L-Triangle!第一部最終話-7
- 2015/03/01
- 20:45
メイルードの中枢部から遠く離れた下町にある、古びた宿屋。教会や聖なるものが苦手なユーリスは、その一室で留守番をしていた。
「エスト、遅いなあ……」
窓枠にひじをついて、ため息をこぼす。このまま無為に時間が流れるかのように思われたとき、地面が激しく揺れた。驚いて外を見ると、中央神殿塔がある方向から光が立ち上るところだった。呆気にとられている間にも光はどす黒く変化していき、無数の触手を持つ異形と化す。
「な、何?化け物!?」
驚いて、ユーリスは外へ出た。街では、すでに中枢部の騒ぎが伝わっており、人々が都市の外へ向けて逃げている。触手を繰り出し、建物を破壊する化け物……エルファラ神の姿は、遠く離れた下町でもよく見えた。恐怖によってエルファラ神から目を離せなくなったユーリスだが、なぜか妙な懐かしさを覚えた。自分は、あの怪物をどこかで見たような気がするのだが、どうしても思い出せない。
「頭が、痛いよ……」
くらくらする額を押さえ、ユーリスは俯く。苦悩する彼に、一人の少女が近づいた。
「見ちゃだめ」
隣に立ち、毅然と背筋を伸ばす少女。ユーリスは、彼女が顔見知りの勇者・リルだということにようやく気がついた。
「リル!」
「あれは、あなたとは関係ないわ」
狂ったように暴れているエルファラ神を指さして、リルは断定する。彼女の言葉を聞いているうちに、ユーリスの頭痛は少し和らいだ。
「リル、あの怪物は何なの!?エスト達は無事!?」
「わからない。でも、ここにいると危険」
リルが、ユーリスに避難を呼びかける。エストを置いていけない、と彼が答えようとしたとき、当の彼女の声が空から降ってきた。
「ユーリスー!!」
翼の羽音とともに、銀色の龍が眼前に降り立つ。その背にエストの姿を認め、ユーリスは駆け寄った。
「エスト!」
「無事で良かった……」
安堵して、エストがユーリスを抱きしめる。他にもギャラリーがいるため、ユーリスはエストの温もりにひたるのを我慢して彼女からすぐに離れた。
「それは僕が言いたいよ。おかえり、エスト」
咳払いをして、ユーリスはエストを改めて迎える。彼が照れていることを察して、エストは苦笑した。
「のんびりしている暇はないぞ。今すぐ、ここから離れるんだ」
龍の背に乗ったまま、キリヤが後方を振り返る。エルファラ神の魔手は、下町にまで及ぼうとしていた。中央神殿塔からずるずると移動し、長い身体をさらに伸ばして生ある者たちを捕食しようとしている。
「ちょっと~!そんな大人数、乗せられないわよ!」
ユーリスとリルを見て、銀の龍……ガエネが、悲鳴を上げる。情けない顔つきの彼女をキリヤが叱咤しようとするのを、リルが片手を振って遮った。
「大丈夫。私が彼を運ぶ」
そう言うなり、リルはユーリスの手をとった。青い光が二人を包み込み、彼らの体は宙に浮き上がる。
「うわあ……飛んでる!」
驚いて、ユーリスはまばたきをする。意表を突かれたのは、彼だけではなかった。
「リル、お前飛べたのか」
「女は秘密を簡単に見せないものよ」
目を丸くして、キリヤがリルに問う。口元に指を当てて、リルは彼女にしては珍しく、茶目っ気のある仕草をした。
「それじゃ、行くわよ!」
本格的にエルファラ神の攻撃が届き始めたことを察し、ガエネが再び空へと羽ばたく。
「リル、手を離さないでね」
「もちろん」
頷き合って、リルとユーリスも銀の龍の後を追った。少年と少女が手を繋いで飛翔する光景は、おとぎ話のように幻想的な美しさを持っていたが、下方に広がるのは大都市の無残な瓦礫と人々の悲鳴。
微かな輝きとともに撤退する彼らは、希望と呼ぶにはあまりに頼りなかった。
力こそが正義を信条とする荒廃した世界を、高層ビル『赤龍』が見下ろす。『赤龍』の最上階にて、悪魔の王は二日酔いで執務机に突っ伏していた。
「あ~……あたまいってぇ……」
「ルシファー様、体調管理くらいご自分でなさってください」
執務室でぐったりしている1に、リリスは冷たく言い放つ。今日からまた、地獄を管理するための公務が始まるというのに、あまりに情けない体たらくだ。
「二日酔いの貴殿を初めて見るぞ?一体、どれだけ飲んだんだ」
「覚えてねえ」
1の机に水を置きながら、1の世界のミカエル……略して1ミカが尋ねてくる。顔を上げると頭痛に襲われるので、1は片手を動かして否定のジェスチャーを作った。
「時間操作はどうしたのです」
このままでは仕事にならないので、リリスがまっとうな指摘をする。この世界の悪魔の王・ルシファーは、最強ゆえに時間すら意のままにできるのだ。
「おお、忘れてた」
ようやく気がついて、1は己の時を戻す。次の瞬間、彼はすっきりした表情で身を起した。
「まったく……」
「自分のことだと、たまに忘れるんだよなぁ」
呆れ果てて零下の視線を向けてくるリリス。ごまかすように、1は空々しい笑いをこぼした。
「さて、仕事の話に入りましょうか」
1の眼前に、書類の山が震動とともに乗せられる。事務仕事を大の苦手としている1は、それを見るなり顔を引きつらせた。
「二日酔いから解放されたと思ったら次はコレかよ!あ~……早くも次の休日が待ち遠しいぜ」
心底嫌そうに、書類を指でつまむ。複雑なグラフが見えた瞬間、1は目を背けた。読まなくてもわかる。これは、手間がかかる案件だ。
「……ん……休日……」
グラフつきの書類をひらひらとはためかせながら、1はもうあの世界には行けないことに気づく。そのことが原因で、休日の総てをヤケ酒に費やしたことを、彼は思い出した。
「どうかしたか?ルシファー殿」
「何でもねえよ。とっとと片づけるぞ!」
1の様子がいつもと違うことを察し、1ミカが顔を覗き込んでくる。彼女を自分の持ち場へ行くよう促して、1は真面目に書類と向き合いだした。
異世界へ行けないこと、そこで出会った者たちと二度と出会えないこと……それらを面と向かって受け入れるよりは、難解な仕事に打ち込む方が、今の彼にとっては幾分か気が楽だった。
死した咎人たちが、己の犯した罪を償う場所……地獄。悪魔たちによる責め苦を受けて無数の魂が苦痛の呻き声を上げる中、顔色ひとつ変えずに2は地獄各所の視察を行っていた。地獄の王である2にとっては、死者の苦悶も自然の景色と同等にありふれたものだ。
悪魔たちの働きぶりを観察しながら、2は地獄の外れのとある一角へと向かった。そこは、死者の拷問が行われていない地区であり、悪魔たち以外の、神から見放された者たちが住まう区域だった。死者に暴力を振るうことに消極的な者たちや、人々に忘れ去られて力を失った異教の神々が、ここで生活をしている。
「あ、カインアニキ!お疲れっス!」
土木作業に勤しんでいたミノタウロスが、2の姿を認めて声をかけてくる。それが、異世界から連れ帰った荒野の魔物たちのうちのひとりだと気づき、2は彼に近づいた。
「おう。ここには慣れたか?」
「毎日エキサイティングで楽しいっス!悪魔の皆さんもよくしてくださるし!」
ミノタウロスが、力こぶを作って己の元気さをアピールする。今まで、仲間内で固まっていた彼らにとって、地獄の住人たちとの交流は新鮮なのだろう。
「そりゃ良かったな」
荒野の魔物たちが充実した日々を送っていると知り、2は安堵する。彼らを半ば強制的にこの世界に連れてきてしまったのだが、その判断は正解だったようだ。
「アニキ、その……」
「何だ?」
ミノタウロスが、言いにくそうに話を切り出す。
「もし、元の世界に帰りたいって、言ったら……」
「ああ、いつでも帰してやるぜ」
ミノタウロスの問いに、2はあっさりと頷いた。彼としても、魔物たちにここでの生活を強制するつもりはない。自分の意志で、納得して好きなことをやらせるのが、2の舎弟への教育方針だった。
口では楽しいと言いながらも、新しい生活に対する不安があったのだろう。ミノタウロスは、2の答えを聞いて表情を和らげる。
「どうした。帰りたくなったのか?」
「いや、今は別にいいっス。ただ、故郷に残してきたやつら、無事でいるかなーって」
「そうだな……神、今ごろ復活してるだろうな……」
ここからは何も見えないとわかっていても、2は天を仰ぐ。地獄の淀んだ空のずっと先にある天上の世界に住まうのは、彼の世界の神であって、異世界のエルファラ神ではない。
「アニキ達に酷えことする神だ。きっとろくなもんじゃねえ!」
鼻息荒く、ミノタウロスが拳を握りしめる。彼は、他の土木作業員に呼ばれて2に一礼すると、仕事場へ戻って行った。
一人残された2は、神が復活した異世界について思いを馳せる。エルファラ神が、あの世界でどのような統治を行うかは、想像もつかなかった。
ぼんやりと考え事をしている彼の耳に天使の羽音が届いたのは、そんな時だった。見上げると、そこにいたのはよく知った顔。四大天使・ラファエル……立派な口髭が特徴的な、天界でも有力な天使の一人だった。
「ああ、いたいた。探しましたよ、ルシファー」
「てめえ、大天使の分際で気軽に地獄に来んなっつってんだろ?」
口髭の紳士は、2の顔を見るなりうれしそうに微笑む。長きにわたり直接矛を交えていないとはいえ、天使と悪魔が敵同士であることには変わりないというのに、敵地にほいほいとやってくるラファエルの軽率さを2は咎めた。
「私とて、好きでこんなところまで出向いたわけではありません」
2の不機嫌を察し、ラファエルは静かに首を振る。その態度に、いつもとは違う真剣さを感じ、2も話を聞く気になった。
「何かあったのか?」
「実は……メシア様が行方不明なのです。それで、こちらにいらしていないかと思いまして」
「はあ?またかよ、あいつ」
呆れ返り、2は少しでも天使の話に耳を傾けたことを後悔する。メシアというのは、神の後継者であり、天界で神に次ぐ地位にいる男だ。遥か昔に人として人間界に生を受け、大衆に神の教えを広めるという役目を全うしたというのに、何が気に入らないのか天界にはほとんど帰らず、人間界を放浪している。メシアが護衛の天使たちを振り切り、いずこかへ姿を消すのは、よくあることだった。
「あいつももうオトナなんだし、つーかおっさんだし、ほっとけばそのうち帰ってくるだろ」
肩をすくめて、2はラファエルを適当にいなす。メシアの外見は、こう言っては何だがさえない中年であり、そのオーラのなさを生かして人間社会に溶け込むのが彼の得意技だった。そのため、天使たちが多くの人間の中からメシアを見つけるのは、至難の業なのだ。
「ですが、天界と人間界のどちらにも気配が感じられないのですよ!?我々のあずかり知らぬところで迷子になっているのかもしれないと思うと、いてもたってもいられなくて!」
「迷子じゃねえだろ、徘徊だろ」
「メシア様はそこまで老けてはいません!とにかく、心当たりがありましたら、一報をくださいね!」
2が本当に何も知らないのだと確信し、ラファエルは彼に念を押すと、翼を広げて飛び去って行った。
「まったく……天使どもの過保護っぷりも相変わらずだな」
ため息をついて、2は大天使の背中を見送る。外見はさえない中年だが、天使たちにとっては、メシアは人間界でいうところの皇太子である。もし何かあったらと案じる気持ちは分からなくもないけれど、もう少し信頼してやればいいのに、と2は思った。現に、彼の配下の悪魔たちは2の行動を縛ったりはしない。
「何を企んでるのか知らねえが、まあ、しっかりやれよな」
聞こえないことは承知で神の後継者に言い残し、2もまた、仕事に戻るためにその場を後にした。
様々な世界の入り口が垣間見える、次元の通路。そこは、ある意味、もうひとつの宇宙といっても過言ではないかもしれない。暗く、道標がない空間を、3はうろうろと彷徨っていた。
「ああ……やっぱり、あそこ以外の世界の場所なんてわからないよ……カインとシーザー、いつもどこから来ていたんだろう……」
困り果てて、3は、嘆息する。彼は、仕事の合間を縫っては、こうして1と2の世界を探していた。執念である。
「確かに、色々な世界の入り口があるけど、入れないしなあ……」
次元の通路内には、空間を切り裂いたような裂け目がいくつか存在し、仄かな光を放っている。覗き込んでみると、遥か下方に大陸らしきものが見える裂け目がいくつかあるのだが、そこを押し広げて中に入ることは、どうやっても無理だった。唯一、入ることができるのは、自分の世界のみだ。三人が出会った異世界は、この次元の通路内に惑星のようにぷかぷかと浮いているので、入ることに制限はない。
「もし、このまま二人に会えなくなったら、どうしよう」
ふいに心細くなり、3はうなだれる。3ミカの言う通り、1と2は、3と二度と会えなくても平気かもしれないが、彼はそうではない。会わないのと、会えないのでは、全く違うのだ。
「……戻ろう。独りでこうやって彷徨っていると、昔を思い出す」
不安ついでに、忌まわしい過去が3の胸中をよぎる。かつて、独りきりで仲間を探して人間界を何年も旅をして以来、3は孤独をひどく恐れていた。今も、叫びだしたくなるほどの恐怖を必死で押さえ込んでいる。
「シーザー……カイン……」
これ以上は限界だと悟り、3は本日の探索を断念する。ふらふらと自分の世界へ帰っていく彼が、精神的にかなり落ち込んでいるのは明らかだった。
「エスト、遅いなあ……」
窓枠にひじをついて、ため息をこぼす。このまま無為に時間が流れるかのように思われたとき、地面が激しく揺れた。驚いて外を見ると、中央神殿塔がある方向から光が立ち上るところだった。呆気にとられている間にも光はどす黒く変化していき、無数の触手を持つ異形と化す。
「な、何?化け物!?」
驚いて、ユーリスは外へ出た。街では、すでに中枢部の騒ぎが伝わっており、人々が都市の外へ向けて逃げている。触手を繰り出し、建物を破壊する化け物……エルファラ神の姿は、遠く離れた下町でもよく見えた。恐怖によってエルファラ神から目を離せなくなったユーリスだが、なぜか妙な懐かしさを覚えた。自分は、あの怪物をどこかで見たような気がするのだが、どうしても思い出せない。
「頭が、痛いよ……」
くらくらする額を押さえ、ユーリスは俯く。苦悩する彼に、一人の少女が近づいた。
「見ちゃだめ」
隣に立ち、毅然と背筋を伸ばす少女。ユーリスは、彼女が顔見知りの勇者・リルだということにようやく気がついた。
「リル!」
「あれは、あなたとは関係ないわ」
狂ったように暴れているエルファラ神を指さして、リルは断定する。彼女の言葉を聞いているうちに、ユーリスの頭痛は少し和らいだ。
「リル、あの怪物は何なの!?エスト達は無事!?」
「わからない。でも、ここにいると危険」
リルが、ユーリスに避難を呼びかける。エストを置いていけない、と彼が答えようとしたとき、当の彼女の声が空から降ってきた。
「ユーリスー!!」
翼の羽音とともに、銀色の龍が眼前に降り立つ。その背にエストの姿を認め、ユーリスは駆け寄った。
「エスト!」
「無事で良かった……」
安堵して、エストがユーリスを抱きしめる。他にもギャラリーがいるため、ユーリスはエストの温もりにひたるのを我慢して彼女からすぐに離れた。
「それは僕が言いたいよ。おかえり、エスト」
咳払いをして、ユーリスはエストを改めて迎える。彼が照れていることを察して、エストは苦笑した。
「のんびりしている暇はないぞ。今すぐ、ここから離れるんだ」
龍の背に乗ったまま、キリヤが後方を振り返る。エルファラ神の魔手は、下町にまで及ぼうとしていた。中央神殿塔からずるずると移動し、長い身体をさらに伸ばして生ある者たちを捕食しようとしている。
「ちょっと~!そんな大人数、乗せられないわよ!」
ユーリスとリルを見て、銀の龍……ガエネが、悲鳴を上げる。情けない顔つきの彼女をキリヤが叱咤しようとするのを、リルが片手を振って遮った。
「大丈夫。私が彼を運ぶ」
そう言うなり、リルはユーリスの手をとった。青い光が二人を包み込み、彼らの体は宙に浮き上がる。
「うわあ……飛んでる!」
驚いて、ユーリスはまばたきをする。意表を突かれたのは、彼だけではなかった。
「リル、お前飛べたのか」
「女は秘密を簡単に見せないものよ」
目を丸くして、キリヤがリルに問う。口元に指を当てて、リルは彼女にしては珍しく、茶目っ気のある仕草をした。
「それじゃ、行くわよ!」
本格的にエルファラ神の攻撃が届き始めたことを察し、ガエネが再び空へと羽ばたく。
「リル、手を離さないでね」
「もちろん」
頷き合って、リルとユーリスも銀の龍の後を追った。少年と少女が手を繋いで飛翔する光景は、おとぎ話のように幻想的な美しさを持っていたが、下方に広がるのは大都市の無残な瓦礫と人々の悲鳴。
微かな輝きとともに撤退する彼らは、希望と呼ぶにはあまりに頼りなかった。
力こそが正義を信条とする荒廃した世界を、高層ビル『赤龍』が見下ろす。『赤龍』の最上階にて、悪魔の王は二日酔いで執務机に突っ伏していた。
「あ~……あたまいってぇ……」
「ルシファー様、体調管理くらいご自分でなさってください」
執務室でぐったりしている1に、リリスは冷たく言い放つ。今日からまた、地獄を管理するための公務が始まるというのに、あまりに情けない体たらくだ。
「二日酔いの貴殿を初めて見るぞ?一体、どれだけ飲んだんだ」
「覚えてねえ」
1の机に水を置きながら、1の世界のミカエル……略して1ミカが尋ねてくる。顔を上げると頭痛に襲われるので、1は片手を動かして否定のジェスチャーを作った。
「時間操作はどうしたのです」
このままでは仕事にならないので、リリスがまっとうな指摘をする。この世界の悪魔の王・ルシファーは、最強ゆえに時間すら意のままにできるのだ。
「おお、忘れてた」
ようやく気がついて、1は己の時を戻す。次の瞬間、彼はすっきりした表情で身を起した。
「まったく……」
「自分のことだと、たまに忘れるんだよなぁ」
呆れ果てて零下の視線を向けてくるリリス。ごまかすように、1は空々しい笑いをこぼした。
「さて、仕事の話に入りましょうか」
1の眼前に、書類の山が震動とともに乗せられる。事務仕事を大の苦手としている1は、それを見るなり顔を引きつらせた。
「二日酔いから解放されたと思ったら次はコレかよ!あ~……早くも次の休日が待ち遠しいぜ」
心底嫌そうに、書類を指でつまむ。複雑なグラフが見えた瞬間、1は目を背けた。読まなくてもわかる。これは、手間がかかる案件だ。
「……ん……休日……」
グラフつきの書類をひらひらとはためかせながら、1はもうあの世界には行けないことに気づく。そのことが原因で、休日の総てをヤケ酒に費やしたことを、彼は思い出した。
「どうかしたか?ルシファー殿」
「何でもねえよ。とっとと片づけるぞ!」
1の様子がいつもと違うことを察し、1ミカが顔を覗き込んでくる。彼女を自分の持ち場へ行くよう促して、1は真面目に書類と向き合いだした。
異世界へ行けないこと、そこで出会った者たちと二度と出会えないこと……それらを面と向かって受け入れるよりは、難解な仕事に打ち込む方が、今の彼にとっては幾分か気が楽だった。
死した咎人たちが、己の犯した罪を償う場所……地獄。悪魔たちによる責め苦を受けて無数の魂が苦痛の呻き声を上げる中、顔色ひとつ変えずに2は地獄各所の視察を行っていた。地獄の王である2にとっては、死者の苦悶も自然の景色と同等にありふれたものだ。
悪魔たちの働きぶりを観察しながら、2は地獄の外れのとある一角へと向かった。そこは、死者の拷問が行われていない地区であり、悪魔たち以外の、神から見放された者たちが住まう区域だった。死者に暴力を振るうことに消極的な者たちや、人々に忘れ去られて力を失った異教の神々が、ここで生活をしている。
「あ、カインアニキ!お疲れっス!」
土木作業に勤しんでいたミノタウロスが、2の姿を認めて声をかけてくる。それが、異世界から連れ帰った荒野の魔物たちのうちのひとりだと気づき、2は彼に近づいた。
「おう。ここには慣れたか?」
「毎日エキサイティングで楽しいっス!悪魔の皆さんもよくしてくださるし!」
ミノタウロスが、力こぶを作って己の元気さをアピールする。今まで、仲間内で固まっていた彼らにとって、地獄の住人たちとの交流は新鮮なのだろう。
「そりゃ良かったな」
荒野の魔物たちが充実した日々を送っていると知り、2は安堵する。彼らを半ば強制的にこの世界に連れてきてしまったのだが、その判断は正解だったようだ。
「アニキ、その……」
「何だ?」
ミノタウロスが、言いにくそうに話を切り出す。
「もし、元の世界に帰りたいって、言ったら……」
「ああ、いつでも帰してやるぜ」
ミノタウロスの問いに、2はあっさりと頷いた。彼としても、魔物たちにここでの生活を強制するつもりはない。自分の意志で、納得して好きなことをやらせるのが、2の舎弟への教育方針だった。
口では楽しいと言いながらも、新しい生活に対する不安があったのだろう。ミノタウロスは、2の答えを聞いて表情を和らげる。
「どうした。帰りたくなったのか?」
「いや、今は別にいいっス。ただ、故郷に残してきたやつら、無事でいるかなーって」
「そうだな……神、今ごろ復活してるだろうな……」
ここからは何も見えないとわかっていても、2は天を仰ぐ。地獄の淀んだ空のずっと先にある天上の世界に住まうのは、彼の世界の神であって、異世界のエルファラ神ではない。
「アニキ達に酷えことする神だ。きっとろくなもんじゃねえ!」
鼻息荒く、ミノタウロスが拳を握りしめる。彼は、他の土木作業員に呼ばれて2に一礼すると、仕事場へ戻って行った。
一人残された2は、神が復活した異世界について思いを馳せる。エルファラ神が、あの世界でどのような統治を行うかは、想像もつかなかった。
ぼんやりと考え事をしている彼の耳に天使の羽音が届いたのは、そんな時だった。見上げると、そこにいたのはよく知った顔。四大天使・ラファエル……立派な口髭が特徴的な、天界でも有力な天使の一人だった。
「ああ、いたいた。探しましたよ、ルシファー」
「てめえ、大天使の分際で気軽に地獄に来んなっつってんだろ?」
口髭の紳士は、2の顔を見るなりうれしそうに微笑む。長きにわたり直接矛を交えていないとはいえ、天使と悪魔が敵同士であることには変わりないというのに、敵地にほいほいとやってくるラファエルの軽率さを2は咎めた。
「私とて、好きでこんなところまで出向いたわけではありません」
2の不機嫌を察し、ラファエルは静かに首を振る。その態度に、いつもとは違う真剣さを感じ、2も話を聞く気になった。
「何かあったのか?」
「実は……メシア様が行方不明なのです。それで、こちらにいらしていないかと思いまして」
「はあ?またかよ、あいつ」
呆れ返り、2は少しでも天使の話に耳を傾けたことを後悔する。メシアというのは、神の後継者であり、天界で神に次ぐ地位にいる男だ。遥か昔に人として人間界に生を受け、大衆に神の教えを広めるという役目を全うしたというのに、何が気に入らないのか天界にはほとんど帰らず、人間界を放浪している。メシアが護衛の天使たちを振り切り、いずこかへ姿を消すのは、よくあることだった。
「あいつももうオトナなんだし、つーかおっさんだし、ほっとけばそのうち帰ってくるだろ」
肩をすくめて、2はラファエルを適当にいなす。メシアの外見は、こう言っては何だがさえない中年であり、そのオーラのなさを生かして人間社会に溶け込むのが彼の得意技だった。そのため、天使たちが多くの人間の中からメシアを見つけるのは、至難の業なのだ。
「ですが、天界と人間界のどちらにも気配が感じられないのですよ!?我々のあずかり知らぬところで迷子になっているのかもしれないと思うと、いてもたってもいられなくて!」
「迷子じゃねえだろ、徘徊だろ」
「メシア様はそこまで老けてはいません!とにかく、心当たりがありましたら、一報をくださいね!」
2が本当に何も知らないのだと確信し、ラファエルは彼に念を押すと、翼を広げて飛び去って行った。
「まったく……天使どもの過保護っぷりも相変わらずだな」
ため息をついて、2は大天使の背中を見送る。外見はさえない中年だが、天使たちにとっては、メシアは人間界でいうところの皇太子である。もし何かあったらと案じる気持ちは分からなくもないけれど、もう少し信頼してやればいいのに、と2は思った。現に、彼の配下の悪魔たちは2の行動を縛ったりはしない。
「何を企んでるのか知らねえが、まあ、しっかりやれよな」
聞こえないことは承知で神の後継者に言い残し、2もまた、仕事に戻るためにその場を後にした。
様々な世界の入り口が垣間見える、次元の通路。そこは、ある意味、もうひとつの宇宙といっても過言ではないかもしれない。暗く、道標がない空間を、3はうろうろと彷徨っていた。
「ああ……やっぱり、あそこ以外の世界の場所なんてわからないよ……カインとシーザー、いつもどこから来ていたんだろう……」
困り果てて、3は、嘆息する。彼は、仕事の合間を縫っては、こうして1と2の世界を探していた。執念である。
「確かに、色々な世界の入り口があるけど、入れないしなあ……」
次元の通路内には、空間を切り裂いたような裂け目がいくつか存在し、仄かな光を放っている。覗き込んでみると、遥か下方に大陸らしきものが見える裂け目がいくつかあるのだが、そこを押し広げて中に入ることは、どうやっても無理だった。唯一、入ることができるのは、自分の世界のみだ。三人が出会った異世界は、この次元の通路内に惑星のようにぷかぷかと浮いているので、入ることに制限はない。
「もし、このまま二人に会えなくなったら、どうしよう」
ふいに心細くなり、3はうなだれる。3ミカの言う通り、1と2は、3と二度と会えなくても平気かもしれないが、彼はそうではない。会わないのと、会えないのでは、全く違うのだ。
「……戻ろう。独りでこうやって彷徨っていると、昔を思い出す」
不安ついでに、忌まわしい過去が3の胸中をよぎる。かつて、独りきりで仲間を探して人間界を何年も旅をして以来、3は孤独をひどく恐れていた。今も、叫びだしたくなるほどの恐怖を必死で押さえ込んでいる。
「シーザー……カイン……」
これ以上は限界だと悟り、3は本日の探索を断念する。ふらふらと自分の世界へ帰っていく彼が、精神的にかなり落ち込んでいるのは明らかだった。
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- テーマ:自作小説(ファンタジー)
- ジャンル:小説・文学
- カテゴリ:L-Triangle!11
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