L-Triangle!第一部最終話-10
- 2015/03/07
- 20:31
キリヤとロードが死闘を繰り広げている間、中央神殿塔の外も戦場と化していた。侵入者であるリルとガエネを神に捧げるべく、騎士たちは二手に分かれてそれぞれを包囲する。
倒しても倒しても起き上がってくる騎士たちに、ガエネは辟易していた。教祖の秘術で人形と化した騎士たちは疲れを知らず、多少の傷を負っても平然としている。
龍の尾撃によって脚を壊された騎士たちが腕だけで這いずり回り、体にまとわりつこうとするのを、嫌悪のあまり身震いしながらガエネは振り払った。
「もう……いい加減にしなさーい!!」
大きく息を吸って、ガエネは一喝とともに高温のブレスを吐く。炎の直撃を受けた騎士たちは灰になり、二度と動けない状態になったが、中途半端な焼け具合の者たちは火を纏いながらガエネにしがみついてきた。
「あっつい!しかもキモい!!」
悲鳴を上げて、ガエネは暴れ回る。あえて口には出さないが、彼女の体力も限界に来ていた。このままでは、あとわずかで元のカラスほどの大きさに戻ってしまう。ガエネは、少し離れたところで教祖シュトラーセと対峙しているリルに視線を向けた。あちらも、戦況は膠着状態のようだ。リルの鉄球付きの杖……モーニングスターの攻撃は、騎士がかばうせいで教祖に当たらない。一方、シュトラーセの方もリルを殺すつもりはないらしく、時折、鋼線を振るっては、彼女をじわじわと追いつめていた。
「……なぜ、あの化け物に加担するの」
騎士たちをモーニングスターで打ち倒しながら、リルはシュトラーセに尋ねる。返事の代わりに鋼の糸がリルの腕めがけて放たれるが、直線的な動きを彼女はすでに見切っていた。
「この世界には、神がいない。そんなことがあっていいはずがないのです。エルファラ様が神となってくだされば、世界は完全なものとなる。素晴らしいことではありませんか」
唄うように、シュトラーセはリルの疑問に答える。自分が統治していた大都市を完膚なきまで破壊され、多くの信徒を失ってもなお、シュトラーセは神を崇拝しているようだ。彼が元いた世界の神は、おそらく絶対的な力を持っていたのだろう。陶酔しきって理想を語る教祖を、リルは侮蔑のこもった目で見下した。
「いいじゃないの、神がいなくたって」
「何ですって?」
「私の世界にも、神なんかいないわ」
反論され、不愉快そうに顔をしかめるシュトラーセに、リルは淡々と告げる。リルの世界は、悪魔王ルシファーと神の激闘により総てが無に還ったため、神どころか大陸や空すらもない。あるのは、どうにかして復活しようと画策する神とルシファーの、目に見えない意志のみだ。
「この世界は、神がいなくても十分にやっていけている。貴方がしているのは、単なるお節介よ」
背後から忍び寄ろうとしていた騎士を、リルは厚底ブーツで蹴り飛ばす。跳躍したついでに、何人かの騎士の頭を踏みつけて、彼女は優雅に着地した。彼女の動きを目で追いかけるシュトラーセを、嘲りとともに鼻で笑う。それは、あからさまな挑発行為だった。
「黙りなさい。神がいない世界など、私は認めない!」
小娘ごときになめきった態度をとられたことを看過できず、シュトラーセは騎士たちをリルに差し向ける。軽快な動きとモーニングスターで騎士たちをなぎ倒すリルだったが、敵のあまりの多さに、一瞬、教祖から注意が逸れた。
死角から放たれた鋼線が、リルの肩に突き刺さる。
「…………っ!」
痛みに顔をしかめ、リルは鋼線を抜こうとする。そうしている間に、教祖がもう片方の手で操る鋼の糸が、リルの体に巻きついた。
「しまった……!」
「やっと捕まえましたよ。まったく、お転婆にも程がある」
動くことができないリルを、だめ押しをするように騎士たちが羽交い絞めにする。リルが完全に拘束されたのを見計らい、教祖は彼女にゆっくりと近づいた。
「貴女の魂を捧げれば、神もお喜びになることでしょう。光栄に思いなさい」
「…………誰が」
歯ぎしりしながら、リルは教祖に言い返す。しかし、現状で達者に動かせるのは、口だけだった。喜悦の笑みを浮かべて、シュトラーセは懐から封印のクリスタルを取り出し、掲げる。
「神よ!この力、貴方のためにお役立てください!」
シュトラーセの呼び声に応え、クリスタルが光を放つ。敗北感が、リルの胸を満たした。死ぬことは、怖くはない。彼女がいなくなったとしても、姉のミナや、他の世界で活動しているだろうルシファーの分体たちがいる限り、本体を復活させるための活動には支障ないはずだ。だからこそ、リルはクレイオ達が出会ったという中年の男の策に乗ったのである。
されど、全身を駆け巡る怒りと悔しさだけは、どうにもならない。魂を喰らうだけの獣を妄信する変態に負けるなど、彼女のプライド的にありえない話だった。
封印のクリスタルは、リルを取り込もうと輝きを強めていく。無力化した美しい少女を神に捧げる行為に、教祖を始めとする誰もが没頭していた。
そんな状況だったので、新たなる敵の接近にシュトラーセが気づいたのは、その身を背中から貫かれたときだった。
「がはっ……!」
シュトラーセの口から、大量の血が吐き出される。彼の胸元に、血まみれの白い手が生えていた。
「おや、君は人形になっていなかったんだね。この感触は予想外だよ」
教祖の背後にいる人物が、くぐもった笑みを漏らす。それは、澄んだ少女の声だった。
「き、さま……!」
額に汗を浮かべながら、教祖は振り返ろうとする。次の瞬間、彼を貫いていた手は一気に引き抜かれ、その反動で教祖は地面にうずくまった。
「黙れ」
冷たく言い放ち、ミナはシュトラーセの後頭部を踏みつける。果実が砕けるような音がして、教祖は完全に沈黙した。
「お姉ちゃん!」
シュトラーセの陰から現れたミナに、リルは驚いて呼びかける。妹を安心させるように片目をつぶり、ミナは無造作に手刀を振るった。リルを拘束していた騎士たちが、ミナの手から放たれた不可視の刃によって首を斬り落とされて床に転がる。
「ありがとうお姉ちゃん、助かった」
ようやく解放されたリルは、ミナに礼を言う。姉はこの戦いに手を貸さないと宣言していたので、彼女の助太刀は予想外だった。
「さすがに妹に手を出されたら、お姉ちゃんとしては黙っていられないよ」
リルの頭をぽんぽんと叩きながら、ミナは飄々と肩をすくめる。
「さて、あの化け物が来る前に逃げないとねー」
妹を促しつつ、ミナはこの場を離れようとする。そこへ、体力の限界が来て元の大きさに戻ったガエネが、ふらふらと飛んできた。
「待ってよ!キリヤが、あの建物の中にいるの!」
未だ開く気配がない中央神殿塔のとびらを、ガエネは指し示す。塔に何の変化も見られないということは、エルファラに対抗できる力を持った勇者はまだ召喚されていないということだ。すぐにでも塔に入ってキリヤの安否を確かめたいところだが、ロードが内部から施錠してしまったため、それもかなわない。
「彼なら、たぶん大丈夫」
少し迷った末、リルはガエネに返答する。
「どういうこと?」
「あれを見て」
リルの言葉につられるように、ガエネは周囲を見渡す。今まで散々彼らを苦しめてきた騎士たちが、苦悶の呻きを上げていた。激しく暴れ狂う彼らの体にひびが入り、ぼろぼろと崩れ落ちていく。
「たぶん、この教祖が死んで、術が解けたのね」
倒れ伏したまま微動だにしないシュトラーセを冷たく見下ろしながら、リルは推測する。シュトラーセから受けた屈辱は未だ許しがたく、姉に倣って後頭部を踏み砕いてやろうかとも考えたが、死体蹴りをしても己の格が落ちるだけだと思い直す。
『腹が減ったあああ!!魂を食わせろおおおお!!』
地響きとともにエルファラが近づいてくることを察し、ミナはリルの背中を押す。頷いて、リルは姉に続いて宙に浮き上がった。
「キリヤ……どうか、無事でいて……」
中央神殿塔の方を何度も振り返りながら、ガエネもまた、二人の後を追う。生けるものが去ったかつての戦場では、ようやく戻ってきたエルファラが、教祖の死体を取り込んでいた。
キリヤの太刀の渾身の一撃が、ロードに向けて振り下ろされる。正面から打ち合うことはせず、ロードは近くにある柱の裏側に回った。キリヤの太刀は空を切り、そのまま柱に打ちつけられる。刃が柱に食い込んだのを好機と見て、ロードは柱の影からキリヤに飛びかかった。
「引っかかったね!」
してやったりと笑みを浮かべ、ロードは剣を一閃する。
「お前がな!」
キリヤの声が耳に届いた瞬間、ロードの剣は宙を舞っていた。太刀が柱に刺さった瞬間、キリヤはロードの行動を読んでいたのである。
「……なるほど。君、戦い方が変わったね」
空になった手を開閉しながら、ロードが感心する。彼の知るキリヤは、剣技を磨くことばかりにこだわって、視野の狭い戦い方をしていた。だが、今は素手での打撃を組み込んでいる。
「目標ができたからな。お前ごときに、負けていられるか!」
1との訓練を思い出し、キリヤはロードに殴りかかる。その心意気に応えて、ロードも剣を追うことはせず、身構えた。二人は、そのまま格闘を始める。
「どうした!そんなものか!?」
「くっ……!」
頬を殴りつけられたロードが、キリヤを余裕の表情とともにカウンターを返す。無尽蔵の体力を持つロードは、殴り合いにおいて圧倒的に有利だった。
「君の力は……君の正義は、その程度のものなのか!」
疲労がたまり、キリヤの動きが鈍っていく。ロードは、キリヤを床に押さえつけた。続けざまに側頭部を殴打され、キリヤの意識が一瞬、揺らぐ。容赦なく鉄拳を浴びせながら、ロードは叫んだ。
「そんなことで、この僕を止められるかあああああ!!」
ロードの魂の叫びが、謁見の間に響き渡る。攻撃が絶え間なく降り注ぐ中、キリヤは、幼少時のことを思い出していた。親に捨てられたあげく預けられた施設で、事あるごとに理不尽な暴行を受けたものだ。痛みや、憎しみや、寂しさと言った感情が、キリヤの胸中に湧き上がる。
(嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ、こんなことされたくない)
意識を失う前兆か、様々な映像が浮かんでは消える。
「どうしたんだよ!戦え!反撃しろ!勇者なんだろ!?正義なんだろ!?」
激情のままにロードはキリヤを殴り続けているが、彼が与える痛みも声も、キリヤには届いていなかった。うつろな視界が、赤く染まっていく。
(……シーザー……)
赤、という単語から、キリヤは1の姿を思い起こしていた。赤いコートの大きな背中が目の前にあるような気がして、手を伸ばそうとする。
(同じことをされるなら……あんたがいい。あんたになら、何をされても嬉しいから)
記憶の中の1が、優しい瞳で笑いかけてくる。つられたように、キリヤの口からも、笑みがこぼれた。本人には二度と会えないかもしれないが、こうして彼の姿を瞼に浮かべることができて、キリヤは満足だった。
(シーザー、シーザー……俺のこと、殴って。捨てるくらいなら殴って。俺のことだけを見てくれたら、それだけで、俺、すごく、気持ちい……)
「っ、があああああああ!!」
「!?」
ロードが、獣のように咆哮した。それと同時に、甘美な夢想の世界からキリヤは帰還する。両手で顔を覆い、ロードは苦痛に打ち震えていた。額に強く押さえつけられた指先が、ぼろぼろと崩れ始める。
「ロード……!?」
相手に起こった突然の変異に驚いて、キリヤは身を起した。彼が困惑している間にも、ロードの体にはひびが入っていく。
教祖シュトラーセが死んだことで、ロードの体もまた、人形に戻りつつあるのだ。
「……はは……喜べよ、君の勝ちだ」
主の敗北を悟り、ロードは乾いた笑みを浮かべる。腕が完全に崩れ落ちる前に、ロードは懐に手を入れた。一本のナイフを、キリヤに差し出す。
「ねえ、キリヤ……とどめを刺してくれないか?人形として壊れるんじゃなく、人として死にたいんだ」
「…………」
空いた方の手で、ロードは自らの首を指し示した。それが何を意味しているかを察し、キリヤは息を呑む。
「…………頼む」
ロードが、キリヤの瞳を正面から見据える。そこには、揺るがぬ覚悟と、かつてヒトだった者としての矜持があった。
「わかった」
ナイフを受けとり、キリヤは頷く。ぼろぼろと風化していくロードの体めがけて、キリヤは一思いに刃を打ち込んだ。ナイフは喉元に突き刺さり、そこを起点としてひびが広がっていき……ついに、満足げな笑みを残して、ロードの体は粉々に砕け散る。運命に抗うことはできないながらも、自らの正義を貫き通した男の生は、こうして幕を閉じた。
「ロード……俺、お前のことをちょっとだけ尊敬してたんだぜ」
塵と化し、消えていくロードを、哀悼の意を込めて見送る。結局、彼を越えることはできなかったのだということを、キリヤは痛感した。
つかの間の感傷に浸るキリヤだったが、それは長くは続かなかった。激しい振動が、中央神殿塔を襲う。
『足りぬ!足りぬぞ!!もっと魂を寄越せ!!』
エルファラの怒声が耳に届き、神が中央神殿塔を攻撃しているのだと気づいたキリヤは、あわてて最後の缶詰を探し始めた。
教祖の死の影響は、メイルードのみにとどまらない。エストと対峙していたケレンは、体が崩壊する気配を感じて悲鳴を上げた。
「な、なぜ……!?」
信じられないというように、両手をじっと見る。ほくろやあざがひとつもない、しなやかな両腕に、醜い亀裂がいくつも入っていた。
「キリヤ達が、やってくれたのね」
敵方の戦意喪失を悟り、エストは剣を下ろす。騎士たちが次々と無に還っていくのを見て、クレイオも結界を解いた。気が抜けたのか、その場にへたり込む。
「嫌!嫌よ!壊れていくのは嫌!!私は人間なの!なのに、何でこんな、道具みたいに……!」
顔にひびが入り、ケレンは泣き叫ぶ。あまりに痛ましい光景から、エストは目を逸らした。
「このひと、かわいそうです……」
恐慌状態にあるケレンを見て、いてもたってもいられなくなったのか、レミエルがおそるおそる近づいてくる。
「レミエル、危ないわよ!?」
驚いてエストが警告するが、レミエルは止まらない。彼女の哀れみの目が、ケレンの怒りに火をつけた。
「こうなったらその顔、最後に引き裂いてやる!」
ふらつきながら、ケレンが体当たりをする。レミエルは、抵抗できずに倒れ込んだ。次いで、ケレンの平手打ちが、レミエルの頬に打ち込まれる。
「うぅ……っ」
「レミエル!」
「だ、だいじょうぶです……レミ、自分にできることを、します」
エストが血相を変えて駆け寄ろうとするのを、レミエルは制した。心を落ち着け、ケレンの悲しみや苦しみを少しでも癒したいと願いながら、ケレンの体に手を添える。
「……最大浄化」
彼女がその一言を口にした瞬間、柔らかな光がケレンを包み込んだ。
「何……?ああ、暖かい……」
憎しみが消え、憑き物が落ちたような表情で、ケレンは呟く。光が止んだ時には、傷一つないケレンの躯が転がっていた。
「ごめんなさい……レミの力では、これくらいしかできませんでした……」
起き上がり、レミエルは透明な涙を零す。これが3ならば、ケレンは死なずに済んだかもしれない。
「そんなことないわ。だって、安らかな顔をしているもの」
レミエルの肩に手を置き、エストは彼女を慰めた。ケレンの、苦しみから解放された穏やかな顔を見て、レミエルは落涙しながら頷く。
「キリヤさん達……大丈夫かなあ……?」
不安そうに、ユーリスが中央神殿塔の方に視線を向ける。教会の者たちが全滅した今も、エルファラは変わらず猛威を奮い続けていた。
倒しても倒しても起き上がってくる騎士たちに、ガエネは辟易していた。教祖の秘術で人形と化した騎士たちは疲れを知らず、多少の傷を負っても平然としている。
龍の尾撃によって脚を壊された騎士たちが腕だけで這いずり回り、体にまとわりつこうとするのを、嫌悪のあまり身震いしながらガエネは振り払った。
「もう……いい加減にしなさーい!!」
大きく息を吸って、ガエネは一喝とともに高温のブレスを吐く。炎の直撃を受けた騎士たちは灰になり、二度と動けない状態になったが、中途半端な焼け具合の者たちは火を纏いながらガエネにしがみついてきた。
「あっつい!しかもキモい!!」
悲鳴を上げて、ガエネは暴れ回る。あえて口には出さないが、彼女の体力も限界に来ていた。このままでは、あとわずかで元のカラスほどの大きさに戻ってしまう。ガエネは、少し離れたところで教祖シュトラーセと対峙しているリルに視線を向けた。あちらも、戦況は膠着状態のようだ。リルの鉄球付きの杖……モーニングスターの攻撃は、騎士がかばうせいで教祖に当たらない。一方、シュトラーセの方もリルを殺すつもりはないらしく、時折、鋼線を振るっては、彼女をじわじわと追いつめていた。
「……なぜ、あの化け物に加担するの」
騎士たちをモーニングスターで打ち倒しながら、リルはシュトラーセに尋ねる。返事の代わりに鋼の糸がリルの腕めがけて放たれるが、直線的な動きを彼女はすでに見切っていた。
「この世界には、神がいない。そんなことがあっていいはずがないのです。エルファラ様が神となってくだされば、世界は完全なものとなる。素晴らしいことではありませんか」
唄うように、シュトラーセはリルの疑問に答える。自分が統治していた大都市を完膚なきまで破壊され、多くの信徒を失ってもなお、シュトラーセは神を崇拝しているようだ。彼が元いた世界の神は、おそらく絶対的な力を持っていたのだろう。陶酔しきって理想を語る教祖を、リルは侮蔑のこもった目で見下した。
「いいじゃないの、神がいなくたって」
「何ですって?」
「私の世界にも、神なんかいないわ」
反論され、不愉快そうに顔をしかめるシュトラーセに、リルは淡々と告げる。リルの世界は、悪魔王ルシファーと神の激闘により総てが無に還ったため、神どころか大陸や空すらもない。あるのは、どうにかして復活しようと画策する神とルシファーの、目に見えない意志のみだ。
「この世界は、神がいなくても十分にやっていけている。貴方がしているのは、単なるお節介よ」
背後から忍び寄ろうとしていた騎士を、リルは厚底ブーツで蹴り飛ばす。跳躍したついでに、何人かの騎士の頭を踏みつけて、彼女は優雅に着地した。彼女の動きを目で追いかけるシュトラーセを、嘲りとともに鼻で笑う。それは、あからさまな挑発行為だった。
「黙りなさい。神がいない世界など、私は認めない!」
小娘ごときになめきった態度をとられたことを看過できず、シュトラーセは騎士たちをリルに差し向ける。軽快な動きとモーニングスターで騎士たちをなぎ倒すリルだったが、敵のあまりの多さに、一瞬、教祖から注意が逸れた。
死角から放たれた鋼線が、リルの肩に突き刺さる。
「…………っ!」
痛みに顔をしかめ、リルは鋼線を抜こうとする。そうしている間に、教祖がもう片方の手で操る鋼の糸が、リルの体に巻きついた。
「しまった……!」
「やっと捕まえましたよ。まったく、お転婆にも程がある」
動くことができないリルを、だめ押しをするように騎士たちが羽交い絞めにする。リルが完全に拘束されたのを見計らい、教祖は彼女にゆっくりと近づいた。
「貴女の魂を捧げれば、神もお喜びになることでしょう。光栄に思いなさい」
「…………誰が」
歯ぎしりしながら、リルは教祖に言い返す。しかし、現状で達者に動かせるのは、口だけだった。喜悦の笑みを浮かべて、シュトラーセは懐から封印のクリスタルを取り出し、掲げる。
「神よ!この力、貴方のためにお役立てください!」
シュトラーセの呼び声に応え、クリスタルが光を放つ。敗北感が、リルの胸を満たした。死ぬことは、怖くはない。彼女がいなくなったとしても、姉のミナや、他の世界で活動しているだろうルシファーの分体たちがいる限り、本体を復活させるための活動には支障ないはずだ。だからこそ、リルはクレイオ達が出会ったという中年の男の策に乗ったのである。
されど、全身を駆け巡る怒りと悔しさだけは、どうにもならない。魂を喰らうだけの獣を妄信する変態に負けるなど、彼女のプライド的にありえない話だった。
封印のクリスタルは、リルを取り込もうと輝きを強めていく。無力化した美しい少女を神に捧げる行為に、教祖を始めとする誰もが没頭していた。
そんな状況だったので、新たなる敵の接近にシュトラーセが気づいたのは、その身を背中から貫かれたときだった。
「がはっ……!」
シュトラーセの口から、大量の血が吐き出される。彼の胸元に、血まみれの白い手が生えていた。
「おや、君は人形になっていなかったんだね。この感触は予想外だよ」
教祖の背後にいる人物が、くぐもった笑みを漏らす。それは、澄んだ少女の声だった。
「き、さま……!」
額に汗を浮かべながら、教祖は振り返ろうとする。次の瞬間、彼を貫いていた手は一気に引き抜かれ、その反動で教祖は地面にうずくまった。
「黙れ」
冷たく言い放ち、ミナはシュトラーセの後頭部を踏みつける。果実が砕けるような音がして、教祖は完全に沈黙した。
「お姉ちゃん!」
シュトラーセの陰から現れたミナに、リルは驚いて呼びかける。妹を安心させるように片目をつぶり、ミナは無造作に手刀を振るった。リルを拘束していた騎士たちが、ミナの手から放たれた不可視の刃によって首を斬り落とされて床に転がる。
「ありがとうお姉ちゃん、助かった」
ようやく解放されたリルは、ミナに礼を言う。姉はこの戦いに手を貸さないと宣言していたので、彼女の助太刀は予想外だった。
「さすがに妹に手を出されたら、お姉ちゃんとしては黙っていられないよ」
リルの頭をぽんぽんと叩きながら、ミナは飄々と肩をすくめる。
「さて、あの化け物が来る前に逃げないとねー」
妹を促しつつ、ミナはこの場を離れようとする。そこへ、体力の限界が来て元の大きさに戻ったガエネが、ふらふらと飛んできた。
「待ってよ!キリヤが、あの建物の中にいるの!」
未だ開く気配がない中央神殿塔のとびらを、ガエネは指し示す。塔に何の変化も見られないということは、エルファラに対抗できる力を持った勇者はまだ召喚されていないということだ。すぐにでも塔に入ってキリヤの安否を確かめたいところだが、ロードが内部から施錠してしまったため、それもかなわない。
「彼なら、たぶん大丈夫」
少し迷った末、リルはガエネに返答する。
「どういうこと?」
「あれを見て」
リルの言葉につられるように、ガエネは周囲を見渡す。今まで散々彼らを苦しめてきた騎士たちが、苦悶の呻きを上げていた。激しく暴れ狂う彼らの体にひびが入り、ぼろぼろと崩れ落ちていく。
「たぶん、この教祖が死んで、術が解けたのね」
倒れ伏したまま微動だにしないシュトラーセを冷たく見下ろしながら、リルは推測する。シュトラーセから受けた屈辱は未だ許しがたく、姉に倣って後頭部を踏み砕いてやろうかとも考えたが、死体蹴りをしても己の格が落ちるだけだと思い直す。
『腹が減ったあああ!!魂を食わせろおおおお!!』
地響きとともにエルファラが近づいてくることを察し、ミナはリルの背中を押す。頷いて、リルは姉に続いて宙に浮き上がった。
「キリヤ……どうか、無事でいて……」
中央神殿塔の方を何度も振り返りながら、ガエネもまた、二人の後を追う。生けるものが去ったかつての戦場では、ようやく戻ってきたエルファラが、教祖の死体を取り込んでいた。
キリヤの太刀の渾身の一撃が、ロードに向けて振り下ろされる。正面から打ち合うことはせず、ロードは近くにある柱の裏側に回った。キリヤの太刀は空を切り、そのまま柱に打ちつけられる。刃が柱に食い込んだのを好機と見て、ロードは柱の影からキリヤに飛びかかった。
「引っかかったね!」
してやったりと笑みを浮かべ、ロードは剣を一閃する。
「お前がな!」
キリヤの声が耳に届いた瞬間、ロードの剣は宙を舞っていた。太刀が柱に刺さった瞬間、キリヤはロードの行動を読んでいたのである。
「……なるほど。君、戦い方が変わったね」
空になった手を開閉しながら、ロードが感心する。彼の知るキリヤは、剣技を磨くことばかりにこだわって、視野の狭い戦い方をしていた。だが、今は素手での打撃を組み込んでいる。
「目標ができたからな。お前ごときに、負けていられるか!」
1との訓練を思い出し、キリヤはロードに殴りかかる。その心意気に応えて、ロードも剣を追うことはせず、身構えた。二人は、そのまま格闘を始める。
「どうした!そんなものか!?」
「くっ……!」
頬を殴りつけられたロードが、キリヤを余裕の表情とともにカウンターを返す。無尽蔵の体力を持つロードは、殴り合いにおいて圧倒的に有利だった。
「君の力は……君の正義は、その程度のものなのか!」
疲労がたまり、キリヤの動きが鈍っていく。ロードは、キリヤを床に押さえつけた。続けざまに側頭部を殴打され、キリヤの意識が一瞬、揺らぐ。容赦なく鉄拳を浴びせながら、ロードは叫んだ。
「そんなことで、この僕を止められるかあああああ!!」
ロードの魂の叫びが、謁見の間に響き渡る。攻撃が絶え間なく降り注ぐ中、キリヤは、幼少時のことを思い出していた。親に捨てられたあげく預けられた施設で、事あるごとに理不尽な暴行を受けたものだ。痛みや、憎しみや、寂しさと言った感情が、キリヤの胸中に湧き上がる。
(嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ、こんなことされたくない)
意識を失う前兆か、様々な映像が浮かんでは消える。
「どうしたんだよ!戦え!反撃しろ!勇者なんだろ!?正義なんだろ!?」
激情のままにロードはキリヤを殴り続けているが、彼が与える痛みも声も、キリヤには届いていなかった。うつろな視界が、赤く染まっていく。
(……シーザー……)
赤、という単語から、キリヤは1の姿を思い起こしていた。赤いコートの大きな背中が目の前にあるような気がして、手を伸ばそうとする。
(同じことをされるなら……あんたがいい。あんたになら、何をされても嬉しいから)
記憶の中の1が、優しい瞳で笑いかけてくる。つられたように、キリヤの口からも、笑みがこぼれた。本人には二度と会えないかもしれないが、こうして彼の姿を瞼に浮かべることができて、キリヤは満足だった。
(シーザー、シーザー……俺のこと、殴って。捨てるくらいなら殴って。俺のことだけを見てくれたら、それだけで、俺、すごく、気持ちい……)
「っ、があああああああ!!」
「!?」
ロードが、獣のように咆哮した。それと同時に、甘美な夢想の世界からキリヤは帰還する。両手で顔を覆い、ロードは苦痛に打ち震えていた。額に強く押さえつけられた指先が、ぼろぼろと崩れ始める。
「ロード……!?」
相手に起こった突然の変異に驚いて、キリヤは身を起した。彼が困惑している間にも、ロードの体にはひびが入っていく。
教祖シュトラーセが死んだことで、ロードの体もまた、人形に戻りつつあるのだ。
「……はは……喜べよ、君の勝ちだ」
主の敗北を悟り、ロードは乾いた笑みを浮かべる。腕が完全に崩れ落ちる前に、ロードは懐に手を入れた。一本のナイフを、キリヤに差し出す。
「ねえ、キリヤ……とどめを刺してくれないか?人形として壊れるんじゃなく、人として死にたいんだ」
「…………」
空いた方の手で、ロードは自らの首を指し示した。それが何を意味しているかを察し、キリヤは息を呑む。
「…………頼む」
ロードが、キリヤの瞳を正面から見据える。そこには、揺るがぬ覚悟と、かつてヒトだった者としての矜持があった。
「わかった」
ナイフを受けとり、キリヤは頷く。ぼろぼろと風化していくロードの体めがけて、キリヤは一思いに刃を打ち込んだ。ナイフは喉元に突き刺さり、そこを起点としてひびが広がっていき……ついに、満足げな笑みを残して、ロードの体は粉々に砕け散る。運命に抗うことはできないながらも、自らの正義を貫き通した男の生は、こうして幕を閉じた。
「ロード……俺、お前のことをちょっとだけ尊敬してたんだぜ」
塵と化し、消えていくロードを、哀悼の意を込めて見送る。結局、彼を越えることはできなかったのだということを、キリヤは痛感した。
つかの間の感傷に浸るキリヤだったが、それは長くは続かなかった。激しい振動が、中央神殿塔を襲う。
『足りぬ!足りぬぞ!!もっと魂を寄越せ!!』
エルファラの怒声が耳に届き、神が中央神殿塔を攻撃しているのだと気づいたキリヤは、あわてて最後の缶詰を探し始めた。
教祖の死の影響は、メイルードのみにとどまらない。エストと対峙していたケレンは、体が崩壊する気配を感じて悲鳴を上げた。
「な、なぜ……!?」
信じられないというように、両手をじっと見る。ほくろやあざがひとつもない、しなやかな両腕に、醜い亀裂がいくつも入っていた。
「キリヤ達が、やってくれたのね」
敵方の戦意喪失を悟り、エストは剣を下ろす。騎士たちが次々と無に還っていくのを見て、クレイオも結界を解いた。気が抜けたのか、その場にへたり込む。
「嫌!嫌よ!壊れていくのは嫌!!私は人間なの!なのに、何でこんな、道具みたいに……!」
顔にひびが入り、ケレンは泣き叫ぶ。あまりに痛ましい光景から、エストは目を逸らした。
「このひと、かわいそうです……」
恐慌状態にあるケレンを見て、いてもたってもいられなくなったのか、レミエルがおそるおそる近づいてくる。
「レミエル、危ないわよ!?」
驚いてエストが警告するが、レミエルは止まらない。彼女の哀れみの目が、ケレンの怒りに火をつけた。
「こうなったらその顔、最後に引き裂いてやる!」
ふらつきながら、ケレンが体当たりをする。レミエルは、抵抗できずに倒れ込んだ。次いで、ケレンの平手打ちが、レミエルの頬に打ち込まれる。
「うぅ……っ」
「レミエル!」
「だ、だいじょうぶです……レミ、自分にできることを、します」
エストが血相を変えて駆け寄ろうとするのを、レミエルは制した。心を落ち着け、ケレンの悲しみや苦しみを少しでも癒したいと願いながら、ケレンの体に手を添える。
「……最大浄化」
彼女がその一言を口にした瞬間、柔らかな光がケレンを包み込んだ。
「何……?ああ、暖かい……」
憎しみが消え、憑き物が落ちたような表情で、ケレンは呟く。光が止んだ時には、傷一つないケレンの躯が転がっていた。
「ごめんなさい……レミの力では、これくらいしかできませんでした……」
起き上がり、レミエルは透明な涙を零す。これが3ならば、ケレンは死なずに済んだかもしれない。
「そんなことないわ。だって、安らかな顔をしているもの」
レミエルの肩に手を置き、エストは彼女を慰めた。ケレンの、苦しみから解放された穏やかな顔を見て、レミエルは落涙しながら頷く。
「キリヤさん達……大丈夫かなあ……?」
不安そうに、ユーリスが中央神殿塔の方に視線を向ける。教会の者たちが全滅した今も、エルファラは変わらず猛威を奮い続けていた。
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