L-Triangle!第一部最終話-8
- 2015/03/03
- 20:11
命からがら逃げだしたキリヤ達は、メイルードから徒歩で三日ほどかかるところにある森に身を潜めた。本当ならば、別の大陸まで逃げてしまう方がいいのかもしれないが、エルファラ神の動向がわからなくなるのも、それはそれで不安である。
「さて、どうする」
全員が落ち着いたところを見計らって、キリヤが本題に入る。
「あんな化け物がいるうえ、ロード達も強敵。今の戦力ではどう考えても不利だわ」
エルファラ神の暴れぶりを思い出しながら、エストは眉を寄せた。教会側の戦力は、ロードだけではない。彼と同じく、教祖の力によって人であることをやめてしまった者たちが、今も中央神殿塔の警備に当たっているのだ。
「そうだ、カインお兄ちゃんたちなら、きっと力を貸してくれるよ!」
「そうですね!フォース様なら!」
エストの隣で懸命に知恵を絞っていたユーリスが、頬を紅潮させて挙手をする。レミエルも、すぐさまそれに賛成した。休暇のたびに辺境の街ナンナルを訪れる異世界の魔王たちは、勇者たちをはるかに凌駕する力の持ち主だ。自分の世界のことは自分で解決しろ、と文句を言いつつも、きっと助けになってくれるはずである。
「…………だめよ」
誰もが名案と判じるユーリスの意見に首を振ったのは、リルだった。
「あいつらは、もうこの世界に来ないわ」
「どういうことだ、リル!」
驚いて、キリヤがリルに詰め寄る。他の者たちも、彼ほどではないが動揺していた。
「ナンナルに行ったの。屋敷が焼き払われていた。やったのは教会よ」
「それ、本当なの!?」
エストの問いかけに、リルは、静かに頷く。
「教会に邪神だと公表されて、彼らは去った。見限ったのね。自分たちを迫害した、この世界を」
「そんな……!」
「ちくしょう、何てことをするんだ!」
エストが顔面を蒼白にし、キリヤは怒りに任せて木を殴りつける。三人の魔王たちは、その力の強大さゆえに問題を引き起こすこともあったが、根っからの悪人ではなかった。時に迷惑をかけられ、時に命を助けられ、彼らと絆を育んでいた勇者たちにとって、三人が突然いなくなったことは衝撃だった。
「え?え?じゃあ、フォース様には、二度と会えないってことですか……?」
「そ、そんな……!そんなの、嫌だよ!!」
眼前に突き付けられた事実を受け入れられずに、レミエルとユーリスは情けない顔で狼狽える。3に置き去りにされたことを悟ったレミエルの目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「うわああああああん!」
「レ、レミエル、泣かないで……」
「だって、だってぇ!マリーさんもテルプソロネさんもいなくなって、フォース様も、なんてぇ!」
座り込んで盛大に泣き出したレミエルを、エストが慰める。されど、一度、堰を切ってしまった感情は、そう簡単には止まらない。
「大丈夫よ!あなたには、私たちがいるわ!それに、クレイオだって……」
「そう言えば、クレイオのやつはどこへ行ったんだ」
レミエルは、エストだけではなく、涙をこらえたユーリスにまで慰められている。クレイオの姿がどこにも見当たらないことに気づいたキリヤが、元の大きさに戻って体を休めているガエネに尋ねた。
「さっき、あっちへふらふら~っと歩いて行ったわよ」
けだるそうに首をもたげ、ガエネは森の奥を指し示す。巨大化したうえに人を乗せて何度も往復したため、さすがに体に負担がかかっているらしい。
「……そっか。クレイオは、目の前でお父さんとお母さんを……」
レミエルの髪をなでながら、エストはクレイオに同情する。実を言うと、彼女も親の顔を知らないのだが、家族と呼べる存在はいたので、それを失うつらさはわかる気がした。
泣きじゃくっていたレミエルが、少しは気が済んだのか顔をごしごしと拭って立ちあがる。
「ひっく、ひっく……レミ、クレイオ君のとこ、行ってきます」
「もう大丈夫?」
「はいですぅ。クレイオ君一人じゃ、危ないです」
心配そうなエストに頷いて、レミエルはクレイオの後を追って森の奥へと入って行った。
彼女が大いに取り乱したことにより、返って頭が冷えた一行は、小さな背中を見送る。
「……忘れてた」
ユーリスの隣で膝を抱えてぼんやりと座り込んでいたリルが、思い出したように顔を上げる。全員が注目する中、彼女は真剣な表情で告げた。
「通話の石を壊して。盗聴機能がついている。こっちの情報はだだ漏れよ」
「何だって!?」
あわてて、キリヤとエストは荷物から通話の石を取り出した。意識して石の表面をよく見ると、ランプが赤く点滅している。
「たちの悪い小細工しやがって!」
キリヤとエストは、石を地面に叩きつけた。二人の勇者の怒りを受けて、通話の石はあっさりと粉みじんになる。
「これがついているってことは……ロードのやつ、最初から私たちを敵だと思っていたってわけ……?」
「敵というより、利用価値のある道具ね」
通話の石の残骸を呆然と見ながら、エストが呟く。至極冷静に、リルは彼女なりの見解を述べた。リルが育勇会の一員となったのは、この世界で活動するにあたって必要な情報を得るためだった。ロードと出会ったときから、リルは彼を……というより、教会を全面的に信用しておらず、彼女が今まで、極力無口でいたのも、盗聴されて余計な情報を漏らすのを危惧したからである。
「信じていたのに……許せない!」
リルとは違い、教会を純粋な正義の組織だと思っていたエストは、憤怒とともに拳を握りしめていた。
森の中でひときわ高い木に上って、クレイオはぼんやりとしていた。彼の視線の先には、メイルードがある。エルファラ神の巨大な影が、はるか遠くで蠢いた。
「クレイオ君……」
名を呼ばれ、驚いて振り向く。レミエルが、翼を広げてよろよろと飛んできた。
「ああ……って、目が真っ赤だぞ?泣いたのか?」
レミエルを隣の枝に座らせながら、クレイオが顔を覗き込む。何となく恥ずかしくなって、レミエルは俯いた。
「だって、マリーさんとテルプソロネさんが……」
「そうだな。レミエルは、マリーに懐いていたものな」
寂しげに微笑んで、クレイオがレミエルの髪をぐしゃぐしゃと乱す。クレイオの優しさに、レミエルは罪悪感を覚えた。
「ごめんなさいです。クレイオ君の方が、ずっとつらいのに」
「いいさ。俺、不器用だからうまく悲しめないし。俺の分まで、盛大に泣いてくれたと思えば」
「…………」
クレイオの許しを得ても、レミエルの表情は晴れない。本来ならば、自分の方こそが彼を勇気づける役だというのに、うまく言葉が浮かんでこなかった。クレイオとレミエルは、しばし並んで景色を眺める。大都市メイルードは、ほぼ壊滅状態であり、あちこちで煙が上がっていた。
「さっきから、何を見ているんですかぁ?」
痛々しい破壊跡を黙々と観察するのがつらくなり、レミエルはクレイオに問う。眼前に広がる景観を通り越してどこか別次元のものに接するような眼差しで、彼は答えた。
「見ているんじゃなくて、聞いているんだ。総本山の方から、微かに歌声が聞こえる気がして……」
「歌、ですか。レミには、何も聞こえませんけど……」
クレイオに倣って、レミエルも耳を澄ませてみるが、彼女の耳には不気味な風の音以外、入ってこない。
「いや、確かに『彼』は歌っている。さすが、君は耳がいいね」
「!」
ふいに声をかけられ、クレイオは木から落ちそうになった。どうにか幹にしがみついて、隣の樹木に目を向けると、いつの間に登って来たのか、四十代半ばのさえない中年の男が、枝に腰掛けていた。
「おじさん、誰ですかぁ?」
さしたる警戒心もなく、レミエルが尋ねる。少女の無邪気かつ残酷な問いかけに、中年の男は大げさに肩を落した。
「初対面でおじさんはひどいなぁ……まあ、おじさんだけど」
すねたように、中年の男は木の幹にのの字を書く。自身はもう若くないと認めてはいるものの、心のどこかに抵抗があるらしい。
「何者だ……教会の追手か!?」
レミエルをかばいながら、クレイオは男を警戒する。いざとなったら、彼女だけでも逃がすつもりだった。
「教会は教会でも、宗派が全然違う教会の手の者だよ」
「何だって?」
「いやいや、今はそんなことどうでもいいね。私にとっては大事なことだけどね」
険しい表情のクレイオに、中年の男はわけのわからないことを言う。男のあまりにさえない様子に、敵対心が萎えていくのをクレイオは感じていた。戦いが得意ではない彼だが、目の前の中年にならば肉弾戦で勝てる。そんな気がする。
「私は、君たちの味方だよ。いいことを教えてあげようと思って来たんだ。あの神のできそこないをどうにかする方法、知りたくないかい?」
両手を広げて武器を所持していないことを示しながら、男が用件を告げる。神のできそこない、というのは、今もなお人の魂を吸収し続けているエルファラのことだろう。
「……話を聞こうか」
少しだけ興味を惹かれ、クレイオは彼の話に耳を傾けた。エルファラ神を打倒する方法があるのならば、知りたいと思うのは当然のことである。上機嫌で頷いて、中年の男は話し始めた。
「この世界は、魔王が現れると、必ずそれを打倒すべく運命づけられた勇者が召喚される。誰が決めたのかは知らないが、そんな風にして成り立っているよね。
そして、アレは魔王だ。ということは、これからどうなるかわかるかい?」
エルファラ神を指さして、中年の男がクレイオに問う。その答えは、この世界に住む者ならば簡単に導き出せるものだった。
「まさか、勇者が召喚される……?」
「そう。きっと、すごいのが来るよ」
自信ありげに、男はクレイオの予測を肯定する。
「じゃあ、それを待っていればいいんですかぁ?」
目を瞬かせて、レミエルが疑問を投げかけた。勇者が現れてすべてを解決してくれるのならば、心強いことこの上ない。されど、中年の男は気の毒そうに首を振った。
「それじゃあ、遅い。その前に、世界中をアレに食い尽くされてしまう」
「どうすればいいんだ?」
今度は、クレイオが身を乗り出した。中年の男は、彼にとってうさんくさいことこの上ないが、彼の言葉を完全に否定できる根拠は持ち合わせていない。中年の男は、懐から地図を取り出して、メモを書きはじめた。
「ここに召喚の魔法陣が出るから、君たちはそこに行って、召喚を早めるんだ」
クレイオに向かって、地図が差し出される。そこにつけられた印を見て、クレイオは目を疑った。
「ここ……中央神殿塔だぞ!?」
「ここで、おじさん特製の聖具を捧げればいい」
続けて、中年の男はクレイオとレミエルに三つの円筒型の容器を手渡した。その中身は密封されており、上部にプルタブがついている。
「何だこりゃ?缶詰?」
訝しげに、クレイオは缶詰を振る。中には何かが隙間なくぎっしり詰まっているようで、音がしなかった。
「あ、レミエルも知ってますぅ!美味しいですよね」
目を輝かせて、レミエルがつばを飲み込む。彼女が生まれた世界にも、果物や魚が入った缶詰は存在していた。
「この缶詰を、魔法陣が出現するだろうこの場所で開けるんだ。簡単だろう?」
「場所が場所なだけに難易度が跳ね上がるんだが……」
にこやかに、中年の男が聞いてくる。クレイオとしては、とてもではないが同意できなかった。中央神殿塔は、メイルードの中枢に位置する巨大な施設であり、つい先ほど彼らが教会の猛攻から逃げ出した場所でもある。言うなれば、そこは敵の本陣も同然であり、塔に侵入するためには、エルファラ神と、ロードら騎士たちの包囲網と突破しなければならないだろう。
「そういうことだから。じゃ、頑張ってね」
「お、おい!?」
「もう行っちゃうんですかぁ?」
用事を終えて、男は木から飛び降りようとする。二人があわてて引き止めると、彼は何かを思い出したらしく、手を叩いた。
「あ、忘れてた。君、歌声をちゃんと聞いて。そしたら、君しかできない役割が見つかるから」
「はあ?」
意味不明な助言に、クレイオは怪訝な顔つきになる。彼の反応が思わしくないことを歯牙にもかけず、中年の男はレミエルの方を向いた。
「それと、君。自分ができることを、ちゃんとやりなさい」
「ほええ!?」
なぜか怒られているような気がして、レミエルは困惑する。彼女は、自身が非力であることを十分に分かっており、勝手な行動を慎んでいるというのに、これ以上何をせよと言うのか。
「最大浄化さ。君も元々は上級天使だったんだ、できるはずだよ?」
「最大浄化って、あのフォース様やミカエル様がやっているすごいのですか!?レミ、そんなのできないですよぉ!」
中年の男の言葉は、レミエルを更なる混乱に突き落とした。
彼女の世界の天使と悪魔は、神から授けられた『浄化』という力で、触れた物質を一番いい状態にすることができる。傷の治療も、物体の修復もお手のものだ。そして、上級天使のみが使える『最大浄化』は、対象の限界を超えて更なる高位の物体へと昇華させる力だった。『最大浄化』をかけられた者は、たいていの場合、力に耐え切れず肉体を失い、新たな魂へと転生する。だが、『最大浄化』に耐えて別の存在に進化した者も、少なからずいるのだという。
『最大浄化』は、術者自身にすらどのような変化が起こるか予測できないという、不安定な力だった。
「その二人にも伝えておいて。最大浄化をうまくやるコツは、アガペーだって」
「あがぺー?」
わざとか、それとも天然か、中年の男はさらに謎めいたことを言う。レミエルの頭は、もはやパンクしそうだった。
「愛だよ。万人に対する、無償の愛。じゃ、今度こそ本当にばいばい」
そして、完全に言いたいことを言いきった中年の男は、木から飛び降りた。ここから地上まではかなりの高度があるため、クレイオは不安になったのだが、悲鳴らしきものはいつまでたっても聞こえてこなかった。どうやら、無事に着地して去って行ったらしい。
「な、何だかすごいことをいっぱい教えてもらいましたよぉ!」
脳のキャパシティを超えた情報量にくらくらしながらも、レミエルは無邪気に喜ぶ。
「とりあえず、みんなに報告しに行くか……」
困惑しているのは、クレイオも同じである。疑問は山ほどあるが、独りで悩んでいてもどうにもならないと判断し、彼もゆっくりと木から降りはじめた。
キリヤ達のところに戻ったクレイオは、中年の男から聞いた情報を報告した。
「それ、本当なの……?」
にわかに信じがたい話の連続に、エストは困惑を隠しきれずにいる。
「罠の可能性もあるな」
キリヤもまた、消極的な反応を示した。中年の男は教会の手の者で、彼らをエルファラ神の餌とするためにおびき寄せようとしているのかもしれないのだ。脳天気に中年の男の策に乗るのは、リスクが高すぎる。
「…………」
勇者たちが及び腰になっている中、缶詰と地図に手を伸ばしたのは、リルだった。細い腕にそれらを抱えて、歩きはじめる。
「ちょっと……どこへ行くの!?」
「本当かどうか、確かめに行くのよ」
「ひとりで行くつもり!?危険すぎるわよ!」
「だから私ひとりで行くの。足手まといはいらない」
エストが制止の声を上げるが、リルは聞き入れない。それどころか、侮蔑の視線を向けて挑発してくる始末だ。
「……言ってくれるな。俺も行く」
こうも見下されては黙っていることはできず、キリヤが不敵に笑って立ち上がる。
「待ってよ!あたしも行く!」
「勇者全員が行ったら、誰がその子を守るの」
キリヤに続いて名乗りを上げるエストを、リルが咎める。彼女の指の先には、不安そうな顔のユーリスがいた。
「その二人じゃ、どうにもならないわ。教会に見つかったら、人質にされるのがオチよ」
クレイオとレミエルを見遣り、リルは冷静に判断を下す。
「確かに、俺は戦いは苦手だ……」
「……レミも……」
どうにか反論したいものの、自身の非力は覆せず、クレイオは素直に認める。隣で、レミエルもしょんぼりと肩を落した。
「誰か戦える者が、最低一人は残るべきよ」
二人のことを責めるつもりはないらしく、リルは淡々と案を出す。
「だったら、エストで決まりだな」
「あたしが!?」
「勇者の中じゃ一番弱いだろ」
リルの作戦に賛同して、キリヤがエストの肩を叩く。あんまりな言いように、一瞬、頭に血が上りかけたエストだが、ユーリスのためにもそれが最善手だと思い直し、怒りを抑え込んだ。
「……悔しいけど確かにそうね。わかったわ、彼らの安全は任せて」
「すまないな、足手まといになって」
申し訳なさそうに、クレイオが頭を下げる。気にしないで、とエストは彼に笑いかけた。敵と戦うだけでなく、誰かを守るのも勇者としての立派な使命である。
「じゃ、行くか」
数分の打ち合わせの後、キリヤが巨大化したガエネにまたがった。その横で、リルはふわりと宙に浮く。
「気をつけてね!」
エストたちの激励を受けて、キリヤ、ガエネ、エストは中央神殿塔に向かって飛翔する。ルシファー達がいない今、世界の命運は、彼らに託されたも同然だった。
「さて、どうする」
全員が落ち着いたところを見計らって、キリヤが本題に入る。
「あんな化け物がいるうえ、ロード達も強敵。今の戦力ではどう考えても不利だわ」
エルファラ神の暴れぶりを思い出しながら、エストは眉を寄せた。教会側の戦力は、ロードだけではない。彼と同じく、教祖の力によって人であることをやめてしまった者たちが、今も中央神殿塔の警備に当たっているのだ。
「そうだ、カインお兄ちゃんたちなら、きっと力を貸してくれるよ!」
「そうですね!フォース様なら!」
エストの隣で懸命に知恵を絞っていたユーリスが、頬を紅潮させて挙手をする。レミエルも、すぐさまそれに賛成した。休暇のたびに辺境の街ナンナルを訪れる異世界の魔王たちは、勇者たちをはるかに凌駕する力の持ち主だ。自分の世界のことは自分で解決しろ、と文句を言いつつも、きっと助けになってくれるはずである。
「…………だめよ」
誰もが名案と判じるユーリスの意見に首を振ったのは、リルだった。
「あいつらは、もうこの世界に来ないわ」
「どういうことだ、リル!」
驚いて、キリヤがリルに詰め寄る。他の者たちも、彼ほどではないが動揺していた。
「ナンナルに行ったの。屋敷が焼き払われていた。やったのは教会よ」
「それ、本当なの!?」
エストの問いかけに、リルは、静かに頷く。
「教会に邪神だと公表されて、彼らは去った。見限ったのね。自分たちを迫害した、この世界を」
「そんな……!」
「ちくしょう、何てことをするんだ!」
エストが顔面を蒼白にし、キリヤは怒りに任せて木を殴りつける。三人の魔王たちは、その力の強大さゆえに問題を引き起こすこともあったが、根っからの悪人ではなかった。時に迷惑をかけられ、時に命を助けられ、彼らと絆を育んでいた勇者たちにとって、三人が突然いなくなったことは衝撃だった。
「え?え?じゃあ、フォース様には、二度と会えないってことですか……?」
「そ、そんな……!そんなの、嫌だよ!!」
眼前に突き付けられた事実を受け入れられずに、レミエルとユーリスは情けない顔で狼狽える。3に置き去りにされたことを悟ったレミエルの目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「うわああああああん!」
「レ、レミエル、泣かないで……」
「だって、だってぇ!マリーさんもテルプソロネさんもいなくなって、フォース様も、なんてぇ!」
座り込んで盛大に泣き出したレミエルを、エストが慰める。されど、一度、堰を切ってしまった感情は、そう簡単には止まらない。
「大丈夫よ!あなたには、私たちがいるわ!それに、クレイオだって……」
「そう言えば、クレイオのやつはどこへ行ったんだ」
レミエルは、エストだけではなく、涙をこらえたユーリスにまで慰められている。クレイオの姿がどこにも見当たらないことに気づいたキリヤが、元の大きさに戻って体を休めているガエネに尋ねた。
「さっき、あっちへふらふら~っと歩いて行ったわよ」
けだるそうに首をもたげ、ガエネは森の奥を指し示す。巨大化したうえに人を乗せて何度も往復したため、さすがに体に負担がかかっているらしい。
「……そっか。クレイオは、目の前でお父さんとお母さんを……」
レミエルの髪をなでながら、エストはクレイオに同情する。実を言うと、彼女も親の顔を知らないのだが、家族と呼べる存在はいたので、それを失うつらさはわかる気がした。
泣きじゃくっていたレミエルが、少しは気が済んだのか顔をごしごしと拭って立ちあがる。
「ひっく、ひっく……レミ、クレイオ君のとこ、行ってきます」
「もう大丈夫?」
「はいですぅ。クレイオ君一人じゃ、危ないです」
心配そうなエストに頷いて、レミエルはクレイオの後を追って森の奥へと入って行った。
彼女が大いに取り乱したことにより、返って頭が冷えた一行は、小さな背中を見送る。
「……忘れてた」
ユーリスの隣で膝を抱えてぼんやりと座り込んでいたリルが、思い出したように顔を上げる。全員が注目する中、彼女は真剣な表情で告げた。
「通話の石を壊して。盗聴機能がついている。こっちの情報はだだ漏れよ」
「何だって!?」
あわてて、キリヤとエストは荷物から通話の石を取り出した。意識して石の表面をよく見ると、ランプが赤く点滅している。
「たちの悪い小細工しやがって!」
キリヤとエストは、石を地面に叩きつけた。二人の勇者の怒りを受けて、通話の石はあっさりと粉みじんになる。
「これがついているってことは……ロードのやつ、最初から私たちを敵だと思っていたってわけ……?」
「敵というより、利用価値のある道具ね」
通話の石の残骸を呆然と見ながら、エストが呟く。至極冷静に、リルは彼女なりの見解を述べた。リルが育勇会の一員となったのは、この世界で活動するにあたって必要な情報を得るためだった。ロードと出会ったときから、リルは彼を……というより、教会を全面的に信用しておらず、彼女が今まで、極力無口でいたのも、盗聴されて余計な情報を漏らすのを危惧したからである。
「信じていたのに……許せない!」
リルとは違い、教会を純粋な正義の組織だと思っていたエストは、憤怒とともに拳を握りしめていた。
森の中でひときわ高い木に上って、クレイオはぼんやりとしていた。彼の視線の先には、メイルードがある。エルファラ神の巨大な影が、はるか遠くで蠢いた。
「クレイオ君……」
名を呼ばれ、驚いて振り向く。レミエルが、翼を広げてよろよろと飛んできた。
「ああ……って、目が真っ赤だぞ?泣いたのか?」
レミエルを隣の枝に座らせながら、クレイオが顔を覗き込む。何となく恥ずかしくなって、レミエルは俯いた。
「だって、マリーさんとテルプソロネさんが……」
「そうだな。レミエルは、マリーに懐いていたものな」
寂しげに微笑んで、クレイオがレミエルの髪をぐしゃぐしゃと乱す。クレイオの優しさに、レミエルは罪悪感を覚えた。
「ごめんなさいです。クレイオ君の方が、ずっとつらいのに」
「いいさ。俺、不器用だからうまく悲しめないし。俺の分まで、盛大に泣いてくれたと思えば」
「…………」
クレイオの許しを得ても、レミエルの表情は晴れない。本来ならば、自分の方こそが彼を勇気づける役だというのに、うまく言葉が浮かんでこなかった。クレイオとレミエルは、しばし並んで景色を眺める。大都市メイルードは、ほぼ壊滅状態であり、あちこちで煙が上がっていた。
「さっきから、何を見ているんですかぁ?」
痛々しい破壊跡を黙々と観察するのがつらくなり、レミエルはクレイオに問う。眼前に広がる景観を通り越してどこか別次元のものに接するような眼差しで、彼は答えた。
「見ているんじゃなくて、聞いているんだ。総本山の方から、微かに歌声が聞こえる気がして……」
「歌、ですか。レミには、何も聞こえませんけど……」
クレイオに倣って、レミエルも耳を澄ませてみるが、彼女の耳には不気味な風の音以外、入ってこない。
「いや、確かに『彼』は歌っている。さすが、君は耳がいいね」
「!」
ふいに声をかけられ、クレイオは木から落ちそうになった。どうにか幹にしがみついて、隣の樹木に目を向けると、いつの間に登って来たのか、四十代半ばのさえない中年の男が、枝に腰掛けていた。
「おじさん、誰ですかぁ?」
さしたる警戒心もなく、レミエルが尋ねる。少女の無邪気かつ残酷な問いかけに、中年の男は大げさに肩を落した。
「初対面でおじさんはひどいなぁ……まあ、おじさんだけど」
すねたように、中年の男は木の幹にのの字を書く。自身はもう若くないと認めてはいるものの、心のどこかに抵抗があるらしい。
「何者だ……教会の追手か!?」
レミエルをかばいながら、クレイオは男を警戒する。いざとなったら、彼女だけでも逃がすつもりだった。
「教会は教会でも、宗派が全然違う教会の手の者だよ」
「何だって?」
「いやいや、今はそんなことどうでもいいね。私にとっては大事なことだけどね」
険しい表情のクレイオに、中年の男はわけのわからないことを言う。男のあまりにさえない様子に、敵対心が萎えていくのをクレイオは感じていた。戦いが得意ではない彼だが、目の前の中年にならば肉弾戦で勝てる。そんな気がする。
「私は、君たちの味方だよ。いいことを教えてあげようと思って来たんだ。あの神のできそこないをどうにかする方法、知りたくないかい?」
両手を広げて武器を所持していないことを示しながら、男が用件を告げる。神のできそこない、というのは、今もなお人の魂を吸収し続けているエルファラのことだろう。
「……話を聞こうか」
少しだけ興味を惹かれ、クレイオは彼の話に耳を傾けた。エルファラ神を打倒する方法があるのならば、知りたいと思うのは当然のことである。上機嫌で頷いて、中年の男は話し始めた。
「この世界は、魔王が現れると、必ずそれを打倒すべく運命づけられた勇者が召喚される。誰が決めたのかは知らないが、そんな風にして成り立っているよね。
そして、アレは魔王だ。ということは、これからどうなるかわかるかい?」
エルファラ神を指さして、中年の男がクレイオに問う。その答えは、この世界に住む者ならば簡単に導き出せるものだった。
「まさか、勇者が召喚される……?」
「そう。きっと、すごいのが来るよ」
自信ありげに、男はクレイオの予測を肯定する。
「じゃあ、それを待っていればいいんですかぁ?」
目を瞬かせて、レミエルが疑問を投げかけた。勇者が現れてすべてを解決してくれるのならば、心強いことこの上ない。されど、中年の男は気の毒そうに首を振った。
「それじゃあ、遅い。その前に、世界中をアレに食い尽くされてしまう」
「どうすればいいんだ?」
今度は、クレイオが身を乗り出した。中年の男は、彼にとってうさんくさいことこの上ないが、彼の言葉を完全に否定できる根拠は持ち合わせていない。中年の男は、懐から地図を取り出して、メモを書きはじめた。
「ここに召喚の魔法陣が出るから、君たちはそこに行って、召喚を早めるんだ」
クレイオに向かって、地図が差し出される。そこにつけられた印を見て、クレイオは目を疑った。
「ここ……中央神殿塔だぞ!?」
「ここで、おじさん特製の聖具を捧げればいい」
続けて、中年の男はクレイオとレミエルに三つの円筒型の容器を手渡した。その中身は密封されており、上部にプルタブがついている。
「何だこりゃ?缶詰?」
訝しげに、クレイオは缶詰を振る。中には何かが隙間なくぎっしり詰まっているようで、音がしなかった。
「あ、レミエルも知ってますぅ!美味しいですよね」
目を輝かせて、レミエルがつばを飲み込む。彼女が生まれた世界にも、果物や魚が入った缶詰は存在していた。
「この缶詰を、魔法陣が出現するだろうこの場所で開けるんだ。簡単だろう?」
「場所が場所なだけに難易度が跳ね上がるんだが……」
にこやかに、中年の男が聞いてくる。クレイオとしては、とてもではないが同意できなかった。中央神殿塔は、メイルードの中枢に位置する巨大な施設であり、つい先ほど彼らが教会の猛攻から逃げ出した場所でもある。言うなれば、そこは敵の本陣も同然であり、塔に侵入するためには、エルファラ神と、ロードら騎士たちの包囲網と突破しなければならないだろう。
「そういうことだから。じゃ、頑張ってね」
「お、おい!?」
「もう行っちゃうんですかぁ?」
用事を終えて、男は木から飛び降りようとする。二人があわてて引き止めると、彼は何かを思い出したらしく、手を叩いた。
「あ、忘れてた。君、歌声をちゃんと聞いて。そしたら、君しかできない役割が見つかるから」
「はあ?」
意味不明な助言に、クレイオは怪訝な顔つきになる。彼の反応が思わしくないことを歯牙にもかけず、中年の男はレミエルの方を向いた。
「それと、君。自分ができることを、ちゃんとやりなさい」
「ほええ!?」
なぜか怒られているような気がして、レミエルは困惑する。彼女は、自身が非力であることを十分に分かっており、勝手な行動を慎んでいるというのに、これ以上何をせよと言うのか。
「最大浄化さ。君も元々は上級天使だったんだ、できるはずだよ?」
「最大浄化って、あのフォース様やミカエル様がやっているすごいのですか!?レミ、そんなのできないですよぉ!」
中年の男の言葉は、レミエルを更なる混乱に突き落とした。
彼女の世界の天使と悪魔は、神から授けられた『浄化』という力で、触れた物質を一番いい状態にすることができる。傷の治療も、物体の修復もお手のものだ。そして、上級天使のみが使える『最大浄化』は、対象の限界を超えて更なる高位の物体へと昇華させる力だった。『最大浄化』をかけられた者は、たいていの場合、力に耐え切れず肉体を失い、新たな魂へと転生する。だが、『最大浄化』に耐えて別の存在に進化した者も、少なからずいるのだという。
『最大浄化』は、術者自身にすらどのような変化が起こるか予測できないという、不安定な力だった。
「その二人にも伝えておいて。最大浄化をうまくやるコツは、アガペーだって」
「あがぺー?」
わざとか、それとも天然か、中年の男はさらに謎めいたことを言う。レミエルの頭は、もはやパンクしそうだった。
「愛だよ。万人に対する、無償の愛。じゃ、今度こそ本当にばいばい」
そして、完全に言いたいことを言いきった中年の男は、木から飛び降りた。ここから地上まではかなりの高度があるため、クレイオは不安になったのだが、悲鳴らしきものはいつまでたっても聞こえてこなかった。どうやら、無事に着地して去って行ったらしい。
「な、何だかすごいことをいっぱい教えてもらいましたよぉ!」
脳のキャパシティを超えた情報量にくらくらしながらも、レミエルは無邪気に喜ぶ。
「とりあえず、みんなに報告しに行くか……」
困惑しているのは、クレイオも同じである。疑問は山ほどあるが、独りで悩んでいてもどうにもならないと判断し、彼もゆっくりと木から降りはじめた。
キリヤ達のところに戻ったクレイオは、中年の男から聞いた情報を報告した。
「それ、本当なの……?」
にわかに信じがたい話の連続に、エストは困惑を隠しきれずにいる。
「罠の可能性もあるな」
キリヤもまた、消極的な反応を示した。中年の男は教会の手の者で、彼らをエルファラ神の餌とするためにおびき寄せようとしているのかもしれないのだ。脳天気に中年の男の策に乗るのは、リスクが高すぎる。
「…………」
勇者たちが及び腰になっている中、缶詰と地図に手を伸ばしたのは、リルだった。細い腕にそれらを抱えて、歩きはじめる。
「ちょっと……どこへ行くの!?」
「本当かどうか、確かめに行くのよ」
「ひとりで行くつもり!?危険すぎるわよ!」
「だから私ひとりで行くの。足手まといはいらない」
エストが制止の声を上げるが、リルは聞き入れない。それどころか、侮蔑の視線を向けて挑発してくる始末だ。
「……言ってくれるな。俺も行く」
こうも見下されては黙っていることはできず、キリヤが不敵に笑って立ち上がる。
「待ってよ!あたしも行く!」
「勇者全員が行ったら、誰がその子を守るの」
キリヤに続いて名乗りを上げるエストを、リルが咎める。彼女の指の先には、不安そうな顔のユーリスがいた。
「その二人じゃ、どうにもならないわ。教会に見つかったら、人質にされるのがオチよ」
クレイオとレミエルを見遣り、リルは冷静に判断を下す。
「確かに、俺は戦いは苦手だ……」
「……レミも……」
どうにか反論したいものの、自身の非力は覆せず、クレイオは素直に認める。隣で、レミエルもしょんぼりと肩を落した。
「誰か戦える者が、最低一人は残るべきよ」
二人のことを責めるつもりはないらしく、リルは淡々と案を出す。
「だったら、エストで決まりだな」
「あたしが!?」
「勇者の中じゃ一番弱いだろ」
リルの作戦に賛同して、キリヤがエストの肩を叩く。あんまりな言いように、一瞬、頭に血が上りかけたエストだが、ユーリスのためにもそれが最善手だと思い直し、怒りを抑え込んだ。
「……悔しいけど確かにそうね。わかったわ、彼らの安全は任せて」
「すまないな、足手まといになって」
申し訳なさそうに、クレイオが頭を下げる。気にしないで、とエストは彼に笑いかけた。敵と戦うだけでなく、誰かを守るのも勇者としての立派な使命である。
「じゃ、行くか」
数分の打ち合わせの後、キリヤが巨大化したガエネにまたがった。その横で、リルはふわりと宙に浮く。
「気をつけてね!」
エストたちの激励を受けて、キリヤ、ガエネ、エストは中央神殿塔に向かって飛翔する。ルシファー達がいない今、世界の命運は、彼らに託されたも同然だった。
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