L-Triangle!2-5(完結)
- 2014/03/13
- 11:22
ナンナルから遥か離れた大陸に、常に業火が燃え盛る火山がある。近隣の住民から炎神の山と呼ばれたその地の頂に、魔四天王の一人・アガレスの居城があった。炎の結界に包まれたその城は、中に入るどころか、近づいただけで生命に支障が出るほど濃い熱気を放っている。城の最奥で、魔王アガレスは玉座に腰掛け、勇者たちを待ち受けていた。
「エビルカイマンが敗北したか……となれば、奴らは遅かれ早かれここに来るだろう。最後の四天王として、無様なまねはせん」
静寂に包まれた謁見の間に、アガレスの声が響く。その周囲に、配下の姿はない。無駄な犠牲を出すのは、彼の本意ではなかった。
永遠に続くかと思われた沈黙は、とびらが重々しく開かれる音によって破られる。
「お、いたいた」
「お邪魔します」
赤いコートを纏った銀髪の男がとびらを完全に押し開け、続いて入ってきた黒髪の美青年が頭を下げる。幾多の炎を突破してきたであろう彼らは、しかし火傷ひとつ負っていなかった。
「……来たか」
落ち着き払った声で、魔王アガレスが呟く。最後に入ってきた細身の青年が、魔王の姿を目の当たりにし、怪訝な表情になった。
「…………ん?」
「ワニじゃねえぞ?」
魔王を無遠慮な視線で見回し、1が眉をひそめて2に顔を向ける。魔王アガレスは、炎のマントに身を包んだ紅の体色の魔人である。その姿は、ワニを連想するには無理があった。
「わりぃ、はずれだった」
悪びれもせずにそう言い放ち、他の二人の方を振り返る、2。その瞬間、同行者たちの冷たい視線が、彼に突き刺さった。
「マジかよ……」
「だから確認しておこうって言ったじゃないか……」
2に対し非難の声を上げる、1と3。そんな彼らに、魔王アガレスは威厳のある声で告げる。
「よく来たな、勇者たちよ」
「おいこらカイン!間違ってんじゃねえかよ!!」
魔王の言葉は、しかし侵入者たちには届いていなかった。1が、苛立たしげに2を怒鳴りつける。先ほど正座させられた鬱憤を、晴らすつもりでいるようだ。
「俺の世界のアガレスはワニなんだよ!!ワニじゃねえこいつがおかしい!」
逆切れし、2が難癖をつける。その無礼な態度に、魔王の額に青筋が浮かんだが、それでも彼は言葉を続けた。
「我が名はアガレス・魔四天王の長」
「じゃあ、もう一個の方へ行くか?」
「いや、一応こいつにも用はあるだろ」
魔王に背を向け、1が地図を広げる。首を振り、2はアガレスを指さした。魔王の額に、二個目の青筋が入るが、彼の心はまだくじけない。
「四天王の誇りにかけて、やすやすと敗北したりはせぬぞ」
「何から聞こうかなあ……」
「おい、お前。俺らの居場所をどうやって知ったんだ?」
魔王に近づいて、3が首をかしげる。彼もまた、相手の話を完全に無視していた。2に至っては、魔王に質問しだす始末である。忍耐強く、戦いの前のこの重要な場面を盛り上げようとしていたアガレスだったが、ついに限界が来た。玉座の肘掛けに拳を叩きつけ、憤怒とともに魔王は立ち上がる。
「…………お前らいい加減にしろ!!少しはこちらの話を聞け!!」
激昂と同時に放たれた業火の竜巻は、三人の前で無残に消滅した。ダメージを受けなかったものの、攻撃されたことが気に食わず、1と2がじろりと魔王を睨みつける。
「……あぁ?やんのかてめえ?」
「俺が質問してんだろが。答えろや」
ガン飛ばしつつ、因縁をつける1と2。態度はそこらのちんぴらそのものだが、彼らが持つ闘気は常人とは遥かにかけ離れている。ちんぴら二人の後ろで、3がおずおずと意見を述べる。
「あの……こちらが悪いとは思うんだけど、要求を呑んでくれた方が痛い目を見なくて済むんじゃないかな、なんて」
「黙れえええええええ!!」
3の説得を遮り、アガレスは咆哮し、そして。数秒後、そこには両側から頬を殴られ倒れ伏すアガレスの姿があった。
「どうだ、思い知ったかこの野郎」
ぴくぴくと痙攣する魔王を見下し、1が胸を張る。
「う、うううう……何という力だ……」
悔しげに、アガレスは歯噛みした。それはそうだろう、魔王の口上を無視したあげく、問答無用で殴り倒す勇者など、規格外もいいところである。2の世界のライトノベルにはそのテの輩がごろごろ転がっていそうだが、この異世界には、それらの物語はまだ早すぎるようだ。
「じゃ、さっきの質問に答えろ。どうやって俺らの居場所を知った?」
2に促され、魔王はゆっくりと身を起こした。圧倒的な力の差を見せつけられ、自暴自棄になりつつ、答える。
「……我らは、互いに監視を置いている。同朋が敗れた際に、対処するためにな」
「ああ、そういうのがいたのか……。特に注意を払っていなかったな」
それを聞いて、3が感心したように呟く。尾行されていたことに、1も3もまったく気づいていなかったのだ。彼らほどの力を持つ者がなぜ、という疑問がわくが、これには理由がある。
ルシファー達は、地獄の最高権力者だけあって、常に注目を浴びている。2や3に至っては、神の視線すら感じることもあるほどだ。そんなプライベート皆無な生活を送っているため、彼らは返って周囲の目を気にしなくなっていた。彼らの周りには護衛がいることが多いし、万が一、危険にさらされたとしても、自力で切り抜ける自信はある。
監視されることが当たり前になりすぎていた彼らは、魔四天王が放った偵察を、気にも留めていなかったのだった。
「それぞれの領地に必要な人材や物資のやりとりをする代わりに、保険をかけていたのだ。だが、それももう終わりだ」
覚悟を決めて、アガレスがその場にどっかりとあぐらをかく。彼の意図が読めず、2が不思議そうに尋ねた。
「ん?元の世界に帰るのか?」
「お前たちは我を倒すためにここに来たのだろう?覚悟はできている、さっさと首を刎ねるがいい」
そう告げて、魔王アガレスは瞳を閉じる。同朋であるエビルカイマンが敗北したときから、彼は自分に勝ち目がないことを知っていた。勇者たちが襲撃してきたあかつきには、せめて武人として散ろうと彼は決意していた。
相手が本気であることを悟り、三人はようやく神妙な顔つきになる。
「いや、これ以上こちらに干渉してこなければ何もしないよ?」
3が、あわてて首を振る。
「元々、先に手ぇ出したのはこっちだしな」
腰に手を当て、2が頷き、
「てめえの首なんざいらねえよ」
1は呆れたようにため息をついた。驚いて、アガレスが顔を上げる。
「……我を倒しに来たのではないのか?お前たちは勇者なのだろう?」
「勇者はこいつだけだよ。なあ?」
「俺は勇者じゃねえ!」
1が、にやにやしながら2をからかう。それに対する2の反応は、顕著だった。
「でも、街を守ったわけだし、また崇められているんじゃないかい?」
3にまで指摘され、2は言葉に詰まる。確かに、つい最近までナンナルの街では魔物の軍を勇者が撃退した、ということで祭りが開催されていた。祭りが終わった後も、人々の間でこの件については延々と語り継がれるだろうことが予測できる。
「……とにかく!今回は警告しに来ただけだ!今度あの街にケンカ売ったら、タダじゃおかねえからな!!ワニにもそう伝えとけ!」
ごまかすように、2が魔王アガレスに向かって乱暴に吐き捨てる。
「それと、同盟を組むにしても相手は選んだ方がいい。君自身に非がなくとも、今回のように害が及ぶこともあるのだから」
「……肝に銘じておく」
3の忠告を、アガレスは素直に受け入れる。この魔王自身は、それほど凶悪な性分ではないのだろうと、3は思った。
「小賢しいこと考えてねえで、自分を鍛えろ。用件はこれで全部だ」
1がそう言って、転送の術を発動させた。三人の足元に魔方陣が現れ、光を放つ。
「……もう二度と会わないことを願っている」
彼らが消えていくのを見届けながら、アガレスが告げる。2が、魔王に返事を返した。
「それはこっちも同じだ。じゃあな」
そして、三人の姿は完全にその場から消滅した。一人になり、気が抜けたように放心するアガレスだったが、どたどたと騒々しい足音が近づいてくることに気づいた。しばらくして慌てて入ってきたのは、ワニ魔王だった。
「アガレス!!無事だったか!」
ワニ魔王が、アガレスの姿を見るなり嬉しそうに顔を輝かせる。
「エビルカイマン……」
「やつらがお前のところに向かったって話を聞いてよ、加勢に来たんだが……」
ワニ魔王……エビルカイマンが、斧を構える。鎧も、先日ナンナルに攻め入った時よりも頑丈そうなものだった。彼もまた、命を捨てる覚悟で自分の元へ来たのだ、とアガレスは悟った。
「……この世界には、我々など足元にも及ばない存在がいるのだな……」
遠い目をして、アガレスは虚空を見つめる。そんな彼を、エビルカイマンが不思議そうに見守っていた。
何とか事態を解決して、三人はナンナルの屋敷に帰還する。そこで待っていたのは、ミナだった。
「おかえり~」
にっこり笑って三人を出迎える、ミナ。1と3が、意外そうな顔をする。
「お前、まだいたのか」
「久しぶりだね」
各々、ミナに声をかける1と3。彼らが最後に彼女に会ったのは、魔四天王の所在地の地図をもらった時なので、だいぶ日が経過している。咎めるように、2がミナに言った。
「他人の家に勝手に上り込むなよ」
「まあまあ、堅いこと言わないで。どう?解決した?」
「たぶんな」
ミナの問いに、2はそっけないながらも返答する。3は、2が以前よりもミナと打ち解けていることに気がついた。
「そうなんだ……。君たちすごいね。魔四天王をどうにかしちゃうなんてさ」
ミナが、感心したように三人をまじまじと見つめる。1は、つまらなそうに肩をすくめた。
「あんなの、全然たいしたことなかったぞ?もっと強い魔王教えろや」
「ごめんね、情報仕入れとく」
1の無茶な要求に、ミナが軽い調子で謝る。彼女のことをじっと観察していた3が、少しの逡巡の後、口を開いた。
「……君、何者なんだい?そろそろ教えてくれてもいいんじゃないか?」
「え?何のこと?」
真剣な表情での3の問いに、ミナがきょとんとして聞き返す。そんな彼女を、2が半眼でにらんだ。
「とぼけるなよ、お前人間じゃねえだろ」
「リアクションがいちいち普通の人間のソレじゃねえもんな。俺様はどうでもいいけどよ」
畳みかけるように、1が2を支持する。ごまかすような素振りをやめて、ミナは沈黙した。少し不安そうな彼女に、3が優しく尋ねる。
「……君も、異世界から召喚された魔王なんだね?」
「……あたり。正確には、魔王の一部なんだけどね」
「一部?」
覚悟を決めて、ミナが話し始める。怪訝そうに2が不明な点を指摘すると、彼女は頷いた。
「そう。わたしの本体は、神との戦いで封印されちゃってるんだ。だから分身を作ってあちこちの世界に干渉しているんだけど……そのうちのひとりであるわたしが、この世界に召喚されちゃって」
ミナの話は、普通ならば夢物語だと思われそうなほどに非現実的なものであったが、その場にいる誰一人として、彼女を笑う者はいなかった。
「神との戦いって……」
「……嫌な予感がしやがるぜ」
3と1が、眉をひそめてぼやく。この先の展開が何となく想像できる気がして、彼らはあわてて頭を振った。そんな二人の奇行に気づかず、ミナは話を続ける。
「世界征服には興味ないけど、本体を復活させる方法はないかなって思って、この世界を旅してるの。時々は元の世界に帰ってるんだけどね」
「なあ。神ってもしかしてアレか?」
他の二人と、似たようなことを考えているのだろう。心底嫌そうに、2がミナに聞いた。そのあまりに曖昧な問いを、彼女は特に疑問を持つことなく肯定する。
「そうそう。アレだよ。相打ちになっちゃってね。向こうも動けなくしてやったから、まあいいかな~って思ってるんだけど」
「じゃあ、君の本名は……」
3が、ためらいつつも問いかける。首を縦に振り、彼女は名乗った。
「そう。ルシファー」
「……えー……」
三人の声が、見事に揃う。彼らの表情も、声に伴う感情まで、全てが完全に一致していた。予想外のリアクションに、きょとんとしてミナが彼らを見回す。
「あれ、どうしたの?けっこう有名人だと思うんだけど」
可愛らしい仕草で、無邪気に首をかしげる、ミナ。脱力したように嘆息し、1が愚痴をこぼす。
「だから、俺様にとっては最強の称号なんだっつの!いい加減にしろや」
「あきらめろ。世界は無数にあって、俺らみたいなのも無数にいるんだよ」
「自分の世界では唯一無二の扱いをされているけど、こういうの見るとそうでもないんだなって思うよね……」
1の両肩に、2と3がそれぞれ手を置く。彼らもまた、何かをあきらめたように投げやりな態度だった。
「ちょっと、話が見えないんだけど」
仲間外れにされたような気がして、ミナが唇を尖らせる。彼女の不機嫌に気づき、2が力なく言った。
「俺らの本名も同じだから」
「え?え?それって……」
「ああ。立場も似たようなもんだよ!納得いかねえけどな!」
2の発言に困惑するミナに、自棄になった1が補足する。目を見開き、彼女は驚きの声を上げた。
「……え――――!?うそ―――――!!」
「……あ。その反応は普通のヒトっぽいね」
苦笑して、3が指摘する。だが、そんなことはミナにとってはどうでもいいようだ。彼女の視線が、落ち着きなく三人の間を行き来する。
「じゃあ、君たちもルシファーなの?」
「そうだよ」
「わあ、すごいね!仲間仲間」
歓声を上げ、ミナが三人の手を交互にとり、握手する。1が嫌そうな顔をしたが、振り払いはしなかった。ひとしきり喜んだ後、彼女はふと疑問に思ったことを聞いてきた。
「それで、君たちは世界征服とかしないの?」
「元の世界が忙しくてそれどころじゃねえよ!」
「同じく」
「俺様は真面目に検討中だ!」
2が、若干乱暴に返答し、3が同意する。1だけが、堂々と胸を張った。納得したように、ミナは首を上下させる。
「ああ、それで適当に集まって息抜きしているわけね。なるほどね~」
「俺様は検討中だって言ってんだろが!」
1が声を荒げるが、彼女の耳には届いていない。清々しい表情で、ミナは微笑んだ。
「これですっきりしたよ。君たちみたいな強力な連中が、何で何もしないのか気になってたんだけど、そういうことだったんだ」
「だから俺様は……」
「お前も元の世界が忙しいのは一緒だろ」
「…………ちっ」
2に諭され、ミナの認識を改めようと躍起になっていた1は、ようやくあきらめたようだ。舌打ちし、すねたように背を向けてがしがしと床を蹴っている。傷むからよせ、と2は言おうとしたが、何かあったら3や、1本人が修復できることに気づき、やめた。
「ああ、傑作だ。こんなに愉快な気分になるのは久しぶりだな。謎が全部解けたし、晴れやかな気持ちで旅立てるよ」
清々しい顔で、ミナが言葉を吐き出す。彼女がこの、何もない街に留まっていた理由は、彼ら三人の正体を突き止めるためだった。ドアへ向かおうとする彼女に、3が声をかける。
「また、どこかへ行くのかい?」
「私の使命は本体の封印を解く手段を見つけることだから。この世界、個性的な連中が多いから、観察するのもおもしろいしね」
ドアノブに手をかけつつ、ミナが振り向く。
「気をつけてね」
「ありがとう」
3に笑顔で返し、
「強いやつの情報が手に入ったら、俺様に教えるんだぞ!」
「わかったわかった」
1を適当にあしらい、
「……気が向いたら寄れよ。いねえかもしれねえけどな」
「うん!君たちおもしろいから、また遊びに来るよ!」
2の、ぶっきらぼうな気遣いに力強く頷いて、ミナは軽快な足取りで退室した。
「……行っちゃった」
彼女が出て行ったドアの方を見つめて、3が呟く。その横で、1がぐったりした様子でぼやいた。
「あんなのまでルシファーかよ……勘弁しろや」
「でも、あの娘の本体、すごいよ?神と相打ちなんてさ」
「あー……俺もお前もミカエルに負けてるからな」
3が、すかさず1に反論する。過去を懐かしみつつ、2が彼に賛同した。2も3も、神どころか天使長であるミカエルにすら勝てていない。3に関しては直接対決していないのでその辺は微妙なところだが、武力でやりあってあの弟に勝てるかどうかは難しいところなので、3は特に否定はしなかった。
「シーザー、君のところにはいないの?ミカエル」
ふと気になって、3が1に疑問を投げかける。
「いるんだろうけどな。天使どもは基本的に天界に引きこもって出てこねえからわからねえ」
「生き別れの弟だったりしてな」
「ねえよ。……あー、でも、どんなやつか見に行ってみっかな」
面白半分な2の予想を即座に斬り捨て、1は思案する。そんなぐだぐだした会話をしつつ、彼らの休暇は過ぎて行った。
2の世界。仕事の一環で、2は地獄の視察をしていた。地獄は、今日も異常はない。死した罪人たちが悲鳴を上げて逃げ惑い、悪魔たちの刑罰に苦悶する様がそこかしこで見られるのが、ここでの日常風景だ。ふと、巨大なワニが横切って行くのに2は気づいた。
「おい、お前」
「あ、ルシファー様!ちぃっす! 」
2が呼びかけると、ワニは歩みを止めて、頭を垂れた。地獄の王に対する態度にしてはいささかフランクすぎる気がするが、悪魔たちはこれで通常運転である。少し自信がないながらも、確認のために2は問う。
「お前、アガレスだよな?」
「へえ」
戸惑いつつ、ワニが肯定する。2は、胸をなで下ろしていた。異世界のアガレスがワニではなかったせいで人違いならぬ魔王違いをし、責められたことを秘かに気にしていたのだ。
「ほらやっぱりな、ワニだよワニ。俺は間違ってねえっつの」
ぶつぶつと独り言を言う、2。そんな彼の傍に、ワニの背にまたがっていた悪魔が降りてきた。ワニに乗っていると姿が隠れてしまうほど小柄なその悪魔は、2の顔色をうかがいつつ、おずおずと声をかけてくる。
「……その、ルシファー様、アガレスは俺の名前で、こいつは愛車なんすけど」
「あ?」
ワニと悪魔を見比べて2は一瞬沈黙し、
「……あー、そうだった。わりいわりい」
軽く手を振りつつ、悪魔に謝った。もう行っていいぞ、と告げられ、不思議そうな顔でアガレスは去って行く。
(……違ってた……ま、いいや)
遠ざかるワニの背中を見送りつつ、2は己の記憶力に少しだけ危機感を持ったが、すぐに気を取り直して視察を再開したのだった。
どこまでも続く、白い空間。そこにはいつも、何もない。神とルシファーの戦いにより、全てが吹き飛んでしまった。ここで今、生きて活動しているのは彼女だけだ。つい先ほどまで滞在していた世界と比べると、どうにも殺風景で寂しいものだと、帰郷するたびにミナは思う。
「ただいま」
虚空に向かい、声をかける。返事はないし、誰かが姿を現すこともない。だが、この世界には確かにミナの本体であるルシファーがいて、彼女を見守っているのだ。それは、分体である彼女にしかわからない、不思議な結びつきだった。
「今日はね、ちょっとおもしろいことがあったから、報告に来たんだ」
本体がどこかで、興味深げに耳を傾けているだろうと想像をしつつ、ミナは上機嫌で話し始める。
「例の世界で、面白い連中と知り合ったんだよ。誰だと思う?それはね……」
もったいぶって、ミナは言葉を切った。本体が身を乗り出す様子が、目に浮かぶようだ。それは、こちらの勝手な憶測でしかないとは言え、それはそれで、彼女にとって楽しいことだった。
「何と!別の世界のルシファー達です!ね?すごいでしょ」
大げさに手を広げ、さも重大発表であるかのように、ミナは報告した。自分が経験した衝撃を、本体とたくさん共有したくて、彼女は語り出す。
「彼らは三人いてね、それぞれが別の世界でルシファーって名乗ってて、かつての君と似たような役割をこなしているんだって!それで、仕事が忙しいからって、息抜きであの世界にいるんだってさ。面白いよね?君も……」
そう思うだろう、と同意を得ようとして、ミナはあることに気づいて言葉を失った。本体が、今までにない反応を示している。それは、彼女にとって、完全に予想外だった。
「え?ね、ねえ、君……」
戸惑いながら、ミナは呆然としつつ問いかける。こんなことは、分体として生を受けて以来、初めてのことだった。
「どうして、泣いているの……?」
本体は、答えを返さない。ただ、静かに涙を流す姿が見えたような気がして、わけがわからないながらも、ミナは胸を痛めた。
「ごめん、変なこと言って……あ、もしかして、彼らが羨ましいの?君は、彼らみたいに自由に動けないから、だから……」
焦りつつ、ミナはどうにか相手を慰めようと懸命に話しかける。されど、本体は相変わらずで、彼女の言葉が届いているかはわからなかった。しばしの間、おろおろしていたミナだったが、やがて意を決したように告げた。
「大丈夫、君もいつか彼らみたいになれるよ。だから、もう少しだけ待っていて」
そして、彼女の姿が世界から消える。後には、彼女の本体であるルシファーの、目に見えない感情の奔流が渦巻いていた。
異世界の街・ナンナル。久しぶりに、3は教会を訪れていた。礼拝堂には、勇者の新たな活躍を物語った、タペストリーが展示されている。剣を片手に魔物の軍を撃退する勇者の絵が、見事な刺繍でつづられていた。当の2がこれを見る可能性は限りなく低いことを、3は残念に思う。
「フォース様!」
「フォース様だわ!」
「お久しぶりです!」
3の姿を見るやいなや、教会に勤めるシスターの少女たちが彼を取り囲んだ。彼女たちにとっては、3は美貌の貴公子であり、憧れの君だった。
「やあ、相変わらず元気そうだね」
少女たちのきらきらした視線を受けながら、3は温和に微笑む。シスターのうちのひとりが、そんな彼に向かって聞いてきた。
「フォース様、フォース様が勇者様なのですよね?」
「いや、違うよ。私はそんな大層な者じゃない」
少女の問いに、3は首を振る。他の娘たちも、彼が勇者だと思い込んでいたのだろう。彼女たちは、不服そうに口をとがらせた。
「え~……?そうだと思ったのに」
「みんなそう言ってますよ?」
「でも、本当に違うから」
なおも食いついてくるシスター達に、3は今度はきっぱりと否定した。ミナが彼らの屋敷を訪問したきっかけは、教会で情報を得たからだということを、今さらながら思い出す。おそらく、屋敷に勇者がいる、という噂の根源は彼女たちなのだろう。一番初めに彼に勇者か否かを問うてきた少女が、がっくりとうなだれる。
「……何だぁ……」
「がっかりさせてごめんね」
あまりに正直な反応に、3は苦笑する。そんな彼女の非礼を、他のシスター達が咎めた。
「ちょっと、そんなにがっかりしたらフォース様に失礼よ」
「そうよそうよ、フォース様は私の勇者様でいてくれればいいの!」
「私たちのよ。抜け駆けは許さないわ!」
お互いけん制しながら、好意をアピールしてくる少女たち。ひじで軽く突いたり、さりげなくライバルを押しのけたりしながら、女の戦いを繰り広げている。
「元気だねえ……君たちは」
シスター達の若さを眩しく感じつつ、3は彼女たちの小競り合いが激化する前に、教会を後にしたのだった。
街を散策した後、3は屋敷へと帰ってきた。手に、紙袋を抱えている。外出した時に2が広間のソファーで熟睡していたので、彼への土産である。
「ただいま」
ドアを開け、声をかける。すると、広間にいた先客が、彼に挨拶を返してきた。
「やっほー」
「あれ、ミナ?」
3を出迎えたのは、先日旅立ったはずのミナだった。向かいのソファーで寝ていた2が、もぞもぞと起き上がり、彼女の顔を見て驚いたように後ずさる。どうやら、彼女の来訪に気づかずにずっと眠っていたようだ。2が迂闊なのか、ミナの潜伏能力が優れているのか。おそらくは両方だろうと、3は推測する。
「戻ってくるの早えなお前!」
動揺から立ち直れないまま、2がミナに憎まれ口を叩く。にやにやしながら、ミナは答えた。
「その気になればどこにだって行けるよ。一応、報告しておこうと思って」
「何をだよ」
不機嫌そうに、2が問う。軽く伸びをして、ミナは話を続けた。
「魔四天王のふたり、ちょっとはおとなしくなったみたい。世界と共存する方法を探すんだってさ」
「ふーん……良かったんじゃねえの?」
「ま、勇者が来たら退治されちゃうかもしれないけどね~」
朗報を聞いて満更でもない様子の2に、ミナは肩をすくめる。それはそれで、この世界のルールなのだから仕方がないことだ、と2は思った。この先どうするかは、彼ら次第である。彼らのやり取りを聞いていた3が、思い出したように口を挟んだ。
「勇者……か。そう言えば、一人会ったな」
「ホントに!?どこで!?どんな子!?」
ミナが、3に向かって勢いよく詰め寄る。相変わらずだな、と内心苦笑しつつ、3は言った。
「魔王城で。魔王を倒したみたいだから、元の世界に帰ってしまったのかもしれない」
「あ~……残念。魔王と違ってあちこち動き回るから、勇者って追いづらいんだよね」
先ほどのハイテンションはどこへやら、心底残念そうに、ミナは肩を落とす。呆れ顔で、2が彼女を見た。
「勇者にも興味あんのかよ」
「優秀な子なら、スカウトして部下にしたいからね!」
「封印されてるくせによくやるぜ……」
目を燦然と輝かせるミナに、2が半眼で茶々を入れる。神と相打ちになってもなお、彼女は戦意を失うことなく精力的に生きているようだ。平和ボケした2の世界では、彼女のように不屈の精神を持った者たちは、もはや希少価値がある存在になりつつある。
「何言ってるの。わたし達の世界は、まだまだこれからなんだから!」
拳を握りしめてしばし自分の世界に浸っていたミナだったが、ふとあることに気づき、辺りを見回した。
「……そう言えば、もう一人がいないね?」
「ああ、忙しいんだろうよ」
心底どうでもいいと言うように、2が応じる。彼ら三人は、予定を合わせて異世界に来ているわけではない。全員が揃わないのも、珍しくないことだった。
せっかくだから、と3が買ってきた菓子類をテーブルに出そうとしたその時、誰かが階段を下りる気配がした。やけに重々しいその足音は、広間の手前で止まる。ドアが開いて、げんなりした様子の1が顔を出した。
「……あぁ~……やっと逃げ切れた……」
深々と息を吐き、2の隣にどっかりと座る、1。気遣わしげに、3が彼の顔を覗き込んだ。
「大丈夫かい?やけに疲れているみたいだけど」
「珍しいね、いつも元気なのに」
ミナが、首をかしげる。ソファーにもたれかかり、1は力なく語り出した。
「……あれから、ミカエルに会いに行ったんだけどな」
「おお。どんなんだった?」
興味を惹かれ、2が尋ねる。1の世界のミカエルについては、少なからず関心があった。ため息交じりに、1は話を続ける。
「色々あって、求婚されちまってよ……」
「ええ!?」
1の爆弾発言に、他の三人が同時に驚愕の声を上げる。当の1は、すっかり精根尽き果てた様子で、天井を見つめていた。
「エビルカイマンが敗北したか……となれば、奴らは遅かれ早かれここに来るだろう。最後の四天王として、無様なまねはせん」
静寂に包まれた謁見の間に、アガレスの声が響く。その周囲に、配下の姿はない。無駄な犠牲を出すのは、彼の本意ではなかった。
永遠に続くかと思われた沈黙は、とびらが重々しく開かれる音によって破られる。
「お、いたいた」
「お邪魔します」
赤いコートを纏った銀髪の男がとびらを完全に押し開け、続いて入ってきた黒髪の美青年が頭を下げる。幾多の炎を突破してきたであろう彼らは、しかし火傷ひとつ負っていなかった。
「……来たか」
落ち着き払った声で、魔王アガレスが呟く。最後に入ってきた細身の青年が、魔王の姿を目の当たりにし、怪訝な表情になった。
「…………ん?」
「ワニじゃねえぞ?」
魔王を無遠慮な視線で見回し、1が眉をひそめて2に顔を向ける。魔王アガレスは、炎のマントに身を包んだ紅の体色の魔人である。その姿は、ワニを連想するには無理があった。
「わりぃ、はずれだった」
悪びれもせずにそう言い放ち、他の二人の方を振り返る、2。その瞬間、同行者たちの冷たい視線が、彼に突き刺さった。
「マジかよ……」
「だから確認しておこうって言ったじゃないか……」
2に対し非難の声を上げる、1と3。そんな彼らに、魔王アガレスは威厳のある声で告げる。
「よく来たな、勇者たちよ」
「おいこらカイン!間違ってんじゃねえかよ!!」
魔王の言葉は、しかし侵入者たちには届いていなかった。1が、苛立たしげに2を怒鳴りつける。先ほど正座させられた鬱憤を、晴らすつもりでいるようだ。
「俺の世界のアガレスはワニなんだよ!!ワニじゃねえこいつがおかしい!」
逆切れし、2が難癖をつける。その無礼な態度に、魔王の額に青筋が浮かんだが、それでも彼は言葉を続けた。
「我が名はアガレス・魔四天王の長」
「じゃあ、もう一個の方へ行くか?」
「いや、一応こいつにも用はあるだろ」
魔王に背を向け、1が地図を広げる。首を振り、2はアガレスを指さした。魔王の額に、二個目の青筋が入るが、彼の心はまだくじけない。
「四天王の誇りにかけて、やすやすと敗北したりはせぬぞ」
「何から聞こうかなあ……」
「おい、お前。俺らの居場所をどうやって知ったんだ?」
魔王に近づいて、3が首をかしげる。彼もまた、相手の話を完全に無視していた。2に至っては、魔王に質問しだす始末である。忍耐強く、戦いの前のこの重要な場面を盛り上げようとしていたアガレスだったが、ついに限界が来た。玉座の肘掛けに拳を叩きつけ、憤怒とともに魔王は立ち上がる。
「…………お前らいい加減にしろ!!少しはこちらの話を聞け!!」
激昂と同時に放たれた業火の竜巻は、三人の前で無残に消滅した。ダメージを受けなかったものの、攻撃されたことが気に食わず、1と2がじろりと魔王を睨みつける。
「……あぁ?やんのかてめえ?」
「俺が質問してんだろが。答えろや」
ガン飛ばしつつ、因縁をつける1と2。態度はそこらのちんぴらそのものだが、彼らが持つ闘気は常人とは遥かにかけ離れている。ちんぴら二人の後ろで、3がおずおずと意見を述べる。
「あの……こちらが悪いとは思うんだけど、要求を呑んでくれた方が痛い目を見なくて済むんじゃないかな、なんて」
「黙れえええええええ!!」
3の説得を遮り、アガレスは咆哮し、そして。数秒後、そこには両側から頬を殴られ倒れ伏すアガレスの姿があった。
「どうだ、思い知ったかこの野郎」
ぴくぴくと痙攣する魔王を見下し、1が胸を張る。
「う、うううう……何という力だ……」
悔しげに、アガレスは歯噛みした。それはそうだろう、魔王の口上を無視したあげく、問答無用で殴り倒す勇者など、規格外もいいところである。2の世界のライトノベルにはそのテの輩がごろごろ転がっていそうだが、この異世界には、それらの物語はまだ早すぎるようだ。
「じゃ、さっきの質問に答えろ。どうやって俺らの居場所を知った?」
2に促され、魔王はゆっくりと身を起こした。圧倒的な力の差を見せつけられ、自暴自棄になりつつ、答える。
「……我らは、互いに監視を置いている。同朋が敗れた際に、対処するためにな」
「ああ、そういうのがいたのか……。特に注意を払っていなかったな」
それを聞いて、3が感心したように呟く。尾行されていたことに、1も3もまったく気づいていなかったのだ。彼らほどの力を持つ者がなぜ、という疑問がわくが、これには理由がある。
ルシファー達は、地獄の最高権力者だけあって、常に注目を浴びている。2や3に至っては、神の視線すら感じることもあるほどだ。そんなプライベート皆無な生活を送っているため、彼らは返って周囲の目を気にしなくなっていた。彼らの周りには護衛がいることが多いし、万が一、危険にさらされたとしても、自力で切り抜ける自信はある。
監視されることが当たり前になりすぎていた彼らは、魔四天王が放った偵察を、気にも留めていなかったのだった。
「それぞれの領地に必要な人材や物資のやりとりをする代わりに、保険をかけていたのだ。だが、それももう終わりだ」
覚悟を決めて、アガレスがその場にどっかりとあぐらをかく。彼の意図が読めず、2が不思議そうに尋ねた。
「ん?元の世界に帰るのか?」
「お前たちは我を倒すためにここに来たのだろう?覚悟はできている、さっさと首を刎ねるがいい」
そう告げて、魔王アガレスは瞳を閉じる。同朋であるエビルカイマンが敗北したときから、彼は自分に勝ち目がないことを知っていた。勇者たちが襲撃してきたあかつきには、せめて武人として散ろうと彼は決意していた。
相手が本気であることを悟り、三人はようやく神妙な顔つきになる。
「いや、これ以上こちらに干渉してこなければ何もしないよ?」
3が、あわてて首を振る。
「元々、先に手ぇ出したのはこっちだしな」
腰に手を当て、2が頷き、
「てめえの首なんざいらねえよ」
1は呆れたようにため息をついた。驚いて、アガレスが顔を上げる。
「……我を倒しに来たのではないのか?お前たちは勇者なのだろう?」
「勇者はこいつだけだよ。なあ?」
「俺は勇者じゃねえ!」
1が、にやにやしながら2をからかう。それに対する2の反応は、顕著だった。
「でも、街を守ったわけだし、また崇められているんじゃないかい?」
3にまで指摘され、2は言葉に詰まる。確かに、つい最近までナンナルの街では魔物の軍を勇者が撃退した、ということで祭りが開催されていた。祭りが終わった後も、人々の間でこの件については延々と語り継がれるだろうことが予測できる。
「……とにかく!今回は警告しに来ただけだ!今度あの街にケンカ売ったら、タダじゃおかねえからな!!ワニにもそう伝えとけ!」
ごまかすように、2が魔王アガレスに向かって乱暴に吐き捨てる。
「それと、同盟を組むにしても相手は選んだ方がいい。君自身に非がなくとも、今回のように害が及ぶこともあるのだから」
「……肝に銘じておく」
3の忠告を、アガレスは素直に受け入れる。この魔王自身は、それほど凶悪な性分ではないのだろうと、3は思った。
「小賢しいこと考えてねえで、自分を鍛えろ。用件はこれで全部だ」
1がそう言って、転送の術を発動させた。三人の足元に魔方陣が現れ、光を放つ。
「……もう二度と会わないことを願っている」
彼らが消えていくのを見届けながら、アガレスが告げる。2が、魔王に返事を返した。
「それはこっちも同じだ。じゃあな」
そして、三人の姿は完全にその場から消滅した。一人になり、気が抜けたように放心するアガレスだったが、どたどたと騒々しい足音が近づいてくることに気づいた。しばらくして慌てて入ってきたのは、ワニ魔王だった。
「アガレス!!無事だったか!」
ワニ魔王が、アガレスの姿を見るなり嬉しそうに顔を輝かせる。
「エビルカイマン……」
「やつらがお前のところに向かったって話を聞いてよ、加勢に来たんだが……」
ワニ魔王……エビルカイマンが、斧を構える。鎧も、先日ナンナルに攻め入った時よりも頑丈そうなものだった。彼もまた、命を捨てる覚悟で自分の元へ来たのだ、とアガレスは悟った。
「……この世界には、我々など足元にも及ばない存在がいるのだな……」
遠い目をして、アガレスは虚空を見つめる。そんな彼を、エビルカイマンが不思議そうに見守っていた。
何とか事態を解決して、三人はナンナルの屋敷に帰還する。そこで待っていたのは、ミナだった。
「おかえり~」
にっこり笑って三人を出迎える、ミナ。1と3が、意外そうな顔をする。
「お前、まだいたのか」
「久しぶりだね」
各々、ミナに声をかける1と3。彼らが最後に彼女に会ったのは、魔四天王の所在地の地図をもらった時なので、だいぶ日が経過している。咎めるように、2がミナに言った。
「他人の家に勝手に上り込むなよ」
「まあまあ、堅いこと言わないで。どう?解決した?」
「たぶんな」
ミナの問いに、2はそっけないながらも返答する。3は、2が以前よりもミナと打ち解けていることに気がついた。
「そうなんだ……。君たちすごいね。魔四天王をどうにかしちゃうなんてさ」
ミナが、感心したように三人をまじまじと見つめる。1は、つまらなそうに肩をすくめた。
「あんなの、全然たいしたことなかったぞ?もっと強い魔王教えろや」
「ごめんね、情報仕入れとく」
1の無茶な要求に、ミナが軽い調子で謝る。彼女のことをじっと観察していた3が、少しの逡巡の後、口を開いた。
「……君、何者なんだい?そろそろ教えてくれてもいいんじゃないか?」
「え?何のこと?」
真剣な表情での3の問いに、ミナがきょとんとして聞き返す。そんな彼女を、2が半眼でにらんだ。
「とぼけるなよ、お前人間じゃねえだろ」
「リアクションがいちいち普通の人間のソレじゃねえもんな。俺様はどうでもいいけどよ」
畳みかけるように、1が2を支持する。ごまかすような素振りをやめて、ミナは沈黙した。少し不安そうな彼女に、3が優しく尋ねる。
「……君も、異世界から召喚された魔王なんだね?」
「……あたり。正確には、魔王の一部なんだけどね」
「一部?」
覚悟を決めて、ミナが話し始める。怪訝そうに2が不明な点を指摘すると、彼女は頷いた。
「そう。わたしの本体は、神との戦いで封印されちゃってるんだ。だから分身を作ってあちこちの世界に干渉しているんだけど……そのうちのひとりであるわたしが、この世界に召喚されちゃって」
ミナの話は、普通ならば夢物語だと思われそうなほどに非現実的なものであったが、その場にいる誰一人として、彼女を笑う者はいなかった。
「神との戦いって……」
「……嫌な予感がしやがるぜ」
3と1が、眉をひそめてぼやく。この先の展開が何となく想像できる気がして、彼らはあわてて頭を振った。そんな二人の奇行に気づかず、ミナは話を続ける。
「世界征服には興味ないけど、本体を復活させる方法はないかなって思って、この世界を旅してるの。時々は元の世界に帰ってるんだけどね」
「なあ。神ってもしかしてアレか?」
他の二人と、似たようなことを考えているのだろう。心底嫌そうに、2がミナに聞いた。そのあまりに曖昧な問いを、彼女は特に疑問を持つことなく肯定する。
「そうそう。アレだよ。相打ちになっちゃってね。向こうも動けなくしてやったから、まあいいかな~って思ってるんだけど」
「じゃあ、君の本名は……」
3が、ためらいつつも問いかける。首を縦に振り、彼女は名乗った。
「そう。ルシファー」
「……えー……」
三人の声が、見事に揃う。彼らの表情も、声に伴う感情まで、全てが完全に一致していた。予想外のリアクションに、きょとんとしてミナが彼らを見回す。
「あれ、どうしたの?けっこう有名人だと思うんだけど」
可愛らしい仕草で、無邪気に首をかしげる、ミナ。脱力したように嘆息し、1が愚痴をこぼす。
「だから、俺様にとっては最強の称号なんだっつの!いい加減にしろや」
「あきらめろ。世界は無数にあって、俺らみたいなのも無数にいるんだよ」
「自分の世界では唯一無二の扱いをされているけど、こういうの見るとそうでもないんだなって思うよね……」
1の両肩に、2と3がそれぞれ手を置く。彼らもまた、何かをあきらめたように投げやりな態度だった。
「ちょっと、話が見えないんだけど」
仲間外れにされたような気がして、ミナが唇を尖らせる。彼女の不機嫌に気づき、2が力なく言った。
「俺らの本名も同じだから」
「え?え?それって……」
「ああ。立場も似たようなもんだよ!納得いかねえけどな!」
2の発言に困惑するミナに、自棄になった1が補足する。目を見開き、彼女は驚きの声を上げた。
「……え――――!?うそ―――――!!」
「……あ。その反応は普通のヒトっぽいね」
苦笑して、3が指摘する。だが、そんなことはミナにとってはどうでもいいようだ。彼女の視線が、落ち着きなく三人の間を行き来する。
「じゃあ、君たちもルシファーなの?」
「そうだよ」
「わあ、すごいね!仲間仲間」
歓声を上げ、ミナが三人の手を交互にとり、握手する。1が嫌そうな顔をしたが、振り払いはしなかった。ひとしきり喜んだ後、彼女はふと疑問に思ったことを聞いてきた。
「それで、君たちは世界征服とかしないの?」
「元の世界が忙しくてそれどころじゃねえよ!」
「同じく」
「俺様は真面目に検討中だ!」
2が、若干乱暴に返答し、3が同意する。1だけが、堂々と胸を張った。納得したように、ミナは首を上下させる。
「ああ、それで適当に集まって息抜きしているわけね。なるほどね~」
「俺様は検討中だって言ってんだろが!」
1が声を荒げるが、彼女の耳には届いていない。清々しい表情で、ミナは微笑んだ。
「これですっきりしたよ。君たちみたいな強力な連中が、何で何もしないのか気になってたんだけど、そういうことだったんだ」
「だから俺様は……」
「お前も元の世界が忙しいのは一緒だろ」
「…………ちっ」
2に諭され、ミナの認識を改めようと躍起になっていた1は、ようやくあきらめたようだ。舌打ちし、すねたように背を向けてがしがしと床を蹴っている。傷むからよせ、と2は言おうとしたが、何かあったら3や、1本人が修復できることに気づき、やめた。
「ああ、傑作だ。こんなに愉快な気分になるのは久しぶりだな。謎が全部解けたし、晴れやかな気持ちで旅立てるよ」
清々しい顔で、ミナが言葉を吐き出す。彼女がこの、何もない街に留まっていた理由は、彼ら三人の正体を突き止めるためだった。ドアへ向かおうとする彼女に、3が声をかける。
「また、どこかへ行くのかい?」
「私の使命は本体の封印を解く手段を見つけることだから。この世界、個性的な連中が多いから、観察するのもおもしろいしね」
ドアノブに手をかけつつ、ミナが振り向く。
「気をつけてね」
「ありがとう」
3に笑顔で返し、
「強いやつの情報が手に入ったら、俺様に教えるんだぞ!」
「わかったわかった」
1を適当にあしらい、
「……気が向いたら寄れよ。いねえかもしれねえけどな」
「うん!君たちおもしろいから、また遊びに来るよ!」
2の、ぶっきらぼうな気遣いに力強く頷いて、ミナは軽快な足取りで退室した。
「……行っちゃった」
彼女が出て行ったドアの方を見つめて、3が呟く。その横で、1がぐったりした様子でぼやいた。
「あんなのまでルシファーかよ……勘弁しろや」
「でも、あの娘の本体、すごいよ?神と相打ちなんてさ」
「あー……俺もお前もミカエルに負けてるからな」
3が、すかさず1に反論する。過去を懐かしみつつ、2が彼に賛同した。2も3も、神どころか天使長であるミカエルにすら勝てていない。3に関しては直接対決していないのでその辺は微妙なところだが、武力でやりあってあの弟に勝てるかどうかは難しいところなので、3は特に否定はしなかった。
「シーザー、君のところにはいないの?ミカエル」
ふと気になって、3が1に疑問を投げかける。
「いるんだろうけどな。天使どもは基本的に天界に引きこもって出てこねえからわからねえ」
「生き別れの弟だったりしてな」
「ねえよ。……あー、でも、どんなやつか見に行ってみっかな」
面白半分な2の予想を即座に斬り捨て、1は思案する。そんなぐだぐだした会話をしつつ、彼らの休暇は過ぎて行った。
2の世界。仕事の一環で、2は地獄の視察をしていた。地獄は、今日も異常はない。死した罪人たちが悲鳴を上げて逃げ惑い、悪魔たちの刑罰に苦悶する様がそこかしこで見られるのが、ここでの日常風景だ。ふと、巨大なワニが横切って行くのに2は気づいた。
「おい、お前」
「あ、ルシファー様!ちぃっす! 」
2が呼びかけると、ワニは歩みを止めて、頭を垂れた。地獄の王に対する態度にしてはいささかフランクすぎる気がするが、悪魔たちはこれで通常運転である。少し自信がないながらも、確認のために2は問う。
「お前、アガレスだよな?」
「へえ」
戸惑いつつ、ワニが肯定する。2は、胸をなで下ろしていた。異世界のアガレスがワニではなかったせいで人違いならぬ魔王違いをし、責められたことを秘かに気にしていたのだ。
「ほらやっぱりな、ワニだよワニ。俺は間違ってねえっつの」
ぶつぶつと独り言を言う、2。そんな彼の傍に、ワニの背にまたがっていた悪魔が降りてきた。ワニに乗っていると姿が隠れてしまうほど小柄なその悪魔は、2の顔色をうかがいつつ、おずおずと声をかけてくる。
「……その、ルシファー様、アガレスは俺の名前で、こいつは愛車なんすけど」
「あ?」
ワニと悪魔を見比べて2は一瞬沈黙し、
「……あー、そうだった。わりいわりい」
軽く手を振りつつ、悪魔に謝った。もう行っていいぞ、と告げられ、不思議そうな顔でアガレスは去って行く。
(……違ってた……ま、いいや)
遠ざかるワニの背中を見送りつつ、2は己の記憶力に少しだけ危機感を持ったが、すぐに気を取り直して視察を再開したのだった。
どこまでも続く、白い空間。そこにはいつも、何もない。神とルシファーの戦いにより、全てが吹き飛んでしまった。ここで今、生きて活動しているのは彼女だけだ。つい先ほどまで滞在していた世界と比べると、どうにも殺風景で寂しいものだと、帰郷するたびにミナは思う。
「ただいま」
虚空に向かい、声をかける。返事はないし、誰かが姿を現すこともない。だが、この世界には確かにミナの本体であるルシファーがいて、彼女を見守っているのだ。それは、分体である彼女にしかわからない、不思議な結びつきだった。
「今日はね、ちょっとおもしろいことがあったから、報告に来たんだ」
本体がどこかで、興味深げに耳を傾けているだろうと想像をしつつ、ミナは上機嫌で話し始める。
「例の世界で、面白い連中と知り合ったんだよ。誰だと思う?それはね……」
もったいぶって、ミナは言葉を切った。本体が身を乗り出す様子が、目に浮かぶようだ。それは、こちらの勝手な憶測でしかないとは言え、それはそれで、彼女にとって楽しいことだった。
「何と!別の世界のルシファー達です!ね?すごいでしょ」
大げさに手を広げ、さも重大発表であるかのように、ミナは報告した。自分が経験した衝撃を、本体とたくさん共有したくて、彼女は語り出す。
「彼らは三人いてね、それぞれが別の世界でルシファーって名乗ってて、かつての君と似たような役割をこなしているんだって!それで、仕事が忙しいからって、息抜きであの世界にいるんだってさ。面白いよね?君も……」
そう思うだろう、と同意を得ようとして、ミナはあることに気づいて言葉を失った。本体が、今までにない反応を示している。それは、彼女にとって、完全に予想外だった。
「え?ね、ねえ、君……」
戸惑いながら、ミナは呆然としつつ問いかける。こんなことは、分体として生を受けて以来、初めてのことだった。
「どうして、泣いているの……?」
本体は、答えを返さない。ただ、静かに涙を流す姿が見えたような気がして、わけがわからないながらも、ミナは胸を痛めた。
「ごめん、変なこと言って……あ、もしかして、彼らが羨ましいの?君は、彼らみたいに自由に動けないから、だから……」
焦りつつ、ミナはどうにか相手を慰めようと懸命に話しかける。されど、本体は相変わらずで、彼女の言葉が届いているかはわからなかった。しばしの間、おろおろしていたミナだったが、やがて意を決したように告げた。
「大丈夫、君もいつか彼らみたいになれるよ。だから、もう少しだけ待っていて」
そして、彼女の姿が世界から消える。後には、彼女の本体であるルシファーの、目に見えない感情の奔流が渦巻いていた。
異世界の街・ナンナル。久しぶりに、3は教会を訪れていた。礼拝堂には、勇者の新たな活躍を物語った、タペストリーが展示されている。剣を片手に魔物の軍を撃退する勇者の絵が、見事な刺繍でつづられていた。当の2がこれを見る可能性は限りなく低いことを、3は残念に思う。
「フォース様!」
「フォース様だわ!」
「お久しぶりです!」
3の姿を見るやいなや、教会に勤めるシスターの少女たちが彼を取り囲んだ。彼女たちにとっては、3は美貌の貴公子であり、憧れの君だった。
「やあ、相変わらず元気そうだね」
少女たちのきらきらした視線を受けながら、3は温和に微笑む。シスターのうちのひとりが、そんな彼に向かって聞いてきた。
「フォース様、フォース様が勇者様なのですよね?」
「いや、違うよ。私はそんな大層な者じゃない」
少女の問いに、3は首を振る。他の娘たちも、彼が勇者だと思い込んでいたのだろう。彼女たちは、不服そうに口をとがらせた。
「え~……?そうだと思ったのに」
「みんなそう言ってますよ?」
「でも、本当に違うから」
なおも食いついてくるシスター達に、3は今度はきっぱりと否定した。ミナが彼らの屋敷を訪問したきっかけは、教会で情報を得たからだということを、今さらながら思い出す。おそらく、屋敷に勇者がいる、という噂の根源は彼女たちなのだろう。一番初めに彼に勇者か否かを問うてきた少女が、がっくりとうなだれる。
「……何だぁ……」
「がっかりさせてごめんね」
あまりに正直な反応に、3は苦笑する。そんな彼女の非礼を、他のシスター達が咎めた。
「ちょっと、そんなにがっかりしたらフォース様に失礼よ」
「そうよそうよ、フォース様は私の勇者様でいてくれればいいの!」
「私たちのよ。抜け駆けは許さないわ!」
お互いけん制しながら、好意をアピールしてくる少女たち。ひじで軽く突いたり、さりげなくライバルを押しのけたりしながら、女の戦いを繰り広げている。
「元気だねえ……君たちは」
シスター達の若さを眩しく感じつつ、3は彼女たちの小競り合いが激化する前に、教会を後にしたのだった。
街を散策した後、3は屋敷へと帰ってきた。手に、紙袋を抱えている。外出した時に2が広間のソファーで熟睡していたので、彼への土産である。
「ただいま」
ドアを開け、声をかける。すると、広間にいた先客が、彼に挨拶を返してきた。
「やっほー」
「あれ、ミナ?」
3を出迎えたのは、先日旅立ったはずのミナだった。向かいのソファーで寝ていた2が、もぞもぞと起き上がり、彼女の顔を見て驚いたように後ずさる。どうやら、彼女の来訪に気づかずにずっと眠っていたようだ。2が迂闊なのか、ミナの潜伏能力が優れているのか。おそらくは両方だろうと、3は推測する。
「戻ってくるの早えなお前!」
動揺から立ち直れないまま、2がミナに憎まれ口を叩く。にやにやしながら、ミナは答えた。
「その気になればどこにだって行けるよ。一応、報告しておこうと思って」
「何をだよ」
不機嫌そうに、2が問う。軽く伸びをして、ミナは話を続けた。
「魔四天王のふたり、ちょっとはおとなしくなったみたい。世界と共存する方法を探すんだってさ」
「ふーん……良かったんじゃねえの?」
「ま、勇者が来たら退治されちゃうかもしれないけどね~」
朗報を聞いて満更でもない様子の2に、ミナは肩をすくめる。それはそれで、この世界のルールなのだから仕方がないことだ、と2は思った。この先どうするかは、彼ら次第である。彼らのやり取りを聞いていた3が、思い出したように口を挟んだ。
「勇者……か。そう言えば、一人会ったな」
「ホントに!?どこで!?どんな子!?」
ミナが、3に向かって勢いよく詰め寄る。相変わらずだな、と内心苦笑しつつ、3は言った。
「魔王城で。魔王を倒したみたいだから、元の世界に帰ってしまったのかもしれない」
「あ~……残念。魔王と違ってあちこち動き回るから、勇者って追いづらいんだよね」
先ほどのハイテンションはどこへやら、心底残念そうに、ミナは肩を落とす。呆れ顔で、2が彼女を見た。
「勇者にも興味あんのかよ」
「優秀な子なら、スカウトして部下にしたいからね!」
「封印されてるくせによくやるぜ……」
目を燦然と輝かせるミナに、2が半眼で茶々を入れる。神と相打ちになってもなお、彼女は戦意を失うことなく精力的に生きているようだ。平和ボケした2の世界では、彼女のように不屈の精神を持った者たちは、もはや希少価値がある存在になりつつある。
「何言ってるの。わたし達の世界は、まだまだこれからなんだから!」
拳を握りしめてしばし自分の世界に浸っていたミナだったが、ふとあることに気づき、辺りを見回した。
「……そう言えば、もう一人がいないね?」
「ああ、忙しいんだろうよ」
心底どうでもいいと言うように、2が応じる。彼ら三人は、予定を合わせて異世界に来ているわけではない。全員が揃わないのも、珍しくないことだった。
せっかくだから、と3が買ってきた菓子類をテーブルに出そうとしたその時、誰かが階段を下りる気配がした。やけに重々しいその足音は、広間の手前で止まる。ドアが開いて、げんなりした様子の1が顔を出した。
「……あぁ~……やっと逃げ切れた……」
深々と息を吐き、2の隣にどっかりと座る、1。気遣わしげに、3が彼の顔を覗き込んだ。
「大丈夫かい?やけに疲れているみたいだけど」
「珍しいね、いつも元気なのに」
ミナが、首をかしげる。ソファーにもたれかかり、1は力なく語り出した。
「……あれから、ミカエルに会いに行ったんだけどな」
「おお。どんなんだった?」
興味を惹かれ、2が尋ねる。1の世界のミカエルについては、少なからず関心があった。ため息交じりに、1は話を続ける。
「色々あって、求婚されちまってよ……」
「ええ!?」
1の爆弾発言に、他の三人が同時に驚愕の声を上げる。当の1は、すっかり精根尽き果てた様子で、天井を見つめていた。
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