L-Triangle!1-3
- 2014/02/07
- 18:44
2の世界の、地獄。2は、罪人の阿鼻叫喚やら虐げる悪魔やらを見ていた。その姿は罪人たちが虫けらに見えるほど巨大で、禍々しい体色をしており、頭には山羊の角。大きく開かれた口からは、鋭い牙と、赤い舌が見え隠れしていた。罪人の体をかじったり、悪魔たちに発破をかけたりするのも彼の仕事の一つだが、今日は気が乗らない。先日の、1による指摘が、2に苛立ちを与えていた。
(……別に、厄介事を押しつけられたわけじゃねえよ、ちくしょう)
胸中で毒づいて、舌打ちする。地獄の主の怒りのオーラを感じとり、罪人たちはもちろん、悪魔たちも震え上がった。
天使たちに見つかったことだし、あの世界に行くのはもうやめた方がいいのではないか、という考えがよぎった時、この地獄には不似合いな、天使の羽音が近づいてきた。しばし間をおいて、2の眼前に降り立ったのは、口髭をたくわえた中年天使・ラファエル。手に、大きな紙袋を携えている。
「お仕事中、失礼します。先日の無礼をお詫びに来ました」
「……あぁ?」
不機嫌全開の2に気圧されることなく、天使は、優雅に一礼した。
場面変わって、2の居城・万魔殿。大いに不本意だが、2はラファエルをそこに案内した。悪魔たちがいきり立つ前に、トラブルの種を目につかないところへ隔離した、というのが正しい。2の部下が、ラファエルの前にお茶を乱暴に置いて立ち去って行った。
「本当は三人で来るべきなのでしょうが、ミカエルに気取られても困るので、代表して私が来ました」
「どうでもいいっつの。もうわかったから帰れ」
菓子折りを2の書斎机に置きつつ、天使が髭を整えながら話を切り出す。2は、虫を払うように手を振った。ちなみに、今の彼の外見は細身の青年姿である。
「そうはいきません。……先日、あなたと一緒にいた二人……かなりの力を持つ者たちのようですが、彼らは一体何者ですか?」
「知らねえよ。俺も会ったばかりだしな」
探るような視線に、平然と肩をすくめる。嘘は言っていない。異世界の自分だ、などと言ったら、ややこしくなるのは目に見えている。
「時間を巻き戻した彼は悪魔だとしても、あの、荒野を緑の野に変えた青年……彼のことが、気になりまして」
「あいつか……」
3のことを思い出し、2は神妙な面持ちになる。彼にとっても、あの出来事は印象的だった。白皙の美青年が織り成す、神秘的な光景に目を奪われたのは、彼だけではなかったらしい。
「あの技……天使の奇跡と言ってもおかしくないほど、見事なものでした。もしかして、彼は異教の聖者か神族なのではありませんか?」
「いや、ねえだろ。だってあいつ」
「だとしたら、そのような御方を拘束して悪魔呼ばわりし、奇跡を強要するなど……!場合によっては、我々こそ堕天しなければならなくなります!」
「話聞け」
勝手に盛り上がるラファエルに、冷ややかなつっこみを入れる、2。
2の世界には、唯一神以外の異教の神々も存在し、お互いに尊重し合ってなあなあで共存している。そのため、宗教間のやりとりは、田舎のご近所づきあいのごとく、一見友好的だが、デリケートなものだった。何かへたなことをやらかせば、あっという間にあちこちに広まる。
「彼にもう一度会い、許しを請わなければ再び天界の門をくぐる資格はない!……というわけで、私を彼のところまで連れてってほしいのですが」
「何でそうなるんだよ!」
ひとしきり陶酔した後に図々しいことを言い出すヒゲ天使を、2は怒鳴りつけた。しかし、それくらいでは天使も譲らない。
「彼、かなり怒ってたみたいですし、あなたの仲介なら会ってもらえるかもしれないじゃないですか」
3の、ごみ屑を見るような冷たい表情を思い出し、ラファエルは情けない顔になる。その直前まで友好的だっただけに、3の豹変ぶりは、天使たちの心に大打撃を与えていた。
2の世界の天使たちは、平和な世界で基本的に肯定されて生きているため、精神面が弱いという欠点がある。
「別にてめえらに対して怒ってたわけじゃねえよ。あれは八つ当たりみたいなもんで」
「頼みを聞いてくれるまで、私、ここから動きませんよ」
「脅しの基本形態じゃねえか」
ラファエルが、胸を張る。うめくような声で、2は毒づいた。
「ミカエルには私は悪魔の計略にはまり堕天したとお伝えください」
「もう……お前、ホントに帰れよ!!」
2の怒号が、万魔殿に響き渡る。それが聞き入れられないことは承知の上の、空しい抵抗だった。
結局、ラファエルを天界に追い返したら更に面倒な展開になりそうだったので、彼を連れて2は再び異世界にやって来た。やはり、厄介事を招きよせる体質なのかもしれない。
移送先は、いつもの屋敷の一室。
「ここは……」
ラファエルが、殺風景な空間を見渡す。3は、この部屋には家具を持ち込まなかったらしい。
「言っとくがなあ、あいつがここにいるかはわからねえぞ?いなかったら、帰るからな」
「ここが彼の家ではないのですか?」
「もともと、あいつはこの世界の住人じゃ……いや、世界中を旅してるって話だ」
「なるほど……巡業の旅に……」
感心したように呟く髭の天使を、2が訝しく思っているところに、部屋のとびらが開いた。1が、ぬっと顔を出す。
「何だよ、また来たのか?懲りねえやつだな」
「……何だ、てめえかよ」
当てが外れて、2は拍子抜けした。彼の横にラファエルの姿を認め、1が渋面になる。
「……しかも、天使野郎も一緒か……」
「ああ、先日はどうも失礼しました。これ、つまらないものですけど」
丁寧に一礼し、ラファエルが1の眼前に包装された箱を突き出す。2は、額に手を当てた。
「こいつの分も持ってきたのか、菓子折り……」
「いらねえ……と言いてえところだが、おもしれえからもらってやる」
天使の贈り物を、意外にも1は素直に受け取った。包装紙に印字されている『神の使いモナカエル』という品名を、興味深げに見ている。価値観の違いもあるだろうが、そもそも彼らの世界の字がちゃんと読めているかどうかすら、2には判断できなかった。
「それより、外に出てみろよ。すげえことになってるぜ」
土産物の観察に満足した1が、窓の外を指さす。言われてみれば、以前と雰囲気が違う。
1に押されるかたちで、2とラファエルは屋敷を出る。外は、お祭り騒ぎだった。
「何だこりゃ?何かあったのか?」
広場のあちこちに並ぶ屋台に、賑やかな音楽。色とりどりの花や風船が、空を舞う。呆然とする2の横で、ラファエルが通行人に尋ねた。
「すみません、これは何かのお祭りですか?」
「あんた、知らないのかい?天使様が降臨されたんだよ!」
「なっ……!今来たばかりだというのに、私の存在をこれほど多くの人が!?」
「ちげえだろ、たぶんこの前の件じゃねえか?」
通行人の答えに、天使は驚愕した。すかさず2が、彼の勘違いを訂正する。2の言葉に頷いて、通行人のおやじは、話し始めた。
「ここから少し離れた荒地で、魔王が邪悪な術を発動させて、世界征服をもくろんでいたそうだ」
「……魔王……」
「間違っちゃいねえだろが」
1に視線を遣り、2が呟く。当人は、平然としていた。
「だが、その危機を、勇者様が救ってくださった!激闘の末、勇者様は魔王を倒し、世界を救ってくださったのだ!」
拳を握りしめる、おやじ。まるで見てきたかのような口ぶりである。
「勇者??」
「前回、俺とお前で派手に暴れたろ。それをこいつらはそう解釈したらしいぜ?」
「ってことは勇者ってのは俺か!?」
部外者に聞こえないよう配慮しつつも、2は怒気をはらんだ瞳を1に向けた。彼が魔王ならば、必然的に自分がもう片方である。
「おお……やはりミカエルの兄上ですね。こっちでは善行を行っているじゃないですか。これで胸を張って天界に帰っても」
「で、続きは?」
天使の戯言を遮り、2がおやじに話の続きを促す。おやじは、えへんと咳払いをした。
「勇者様の活躍を祝福して天使様が降臨され、もとは荒野だった戦場は美しい楽園に変わった。これはもう祭りをやるしかないだろう!?」
「……それは……」
「……まあ、頑張れ」
ラファエルと2の微妙な言いよどみを気にも留めず、親切なおやじは「あんた達も楽しみなよ」、と言い残して去って行った。せっかくなので、三人はお祭り状態の街を見て回ることにする。この世界の通貨を持っていないので、本当に見るだけ、である。
「色々誤解が生まれてるのな……」
周囲を見渡しながら、2が先ほどのおやじの説明を反芻する。他の人間たちのうわさ話に耳を傾けると、彼らも似たような話をしていた。天使が降臨したという話は、もはやこの街の人々の共通認識と化しつつあるようだ。
「何とか、訂正しなくては!私たち天使は何もしていないというのに」
「いや、黙っとけよ。ややこしい」
おどおどしながら道行く人々を呼びとめようとするラファエルを、面倒くさそうに2が制した。彼とて無駄な行動だということはわかっているのだろう、天使が、哀しげに俯く。
「本来、人々が崇めるべきなのは、あの青年だというのに……」
「お、そうだ。なあ、あいつはここに来てねえのか?」
3のことを思い出し、2は1に尋ねた。人々が噂するところの『魔王』は、ふてぶてしい調子で鼻を鳴らす。
「あの野郎なら、ちょっと前までいたぜ。もういねえけどな」
「何と……すれ違いになってしまうとは」
それを聞いて、ラファエルが更に肩を落す。手の中で揺れている紙袋が、一層の哀愁を誘った。
「それと、しばらくは来ねえって」
「何でだよ?あいつ、ここを気に入ってたじゃねえか」
2が、不思議そうに問う。てっきり、3はこの世界を拠点にするものだと思っていた。なにせ、屋敷のあちこちに家具を揃えていたのだから。
「前回、あれだけ派手なことしただろ?それでこれだけ大騒ぎになっちまったから、追手が来るかもしれねえとさ」
「……あー……うちの天使どもが来るくらいだからな……」
1の返答に納得し、2はラファエルをじろりとにらんだ。棘のある視線に気づかず、髭の天使が顔を上げる。
「彼は何者かに追われているのですか?」
「おうよ。それはそれは悪いやつらになあ」
1が意味ありげに笑い、
「世界中どこへ逃げても追手が来るんだとさ。執念深いよな」
2もそれに乗る。3が自分の世界のとはいえ、天界に追われている、という遠回しな嫌味である。
「……何と……彼も、迫害を受けて……!
そんな二人の思惑を知らないラファエルは、はらはらと涙を零した。
「何も泣くこたねえだろうが」
「ほっとけ……こいつらの上司にそんな感じのがいるだけだ」
ドン引きする1。何の感慨も受けずに肩をすくめる2。2が言っている上司というのは、神の息子・メシアのことである。彼は、神の教えを広めるために各地を旅し、心無い人々によって迫害され、処刑されて、三日後に復活したという伝承を持っている。
「彼は……天に試練を与えられているのですね……」
「ある意味な」
感慨深げな天使の呟きを、2が無責任に肯定する。1が、芝居がかった動作で天使の肩を叩いた。
「まあ、そういうわけだから、あいつのことは忘れろや。あいつの負担になるだけだ」
「……そうですね、わかりました。もしあなた方が彼にまた会えたら、伝えてください。我々天使は、彼の無事を祈っていると」
白々しいにもほどがある1の説得に、それでも心を動かされ、ラファエルが重々しく告げる。
「おお、任せとけ。そして帰れ」
1と2は、内心ガッツポーズをとった。天界から追われている彼の息災を、天使が祈るという現状に、皮肉めいたものを感じる。
「せめて、彼の名前を教えてはいただけませんか?」
「!いや、その……」
ラファエルに唐突に聞かれ、2は困惑する。本名は知っている。彼と同じルシファーだ。言えるわけがない。
「知らねえ。知ったところで、どうせ偽名だ」
焦る2に助け船を出したのは、1だった。顔色一つ変えずに、平然と嘘をつく。
「あなた方、友人ではないのですか?名前も知らないとは……」
「別にダチじゃねえよ。会ったばかりだって言ってるだろが」
動揺を抑え込んだ2が、首をかしげる天使にそう返した。腑に落ちないのか、ラファエルは眉を寄せる。
「てっきり、数百年来の親友か何かかと思っていたのですが……まあいいです。
では、せめてあなたのお名前を」
「人の名を聞く前にてめえが名乗れ。礼儀の基本だ」
天使の問い掛けに、1は無愛想に応じる。彼もまた、ルシファーと名乗っている。内心冷や汗をかきつつ、2は状況を静観した。
「失礼いたしました。私は四大天使の一人・ラファエル。癒しの天使とも言われています。」
「……四大天使か。大物だな」
「それほどでも。それで、あなたの名は?」
ラファエルと1のやり取りを、2が固唾をのんで見守る。彼の緊張が伝わったのか、1が、観念したようにため息をつき、告げた。
「…………シーザーだ」
夕闇が、街を紅く染める。祭りは、まだこれからだ。人々が広場に向かって駆けていく中、1と2は何をするでもなく、立ち尽くしていた。そこには、ラファエルの姿はない。
「はぁ……やっと帰りやがった」
心底安堵して、2が胸をなで下ろす。そんな彼を、1が冷ややかに見下す。
「あんなの連れてくんなよ、せっかく天使どもがいねえ世界だっつーのに」
「好きで連れてきたわけじゃねえ」
2の弁解は、どこか勢いを欠いている。よほど心臓に悪い体験だったのだろうが、彼が元凶なだけに、1としては微塵も同情する気はない。
「しっかし……ホントに馴れ合ってんだな、お前のとこの天使と悪魔はよ。温すぎだろ」
「普段からあんなんじゃねえよ、今回はその……特別っつーか……」
「悪魔の王のルシファー様が天使と仲良く異世界を観光とか。ありえねえっつの」
呆れながら、毒づく。天界とはあまり接点がないと言っていた1だが、それでも悪魔にとって、天使が不倶戴天の敵だという認識は、彼の身体に刻み込まれている。馴れ合いなど、甚だ不本意であった。
「また改名しろとか言い出す気か?」
「言わねえよ、自分で別の名前名乗っちまったし。バカらしい」
1が、鼻先で笑い飛ばす。いつもとは違い、そこには自嘲も含まれているように見受けられる。2は、1の仏頂面をまじまじと見つめた。
「お前、あそこでよく偽名使ったな。てっきり本名を言うかと思った」
「俺様でもそこは空気読むっつの。バカ正直に名乗ったら面倒なことになるくらいわかるわ」
「……まあ、それもそうか……」
1の分析は、得心が行くものだった。意外と冷静に物事を見ている。考えなしの猪武者ではないのだと、2は1の評価をほんの少しだけ改めた。
「それに、あれは偽名じゃねえ」
屋敷に戻ろうと歩きかけた2は、1の追加の一言で動きを止めた。
「は?じゃあ、何なんだよ」
「ルシファーになる前の俺様の名前だよ。まあ、本名だな」
「ルシファーになる前?」
「ルシファーっつったら、地獄最強の悪魔のみ名乗ることを許される称号だろうが」
それが常識であるかのように、1が言い放つ。
「そんなん初めて聞いたぞ!?」
「お前の世界じゃ違うのか!?」
2と1は、顔を見合わせた。やはり彼らは、別の世界の存在なのだということを、再度実感する。お互いが当たり前だと思っている事柄が、微妙なところで食い違うのだ。
「俺は生まれたときからルシファーだ。たぶんあいつもそうだろ」
「……俺ら悪魔が必死こいて最強争いして得られる称号が、異世界ではただの名前扱いかよ……」
1が、低い呻きを漏らす。2は、首を振った。
「ただの名前じゃねえよ。光を掲げる者。地獄の王の名だ」
「…………けっ」
2のフォローととれなくもない発言を、1が不真面目に聞き流す。彼の世界のそれとは異なるものの、自分の世界でもルシファーは重要な存在だということを、1にはわかってもらえていないらしい。2は、話題を変えることにした。
「ところで、あいつマジでもう来ねえのか?」
「さっきそう言っただろうがよ」
不機嫌を引きずっているのか、1の返答はにべもない。今日、3に会えたのは彼だけだ。そして、それが最後の別れになる可能性も十分にある。
「……そっか」
「あいつけっこう使えるし、俺様の部下にしてやろうと思ってたんだがな。惜しいことしたぜ」
1が、心底残念そうに、手に持っていた菓子折りを指でくるくると回す。中身がどうなろうと、気にも留めていない。時間操作の能力を持つ彼ならば、どんな状態でも復元できるのだろうが。
「お前も同じこと考えてたのか!?」
「何だ、お前もかよ。あんな能力見せられちまったらな」
1は、祭りの横断幕に目を遣った。そこには、天使降臨の奇跡の絵が描かれている。実際に3が引き起こした現象は、絵など比べ物にならないほど優美で、それでいて底知れぬ力を感じさせるものだった。
「……俺は別に、力が目当てじゃねえよ。ただ、あいつが……」
2が、ばつが悪そうに視線を落した、その時。広場とは反対方向の通路から、悲鳴が上がった。
「何だ!?」
「化け物だ!!」
街の人々が、二人の横をすり抜けて、逃げて行く。
道の中央に、異形の者がいた。仮面をかぶった、人形のような奇妙ないでたち。両腕部分が、剣のように鋭く尖っている。
「何だあいつ?」
1が、身構える。人間たちが完全にいなくなったことを確認し、2も怪物を睨み据えた。
「見たことねえ面だな」
「俺も見覚えねえ」
「おい、まさか……」
2の脳裏に閃いた推測は、次の瞬間、確信に変わる。怪物が、口を開いた。錆びた機械のような軋みが、意味を伴って紡がれる。
『神の名のもとに、捕縛……るし、ふぁ……』
「「あいつの世界の追手!!」」
そして、二人は同時に驚愕の声を上げた。
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