ブラック審神者を叩き潰せ!④
- 2016/07/16
- 20:06
<審神者サイド>
体が、重い。
まるで、自分の意志と切り離されたかのように、四肢の動きは鈍く、ズキズキと痛んだ。
どうして、こんなことになったのか……。
後悔がじわじわと押し寄せるが、もう、遅い。
「ふぬおおおおおおお……儂は、儂はもうダメじゃああああ……」
「何を言っているんだい、たかが筋肉痛で」
布団から起き上がれず悶絶する儂に、歌仙があきれたように指摘する。
連日、本丸の修復のために重いものを運んだり、いつも以上に歩き回ったりしたツケが、今ごろになって押し寄せてきたのだ。
昨日は平気だったのだが、いかんせん、年寄りは筋肉痛の症状が出るのに時間がかかる。
そして回復もまた、然り。
「仕方がないね、今日は一日、寝たままでいないと」
「うう……いやじゃ~!研修するんじゃ~!」
「いい年をして、駄々をこねるものではないよ。僕たちでできる研修があるなら、協力するから」
枕に突っ伏してむせび泣く儂を、嘆息しつつ歌仙は諭す。彼の心の声が、聞こえたような気がした。まったく、雅じゃない。
担当に渡された資料を見る限り、見習い殿は非常に優秀だということだった。霊力は清らかで豊富・戦いに対する心構えも毅然としたもので、歴史を守るという審神者の役割が、いかに重要であるかも理解しているという。
教習所での成績は上位であり、鍛刀も手入れも問題なく行えるとのこと。
正直な話、儂が教えられることはほとんどない。他と比べるとゆるーい基準のこの本丸に、なぜ見習い殿が来ることになったのかわからないほどだ。
「そういうことなら、本丸での生活を学んでもらうのがいちばんいいね。大人数を相手に料理や洗濯をこなすのは、なかなかコツがいるから」
「うむ。頼めるか?歌仙」
「任せてくれ。こういうのは得意なんだ」
情けない主君を安心させるかのように、歌仙が目を細めて笑う。まったく、こやつにはいつも助けられてばかりいるわい。
「……ああ、一応、言うておくがな」
朝食をここに運ぶため厨房へ向かおうとする歌仙を、儂は引き留める。ちっとばかし、気になることがあったのだ。
「見習い殿に、あまり厳しくあたるでないぞ?多少手つきがぎこちなくとも、段取りが悪くとも、あくまで先方のプライドを刺激せずにやさしーくアドバイスをじゃな」
「僕を何だと思っているんだい。彼女をいびるつもりなんてこれっぽっちもないよ」
「そんなつもりがなくても、勘違いされるんじゃ……。一度こじれると、修復するのは大変なんじゃよ……」
眉をひそめる歌仙に、儂はゆっくりと首を振り、ため息混じりに頼み込む。とりあえず真剣さは理解してくれたのか、わかったよ、と頷いて、歌仙は今度こそ部屋を出て行った。
先人が、後から来た者に家事を教える。
それは、まさに嫁と姑をほうふつとさせる事柄だった。
いやはや、アレには苦労したわい。当事者はもちろん、傍で見ている方も必要以上に気を遣うから、そりゃあもう、居心地が悪くてのう。かくいう、我が家でも昔は……いや、この話はよそう。
「おはようございます!一期一振、今日一日、つきっきりで介護させていただきます!」
「いらんわ。帰れ」
「そんな!?」
朝食後。儂が筋肉痛で動けないという話は、すでに本丸中に知れ渡っているようだ。介護用品をどっさりと携えて、いい笑顔で入室してきた一期一振を、儂は全力で拒否した。
冷たい態度と言うなかれ。大人用おむつを大量に持ち込まれたこっちの身にもなってほしい。一人で便所くらい行けるわい。
「いや、しかし、いざという時の予行練習にですな」
あきらめきれない、といった様子で、一期が食い下がる。予行練習って、お前は儂に何をさせるつもりだ。
「介護が必要な状態になっても、お前たちの手を煩わせるつもりはないぞ。貯えもちゃんとあるし、然るべき施設に世話になるつもりでいる」
「何をおっしゃいます。主が認知症になろうが寝たきりになろうが、食事や入浴、下の世話もきっちり管理し、大往生するまで見届けるという私の夢はどうされるおつもりか?」
一期が、咎めるような視線を向けてきた。気持ちはありがたいのだが、全く必要がない現時点で下の世話とか言われると、正直微妙である。
どうせならば、もう少し明るい未来を夢見てほしいものだ。恋愛とか、結婚とか。
「とにかく、儂のことは心配いらんから、お前は見習い殿についていなさい。少しは、仲良くなったんじゃろ?」
介護から関心をそらすため、別の話題を振る。その試みは成功したらしく、一期は考え込むようなそぶりを見せた。
「そうですね……確かに、見習い殿も色々と悩んでおられるようですし、支えてあげたいという気持ちはありますな」
「悩んでいる、とな?一体、どういうことじゃ」
「戦いが怖いとか、死が怖いとか……そういった悩みだったと思います」
一期から打ち明けられて、儂は納得した。見習いや、新人の審神者がよく陥る悩みだ。これにつける特効薬はない。慣れるか、自分の中で吹っ切るか……どちらにせよ、長い時間をかけて、折り合いをつけていかねばならない話である。
「ならば、くよくよせずに体を動かすのが一番じゃな。見習い殿には、今日は家事を手伝ってもらうことになっているし、ちょうどいいじゃろ」
「なるほど、良い考えですな。……私も、昔はそうやって、過去を整理していきました。何やら、懐かしい気がいたします」
儂の意見に、一期も同意する。彼にも思うところがあるようだったので、背中を押してやることにした。
「一期や、お前に引き続き、見習い殿の付き添いを頼みたい。その方が、彼女も安心するじゃろうしな」
「……承知いたしました。主も、ご無理をなさらぬよう。近侍は、必ずおつけくださいね」
少々、名残惜しそうな態度を見せながらも、一期は説得を聞き入れた。悩み相談を受けるくらいなので、見習い殿とはいい関係を築いているのだろう。
一期一振とは、儂が審神者に就任する前からの付き合いである。そろそろ、自分だけの幸せを考えてほしいものだが。
痛む関節をさすりつつ、儂は刀剣男士たちの未来を慮る。
若者たちにお節介を焼いて、あれやこれやと奔走するのは、いつだって年長者の務めなのだ。
<見習いサイド>
研修二日目。いい眠りを享受できずに少々寝坊してしまった私を待っていたのは、おっさん審神者が体調不良のため研修ができない、という報告だった。
「大したことはないのだけれどね。それで、今日は僕らと一緒に、本丸での生活について学んでもらおうと思って」
朝食を用意してくれた歌仙兼定が、申し訳なさそうに告げる。昨晩の夕餉を断ってしまったためか、消化にいい卵雑炊が私の前に置かれた。
「わかりました。精いっぱい、頑張ります」
雑炊を冷ましながら、私はひそかに安堵する。おっさん審神者と顔を合わせなくて済むというのは、私にとって朗報だ。おっさんが本当に体調不良なのか、はたまたブラック審神者にありがちな職務怠慢なのかはわからないし、どうでもいい。
それに、運が良ければここがブラック本丸だという決定的な証拠を掴めるかもしれない。昨日は小狐丸の乱入によってふいにされたものの、私は政府に通報するのをあきらめたわけではなかった。
ほどなくして朝食を終え、私は歌仙さんに連れられて浴室の方へと向かった。浴室の隣には洗濯機がずらりと並んでいる部屋があり、ハンガーや洗濯バサミが山のように積まれている。
「あまりに損傷が酷いものは、手入れでも直せるんだけどね。日常生活での汚れに、いちいちそんなことはしていられないさ」
洗濯機から洗い終わった衣類を取り出し、歌仙さんはそれらを洗濯籠へと入れ替えた。ハンガーにかけられるものと、細かいものに分別するつもりらしい。それくらいならばできそうなので、私も手伝うことにした。
「下着類の汚れは、各自で落としてもらうようにする。最初にきっちりと規則を作っておけば、皆、それが当たり前だと思うようになるからね。逆もまた然りだよ」
「勉強になります」
誰のものかもわからない大きなサイズのシャツをハンガーにかけながら、私は神妙にうなずく。霊力の使い方や戦術、それに刀剣男士たちが持っている歴史背景など、教習所で様々なことを学んだが、こういった生活の基本的なことまでは頭が回らなかった。
「はいはーい、お手伝いに来ましたよ!」
「ちょっ……こら、国広、引っ張んなって!」
洗濯もの干しに没頭しているところに、どたどたとやってきたのは、堀川国広だった。おまけに、和泉守兼定もいる。こちらは、巻き込まれたらしい。
「ああ、助かるよ」
歌仙さんが、手慣れた様子で洗濯物入りのかごを二人の前に置く。和泉守さんも洗濯に携わるのが、私には少し意外だった。
「兼さん、衣類のしわを伸ばすのが上手なんですよ!かっこいいでしょう?」
「お、おお。こんなの朝飯前だぜ!」
堀川くんに乗せられて、和泉守さんは積極的にワイシャツを手に取る。……なるほど、家事に乗り気でない刀剣は、こんな感じでおだてるのか。ひとつ賢くなった。
人手が四人になったおかげで、洗濯物はあっという間に干す段階まで来た。次は、庭へと運ぶ作業だ。
ここでも堀川くんの口車に乗せられた和泉守さんが多めの洗濯物を持って行ってくれているものの、やはり数は多い。洗濯物を大量に抱えて廊下を歩いていた私は、不意に足をとられた。
「わわっ」
間抜けな声を発しながら、前方によろける。このままでは転ぶ、と覚悟したとき、私は何かに衝突した。
「大丈夫ですか?見習い殿」
「ご、ごめんなさ……」
声をかけられて、そこで初めて人にぶつかったのだと気づく。あわてて顔を上げたその先にあったのは、一期さんの優しい笑顔だった。
「一度に持つには、少し量が多すぎますな」
一期さんの胸に飛び込んだ形になってしまい、みっともなくうろたえる私の手から、彼は洗濯物を回収する。結果、私の荷物はほとんどなくなってしまった。
こういうことを自然にやってのけるあたり、この人は色々と罪作りなのだと思う。
本丸内だけならいざ知らず、街中や演練場でもこの調子なら……彼に想いを寄せる女性は、さぞかし多かろう。
一期さんも加わって、洗濯要員は五人に増えた。ほどなくして、すべての洗濯物がお日様の下に整列することになる。それらが気持ちよさそうにはためく光景に、私は目を細めた。
「こうやって、皆で協力して何かをするっていいですね」
今まで鬱屈としていたのが、ほんの少しすっきりしたような気がする。他の皆も、私と同様に晴れ晴れとした表情をしていた。
「少し休憩を挟もうか。まだまだ、やることはたくさんあるからね」
歌仙さんはそう言って、どこかほかの場所へと行ってしまった。いったん、解散の流れになるようなので、和泉守さんと堀川くんに礼を言う。
「こんなの、大したことじゃねえよ。気にすんな」
「そうそう。一緒の本丸で生活しているんだもの、家族みたいなものだよね」
二人とも、気さくに笑みを返してくれた。一期さんも歌仙さんもそうだが、ここの刀剣男士たちは、本当にいいひとたちだ。それだけに、彼らの好意を逆手にとってやりたい放題なブラック審神者は、絶対に許せない。
「あの、一期さんも……ありがとうございます」
その場に残った一期さんにも、頭を下げる。しかし、彼は私の傍から移動する気配を見せなかった。
「私の役目は、貴方の付き添いですからな。今日は、ずっとお側にいますよ」
「えっ……?」
一期さんの言葉に、私は固まった。
この人と、ずっと一緒に?
嬉しくないかと言ったら、そんなわけないのだけれど、私の心臓がもつかどうかわからないぞ!?
「私では、気に入りませんか?」
少し悲しげに、一期さんが顔を覗き込んでくる。
だーかーら、そういうことをされると、困るんですってば!
「そそそそそんなことないです!一期さんがいいです!」
挙動不審になりつつ、私はぶんぶんと首を振る。何か、混乱ついでにとんでもないことを口走ったような気がする。
「……私がいい、ですか」
一期さんが、目を瞬かせる。変な女だと思われたらどうしよう、と青ざめていると、
「そんなふうに言っていただけると、やはり嬉しいものですな」
彼は頬をほのかに紅潮させて、微笑んだ。背後に、満開の桜が舞うのが見えたような気がする。あれが、うわさに聞く誉桜というものだろうか。何にせよ、喜んでもらえてよかった。
今日は、きっといい日になる。
一期さんにつられて、みっともなくデレデレしながら、私はそう確信していた。
一期さんにときめいたり、歌仙さんのアドバイスに感銘を受けたりしているうちに、恥ずかしながら、私はここがブラック本丸だということを危うく忘れかけていた。
何しろ、家事を手伝ってくれる刀剣たちも、行く先々ですれ違う刀剣たちも、至って普通なのだ。
皆、自由気ままに趣味を楽しんだり、手合わせをしたりして、人の身での生活を謳歌している。
そんな調子だったので、一期さんがおっさん審神者の様子を見てくると言って席を外した時も、私は特に引き留めることはせず、昼食のための芋の皮むきに没頭していたのだった。
「歌仙さんは、この本丸の初期刀なのですか?」
ある程度じゃがいもがたまったので、ざるに入れて歌仙さんに手渡す。そのついでに、ふと疑問に思ったことを尋ねてみた。厨房を取り仕切り、刀剣男士たちに支持を出す彼の姿が、実に様になっていたのだ。
そう言えば、研修初日におっさんの無礼な言動に意見したのも、この歌仙さんだったはず。似たようなことをした鯰尾藤四郎が折られたというのに、彼は何か罰を受けたようには見えない。
「初期刀……うーん……」
ざるを受け取りながら、歌仙さんは少し逡巡した末、答えた。
「厳密には、違うかな。僕を鍛刀したのは、この本丸の前の主でね。今の主が初めて顕現した刀が僕だから、似たようなものだけど」
ここでは古参だよ、と彼は笑う。
何気ない会話からとんでもない新事実が発覚し、私は目を丸くした。
「ここって……引き継ぎ本丸だったんですか!?」
私の問いに、歌仙さんは頷く。それが引き金になり、私は昨夜のことを思い出した。
端末に突然映し出された、赤い髪の、狩衣をまとった美しい青年。
もしかすると、彼が先代の審神者なのかもしれない。
「そ、その……前の審神者様って、どのような方だったんですか……?」
期待を込め、少し声を落として聞いてみる。返ってきたのは、おもわしくない反応だった。
「……さあ、ね。正直、僕もよくわからないんだよ。一部を除いて、ここの刀剣たちは、主が顕現した者ばかりだから」
……一部を、除いて。
歌仙さんのこの言葉が、頭に引っかかる。その中の一人が、おそらくは小狐丸だろう。
彼が探していたのは、先代の審神者だったのだ。
見つけ次第、斬り殺さんばかりの勢いだったが、一体、なぜ……?
「何?何?初期刀の話?」
考えても答えがわからず首をひねっていると、数人の刀剣男士たちが厨房に乱入してきた。人数は、四人。いずれも、私たち見習いには馴染みのある顔触れだ。
新人の審神者がまず選び出す者……初期刀候補である。
「ねえ、見習いさん。初期刀には誰を選ぶの?
もし決まってなかったら、この俺、加州清光をおススメするよ!
絶対、損はさせないからさ。ねっ?」
茶目っ気たっぷりにウインクするのは、加州清光。軽い雰囲気の外見に似合わぬ健気な言動や、男前な一面が人気の刀剣である。
「いやいや、見習い殿なら、わしを選んでくれるじゃろ。
わしと一緒に、世界を掴むぜよ!」
人懐っこい所作で、陸奥守吉行が私の手をとる。彼の背後で、ふさふさの犬しっぽがぱたぱたと動いている様を、私は幻視した。
「刀剣を選ぶなら、まずは本物をよく知らないとね。
蜂須賀虎徹、君の期待を裏切ることは決してないと約束するよ」
優雅なしぐさで陸奥守から私を引き離すのは、蜂須賀虎徹。金色の鎧と、爽やかな笑顔がまぶしい。
「……どうせ、写しの俺など、あんたは目もくれないんだろうな……」
あちこちほつれた白い布をすっぽりかぶり、卑屈な言動で庇護欲を掻き立ててくる、山姥切国広。一人だけ自己をアピールしない彼は、何をしに来たのかイマイチわからないが、それでも初期刀に誰が選ばれるかは気になる、といったところだろうか。
「何を言っているんだい。今の見習い殿には、僕の良さが十分にわかっているはずだよ。君たちには、最初から厨房に立つなんて芸当、できないだろう?」
料理をする手を止めずに、歌仙さんが反論する。他の初期刀候補四人は、ぐっと言葉に詰まったが、しどろもどろ反論を始めた。
「俺、手が荒れちゃうのは嫌だけど、お料理頑張れるよ!?」
「わしに任せちょけ!ちっくと出来が大味になるかもしれんがの、まっはっはっは!」
「……俺も、飯炊きの仕事は厭わない……写しだからな……」
「お……俺だって、その、やればできるさ!」
大騒ぎする初期刀候補たちが、それならば手伝え、と歌仙さんに仕事を押し付けられるのは、この後すぐのことだった。
やはり、この本丸では歌仙さんが一枚上手であるらしい。おかげで、前任者の話題が、すっかり飛んでしまった。
「さて。ここは彼らに任せて、見習い殿は他の皆に声をかけてきてくれないかい?もうすぐ、昼餉の支度ができるからね」
厨房のボスに、私が反抗する理由はない。
長い廊下を歩いて、その都度出会う刀剣たちに用件を伝えていると、向こうから歩いてきた一期さんに出くわした。
「あ、一期さん。もうすぐお昼ごはんが……」
「み……見習い殿!」
一期さんが、いつになく緊張した面持ちで私の台詞を遮った。心なしか、動作もぎこちないような気がして、首をひねる。
「その……お聞きたいことが、ありまして」
一期さんに連れられて、私は屋敷の隅っこにある縁側に来た。これから話すことは、周囲に聞かれたくない内容なのだろうか。人の気配がない。
「何か、あったのですか?」
一期さんとともに縁側に腰かけながら尋ねるが、彼は何かをためらっているようで、なかなか口を開かなかった。
その沈黙の間に、私は彼の話の心当たりを探る。寄り道をしていなければ、あの時、一期さんはおっさん審神者の部屋から戻って来たということで……
つまり、おっさんに何か言われた、というやつだろうか。
「……あの、ですね」
あまりに長いこと黙っているのは気まずいと思ったか、一期さんがようやく話し始める。
「見習い殿は、主を……この本丸の審神者を、どう思われますか?」
「…………はい?」
予想外に込み入った質問に、私は何と答えたらいいかわからず硬直する。
これは、あれだろうか。
おっさん審神者の暴虐に耐えかねた一期さんが、私に助けを求めようとしている……?
そういうことならば、今すぐにでもおっさんを通報する覚悟はあるのだが。
「その……介護を」
頬を朱色に染めて、つらいことを耐えているかのように切ない顔をする、一期さん。
心なしか、肩が震えている。
見ているこっちは、胸が締めつけられる光景だが、彼が発した単語は、聞き流すにはまずそうなものだった。
……介護……?
「今は必要ないそうですが、主が大往生するまで、彼の介護をするとか、そういった話に興味は……ええと」
何ですと!?
そんなこと考えてたのか、あのおっさんは!?
あまりに非常識な展開に、危うく意識が飛びかける。
研修初日に、私に恋人の有無を聞いたのは、介護要員としてこの本丸で飼い殺しにするという魂胆があったからか。
「いやその、無理無理!無理ですから!!」
フルスロットルで、私は首と手を振りまくった。
親兄弟の介護すら完遂できるか自信が持てないのに、何で縁もゆかりもないおっさんの世話をせねばならんのよ。
「介護がお嫌ならば、私が全て引き受けます。お側にいていただくだけでも、だめなのですか?」
私の全力でのお断りを前にしても怯まずに、一期さんが提案してくる。
その、側にいてほしいっていうのは、おっさんの側にですよね!?知ってます!
でも、できることなら、貴方の側が良かった!
「わ、私は、えっと」
しどろもどろになりながら、思考を高速で回転させる。
このままではダメだ、おっさんのもとに嫁がされて、なし崩しに介護要員にされてしまう!
何か、何か言わないと!
おっさんのものにはなれないという、決定的な何かを!
「私っ……心に、決めた人がいるんですっ!」
そして、出てきたのがこれだった。
「えっ……………?」
正直、お粗末にも程がある理由だと自分でも思ったのだが、予想に反して効果はあったようだ。
私の爆弾発言に衝撃を受けた一期さんは、氷の彫像のように動かない。
これなら、行ける!
「昨日は、相手がいないなんて嘘をついてしまったのですが……ごめんなさいっ!」
頭を下げ、勢いに任せてその場を駆け去る。
幸いなことに、一期さんは追ってこなかった。
おっさんと同時に、一期さんのフラグもへし折ってしまったような気がするが、まあいいかと割りきる。
あんな素敵な人と、私ごときが恋愛できるわけないものね。
おっさんを拒絶した手前、もう、一期さんに優しくしてもらえることもないだろうけど……ああ、つらいなぁ……。
目尻に溜まった涙を、ぐいと拭き取る。
仕事は、まだ残っているのだ。皆に、お昼ごはんの声かけをしないと。
残っているのは馬小屋と、あとは畑かな?
急がなくては。
<審神者サイド>
「恋を、しました」
寝たきり状態ながらも何か仕事ができないものかと、近侍の乱藤四郎とともに知恵を絞っているところにやってきた一期一振は、部屋に入るなりこんなことをのたまいおった。
何でも、見習い殿の家事に対しても手を抜かない真面目さや、仕事をやり遂げた際のはつらつとした笑顔にぐっと来たらしい。
元が刀であるとはいえ、刀剣男士は心を持つ身。儂も乱も、一期の芽生えたばかりの恋心を応援していたのじゃが……。
「……失恋しました」
「早いな!?」
次に顔を見せた時、暗雲を背負っていた一期に儂はつっこみを入れずにはいられなかった。
お前が見習い殿のところに戻ると言ってここを出てから、まだ半刻も経っておらんぞ!?
「一体、この短時間で何が起こったんじゃ」
「聞かないでくだされ……うぅ……っ」
目元を押さえて畳に座り込む、一期一振。
ちょうどそのとき、お茶と菓子を持ってやってきた前田藤四郎が、長兄のただならぬ様子に目を丸くした。一体何があったのか、とこちらを凝視してくるので、そっとしておいてやるようにと儂は無言で示す。
「いち兄ってば、可哀想……何かこの展開、昨日読んだ少女漫画と似てるかも……」
表面上は兄に同情する素振りを見せながらも、どこか楽しそうな乱藤四郎。この少年にとっては、兄への気遣いより恋愛に対する好奇心の方が勝っているのだろう。
曲がりなりにも男児であるのに少女漫画を読んでいることについては、今更なので何も言うまい。
「見習いさん……ひょっとして、本当は彼氏さんがいたとか?」
弟の無邪気な質問に、一期の体がびくっと痙攣した。
図星か。マジか。
てっきり、いつもの調子で儂の介護がどうとか言って見習い殿をドン引きさせたのかと思っとったが、それはまあ……どうしようもないのう。
「わあ、ホントに?これって、あの漫画と全く同じだよ!」
「いや、しかし、まだ希望はあるのでは?その漫画、最後にはどうなるのです」
不謹慎にも、感激する乱。一連の会話から状況を察した前田が、そんな彼に問いかける。
兄に略奪愛を薦めるつもりか。こやつ、なかなかやりおるわ。
「えっとね、二人の間で主人公が揺れ動いて、ライバルが登場したり、第三の男が現れたりしてね」
人差し指を口元に当て、小首をかしげなら乱は少女漫画の内容を説明していき、
「最後、全員爆発して死ぬの」
唐突に無表情になって、ぼそりと言った。結末を見た時の衝撃を思い出したのか、目から光が消え失せている。
「どういう展開じゃ、それは!?」
「いち兄に爆発されては困りますね。この話は、なかったことにしましょう」
腕組みをして、前田が大真面目で頷く。
何やら、粟田口の短刀たちの中に、恋愛に関する間違ったイメージが形成されているような気がするのだが。
「乱……そんな本を読むのはやめなさい」
儂と同じく危機感を抱いたらしい一期が、弟にまっとうな指摘をする。どうやら、少しは元気が出てきたらしかった。
うちの本丸だけかもしれんが、真面目そうな外見に似合わず、一期一振は意外と惚れっぽい。あちらこちらで恋愛対象を見つけてきては玉砕し、次の日にはけろっと立ち直る兄を見ているために、弟たちも最近はそれほど騒ぎ立てることはなくなったのだった。
今回も、おそらくはそうなるのだろう。
一期一振は強い男だ、心配はあるまい。たぶん。
ちなみに、後で乱に件の少女漫画を借りたところ、本当に全員爆発して死んだ。
今どきの少女たちは、こんなものを読んでおるのか。
若者の感性に、年寄りはついていけんわい。
その後も、儂の見舞いに来た粟田口の短刀たちが、落ち込む一期を発見して根掘り葉掘り聞いたり、慰めようとして失敗し、兄の傷心に塩を塗りたくりまくったりと、様々な騒動があった。
いつまでたっても昼食を食べに来ないことに怒り、歌仙が一期を含む粟田口一派を部屋から追い出す様を、儂は苦笑しつつ見守る。
まったくもって、この本丸は平和だ。いつも通り、たくさんの笑顔であふれている。
今日も、こんな感じで一日が過ぎていくのだろう。そう、思っていた。
血相を変えた鯰尾藤四郎が、部屋に飛び込んでくるまでは。
「あ、主さん!大変です!!」
いつものふざけた態度はどこへやら、鯰尾が真剣な表情で片膝をついて報告する。
「見習いさんが、前任者の亡霊に取り込まれました!」
「なっ……!?」
突如舞い込んできた異常事態に、儂は一瞬、思考を停止させる。
見習い殿が、前任者に?
一体、どこをどうしたらそんなことになるというのか。
「全刀剣男士に通達せよ!練度の高い者たちを選りすぐり、見習い殿の救出に向かう!」
ここで原因を探っていてもどうにもならぬ。とにかく、動かねば。
儂の指示に了解を示し、鯰尾が駈け去っていく。
三年前の悪夢が蘇っていくかのように錯覚し、儂はあわてて首を振った。
あの時に救うことができたのは、ほんの一握りだった。
だが、今は違う。
見習い殿のためにも……一期一振や、何より、小狐丸のためにも、やつに今度こそ引導を渡さねば。
未だきしむ身体を無理やり起こし、立ち上がる。
空を渦巻き始めた灰色の雲が、これから起こる嵐の予兆であるかのようだった。
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- カテゴリ:刀剣乱舞小説
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