L-Triangle!1-7
- 2014/02/08
- 17:20
2の世界。地獄の空は、今日も憂鬱である。ちなみに、空の下は更に憂鬱だ。罪人たちの苦痛の呻きが、絶え間なく聞こえてくるのだから。常人ならば気が狂うほど恐ろしい光景も、地獄の管理者であり、支配者である悪魔たちにとっては、日常の一コマでしかない。地獄の王・ルシファーである2も、今日も淡々と執務室で事務仕事を片付けていた。
「……はぁ」
「ため息多いな。何回目だ?」
2と同室で、PCに向かって入力仕事をしている親友が、手を止めて、顔を上げた。
「知るかよ」
親友の気遣いに対する2の返事は、そっけない。それはいつも通りのことだったので、親友は苦笑した。
「ため息つきすぎると、早死にするぜ?」
「俺は殺したって死なねえっつの。お前もよくわかってるだろうが」
「そりゃそうだけどよ」
親友の軽口に、2はつれなく返す。2が不死身なのは、事実だった。神に反旗を翻し、弟にぶちのめされたあげくに、天上から深き地の底へと堕とされても、2は死ななかった。それどころか、天に向かって大声で悪態をついていたのを、彼は間近で見ている。
親友が何も言わなくなったのをいいことに、2は仕事をしつつも、思案に暮れる。内容は、先日、異世界で起こった出来事についてである。
(あの化け物……また、襲ってきやがった。しかも途中で消えやがって。おかげで、何が何だかさっぱりわからねえ。おまけに、あいつも何か上の空だったし……まあ、生きてたのはいいけどよ)
天界からの追手による襲撃の後、2は3と合流した。その後、これまで起こったことを説明してもらったのだが、3は時折、何か考え事をしているようだった。2は、どうしたのかと問い詰めたのだが、3の答えは「何でもない」。
元々、これらの件は3の世界に関係する話なので、部外者である2としては、3が口を閉ざす以上は深くは追及できず、「気をつけろ」などとありきたりな警告をするにとどめたのだが……。
「なあ」
「あぁ?」
2の黙考を遮ったのは、またしても親友だった。無意識ではあるが、不機嫌そうに睨み返してしまい、2は我に返って視線を逸らす。彼の八つ当たりを気にも留めず、親友が席を立ち、2の傍まで来た。
「いい加減、お前が最近ご執心の何かについて教えてもらえねえの?」
「……あー……まあ、大したことじゃねえし」
顔を覗き込まれ、2は狼狽する。ゴーグルの奥の、親友の目は、真剣みを帯びていた。
「ラファエルの野郎も何か知ってるみてえだし、あいつには話せるのに俺には言えねえのか?」
「そういうわけじゃねえよ。ただ……」
「ただ?」
「色々ややこしくて、何て説明したらいいか俺にもよくわからねえんだ」
親友に本気で心配をかけていることに気づいて、2は正直に己の心情を打ち明けた。異世界のことも、他の二人のルシファーのことも、彼は実のところあまりよく知らない。
「俺、信用ないか?」
「んなわけねえだろ!?お前は俺の親友だ」
少し寂しげな親友の問いかけに対し、2はあわてて否定した。彼が、自分を支えるためにどれほど尽力してくれているかは、痛いほど身に染みている。それでも、この件に関しては、自分の一存で軽々しく口外してはいけないと、2は感じていた。一度誰かと事実を共有してしまったら、何かが崩れる。そんな気がしてならないのだ。
「……ま、とにかく、単独で危険なことするのはやめとけよ。お前に何かあったら、俺ら悪魔全員が動くからな」
2の苦しい言い逃れに、それでも納得してくれたのか、親友は自分の席へ戻って仕事を再開した。もちろん、2の無鉄砲さにくぎを刺すことは忘れない。
「……ああ……わかってるよ」
親友に笑い返し、2は窓の外を見る。今日も地獄は拷問に苦しむ罪人たちでごった返し、阿鼻叫喚な状態である。彼らへの責めは、最後の審判の日まで、永久に続くだろう。それまでは、自分にはこの地獄を維持する責務がある。
「俺の体が、俺一人のものじゃねえってことくらい、わかってるさ」
罪人を追い回す悪魔たちの仕事ぶりをながめつつ、2は呟いた。
異世界の街・ナンナルの屋敷。世界は違えど、思いに沈むルシファーが、ここにもいた。
すっかり生活の拠点と化している広間のソファーに腰掛け、3は教会から借りてきた文献のページをめくる。しかし、内容は全く頭に入らなかった。彼の心は、別のところにある。
(追手の襲撃現場を見張っていたあの不審人物は、おそらく私と同じ世界からやってきた天使だろう)
先日、2が天界からの追手に襲撃されたとき、何者かがその現場を見下ろしていることに気づいた3は、アスタロトと別行動をとった。建物を駆け上り、屋上へ到着した直後に不審者はいなくなってしまい、3は何の成果もないままで2やアスタロトと合流するしかなかった。
(狙いは、何だ?あの現場に、私はいなかった。なら、私ではなく、他の何かを狙っている?……意図が読めない)
「フォース様」
(せめて、あいつの顔だけでも確認できれば良かったんだが、飛んで逃げられるのがオチだっただろうし)
「フォース様、ちょっといいですか?」
(あいつの存在に私が気づいていないことを踏まえて、対策を練らないと)
「フォース様!!!」
「うわあ!?」
耳元で大声で呼びかけられ、3は文字通りソファーから飛び上がった。
「な、何だい、いきなり」
「もう……さっきからずっとお呼びしていましたけど」
腰に手を当てて、アスタロトが3を半眼で睨む。少年としては、ここまで無視をされ続けたうえ、咎められるのは甚だ不本意である。
「あ、ごめん。で、どうかした?」
「お客様ですよ」
アスタロトが、そっけなくドアの方を指し示す。かなり気分を害したらしく、すねているようだ。これは後でご機嫌をとらないとダメかな、と3は主君らしからぬことを考える。
「客……?」
「あ、あの、お邪魔します」
3が視線を向けた先で、照れたように会釈したのは、2の弟である2ミカだった。アスタロトが彼を「ルシファー」ではなく「フォース」と呼んでいたのは、2ミカがいたためだったのだ。
「ミカ君!どうしてここに?今日はお兄さん、まだ来てないよ?」
「なら良かった……。この間は、ありがとうございました。酔い潰れた私を、介抱してくださったそうで」
2ミカが、再度丁寧に頭を下げる。青年の礼儀正しさに、3はつられたように立ち上がった。
「ああ、あの後、急いで帰っちゃったものね。仕事には間に合った?」
「は、はい。大丈夫でした。ちゃんとお礼を言えなかったので、それで……」
「それで、会いに来てくれたの?律儀だなあ」
「二日酔いを覚悟していたのに体調がすごく良かったんですけど……フォースさんのおかげ、ですよね?」
少し不安げに、2ミカが聞いてくる。先日、宴会で1に酔い潰されたことまでは記憶しているのだが、その先については確信がなかったのだ。助けてくれたのが3だったらいいな、というほんの少しの願望も混じっている。
「ああまあ、そういうの得意だから。大した特技じゃないけど」
「そんなことないです!ホントに、助かりました!」
本当に3のおかげだったと知り、2ミカは顔を輝かせた。酩酊状態の彼の頭を優しく撫でてくれたのは、やはりこの美青年だった。そう思うと、嬉しいと同時に恥ずかしさで胸が爆発しそうになる。
「君も大変な立場だものね」
「そ、そんな!あなたの方こそ……。ラファエルが言っていました。あなたは迫害を受け、各地を放浪する聖人なのだと。まるで、あの方のように」
2ミカが、尊敬のまなざしを3に向けてくる。唯一神の息子であるメシアを、3に重ねてみているのだが、メシアの存在自体を知らない3が、それに気づくことはなかった。
「え?いや、私はそんな大したものじゃ」
「そう!そうなんですよ!フォース様は聖人です!誰が何といおうと、正しき心を持つ御方なんです!」
2ミカの言葉の意味がわからないながらも謙遜しようとする3を、アスタロトが押しのける。3に忠誠を誓う彼は、主君が讃えられていることを本人よりも敏感に察知していた。
「やはり、そうなんですね!」
「そうですとも!」
「あの、アスターは私の従者みたいなものだから、憧れ補正的なものが入りまくってて……聞いてないね、二人とも」
意気投合し、2ミカとアスタロトが、手を取り合う。きらきらと目を輝かせる二人を見て、3は少し引いた。
「……だから、せめて私の気持ちだけでも受け取っていただきたいんです」
はにかみながら、2ミカがひとつの装身具を差し出す。それは、繊細な銀細工がほどこされた、見事なものだった。
「何?これ、腕輪?きれいだね」
「私の祝福が込められたアミュレットです。あなたが、災厄を少しでも避けられるようにと祈りを捧げました」
「君、彼の世界の天使長だったよね?これ、すごいものなんじゃあ……」
「……ご迷惑ですか?ちょっと、重いですか!?わ、私、愛情とか親愛の情が重いってよく言われてて」
おずおずと腕輪を受け取る3を見て、2ミカが涙を潤ませる。あわてて、3は彼の言葉を遮った。
「そ、そんなことないよ、うれしい。ありがとう」
「良かった……!これで、安心して帰れます」
涙を引っ込めて、2ミカは胸をなで下ろす。2の世界の天使たちは、正義側という立場におり、日頃から甘やかされているため、精神的にとても打たれ弱い。それは、天使長である2ミカも同様だった。
「もう帰っちゃうのかい?」
「実は、仕事をちょっと抜け出してきているので。失礼します!」
「そうなんだ……また、いつでもおいで」
「ええ、ぜひ!」
うれしそうに頷いて、来たとき同様、あわただしく2ミカは帰って行く。彼が残していった腕輪を、二人はまじまじと見つめた。
「いいひとですね、あの方」
「……同じミカエルとは思えないくらいにね」
ため息をつき、3は腕輪をはめた。重厚な見た目とは裏腹に、存在を感じさせないほどに軽い。アスタロトの物問いたげな視線に気づき、3は首をかしげて彼に発言を促した。
「フォース様、大丈夫ですか?それ、身に着けていても」
「何が?」
「いえ、言いにくいのですが、我々は悪魔ですし。シーザー様やカイン様のお話によると、聖なるものに触れた悪魔は、逆に傷つくのだとか……」
3と再会する前、異世界に独りで滞在していたアスタロトを気遣ってか、1と2はたびたび彼を訪ねては『悪魔の心得』『悪魔として生きていくうえでの注意点』などを伝授していた。その教育の成果があってか、久しぶりに会ったアスタロトは、ずいぶんと考え方が物騒になっていた、と3は述懐する。
「うーん……今のところ、そんな兆候はないけど……。心配なら、君も触ってみる?」
「そうですか?では、失礼して……」
そう言われ、アスタロトはおそるおそる腕輪に触れてみる。すると、腕輪から電撃が放たれた。
「うわっ……」
「アスタロト!!大丈夫?」
「や、やっぱり、あのお二方の言っていたことは本当だったんだ……」
腕を押さえて、アスタロトが青ざめる。見たところ、外傷はなかった。
「私は平気なのになあ……。悪魔とかは関係なく、防御の力が強すぎるのかもね」
腕輪を軽くなで、3はあらためて2ミカは只者ではないことを確信すると同時に、『親愛の情が重い』という評判が、悪意によるでたらめではないということを実感する羽目になった。いっそ腕輪を外してしまおうかと迷う主君に、アスタロトがジト目で棘のある言葉を言い放つ。
「それなら、ナンパは当分控えていただかないといけませんね。女性が感電したら大変ですしー」
3が、顔を引きつらせる。アスタロトにとって、2ミカは3を崇拝する貴重な同志である。彼の好意を無碍にすることは、いかに主君本人とは言え、許しがたいようだ。
「うぅ……さっさと事件解決しよう……」
3にとっては、天界に追われることより女の子と遊べないことの方が大打撃らしい。がっくりと肩を落す3を見守るように、腕輪は静かに光を放っていた。
それから数日後。仕事がひと段落したため、2は久しぶりに異世界を訪れた。転移先である屋敷の部屋から出るところを、アスタロトが出迎える。
「カイン様!いらっしゃいませ」
「よお」
礼儀正しく一礼する少年に、2は片手を上げて返す。いちいち迎えに来なくてもいい、とアスタロトには告げてあるのだが、律儀なのは彼の性分らしい。
「フォース様は、外出中です」
問われる前に、アスタロトが3の予定を報告する。3がフォース、という偽名を使っていることは、説明済みだった。そして、3と二人きりの時以外は、自分のことをルシファーではなくフォースと呼ぶように、とアスタロトは言われている。同じルシファーである1と2に気を遣ってのことだが、真相を少年は知らされていない。
「またか?あいつ、よく一人で出かけるな。狙われてる立場だって自覚あるのかよ?」
怪訝な表情で、2が軽率とも取れる3の行動を咎める。
「それなのですが……」
「あぁ?」
「この前の襲撃の時、フォース様は騒動の一部始終を見ている怪しい人物がいることに気づいたそうです」
アスタロトが、主君のフォローをすべく事情を話し始める。悩んだ末に3は、彼や他のルシファー達と情報を共有することにしたのである。
アスタロトはともかくとして、部外者の1と2を自分の都合に巻き込んでしまう、という罪悪感はあるが、2が天界の追手に襲われた以上、すでに彼らも天界から敵として見られている可能性は否定できない。
「怪しいやつ?誰なんだよそいつは」
「おそらくは、天界の者でしょう。正体は確認できなかった、と……」
アスタロトの言葉に、2はしばし考え込む。3が思い悩んでいた理由が判明したのは収穫だったが、新たな問題が生じた。
「……奴らの狙いは、あいつじゃないってことか?」
「間接的にフォース様を狙っているのは確かでしょうが、直接何を仕掛けてくるかは不明です。そこで、あえて囮になってみようという作戦だそうでして」
「まあ、雑魚ならあいつ一人でも大丈夫だろうがなあ……」
3の言い分にとりあえず納得はしたものの、それでも2としては安心しきれない。彼の能力の高さは認めているが、2にとって、3はどこかあぶなっかしく見えるのだ。それは、保護欲を刺激されてしまったゆえの、身勝手な解釈なのかもしれないが。
「私も、これから街に出てみようかと思っています。カイン様はどうされますか?」
「お前らの事情はお前らで解決しろよ。俺の出る幕じゃねえ。適当に好きにして、適当に帰るさ」
つい、あれこれ干渉しそうになっている自分に気づき、2はあえて突き放す対応をした。先刻、親友にも忠告されたばかりである。彼には、彼の守るべき世界がある。
「そうですか。追手に遭遇する可能性もありますので、くれぐれもお気をつけて」
一礼し、アスタロトは部屋を出て行く。ちなみに、2ミカとの接触に関しても、3から口止めされているので、その件については触れなかった。
「……まあ、特にすることもねえけどな」
ばたばたと去って行くアスタロトを見送り、2はごろん、と広間のソファーに寝そべった。
そのころの3は、教会にいた。
「天使なら教会にいるかな、なんてさすがに虫がいいかな」
辺りを見回しつつ、一人、ごちる。そんな彼を、顔なじみのシスターたちが取り囲んだ。
「こんにちは、フォース様!」
「今日はお一人なんですね!」
麗しの君を前に目を輝かせる、少女たち。いつも話の途中で3を連れて行ってしまう、可愛らしくも憎たらしい従者の少年の姿が見当たらないことが、彼女たちのテンションに拍車をかける。
「やあ、君たち」
そんなシスター達の内心を知ってか知らずか、3の対応はいつも通り、穏やかである。そんな彼のちょっとした変化を、少女のうちの一人が指摘する。
「フォース様、その腕輪すてきですね」
「ああ、これは……」
目敏いな、と思いつつ、3が口を開いたとき、他のシスターが会話に割って入った。
「まさか、恋人からの贈り物ですか?」
一人が、青ざめた顔で尋ね、
「いやあああ!!フォース様に、恋人だなんて!」
他の一人が、悲鳴を上げる。困惑し、3は首を振った。
「お、落ち着いて、恋人じゃないよ、友だちがくれたんだ」
3の返答は、彼女たちにとっては混乱を加速させる要素にしかならなかったようだ。鬼のような形相で、残りのメンバーが聞いてくる。
「その友だちって女の子ですか!?」
「どこの誰が抜け駆けを……!」
「お、男の子だよ?」
3が発した一言で、この世が終わるかのように大騒ぎをしていたシスターたちは、ぴたりと静かになった。
「それはそれで……」
「どんな子ですか?かっこいい系?かわいい系?」
「フォース様のお友達だもの、素敵な方に違いないわ!」
「私たちにも、ぜひ紹介してくださいね!」
冷静に分析する者・未知の異性に心を躍らせる者・妄想する者……少女たちの反応は、実に個性的である。
(腕輪ひとつでこの盛り上がりよう……平和だなあ)
苦笑しつつ、和やかな雰囲気を3は楽しんでいた。
寝ていてもしょうがないので、とりあえず外に出て、2は先日の事件跡に行ってみることにした。生々しい破壊跡が、壁や石畳に残されている。
「ヤツがもう一度ここに来るってのは……さすがに虫が良すぎるか」
用心深く周囲を警戒しつつ、呟く。同時刻に、別の場所で3が似たようなことを言っていたことを、当然ながら彼は知らない。
「あ、この間助けてくれた兄ちゃんだ!」
「ん?」
振り向き、少し視線を下げると、二人の少年がそこにいた。先日、追手の襲撃の際に助けた子供たちだった。二人とも、アスタロトと似た簡素なチュニックを着た、どこにでもいそうな少年たちである。
「兄ちゃん、ありがとう!かっこよかったぜ!」
「別に……。大したことじゃねえ」
愛想のない2に、少年たちは心からの感謝を述べる。どうやら、2になついてしまったらしい。2の周囲をうろうろしつつ、彼らは無邪気に聞いてきた。
「なあなあ、兄ちゃん、ひょっとして勇者様なのか!?」
「……ちげぇよ」
「そうだよなー!兄ちゃんは勇者って感じじゃないもんな~」
少年の問いを否定すると、もう一人が然もありなん、と言う風に肩をすくめる。ふと疑問が思い浮かんだので、2は聞いてみることにした。
「……勇者ってのは、お前らの中ではどんな感じなんだ?」
質問を返されて、少年たちは一瞬、言葉に詰まり、しばし考えた後に答える。
「えっと、すっげえ強くて、かっこいいんだよ!」
「俺たちまだ会ったことないけど、いつか会いたいよな~」
目を輝かせて顔を見合わせる、少年たち。漠然とした勇者像しか思い浮かばず、2は更に首をひねるはめになった。
2の世界には、勇者が出てくるゲームが星の数ほど販売されているので、それらを思い浮かべれば少年たちにも共感できたのだろうが、残念なことに、彼自身はいわゆるコンピュータ・ゲームに全く興味がなかった。
ちなみに、歴史上の英雄だと、あまりにパターンが豊富なため、余計にあやふやな像になる。
「……イメージわかねえなあ。とにかく、また化け物が出るかもしれねえから、あまり出歩くなよ」
「うん!兄ちゃん、またな~」
素直に頷いて、手を振りながら、少年たちは走り去った。
「……勇者様、ねえ……」
自分の勇者姿をつい想像しようとしてしまい、うんざりして首を振る。この世界に来ると、本業を忘れがちになる。
(ガキを助けて、感謝されて……ったく、らしくねえにもほどがあるだろ)
だが、悪い気分ではないのも事実である。新しい自分を発見し、2は自分で思っていた以上に動揺していたのだろう。大きな水瓶を持った少女がよろよろと近づいてきていることに、彼は全く気づかなかった。
「きゃっ!!」
「!」
少女の悲鳴が耳に届き、水瓶の水がこぼれて、2の全身にかかる。灼熱で炙られるような痛みが、体中を駆け巡った。
「熱……っ」
「す、すみません!大丈夫でしたか!?」
「……てめえ」
「すみません、すみません!!」
怒気を通り越し、殺気をこめて睨みつけると、少女は縮こまって、必死に許しを乞うていた。悪意が感じられない真摯さに、頭が急速に冷えていく。
「……いや、いい。気をつけろ」
舌打ちし、言い放つ。少女は、ころびそうになりながら逃げ去って行った。
「これ……やべえな」
背中が溶ける感覚に、2は顔を引きつらせた。
見回りを終え、あまりの収穫のなさに落胆しつつ屋敷に帰ったアスタロトは、ソファーでぐったりとしている2を発見した。その、尋常でない雰囲気を感じ取り、あわてて駆け寄る。
「カイン様、どうかしましたか!?」
「……あー……。帰ったのか」
けだるげに、2が寝返りを打つ。その額には汗が浮かび、高熱に冒されているように、息が荒い。
「ま、まさか、天界のやつらが……!」
「いや、違う。単に俺がドジっただけだ」
アスタロトの懸念を、かすれた声で2は否定した。アスタロトは、痛ましい表情になる。これほど弱々しい2を、今まで見たことがなかった。
「……何があったんです?」
「通行人にぶつかってな。聖水、引っ被っちまった。このままじゃ帰れねえ」
「聖水……?」
「教会で聖別された水だよ。そういうのに、悪魔は弱いって話したろ?」
そう言われて、アスタロトは以前1や2によって吹き込まれた『悪魔の心得』を思い出す。その中の一つに、『天使や教会によって清められたものはヤバいから逃げろ』というものがあった。
実を言うと、3の世界においても強力な祈りが込められた聖水は拷問道具に使われているのだが、拷問の類は3ミカの指揮下で秘密裏に行われていたため、アスタロトが知らないのも無理からぬことだった。
「そうだ、浄化してみます!」
ようやく思い立ち、アスタロトは2の体に手を当てて精神を集中させる。痛みが軽くなっていくことに、2は安堵した。
「……どうでしょう」
「……あぁ。だいぶ良くなった」
「よ、よかった……」
アスタロトが、胸をなで下ろす。しかし、2はゆっくりと首を振った。
「けど、悪ぃが完全じゃねえ。かなり強力なやつだな、これ」
肩を回しつつ、2はソファーから身を起こした。そんな彼を見るアスタロトの視線が、厳しいものに変わる。
「……その通行人、本当にただの人間だったんですか?」
「ああ、普通の若い女だったぜ?」
アスタロトに尋ねられ、2は聖水をかけられた時のことを思い返す。大きい水瓶を抱えていた金髪の娘は、街のどこでも見かけるような、普通の少女だった。とりわけ美しいわけでもなく、大した力も感じなかったため、2は彼女を見逃したのだ。
「もしかすると、天界の者の変装かもしれません。彼らとて、一般人に溶け込む知恵はあります。あるいは、他人の身体を乗っ取り、操っている可能性も考えられるかと」
「はぁ?何で俺がお前らの世界のやつらに狙われなきゃならねーんだよ」
アスタロトの推測に、2は反論する。前回の追手に関しては、たまたま出現したところに彼がいただけかもしれないが、今回は、事故ではないとしたら、明らかに彼を狙ったものだ。
2としては、3の世界にそこまで恨まれる謂れはない。
「それはわかりませんが……カイン様にこれほどの深手を負わせる聖水なら、かなり純度が高いものではないでしょうか?そんなものを、普通の人間が用意できるとは思いませんし……」
「……ふざけやがって」
床を蹴り、2は立ち上がった。アスタロトの言葉は、正論だった。平和ボケして、思考停止していた自分が苛立たしい。
「お、お供します!」
「来るな!」
「ですが……」
なおも言い募ろうとするアスタロトを振り切って、2は屋敷を後にした。聖水により傷つけられたのが故意だとしたら、彼としては黙っているわけにはいかない。
(俺は地獄の王、ルシファーだ!異世界の天界だろうと、売られたケンカは買ってやる)
怒りにまかせて、街道を突き進む。日は暮れかけて、闇が街を覆いつつあった。
「あ、兄ちゃん!!」
普通の人間ならば、道を譲るほどの剣幕の2に、声をかけてくる強者がいた。それは、先ほど別れたはずの、子どものうちの一人だった。
「何だよガキ、俺はいそがし……」
「ピリポが化け物にさらわれちゃったんだ!」
「あぁ……?」
「お願い、助けて!!」
少年が、泣きついてくる。目の前の大人の怒りが、八つ当たりとして自分に向ってくるかもしれないということに、彼は気づいていなかった。いや、たとえ振り払われたとしても、彼は友人の無事を願っただろう。
「……お前、トモダチがどこに連れて行かれたかわかるか?」
「うん!!」
不機嫌最高潮な2に、少年の真摯さが届いたかどうかはわからない。だが、2は、少年に連れられて町はずれの廃墟まで来ていた。
「ここだよ、あいつ、ここに連れ込まれたんだ!」
「わかった。もういいから、お前は帰れ」
「ピリポのこと、頼んだぜ!!」
2の骨ばった手を握り、少年は駆け去って行く。2のことを、彼は完全に信頼していた。
(……アスタロトの言葉は、正しかったみたいだな。おもしれえ、後悔させてやるぜ)
不敵に笑い、2は、廃墟に足を踏み入れた。
「……はぁ」
「ため息多いな。何回目だ?」
2と同室で、PCに向かって入力仕事をしている親友が、手を止めて、顔を上げた。
「知るかよ」
親友の気遣いに対する2の返事は、そっけない。それはいつも通りのことだったので、親友は苦笑した。
「ため息つきすぎると、早死にするぜ?」
「俺は殺したって死なねえっつの。お前もよくわかってるだろうが」
「そりゃそうだけどよ」
親友の軽口に、2はつれなく返す。2が不死身なのは、事実だった。神に反旗を翻し、弟にぶちのめされたあげくに、天上から深き地の底へと堕とされても、2は死ななかった。それどころか、天に向かって大声で悪態をついていたのを、彼は間近で見ている。
親友が何も言わなくなったのをいいことに、2は仕事をしつつも、思案に暮れる。内容は、先日、異世界で起こった出来事についてである。
(あの化け物……また、襲ってきやがった。しかも途中で消えやがって。おかげで、何が何だかさっぱりわからねえ。おまけに、あいつも何か上の空だったし……まあ、生きてたのはいいけどよ)
天界からの追手による襲撃の後、2は3と合流した。その後、これまで起こったことを説明してもらったのだが、3は時折、何か考え事をしているようだった。2は、どうしたのかと問い詰めたのだが、3の答えは「何でもない」。
元々、これらの件は3の世界に関係する話なので、部外者である2としては、3が口を閉ざす以上は深くは追及できず、「気をつけろ」などとありきたりな警告をするにとどめたのだが……。
「なあ」
「あぁ?」
2の黙考を遮ったのは、またしても親友だった。無意識ではあるが、不機嫌そうに睨み返してしまい、2は我に返って視線を逸らす。彼の八つ当たりを気にも留めず、親友が席を立ち、2の傍まで来た。
「いい加減、お前が最近ご執心の何かについて教えてもらえねえの?」
「……あー……まあ、大したことじゃねえし」
顔を覗き込まれ、2は狼狽する。ゴーグルの奥の、親友の目は、真剣みを帯びていた。
「ラファエルの野郎も何か知ってるみてえだし、あいつには話せるのに俺には言えねえのか?」
「そういうわけじゃねえよ。ただ……」
「ただ?」
「色々ややこしくて、何て説明したらいいか俺にもよくわからねえんだ」
親友に本気で心配をかけていることに気づいて、2は正直に己の心情を打ち明けた。異世界のことも、他の二人のルシファーのことも、彼は実のところあまりよく知らない。
「俺、信用ないか?」
「んなわけねえだろ!?お前は俺の親友だ」
少し寂しげな親友の問いかけに対し、2はあわてて否定した。彼が、自分を支えるためにどれほど尽力してくれているかは、痛いほど身に染みている。それでも、この件に関しては、自分の一存で軽々しく口外してはいけないと、2は感じていた。一度誰かと事実を共有してしまったら、何かが崩れる。そんな気がしてならないのだ。
「……ま、とにかく、単独で危険なことするのはやめとけよ。お前に何かあったら、俺ら悪魔全員が動くからな」
2の苦しい言い逃れに、それでも納得してくれたのか、親友は自分の席へ戻って仕事を再開した。もちろん、2の無鉄砲さにくぎを刺すことは忘れない。
「……ああ……わかってるよ」
親友に笑い返し、2は窓の外を見る。今日も地獄は拷問に苦しむ罪人たちでごった返し、阿鼻叫喚な状態である。彼らへの責めは、最後の審判の日まで、永久に続くだろう。それまでは、自分にはこの地獄を維持する責務がある。
「俺の体が、俺一人のものじゃねえってことくらい、わかってるさ」
罪人を追い回す悪魔たちの仕事ぶりをながめつつ、2は呟いた。
異世界の街・ナンナルの屋敷。世界は違えど、思いに沈むルシファーが、ここにもいた。
すっかり生活の拠点と化している広間のソファーに腰掛け、3は教会から借りてきた文献のページをめくる。しかし、内容は全く頭に入らなかった。彼の心は、別のところにある。
(追手の襲撃現場を見張っていたあの不審人物は、おそらく私と同じ世界からやってきた天使だろう)
先日、2が天界からの追手に襲撃されたとき、何者かがその現場を見下ろしていることに気づいた3は、アスタロトと別行動をとった。建物を駆け上り、屋上へ到着した直後に不審者はいなくなってしまい、3は何の成果もないままで2やアスタロトと合流するしかなかった。
(狙いは、何だ?あの現場に、私はいなかった。なら、私ではなく、他の何かを狙っている?……意図が読めない)
「フォース様」
(せめて、あいつの顔だけでも確認できれば良かったんだが、飛んで逃げられるのがオチだっただろうし)
「フォース様、ちょっといいですか?」
(あいつの存在に私が気づいていないことを踏まえて、対策を練らないと)
「フォース様!!!」
「うわあ!?」
耳元で大声で呼びかけられ、3は文字通りソファーから飛び上がった。
「な、何だい、いきなり」
「もう……さっきからずっとお呼びしていましたけど」
腰に手を当てて、アスタロトが3を半眼で睨む。少年としては、ここまで無視をされ続けたうえ、咎められるのは甚だ不本意である。
「あ、ごめん。で、どうかした?」
「お客様ですよ」
アスタロトが、そっけなくドアの方を指し示す。かなり気分を害したらしく、すねているようだ。これは後でご機嫌をとらないとダメかな、と3は主君らしからぬことを考える。
「客……?」
「あ、あの、お邪魔します」
3が視線を向けた先で、照れたように会釈したのは、2の弟である2ミカだった。アスタロトが彼を「ルシファー」ではなく「フォース」と呼んでいたのは、2ミカがいたためだったのだ。
「ミカ君!どうしてここに?今日はお兄さん、まだ来てないよ?」
「なら良かった……。この間は、ありがとうございました。酔い潰れた私を、介抱してくださったそうで」
2ミカが、再度丁寧に頭を下げる。青年の礼儀正しさに、3はつられたように立ち上がった。
「ああ、あの後、急いで帰っちゃったものね。仕事には間に合った?」
「は、はい。大丈夫でした。ちゃんとお礼を言えなかったので、それで……」
「それで、会いに来てくれたの?律儀だなあ」
「二日酔いを覚悟していたのに体調がすごく良かったんですけど……フォースさんのおかげ、ですよね?」
少し不安げに、2ミカが聞いてくる。先日、宴会で1に酔い潰されたことまでは記憶しているのだが、その先については確信がなかったのだ。助けてくれたのが3だったらいいな、というほんの少しの願望も混じっている。
「ああまあ、そういうの得意だから。大した特技じゃないけど」
「そんなことないです!ホントに、助かりました!」
本当に3のおかげだったと知り、2ミカは顔を輝かせた。酩酊状態の彼の頭を優しく撫でてくれたのは、やはりこの美青年だった。そう思うと、嬉しいと同時に恥ずかしさで胸が爆発しそうになる。
「君も大変な立場だものね」
「そ、そんな!あなたの方こそ……。ラファエルが言っていました。あなたは迫害を受け、各地を放浪する聖人なのだと。まるで、あの方のように」
2ミカが、尊敬のまなざしを3に向けてくる。唯一神の息子であるメシアを、3に重ねてみているのだが、メシアの存在自体を知らない3が、それに気づくことはなかった。
「え?いや、私はそんな大したものじゃ」
「そう!そうなんですよ!フォース様は聖人です!誰が何といおうと、正しき心を持つ御方なんです!」
2ミカの言葉の意味がわからないながらも謙遜しようとする3を、アスタロトが押しのける。3に忠誠を誓う彼は、主君が讃えられていることを本人よりも敏感に察知していた。
「やはり、そうなんですね!」
「そうですとも!」
「あの、アスターは私の従者みたいなものだから、憧れ補正的なものが入りまくってて……聞いてないね、二人とも」
意気投合し、2ミカとアスタロトが、手を取り合う。きらきらと目を輝かせる二人を見て、3は少し引いた。
「……だから、せめて私の気持ちだけでも受け取っていただきたいんです」
はにかみながら、2ミカがひとつの装身具を差し出す。それは、繊細な銀細工がほどこされた、見事なものだった。
「何?これ、腕輪?きれいだね」
「私の祝福が込められたアミュレットです。あなたが、災厄を少しでも避けられるようにと祈りを捧げました」
「君、彼の世界の天使長だったよね?これ、すごいものなんじゃあ……」
「……ご迷惑ですか?ちょっと、重いですか!?わ、私、愛情とか親愛の情が重いってよく言われてて」
おずおずと腕輪を受け取る3を見て、2ミカが涙を潤ませる。あわてて、3は彼の言葉を遮った。
「そ、そんなことないよ、うれしい。ありがとう」
「良かった……!これで、安心して帰れます」
涙を引っ込めて、2ミカは胸をなで下ろす。2の世界の天使たちは、正義側という立場におり、日頃から甘やかされているため、精神的にとても打たれ弱い。それは、天使長である2ミカも同様だった。
「もう帰っちゃうのかい?」
「実は、仕事をちょっと抜け出してきているので。失礼します!」
「そうなんだ……また、いつでもおいで」
「ええ、ぜひ!」
うれしそうに頷いて、来たとき同様、あわただしく2ミカは帰って行く。彼が残していった腕輪を、二人はまじまじと見つめた。
「いいひとですね、あの方」
「……同じミカエルとは思えないくらいにね」
ため息をつき、3は腕輪をはめた。重厚な見た目とは裏腹に、存在を感じさせないほどに軽い。アスタロトの物問いたげな視線に気づき、3は首をかしげて彼に発言を促した。
「フォース様、大丈夫ですか?それ、身に着けていても」
「何が?」
「いえ、言いにくいのですが、我々は悪魔ですし。シーザー様やカイン様のお話によると、聖なるものに触れた悪魔は、逆に傷つくのだとか……」
3と再会する前、異世界に独りで滞在していたアスタロトを気遣ってか、1と2はたびたび彼を訪ねては『悪魔の心得』『悪魔として生きていくうえでの注意点』などを伝授していた。その教育の成果があってか、久しぶりに会ったアスタロトは、ずいぶんと考え方が物騒になっていた、と3は述懐する。
「うーん……今のところ、そんな兆候はないけど……。心配なら、君も触ってみる?」
「そうですか?では、失礼して……」
そう言われ、アスタロトはおそるおそる腕輪に触れてみる。すると、腕輪から電撃が放たれた。
「うわっ……」
「アスタロト!!大丈夫?」
「や、やっぱり、あのお二方の言っていたことは本当だったんだ……」
腕を押さえて、アスタロトが青ざめる。見たところ、外傷はなかった。
「私は平気なのになあ……。悪魔とかは関係なく、防御の力が強すぎるのかもね」
腕輪を軽くなで、3はあらためて2ミカは只者ではないことを確信すると同時に、『親愛の情が重い』という評判が、悪意によるでたらめではないということを実感する羽目になった。いっそ腕輪を外してしまおうかと迷う主君に、アスタロトがジト目で棘のある言葉を言い放つ。
「それなら、ナンパは当分控えていただかないといけませんね。女性が感電したら大変ですしー」
3が、顔を引きつらせる。アスタロトにとって、2ミカは3を崇拝する貴重な同志である。彼の好意を無碍にすることは、いかに主君本人とは言え、許しがたいようだ。
「うぅ……さっさと事件解決しよう……」
3にとっては、天界に追われることより女の子と遊べないことの方が大打撃らしい。がっくりと肩を落す3を見守るように、腕輪は静かに光を放っていた。
それから数日後。仕事がひと段落したため、2は久しぶりに異世界を訪れた。転移先である屋敷の部屋から出るところを、アスタロトが出迎える。
「カイン様!いらっしゃいませ」
「よお」
礼儀正しく一礼する少年に、2は片手を上げて返す。いちいち迎えに来なくてもいい、とアスタロトには告げてあるのだが、律儀なのは彼の性分らしい。
「フォース様は、外出中です」
問われる前に、アスタロトが3の予定を報告する。3がフォース、という偽名を使っていることは、説明済みだった。そして、3と二人きりの時以外は、自分のことをルシファーではなくフォースと呼ぶように、とアスタロトは言われている。同じルシファーである1と2に気を遣ってのことだが、真相を少年は知らされていない。
「またか?あいつ、よく一人で出かけるな。狙われてる立場だって自覚あるのかよ?」
怪訝な表情で、2が軽率とも取れる3の行動を咎める。
「それなのですが……」
「あぁ?」
「この前の襲撃の時、フォース様は騒動の一部始終を見ている怪しい人物がいることに気づいたそうです」
アスタロトが、主君のフォローをすべく事情を話し始める。悩んだ末に3は、彼や他のルシファー達と情報を共有することにしたのである。
アスタロトはともかくとして、部外者の1と2を自分の都合に巻き込んでしまう、という罪悪感はあるが、2が天界の追手に襲われた以上、すでに彼らも天界から敵として見られている可能性は否定できない。
「怪しいやつ?誰なんだよそいつは」
「おそらくは、天界の者でしょう。正体は確認できなかった、と……」
アスタロトの言葉に、2はしばし考え込む。3が思い悩んでいた理由が判明したのは収穫だったが、新たな問題が生じた。
「……奴らの狙いは、あいつじゃないってことか?」
「間接的にフォース様を狙っているのは確かでしょうが、直接何を仕掛けてくるかは不明です。そこで、あえて囮になってみようという作戦だそうでして」
「まあ、雑魚ならあいつ一人でも大丈夫だろうがなあ……」
3の言い分にとりあえず納得はしたものの、それでも2としては安心しきれない。彼の能力の高さは認めているが、2にとって、3はどこかあぶなっかしく見えるのだ。それは、保護欲を刺激されてしまったゆえの、身勝手な解釈なのかもしれないが。
「私も、これから街に出てみようかと思っています。カイン様はどうされますか?」
「お前らの事情はお前らで解決しろよ。俺の出る幕じゃねえ。適当に好きにして、適当に帰るさ」
つい、あれこれ干渉しそうになっている自分に気づき、2はあえて突き放す対応をした。先刻、親友にも忠告されたばかりである。彼には、彼の守るべき世界がある。
「そうですか。追手に遭遇する可能性もありますので、くれぐれもお気をつけて」
一礼し、アスタロトは部屋を出て行く。ちなみに、2ミカとの接触に関しても、3から口止めされているので、その件については触れなかった。
「……まあ、特にすることもねえけどな」
ばたばたと去って行くアスタロトを見送り、2はごろん、と広間のソファーに寝そべった。
そのころの3は、教会にいた。
「天使なら教会にいるかな、なんてさすがに虫がいいかな」
辺りを見回しつつ、一人、ごちる。そんな彼を、顔なじみのシスターたちが取り囲んだ。
「こんにちは、フォース様!」
「今日はお一人なんですね!」
麗しの君を前に目を輝かせる、少女たち。いつも話の途中で3を連れて行ってしまう、可愛らしくも憎たらしい従者の少年の姿が見当たらないことが、彼女たちのテンションに拍車をかける。
「やあ、君たち」
そんなシスター達の内心を知ってか知らずか、3の対応はいつも通り、穏やかである。そんな彼のちょっとした変化を、少女のうちの一人が指摘する。
「フォース様、その腕輪すてきですね」
「ああ、これは……」
目敏いな、と思いつつ、3が口を開いたとき、他のシスターが会話に割って入った。
「まさか、恋人からの贈り物ですか?」
一人が、青ざめた顔で尋ね、
「いやあああ!!フォース様に、恋人だなんて!」
他の一人が、悲鳴を上げる。困惑し、3は首を振った。
「お、落ち着いて、恋人じゃないよ、友だちがくれたんだ」
3の返答は、彼女たちにとっては混乱を加速させる要素にしかならなかったようだ。鬼のような形相で、残りのメンバーが聞いてくる。
「その友だちって女の子ですか!?」
「どこの誰が抜け駆けを……!」
「お、男の子だよ?」
3が発した一言で、この世が終わるかのように大騒ぎをしていたシスターたちは、ぴたりと静かになった。
「それはそれで……」
「どんな子ですか?かっこいい系?かわいい系?」
「フォース様のお友達だもの、素敵な方に違いないわ!」
「私たちにも、ぜひ紹介してくださいね!」
冷静に分析する者・未知の異性に心を躍らせる者・妄想する者……少女たちの反応は、実に個性的である。
(腕輪ひとつでこの盛り上がりよう……平和だなあ)
苦笑しつつ、和やかな雰囲気を3は楽しんでいた。
寝ていてもしょうがないので、とりあえず外に出て、2は先日の事件跡に行ってみることにした。生々しい破壊跡が、壁や石畳に残されている。
「ヤツがもう一度ここに来るってのは……さすがに虫が良すぎるか」
用心深く周囲を警戒しつつ、呟く。同時刻に、別の場所で3が似たようなことを言っていたことを、当然ながら彼は知らない。
「あ、この間助けてくれた兄ちゃんだ!」
「ん?」
振り向き、少し視線を下げると、二人の少年がそこにいた。先日、追手の襲撃の際に助けた子供たちだった。二人とも、アスタロトと似た簡素なチュニックを着た、どこにでもいそうな少年たちである。
「兄ちゃん、ありがとう!かっこよかったぜ!」
「別に……。大したことじゃねえ」
愛想のない2に、少年たちは心からの感謝を述べる。どうやら、2になついてしまったらしい。2の周囲をうろうろしつつ、彼らは無邪気に聞いてきた。
「なあなあ、兄ちゃん、ひょっとして勇者様なのか!?」
「……ちげぇよ」
「そうだよなー!兄ちゃんは勇者って感じじゃないもんな~」
少年の問いを否定すると、もう一人が然もありなん、と言う風に肩をすくめる。ふと疑問が思い浮かんだので、2は聞いてみることにした。
「……勇者ってのは、お前らの中ではどんな感じなんだ?」
質問を返されて、少年たちは一瞬、言葉に詰まり、しばし考えた後に答える。
「えっと、すっげえ強くて、かっこいいんだよ!」
「俺たちまだ会ったことないけど、いつか会いたいよな~」
目を輝かせて顔を見合わせる、少年たち。漠然とした勇者像しか思い浮かばず、2は更に首をひねるはめになった。
2の世界には、勇者が出てくるゲームが星の数ほど販売されているので、それらを思い浮かべれば少年たちにも共感できたのだろうが、残念なことに、彼自身はいわゆるコンピュータ・ゲームに全く興味がなかった。
ちなみに、歴史上の英雄だと、あまりにパターンが豊富なため、余計にあやふやな像になる。
「……イメージわかねえなあ。とにかく、また化け物が出るかもしれねえから、あまり出歩くなよ」
「うん!兄ちゃん、またな~」
素直に頷いて、手を振りながら、少年たちは走り去った。
「……勇者様、ねえ……」
自分の勇者姿をつい想像しようとしてしまい、うんざりして首を振る。この世界に来ると、本業を忘れがちになる。
(ガキを助けて、感謝されて……ったく、らしくねえにもほどがあるだろ)
だが、悪い気分ではないのも事実である。新しい自分を発見し、2は自分で思っていた以上に動揺していたのだろう。大きな水瓶を持った少女がよろよろと近づいてきていることに、彼は全く気づかなかった。
「きゃっ!!」
「!」
少女の悲鳴が耳に届き、水瓶の水がこぼれて、2の全身にかかる。灼熱で炙られるような痛みが、体中を駆け巡った。
「熱……っ」
「す、すみません!大丈夫でしたか!?」
「……てめえ」
「すみません、すみません!!」
怒気を通り越し、殺気をこめて睨みつけると、少女は縮こまって、必死に許しを乞うていた。悪意が感じられない真摯さに、頭が急速に冷えていく。
「……いや、いい。気をつけろ」
舌打ちし、言い放つ。少女は、ころびそうになりながら逃げ去って行った。
「これ……やべえな」
背中が溶ける感覚に、2は顔を引きつらせた。
見回りを終え、あまりの収穫のなさに落胆しつつ屋敷に帰ったアスタロトは、ソファーでぐったりとしている2を発見した。その、尋常でない雰囲気を感じ取り、あわてて駆け寄る。
「カイン様、どうかしましたか!?」
「……あー……。帰ったのか」
けだるげに、2が寝返りを打つ。その額には汗が浮かび、高熱に冒されているように、息が荒い。
「ま、まさか、天界のやつらが……!」
「いや、違う。単に俺がドジっただけだ」
アスタロトの懸念を、かすれた声で2は否定した。アスタロトは、痛ましい表情になる。これほど弱々しい2を、今まで見たことがなかった。
「……何があったんです?」
「通行人にぶつかってな。聖水、引っ被っちまった。このままじゃ帰れねえ」
「聖水……?」
「教会で聖別された水だよ。そういうのに、悪魔は弱いって話したろ?」
そう言われて、アスタロトは以前1や2によって吹き込まれた『悪魔の心得』を思い出す。その中の一つに、『天使や教会によって清められたものはヤバいから逃げろ』というものがあった。
実を言うと、3の世界においても強力な祈りが込められた聖水は拷問道具に使われているのだが、拷問の類は3ミカの指揮下で秘密裏に行われていたため、アスタロトが知らないのも無理からぬことだった。
「そうだ、浄化してみます!」
ようやく思い立ち、アスタロトは2の体に手を当てて精神を集中させる。痛みが軽くなっていくことに、2は安堵した。
「……どうでしょう」
「……あぁ。だいぶ良くなった」
「よ、よかった……」
アスタロトが、胸をなで下ろす。しかし、2はゆっくりと首を振った。
「けど、悪ぃが完全じゃねえ。かなり強力なやつだな、これ」
肩を回しつつ、2はソファーから身を起こした。そんな彼を見るアスタロトの視線が、厳しいものに変わる。
「……その通行人、本当にただの人間だったんですか?」
「ああ、普通の若い女だったぜ?」
アスタロトに尋ねられ、2は聖水をかけられた時のことを思い返す。大きい水瓶を抱えていた金髪の娘は、街のどこでも見かけるような、普通の少女だった。とりわけ美しいわけでもなく、大した力も感じなかったため、2は彼女を見逃したのだ。
「もしかすると、天界の者の変装かもしれません。彼らとて、一般人に溶け込む知恵はあります。あるいは、他人の身体を乗っ取り、操っている可能性も考えられるかと」
「はぁ?何で俺がお前らの世界のやつらに狙われなきゃならねーんだよ」
アスタロトの推測に、2は反論する。前回の追手に関しては、たまたま出現したところに彼がいただけかもしれないが、今回は、事故ではないとしたら、明らかに彼を狙ったものだ。
2としては、3の世界にそこまで恨まれる謂れはない。
「それはわかりませんが……カイン様にこれほどの深手を負わせる聖水なら、かなり純度が高いものではないでしょうか?そんなものを、普通の人間が用意できるとは思いませんし……」
「……ふざけやがって」
床を蹴り、2は立ち上がった。アスタロトの言葉は、正論だった。平和ボケして、思考停止していた自分が苛立たしい。
「お、お供します!」
「来るな!」
「ですが……」
なおも言い募ろうとするアスタロトを振り切って、2は屋敷を後にした。聖水により傷つけられたのが故意だとしたら、彼としては黙っているわけにはいかない。
(俺は地獄の王、ルシファーだ!異世界の天界だろうと、売られたケンカは買ってやる)
怒りにまかせて、街道を突き進む。日は暮れかけて、闇が街を覆いつつあった。
「あ、兄ちゃん!!」
普通の人間ならば、道を譲るほどの剣幕の2に、声をかけてくる強者がいた。それは、先ほど別れたはずの、子どものうちの一人だった。
「何だよガキ、俺はいそがし……」
「ピリポが化け物にさらわれちゃったんだ!」
「あぁ……?」
「お願い、助けて!!」
少年が、泣きついてくる。目の前の大人の怒りが、八つ当たりとして自分に向ってくるかもしれないということに、彼は気づいていなかった。いや、たとえ振り払われたとしても、彼は友人の無事を願っただろう。
「……お前、トモダチがどこに連れて行かれたかわかるか?」
「うん!!」
不機嫌最高潮な2に、少年の真摯さが届いたかどうかはわからない。だが、2は、少年に連れられて町はずれの廃墟まで来ていた。
「ここだよ、あいつ、ここに連れ込まれたんだ!」
「わかった。もういいから、お前は帰れ」
「ピリポのこと、頼んだぜ!!」
2の骨ばった手を握り、少年は駆け去って行く。2のことを、彼は完全に信頼していた。
(……アスタロトの言葉は、正しかったみたいだな。おもしれえ、後悔させてやるぜ)
不敵に笑い、2は、廃墟に足を踏み入れた。
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