L-Triangle!第一部最終話-4
- 2015/02/23
- 20:24
次元の通路を渡り、1は自分の世界へと帰還した。彼が降り立ったのは、高層ビル『赤龍』の自室である。いつもならば、見慣れた部屋の風景に安堵してくつろぐところだが、今の彼はそんな心境にはなれなかった。
「…………っ!」
行き場のない感情を、手近な壁にぶつける。地獄の王ルシファーの私室は強度にことのほか力を入れているため、壁には穴こそ開かなかったが、かすかにひびが入った。
「ルシファー様、どうされました?」
破壊音はビルの階全体に響き渡ったらしく、秘書のリリスがノックとともに呼びかけてくる。冷静な彼女の声を聞いて、1は我に返った。
「入るな!」
ドアの向こうのリリスを、焦りとともに拒絶する。今の自分の顔を、彼女には見られたくなかった。
「……何でもねえよ。ほっといてくれ」
沈黙したまま自分の指示を待っているリリスに、返事を返す。その声は、自分でも驚くほどに疲れきっていた。少しの間が空いた後、足音が遠ざかっていく。
「……くそったれが」
ぐしゃぐしゃと髪をかき崩して、1はうなだれる。なぜ、これほど苛立っているのか、彼自身にもわからなかった。
「報告いたします。件の三人は、説得に応じ、この世界を去りました」
中央神殿塔の謁見の間で、ロードは教祖シュトラーセの前に跪いていた。ナンナルで起こったことについては、ケレンからすでに通信が入っている。
「我が神もお喜びですよ、ロード」
檀上の席から、教祖は満足げに勇者を見下ろした。実のところ、彼はルシファー達がエルファラ神復活の妨げになるという神託を受けていない。偽りの神託により騎士たちをナンナルに攻め込ませ、街の住人たちがルシファー達を追放するよう仕向けるというのが、ロードが立てた作戦だった。以前、ナンナルを訪れた際に、ロードは2が近辺の魔物たちと交流があるのではないかと疑い、その件についても織り込んでみたのだが、効果はてきめんだったようである。
「これで、この世界を脅かす者たちはなくなりました。今後は、神の復活に全力を注ぐ所存です」
ロードは、あらためて教祖に決意を表明する。誰も傷つけることなく厄介者を排除できて、彼は今、上機嫌だった。鷹揚に頷き、教祖は目を細める。
「そのことですが、ロード」
「はい」
「つい先刻、神託が下りました。あと一体の魔王を封印すれば、神は復活されるとのことです」
「…………!」
教祖の話を聞いて、ロードは目を見開く。今まで、勇者たちは魔王を封印のクリスタルに封じることで、神の復活の手助けをしてきたのだ。魔王退治のゴールがはっきりと見えたことは、彼にとっても他の勇者たちにとっても吉報である。
「ならば、最後の一体の封印は僕にお任せください。今、この世界にいる魔王たちの位置情報を確認次第、討伐に向かいます」
はやる気持ちを抑えきれず、ロードは立ち上がる。勇者たちの同盟・育勇会のリーダーとして、この手柄は誰にも譲るつもりはなかった。
「―――いえ、その必要はありません」
退室しようとするロードを、シュトラーセは引き止める。訝しげに眉をひそめる勇者に、教祖は告げた。
「神託により、最後に封印する魔王は決められています。彼の者をクリスタルに封じ、記念式典にて大々的に神の復活の儀式を行うことを、神はお望みです」
「その、魔王とは一体……?」
おずおずと、ロードは教祖に問う。教祖は穏やかな笑みを浮かべたままだが、なぜだか胸騒ぎがした。そして、勇者の予感はシュトラーセの次の一言で決定的なものとなる。
「魔王テルプソロネを、神の復活に捧げよ。それが、我らが神の下した決定です」
「な…………!」
教祖により挙げられた名を聞いて、ロードは絶句した。魔王テルプソロネは、アイドル勇者マリーシアの夫である。
「テルプソロネは、メイルードの『神の安らぎ亭』に宿泊中だという情報が入っています。身柄を拘束するのはたやすいでしょう」
「お、お待ちください!」
話を進めようとするシュトラーセを、ロードはあわてて制止する。エルファラ教会において教祖は絶対であり、その決定に逆らえば不興を買うことはわかっていたが、抗弁せずにはいられなかった。
「テルプソロネは、勇者マリーシアの夫であり、運命の魔王です。彼を神に捧げることを、マリーシアが納得するとは……」
「――――ロード」
静かな声音が、ロードの弁明を阻む。荘厳さをたたえた謁見の間の空気が、冷たく重々しいものに変わった。
「貴方は、神の決定に逆らうというのですか」
「…………」
教祖の態度から反論の余地がないことを察し、ロードは言葉を飲みこむ。マリーシア夫婦がいかに仲睦まじいかを、彼は盗聴を通じてよくわかっていた。いくら世界を救うためとはいえ、テルプソロネを犠牲にすることを、マリーシアは許さないだろう。そして、おそらくはキリヤやエストといった、他の勇者たちも教会から離反する可能性が高い。
教会か、あるいは勇者たちか。
唐突に選択肢を突きつけられ、ロードは心が凍てついていくのを感じた。勇者たちは、彼にとっては魔王退治の苦楽を共にした仲間だ。彼らが教会以外を頼りにするのを避けるため、ルシファー達をこの世界から追放したというのに、これでは何の意味もない。
「他の勇者たちと敵対することを、恐れているのですか」
ロードの迷いを見透かすように、シュトラーセが声をかけてくる。
「シュトラーセ様、私は……」
「神は、貴方の忠誠を試されているのかもしれませんね。エルファラ神に信仰を捧げる者のみが、これから始まる新しき時代を迎えることができるのです。
神の試練を乗り越え、永遠の幸福を手にするか。それとも、一時的な感情に溺れて、選ばれなかった者たちとともに滅びるか。全ては、貴方次第です」
硬化してしまったロードの心を宥めるように、シュトラーセは穏やかに謳う。ロードは、震える拳を必死の思いで押さえ込んだ。彼がいかなる苦悩を抱えようと、選択肢はひとつしかないのだ。瞳を閉じて、全ての迷いを振り払う。次に目を開けたとき、彼は覚悟を決めていた。
「わかりました。魔王テルプソロネを、この手で必ず封印いたします」
教祖に向かって了解の意を突きつけ、ロードは謁見の間を後にする。これから、やることは山ほどあった。記念式典の準備に、作戦の立案、そして決行。それら全てを、機械的に行えばいい。
感情など、今の彼には不要なものだった。
メイルードの高級宿『神のやすらぎ亭』のカフェにて、マリーシアは仲間たちとともに少し遅めの昼食をとっていた。ここ数日間、新しい曲を作るために部屋に引きこもっていたテルプソロネも、今日は珍しく同席している。
「ダーリン、作曲の進み具合はどう~?」
焼き立てのワッフルにシロップを注ぎながら、マリーシアは夫に尋ねる。野菜がぐつぐつと煮込まれたシチューをすくいながら、テルプソロネは首を振った。
「それが、何か行き詰っちゃってね」
「え~?そうなの~?一晩で完成させるくらいの勢いだったのに~」
予想外の返答に、マリーシアはがっかりして眉を寄せた。ルシファー達と会った際に感じた強烈なインスピレーションを形にすべく、テルプソロネは作曲活動に専念していたのだ。その間、彼と遊びたいのを我慢していたマリーシアは、こんな日々がまだまだ続くのかと思うとうんざりしてしまう。
「曲を作るっていうのは、そんなに簡単なことじゃないんだよ。マリーも知ってるだろ?」
クレイオが、むくれてしまったマリーシアを宥める。父と同様、作曲・演奏担当のクレイオは、ひとつの作品を生み出すのにどれほどの労力を要するかを痛感している。
「何だか、このところ集中できなくてね。胸がざわめくというか」
憂いを帯びた表情で、テルプソロネはため息をついた。この大都市メイルードが異様な空気に包まれているということを、彼はひしひしと感じている。神の復活が近いためだと言ってしまえばそれまでなのだが、どうにも落ち着かない。
「だったら~、気分転換でもしてみない?」
「気分転換……?」
「ロード君にね~、ちょっと手伝ってほしいことがあるからダーリンを連れてきてって、頼まれたの~」
にっこり笑って、マリーシアが提案する。ロードから通話の石による連絡があったのは、ついさっきのことだった。
「手伝ってほしいことって、何だろうな」
香草のサラダをつつきながら、クレイオが首をかしげる。マリーシアの付き添いをしているので、彼もロードと面識があった。
「たぶん、音楽に関することだと思う~」
深く考えずに、マリーシアは答えた。彼女ほどではないが、テルプソロネもさすらいの吟遊詩人として世界中に名を馳せている。神の復活祭で一曲演奏してほしいとか、そういったことだろうと彼女は推測していた。
「……ということは、中央神殿塔に行くことになるのかな」
「たぶん、そうだと思うよ~?迎えを寄越すって言ってた~」
テルプソロネが、窓の方へ視線を向ける。その先にそびえ立つのは、メイルードの主要機関の総てが集められた荘厳な塔だ。だが、本当のところテルプソロネはあの塔に良い印象がない。メイルードを取り巻く不穏な気配は、あの塔から発せられている気がしてならないのだ。
「あの、おっきい塔にお仕事で行くんですかぁ?すごいですねえ」
ふわふわのチーズオムレツを幸せそうに頬張りながら、レミエルがのんきに微笑んだ。脳内が年中お花畑な彼女はもちろんのこと、マリーシアやクレイオもこのぴりぴりとした空気の中、特に気にすることなく生活している。わけのわからない危機感にさらされているのは、テルプソロネだけだった。
「ダーリン、どうする~?やっぱり、やめとく~?」
「いや、行ってみるよ。めったにない機会だからね」
俯いてしまった夫を心配するように、マリーシアが身を乗り出してくる。彼女を心配させまいと、テルプソロネは笑顔を作った。中央神殿塔に行けば、この不安の正体がわかるかもしれない。わけがわからず部屋の中でくすぶっているよりは、行動した方がずっといいだろう。
テルプソロネは、ロードの招待に応じることにした。身支度を整え、クレイオとレミエルに留守を任せて中央神殿塔から遣わされた馬車に乗る。ぼんやりと客席で揺られていると、マリーシアが寄りかかってきた。
「久しぶりだね~、二人で出かけるの~」
楽しそうに、マリーシアがテルプソロネの肩に頭を乗せる。重いよ、という夫の抗議を完全に無視して、彼女はけらけらと笑った。
愛しい妻の体温を感じ、テルプソロネは体の力を抜く。色々と気にかかることはあるけれど、今はマリーシアとともにいることを楽しもうと思い直した。
馬車は、舗装された道を中央神殿塔に向けて、ただひたすら一直線に進んでいく……。
「……何なんだ?こいつら」
地獄の中央に位置する悪魔たちの居城・万魔殿。大勢の魔物を引き連れてやって来た2を見て、ベルゼブブは自身の顔が引きつるのをこらえきれなかった。魔物たちは、どれも見覚えがない顔であり、大きな体を懸命に縮めて執務室に並んでいる。おかげで、広いはずの部屋は満杯になっていた。
「俺の新しい舎弟たちだ。面倒見てやってくれ」
「お世話になりやす!」
2が、ベルゼブブに彼らを紹介する。それと同時に、魔物たちは一斉に挨拶をした。彼らの礼儀正しさを目の当たりにして、ベルゼブブは2と魔物たちの間に何があったのかをおおよそ察する。2との長い付き合いの中で、彼がこうして行き場がない者たちを拾ってくるのは、数えるのがばかばかしくなるほどよくあることだった。
「……そうか。じゃ、宴会でもするか!」
「おおー!」
苦笑した後、ベルゼブブは魔物たちを受け入れる。魔物たちの歓声が、そこに重なった。飛び上がって天井に頭をぶつける者、うっかり部屋の備品を倒しそうになりあわてて受け止める者……もう、大騒ぎである。
「…………」
「どうかしたか?ルシファー」
魔物たちが思い思いに動く中で、ただひとり魂を抜かれたように呆けている2に、ベルゼブブが声をかける。我に返った彼は、あわてて首を振った。
「……ちょっとぼーっとしただけだ。派手にいこうぜ、ぱーっとな」
ごまかすように、2は魔物たちに退室を促していく。その背中を見つめながら、ベルゼブブは首をかしげていた。
「…………っ!」
行き場のない感情を、手近な壁にぶつける。地獄の王ルシファーの私室は強度にことのほか力を入れているため、壁には穴こそ開かなかったが、かすかにひびが入った。
「ルシファー様、どうされました?」
破壊音はビルの階全体に響き渡ったらしく、秘書のリリスがノックとともに呼びかけてくる。冷静な彼女の声を聞いて、1は我に返った。
「入るな!」
ドアの向こうのリリスを、焦りとともに拒絶する。今の自分の顔を、彼女には見られたくなかった。
「……何でもねえよ。ほっといてくれ」
沈黙したまま自分の指示を待っているリリスに、返事を返す。その声は、自分でも驚くほどに疲れきっていた。少しの間が空いた後、足音が遠ざかっていく。
「……くそったれが」
ぐしゃぐしゃと髪をかき崩して、1はうなだれる。なぜ、これほど苛立っているのか、彼自身にもわからなかった。
「報告いたします。件の三人は、説得に応じ、この世界を去りました」
中央神殿塔の謁見の間で、ロードは教祖シュトラーセの前に跪いていた。ナンナルで起こったことについては、ケレンからすでに通信が入っている。
「我が神もお喜びですよ、ロード」
檀上の席から、教祖は満足げに勇者を見下ろした。実のところ、彼はルシファー達がエルファラ神復活の妨げになるという神託を受けていない。偽りの神託により騎士たちをナンナルに攻め込ませ、街の住人たちがルシファー達を追放するよう仕向けるというのが、ロードが立てた作戦だった。以前、ナンナルを訪れた際に、ロードは2が近辺の魔物たちと交流があるのではないかと疑い、その件についても織り込んでみたのだが、効果はてきめんだったようである。
「これで、この世界を脅かす者たちはなくなりました。今後は、神の復活に全力を注ぐ所存です」
ロードは、あらためて教祖に決意を表明する。誰も傷つけることなく厄介者を排除できて、彼は今、上機嫌だった。鷹揚に頷き、教祖は目を細める。
「そのことですが、ロード」
「はい」
「つい先刻、神託が下りました。あと一体の魔王を封印すれば、神は復活されるとのことです」
「…………!」
教祖の話を聞いて、ロードは目を見開く。今まで、勇者たちは魔王を封印のクリスタルに封じることで、神の復活の手助けをしてきたのだ。魔王退治のゴールがはっきりと見えたことは、彼にとっても他の勇者たちにとっても吉報である。
「ならば、最後の一体の封印は僕にお任せください。今、この世界にいる魔王たちの位置情報を確認次第、討伐に向かいます」
はやる気持ちを抑えきれず、ロードは立ち上がる。勇者たちの同盟・育勇会のリーダーとして、この手柄は誰にも譲るつもりはなかった。
「―――いえ、その必要はありません」
退室しようとするロードを、シュトラーセは引き止める。訝しげに眉をひそめる勇者に、教祖は告げた。
「神託により、最後に封印する魔王は決められています。彼の者をクリスタルに封じ、記念式典にて大々的に神の復活の儀式を行うことを、神はお望みです」
「その、魔王とは一体……?」
おずおずと、ロードは教祖に問う。教祖は穏やかな笑みを浮かべたままだが、なぜだか胸騒ぎがした。そして、勇者の予感はシュトラーセの次の一言で決定的なものとなる。
「魔王テルプソロネを、神の復活に捧げよ。それが、我らが神の下した決定です」
「な…………!」
教祖により挙げられた名を聞いて、ロードは絶句した。魔王テルプソロネは、アイドル勇者マリーシアの夫である。
「テルプソロネは、メイルードの『神の安らぎ亭』に宿泊中だという情報が入っています。身柄を拘束するのはたやすいでしょう」
「お、お待ちください!」
話を進めようとするシュトラーセを、ロードはあわてて制止する。エルファラ教会において教祖は絶対であり、その決定に逆らえば不興を買うことはわかっていたが、抗弁せずにはいられなかった。
「テルプソロネは、勇者マリーシアの夫であり、運命の魔王です。彼を神に捧げることを、マリーシアが納得するとは……」
「――――ロード」
静かな声音が、ロードの弁明を阻む。荘厳さをたたえた謁見の間の空気が、冷たく重々しいものに変わった。
「貴方は、神の決定に逆らうというのですか」
「…………」
教祖の態度から反論の余地がないことを察し、ロードは言葉を飲みこむ。マリーシア夫婦がいかに仲睦まじいかを、彼は盗聴を通じてよくわかっていた。いくら世界を救うためとはいえ、テルプソロネを犠牲にすることを、マリーシアは許さないだろう。そして、おそらくはキリヤやエストといった、他の勇者たちも教会から離反する可能性が高い。
教会か、あるいは勇者たちか。
唐突に選択肢を突きつけられ、ロードは心が凍てついていくのを感じた。勇者たちは、彼にとっては魔王退治の苦楽を共にした仲間だ。彼らが教会以外を頼りにするのを避けるため、ルシファー達をこの世界から追放したというのに、これでは何の意味もない。
「他の勇者たちと敵対することを、恐れているのですか」
ロードの迷いを見透かすように、シュトラーセが声をかけてくる。
「シュトラーセ様、私は……」
「神は、貴方の忠誠を試されているのかもしれませんね。エルファラ神に信仰を捧げる者のみが、これから始まる新しき時代を迎えることができるのです。
神の試練を乗り越え、永遠の幸福を手にするか。それとも、一時的な感情に溺れて、選ばれなかった者たちとともに滅びるか。全ては、貴方次第です」
硬化してしまったロードの心を宥めるように、シュトラーセは穏やかに謳う。ロードは、震える拳を必死の思いで押さえ込んだ。彼がいかなる苦悩を抱えようと、選択肢はひとつしかないのだ。瞳を閉じて、全ての迷いを振り払う。次に目を開けたとき、彼は覚悟を決めていた。
「わかりました。魔王テルプソロネを、この手で必ず封印いたします」
教祖に向かって了解の意を突きつけ、ロードは謁見の間を後にする。これから、やることは山ほどあった。記念式典の準備に、作戦の立案、そして決行。それら全てを、機械的に行えばいい。
感情など、今の彼には不要なものだった。
メイルードの高級宿『神のやすらぎ亭』のカフェにて、マリーシアは仲間たちとともに少し遅めの昼食をとっていた。ここ数日間、新しい曲を作るために部屋に引きこもっていたテルプソロネも、今日は珍しく同席している。
「ダーリン、作曲の進み具合はどう~?」
焼き立てのワッフルにシロップを注ぎながら、マリーシアは夫に尋ねる。野菜がぐつぐつと煮込まれたシチューをすくいながら、テルプソロネは首を振った。
「それが、何か行き詰っちゃってね」
「え~?そうなの~?一晩で完成させるくらいの勢いだったのに~」
予想外の返答に、マリーシアはがっかりして眉を寄せた。ルシファー達と会った際に感じた強烈なインスピレーションを形にすべく、テルプソロネは作曲活動に専念していたのだ。その間、彼と遊びたいのを我慢していたマリーシアは、こんな日々がまだまだ続くのかと思うとうんざりしてしまう。
「曲を作るっていうのは、そんなに簡単なことじゃないんだよ。マリーも知ってるだろ?」
クレイオが、むくれてしまったマリーシアを宥める。父と同様、作曲・演奏担当のクレイオは、ひとつの作品を生み出すのにどれほどの労力を要するかを痛感している。
「何だか、このところ集中できなくてね。胸がざわめくというか」
憂いを帯びた表情で、テルプソロネはため息をついた。この大都市メイルードが異様な空気に包まれているということを、彼はひしひしと感じている。神の復活が近いためだと言ってしまえばそれまでなのだが、どうにも落ち着かない。
「だったら~、気分転換でもしてみない?」
「気分転換……?」
「ロード君にね~、ちょっと手伝ってほしいことがあるからダーリンを連れてきてって、頼まれたの~」
にっこり笑って、マリーシアが提案する。ロードから通話の石による連絡があったのは、ついさっきのことだった。
「手伝ってほしいことって、何だろうな」
香草のサラダをつつきながら、クレイオが首をかしげる。マリーシアの付き添いをしているので、彼もロードと面識があった。
「たぶん、音楽に関することだと思う~」
深く考えずに、マリーシアは答えた。彼女ほどではないが、テルプソロネもさすらいの吟遊詩人として世界中に名を馳せている。神の復活祭で一曲演奏してほしいとか、そういったことだろうと彼女は推測していた。
「……ということは、中央神殿塔に行くことになるのかな」
「たぶん、そうだと思うよ~?迎えを寄越すって言ってた~」
テルプソロネが、窓の方へ視線を向ける。その先にそびえ立つのは、メイルードの主要機関の総てが集められた荘厳な塔だ。だが、本当のところテルプソロネはあの塔に良い印象がない。メイルードを取り巻く不穏な気配は、あの塔から発せられている気がしてならないのだ。
「あの、おっきい塔にお仕事で行くんですかぁ?すごいですねえ」
ふわふわのチーズオムレツを幸せそうに頬張りながら、レミエルがのんきに微笑んだ。脳内が年中お花畑な彼女はもちろんのこと、マリーシアやクレイオもこのぴりぴりとした空気の中、特に気にすることなく生活している。わけのわからない危機感にさらされているのは、テルプソロネだけだった。
「ダーリン、どうする~?やっぱり、やめとく~?」
「いや、行ってみるよ。めったにない機会だからね」
俯いてしまった夫を心配するように、マリーシアが身を乗り出してくる。彼女を心配させまいと、テルプソロネは笑顔を作った。中央神殿塔に行けば、この不安の正体がわかるかもしれない。わけがわからず部屋の中でくすぶっているよりは、行動した方がずっといいだろう。
テルプソロネは、ロードの招待に応じることにした。身支度を整え、クレイオとレミエルに留守を任せて中央神殿塔から遣わされた馬車に乗る。ぼんやりと客席で揺られていると、マリーシアが寄りかかってきた。
「久しぶりだね~、二人で出かけるの~」
楽しそうに、マリーシアがテルプソロネの肩に頭を乗せる。重いよ、という夫の抗議を完全に無視して、彼女はけらけらと笑った。
愛しい妻の体温を感じ、テルプソロネは体の力を抜く。色々と気にかかることはあるけれど、今はマリーシアとともにいることを楽しもうと思い直した。
馬車は、舗装された道を中央神殿塔に向けて、ただひたすら一直線に進んでいく……。
「……何なんだ?こいつら」
地獄の中央に位置する悪魔たちの居城・万魔殿。大勢の魔物を引き連れてやって来た2を見て、ベルゼブブは自身の顔が引きつるのをこらえきれなかった。魔物たちは、どれも見覚えがない顔であり、大きな体を懸命に縮めて執務室に並んでいる。おかげで、広いはずの部屋は満杯になっていた。
「俺の新しい舎弟たちだ。面倒見てやってくれ」
「お世話になりやす!」
2が、ベルゼブブに彼らを紹介する。それと同時に、魔物たちは一斉に挨拶をした。彼らの礼儀正しさを目の当たりにして、ベルゼブブは2と魔物たちの間に何があったのかをおおよそ察する。2との長い付き合いの中で、彼がこうして行き場がない者たちを拾ってくるのは、数えるのがばかばかしくなるほどよくあることだった。
「……そうか。じゃ、宴会でもするか!」
「おおー!」
苦笑した後、ベルゼブブは魔物たちを受け入れる。魔物たちの歓声が、そこに重なった。飛び上がって天井に頭をぶつける者、うっかり部屋の備品を倒しそうになりあわてて受け止める者……もう、大騒ぎである。
「…………」
「どうかしたか?ルシファー」
魔物たちが思い思いに動く中で、ただひとり魂を抜かれたように呆けている2に、ベルゼブブが声をかける。我に返った彼は、あわてて首を振った。
「……ちょっとぼーっとしただけだ。派手にいこうぜ、ぱーっとな」
ごまかすように、2は魔物たちに退室を促していく。その背中を見つめながら、ベルゼブブは首をかしげていた。
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- テーマ:自作小説(ファンタジー)
- ジャンル:小説・文学
- カテゴリ:L-Triangle!11
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