L-Triangle!3-2
- 2014/04/14
- 00:05
1とともに次元を抜けた1ミカの視界に入ってきたのは、見慣れない一室だった。
「こ、ここは……?」
「俺様の部屋だ」
1の言葉に、1ミカは周囲を見渡す。豪華そうな内装の広い部屋だが、絨毯にダンベルを初めとするトレーニング器具がごろごろと転がっている。天蓋つきの大きなベッドが目に入り、1ミカは赤面した。
「あ、あの、わたくし、その、こころの、準備が」
「バカ。何を勘違いしてやがる」
1ミカが何を言わんとしているかを察し、1が半眼になる。彼は、決してやましい目的でここに来たわけではない。異世界から帰って来たときの着地点を自室に設定していただけである。1は、適当なところに座るようにと1ミカを促した。
「ここに来たのは、話をするためだ」
「話?何の件についてだ?」
椅子に座りつつ、1ミカが首をかしげる。1は、少し迷った末にベッドに腰を下ろした。
「色々あんだろうがよ。まずは……そうだな、何でお前は俺様のことを夫呼ばわりするんだ」
「それは、前に説明したではないか。古き盟約に従い、あなたの妻となると」
「それだ、それ!その盟約ってのは何なんだよ!」
1ミカに指をつきつけ、1は彼女に向かって身を乗り出した。彼のリアクションが予想外だったのか、戸惑いつつ1ミカが聞いてくる。
「ルシファー殿……もしかして、盟約について知らずに天界に来たのか?」
「盟約なんざ、聞いたこともねえ」
きっぱりと断言する、1。1ミカの目つきが、訝しげなものになった。
「ならば、なぜわたくしに会いに来たのだ」
「そりゃまあ、興味本位で……」
「盟約とは関係なく、わたくしに興味があって来てくれたのだな!?」
1の歯切れの悪い返答を聞き、1ミカが顔を輝かせた。椅子から立ち上がり、1に詰め寄る。
「いや、俺様はただ、ミカエルってのがどういうやつかと」
唐突に接近され、1は上半身を反らして1ミカから距離をとろうとする。うっとりと、1ミカは呟いた。
「ああ……やはり、これは運命なのだな……うれしいぞ、ルシファー殿!」
「だから、ひっつくなっつうに!!」
抵抗も空しく、1は1ミカにまたも飛びつかれる羽目になった。そして、そのまま押し倒される。
ノックの音がしたのは、そんな時だった。
「ルシファー様、失礼いたします」
部屋の主の返事を待たずにドアを開け、顔をのぞかせたのは彼の秘書であるリリスだった。
「!!」
1ミカに抱きつかれたままで、1は硬直する。リリスの冷たい視線が、彼に突き刺さった。
「…………お取込み中でしたか」
「いや、待てリリス!頼む、待ってくれ!」
軽蔑とともにドアを閉めようとするリリスを、1はあわてて引き留める。地獄最強の悪魔・ルシファーにあるまじきうろたえぶりだ。
「……リリス?」
1の困惑をよそに、1ミカが彼から離れてリリスに近づく。怪訝そうな彼女の前に立ち、納得したように1ミカは頷いた。
「なるほど、貴殿がリリス殿か」
「……貴女は?」
警戒しつつ、リリスが問いかける。華やかで情熱的な印象の1ミカと、切り裂くような冷たい美貌を持つリリスは対照的である。挑むように、1ミカが名乗った。
「わたくしはミカエルだ」
「…………!!」
それを聞いて、リリスが驚愕に目を見開く。普段、感情を表に出さない彼女にしては、珍しい反応である。どうやら、何か心当たりがあるようだ。
「貴殿は、ご存じのようだな」
「そんな、まさか……!」
「古の盟約に従い、ルシファー殿と添い遂げに来た」
動揺するリリスに、1ミカが宣戦布告でもするかのように言い放つ。ショックから抜け出せないのか、リリスの方は呆然としたままだ。
「……あの伝承は、本当だったのですね……」
「おい、話が見えねえぞ。俺様にも説明しろ」
二人の美女のやり取りに、1が無遠慮に割って入る。リリスが、そんな彼を殺人光線が放てそうな勢いでにらみつけた。ひとしきり1に向かって無言で怒気をぶつけた後、リリスはため息をつく。
「まったく……貴方は、次から次へと問題を起してくださいますね」
「別に望んでやってるわけじゃねえっつの!」
わけもわからず責められ、1は抗議する。彼の気まぐれによる行動が厄介な事態を引き起こすことは、今回が初めてではなかった。
「まあ、この件について貴方に説明しておかなかった私にも落ち度はあります」
嘆息して、リリスはそれ以上言及するのをやめる。1に悪気がないことはわかっている。地獄の王ルシファーという称号が、どれほどの重責を伴うものかを理解していないだけだ。
「ルシファー殿、神の盟約は知っているな?」
二人のやりとりを見守っていた1ミカが、1に問いかける。彼女も、ちゃんとした説明をする必要があると悟ったのだろう。
「何だそりゃ?」
「知らないのか!?」
悪びれもせずにうなずく、1。呆気にとられる1ミカに、リリスが神妙な態度で謝罪する。
「申し訳ありません。ルシファー様は、王位に就いて日が浅いのです」
「し、しかし、その……常識問題ではないか……」
信じられない、というふうに、1ミカが呟く。ばかにされたような気がして、1は少し気分を害した。
「天界とは違い、地獄は常に戦乱の中にあります。ルシファー様がろくな教育を受けていないのも、致し方ないことなのです」
「教育なんか必要ねえだろが、俺様は最強なんだからよ」
気まずい空気の中、リリスが1をフォローしようとするが、彼女の努力は1自身により台無しにされた。眉をひそめ、リリスができの悪い生徒に接するかのような態度で1を諭す。
「ルシファー様、地獄の恥を広めないためにも、しばしの間、黙っていてください」
「おい!?」
「地獄とは、これほどまでに酷いところなのか……」
1ミカが、衝撃のあまりよろめいた。1のあまりの無知さ加減に幻滅しかけた彼女は、しかし、すぐに立ち直った。使命感を燃え上がらせ、1の手をとる。
「大丈夫だ、わたくしが来たからには、もうルシファー殿に恥ずかしさのあまり消えてしまいたくなるような惨めさを味わわせたりはしない!」
「俺様はそこまで思ってねえ!」
「……神の盟約とは」
1が本当にいたたまれなくなってきたとき、リリスが口を開いた。1ミカに懸命に反論しようとしていた1は、それに気づいてリリスの話に耳を傾ける。
「この世界を神が創造した際に設定した、いくつかの決まりごとのことです。この盟約を守るという条件で、天使と悪魔は世界の支配を任されたと言われていますね」
「たとえば……『最強の悪魔がルシファーの称号を得て地獄を支配する』というのも、盟約のひとつだ」
リリスの講釈を、1ミカが補足する。
「それで、その盟約の中に、ルシファーはミカエルと結婚しろとでもあるってのかよ」
興味なさそうに、1は茶々を入れた。彼にとっては、誰かが勝手に決めた規則などどうでもいい話だ。
「いえ、正確には、『ルシファーとミカエルは、ともに未来を歩むべし』といった文面だったはずです」
「天界では、『ルシファーとミカエルは添い遂げるべし』と伝えられているぞ」
「……それ、だいぶ意味が違わねえか……?」
二人の美女を、1はジト目で交互に見る。動じず、1ミカが釈明した。
「世界ができてから、永い時が流れたのだ。伝承の意味が変化していくのも仕方がないことだろう」
彼女の話に、1は生返事を返した。神の盟約とは大層な肩書だが、結局のところ酔っ払いの自慢話と大差ないのではないかという気がしてくる。真相が本人にしかわからず、あてにならないところがそっくりだ。
「とにかく、ルシファー殿とわたくしが夫婦になればすべては丸く収まるのだ」
「ちょっと待て!俺様は誰にも縛られるつもりはねえぞ!結婚なんざお断りだ!」
自信ありげに胸を張る1ミカに、1は異議を唱えた。それに対し、1ミカは咎めるような眼差しを向けてくる。
「……それは、神の盟約を破棄するということか?」
「だったら何だよ」
少し温度が下がった視線とともに、1ミカが脅迫じみた言葉を突き付けてくる。だが、1としても主張を曲げるわけにはいかない。
「神の盟約は、世界の根源にかかわる重要な決まり事だ。破れば、どのような厳罰を下されるかわからないのだぞ?」
「構わねえよ。俺様の意志の方が重要だ。逆らう奴は、たとえ神でもぶっ飛ばす」
1ミカの説得を、1ははねつけた。彼としては、誰かが勝手に決めた規則などに従う謂れはないのだ。彼は、いつも自分のやりたいようにやってきた。その結果、今の自分がある。
「しかし、わたくしは困るのだ。正妻でなくても構わぬから、共にいさせてはくれないか?」
「!?な、何言ってんだ、お前」
先ほどとはうってかわって、しおらしい態度で1ミカは懇願する。意表を突かれ、1はたじろいだ。プライドが高いタイプに見える彼女が、そんなことを言うとは思わなかったのだ。
「ルシファー殿は、地獄の王。複数の妻を持っても問題ない立場だろう?」
「……確かに、先代のルシファーも多くの妃との間に子どもを設けていますね」
「リリス、お前、どっちの味方だよ」
冷静に分析するリリスに、1が指摘した。この秘書は、物事を客観的に判断しようとするあまり目的を見失うことがたまにある。今、彼女がすべきことは、主君である自分の援護のはずだ。リリスが、無表情のままで1の方へと顔を向ける。
「私は、いかなる決断をしようと貴方に従います。しかし、いきなり何の対策もとらずに無駄死にするのは不本意ですね」
「…………」
淡々と告げられ、沈黙する、1。つまり、リリスは神と敵対することになり、死が確定したとしても、彼とともにいると言っているのだ。目の前でそういう態度をとられては、彼としても躊躇せざるを得ない。
「……仕方ねえな……しばらく、ここにいろ」
「ルシファー殿……!」
「ただし、結婚はしねえからな!」
憔悴しきった様子で、1はついに折れた。1ミカの顔が輝くのを見て、即座に断言する。これだけは、絶対に譲れない事項だった。
「感謝するぞ、あなた」
うれしそうに、1ミカが破顔する。本当にわかっているのか、と疑念が浮かんだが、あえて問いたださなかった。
「……リリス。こいつを連れて行け」
「かしこまりました」
一礼し、リリスは1ミカを連れて退室していく。脱力し、1はベッドに倒れ込んだ。己の考えなしの行動で、まさかこんなことが起こるとは思わなかったのだ。
「ったく、神の盟約だ……?ふざけやがって」
神にもし会えたら、顔面を殴り飛ばそうと誓う1だった。
とりあえずは客人扱いで、1ミカは客室のひとつに案内された。1の自室に比べれば広さ・内装ともに劣るものの、一人で寝泊まりするには十分すぎる部屋である。感心したように視線をめぐらせる1ミカに、ベッドメイキングを終えたリリスが声をかけた。
「何かありましたら、呼び鈴を鳴らしてください。使いの者が御用聞きに伺います」
「……リリス殿」
「はい?」
そつがない動作で去ろうとするリリスを、1ミカは呼び止める。彼女には、ぜひとも聞いておきたいことがあった。
「リリス殿は、ルシファー殿とどのような関係だ?」
「どういう意味でしょうか」
不審そうに、リリスが尋ねる。とぼけているのか、と1ミカは思ったが、そうではないらしい。
「わたくしは、ルシファー殿の妻だ。それ以外の女性関係も、把握しておきたい」
「ああ……そういうことですか」
1ミカが言わんとしていることをようやく察し、リリスが返答する。
「ご安心ください、私とルシファー様はそう言った関係ではありません」
「それは本当か?ルシファーとリリスの絆は、とても深いと聞く。貴殿とルシファー殿も、そうなのだろう?」
リリスが予想に反して淡白な返答を返すので、むきになって1ミカは問いを重ねた。宥めるように、リリスが静かに首を振る。
「いえ、それはありません。なぜなら、ルシファー様は私の好みのタイプではありませんので」
「何と!?」
爆弾発言に、1ミカは耳を疑った。真面目そうなリリスの口から、「好みのタイプ」などという軽い単語が出てくると誰が予測できようか。頷いて、リリスは平然と告げる。
「そのことは、ルシファー様もご存知です。それでも、あの方は私を傍に置いて下さる。ありがたいことです」
「……俄かには、信じがたいが……」
探るような視線で、1ミカはリリスを観察する。これほどきっぱり否定されたというのに、彼女の疑念は晴れなかった。素知らぬ顔で、リリスが話題を変える。
「それより、これからのことをお考えになった方がよろしいのではありませんか?
天使と悪魔は、敵対関係にあります。いかに神の盟約があるとはいえ、地獄の有力者たちが貴女を簡単に受け入れるとは思えません」
「……手厳しいな、リリス殿」
あまりに現実的な指摘を受け、1ミカは渋い顔になる。彼女を取り巻く現状は、認めたくないはないが、周囲から手放しで祝福されるようなものではない。
「彼らを説得するために、これから色々と手を打たねばなりません。ルシファー様とともにいたいのならば、貴女にも地獄のことを学んでいただきます。よろしいですね?」
「わかっている。よろしく頼む、リリス殿」
ため息をついて、1ミカは1とリリスの関係についてこれ以上追及するのをあきらめた。うまくはぐらかされたような気がするが、リリスの心象が悪くなれば、自分の立場も危ういのだ。
「かしこまりました」
1ミカが差し出した手を、リリスは握り返す。冷ややかな感触が、1ミカに伝わってきた。
彼女が信頼に値する人物であるかを見極めるには、しばしの時間を要するだろう。それは、相手にとっても同じことだ。
天使と悪魔の奇妙な同居生活が、スタートした。
「こ、ここは……?」
「俺様の部屋だ」
1の言葉に、1ミカは周囲を見渡す。豪華そうな内装の広い部屋だが、絨毯にダンベルを初めとするトレーニング器具がごろごろと転がっている。天蓋つきの大きなベッドが目に入り、1ミカは赤面した。
「あ、あの、わたくし、その、こころの、準備が」
「バカ。何を勘違いしてやがる」
1ミカが何を言わんとしているかを察し、1が半眼になる。彼は、決してやましい目的でここに来たわけではない。異世界から帰って来たときの着地点を自室に設定していただけである。1は、適当なところに座るようにと1ミカを促した。
「ここに来たのは、話をするためだ」
「話?何の件についてだ?」
椅子に座りつつ、1ミカが首をかしげる。1は、少し迷った末にベッドに腰を下ろした。
「色々あんだろうがよ。まずは……そうだな、何でお前は俺様のことを夫呼ばわりするんだ」
「それは、前に説明したではないか。古き盟約に従い、あなたの妻となると」
「それだ、それ!その盟約ってのは何なんだよ!」
1ミカに指をつきつけ、1は彼女に向かって身を乗り出した。彼のリアクションが予想外だったのか、戸惑いつつ1ミカが聞いてくる。
「ルシファー殿……もしかして、盟約について知らずに天界に来たのか?」
「盟約なんざ、聞いたこともねえ」
きっぱりと断言する、1。1ミカの目つきが、訝しげなものになった。
「ならば、なぜわたくしに会いに来たのだ」
「そりゃまあ、興味本位で……」
「盟約とは関係なく、わたくしに興味があって来てくれたのだな!?」
1の歯切れの悪い返答を聞き、1ミカが顔を輝かせた。椅子から立ち上がり、1に詰め寄る。
「いや、俺様はただ、ミカエルってのがどういうやつかと」
唐突に接近され、1は上半身を反らして1ミカから距離をとろうとする。うっとりと、1ミカは呟いた。
「ああ……やはり、これは運命なのだな……うれしいぞ、ルシファー殿!」
「だから、ひっつくなっつうに!!」
抵抗も空しく、1は1ミカにまたも飛びつかれる羽目になった。そして、そのまま押し倒される。
ノックの音がしたのは、そんな時だった。
「ルシファー様、失礼いたします」
部屋の主の返事を待たずにドアを開け、顔をのぞかせたのは彼の秘書であるリリスだった。
「!!」
1ミカに抱きつかれたままで、1は硬直する。リリスの冷たい視線が、彼に突き刺さった。
「…………お取込み中でしたか」
「いや、待てリリス!頼む、待ってくれ!」
軽蔑とともにドアを閉めようとするリリスを、1はあわてて引き留める。地獄最強の悪魔・ルシファーにあるまじきうろたえぶりだ。
「……リリス?」
1の困惑をよそに、1ミカが彼から離れてリリスに近づく。怪訝そうな彼女の前に立ち、納得したように1ミカは頷いた。
「なるほど、貴殿がリリス殿か」
「……貴女は?」
警戒しつつ、リリスが問いかける。華やかで情熱的な印象の1ミカと、切り裂くような冷たい美貌を持つリリスは対照的である。挑むように、1ミカが名乗った。
「わたくしはミカエルだ」
「…………!!」
それを聞いて、リリスが驚愕に目を見開く。普段、感情を表に出さない彼女にしては、珍しい反応である。どうやら、何か心当たりがあるようだ。
「貴殿は、ご存じのようだな」
「そんな、まさか……!」
「古の盟約に従い、ルシファー殿と添い遂げに来た」
動揺するリリスに、1ミカが宣戦布告でもするかのように言い放つ。ショックから抜け出せないのか、リリスの方は呆然としたままだ。
「……あの伝承は、本当だったのですね……」
「おい、話が見えねえぞ。俺様にも説明しろ」
二人の美女のやり取りに、1が無遠慮に割って入る。リリスが、そんな彼を殺人光線が放てそうな勢いでにらみつけた。ひとしきり1に向かって無言で怒気をぶつけた後、リリスはため息をつく。
「まったく……貴方は、次から次へと問題を起してくださいますね」
「別に望んでやってるわけじゃねえっつの!」
わけもわからず責められ、1は抗議する。彼の気まぐれによる行動が厄介な事態を引き起こすことは、今回が初めてではなかった。
「まあ、この件について貴方に説明しておかなかった私にも落ち度はあります」
嘆息して、リリスはそれ以上言及するのをやめる。1に悪気がないことはわかっている。地獄の王ルシファーという称号が、どれほどの重責を伴うものかを理解していないだけだ。
「ルシファー殿、神の盟約は知っているな?」
二人のやりとりを見守っていた1ミカが、1に問いかける。彼女も、ちゃんとした説明をする必要があると悟ったのだろう。
「何だそりゃ?」
「知らないのか!?」
悪びれもせずにうなずく、1。呆気にとられる1ミカに、リリスが神妙な態度で謝罪する。
「申し訳ありません。ルシファー様は、王位に就いて日が浅いのです」
「し、しかし、その……常識問題ではないか……」
信じられない、というふうに、1ミカが呟く。ばかにされたような気がして、1は少し気分を害した。
「天界とは違い、地獄は常に戦乱の中にあります。ルシファー様がろくな教育を受けていないのも、致し方ないことなのです」
「教育なんか必要ねえだろが、俺様は最強なんだからよ」
気まずい空気の中、リリスが1をフォローしようとするが、彼女の努力は1自身により台無しにされた。眉をひそめ、リリスができの悪い生徒に接するかのような態度で1を諭す。
「ルシファー様、地獄の恥を広めないためにも、しばしの間、黙っていてください」
「おい!?」
「地獄とは、これほどまでに酷いところなのか……」
1ミカが、衝撃のあまりよろめいた。1のあまりの無知さ加減に幻滅しかけた彼女は、しかし、すぐに立ち直った。使命感を燃え上がらせ、1の手をとる。
「大丈夫だ、わたくしが来たからには、もうルシファー殿に恥ずかしさのあまり消えてしまいたくなるような惨めさを味わわせたりはしない!」
「俺様はそこまで思ってねえ!」
「……神の盟約とは」
1が本当にいたたまれなくなってきたとき、リリスが口を開いた。1ミカに懸命に反論しようとしていた1は、それに気づいてリリスの話に耳を傾ける。
「この世界を神が創造した際に設定した、いくつかの決まりごとのことです。この盟約を守るという条件で、天使と悪魔は世界の支配を任されたと言われていますね」
「たとえば……『最強の悪魔がルシファーの称号を得て地獄を支配する』というのも、盟約のひとつだ」
リリスの講釈を、1ミカが補足する。
「それで、その盟約の中に、ルシファーはミカエルと結婚しろとでもあるってのかよ」
興味なさそうに、1は茶々を入れた。彼にとっては、誰かが勝手に決めた規則などどうでもいい話だ。
「いえ、正確には、『ルシファーとミカエルは、ともに未来を歩むべし』といった文面だったはずです」
「天界では、『ルシファーとミカエルは添い遂げるべし』と伝えられているぞ」
「……それ、だいぶ意味が違わねえか……?」
二人の美女を、1はジト目で交互に見る。動じず、1ミカが釈明した。
「世界ができてから、永い時が流れたのだ。伝承の意味が変化していくのも仕方がないことだろう」
彼女の話に、1は生返事を返した。神の盟約とは大層な肩書だが、結局のところ酔っ払いの自慢話と大差ないのではないかという気がしてくる。真相が本人にしかわからず、あてにならないところがそっくりだ。
「とにかく、ルシファー殿とわたくしが夫婦になればすべては丸く収まるのだ」
「ちょっと待て!俺様は誰にも縛られるつもりはねえぞ!結婚なんざお断りだ!」
自信ありげに胸を張る1ミカに、1は異議を唱えた。それに対し、1ミカは咎めるような眼差しを向けてくる。
「……それは、神の盟約を破棄するということか?」
「だったら何だよ」
少し温度が下がった視線とともに、1ミカが脅迫じみた言葉を突き付けてくる。だが、1としても主張を曲げるわけにはいかない。
「神の盟約は、世界の根源にかかわる重要な決まり事だ。破れば、どのような厳罰を下されるかわからないのだぞ?」
「構わねえよ。俺様の意志の方が重要だ。逆らう奴は、たとえ神でもぶっ飛ばす」
1ミカの説得を、1ははねつけた。彼としては、誰かが勝手に決めた規則などに従う謂れはないのだ。彼は、いつも自分のやりたいようにやってきた。その結果、今の自分がある。
「しかし、わたくしは困るのだ。正妻でなくても構わぬから、共にいさせてはくれないか?」
「!?な、何言ってんだ、お前」
先ほどとはうってかわって、しおらしい態度で1ミカは懇願する。意表を突かれ、1はたじろいだ。プライドが高いタイプに見える彼女が、そんなことを言うとは思わなかったのだ。
「ルシファー殿は、地獄の王。複数の妻を持っても問題ない立場だろう?」
「……確かに、先代のルシファーも多くの妃との間に子どもを設けていますね」
「リリス、お前、どっちの味方だよ」
冷静に分析するリリスに、1が指摘した。この秘書は、物事を客観的に判断しようとするあまり目的を見失うことがたまにある。今、彼女がすべきことは、主君である自分の援護のはずだ。リリスが、無表情のままで1の方へと顔を向ける。
「私は、いかなる決断をしようと貴方に従います。しかし、いきなり何の対策もとらずに無駄死にするのは不本意ですね」
「…………」
淡々と告げられ、沈黙する、1。つまり、リリスは神と敵対することになり、死が確定したとしても、彼とともにいると言っているのだ。目の前でそういう態度をとられては、彼としても躊躇せざるを得ない。
「……仕方ねえな……しばらく、ここにいろ」
「ルシファー殿……!」
「ただし、結婚はしねえからな!」
憔悴しきった様子で、1はついに折れた。1ミカの顔が輝くのを見て、即座に断言する。これだけは、絶対に譲れない事項だった。
「感謝するぞ、あなた」
うれしそうに、1ミカが破顔する。本当にわかっているのか、と疑念が浮かんだが、あえて問いたださなかった。
「……リリス。こいつを連れて行け」
「かしこまりました」
一礼し、リリスは1ミカを連れて退室していく。脱力し、1はベッドに倒れ込んだ。己の考えなしの行動で、まさかこんなことが起こるとは思わなかったのだ。
「ったく、神の盟約だ……?ふざけやがって」
神にもし会えたら、顔面を殴り飛ばそうと誓う1だった。
とりあえずは客人扱いで、1ミカは客室のひとつに案内された。1の自室に比べれば広さ・内装ともに劣るものの、一人で寝泊まりするには十分すぎる部屋である。感心したように視線をめぐらせる1ミカに、ベッドメイキングを終えたリリスが声をかけた。
「何かありましたら、呼び鈴を鳴らしてください。使いの者が御用聞きに伺います」
「……リリス殿」
「はい?」
そつがない動作で去ろうとするリリスを、1ミカは呼び止める。彼女には、ぜひとも聞いておきたいことがあった。
「リリス殿は、ルシファー殿とどのような関係だ?」
「どういう意味でしょうか」
不審そうに、リリスが尋ねる。とぼけているのか、と1ミカは思ったが、そうではないらしい。
「わたくしは、ルシファー殿の妻だ。それ以外の女性関係も、把握しておきたい」
「ああ……そういうことですか」
1ミカが言わんとしていることをようやく察し、リリスが返答する。
「ご安心ください、私とルシファー様はそう言った関係ではありません」
「それは本当か?ルシファーとリリスの絆は、とても深いと聞く。貴殿とルシファー殿も、そうなのだろう?」
リリスが予想に反して淡白な返答を返すので、むきになって1ミカは問いを重ねた。宥めるように、リリスが静かに首を振る。
「いえ、それはありません。なぜなら、ルシファー様は私の好みのタイプではありませんので」
「何と!?」
爆弾発言に、1ミカは耳を疑った。真面目そうなリリスの口から、「好みのタイプ」などという軽い単語が出てくると誰が予測できようか。頷いて、リリスは平然と告げる。
「そのことは、ルシファー様もご存知です。それでも、あの方は私を傍に置いて下さる。ありがたいことです」
「……俄かには、信じがたいが……」
探るような視線で、1ミカはリリスを観察する。これほどきっぱり否定されたというのに、彼女の疑念は晴れなかった。素知らぬ顔で、リリスが話題を変える。
「それより、これからのことをお考えになった方がよろしいのではありませんか?
天使と悪魔は、敵対関係にあります。いかに神の盟約があるとはいえ、地獄の有力者たちが貴女を簡単に受け入れるとは思えません」
「……手厳しいな、リリス殿」
あまりに現実的な指摘を受け、1ミカは渋い顔になる。彼女を取り巻く現状は、認めたくないはないが、周囲から手放しで祝福されるようなものではない。
「彼らを説得するために、これから色々と手を打たねばなりません。ルシファー様とともにいたいのならば、貴女にも地獄のことを学んでいただきます。よろしいですね?」
「わかっている。よろしく頼む、リリス殿」
ため息をついて、1ミカは1とリリスの関係についてこれ以上追及するのをあきらめた。うまくはぐらかされたような気がするが、リリスの心象が悪くなれば、自分の立場も危ういのだ。
「かしこまりました」
1ミカが差し出した手を、リリスは握り返す。冷ややかな感触が、1ミカに伝わってきた。
彼女が信頼に値する人物であるかを見極めるには、しばしの時間を要するだろう。それは、相手にとっても同じことだ。
天使と悪魔の奇妙な同居生活が、スタートした。
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- テーマ:自作小説(ファンタジー)
- ジャンル:小説・文学
- カテゴリ:L-Triangle!3
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