」
「だったら、どこにいるってんだ!?」
信じられないというように、1と2は聞き返す。しかし、殺人容疑をかけられている当人の3がこんな悪質な冗談を言うはずがない。これまでの苦労は全て無駄だったのかという考えが頭をよぎったとき、
「フォース!!」
人だかりから一人の女が駆け寄ってきて、3に抱きついた。困惑しながらも、3は彼女の顔を覗き込む。どこか気が強そうな、赤い瞳の美女。さらさらと流れる長い髪も、瞳と同じ色だ。
「え、え?ケレン……!?」
「ごめんなさい、私のせいで……!」
泣きそうな表情で、ケレンは3を見つめる。
「この女が、ケレンか?死んだんじゃなかったのか」
わけがわからず、2はケレンをじろじろと観察する。幽霊の類いと接することが多い彼だが、彼女に不審な点は見当たらなかった。五体満足、健康体のただの女性にしか見えない。
「このアジトの奥に捕えられていたみたい。死体の生贄で邪神が召喚されなかったら、彼女が殺されて捧げられていただろう」
部下の報告を受けたロードが、ルシファー達に説明する。
「ケレン……君、本当に生きているのかい?」
狐に化かされたような心持で、3はケレンに問いかける。忌まわしい記憶に身を震わせながら、彼女は答えた。
「薬でね、仮死状態にされていたみたいなの。怖かったわ……」
「君を襲ったのは、一体誰なんだ」
「それは、わからないわ。背後から頭を殴られて、気絶してしまったから」
俯いて、ケレンは犯行当時のことについて打ち明ける。それは、一見すると不自然さがない証言だったが、3にとっては納得できないことが多すぎた。
「でも、君……」
「ま、良かったじゃねえか。これで、無罪放免。そうだろ?」
何事かを言いかけた3の肩を、2が叩く。
「後は、僕らに任せてくれるかな。彼女のことは、教会で責任を持って保護するよ」
ロードが、力強く保証する。事態が無難な形で収束しつつあるのを感じて、3はこれ以上の言及をやめた。
「もう帰ろうぜ。お前、明日から仕事だろ」
沈黙してしまった3の背中をそっと押したのは、1だった。表情が晴れないままで、3は頷く。彼らに向って、ロードは頭を下げた。
「君たちには、また助けられちゃったね。本当にありがとう」
「それはいいけどな、フォースの件は誤認逮捕だったってこと、ちゃんと公表しろよ?」
「わかってるって。過ちは素直に認めるのが正義の勇者さ!」
抜け目なく、1がロードにくぎを刺す。勇者の返答は、実に彼らしいものだった。
「あ、そうだ。これ、返しとくな」
ふと思い出し、2は通話の石の破片が入った袋をロードに渡した。完膚なきまでに破壊されたそれを見て、ロードが顔を引きつらせる。
「ちょっと、何なのこれは!?どうりで連絡しても繋がらないと思った!」
「悪い、落としちまった」
「ああもう、通話の石って、すっごく高価なのに……」
軽い口調で抗議しつつ、ロードは内心舌打ちする。せっかく盗聴器を持たせたというのに、まったく意味がなかった。先方ののんきさを見るに、気づかれて手を打たれたとは考えにくい。変に追及してぼろを出すよりは、ここは無難に終わらせた方がいいと彼は判断した。
「ま、いいや。ばたばたしちゃったけど、今度はゆっくり遊びに来てよ」
表面上だけでも友好的な態度を取り繕って、ロードはルシファー達を送り出す。
「フォース……また、会いましょうね」
「…………うん」
名残惜しそうなケレンに、複雑な心境ながらも3は頷いた。3の手を握りしめた後、彼女もまた、騎士たちに連れられて去って行く。
ルシファー達は、そのまま帰ることにした。塔の階段を下りて、何事かと集まってきていた野次馬たちをかき分け、どうにかひと目のつかないところまで来る。
「ま、これで一件落着だな」
「何、他人事みてーな面してやがる。思いっきり引っ掻き回したくせによ」
渋面で、1が2の頭を小突く。暴走を止めなかった時点で彼も共犯だが、それを指摘する者はいなかった。
「フォース、どうかしたのか?さっきから、何か変だぞ」
ずっと考え事をしている3のことが気になり、2は彼に話しかける。周囲に自分たち以外誰もいないことを確認してから、3は胸の奥に溜まっていた疑念をぽつりぽつりと語り始めた。
「……あのね」
「ん?」
「ケレンのことなんだけど……彼女、私が発見した時、首が折れていたんだ。あれは、どう考えても死んでいたのに……」
ケレンを発見した当時のことを思い出し、3は眉を寄せる。彼が嘘を言っているとは考えにくいので、二人も真剣な表情になった。
「確かに、妙だが……この世界には、俺らも知らねえ技術があるみてえだし、一概には言えないんじゃねえか?」
1が、自信なさそうに推測を述べる。この世界は、彼らの世界とは異なる点が多い。考えたこともなかったが、人体の構造が違うのかもしれないし、蘇生の秘術やアイテムがあるのかもしれない。どちらにせよ、現段階でははっきりとした解答など出せるはずがなかった。
「そんなに深く考えるなよ。明日に支障が出るぞ?」
「……そうだね」
2に諭されて、3は自身を納得させる。彼らには彼らの世界があり、生活がある。今の三人にとっての最善手は、細かい疑問に目をつぶることだった。
「お姉ちゃん、どうするの。儀式が……」
青ざめて、リルがミナにすがりつく。その顔は、今にも泣きだしそうだ。妹を宥めるように、ミナは彼女の銀髪を指で梳いた。
「大丈夫大丈夫。あの魔法陣、まだ生きてるから」
「…………え?」
ミナの言葉を聞いて、リルは壇上をまじまじと観察する。2が魔力を放出しているせいで目立たないが、床に描かれた魔法陣は、姉の言う通り輝きを失っていなかった。
「ちんけな生贄をささげるより、本場のルシファーの魔力の方が、いい燃料になったみたいだね」
ミナが、口角を吊り上げる。その直後、魔法陣が激しい光を放った。
「ルシファー様!どうか我々をお導き下さい!」
魔法陣の異変に気づかず、ヘイディースが2に呼びかける。
「おお、任せとけ……ん?」
ヘイディースに軽い返事を返し、そこで初めて2は魔法陣の存在を思い出した。だが、時すでに遅し。
「儀式の魔法陣、消えてなかったのかよ!?」
ばちばちと火花を散らす魔法陣を見て、2が驚きの声を上げる。
止めようとするより早く、光が魔法陣の中央に収束し、弾け飛んだ。膨大なエネルギーがあふれ、その場にいる人々はいっせいに後退する。
「さ~ってと、何が出るかな~?」
楽しそうに、ミナが歌う。魔法陣のエネルギーは荒れ狂い、天空へと吹き上げた。雲に大穴があき、何者かが空からゆっくりと落下してくる。どうやら、ただの暴走ではなく、何かの召喚に成功してしまったらしい。光のカーテンに包まれ、神々しいオーラを放ちながら、その者は檀上に降り立った。
「あ、あれ……?ここ、どこ?」
清らかな雰囲気を漂わせる黒髪の美青年が、不安げに辺りを見回す。天の遣いを想起させる美貌を持つ彼の登場に、人々は息を呑んだ。彼の知り合いである、ごく一部を除いては。
「フォース!?」
仰天し、2が彼の名を呼ぶ。3の方もまた、友人たちの姿を見つけて驚いていた。
「カイン、シーザー……これ、どういうこと?この人たち、誰?」
困惑しきって、3は事態を把握できずに固まっているヘイディースや、反エルファラ教徒たちを指さす。どこから説明していいかわからず、2は簡潔な答えを返した。
「んーと……ルシファーを召喚してエルファラ教会を潰そう会の皆さんだ」
2のはしょりすぎにも程がある説明は、3の胸中に更なる疑問を増やしただけだった。くらくらする頭を押さえつつ、それでも3は状況を分析しようと努める。
「細かいところはさておくとして……それで、私が召喚されちゃった……ってことでいいのかな」
3の問いを、2は無言で肯定する。彼らのやりとりに、ヘイディースがおずおずと口を挟んだ。
「ル、ルシファー様……この方は……?」
「ん?ああ、俺のダチだ。エルファラ教会打倒に協力してくれる」
「おお、そうでしたか!」
2の返答を聞き、ヘイディースは胸をなで下ろした。彼は、2の力に触発されてエルファラ神が復活してしまったのかと危惧していたのだ。
「え?ちょっと待って、エルファラ教会打倒って何!?」
ヘイディースは安堵したが、3の反応は真逆である。確か、自分は1と2に、彼が容疑をかけられた殺人事件の捜査を頼んだはずだ。それがどうしてこんなことになっているのか、まるで意味が解らなかった。
「ちまちまと無罪を証明するより、いっそお前を捕まえてる組織自体をぶっ潰した方が手っ取り早いと思ってな」
「ええええええ!?」
2の斜め上にもほどがある解決策を聞き、3は真っ青になった。
完全に喜劇舞台と化した会場を、ミナとリルは離れたところから見物していた。
「何なの、あれ。何であいつが召喚されるの」
リルが、怒りのあまりわなわなと肩を震わせる。本体が復活するかもしれないというこの日を、彼女はとても楽しみにしていたのだ。そして、そのために多くのことをやってきたというのに、こんなかたちで台無しにされるとは思わなかった。
「んー……手近なルシファーを呼び出すっていったら、やっぱこうなっちゃうかー……がっかり」
妹が絶望する傍らで、ミナも残念そうに肩を落す。その反応は、リルに比べて軽いものだった。彼女は、リルよりは今回の召喚に期待をかけていなかったのかもしれない。それとも、妹の前で取り乱すわけにはいかないという矜持ゆえか。真相は、ミナ本人にしかわからないだろう。
「……くだらない結末。もう帰ろう、お姉ちゃん」
忌々しそうに吐き捨てて、リルがミナの腕を引っ張る。完全に拗ねてしまった妹を見て、ミナは苦笑した。
「そうだね。おいしいものでも、食べに行こっか」
そして、姉妹は人々に気づかれないよう姿を消した。壇上では、男たちが何事かを言い争っているが、もはや彼女たちはそれに関わるつもりはなかった。
「シーザー……君がついていながら、これ、どういうこと!?」
ひとしきり混乱した後、3が矛先を向けたのは1だった。
「何でそこで俺様に振るんだよ!?」
力いっぱいにらみつけられて、1は狼狽する。構わず、3は彼に詰め寄った。
「私、言ってたよね!?カインが目立つことをしないように見張らないとダメだって!どうして止めないのさ!?」
1の胸ぐらを掴み、がくがくと揺さ振る3。彼は、日ごろから2との付き合いについて1に相談しており、そのたびに大事件を起こすことの危険性を訴えてきた。それにも関わらずこんなことになっているということは、1は3の話を全く聞いていなかったのだ。それが彼には許せなかった。
もっとも、混乱の末の八つ当たりというのもだいぶあるようだが。
1の方はというと、なぜ自分が責められるのかという疑問とともに思考停止しており、されるがままの状態である。
彼ら二人のやりとりは、子どもを父親に預けたら目を離した隙にトラブルが発生した際の夫婦のそれによく似ていた。
「俺、何か悪いことした?」
きょとんとした顔で、2が3に尋ねる。ため息をついて、3は2の両肩に手を置いた。怒鳴り散らしたいのをこらえ、気を落ち着けて説得を始める。
「……あのね、カイン。私のために頑張ってくれるのはいいけど、努力の方向性が違うよ」
「俺は祈りを手に入れられる。お前は釈放される。これでベストだろ?な?」
悪気が全くない様子で、2はこんなことを言う。彼が彼なりの信念に基づいて動いているということは、3にも伝わった。だからこそ、余計に厄介である。
「エルファラ教会を倒したりしたら、大混乱が起こるよ。ナンナルだって、きっとただではすまない。君は、本当にそれでいいの?」
「心配すんなって。こんだけたくさんの魂を吸えば、俺に不可能はねえ。きれいにエルファラ教会だけ消滅させてやるよ。それこそ、何も起こらなかったみたいにな」
ヘイディースや反エルファラ教徒に視線を巡らせた後、2は中央神殿塔を指し示す。3は、2の瞳を覗き込んだ。そこには、嘘をついている者にありがちな揺らぎがいっさいない。にわかに信じがたいことだが、彼は今言ったことを本当に実現できるのだろう。2の力で世界が歪に変貌する様を想像し、3は背筋が凍るのを感じた。
「そ、そんなのだめだよ!絶対にだめだ!!」
耐え切れなくなって、激昂する。それを見て、2は腑に落ちないという顔をした。
「えー……何でそんなに怒ってんだよ。意味わかんねえ」
「ああもう……どう説明したらいいんだよ、これ」
まるで話が通じない様子の2に、3は頭を抱える。自分も言えたことではないが、2の常識はどこか欠落している。やっていいことと悪いことのバランスが、どうにもこうにも不安定なのだ。
2が誰かを悲しませようとしたら止めてほしいが、彼自体を否定しないでくれと、以前、3は2の弟に頼まれたことがある。その際に彼は承諾したのだが、実際に騒動が起こった時、それがどれほど難しいことかを今、痛感していた。
多くの者たちを犠牲にして世界を勝手な都合で変革させるのは、許しがたい巨悪だ。
だが、それが2の仕事であり、存在意義でもある。
ここで衝突したら、どうやっても2との間に修復不可能なひびが入る。それを、3はどうしても回避したかった。
「カイン、もうそのへんでやめとけ」
俯いたまま懊悩する3に助け船を出したのは、1だった。2の頭の上に、手を乗せる。
「お前まで何だよ?」
うっとうしそうに、2は1をにらむ。自分がしようとしているのは、立派な取引だ。わけのわからない邪神を呼び出し、世界を覆そうとしているヘイディース達は、目的のために命を捧げる覚悟くらいはとうにすんでいるだろう。天使や人間ならばともかく、同じ悪魔の王である1と3に非難されるのはきわめて不本意だった。
そんな2の胸中を察したか、1は彼の髪をぐしゃぐしゃと乱した。
「てめえの思う通りにやったって、こいつは喜ばねえよ。むしろ怒ってすねて、面倒なことになるぜ」
「は?何でだよ。俺がせっかく……」
わけがわからないというように、2が反発する。1の言葉の中に活路を見出して、3は2に詰め寄った。
「……そうだよ。そんなことしたら泣いてやる!号泣してやる!泣いて泣いて泣きまくって、君に文句を言い続けてやるから!寝かさないよ?半月くらい!」
「げっ……」
力の限り、2に感情をぶつける。予想外の攻撃に、さすがの彼も怯んだ。逆切れ状態のままで、3は畳み掛ける。
「私を泣かせて楽しいのかい、君は!ええ!?」
「…………」
完全に気圧されて、2は押し黙った。3の言っていることは、ただの感情論だ。相手を説き伏せようという論理的な思考が、そこには見当たらない。嫌なものは嫌。だめなものはだめ。実にシンプルだが、当人が折れない限りはどうすることもできない問題だ。面倒見がいい性格ゆえに、2は3の全力での抗議を無視することはできなかった。
「てめえの負けだ」
にやにやしながら、1が判定を下す。彼としては、男女の痴話喧嘩でも見ているかのような心境だった。ヒステリーを起こした相手に、男はこう言うしかない。
「……ったく!わかったよ!わかったからやめろ!そういうのやめろ!」
大半の例に漏れず、2は根負けした。自棄になって、言い放つ。その途端、3は糾弾を緩めた。
「……ホントにわかったの?」
すねたように、聞いてくる。苦み走った表情で、2は返した。
「よくわからねえけど、とにかくお前の言う通りにするから!それでいいだろ?」
もうこれでこの件は終わりだと言わんばかりに、2は3の頭をぽんぽんと叩く。3が何か言いかけたところで、広間の扉が開いた。同時に、エルファラ教会の騎士たちが、なだれこんでくる。いつの間にか塔の最上階まで上って来ていたらしい。
「見つけたぞ、邪教の者たちよ!」
騎士たちの先頭に立って剣を掲げているのは、勇者ロードだった。
「げっ……もうきやがった」
彼らの存在をすっかり忘れていた1と2は、顔を引きつらせる。
「全員、確保しろ!」
ロードの指示に従い、騎士たちはこの場にいる者たちを捕縛し始めた。舞台に押し寄せる騎士たちを見て、ヘイディースが狼狽える。
「ル、ルシファー様……!」
すがるような視線が、2に向けられる。2は、静かに首を振った。
「悪ぃ、これ以上はつき合えねえわ。おとなしく、裁かれてくれ」
「そ・そんな……!」
信じていた者から裏切られて、ヘイディースは失意のどん底に落ちる。抵抗する間もなく、彼は騎士たちに捕えられた。そしてそのまま、外へと連行されていく。反抗組織を立ち上げ、教会を打倒するために生涯を捧げた男の、哀れな末路だった。自業自得とは言え後味の悪さはぬぐえず、2はいたたまれない気分になる。
「君たち、感謝するよ。おかげで、こいつらを一網打尽にできた」
ロードが、1と2に声をかけてくる。
「その……できれば、火あぶりとかは勘弁してやってくれな」
晴れ晴れとした様子の勇者に、2は情状酌量を訴えた。ヘイディースがしたことは、教会から見て許されるものではないだろう。だがそれでも、彼らを騙したかたちになってしまった2としては、寛大な処置を願わずにはいられなかった。
「安心してよ。そんな物騒な真似、正義がすることじゃない。エルファラ教の素晴らしさを、彼らにみっちり教え込むつもりさ!」
「……洗脳か……」
快活に微笑んで、ロードは答える。その裏に黒いものを感じた1の呟きを、勇者はきれいに無視した。
「それに、彼らがやったことって、今のところ死体を盗んだくらいだからね」
そう言って、ロードは配下に死体の回収を命じる。床に転がっていたそれらを、騎士たちは担架に乗せた。
「お、そうだ。フォース、この中にお前のオンナはいるか?」
死体が運び出される前に、1が3に尋ねる。ここまでの騒ぎですっかり忘れていたが、彼らはケレンの死体を探しに来ていたのだ。
「ああ、そうだね。この中に、ケレンは……」
あわてて、3は彼女たちの顔を確認しに走る。戻ってきた彼の顔は、蒼白だった。
「…………いない」
3が、押し殺したような声で報告する。これには、二人も動揺せずにはいられなかった。
「え、嘘だろ!?」
「だったら、どこにいるってんだ!?」
信じられないというように、1と2は聞き返す。しかし、殺人容疑をかけられている当人の3がこんな悪質な冗談を言うはずがない。これまでの苦労は全て無駄だったのかという考えが頭をよぎったとき、
「フォース!!」
人だかりから一人の女が駆け寄ってきて、3に抱きついた。困惑しながらも、3は彼女の顔を覗き込む。どこか気が強そうな、赤い瞳の美女。さらさらと流れる長い髪も、瞳と同じ色だ。
「え、え?ケレン……!?」
「ごめんなさい、私のせいで……!」
泣きそうな表情で、ケレンは3を見つめる。
「この女が、ケレンか?死んだんじゃなかったのか」
わけがわからず、2はケレンをじろじろと観察する。幽霊の類いと接することが多い彼だが、彼女に不審な点は見当たらなかった。五体満足、健康体のただの女性にしか見えない。
「このアジトの奥に捕えられていたみたい。死体の生贄で邪神が召喚されなかったら、彼女が殺されて捧げられていただろう」
部下の報告を受けたロードが、ルシファー達に説明する。
「ケレン……君、本当に生きているのかい?」
狐に化かされたような心持で、3はケレンに問いかける。忌まわしい記憶に身を震わせながら、彼女は答えた。
「薬でね、仮死状態にされていたみたいなの。怖かったわ……」
「君を襲ったのは、一体誰なんだ」
「それは、わからないわ。背後から頭を殴られて、気絶してしまったから」
俯いて、ケレンは犯行当時のことについて打ち明ける。それは、一見すると不自然さがない証言だったが、3にとっては納得できないことが多すぎた。
「でも、君……」
「ま、良かったじゃねえか。これで、無罪放免。そうだろ?」
何事かを言いかけた3の肩を、2が叩く。
「後は、僕らに任せてくれるかな。彼女のことは、教会で責任を持って保護するよ」
ロードが、力強く保証する。事態が無難な形で収束しつつあるのを感じて、3はこれ以上の言及をやめた。
「もう帰ろうぜ。お前、明日から仕事だろ」
沈黙してしまった3の背中をそっと押したのは、1だった。表情が晴れないままで、3は頷く。彼らに向って、ロードは頭を下げた。
「君たちには、また助けられちゃったね。本当にありがとう」
「それはいいけどな、フォースの件は誤認逮捕だったってこと、ちゃんと公表しろよ?」
「わかってるって。過ちは素直に認めるのが正義の勇者さ!」
抜け目なく、1がロードにくぎを刺す。勇者の返答は、実に彼らしいものだった。
「あ、そうだ。これ、返しとくな」
ふと思い出し、2は通話の石の破片が入った袋をロードに渡した。完膚なきまでに破壊されたそれを見て、ロードが顔を引きつらせる。
「ちょっと、何なのこれは!?どうりで連絡しても繋がらないと思った!」
「悪い、落としちまった」
「ああもう、通話の石って、すっごく高価なのに……」
軽い口調で抗議しつつ、ロードは内心舌打ちする。せっかく盗聴器を持たせたというのに、まったく意味がなかった。先方ののんきさを見るに、気づかれて手を打たれたとは考えにくい。変に追及してぼろを出すよりは、ここは無難に終わらせた方がいいと彼は判断した。
「ま、いいや。ばたばたしちゃったけど、今度はゆっくり遊びに来てよ」
表面上だけでも友好的な態度を取り繕って、ロードはルシファー達を送り出す。
「フォース……また、会いましょうね」
「…………うん」
名残惜しそうなケレンに、複雑な心境ながらも3は頷いた。3の手を握りしめた後、彼女もまた、騎士たちに連れられて去って行く。
ルシファー達は、そのまま帰ることにした。塔の階段を下りて、何事かと集まってきていた野次馬たちをかき分け、どうにかひと目のつかないところまで来る。
「ま、これで一件落着だな」
「何、他人事みてーな面してやがる。思いっきり引っ掻き回したくせによ」
渋面で、1が2の頭を小突く。暴走を止めなかった時点で彼も共犯だが、それを指摘する者はいなかった。
「フォース、どうかしたのか?さっきから、何か変だぞ」
ずっと考え事をしている3のことが気になり、2は彼に話しかける。周囲に自分たち以外誰もいないことを確認してから、3は胸の奥に溜まっていた疑念をぽつりぽつりと語り始めた。
「……あのね」
「ん?」
「ケレンのことなんだけど……彼女、私が発見した時、首が折れていたんだ。あれは、どう考えても死んでいたのに……」
ケレンを発見した当時のことを思い出し、3は眉を寄せる。彼が嘘を言っているとは考えにくいので、二人も真剣な表情になった。
「確かに、妙だが……この世界には、俺らも知らねえ技術があるみてえだし、一概には言えないんじゃねえか?」
1が、自信なさそうに推測を述べる。この世界は、彼らの世界とは異なる点が多い。考えたこともなかったが、人体の構造が違うのかもしれないし、蘇生の秘術やアイテムがあるのかもしれない。どちらにせよ、現段階でははっきりとした解答など出せるはずがなかった。
「そんなに深く考えるなよ。明日に支障が出るぞ?」
「……そうだね」
2に諭されて、3は自身を納得させる。彼らには彼らの世界があり、生活がある。今の三人にとっての最善手は、細かい疑問に目をつぶることだった。
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