L-Triangle!第一部最終話-6
- 2015/02/27
- 20:30
記念式典の会場は、人でごった返していた。騎士たちの指示に従い、彼らは不満を述べることなく整然と並び、神の復活を今か今かと待っている。中央神殿塔の入り口付近の開けた場所には、大きな布がかかった正体不明のオブジェが置いてある。神に捧げる供物の類いなのかもしれない。
「うわぁ~……ひとがいっぱいですねぇ」
列から外れた特別席で、レミエルは会場全体を見渡した。一般人であるはずの彼女がここにいるのは、ひとえにマリーシアのコネの賜物である。
「マリーと父さん、いないな……」
レミエルとは違い、クレイオの表情は晴れない。結局、あれからテルプソロネとマリーシアが帰ってくることはなかった。会場の設置準備にでも回されたのかと思ったのだが、現時点で彼らの姿を見た者は誰もいない。
「キリヤとホリンはともかく、リルもいない……」
エストもまた、見知った顔を探すのに忙しい。自身が強くなること以外に興味がないキリヤとめんどくさがり屋のホリンは、最初から式典の欠席を表明していたのでまあいいとして、リルまでいないとは予想外だった。
思い思いの方向へ視線を巡らせる三人の元に、多くの足音が近づいてくる。見ると、ロードが騎士団を引き連れてこちらへ向かってきていた。
「やあ。いよいよだね」
片手を上げて、ロードが挨拶をする。クレイオは、すぐさま彼に駆け寄った。
「ロードさん、うちの両親を知りませんか?」
「ああ、もうすぐ会えるよ。もうすぐ……ね」
意味ありげに微笑みかけて、ロードは騎士たちとともに去っていく。彼のそっけない態度は、クレイオを不安にさせた。
「ロードさん……何だか、いつもと様子が違うような……」
「あ、始まりますよぉ!」
レミエルが、クレイオに声をかける。中央神殿塔の入り口から、教祖シュトラーセが姿を現した。布がかかった謎のオブジェを背にして、教祖はよく通る声で人々に語りかける。
「エルファラの子らよ、永きにわたる脅威にさらされながら、歯をくいしばり、耐えてきた子らよ。貴方たちが、そして貴方たちの先立の苦難に満ちた日々が、ようやく報われる時がきました」
メイルードの人々は、皆、身動き一つせずに教祖の言葉に耳を傾けている。この大都市で生きていくうちに、人々はエルファラ神を、そして教祖シュトラーセを敬うべき存在であると教え込まれていた。総ての人々に慈愛を注ぐように、教祖は言葉を続ける。
「エルファラの子らよ、万物の父が、御使いたちの手により、ついに力を取り戻しました。貴方たちは、もはや道なき道を行く迷い人ではありません。我らの神が、道を照らし出し、永久の幸福へと貴方たちを導くのです。
そして、その光の道への第一歩を、貴方たちは今、踏み出すことになる」
教祖が、片手を上げた。その合図とともに、彼の背後に置かれていたオブジェが衆目に晒される。それは、巨大な水晶の棺だった。
「あれは……!」
水晶の中に封じ込められているものが何であるかを察し、エストが息を呑む。
テルプソロネとマリーシアが、水晶の中で眠りについていた。互いに手を重ね、恐怖から身を守るように寄り添っている。
「マリー!父さん!」
「な、何で!?何でですかぁ!?」
信じがたい光景を目の当たりにし、クレイオとレミエルが水晶に駆け寄ろうとする。
「諸君ら、静かにするように!」
騎士たちが、二人を遮った。我に返り、エストも騎士たちに食ってかかる。
「何言ってんのよ!彼女は、勇者マリーシアよ!?」
「彼らは、選ばれたのだ。エルファラ神復活の、最後の鍵にな」
激昂する三人を宥めるように、騎士のひとりが告げる。だが、それはクレイオ達にとって納得できる理由ではなかった。
「離せ!マリーと父さんに、何をする気だ!」
羽交い絞めにされて、クレイオが必死で抵抗する。水晶の棺をにらみつけていたエストは、それに見覚えがあることにようやく気がついた。
「あれは、封印のクリスタル?まさか……」
「こら!儀式の邪魔をしてはならん!」
「邪魔なのはあんた達よ!」
ついに怒りの限界が来て、エストは騎士たちを殴り倒す。わずかにできた隙をついて、クレイオは騎士たちの包囲網を突破した。
「マリー!父さん!」
クレイオが、水晶の棺に向かって全力で走り出す。その間にも、教祖の演説は続いていた。
「子どもたちよ、祈り、讃えなさい。そして、エルファラ神の御光臨を、その目でしかと見届けるのです!」
教祖の言葉の終わりを待っていたかのように、水晶の棺が、激しい光を放った。そのまま、棺は宙に浮き、空へと吸い込まれていく。
「やめろ――――!!」
絶叫し、クレイオは虚空へと手を伸ばす。されど、翼を持たない彼には、止めるすべはなかった。
「…………っ」
「クレイオ君!」
水晶は、完全に消失してしまった。絶望の表情で、クレイオががっくりと膝をつく。くずおれる彼の体を、レミエルがあわてて支えた。
「……何かが、来る!」
街全体が、激しく揺れ始める。人々が恐慌に陥る中、エストは踏みとどまって空を見据えた。水晶の棺が吸い込まれたのとちょうど同じ位置から、光が差し込む。光は徐々に大きくなり、巨大な人の形をとった。輪郭があやふやで、姿が正確にとらえられないが、それが強大な力を有していることは誰の目にも明らかだ。
「あれが、エルファラ神……?」
ごくりと唾を飲みこみ、エストが巨大な人のかたちをしたものを仰ぎ見る。彼女だけではない。その場にいる誰もが、突如出現した人ならざるものに魅入られている。
「我が神……よくぞ、お戻りになられました……!」
感慨深げに、教祖が言葉を絞り出す。それにより、人々はここに、エルファラ神が降臨したことを確信した。
『敬虔なる子どもらよ。永き眠りから、我は解き放たれた。もはや、案ずることはない』
光に包まれた両腕を広げ、神は、人々の心に直接語りかける。神の『声』は、やすらぎの感情を呼び起こす力を持っていたのだが、両親を奪われたクレイオには通用しなかった。
「……父さんと母さんを、返してくれ!」
臆することなく、神に向かって訴えかける。彼にとっては、エルファラ神は憎悪の対象でしかない。
「貴様、神の御前で何たる無礼を!」
神に圧倒されていた騎士たちは我に返り、クレイオを拘束しにかかるが、エストが彼の傍らで迎撃態勢をとったことにより二の足を踏んだ。クレイオの言葉が届いたのか、エルファラ神はゆっくりと彼の方へ顔を向ける。
『汝、奇跡を望むか。ならば、その身を捧げよ』
「…………何?」
神からの思いもよらぬ提案に、クレイオは怪訝な表情になる。神の考えは理解の範疇を超えており、一瞬、聞き間違いかと疑ったほどだ。
『汝とそこの娘、その身を捧げよ。さすれば、汝の父と母は、礎から解き放たれる』
「ふ、ふええええ!?レミもですかぁ!?」
神に指名され、レミエルが仰天する。やはり、先ほどの発言は本気のものらしい。
「待って!」
話が妙な方向へ進んでいくのを察し、エストはクレイオとレミエルをかばうように前に立った。
「クレイオ、早まっちゃダメよ。そんなことをしたら、マリーもテルプソロネさんも悲しむに決まってる」
『勇敢なる娘よ。そなたでも良いぞ』
どこか嬉しそうに、エルファラ神が告げてくる。それを聞いた時、エストは目の前の存在は敵であると確信した。
「お断りよ。さっきから聞いてれば、あんた、飢えた獣みたいじゃないの」
心底忌々しそうに、吐き捨てる。神に対する暴言をさすがに看過できず、ロードとともに周辺の警備に当たっていたケレンが動いた。
「騎士たち!その無礼者たちをひっとらえなさい!」
ケレンの号令を受け、騎士たちの増援がエスト達に殺到する。さすがに捌ききれないほどの人数を前にエストが焦りを感じる中、エルファラ神は淡々と話を続けていた。
『否定はせぬ。我は力を欲している。子どもらよ、我に力を与えよ』
神の姿が、徐々に変化していく。ひとの姿を模した光の塊から無数の突起が生え、触手のように伸びていった。エルファラ神は、驚き戸惑う人々を触手で次々に掴み、その身に吸収し始める。悲鳴が、あちこちから上がった。
「クレイオ、レミエル、逃げて!」
本性を現し、人々を喰らい始めたエルファラ神に剣を向けながら、エストはクレイオとレミエルを促す。
「エスト、君はどうするんだ!」
「あたしは、こいつを倒す!だって、こいつ、神じゃなくて魔王よ!」
クレイオの問いに答え、エストは呆然としているロードの元に駆け寄る。彼女にとって、勇者のリーダーである彼は頼みの綱だった。
「ロード!協力して、あいつを倒すわよ!」
「し、しかし……!」
エストに腕を引かれて、ロードは狼狽える。彼としても、この状況は想定外だった。困惑する瞳が、教祖シュトラーセにすがるような視線を向ける。教祖は、静かに言った。
「ロード、あの御方は間違いなく我らが神です。神が奇跡を起すために、これは必要な犠牲なのです」
「シュトラーセ様……」
混乱の渦中にあるというのに、ただひとり、絶対的な確信を持って教祖はロードの不安に応える。その声は、エストの耳にも届いていた。
「何言ってんの!?あんなのが神なわけないでしょ!?貴方、騙されているのよ!」
信じられないというように、エストが教祖に抗弁する。その彼女のわき腹を、一閃の剣撃がかすめた。振り返ると、殺気を帯びたケレンの顔が目の前にある。
「もう黙りなさい。シュトラーセ様の命令は絶対なのよ」
「何するのよ!」
攻撃が外れたことに舌打ちし、さらに剣を振りかぶってくるケレンを、エストは抗議しながら受け止める。幾度か打ち合った末、相手が外見より遥かに手ごわい存在だと判断したケレンは、ロードを叱咤した。
「ロード、何をぼけっとしてるの!それとも、シュトラーセ様を裏切って、人形に戻る!?」
ケレンの言葉に、ロードがぴくりと反応する。二人の会話が気になったエストは、ケレンを適当にあしらいながら尋ねた。
「何なの、その人形って言うのは?」
大きく後方に飛び退き、ケレンはエストから距離をとる。少し周囲を見る余裕ができたエストは、奇妙なことに気づいた。エルファラ神は人々をその身に取り込み続けているのだが、教祖や騎士たちには全く手を出していないのだ。エストが更なる疑問を口にする前に、ケレンが妖艶な笑みを浮かべた。
「そう。私たちは、シュトラーセ様に創られし人形。エルファラ神が新たに創る世界の、選ばれし民なのよ!」
ロードの腕をとり、ケレンが真相を明かす。その行動から、ロードも彼女の同朋であることは明らかだった。
「嘘……!?だって、ロードは勇者でしょ!?」
驚いて、エストはロードの顔を凝視する。憂いに曇り、迷いに揺れる様相は、作り物には到底見えなかった。これは、何かの間違いだ。ケレンは、彼の適当な冗談を真に受けたのだろう……エストがそんなことを推測するうちに、ロードはゆっくりと動いた。
「ケレンの言うことは本当だ。僕は、勇者としてこの世界に召喚され、そしてシュトラーセ様に人形として造り変えられた。勇者のように成長し、されど老いることはない。それが、僕だ」
エストの希望は、容赦なく打ち砕かれた。ケレンの言葉を肯定し、ロードは鞘から剣を一気に抜き放つ。
「戦いなさい、ロード……私の最高傑作よ。我が神に、更なる力を献上するのです」
「はい」
教祖に恭順を示し、ロードはエストに剣の切っ先を向ける。クレイオとレミエルも騎士たちに囲まれて動けない状態であり、まさに絶体絶命だ。エストは、己が今までにない危機的な状況にあることを実感した。勇者として世界を旅している彼女は腕に覚えがあるものの、クレイオとレミエルを守りながらこの包囲網を突破できる自信はない。
緊迫した空気を切り裂くように大きな影が飛来したのは、その時だった。
「何!?」
戦闘の輪から外れてエスト達が嬲られる様を観賞しようとしていたケレンが、真っ先に気づいて上空を見上げる。大きさからして、一瞬、神鳥かと思ったが、形状が明らかに違った。
「あれは、龍か……!?」
騎士たちからレミエルをかばっていたクレイオが、影の正体を突き止めた。銀の龍は幾度か空を旋回した後、騒ぎの中心に着陸する。龍の背からひらりと下り立ったのは、赤毛の勇者だった。
「大変なことになっているな」
のんきに周囲を見渡し、キリヤがエストに声をかける。安堵のあまりへたりこみそうになるのをこらえながら、エストは彼に言い返した。
「キリヤ!もう……遅いわよ!」
「すまない。事情は分からないが、あれを倒せばいいんだな?」
キリヤが、背負っていた太刀を抜いて今もなお暴食の限りを尽くしているエルファラ神を睨む。今にも神に向かって飛びかかろうとする彼の行く手を、ロードが遮った。
「そう簡単にはいかないよ」
「邪魔をするなら、お前から倒す!」
味方だったはずのロードが敵に回っているというのに、キリヤは何のためらいも見せなかった。彼にとって、ロードは剣の腕を競うライバルである。戦うことができるのならば、いかなる状況だろうと細かいことは気にしないのが、キリヤの性格だった。
「いいだろう。二人まとめてかかっておいで」
不敵に笑い、ロードがキリヤとエストを挑発する。先ほどまでは迷いが見えた彼だが、今は完全に他の勇者たちとの決別を心に決めたようだ。
「後悔するわよ、ロード!」
エストが、ロードの元へ駆け出す。キリヤも、すぐさま後を追った。勇者二人は、ロードの強さをよく知っており、二対一は卑怯、などと言っていられる状況ではないことを理解していた。
「さて、こっちはさっさと片付けてしまおうかしら」
「ふ、ふえええええ!!」
勇者たちが響かせる剣戟の音を聞きながら、ケレンが騎士たちとともにクレイオとレミエルににじり寄る。かばってくれていたエストがいなくなったことで、レミエルが情けない悲鳴を上げた。
「レミエル、君は飛んで逃げろ!」
クレイオが、レミエルの背中を押す。普段は服で隠しているが、彼女の背には翼が生えている。飛ぶのは相変わらずぎこちないが、一人でならばどうにかなるはずである。
「そ、そんな!だったら、クレイオ君を抱えて飛びます!」
自分だけ逃げればクレイオを見捨てることになると察し、レミエルは首を振る。肩に絡んできた細い腕を、クレイオは振り払った。
「無茶を言うな!早く行け!」
「嫌です!逃げるなら一緒です!」
はっきりと拒絶されたにもかかわらず、レミエルはめげることなくクレイオにしがみつく。
「あらあら、フォースにふられたと思ったら、もう新しい男を見つけたの?」
その一連のやりとりを見ていたケレンが、ばかにしたように嘲笑った。敵であるはずの彼女の口から憧れの君の名が出たことに、レミエルは目を丸くする。
「ほえ?な、何でそれを……!」
「答える必要はないわ。騎士たちよ、行きなさい!」
レミエルの疑問を切り捨てて、ケレンは配下を差し向ける。かつて、ケレンはロードとともに3とレミエルの会話を盗聴したことがあったのだが、そんなことをわざわざ白状するつもりは毛頭なかった。
騎士たちがクレイオとレミエルを拘束するため手を伸ばす。だが、その手が彼らを害することはなかった。先ほどキリヤが乗ってきた銀色の龍が、クレイオとレミエルを引っ掴み、飛び立ったのである。
「ふわああああ!?」
急に足場が失われ、空中につり下げられた状態でレミエルはパニックに陥る。
「暴れないで!あたしよ!キリヤの連れのガエネちゃんよ!」
あわたように、龍が口を開いた。バランスが崩れるのを、どうにか立て直す。ガエネ、という名に、二人は聞き覚えがあった。
「キリヤと一緒にいる龍か!?何で巨大化してるんだ!?」
「こういうこともできるの。疲れるし可愛くないからあまりやりたくないけどね!」
クレイオの問いに答え、ガエネは戦場から完全に離脱した。
「ちっ……逃がした」
徐々に遠ざかっていく龍の背中に、ケレンは舌打ちする。あの速度で空を飛ばれては、神鳥をもってしても追いつくのは難しい。
一方、キリヤとエストは、ロードを相手に交戦を続行していた。数では有利である二人だが、剣を手にしている以上、味方に当たることも考えて交互に斬り結ぶより他ない。
「どうしたんだい?息が上がっているよ」
全力で打ちかかってくる二人を、ロードは軽々とあしらう。彼の言う通り、キリヤにもエストにも、疲れが見えていた。
「何で、そっちは、平然としてる、のよ!」
剣を振りまわしながら、エストが自棄混じりに尋ねる。余裕の表情で、ロードは隙をついて彼女の足元を払った。敵に攻撃を当てることにのみ集中していたエストは、あっさりと転倒する。
「決まってるだろ?化け物だからだよ」
ロードの追撃を受けて、エストは後方へと吹き飛ばされた。今度は自分が相手だと言わんばかりに、キリヤが太刀を振りかざす。その一撃を受け止めたロードは、手のしびれを感じて真っ向からの力比べをやめた。攻撃を流されて、先ほどのエストのようになるのを警戒したキリヤは、すぐさまロードから飛びのく。
「腕を上げたね、キリヤ」
手首を振って、ロードがキリヤに賞賛を送る。
「お前に褒められてもうれしくも何ともない」
キリヤの反応は、にべもない。いつも通りの可愛げの欠片もない態度に、ロードは不覚にも懐かしさを感じた。
「君も人形になってみる?きっと、今以上に強くなれるよ」
「人形だと?」
訝しげに、キリヤが眉をひそめる。彼の警戒を解こうとするかのように、ロードは突如、剣を鞘にしまった。
「教祖シュトラーセ様の秘術さ。人形になれば、疲れもない。老いることもない。どこまでも、強さを追求できる」
ロードが、キリヤに近づく。丸腰の相手を攻撃するわけにもいかず、キリヤは戸惑った。
「……それは……便利だな」
1のことを思い出し、キリヤはつい、相手を受け入れるような発言をしてしまう。彼は、1が人間でないことをすでに知っている。そしておそらく、自身の寿命の総てをかけてもあの強さには追いつけないだろうことも、うすうす勘付いていた。不老になれば、1と肩を並べることができるかもしれない。そして何より、ずっと一緒にいることができる。
「そうだろう?君もこちらの陣営においでよ。そして、ともに新世界を築こうじゃないか!」
キリヤが誘惑にぐらついていることを察し、ロードは更なる後押しをする。体をしたたかに打ちつけられた痛みからようやく立ち直ったエストが、キリヤに向かって叫んだ。
「騙されないで、キリヤ!それは、教祖の操り人形になるってことだから!」
「そうか。それはダメだ」
彼女の言葉を聞いて、キリヤはあっさりと前言を撤回する。1ならばまだしも、彼以外の誰かの下につくなど、真っ平ごめんだった。
『何をしている、子どもらよ。早く、その者たちを捧げよ!』
人を喰うだけでは飽き足らず建物を破壊しながら、神がしびれをきらしたように言った。それと同時に、触手がキリヤやエストの近くをかすめる。
「……旗色が悪いな。いったん退くか」
触手を避けながら、キリヤはロードを始めとする騎士たちから徐々に距離をとっていく。
「でも、人々が……!」
エストが反対しようとしたとき、クレイオとレミエルを避難させたガエネが飛来した。
「俺達が倒れたら、それこそ世界は終わりだ」
エストに正論を言い渡し、キリヤはガエネに飛び乗る。片手を差し出され、エストは一瞬の躊躇の末、ここを去ることを決めた。
「……マリー……みんな……ごめんなさい……」
キリヤとエストを背に乗せて、ガエネは逃亡していく。獲物を逃すまいとする触手の猛攻を、龍はどうにか潜り抜けた。
「ちょっと!逃げちゃったわよ!?」
敵の完全な撤退を阻むことができず、ケレンが悔し紛れにロードに抗議する。当人はというと、飄々としたものだった。
「焦ることはないさ。彼らはまた来る。更なる増援を連れてね。それだけ、神に献上する力が増えるんだから、手間が省けていいじゃないか」
「それは、そうかもしれないけど……」
唇を尖らせて、ケレンは不満を隠そうともしない。若さという暴力を振りかざす生意気な小娘どもを捕えることができなかったのが、気に食わないようだ。
「いいでしょう。時間が経てば、それだけ我が神も力を取り戻すのですから」
戦いをずっと見守っていたシュトラーセが、ロードを支持する。教祖がそう判断するのならば、ケレンとしてはもはや言うことはない。
人々をむさぼり続ける神を、阿鼻叫喚の事態を、ロードは無感情に眺めた。この光景を前にして、教会が正義だと胸を張るほどの狂信を彼は持ち合わせていない。
自分たちは、悪だ。魔王など遥かに足元に及ばないほどの巨悪だ。
だからといって、今更立ち止まるわけにはいかない。ここでロードが反抗したとしても、シュトラーセに術を止められて無力な物質と化して破壊されるのみ。
ならば、真の正義を待ってみようと、勇者の筆頭だった男は思い立つ。
真の正義は、いかなる困難にも打ち勝つはずだ。
自分は、悪の手駒として、全力でぶつかるつもりでいる。教祖の甘言に惑わされ、操り人形として過ごしてきたこの生を、どう終わらせるかくらいは自分で考えたかった。
「キリヤ、エスト……次は、容赦しないよ」
もはや可視できない距離まで遠ざかってしまったかつての仲間に、ロードは、そう言い渡した。
「うわぁ~……ひとがいっぱいですねぇ」
列から外れた特別席で、レミエルは会場全体を見渡した。一般人であるはずの彼女がここにいるのは、ひとえにマリーシアのコネの賜物である。
「マリーと父さん、いないな……」
レミエルとは違い、クレイオの表情は晴れない。結局、あれからテルプソロネとマリーシアが帰ってくることはなかった。会場の設置準備にでも回されたのかと思ったのだが、現時点で彼らの姿を見た者は誰もいない。
「キリヤとホリンはともかく、リルもいない……」
エストもまた、見知った顔を探すのに忙しい。自身が強くなること以外に興味がないキリヤとめんどくさがり屋のホリンは、最初から式典の欠席を表明していたのでまあいいとして、リルまでいないとは予想外だった。
思い思いの方向へ視線を巡らせる三人の元に、多くの足音が近づいてくる。見ると、ロードが騎士団を引き連れてこちらへ向かってきていた。
「やあ。いよいよだね」
片手を上げて、ロードが挨拶をする。クレイオは、すぐさま彼に駆け寄った。
「ロードさん、うちの両親を知りませんか?」
「ああ、もうすぐ会えるよ。もうすぐ……ね」
意味ありげに微笑みかけて、ロードは騎士たちとともに去っていく。彼のそっけない態度は、クレイオを不安にさせた。
「ロードさん……何だか、いつもと様子が違うような……」
「あ、始まりますよぉ!」
レミエルが、クレイオに声をかける。中央神殿塔の入り口から、教祖シュトラーセが姿を現した。布がかかった謎のオブジェを背にして、教祖はよく通る声で人々に語りかける。
「エルファラの子らよ、永きにわたる脅威にさらされながら、歯をくいしばり、耐えてきた子らよ。貴方たちが、そして貴方たちの先立の苦難に満ちた日々が、ようやく報われる時がきました」
メイルードの人々は、皆、身動き一つせずに教祖の言葉に耳を傾けている。この大都市で生きていくうちに、人々はエルファラ神を、そして教祖シュトラーセを敬うべき存在であると教え込まれていた。総ての人々に慈愛を注ぐように、教祖は言葉を続ける。
「エルファラの子らよ、万物の父が、御使いたちの手により、ついに力を取り戻しました。貴方たちは、もはや道なき道を行く迷い人ではありません。我らの神が、道を照らし出し、永久の幸福へと貴方たちを導くのです。
そして、その光の道への第一歩を、貴方たちは今、踏み出すことになる」
教祖が、片手を上げた。その合図とともに、彼の背後に置かれていたオブジェが衆目に晒される。それは、巨大な水晶の棺だった。
「あれは……!」
水晶の中に封じ込められているものが何であるかを察し、エストが息を呑む。
テルプソロネとマリーシアが、水晶の中で眠りについていた。互いに手を重ね、恐怖から身を守るように寄り添っている。
「マリー!父さん!」
「な、何で!?何でですかぁ!?」
信じがたい光景を目の当たりにし、クレイオとレミエルが水晶に駆け寄ろうとする。
「諸君ら、静かにするように!」
騎士たちが、二人を遮った。我に返り、エストも騎士たちに食ってかかる。
「何言ってんのよ!彼女は、勇者マリーシアよ!?」
「彼らは、選ばれたのだ。エルファラ神復活の、最後の鍵にな」
激昂する三人を宥めるように、騎士のひとりが告げる。だが、それはクレイオ達にとって納得できる理由ではなかった。
「離せ!マリーと父さんに、何をする気だ!」
羽交い絞めにされて、クレイオが必死で抵抗する。水晶の棺をにらみつけていたエストは、それに見覚えがあることにようやく気がついた。
「あれは、封印のクリスタル?まさか……」
「こら!儀式の邪魔をしてはならん!」
「邪魔なのはあんた達よ!」
ついに怒りの限界が来て、エストは騎士たちを殴り倒す。わずかにできた隙をついて、クレイオは騎士たちの包囲網を突破した。
「マリー!父さん!」
クレイオが、水晶の棺に向かって全力で走り出す。その間にも、教祖の演説は続いていた。
「子どもたちよ、祈り、讃えなさい。そして、エルファラ神の御光臨を、その目でしかと見届けるのです!」
教祖の言葉の終わりを待っていたかのように、水晶の棺が、激しい光を放った。そのまま、棺は宙に浮き、空へと吸い込まれていく。
「やめろ――――!!」
絶叫し、クレイオは虚空へと手を伸ばす。されど、翼を持たない彼には、止めるすべはなかった。
「…………っ」
「クレイオ君!」
水晶は、完全に消失してしまった。絶望の表情で、クレイオががっくりと膝をつく。くずおれる彼の体を、レミエルがあわてて支えた。
「……何かが、来る!」
街全体が、激しく揺れ始める。人々が恐慌に陥る中、エストは踏みとどまって空を見据えた。水晶の棺が吸い込まれたのとちょうど同じ位置から、光が差し込む。光は徐々に大きくなり、巨大な人の形をとった。輪郭があやふやで、姿が正確にとらえられないが、それが強大な力を有していることは誰の目にも明らかだ。
「あれが、エルファラ神……?」
ごくりと唾を飲みこみ、エストが巨大な人のかたちをしたものを仰ぎ見る。彼女だけではない。その場にいる誰もが、突如出現した人ならざるものに魅入られている。
「我が神……よくぞ、お戻りになられました……!」
感慨深げに、教祖が言葉を絞り出す。それにより、人々はここに、エルファラ神が降臨したことを確信した。
『敬虔なる子どもらよ。永き眠りから、我は解き放たれた。もはや、案ずることはない』
光に包まれた両腕を広げ、神は、人々の心に直接語りかける。神の『声』は、やすらぎの感情を呼び起こす力を持っていたのだが、両親を奪われたクレイオには通用しなかった。
「……父さんと母さんを、返してくれ!」
臆することなく、神に向かって訴えかける。彼にとっては、エルファラ神は憎悪の対象でしかない。
「貴様、神の御前で何たる無礼を!」
神に圧倒されていた騎士たちは我に返り、クレイオを拘束しにかかるが、エストが彼の傍らで迎撃態勢をとったことにより二の足を踏んだ。クレイオの言葉が届いたのか、エルファラ神はゆっくりと彼の方へ顔を向ける。
『汝、奇跡を望むか。ならば、その身を捧げよ』
「…………何?」
神からの思いもよらぬ提案に、クレイオは怪訝な表情になる。神の考えは理解の範疇を超えており、一瞬、聞き間違いかと疑ったほどだ。
『汝とそこの娘、その身を捧げよ。さすれば、汝の父と母は、礎から解き放たれる』
「ふ、ふええええ!?レミもですかぁ!?」
神に指名され、レミエルが仰天する。やはり、先ほどの発言は本気のものらしい。
「待って!」
話が妙な方向へ進んでいくのを察し、エストはクレイオとレミエルをかばうように前に立った。
「クレイオ、早まっちゃダメよ。そんなことをしたら、マリーもテルプソロネさんも悲しむに決まってる」
『勇敢なる娘よ。そなたでも良いぞ』
どこか嬉しそうに、エルファラ神が告げてくる。それを聞いた時、エストは目の前の存在は敵であると確信した。
「お断りよ。さっきから聞いてれば、あんた、飢えた獣みたいじゃないの」
心底忌々しそうに、吐き捨てる。神に対する暴言をさすがに看過できず、ロードとともに周辺の警備に当たっていたケレンが動いた。
「騎士たち!その無礼者たちをひっとらえなさい!」
ケレンの号令を受け、騎士たちの増援がエスト達に殺到する。さすがに捌ききれないほどの人数を前にエストが焦りを感じる中、エルファラ神は淡々と話を続けていた。
『否定はせぬ。我は力を欲している。子どもらよ、我に力を与えよ』
神の姿が、徐々に変化していく。ひとの姿を模した光の塊から無数の突起が生え、触手のように伸びていった。エルファラ神は、驚き戸惑う人々を触手で次々に掴み、その身に吸収し始める。悲鳴が、あちこちから上がった。
「クレイオ、レミエル、逃げて!」
本性を現し、人々を喰らい始めたエルファラ神に剣を向けながら、エストはクレイオとレミエルを促す。
「エスト、君はどうするんだ!」
「あたしは、こいつを倒す!だって、こいつ、神じゃなくて魔王よ!」
クレイオの問いに答え、エストは呆然としているロードの元に駆け寄る。彼女にとって、勇者のリーダーである彼は頼みの綱だった。
「ロード!協力して、あいつを倒すわよ!」
「し、しかし……!」
エストに腕を引かれて、ロードは狼狽える。彼としても、この状況は想定外だった。困惑する瞳が、教祖シュトラーセにすがるような視線を向ける。教祖は、静かに言った。
「ロード、あの御方は間違いなく我らが神です。神が奇跡を起すために、これは必要な犠牲なのです」
「シュトラーセ様……」
混乱の渦中にあるというのに、ただひとり、絶対的な確信を持って教祖はロードの不安に応える。その声は、エストの耳にも届いていた。
「何言ってんの!?あんなのが神なわけないでしょ!?貴方、騙されているのよ!」
信じられないというように、エストが教祖に抗弁する。その彼女のわき腹を、一閃の剣撃がかすめた。振り返ると、殺気を帯びたケレンの顔が目の前にある。
「もう黙りなさい。シュトラーセ様の命令は絶対なのよ」
「何するのよ!」
攻撃が外れたことに舌打ちし、さらに剣を振りかぶってくるケレンを、エストは抗議しながら受け止める。幾度か打ち合った末、相手が外見より遥かに手ごわい存在だと判断したケレンは、ロードを叱咤した。
「ロード、何をぼけっとしてるの!それとも、シュトラーセ様を裏切って、人形に戻る!?」
ケレンの言葉に、ロードがぴくりと反応する。二人の会話が気になったエストは、ケレンを適当にあしらいながら尋ねた。
「何なの、その人形って言うのは?」
大きく後方に飛び退き、ケレンはエストから距離をとる。少し周囲を見る余裕ができたエストは、奇妙なことに気づいた。エルファラ神は人々をその身に取り込み続けているのだが、教祖や騎士たちには全く手を出していないのだ。エストが更なる疑問を口にする前に、ケレンが妖艶な笑みを浮かべた。
「そう。私たちは、シュトラーセ様に創られし人形。エルファラ神が新たに創る世界の、選ばれし民なのよ!」
ロードの腕をとり、ケレンが真相を明かす。その行動から、ロードも彼女の同朋であることは明らかだった。
「嘘……!?だって、ロードは勇者でしょ!?」
驚いて、エストはロードの顔を凝視する。憂いに曇り、迷いに揺れる様相は、作り物には到底見えなかった。これは、何かの間違いだ。ケレンは、彼の適当な冗談を真に受けたのだろう……エストがそんなことを推測するうちに、ロードはゆっくりと動いた。
「ケレンの言うことは本当だ。僕は、勇者としてこの世界に召喚され、そしてシュトラーセ様に人形として造り変えられた。勇者のように成長し、されど老いることはない。それが、僕だ」
エストの希望は、容赦なく打ち砕かれた。ケレンの言葉を肯定し、ロードは鞘から剣を一気に抜き放つ。
「戦いなさい、ロード……私の最高傑作よ。我が神に、更なる力を献上するのです」
「はい」
教祖に恭順を示し、ロードはエストに剣の切っ先を向ける。クレイオとレミエルも騎士たちに囲まれて動けない状態であり、まさに絶体絶命だ。エストは、己が今までにない危機的な状況にあることを実感した。勇者として世界を旅している彼女は腕に覚えがあるものの、クレイオとレミエルを守りながらこの包囲網を突破できる自信はない。
緊迫した空気を切り裂くように大きな影が飛来したのは、その時だった。
「何!?」
戦闘の輪から外れてエスト達が嬲られる様を観賞しようとしていたケレンが、真っ先に気づいて上空を見上げる。大きさからして、一瞬、神鳥かと思ったが、形状が明らかに違った。
「あれは、龍か……!?」
騎士たちからレミエルをかばっていたクレイオが、影の正体を突き止めた。銀の龍は幾度か空を旋回した後、騒ぎの中心に着陸する。龍の背からひらりと下り立ったのは、赤毛の勇者だった。
「大変なことになっているな」
のんきに周囲を見渡し、キリヤがエストに声をかける。安堵のあまりへたりこみそうになるのをこらえながら、エストは彼に言い返した。
「キリヤ!もう……遅いわよ!」
「すまない。事情は分からないが、あれを倒せばいいんだな?」
キリヤが、背負っていた太刀を抜いて今もなお暴食の限りを尽くしているエルファラ神を睨む。今にも神に向かって飛びかかろうとする彼の行く手を、ロードが遮った。
「そう簡単にはいかないよ」
「邪魔をするなら、お前から倒す!」
味方だったはずのロードが敵に回っているというのに、キリヤは何のためらいも見せなかった。彼にとって、ロードは剣の腕を競うライバルである。戦うことができるのならば、いかなる状況だろうと細かいことは気にしないのが、キリヤの性格だった。
「いいだろう。二人まとめてかかっておいで」
不敵に笑い、ロードがキリヤとエストを挑発する。先ほどまでは迷いが見えた彼だが、今は完全に他の勇者たちとの決別を心に決めたようだ。
「後悔するわよ、ロード!」
エストが、ロードの元へ駆け出す。キリヤも、すぐさま後を追った。勇者二人は、ロードの強さをよく知っており、二対一は卑怯、などと言っていられる状況ではないことを理解していた。
「さて、こっちはさっさと片付けてしまおうかしら」
「ふ、ふえええええ!!」
勇者たちが響かせる剣戟の音を聞きながら、ケレンが騎士たちとともにクレイオとレミエルににじり寄る。かばってくれていたエストがいなくなったことで、レミエルが情けない悲鳴を上げた。
「レミエル、君は飛んで逃げろ!」
クレイオが、レミエルの背中を押す。普段は服で隠しているが、彼女の背には翼が生えている。飛ぶのは相変わらずぎこちないが、一人でならばどうにかなるはずである。
「そ、そんな!だったら、クレイオ君を抱えて飛びます!」
自分だけ逃げればクレイオを見捨てることになると察し、レミエルは首を振る。肩に絡んできた細い腕を、クレイオは振り払った。
「無茶を言うな!早く行け!」
「嫌です!逃げるなら一緒です!」
はっきりと拒絶されたにもかかわらず、レミエルはめげることなくクレイオにしがみつく。
「あらあら、フォースにふられたと思ったら、もう新しい男を見つけたの?」
その一連のやりとりを見ていたケレンが、ばかにしたように嘲笑った。敵であるはずの彼女の口から憧れの君の名が出たことに、レミエルは目を丸くする。
「ほえ?な、何でそれを……!」
「答える必要はないわ。騎士たちよ、行きなさい!」
レミエルの疑問を切り捨てて、ケレンは配下を差し向ける。かつて、ケレンはロードとともに3とレミエルの会話を盗聴したことがあったのだが、そんなことをわざわざ白状するつもりは毛頭なかった。
騎士たちがクレイオとレミエルを拘束するため手を伸ばす。だが、その手が彼らを害することはなかった。先ほどキリヤが乗ってきた銀色の龍が、クレイオとレミエルを引っ掴み、飛び立ったのである。
「ふわああああ!?」
急に足場が失われ、空中につり下げられた状態でレミエルはパニックに陥る。
「暴れないで!あたしよ!キリヤの連れのガエネちゃんよ!」
あわたように、龍が口を開いた。バランスが崩れるのを、どうにか立て直す。ガエネ、という名に、二人は聞き覚えがあった。
「キリヤと一緒にいる龍か!?何で巨大化してるんだ!?」
「こういうこともできるの。疲れるし可愛くないからあまりやりたくないけどね!」
クレイオの問いに答え、ガエネは戦場から完全に離脱した。
「ちっ……逃がした」
徐々に遠ざかっていく龍の背中に、ケレンは舌打ちする。あの速度で空を飛ばれては、神鳥をもってしても追いつくのは難しい。
一方、キリヤとエストは、ロードを相手に交戦を続行していた。数では有利である二人だが、剣を手にしている以上、味方に当たることも考えて交互に斬り結ぶより他ない。
「どうしたんだい?息が上がっているよ」
全力で打ちかかってくる二人を、ロードは軽々とあしらう。彼の言う通り、キリヤにもエストにも、疲れが見えていた。
「何で、そっちは、平然としてる、のよ!」
剣を振りまわしながら、エストが自棄混じりに尋ねる。余裕の表情で、ロードは隙をついて彼女の足元を払った。敵に攻撃を当てることにのみ集中していたエストは、あっさりと転倒する。
「決まってるだろ?化け物だからだよ」
ロードの追撃を受けて、エストは後方へと吹き飛ばされた。今度は自分が相手だと言わんばかりに、キリヤが太刀を振りかざす。その一撃を受け止めたロードは、手のしびれを感じて真っ向からの力比べをやめた。攻撃を流されて、先ほどのエストのようになるのを警戒したキリヤは、すぐさまロードから飛びのく。
「腕を上げたね、キリヤ」
手首を振って、ロードがキリヤに賞賛を送る。
「お前に褒められてもうれしくも何ともない」
キリヤの反応は、にべもない。いつも通りの可愛げの欠片もない態度に、ロードは不覚にも懐かしさを感じた。
「君も人形になってみる?きっと、今以上に強くなれるよ」
「人形だと?」
訝しげに、キリヤが眉をひそめる。彼の警戒を解こうとするかのように、ロードは突如、剣を鞘にしまった。
「教祖シュトラーセ様の秘術さ。人形になれば、疲れもない。老いることもない。どこまでも、強さを追求できる」
ロードが、キリヤに近づく。丸腰の相手を攻撃するわけにもいかず、キリヤは戸惑った。
「……それは……便利だな」
1のことを思い出し、キリヤはつい、相手を受け入れるような発言をしてしまう。彼は、1が人間でないことをすでに知っている。そしておそらく、自身の寿命の総てをかけてもあの強さには追いつけないだろうことも、うすうす勘付いていた。不老になれば、1と肩を並べることができるかもしれない。そして何より、ずっと一緒にいることができる。
「そうだろう?君もこちらの陣営においでよ。そして、ともに新世界を築こうじゃないか!」
キリヤが誘惑にぐらついていることを察し、ロードは更なる後押しをする。体をしたたかに打ちつけられた痛みからようやく立ち直ったエストが、キリヤに向かって叫んだ。
「騙されないで、キリヤ!それは、教祖の操り人形になるってことだから!」
「そうか。それはダメだ」
彼女の言葉を聞いて、キリヤはあっさりと前言を撤回する。1ならばまだしも、彼以外の誰かの下につくなど、真っ平ごめんだった。
『何をしている、子どもらよ。早く、その者たちを捧げよ!』
人を喰うだけでは飽き足らず建物を破壊しながら、神がしびれをきらしたように言った。それと同時に、触手がキリヤやエストの近くをかすめる。
「……旗色が悪いな。いったん退くか」
触手を避けながら、キリヤはロードを始めとする騎士たちから徐々に距離をとっていく。
「でも、人々が……!」
エストが反対しようとしたとき、クレイオとレミエルを避難させたガエネが飛来した。
「俺達が倒れたら、それこそ世界は終わりだ」
エストに正論を言い渡し、キリヤはガエネに飛び乗る。片手を差し出され、エストは一瞬の躊躇の末、ここを去ることを決めた。
「……マリー……みんな……ごめんなさい……」
キリヤとエストを背に乗せて、ガエネは逃亡していく。獲物を逃すまいとする触手の猛攻を、龍はどうにか潜り抜けた。
「ちょっと!逃げちゃったわよ!?」
敵の完全な撤退を阻むことができず、ケレンが悔し紛れにロードに抗議する。当人はというと、飄々としたものだった。
「焦ることはないさ。彼らはまた来る。更なる増援を連れてね。それだけ、神に献上する力が増えるんだから、手間が省けていいじゃないか」
「それは、そうかもしれないけど……」
唇を尖らせて、ケレンは不満を隠そうともしない。若さという暴力を振りかざす生意気な小娘どもを捕えることができなかったのが、気に食わないようだ。
「いいでしょう。時間が経てば、それだけ我が神も力を取り戻すのですから」
戦いをずっと見守っていたシュトラーセが、ロードを支持する。教祖がそう判断するのならば、ケレンとしてはもはや言うことはない。
人々をむさぼり続ける神を、阿鼻叫喚の事態を、ロードは無感情に眺めた。この光景を前にして、教会が正義だと胸を張るほどの狂信を彼は持ち合わせていない。
自分たちは、悪だ。魔王など遥かに足元に及ばないほどの巨悪だ。
だからといって、今更立ち止まるわけにはいかない。ここでロードが反抗したとしても、シュトラーセに術を止められて無力な物質と化して破壊されるのみ。
ならば、真の正義を待ってみようと、勇者の筆頭だった男は思い立つ。
真の正義は、いかなる困難にも打ち勝つはずだ。
自分は、悪の手駒として、全力でぶつかるつもりでいる。教祖の甘言に惑わされ、操り人形として過ごしてきたこの生を、どう終わらせるかくらいは自分で考えたかった。
「キリヤ、エスト……次は、容赦しないよ」
もはや可視できない距離まで遠ざかってしまったかつての仲間に、ロードは、そう言い渡した。
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- テーマ:自作小説(ファンタジー)
- ジャンル:小説・文学
- カテゴリ:L-Triangle!11
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