L-Triangle!10-1
- 2015/01/19
- 20:43
仕事休みの前日は、誰もが心躍る。それは、地獄を統括する悪魔たちでも同じことだ。
「ルシファー様、お疲れ様です」
執務机を整理しながら、アスタロトは晴れ晴れとした表情で上司に声をかける。彼の上司であり、地獄の総責任者であるルシファーその3……略して3は、作業の手を止めてアスタロトに微笑みかけた。
「ああ、アスタロトもお疲れ様。君たちのおかげで、地獄の開墾も順調だよ」
3が、配下の悪魔たちをねぎらう。実際、3の世界の地獄の情勢は、だいぶ落ち着いてきていた。新人が増えたため、土地の開発も大幅に拡大できたし、人間たちとも連携がとれている。
「本当に、頑張った甲斐がありました」
初期から3とともに試行錯誤をしながら地獄の管理をしていたアスタロトが、破顔する。今までの苦労が実を結んだときの感慨は、格別のものだ。
「明日は休みだろう?ゆっくりと、疲れを癒すといい」
3は、机の上に置かれた勤務表を確認する。明日は、彼も休みである。地獄の最高責任者である彼と、補佐の立場にあるアスタロトの休日が重なるのは、珍しいことだ。それは、地獄の現状が安定していることの証明でもある。以前ならば考えられない話だ。
「ルシファー様、その……」
「うん?」
「私も、久しぶりにあの世界へ行ってもよろしいでしょうか?」
帰り支度を終えたアスタロトが、もじもじしながら尋ねてくる。あの世界というのは、こことは異なる世界のことである。その世界は、他の世界から勇者や魔王といった人材を無差別に呼び寄せる仕組みを持っており、3もかつて召喚された時に初めて自分の世界以外の存在を知った。3はその世界を気に入り、ほとんどの場合は休日をそこで過ごしている。
「もちろん、ルシファー様のご迷惑になるようなことは決していたしません!ただ……音楽をですね、聞きに行きたいな、と」
「音楽?」
両指を落ち着きなく交差させながら、アスタロトが恥ずかしそうに言う。彼の口から出た意外な単語に、3は目を瞬かせた。
「この間、ルシファー様に聞かせていただいた、あの」
「あ、ああ……あの歌かい!?あれ、気に入っちゃったの!?」
頬を染めて、アスタロトが上目づかいで見上げてくる。3は、ようやく彼の意図を理解した。3は、異世界で出会ったアイドル勇者・マリーシアの歌に洗脳されて、仕事中に萌えソングを熱唱してしまったことがある。3にとっては一刻も早く忘れてもらいたい黒歴史だが、アスタロトはそれをしっかりと覚えていた。
「あの世界には、あの歌の歌い手さんがいらっしゃるんですよね!?一度でいいから、お会いしてみたいです!」
アスタロトが、目をきらきらと輝かせる。恥ずかしい過去を掘り起こされて、3は内心冷や汗をかいた。
「う、うん、わかった。じゃあ、明日はちょうど私も休みだし、彼女に会いに行こうか」
どうにか動揺を抑え込み、3は快諾する。マリーシアは勇者とアイドルの二足のわらじを履いており、世界を漫遊しているので、今現在彼女がどこにいるかはわからない。だが、普段わがままを言わないアスタロトの願いを、3はどうにかして叶えてあげたいと思った。
「ありがとうございます!!」
大喜びで、アスタロトが頭を下げてくる。3は、自分の世界と異世界が意外なところで繋がったような気がした。縁というのは、不思議なものである。
異世界で最も広い勢力を持つ教団・エルファラ教会。その総本山である大都市メイルードを取り巻く空気は、今、異質なものとなっていた。ある者は浮かれ、ある者は信仰心を高めるために更なる勤行に励む。エルファラ教の最高神であるエルファラが近々復活するという噂は、世界中に広まっていた。教会は、エルファラ神が復活すれば魔王や魔物など危険な存在は消滅し、人にとって善き時代が来るのだと謳っている。そのため、メイルードの中枢にある中央神殿塔は、巡礼客でごった返していた。
エルファラ教会の高位司祭であるケレンもまた、激務の真っただ中にあった。表向きの仕事である警備の強化や各地から来る権力者の対応に加え、裏では本業である密偵の仕事の処理も行わなければならない。ここ数日間、睡眠時間もろくにとれないほどの過密スケジュールだったが、彼女の美しい顔には隈ひとつなく、その身のこなしも洗練されている。
体の調子は万全の状態に保たれているようだが、精神面はそうはいかないらしく、ケレンの眉間にはくっきりとしわが刻まれていた。不機嫌全開のままでずかずかと、中央神殿塔の回廊を突き進んでいく。高位司祭の私室のうちの一つの前で、ケレンは立ち止まった。
「ちょっといいかしら」
ノックをして、部屋の主がいることを確認した後、ドアを開ける。
「何の用?せっかく魔王を倒して帰ってきたばかりだっていうのに……」
室内でくつろいでいたロードは、心底迷惑そうにケレンを見た。勇者であり、エルファラ教会騎士団の最高指揮官である彼は、ケレン以上に多忙である。本日、勇者は魔王を倒した功績を盾にやっと掴み取った久方ぶりの休日を満喫している真っ最中であり、服装もいつもの白を基調とした軍服ではなく、質素なチュニックを身に着けていた。
「これ。例の街の調査書よ」
ドアを閉めて、ケレンは手に持っていた封筒を突きつける。形ばかりの礼を言いつつ、ロードはそれを受け取った。
「雑魚魔王ばかり相手にして、あいつらに対してはこそこそと様子をうかがうだけ……。あなた、本当にやる気があるの?」
腕組みをして、ケレンはロードを糾弾する。魔王の討伐は、世界を救う生命線となりうる非常に大事な役割だが、魔王などどうでもいいと思えるほどの脅威がこの世界にはあることを、彼女は知っていた。
「あいつらって……カイン達のことかい?」
「他に誰がいるのよ」
ロードの問いを、ケレンは居丈高に肯定する。メイルードで、教会の反抗組織が邪神を復活させるべく暗躍していたのは、ごく最近のことだ。組織の殲滅には成功したものの、首謀者が崇めていたカインという青年は、その場をまんまと逃げおおせている。ケレンは、カインがルシファーと名のっていたのを確かに聞いた。それは、最高神エルファラを倒し、封印したという邪神の名だ。おそらく、何かつながりがあるのだろうと、彼女は考えていた。
件のカインが、別の世界からやってきた悪魔の王・ルシファーその2……略して2の偽名であり、エルファラと戦った邪神とは無関係であることを、ケレン達は知らない。
「その件については、シュトラーセ様が神託を受けている。君も聞いただろう?今は神の復活が最優先事項だから、彼らのことは放っておいていいってさ」
うんざりしたように、ロードが反論する。ケレンと同様、2やその仲間たちを危険視した教祖シュトラーセは、封印されて眠りについているエルファラ神に神託を賜った。その際に、『今は神の復活に全力を注ぐように』という神の声を、シュトラーセは聞いたのだという。
エルファラ教会において、最高神と教祖の言葉は絶対である。そういうわけで、ロードも魔王討伐に駆り出されているのだ。
「あいつらが、神の復活の邪魔をするかもしれないのに……」
歯がゆそうに、ケレンが不平を漏らす。彼女に力があれば、今すぐにでも敵の本拠地であるナンナルに攻め込みたいところだが、ロードですら戦いを避ける相手と事を構えるのは、さすがに無謀であることは彼女にもわかっていた。何もできずに焦れるケレンをさすがに哀れに思ったのか、ロードは彼女に励ましの言葉をかける。
「そんなに心配しなくてもいいよ。僕の目論見が正しければ、戦わずして彼らをこの世界から排除することは可能だ」
「それ、本当なの?」
自信に満ちた表情のロードに、ケレンは聞き返す。頷いて、彼は本来ならば重要機密である作戦の一部を、彼女に教えてやることにした。
「ああ。そのために、こうしてナンナルを調査してもらっているんだからね」
ケレンの眼前で、ロードが彼女から受け取った報告書をひらひらとはためかせる。密偵部隊は、彼女の管轄だ。ロードはその中から腕利きの者たちを借り受け、ナンナルへ派遣していた。その目的は、当然2とその一味の身辺調査である。
「小細工で、あいつらを何とかできるってわけ?」
怪訝そうに、ケレンがロードに疑問を投げかける。頷いて、ロードは立ち上がった。
「そうさ。情報は時に武力に優るんだよ。さて、と……」
そして、ふところから通話の石を取り出す。これは、離れていても連絡を取り合うことができる魔法のアイテムである。世界各地で魔王退治に勤しんでいる勇者たちは、この石を教会から支給されていた。
「また、お得意の盗聴?」
通話の石の端末にイヤホンを差し込むロードを見て、ケレンは呆れ顔になる。勇者同盟育勇会のリーダーとして信頼を得ているにも関わらず、ロードは、時折こうして彼の通話の石にのみ搭載されている盗聴機能で他の勇者たちの動向をこっそりと探っている。こういった分野は密偵部隊の仕事のはずだが、ロードは他者の介入を許さなかった。それは、彼曰く勇者たちのプライベートを少しでも守るためとのことだが、ケレンには趣味でやっているようにしか見えなかった。
「エルファラ様の復活について、勇者たちがどう思っているか……彼らの本音を知りたくてね」
イヤホンを両耳に装着し、鼻歌交じりでロードはケレンに説明する。
「盗聴パターン2・通話状態じゃなくても会話が拾える機能だよ」
「悪趣味きわまりないわね」
盗聴行為を楽しむさまを隠そうともしないロードに、ケレンは毒舌を吐く。
「さてと、まずはキリヤいってみようか。今、魔王と交戦しているはずだけど……」
呆れるケレンに、ロードはイヤホンを渡す。ほんの少しだけ好奇心をくすぐられ、ケレンはそれを装着した。ノイズ音がしばし流れ、やがて聞こえてきたのは、剣檄の音だった。
陽光の届かぬ、洞窟の奥深く。天井から、鍾乳石がつららのように垂れ下がり、光ゴケが放つ仄かな明かりでぼんやりと輝いている。広大な領域を持つ洞内では、今まさに、魔王と勇者の一騎打ちが行われていた。
獅子の顔を持つ魔王が、咆哮とともに長い爪を振りかざし、赤毛の勇者は、その一撃を大太刀で無造作に払う。魔王の爪が数本折れて飛び、石の床に突き立った。
「キリヤ、頑張ってるか?」
緊迫感漂う場面だが、そこには、部外者がいた。赤いコートを鍛え抜かれた身にまとった褐色の男が、勇者の少年に声をかける。彼は、ルシファーその1……略して1。3と同じく、自分の世界では悪魔の王として地獄に君臨している。もっとも、今の彼は、休日に異世界観光をする旅行者に過ぎないのだが。
「シーザー!来てくれたんだな!ちょっと待っていてくれ!今、こいつを片づける!」
「おう。ぱぱっとやっちまえ」
顔を輝かせ、勇者の少年……キリヤは、魔王から距離をとる。シーザーというのは、1のこの世界での呼び名である。親指を立てて、1は彼に激励を贈った。
「よそ見とは、ずいぶんと余裕だな!」
魔王が、再生したかぎ爪で縦横無尽に斬りかかる。並の人間では視認できないほどの速度で放たれた斬撃をかいくぐり、キリヤは魔王に迫った。
「お前程度なら、目をつぶっていても勝てるんだよ!」
キリヤの太刀が、突風のような剣圧とともに魔王のわき腹を薙ぐ。血しぶきが飛び散り、魔王はたたらを踏んだ。
「ぐは……っ」
「これで、終わりだ!」
相手が怯んだ隙を逃さず、キリヤは跳躍する。次の瞬間、勇者の渾身の一撃が脳天に直撃し、魔王は昏倒した。
「…………よし」
敵が完全に気を失ったことを確認した後、キリヤは懐から水晶を取り出す。水晶は光を放ち、その内部に魔王を封印すると、いずこかへ消えた。
「お疲れ様、キリヤ!かっこよかった~!」
歓声とともに、岩陰に隠れていた翼竜が姿を現す。キリヤの旅の連れであり、彼を慕っている雌の翼竜・ガエネだ。
「順調に強くなってんな。結構結構」
1が、満足げにキリヤの健闘を称える。いずれは自分を超えてみせると豪語したこの少年を気に入り、1は彼の戦いを見物に来ていたのだ。
「あんたが来てくれたからな。張り切ってみた」
「そうかよ」
尊敬する1に褒められ、キリヤはガッツポーズをとる。以前戦った時と比べ、その技量は驚くほど成長していた。この世界の加護により、勇者の成長は常人よりも遥かに速いのだが、それでもよほどの努力をしなくては、これほどの境地に達することはできないだろう。
「シーザー、あんた、ロードと会ったって本当か?」
戦いの勝利と、1との再会の喜びに浸っていたキリヤは、ふと思い出したように聞いてくる。
「ん?ああ」
1はそれをあっさりと肯定した。どういう因果か、はたまた偶然か、ここ最近の事件ではロードと接触することが多かった。
「ロードと、どんな話をしたんだ?あいつは強くなっていたか?俺より……見どころは、あるか?」
ロードとの関わりを認めた途端、キリヤが勢いよく詰め寄ってくる。何をそんなに焦っているんだと思いつつ、1は正直に答えた。
「そんなこと言われてもなあ……俺様、あいつが戦うとこ見てねえし、そもそも大して話もしてねえ」
「そ、そうか。良かった……」
心底安堵したように、キリヤは胸をなで下ろした。ころころと表情を変えるキリヤを見て、ガエネは顔をひきつらせている。普段は無愛想でクールなこの少年は、1と一緒にいるときだけ著しくペースを崩すのだ。それが年相応の、本来の彼なのかもしれないが、ギャップがありすぎてついていけない。
「すいぶんとあの正義野郎を意識してるな。ライバルってやつか」
クールなキリヤを知らない1は、普通に会話を進めていく。頷いて、キリヤは拳を握りしめた。
「……ロードは、俺達のリーダーだからな。エルファラ教会の騎士団長で、魔王退治にめったに出ないのに、どういうわけかものすごく強いんだ」
「ほー、そうだったのか。戦ってみればよかったな」
「だ、だめだ!そんなことしたら、その……とにかくだめだ!」
キリヤが、声を荒げる。1の困惑をよそに、勇者の少年は彼のコートを掴んだ。
「俺も、すぐにロードより強くなるから!だから、あんたは俺だけを見ていてくれ!」
泣き出しそうな、必死の形相で訴えてくる、キリヤ。それは、親に見捨てられまいとすがりつく小さな子供のようだった。実際、この少年は両親がおらず、施設で育てられたという過去を持つ。
「わかった、わかったから落ち着け」
全力でしがみついてくるキリヤの背中を、1は宥めるように優しく叩く。少年の突然の変貌については、特殊な生い立ちゆえに、対人関係において色々と思うところがあるのだろうと解釈することにした。
(い、言ってしまった……)
勢いで1の胸元に顔をうずめながら、キリヤは赤面する。1をロードにとられるのではないかと不安に駆られてこのような大胆な行動をとってしまったが、自分のわがままを拒否されなかったことに、彼は安堵していた。
気持ちが落ち着くまで待ってから、キリヤは1から体を離す。このまま沈黙するのも気まずいので、1は別な話題を振ることにした。
「そういえば、もうじき、エルファラ教会の神とやらが復活するって、知ってたか?」
「ああ、そうらしいな。ようやく俺たちの努力が報われるというものだ」
感慨深げに、キリヤが笑みを浮かべる。どうやら、神の復活については勇者たちの間にも広まっているらしい。
「お前、神の復活のために何かしてたのか?」
「今やったみたいに、魔王を封印すると、世界に満ちた邪悪な力が減って神の復活に近づくんだそうだ」
キリヤが、先ほどまで魔王が倒れていた場所を指さす。そこには、戦いの跡が残るのみだ。
「へえ、都合いいシステムになってんだな」
「勇者は、神を復活させるための御使い……なんて言うやつもいる。ガラじゃないけど」
照れくさそうに、キリヤは頬を掻いた。教会はそう伝えているものの、実際は、勇者たちはそれぞれ別の目的で動いている。キリヤの場合は、己を鍛えて力を高めるためだ。だが、それでも、救いを求めてくる人々のために剣を振るいたい気持ちはある。
「神が復活するとどうなるんだろうな」
「魔王は召喚されなくなり、世界が平和になる……教会は、そう教えているな」
「えー……魔王が召喚されなくなるのかよ……つまらなくねえ?」
1は、不満そうに唇を尖らせる。自身の世界で最強の悪魔となった今も、彼は熱くなれるような戦いを求めている。この世界ならば、力を思いきりぶつけられる好敵手がいるのではないかと、期待しているのだ。子どもっぽい態度をとる1を見て、キリヤは苦笑する。
「そうだな。でも、俺はそれでいいと思ってる。この世界には、色々と借りがあるからな。平和なのが一番だ」
目を閉じ、キリヤはこの世界に来る前の自分を思い出す。親に捨てられ、預けられた施設のあまりの酷さに逃げ出した彼は、勇者として召喚されなければ今頃のたれ死んでいた。この世界は、キリヤにとって命の恩人と言えるだろう。
「本当にそれでいいのか?」
「いいさ。俺には、あんたがいる。あんたを超えるという目標がある限り、俺は強くなり続けることができる」
キリヤの返答には、いっさいの迷いがなかった。まっすぐな瞳で見つめてくる少年に、1の顔も穏やかなものになる。
「そうか。そうだな……」
「何だ?どうかしたか?」
「いや。強いやつを求めるだけじゃなくて、創り出すのも悪くないと思ってな」
1のごつごつした手が、キリヤの頬をなでた。今はまだ、この少年の成長を微笑ましく見守る段階だが、いずれは互角の勝負ができる日が来るかもしれない。それを楽しみにしながらキリヤにつき合うのも、それはそれで一興という気がした。
「シーザー……」
いつになく優しい表情で見つめられて、キリヤは胸の鼓動が痛いほど波打つのを感じた。1にはそんな気はないだろうが、口説かれているような錯覚に陥る。
「な、何なのよその近さ!キリヤから離れなさいよ!」
今、この時がいつまでも続いてほしいとキリヤが思い始めたとき、ガエネが二人の間に割って入った。成長してたくましくなったキリヤの姿を思い浮かべていた1は、ようやく我に返る。
「まずは休め。ちょっと本格的に鍛えてやるよ」
そして、目標のための第一歩を踏み出すべく、1は提案する。恋する乙女のように脳内の花畑を彷徨っていたキリヤは、その一言で現実に戻ってきた。
「ホントか!?今からでも十分いけるぜ!」
喜び勇んで、キリヤは服の砂埃を軽く払い、ウォーミングアップを始める。1がこうして稽古をつけてくれるのは、久しぶりのことだ。戦いを見に来てもらっただけでもうれしいが、こうして直接剣を交えることができるのならば、願ってもないことである。
「よし、いっちょやるか」
やる気満々のキリヤを見て、1もまた身構える。太刀を鞘から引き抜き、キリヤは気を引き締めた。これまでの旅で培った自分の全てを、1に見てもらうつもりでいる。
そして、戦いは始まった。
戦いの場から遠く離れた大都市メイルードで、ロードとケレンは、キリヤ達のやり取りを聞いていた。
「ほら見たことか!大物が釣れたよ!」
興奮したように、ロードがはしゃぐ。
「……誰だっけ?この、キリヤと話してる男」
そんな彼とは対照的に、ロードがなぜ喜んでいるのかいまいちわからず、ケレンは尋ねる。信じられないというように、ロードは目を見開いた。
「シーザーだよ!彼らの一員の!」
「ああ、あの大きいひとね。美形じゃないから眼中になかった」
あれほど警戒していた2の仲間である1に対して、あんまりといえばあんまりな発言をする、ケレン。1のような筋肉質で傷だらけの粗野な男は、彼女の好みではないので無意識に視界から外していたのだ。2とて彼女の基準では美形の範疇に入らないのだが、彼がやらかしたことは、インパクトがありすぎた。何しろ、反抗組織の者たちの前で、『俺を崇めろ』とのたまう電波男だ。忘れたくても忘れられない。
「キリヤ……生意気ですかしたガキだと思ってたけど、エルファラ様の復活を、ちゃんと喜んでくれていたんだね」
わざとらしく、ロードが涙を拭うふりをする。勇者たちの前では優等生で通っている彼だが、何かとつっかかってくるキリヤにはやはり思うところがあったらしい。勇者たちにも、配下の騎士たちにも見せられない姿だとケレンは胸中でため息をついた。
「戦っている音しか聞こえなくなったし、他のところに繋ぎなさいよ」
しばしの間、1とキリヤの戦いの様子を盗聴していた二人だったが、これ以上の情報収集は見込めないと判断する。
「そうだね。次、誰行こうかな」
ケレンに同意し、ロードは他の勇者たちの動向を探るべく、通話の石の操作を始めた。
「ルシファー様、お疲れ様です」
執務机を整理しながら、アスタロトは晴れ晴れとした表情で上司に声をかける。彼の上司であり、地獄の総責任者であるルシファーその3……略して3は、作業の手を止めてアスタロトに微笑みかけた。
「ああ、アスタロトもお疲れ様。君たちのおかげで、地獄の開墾も順調だよ」
3が、配下の悪魔たちをねぎらう。実際、3の世界の地獄の情勢は、だいぶ落ち着いてきていた。新人が増えたため、土地の開発も大幅に拡大できたし、人間たちとも連携がとれている。
「本当に、頑張った甲斐がありました」
初期から3とともに試行錯誤をしながら地獄の管理をしていたアスタロトが、破顔する。今までの苦労が実を結んだときの感慨は、格別のものだ。
「明日は休みだろう?ゆっくりと、疲れを癒すといい」
3は、机の上に置かれた勤務表を確認する。明日は、彼も休みである。地獄の最高責任者である彼と、補佐の立場にあるアスタロトの休日が重なるのは、珍しいことだ。それは、地獄の現状が安定していることの証明でもある。以前ならば考えられない話だ。
「ルシファー様、その……」
「うん?」
「私も、久しぶりにあの世界へ行ってもよろしいでしょうか?」
帰り支度を終えたアスタロトが、もじもじしながら尋ねてくる。あの世界というのは、こことは異なる世界のことである。その世界は、他の世界から勇者や魔王といった人材を無差別に呼び寄せる仕組みを持っており、3もかつて召喚された時に初めて自分の世界以外の存在を知った。3はその世界を気に入り、ほとんどの場合は休日をそこで過ごしている。
「もちろん、ルシファー様のご迷惑になるようなことは決していたしません!ただ……音楽をですね、聞きに行きたいな、と」
「音楽?」
両指を落ち着きなく交差させながら、アスタロトが恥ずかしそうに言う。彼の口から出た意外な単語に、3は目を瞬かせた。
「この間、ルシファー様に聞かせていただいた、あの」
「あ、ああ……あの歌かい!?あれ、気に入っちゃったの!?」
頬を染めて、アスタロトが上目づかいで見上げてくる。3は、ようやく彼の意図を理解した。3は、異世界で出会ったアイドル勇者・マリーシアの歌に洗脳されて、仕事中に萌えソングを熱唱してしまったことがある。3にとっては一刻も早く忘れてもらいたい黒歴史だが、アスタロトはそれをしっかりと覚えていた。
「あの世界には、あの歌の歌い手さんがいらっしゃるんですよね!?一度でいいから、お会いしてみたいです!」
アスタロトが、目をきらきらと輝かせる。恥ずかしい過去を掘り起こされて、3は内心冷や汗をかいた。
「う、うん、わかった。じゃあ、明日はちょうど私も休みだし、彼女に会いに行こうか」
どうにか動揺を抑え込み、3は快諾する。マリーシアは勇者とアイドルの二足のわらじを履いており、世界を漫遊しているので、今現在彼女がどこにいるかはわからない。だが、普段わがままを言わないアスタロトの願いを、3はどうにかして叶えてあげたいと思った。
「ありがとうございます!!」
大喜びで、アスタロトが頭を下げてくる。3は、自分の世界と異世界が意外なところで繋がったような気がした。縁というのは、不思議なものである。
異世界で最も広い勢力を持つ教団・エルファラ教会。その総本山である大都市メイルードを取り巻く空気は、今、異質なものとなっていた。ある者は浮かれ、ある者は信仰心を高めるために更なる勤行に励む。エルファラ教の最高神であるエルファラが近々復活するという噂は、世界中に広まっていた。教会は、エルファラ神が復活すれば魔王や魔物など危険な存在は消滅し、人にとって善き時代が来るのだと謳っている。そのため、メイルードの中枢にある中央神殿塔は、巡礼客でごった返していた。
エルファラ教会の高位司祭であるケレンもまた、激務の真っただ中にあった。表向きの仕事である警備の強化や各地から来る権力者の対応に加え、裏では本業である密偵の仕事の処理も行わなければならない。ここ数日間、睡眠時間もろくにとれないほどの過密スケジュールだったが、彼女の美しい顔には隈ひとつなく、その身のこなしも洗練されている。
体の調子は万全の状態に保たれているようだが、精神面はそうはいかないらしく、ケレンの眉間にはくっきりとしわが刻まれていた。不機嫌全開のままでずかずかと、中央神殿塔の回廊を突き進んでいく。高位司祭の私室のうちの一つの前で、ケレンは立ち止まった。
「ちょっといいかしら」
ノックをして、部屋の主がいることを確認した後、ドアを開ける。
「何の用?せっかく魔王を倒して帰ってきたばかりだっていうのに……」
室内でくつろいでいたロードは、心底迷惑そうにケレンを見た。勇者であり、エルファラ教会騎士団の最高指揮官である彼は、ケレン以上に多忙である。本日、勇者は魔王を倒した功績を盾にやっと掴み取った久方ぶりの休日を満喫している真っ最中であり、服装もいつもの白を基調とした軍服ではなく、質素なチュニックを身に着けていた。
「これ。例の街の調査書よ」
ドアを閉めて、ケレンは手に持っていた封筒を突きつける。形ばかりの礼を言いつつ、ロードはそれを受け取った。
「雑魚魔王ばかり相手にして、あいつらに対してはこそこそと様子をうかがうだけ……。あなた、本当にやる気があるの?」
腕組みをして、ケレンはロードを糾弾する。魔王の討伐は、世界を救う生命線となりうる非常に大事な役割だが、魔王などどうでもいいと思えるほどの脅威がこの世界にはあることを、彼女は知っていた。
「あいつらって……カイン達のことかい?」
「他に誰がいるのよ」
ロードの問いを、ケレンは居丈高に肯定する。メイルードで、教会の反抗組織が邪神を復活させるべく暗躍していたのは、ごく最近のことだ。組織の殲滅には成功したものの、首謀者が崇めていたカインという青年は、その場をまんまと逃げおおせている。ケレンは、カインがルシファーと名のっていたのを確かに聞いた。それは、最高神エルファラを倒し、封印したという邪神の名だ。おそらく、何かつながりがあるのだろうと、彼女は考えていた。
件のカインが、別の世界からやってきた悪魔の王・ルシファーその2……略して2の偽名であり、エルファラと戦った邪神とは無関係であることを、ケレン達は知らない。
「その件については、シュトラーセ様が神託を受けている。君も聞いただろう?今は神の復活が最優先事項だから、彼らのことは放っておいていいってさ」
うんざりしたように、ロードが反論する。ケレンと同様、2やその仲間たちを危険視した教祖シュトラーセは、封印されて眠りについているエルファラ神に神託を賜った。その際に、『今は神の復活に全力を注ぐように』という神の声を、シュトラーセは聞いたのだという。
エルファラ教会において、最高神と教祖の言葉は絶対である。そういうわけで、ロードも魔王討伐に駆り出されているのだ。
「あいつらが、神の復活の邪魔をするかもしれないのに……」
歯がゆそうに、ケレンが不平を漏らす。彼女に力があれば、今すぐにでも敵の本拠地であるナンナルに攻め込みたいところだが、ロードですら戦いを避ける相手と事を構えるのは、さすがに無謀であることは彼女にもわかっていた。何もできずに焦れるケレンをさすがに哀れに思ったのか、ロードは彼女に励ましの言葉をかける。
「そんなに心配しなくてもいいよ。僕の目論見が正しければ、戦わずして彼らをこの世界から排除することは可能だ」
「それ、本当なの?」
自信に満ちた表情のロードに、ケレンは聞き返す。頷いて、彼は本来ならば重要機密である作戦の一部を、彼女に教えてやることにした。
「ああ。そのために、こうしてナンナルを調査してもらっているんだからね」
ケレンの眼前で、ロードが彼女から受け取った報告書をひらひらとはためかせる。密偵部隊は、彼女の管轄だ。ロードはその中から腕利きの者たちを借り受け、ナンナルへ派遣していた。その目的は、当然2とその一味の身辺調査である。
「小細工で、あいつらを何とかできるってわけ?」
怪訝そうに、ケレンがロードに疑問を投げかける。頷いて、ロードは立ち上がった。
「そうさ。情報は時に武力に優るんだよ。さて、と……」
そして、ふところから通話の石を取り出す。これは、離れていても連絡を取り合うことができる魔法のアイテムである。世界各地で魔王退治に勤しんでいる勇者たちは、この石を教会から支給されていた。
「また、お得意の盗聴?」
通話の石の端末にイヤホンを差し込むロードを見て、ケレンは呆れ顔になる。勇者同盟育勇会のリーダーとして信頼を得ているにも関わらず、ロードは、時折こうして彼の通話の石にのみ搭載されている盗聴機能で他の勇者たちの動向をこっそりと探っている。こういった分野は密偵部隊の仕事のはずだが、ロードは他者の介入を許さなかった。それは、彼曰く勇者たちのプライベートを少しでも守るためとのことだが、ケレンには趣味でやっているようにしか見えなかった。
「エルファラ様の復活について、勇者たちがどう思っているか……彼らの本音を知りたくてね」
イヤホンを両耳に装着し、鼻歌交じりでロードはケレンに説明する。
「盗聴パターン2・通話状態じゃなくても会話が拾える機能だよ」
「悪趣味きわまりないわね」
盗聴行為を楽しむさまを隠そうともしないロードに、ケレンは毒舌を吐く。
「さてと、まずはキリヤいってみようか。今、魔王と交戦しているはずだけど……」
呆れるケレンに、ロードはイヤホンを渡す。ほんの少しだけ好奇心をくすぐられ、ケレンはそれを装着した。ノイズ音がしばし流れ、やがて聞こえてきたのは、剣檄の音だった。
陽光の届かぬ、洞窟の奥深く。天井から、鍾乳石がつららのように垂れ下がり、光ゴケが放つ仄かな明かりでぼんやりと輝いている。広大な領域を持つ洞内では、今まさに、魔王と勇者の一騎打ちが行われていた。
獅子の顔を持つ魔王が、咆哮とともに長い爪を振りかざし、赤毛の勇者は、その一撃を大太刀で無造作に払う。魔王の爪が数本折れて飛び、石の床に突き立った。
「キリヤ、頑張ってるか?」
緊迫感漂う場面だが、そこには、部外者がいた。赤いコートを鍛え抜かれた身にまとった褐色の男が、勇者の少年に声をかける。彼は、ルシファーその1……略して1。3と同じく、自分の世界では悪魔の王として地獄に君臨している。もっとも、今の彼は、休日に異世界観光をする旅行者に過ぎないのだが。
「シーザー!来てくれたんだな!ちょっと待っていてくれ!今、こいつを片づける!」
「おう。ぱぱっとやっちまえ」
顔を輝かせ、勇者の少年……キリヤは、魔王から距離をとる。シーザーというのは、1のこの世界での呼び名である。親指を立てて、1は彼に激励を贈った。
「よそ見とは、ずいぶんと余裕だな!」
魔王が、再生したかぎ爪で縦横無尽に斬りかかる。並の人間では視認できないほどの速度で放たれた斬撃をかいくぐり、キリヤは魔王に迫った。
「お前程度なら、目をつぶっていても勝てるんだよ!」
キリヤの太刀が、突風のような剣圧とともに魔王のわき腹を薙ぐ。血しぶきが飛び散り、魔王はたたらを踏んだ。
「ぐは……っ」
「これで、終わりだ!」
相手が怯んだ隙を逃さず、キリヤは跳躍する。次の瞬間、勇者の渾身の一撃が脳天に直撃し、魔王は昏倒した。
「…………よし」
敵が完全に気を失ったことを確認した後、キリヤは懐から水晶を取り出す。水晶は光を放ち、その内部に魔王を封印すると、いずこかへ消えた。
「お疲れ様、キリヤ!かっこよかった~!」
歓声とともに、岩陰に隠れていた翼竜が姿を現す。キリヤの旅の連れであり、彼を慕っている雌の翼竜・ガエネだ。
「順調に強くなってんな。結構結構」
1が、満足げにキリヤの健闘を称える。いずれは自分を超えてみせると豪語したこの少年を気に入り、1は彼の戦いを見物に来ていたのだ。
「あんたが来てくれたからな。張り切ってみた」
「そうかよ」
尊敬する1に褒められ、キリヤはガッツポーズをとる。以前戦った時と比べ、その技量は驚くほど成長していた。この世界の加護により、勇者の成長は常人よりも遥かに速いのだが、それでもよほどの努力をしなくては、これほどの境地に達することはできないだろう。
「シーザー、あんた、ロードと会ったって本当か?」
戦いの勝利と、1との再会の喜びに浸っていたキリヤは、ふと思い出したように聞いてくる。
「ん?ああ」
1はそれをあっさりと肯定した。どういう因果か、はたまた偶然か、ここ最近の事件ではロードと接触することが多かった。
「ロードと、どんな話をしたんだ?あいつは強くなっていたか?俺より……見どころは、あるか?」
ロードとの関わりを認めた途端、キリヤが勢いよく詰め寄ってくる。何をそんなに焦っているんだと思いつつ、1は正直に答えた。
「そんなこと言われてもなあ……俺様、あいつが戦うとこ見てねえし、そもそも大して話もしてねえ」
「そ、そうか。良かった……」
心底安堵したように、キリヤは胸をなで下ろした。ころころと表情を変えるキリヤを見て、ガエネは顔をひきつらせている。普段は無愛想でクールなこの少年は、1と一緒にいるときだけ著しくペースを崩すのだ。それが年相応の、本来の彼なのかもしれないが、ギャップがありすぎてついていけない。
「すいぶんとあの正義野郎を意識してるな。ライバルってやつか」
クールなキリヤを知らない1は、普通に会話を進めていく。頷いて、キリヤは拳を握りしめた。
「……ロードは、俺達のリーダーだからな。エルファラ教会の騎士団長で、魔王退治にめったに出ないのに、どういうわけかものすごく強いんだ」
「ほー、そうだったのか。戦ってみればよかったな」
「だ、だめだ!そんなことしたら、その……とにかくだめだ!」
キリヤが、声を荒げる。1の困惑をよそに、勇者の少年は彼のコートを掴んだ。
「俺も、すぐにロードより強くなるから!だから、あんたは俺だけを見ていてくれ!」
泣き出しそうな、必死の形相で訴えてくる、キリヤ。それは、親に見捨てられまいとすがりつく小さな子供のようだった。実際、この少年は両親がおらず、施設で育てられたという過去を持つ。
「わかった、わかったから落ち着け」
全力でしがみついてくるキリヤの背中を、1は宥めるように優しく叩く。少年の突然の変貌については、特殊な生い立ちゆえに、対人関係において色々と思うところがあるのだろうと解釈することにした。
(い、言ってしまった……)
勢いで1の胸元に顔をうずめながら、キリヤは赤面する。1をロードにとられるのではないかと不安に駆られてこのような大胆な行動をとってしまったが、自分のわがままを拒否されなかったことに、彼は安堵していた。
気持ちが落ち着くまで待ってから、キリヤは1から体を離す。このまま沈黙するのも気まずいので、1は別な話題を振ることにした。
「そういえば、もうじき、エルファラ教会の神とやらが復活するって、知ってたか?」
「ああ、そうらしいな。ようやく俺たちの努力が報われるというものだ」
感慨深げに、キリヤが笑みを浮かべる。どうやら、神の復活については勇者たちの間にも広まっているらしい。
「お前、神の復活のために何かしてたのか?」
「今やったみたいに、魔王を封印すると、世界に満ちた邪悪な力が減って神の復活に近づくんだそうだ」
キリヤが、先ほどまで魔王が倒れていた場所を指さす。そこには、戦いの跡が残るのみだ。
「へえ、都合いいシステムになってんだな」
「勇者は、神を復活させるための御使い……なんて言うやつもいる。ガラじゃないけど」
照れくさそうに、キリヤは頬を掻いた。教会はそう伝えているものの、実際は、勇者たちはそれぞれ別の目的で動いている。キリヤの場合は、己を鍛えて力を高めるためだ。だが、それでも、救いを求めてくる人々のために剣を振るいたい気持ちはある。
「神が復活するとどうなるんだろうな」
「魔王は召喚されなくなり、世界が平和になる……教会は、そう教えているな」
「えー……魔王が召喚されなくなるのかよ……つまらなくねえ?」
1は、不満そうに唇を尖らせる。自身の世界で最強の悪魔となった今も、彼は熱くなれるような戦いを求めている。この世界ならば、力を思いきりぶつけられる好敵手がいるのではないかと、期待しているのだ。子どもっぽい態度をとる1を見て、キリヤは苦笑する。
「そうだな。でも、俺はそれでいいと思ってる。この世界には、色々と借りがあるからな。平和なのが一番だ」
目を閉じ、キリヤはこの世界に来る前の自分を思い出す。親に捨てられ、預けられた施設のあまりの酷さに逃げ出した彼は、勇者として召喚されなければ今頃のたれ死んでいた。この世界は、キリヤにとって命の恩人と言えるだろう。
「本当にそれでいいのか?」
「いいさ。俺には、あんたがいる。あんたを超えるという目標がある限り、俺は強くなり続けることができる」
キリヤの返答には、いっさいの迷いがなかった。まっすぐな瞳で見つめてくる少年に、1の顔も穏やかなものになる。
「そうか。そうだな……」
「何だ?どうかしたか?」
「いや。強いやつを求めるだけじゃなくて、創り出すのも悪くないと思ってな」
1のごつごつした手が、キリヤの頬をなでた。今はまだ、この少年の成長を微笑ましく見守る段階だが、いずれは互角の勝負ができる日が来るかもしれない。それを楽しみにしながらキリヤにつき合うのも、それはそれで一興という気がした。
「シーザー……」
いつになく優しい表情で見つめられて、キリヤは胸の鼓動が痛いほど波打つのを感じた。1にはそんな気はないだろうが、口説かれているような錯覚に陥る。
「な、何なのよその近さ!キリヤから離れなさいよ!」
今、この時がいつまでも続いてほしいとキリヤが思い始めたとき、ガエネが二人の間に割って入った。成長してたくましくなったキリヤの姿を思い浮かべていた1は、ようやく我に返る。
「まずは休め。ちょっと本格的に鍛えてやるよ」
そして、目標のための第一歩を踏み出すべく、1は提案する。恋する乙女のように脳内の花畑を彷徨っていたキリヤは、その一言で現実に戻ってきた。
「ホントか!?今からでも十分いけるぜ!」
喜び勇んで、キリヤは服の砂埃を軽く払い、ウォーミングアップを始める。1がこうして稽古をつけてくれるのは、久しぶりのことだ。戦いを見に来てもらっただけでもうれしいが、こうして直接剣を交えることができるのならば、願ってもないことである。
「よし、いっちょやるか」
やる気満々のキリヤを見て、1もまた身構える。太刀を鞘から引き抜き、キリヤは気を引き締めた。これまでの旅で培った自分の全てを、1に見てもらうつもりでいる。
そして、戦いは始まった。
戦いの場から遠く離れた大都市メイルードで、ロードとケレンは、キリヤ達のやり取りを聞いていた。
「ほら見たことか!大物が釣れたよ!」
興奮したように、ロードがはしゃぐ。
「……誰だっけ?この、キリヤと話してる男」
そんな彼とは対照的に、ロードがなぜ喜んでいるのかいまいちわからず、ケレンは尋ねる。信じられないというように、ロードは目を見開いた。
「シーザーだよ!彼らの一員の!」
「ああ、あの大きいひとね。美形じゃないから眼中になかった」
あれほど警戒していた2の仲間である1に対して、あんまりといえばあんまりな発言をする、ケレン。1のような筋肉質で傷だらけの粗野な男は、彼女の好みではないので無意識に視界から外していたのだ。2とて彼女の基準では美形の範疇に入らないのだが、彼がやらかしたことは、インパクトがありすぎた。何しろ、反抗組織の者たちの前で、『俺を崇めろ』とのたまう電波男だ。忘れたくても忘れられない。
「キリヤ……生意気ですかしたガキだと思ってたけど、エルファラ様の復活を、ちゃんと喜んでくれていたんだね」
わざとらしく、ロードが涙を拭うふりをする。勇者たちの前では優等生で通っている彼だが、何かとつっかかってくるキリヤにはやはり思うところがあったらしい。勇者たちにも、配下の騎士たちにも見せられない姿だとケレンは胸中でため息をついた。
「戦っている音しか聞こえなくなったし、他のところに繋ぎなさいよ」
しばしの間、1とキリヤの戦いの様子を盗聴していた二人だったが、これ以上の情報収集は見込めないと判断する。
「そうだね。次、誰行こうかな」
ケレンに同意し、ロードは他の勇者たちの動向を探るべく、通話の石の操作を始めた。
スポンサーサイト
- テーマ:自作小説(ファンタジー)
- ジャンル:小説・文学
- カテゴリ:L-Triangle!10
- CM:0
- TB:0