L-Triangle!外伝②
- 2014/05/04
- 21:32
地獄の王・ルシファーの棲家は、地獄にある。
それは、よく考えなくても当たり前のことだ。何しろ、彼らは多忙の身である。職場と自宅は、なるべく近い方がいい。
ルシファーその1の場合、高層ビル『赤龍』が職場兼自宅となっているし、ルシファーその3は、天界に自宅があるものの全く帰らずに、職場に寝泊まりしている状態だ。異世界の屋敷や宿に泊まることもあるが、ごくまれな話である。
さて、ルシファーその2はというと、彼は職場である『万魔殿』に住んでいるわけではない。神殿の裏側に位置する、悪魔たちの社宅の一室を、彼はねぐらとしていた。他と似たり寄ったりの広さの、質素なワンルームマンション。普段は帰らないそこに、その日、珍しく彼はいた。
「こんちはー、お届け物でーっす」
配達人のやる気のない声が、玄関先でこだまする。背中をかきつつ、ルシファーその2……略して2は、めんどくさそうに小包を受け取った。
「今年も、来やがったか……」
差出人を確認し、顔を引きつらせる。今年も一人でやるのか、と空しい気分になった2だが、ふと何かを思いつき、にやりと笑った。
「ちょうどいい。せっかくだから、やつらにも手伝わせよう」
そう決めるなり、2は術の構成を始める。異世界へと渡る、高度な術だ。
やがてそれは完成し、2の姿は掻き消えた。
異世界の街・ナンナルの、郊外にある屋敷。広間には、いつものメンバーが集まっていた。ルシファーその1、その2、その3。この異世界ではそれぞれ、シーザー、カイン、フォースと名乗っている。
テーブルの上にある小包に、六つの視線が注がれていた。
「それで……これは、何なの?」
ルシファーその3……略して3が、おずおずと問いかける。それを受けて、小包を持ち込んだ当人である2は、簡単に事情を説明した。
「知り合いが贈ってきたんだよ。毎年、この時期になると来るんだ」
「何が入ってるんだよ。食いものか?」
興味津々で、ルシファーその1……略して1が箱を持ち上げる。予想していたより、それはずっしりとしていた。重々しく、2は告げる。
「缶詰だ」
「缶詰?それなら、私のところにもあるよ」
よく知っている単語を耳にし、3が安堵する。目の前の小包は、彼にとっては未知の世界の品物である。どんなものが飛び出すのかと、緊張していたのだ。
「俺様のところもだ。しょっちゅうドンパチやってるから、貴重な食料源だな」
3と似たようなことを考えて警戒していた1が、すかさず同意する。
缶詰は長期保存がきくので、普段はともかく、非常時には並外れた活躍を見せる。力こそが正義の、争いが絶えない1の世界では、その能力を存分に発揮していることだろう。
「これを持ってきてくれたってことは、私たちもおすそ分けがもらえるってことだよね?
ありがとう、カイン」
「お前にしては気が利くじゃねえか、さっそく食おうぜ」
うれしそうに3が礼を述べ、1が小包の包装を破ろうとする。異世界の食べ物に対する期待に胸を膨らませる彼らに、2が水を差した。
「……食えるもんならな」
「え?」
不吉な言葉に、3がまばたきをする。1もまた、動きを止めていた。片方だけ口角を吊り上げて、2が不敵に笑う。
「悪魔の王であるこの俺がもらった缶詰だぞ?普通の食い物が入ってるわけねえだろが」
「じゃあ、何が入ってるんだよ」
訝しげに、1が小包と2を交互に見比べた。彼にとっては、缶詰は食べ物である。それ以外の何かなど、思いつきもしない。
2の答えは、至ってシンプルだった。
「わからねえ」
「はあ!?」
「それを、これから確かめるんだよ」
2が、1から小包を奪い、開封した。箱の中には、銀色の缶詰が十個、規則正しく二列に並べられている。缶切りが必要ないように、上部にプルタブがついていた。だが、缶には中身が何であるかを示すラベルが貼られていない。
「何だよ、これじゃ中身がわからねえだろが」
不審そうに、1が缶の一つを手に取る。試しに振ってみるものの、何の音もしなかった。何かが、ぎっしりと詰まっている。
「開けてみればわかるぜ」
「え……?でも、それ、ちょっと怖くない?」
2の意地の悪い笑みを目の当たりにして、3が尻込みする。そんな彼を、1が鼻先で笑い飛ばした。
「何びびってんだよ、たかが缶詰だろ?」
明確な死亡フラグを立てて、1は缶詰の封を切る。それと同時に、金色の煙が彼を包み込んだ。
「ぶわあっ!?」
「シーザー、大丈夫!?」
「げほ……何だ、これ」
大きく咳き込む、1。煙がやんだ後、彼の姿を見て3は目を丸くした。
1の全身が、金色に変化している。彼のたくましい肉体も、いかつい顔も、銀色の髪も、全てが黄金にコーティングされて、てかてかと光っていた。
「ぶははははは!!何だそれ、おもしれえ!!」
「笑うんじゃねえ!!何が起こってんだコラ!?」
爆笑する2を、わけがわからず1は怒鳴りつける。無言で、3が壁に掛けてあった鏡を差し出した。何じゃこりゃあ、とどこかで聞いたような悲鳴がこだまする。
「カイン!!てめえ、知っててハメやがったな!?」
1の金色の指が、2の胸ぐらを掴む。彼の怒りを歯牙にもかけずに、2は平然と言い返した。
「知らねえよ。俺にも中身はわからねえって言っただろ?」
「じゃあ、一体何だってんだ」
仏頂面のまま、1はとりあえずこの金色を脱色することにした。己の時間を巻き戻し、缶詰を開ける前の姿になる。
「これは、そういうモンなんだよ。中身がわからない缶詰を、順番に開けていく。
闇缶詰ってやつだ」
「闇缶詰……?」
得意げな顔で、2が解説する。初めて聞く単語を、3が不思議そうに聞き返した。
「暗闇の中でどんな具が入ってるかわからねえ鍋を食うのを闇鍋って言うんだが、それの同類だな」
「なるほど……おもしろい余興だね」
明確なビジョンが見えてきて、3が目を輝かせる。一方、笑いものにされて気分を害した1は、それほど乗り気ではないようだ。
「くっだらねえの。おい、次はお前が開けろ」
「わかってるよ。もともと、俺が最初にやるつもりだったんだ」
2が、プルタブに手をかけ、一思いに引く。缶のふたが開いて、中身が飛び出す。それは、ふわふわした一対のネコ耳だった。ネコ耳は、2が避けようとするより先に彼の頭部にくっついた。
「あは、可愛いよ、カイン」
楽しそうに、3が笑う。何が起こるかと心配していたので、彼は不覚にも和んだ。
「何だよ、つまらねえな。もっと愉快な変化しろよ」
「あほらし。相変わらず、バカなこと考えてんのな」
鏡を見つつ、至ってクールに2は贈り主をこき下ろす。毎年のことなので、慣れているのかもしれない。
「私も、ひとつもらっていいかな?」
好奇心旺盛な3が、缶詰を手に取った。形のいい指先が、プルタブにかかる。
開けた途端に、缶から黒い光が放たれた。
「うわ……!?」
3が、驚きの声を上げる。光が止んでも、彼の見た目に変化はなかった。
「何だよ、外れか?」
不審そうに、1が3に近づく。その瞬間、3が構えをとった。不意に放たれた正拳突きが、1を襲う。
「うお!?」
とっさに、1は3の拳を受け止める。普段の穏やかな振る舞いからは想像がつかないほど、その一撃は重かった。
「何すんだてめえ!?」
激怒して、1が3に詰め寄る。我に返ったように、3は目を瞬かせた。
「あ……ごめん、シーザー、大丈夫!?」
「てめえが殴りかかって来たんだろが、ああ?」
あわてて謝る3に、1は喧嘩腰で迫った。彼としては、3と殴り合いをするのも悪くはないと思い始めている。久しぶりに、楽しい戦いができそうだ。
「落ち着けよ。フォースの意志じゃねえ、缶詰のせいだ」
冷静に、2が床に落ちていた3の缶詰を拾い、1につきつける。そこには、先ほどなかった文字が刻まれていた。
「人を無性に殴りたくなる缶詰……?」
「開封した後で、缶詰の中身が表示されるんだ」
「そっか……誰でもいいから殴りたくなったの、そのせいなんだね」
事情を理解し、3が気落ちしたように俯く。自分の意志でないにせよ、1に殴りかかったのは事実だ。
「本当にごめんね、シーザー。私のことも殴っていいから」
「…………」
殊勝な様子で、3は1に頭を下げた。そこまでされては、かえって殴りにくい。舌打ちして、1は3の額にでこぴんを四連発で見舞った。
「あ、痛」
「さて、次行くぞ」
ソファーに腰掛け、缶詰に手を伸ばす。額をさすりつつ、3が制止の声を上げた。
「ちょっと待ってよ。ねえカイン、この缶詰、危険なものも混じってるの?」
「俺にも中身はわからねえって言ってるだろ」
3の問いに、2はこれまでと同じ答えを返す。その顔は、少し困っているようにも見えた。しばし考えて、3は別の方向から質問をすることにした。
「じゃあ、今まではどうだった?例えば……流血沙汰になったことがあるとか」
「そこまでのもんは入ってなかったぜ?所詮、余興だからな。前は部下や友だち集めてやってたんだが、最近は一人で開けて終わってる」
首をかしげて、2は過去の記憶を掘り起こした。彼は多忙なので、その時期にならなければ缶詰のことは思い出さない。大人数でやれば盛り上がるであろう闇缶詰も、一人でやるのはあまりに地味な光景だ。
「律儀なやつだな。捨てればいいじゃねえか、こんなもん」
1が、至極真っ当な指摘をする。自分ならば、こんなふざけたものをもらったら、贈り主のところに殴り込みをかける。だが、2は顔をしかめて首を振った。
「誰かが拾ったら面倒だろ。それに……賞味期限が切れると爆発して、中身がばらまかれるんだよ」
「うわ、それ、怖い」
2の言葉に、3が身震いした。順番に缶を開けているから何とかなっているものの、全部の効果が一気に降りかかったら、しゃれにならない事態になるだろう。
3が警戒し始めたとき、1が缶詰をひとつずつ、全員に配った。ガラスのテーブルに、缶詰が置かれる。
「まあいいや、さっさとすまそうぜ。今度は同時に開けるぞ」
「それはそれで危険じゃない?」
目の前に置かれた缶詰を、3が指し示す。缶詰は、封印から解き放たれる瞬間を舌なめずりしながら待ち受けているように見えた。
「いちいち晒し者になるのはうぜえんだよ」
「あー、その方がおもしれえな。そうするか」
ためらう3に、渋面で1は愚痴をこぼす。他人事のように、2が彼の提案に乗った。
「もう……どうなっても知らないよ?」
そうはいうものの、3も強くは止めない。面白いことは好きだし、逃げたと思われるのも癪だ。三人は、缶を手に持った。プルタブが開く音が、同時に響く。
そして。
「ちょっとぉ、何も起こらないじゃないのぉ」
「待つにゃ。何だにゃ、その言葉づかい」
「てめえもだよ。頭わいてんのか?」
言葉を発し、三人は硬直する。缶詰には、それぞれ『オカマ口調になる缶詰』『猫っぽい口調になる缶詰』『ヤンキー口調になる缶詰』という文字が浮き出てきた。
「もう、何なのよ!?アタシばっか変なのに当たって!信じられない!」
1が、野太い声でヒステリックに叫ぶ。こころなしか楽しそうなのは、気のせいだろうか。
「俺だってそうにゃ。何で二連続でネコなんだにゃ」
ネコ耳をぴくぴく動かして、2は嫌そうな顔をした。そのわりには、彼もノリがいい。
「てめえらはネタ的においしいからいいじゃねえか。オレなんてこれだぞ?反応に困らね?」
つまらなそうに、3が頬杖をついた。口調のついでに、若干態度も悪くなっている。
1と2は、3の方を同時に見た。3の今の口調は、普段の彼らのそれに近い。
それなのに、この不快感は一体何なのだろうか。
例えるなら、優等生が不良の言葉遣いを、彼らを貶めるためにわざと真似ているかのような……。
「確かに……何かヤな感じね」
「イラっとするのにゃ」
「だろ?オレ、元に戻るわ」
そう言うなり、3は自らの手を胸元に当てた。浄化の光が彼を包み込み、状態異常が治癒される。
「さて、次行こうか」
「ちょっとアンタ!?」
「待つにゃ、どうせなら俺も戻してほしいのにゃ」
清々しい顔で促す3に、1と2がツッコミを入れる。
「君たちは面白いからそのままでいいよ」
「よくないわよ!」
「自分だけずるいにゃ!」
にっこり微笑んで断言する、3。1と2の非難の声が、またしても重なった。澄ました顔で、3は1に指摘する。
「シーザーはさっきみたいに時間を戻せばいいじゃない」
「ああ……それもそうね」
3の言葉に、自力で何とかできることを思い出した1は、先ほどと同様に時間を操作した。ぶつぶつといくつかの言葉を呟き、満足げに頷く。
「よし、戻った」
「……俺は?」
1と3を交互に見て、2が自分を指さす。彼には、浄化も時間操作もできないのだ。3は、2の頭のネコ耳をまぶしそうに見つめ、目を細める。
「カインはそのままでいなよ」
それは、全てを赦す聖人のような神々しさとともに放たれた一言だった。にやにやしながら、1が同意する。
「せっかく順調にネコ化してるしな。そのまま尻尾も生やせばいいんじゃね?」
「ああ、それはいいね」
「ふざけるにゃ!!」
2が激昂し、3に詰め寄る。3の方が、まだ頼みごとを聞いてくれそうだからだ。
「フォース~、お願いだから戻してにゃ~」
2のおねだりは、甘えるような響きを伴っていた。もちろん、彼は好きでこんなしゃべり方をしているわけではない。本当は、『いいからさっさと戻せこの野郎』と言いたいが、缶詰のせいで妙な制限がかかっているのだ。
「ああ……やめてよ、ますます惜しくなっちゃうじゃないか」
揺さぶられ、3が幸せそうに呟く。傍から見ると、彼は明らかに萌えていた。だめだこいつ、と3を切り捨て、2は1に乗り換えた。
「シーザー、戻せにゃん」
1に対しては比較的偉そうに言い放つ、2。ずいぶんと態度が違うじゃねえか、と1は胸中で毒づいた。
「わかったわかった」
「ええ?もったいないなあ」
2の頭に手を置き、苦笑する。即座に3が異議を唱えるが、1は2に気づかれないようにこっそりと、ネコ耳を見ろと3に促した。先ほどまでぴんと立っていたネコ耳が、今はしゅんと垂れてしまっている。おそらくは、二人に意地悪されたせいだろう。
「正直、普段とキャラが違いすぎていたたまれなくなってきたしな」
ネコ耳が寝た状態のままで、2が、こくこくと頷く。数秒後、彼はようやく猫化から解放された。
「ったく、酷い目に遭ったぜ。てめえら、覚えてろよ」
照れ隠しのためか、いつにもまして凶悪な視線を向けてくる。今更そんな態度をとられても、二人にとっては迫力がない。微笑ましさが増すだけだ。
「これを持ち込んだのはてめえだろうが、文句言うな」
「放っておいたら、ずっとあのままだったの?」
半眼で1が正論を言い、笑いを抑え込んだ3が、2に素朴な疑問を投げかけた。
「そんなわけねえだろ、ああいう外見が変化するやつは、半日くらいで戻るのがほとんどだ」
「ああもう……だったら治さなくてもよかったのに」
「まだ言うか、この野郎」
よほど、猫化が気に入ったらしい。心底残念そうに言う3を、2は睨みつけた。
缶の残りは、あと4つ。
「これでラスト一周だな」
1が、感慨深げにテーブルを見つめる。迷惑すぎる缶詰だったが、これで終わりとなると何となく名残惜しい。この場にいる全員が、同じ気持ちだった。
「せっかくだし、また順番に開けようぜ。フォース、お前からだ」
「さて、次は何が出てくるのかな?」
わくわくしながら、3が缶詰を開ける。ピンク色の光が、彼を照らした。
「これは、内面が変化する系だ。自分の意志とは関係なく、行動するタイプだな」
光が3に吸い込まれていくのを見守りつつ、2が分析する。一見すると冷静だが、内心は穏やかではない。
「つーことは、また殴りかかってくるのか!?」
「いや、同じネタは二度も使わないだろ」
顔をしかめて1が防御の構えをとるが、2は否定する。今までの経験から、ひとつの箱に同じ効果の缶詰が入っていたことはない。あの享楽主義者が、そんなつまらないことをするはずがないのだ。
「……カイン」
「ああ?」
いたずらっぽい笑みを浮かべ、3が2に近づく。今の彼は、おそらくは自分の意志で動いていない。警戒しつつ応じると、3は2の柔らかい髪をかき上げて、額に口づけた。ちゅ、と軽い音が、部屋に響く。
「……へ?」
「……ごめん、キスしたくなったんだ」
唇を離し、顔を赤らめながら、3が先ほど開封した缶詰を差し出してくる。『キスをしたくなる缶詰』と書かれていた。
微妙な空気が、三人の間に流れる。
「んー……まあ、大したことなかったからいいか。次、シーザーな」
「俺様!?」
首を回しながら、2が仕切り直す。キスされた当人にしては、淡白な反応である。名前を呼ばれ、1がぎょっとしたように聞き返した。挑発するように、2がせせら笑う。
「何だよ、びびってんのか?」
「んなわけねえだろ。しっかし、あんなの見た後だと、正直、微妙だな……」
「うう……忘れてくれるとうれしいよ……」
苦み走った顔で、1は缶詰に手を伸ばす。知り合いのラブシーンは、赤の他人のそれよりも出くわした時の衝撃が大きい。半泣き状態で、3が弱々しくこぼした。
そして1は、距離をとりつつ缶を開ける。今度は、紫色の光だった。
「また内面変化かよ?多いな」
「……カイン」
「また俺かよ!?」
据わった目つきで、1が2の顎を上向かせる。1のごつごつした指が、頬を撫でた。何をする気だ、と身構える2に、1がふっと笑いかけた。今まで見たことがない優しい笑顔に、2の鼓動が跳ね上がる。動揺する彼の耳元で、1が囁く。
「可愛いな。……好きだぜ」
甘い重低音が、吐息とともに2の鼓膜を直撃した。
「ちょ、ま……はあ!?」
顔から火が出そうな勢いで、2があわてふためく。これは、1の意志とは無関係の行動だとわかっているのに、正常な判断ができない。理由は簡単だ。いつもとのギャップが、あまりにも大きすぎる。
「……うわ……」
口元に手を当て、3もまた、赤面していた。何だか、すごいものを見たような気がする。1が、これほど色気のある所作で愛を囁くとは想像もしていなかった。
「…………」
二人が盛大に取り乱す中、1は我に返り、背を向けた。頭を抱え、しゃがみこむ。
「……何だこれ……何やってんだ俺様……」
1の缶詰には、『口説きたくなる缶詰』と記載されていた。ようやく平常心を取り戻した2が、1の肩を叩く。
「ま、まあ、落ち込むなよ。缶詰のせいなんだからな」
「何だか、私までどきどきしちゃった……」
胸元を押さえつつ、3が言葉とともに息を吐き出す。口説いたり、口説かれたりすることがよくある彼だが、1を見ていると直球なのもいいかも、と思ってしまう。微妙な空気が、更に濃くなった。
「さてと、次は俺か」
「ちょっと、カイン……」
様々なものを振り切るように、缶詰を開けようとする2。3が彼を止めようとしたとき、2はその缶詰が今までと違うことに気づいた。
「…………ん?」
「どうした?」
ショックから立ち直った1が、背後からのぞきこんでくる。興味を惹かれ、3もそれに倣った。
「この缶詰、すでに中身が書いてある」
後ろの二人にも見えるように、2が缶詰を掲げた。彼の言葉通り、側面にすでに文字が浮かんでいる。
「本当だ、ええと……」
3の言葉を合図に、彼らは同時に缶詰の表記を読み上げた。
「「「……えっちな気分になる缶詰……」」」
先ほどから部屋に充満していた微妙な空気が、最高潮に達する。黙って缶詰とにらめっこしていた2だが、意を決したように頷いた。
「よし、俺も男だ、やってやる!」
「いや待て!それはやめとけマジで!」
チャレンジャーにも程がある2を、1があわてて制止する。その声は、上ずっていた。
「そうだよ。君がえっちな気分になっても、その……私たちには、何もできないし」
おずおずと、3も1に賛同した。落ち着かない様子で、視線をあちこちに彷徨わせている。
彼らの脳内では、『えっちな気分になった2』の想像図がぐるぐると渦巻いていた。
鋭く、冷めた眼差しが、一転して熱を帯び、情欲に潤む。
白い肌が上気し、桜色に染まっていた。
細い身体が、体内の疼きに抗えずに身じろぎをする。
頬を染め、悩ましげに吐息をつきながら、快感を求めて彼は哀願するのだ。
『お願いだから、めちゃくちゃにして』―――――と。
「けど、俺だけやらねえってわけには……」
1と3のいかがわしい想像を知りもせず、2が逡巡する。1も3も、缶詰のせいで無体を強いられている。発起人である以上、自分だけ逃げるわけにはいかないという意地があった。淫猥な妄想を振り払い、3が残った缶詰を手に取り、2に薦める。
「もうひとつの方は?こっちにしなよ、ね?」
必死で、3は2を説得した。弟に好かれているとはいえ、自分はノーマルな女好きのはずだ。先ほどキスを強要されたから、おかしくなっているだけだと、自分に言い聞かせ続ける。
だが、2は3が差し出した缶詰を受け取ることすらしなかった。
「ああ、それは中身がわかってる。ただの食い物だ。一個だけ、毎年同じなんだ」
「じゃあ、もういいだろ。きょうはこれで解散だ!カイン、それ、どっかに捨てとけ。てめえは開封するんじゃねえぞ!?いいな!」
3と同じく邪な脳内世界から脱却した1が、一方的に終幕を宣言する。彼の形相もまた、ただごとではない状態だ。『ありえねえ』の一言が、頭の中で繰り返し再生されている。
「海……いや、砂漠にでも埋めて期限切れを待つのがいいんじゃないかな?うまくいけば植物の繁栄の助けになって、緑化するかもよ?」
早口で、3が提案する。いつもの彼からは想像できないほどの勢いでまくしたてられ、2は手の中の缶詰を開けることをあきらめた。申し訳なさそうに、二人の顔を見つめる。
「……ああ、うん、何か悪いな……」
「いや、そんなことないから!」
3が、残像ができそうな速度で首を振る。
「もういいだろ?俺様、これで帰るからな!」
「私も、急用が……またね、カイン。楽しかったよ」
そして、2の返事を待たず、1と3は帰って行った。
「何をそんなに慌ててるんだ?あいつら……」
呆気にとられつつ2は首をかしげたが、答えてくれる者はいなかった。
一人になった2は、3の提案を採用し、近くの砂漠まで飛んだ。オアシスがあるところに、缶を埋める。オアシスで憩う旅人が被害を被る可能性もあるが、どうせ効果は長くても半日だ。
そして、彼の手元には最後の一つが残された。中身はわかっている。パンとワイン。贈り主の象徴だ。
何となく落ち着かなくて、ナンナルの街をふらふらしていた2は、路地裏でガラの悪い三人の男がしゃがみこんでいるのを見つけた。
「うう……腹減った……」
「もう、何日も食べてねえもんな……」
「ちきしょう、人を襲う体力もねえ……」
情けない顔で、男たちは弱音を吐いている。彼らの空腹状態は、かなり深刻のようだ。犯罪を辞さない台詞から察するに、よそから来たごろつき、と言ったところか。
思案した後、2はごろつきたちに声をかけることにした。世間からはみ出たアウトローは、彼の取り分である。
「おい、お前ら」
突然の部外者の登場に、弾かれたようにごろつきたちは振り返る。警戒する彼らの前で、2は缶詰を開けた。小さな缶に入っていたとは思えない量のパンとワインが、ごろつきたちの前にずらりと並べられる。無造作にそれらを指さし、2は告げる。
「腹減ってんなら、食っていいぞ」
突然の救世主の登場にごろつきたちは顔を輝かせ、そして。
2は、思いがけずに新たな舎弟を得ることになったのだった。
それは、よく考えなくても当たり前のことだ。何しろ、彼らは多忙の身である。職場と自宅は、なるべく近い方がいい。
ルシファーその1の場合、高層ビル『赤龍』が職場兼自宅となっているし、ルシファーその3は、天界に自宅があるものの全く帰らずに、職場に寝泊まりしている状態だ。異世界の屋敷や宿に泊まることもあるが、ごくまれな話である。
さて、ルシファーその2はというと、彼は職場である『万魔殿』に住んでいるわけではない。神殿の裏側に位置する、悪魔たちの社宅の一室を、彼はねぐらとしていた。他と似たり寄ったりの広さの、質素なワンルームマンション。普段は帰らないそこに、その日、珍しく彼はいた。
「こんちはー、お届け物でーっす」
配達人のやる気のない声が、玄関先でこだまする。背中をかきつつ、ルシファーその2……略して2は、めんどくさそうに小包を受け取った。
「今年も、来やがったか……」
差出人を確認し、顔を引きつらせる。今年も一人でやるのか、と空しい気分になった2だが、ふと何かを思いつき、にやりと笑った。
「ちょうどいい。せっかくだから、やつらにも手伝わせよう」
そう決めるなり、2は術の構成を始める。異世界へと渡る、高度な術だ。
やがてそれは完成し、2の姿は掻き消えた。
異世界の街・ナンナルの、郊外にある屋敷。広間には、いつものメンバーが集まっていた。ルシファーその1、その2、その3。この異世界ではそれぞれ、シーザー、カイン、フォースと名乗っている。
テーブルの上にある小包に、六つの視線が注がれていた。
「それで……これは、何なの?」
ルシファーその3……略して3が、おずおずと問いかける。それを受けて、小包を持ち込んだ当人である2は、簡単に事情を説明した。
「知り合いが贈ってきたんだよ。毎年、この時期になると来るんだ」
「何が入ってるんだよ。食いものか?」
興味津々で、ルシファーその1……略して1が箱を持ち上げる。予想していたより、それはずっしりとしていた。重々しく、2は告げる。
「缶詰だ」
「缶詰?それなら、私のところにもあるよ」
よく知っている単語を耳にし、3が安堵する。目の前の小包は、彼にとっては未知の世界の品物である。どんなものが飛び出すのかと、緊張していたのだ。
「俺様のところもだ。しょっちゅうドンパチやってるから、貴重な食料源だな」
3と似たようなことを考えて警戒していた1が、すかさず同意する。
缶詰は長期保存がきくので、普段はともかく、非常時には並外れた活躍を見せる。力こそが正義の、争いが絶えない1の世界では、その能力を存分に発揮していることだろう。
「これを持ってきてくれたってことは、私たちもおすそ分けがもらえるってことだよね?
ありがとう、カイン」
「お前にしては気が利くじゃねえか、さっそく食おうぜ」
うれしそうに3が礼を述べ、1が小包の包装を破ろうとする。異世界の食べ物に対する期待に胸を膨らませる彼らに、2が水を差した。
「……食えるもんならな」
「え?」
不吉な言葉に、3がまばたきをする。1もまた、動きを止めていた。片方だけ口角を吊り上げて、2が不敵に笑う。
「悪魔の王であるこの俺がもらった缶詰だぞ?普通の食い物が入ってるわけねえだろが」
「じゃあ、何が入ってるんだよ」
訝しげに、1が小包と2を交互に見比べた。彼にとっては、缶詰は食べ物である。それ以外の何かなど、思いつきもしない。
2の答えは、至ってシンプルだった。
「わからねえ」
「はあ!?」
「それを、これから確かめるんだよ」
2が、1から小包を奪い、開封した。箱の中には、銀色の缶詰が十個、規則正しく二列に並べられている。缶切りが必要ないように、上部にプルタブがついていた。だが、缶には中身が何であるかを示すラベルが貼られていない。
「何だよ、これじゃ中身がわからねえだろが」
不審そうに、1が缶の一つを手に取る。試しに振ってみるものの、何の音もしなかった。何かが、ぎっしりと詰まっている。
「開けてみればわかるぜ」
「え……?でも、それ、ちょっと怖くない?」
2の意地の悪い笑みを目の当たりにして、3が尻込みする。そんな彼を、1が鼻先で笑い飛ばした。
「何びびってんだよ、たかが缶詰だろ?」
明確な死亡フラグを立てて、1は缶詰の封を切る。それと同時に、金色の煙が彼を包み込んだ。
「ぶわあっ!?」
「シーザー、大丈夫!?」
「げほ……何だ、これ」
大きく咳き込む、1。煙がやんだ後、彼の姿を見て3は目を丸くした。
1の全身が、金色に変化している。彼のたくましい肉体も、いかつい顔も、銀色の髪も、全てが黄金にコーティングされて、てかてかと光っていた。
「ぶははははは!!何だそれ、おもしれえ!!」
「笑うんじゃねえ!!何が起こってんだコラ!?」
爆笑する2を、わけがわからず1は怒鳴りつける。無言で、3が壁に掛けてあった鏡を差し出した。何じゃこりゃあ、とどこかで聞いたような悲鳴がこだまする。
「カイン!!てめえ、知っててハメやがったな!?」
1の金色の指が、2の胸ぐらを掴む。彼の怒りを歯牙にもかけずに、2は平然と言い返した。
「知らねえよ。俺にも中身はわからねえって言っただろ?」
「じゃあ、一体何だってんだ」
仏頂面のまま、1はとりあえずこの金色を脱色することにした。己の時間を巻き戻し、缶詰を開ける前の姿になる。
「これは、そういうモンなんだよ。中身がわからない缶詰を、順番に開けていく。
闇缶詰ってやつだ」
「闇缶詰……?」
得意げな顔で、2が解説する。初めて聞く単語を、3が不思議そうに聞き返した。
「暗闇の中でどんな具が入ってるかわからねえ鍋を食うのを闇鍋って言うんだが、それの同類だな」
「なるほど……おもしろい余興だね」
明確なビジョンが見えてきて、3が目を輝かせる。一方、笑いものにされて気分を害した1は、それほど乗り気ではないようだ。
「くっだらねえの。おい、次はお前が開けろ」
「わかってるよ。もともと、俺が最初にやるつもりだったんだ」
2が、プルタブに手をかけ、一思いに引く。缶のふたが開いて、中身が飛び出す。それは、ふわふわした一対のネコ耳だった。ネコ耳は、2が避けようとするより先に彼の頭部にくっついた。
「あは、可愛いよ、カイン」
楽しそうに、3が笑う。何が起こるかと心配していたので、彼は不覚にも和んだ。
「何だよ、つまらねえな。もっと愉快な変化しろよ」
「あほらし。相変わらず、バカなこと考えてんのな」
鏡を見つつ、至ってクールに2は贈り主をこき下ろす。毎年のことなので、慣れているのかもしれない。
「私も、ひとつもらっていいかな?」
好奇心旺盛な3が、缶詰を手に取った。形のいい指先が、プルタブにかかる。
開けた途端に、缶から黒い光が放たれた。
「うわ……!?」
3が、驚きの声を上げる。光が止んでも、彼の見た目に変化はなかった。
「何だよ、外れか?」
不審そうに、1が3に近づく。その瞬間、3が構えをとった。不意に放たれた正拳突きが、1を襲う。
「うお!?」
とっさに、1は3の拳を受け止める。普段の穏やかな振る舞いからは想像がつかないほど、その一撃は重かった。
「何すんだてめえ!?」
激怒して、1が3に詰め寄る。我に返ったように、3は目を瞬かせた。
「あ……ごめん、シーザー、大丈夫!?」
「てめえが殴りかかって来たんだろが、ああ?」
あわてて謝る3に、1は喧嘩腰で迫った。彼としては、3と殴り合いをするのも悪くはないと思い始めている。久しぶりに、楽しい戦いができそうだ。
「落ち着けよ。フォースの意志じゃねえ、缶詰のせいだ」
冷静に、2が床に落ちていた3の缶詰を拾い、1につきつける。そこには、先ほどなかった文字が刻まれていた。
「人を無性に殴りたくなる缶詰……?」
「開封した後で、缶詰の中身が表示されるんだ」
「そっか……誰でもいいから殴りたくなったの、そのせいなんだね」
事情を理解し、3が気落ちしたように俯く。自分の意志でないにせよ、1に殴りかかったのは事実だ。
「本当にごめんね、シーザー。私のことも殴っていいから」
「…………」
殊勝な様子で、3は1に頭を下げた。そこまでされては、かえって殴りにくい。舌打ちして、1は3の額にでこぴんを四連発で見舞った。
「あ、痛」
「さて、次行くぞ」
ソファーに腰掛け、缶詰に手を伸ばす。額をさすりつつ、3が制止の声を上げた。
「ちょっと待ってよ。ねえカイン、この缶詰、危険なものも混じってるの?」
「俺にも中身はわからねえって言ってるだろ」
3の問いに、2はこれまでと同じ答えを返す。その顔は、少し困っているようにも見えた。しばし考えて、3は別の方向から質問をすることにした。
「じゃあ、今まではどうだった?例えば……流血沙汰になったことがあるとか」
「そこまでのもんは入ってなかったぜ?所詮、余興だからな。前は部下や友だち集めてやってたんだが、最近は一人で開けて終わってる」
首をかしげて、2は過去の記憶を掘り起こした。彼は多忙なので、その時期にならなければ缶詰のことは思い出さない。大人数でやれば盛り上がるであろう闇缶詰も、一人でやるのはあまりに地味な光景だ。
「律儀なやつだな。捨てればいいじゃねえか、こんなもん」
1が、至極真っ当な指摘をする。自分ならば、こんなふざけたものをもらったら、贈り主のところに殴り込みをかける。だが、2は顔をしかめて首を振った。
「誰かが拾ったら面倒だろ。それに……賞味期限が切れると爆発して、中身がばらまかれるんだよ」
「うわ、それ、怖い」
2の言葉に、3が身震いした。順番に缶を開けているから何とかなっているものの、全部の効果が一気に降りかかったら、しゃれにならない事態になるだろう。
3が警戒し始めたとき、1が缶詰をひとつずつ、全員に配った。ガラスのテーブルに、缶詰が置かれる。
「まあいいや、さっさとすまそうぜ。今度は同時に開けるぞ」
「それはそれで危険じゃない?」
目の前に置かれた缶詰を、3が指し示す。缶詰は、封印から解き放たれる瞬間を舌なめずりしながら待ち受けているように見えた。
「いちいち晒し者になるのはうぜえんだよ」
「あー、その方がおもしれえな。そうするか」
ためらう3に、渋面で1は愚痴をこぼす。他人事のように、2が彼の提案に乗った。
「もう……どうなっても知らないよ?」
そうはいうものの、3も強くは止めない。面白いことは好きだし、逃げたと思われるのも癪だ。三人は、缶を手に持った。プルタブが開く音が、同時に響く。
そして。
「ちょっとぉ、何も起こらないじゃないのぉ」
「待つにゃ。何だにゃ、その言葉づかい」
「てめえもだよ。頭わいてんのか?」
言葉を発し、三人は硬直する。缶詰には、それぞれ『オカマ口調になる缶詰』『猫っぽい口調になる缶詰』『ヤンキー口調になる缶詰』という文字が浮き出てきた。
「もう、何なのよ!?アタシばっか変なのに当たって!信じられない!」
1が、野太い声でヒステリックに叫ぶ。こころなしか楽しそうなのは、気のせいだろうか。
「俺だってそうにゃ。何で二連続でネコなんだにゃ」
ネコ耳をぴくぴく動かして、2は嫌そうな顔をした。そのわりには、彼もノリがいい。
「てめえらはネタ的においしいからいいじゃねえか。オレなんてこれだぞ?反応に困らね?」
つまらなそうに、3が頬杖をついた。口調のついでに、若干態度も悪くなっている。
1と2は、3の方を同時に見た。3の今の口調は、普段の彼らのそれに近い。
それなのに、この不快感は一体何なのだろうか。
例えるなら、優等生が不良の言葉遣いを、彼らを貶めるためにわざと真似ているかのような……。
「確かに……何かヤな感じね」
「イラっとするのにゃ」
「だろ?オレ、元に戻るわ」
そう言うなり、3は自らの手を胸元に当てた。浄化の光が彼を包み込み、状態異常が治癒される。
「さて、次行こうか」
「ちょっとアンタ!?」
「待つにゃ、どうせなら俺も戻してほしいのにゃ」
清々しい顔で促す3に、1と2がツッコミを入れる。
「君たちは面白いからそのままでいいよ」
「よくないわよ!」
「自分だけずるいにゃ!」
にっこり微笑んで断言する、3。1と2の非難の声が、またしても重なった。澄ました顔で、3は1に指摘する。
「シーザーはさっきみたいに時間を戻せばいいじゃない」
「ああ……それもそうね」
3の言葉に、自力で何とかできることを思い出した1は、先ほどと同様に時間を操作した。ぶつぶつといくつかの言葉を呟き、満足げに頷く。
「よし、戻った」
「……俺は?」
1と3を交互に見て、2が自分を指さす。彼には、浄化も時間操作もできないのだ。3は、2の頭のネコ耳をまぶしそうに見つめ、目を細める。
「カインはそのままでいなよ」
それは、全てを赦す聖人のような神々しさとともに放たれた一言だった。にやにやしながら、1が同意する。
「せっかく順調にネコ化してるしな。そのまま尻尾も生やせばいいんじゃね?」
「ああ、それはいいね」
「ふざけるにゃ!!」
2が激昂し、3に詰め寄る。3の方が、まだ頼みごとを聞いてくれそうだからだ。
「フォース~、お願いだから戻してにゃ~」
2のおねだりは、甘えるような響きを伴っていた。もちろん、彼は好きでこんなしゃべり方をしているわけではない。本当は、『いいからさっさと戻せこの野郎』と言いたいが、缶詰のせいで妙な制限がかかっているのだ。
「ああ……やめてよ、ますます惜しくなっちゃうじゃないか」
揺さぶられ、3が幸せそうに呟く。傍から見ると、彼は明らかに萌えていた。だめだこいつ、と3を切り捨て、2は1に乗り換えた。
「シーザー、戻せにゃん」
1に対しては比較的偉そうに言い放つ、2。ずいぶんと態度が違うじゃねえか、と1は胸中で毒づいた。
「わかったわかった」
「ええ?もったいないなあ」
2の頭に手を置き、苦笑する。即座に3が異議を唱えるが、1は2に気づかれないようにこっそりと、ネコ耳を見ろと3に促した。先ほどまでぴんと立っていたネコ耳が、今はしゅんと垂れてしまっている。おそらくは、二人に意地悪されたせいだろう。
「正直、普段とキャラが違いすぎていたたまれなくなってきたしな」
ネコ耳が寝た状態のままで、2が、こくこくと頷く。数秒後、彼はようやく猫化から解放された。
「ったく、酷い目に遭ったぜ。てめえら、覚えてろよ」
照れ隠しのためか、いつにもまして凶悪な視線を向けてくる。今更そんな態度をとられても、二人にとっては迫力がない。微笑ましさが増すだけだ。
「これを持ち込んだのはてめえだろうが、文句言うな」
「放っておいたら、ずっとあのままだったの?」
半眼で1が正論を言い、笑いを抑え込んだ3が、2に素朴な疑問を投げかけた。
「そんなわけねえだろ、ああいう外見が変化するやつは、半日くらいで戻るのがほとんどだ」
「ああもう……だったら治さなくてもよかったのに」
「まだ言うか、この野郎」
よほど、猫化が気に入ったらしい。心底残念そうに言う3を、2は睨みつけた。
缶の残りは、あと4つ。
「これでラスト一周だな」
1が、感慨深げにテーブルを見つめる。迷惑すぎる缶詰だったが、これで終わりとなると何となく名残惜しい。この場にいる全員が、同じ気持ちだった。
「せっかくだし、また順番に開けようぜ。フォース、お前からだ」
「さて、次は何が出てくるのかな?」
わくわくしながら、3が缶詰を開ける。ピンク色の光が、彼を照らした。
「これは、内面が変化する系だ。自分の意志とは関係なく、行動するタイプだな」
光が3に吸い込まれていくのを見守りつつ、2が分析する。一見すると冷静だが、内心は穏やかではない。
「つーことは、また殴りかかってくるのか!?」
「いや、同じネタは二度も使わないだろ」
顔をしかめて1が防御の構えをとるが、2は否定する。今までの経験から、ひとつの箱に同じ効果の缶詰が入っていたことはない。あの享楽主義者が、そんなつまらないことをするはずがないのだ。
「……カイン」
「ああ?」
いたずらっぽい笑みを浮かべ、3が2に近づく。今の彼は、おそらくは自分の意志で動いていない。警戒しつつ応じると、3は2の柔らかい髪をかき上げて、額に口づけた。ちゅ、と軽い音が、部屋に響く。
「……へ?」
「……ごめん、キスしたくなったんだ」
唇を離し、顔を赤らめながら、3が先ほど開封した缶詰を差し出してくる。『キスをしたくなる缶詰』と書かれていた。
微妙な空気が、三人の間に流れる。
「んー……まあ、大したことなかったからいいか。次、シーザーな」
「俺様!?」
首を回しながら、2が仕切り直す。キスされた当人にしては、淡白な反応である。名前を呼ばれ、1がぎょっとしたように聞き返した。挑発するように、2がせせら笑う。
「何だよ、びびってんのか?」
「んなわけねえだろ。しっかし、あんなの見た後だと、正直、微妙だな……」
「うう……忘れてくれるとうれしいよ……」
苦み走った顔で、1は缶詰に手を伸ばす。知り合いのラブシーンは、赤の他人のそれよりも出くわした時の衝撃が大きい。半泣き状態で、3が弱々しくこぼした。
そして1は、距離をとりつつ缶を開ける。今度は、紫色の光だった。
「また内面変化かよ?多いな」
「……カイン」
「また俺かよ!?」
据わった目つきで、1が2の顎を上向かせる。1のごつごつした指が、頬を撫でた。何をする気だ、と身構える2に、1がふっと笑いかけた。今まで見たことがない優しい笑顔に、2の鼓動が跳ね上がる。動揺する彼の耳元で、1が囁く。
「可愛いな。……好きだぜ」
甘い重低音が、吐息とともに2の鼓膜を直撃した。
「ちょ、ま……はあ!?」
顔から火が出そうな勢いで、2があわてふためく。これは、1の意志とは無関係の行動だとわかっているのに、正常な判断ができない。理由は簡単だ。いつもとのギャップが、あまりにも大きすぎる。
「……うわ……」
口元に手を当て、3もまた、赤面していた。何だか、すごいものを見たような気がする。1が、これほど色気のある所作で愛を囁くとは想像もしていなかった。
「…………」
二人が盛大に取り乱す中、1は我に返り、背を向けた。頭を抱え、しゃがみこむ。
「……何だこれ……何やってんだ俺様……」
1の缶詰には、『口説きたくなる缶詰』と記載されていた。ようやく平常心を取り戻した2が、1の肩を叩く。
「ま、まあ、落ち込むなよ。缶詰のせいなんだからな」
「何だか、私までどきどきしちゃった……」
胸元を押さえつつ、3が言葉とともに息を吐き出す。口説いたり、口説かれたりすることがよくある彼だが、1を見ていると直球なのもいいかも、と思ってしまう。微妙な空気が、更に濃くなった。
「さてと、次は俺か」
「ちょっと、カイン……」
様々なものを振り切るように、缶詰を開けようとする2。3が彼を止めようとしたとき、2はその缶詰が今までと違うことに気づいた。
「…………ん?」
「どうした?」
ショックから立ち直った1が、背後からのぞきこんでくる。興味を惹かれ、3もそれに倣った。
「この缶詰、すでに中身が書いてある」
後ろの二人にも見えるように、2が缶詰を掲げた。彼の言葉通り、側面にすでに文字が浮かんでいる。
「本当だ、ええと……」
3の言葉を合図に、彼らは同時に缶詰の表記を読み上げた。
「「「……えっちな気分になる缶詰……」」」
先ほどから部屋に充満していた微妙な空気が、最高潮に達する。黙って缶詰とにらめっこしていた2だが、意を決したように頷いた。
「よし、俺も男だ、やってやる!」
「いや待て!それはやめとけマジで!」
チャレンジャーにも程がある2を、1があわてて制止する。その声は、上ずっていた。
「そうだよ。君がえっちな気分になっても、その……私たちには、何もできないし」
おずおずと、3も1に賛同した。落ち着かない様子で、視線をあちこちに彷徨わせている。
彼らの脳内では、『えっちな気分になった2』の想像図がぐるぐると渦巻いていた。
鋭く、冷めた眼差しが、一転して熱を帯び、情欲に潤む。
白い肌が上気し、桜色に染まっていた。
細い身体が、体内の疼きに抗えずに身じろぎをする。
頬を染め、悩ましげに吐息をつきながら、快感を求めて彼は哀願するのだ。
『お願いだから、めちゃくちゃにして』―――――と。
「けど、俺だけやらねえってわけには……」
1と3のいかがわしい想像を知りもせず、2が逡巡する。1も3も、缶詰のせいで無体を強いられている。発起人である以上、自分だけ逃げるわけにはいかないという意地があった。淫猥な妄想を振り払い、3が残った缶詰を手に取り、2に薦める。
「もうひとつの方は?こっちにしなよ、ね?」
必死で、3は2を説得した。弟に好かれているとはいえ、自分はノーマルな女好きのはずだ。先ほどキスを強要されたから、おかしくなっているだけだと、自分に言い聞かせ続ける。
だが、2は3が差し出した缶詰を受け取ることすらしなかった。
「ああ、それは中身がわかってる。ただの食い物だ。一個だけ、毎年同じなんだ」
「じゃあ、もういいだろ。きょうはこれで解散だ!カイン、それ、どっかに捨てとけ。てめえは開封するんじゃねえぞ!?いいな!」
3と同じく邪な脳内世界から脱却した1が、一方的に終幕を宣言する。彼の形相もまた、ただごとではない状態だ。『ありえねえ』の一言が、頭の中で繰り返し再生されている。
「海……いや、砂漠にでも埋めて期限切れを待つのがいいんじゃないかな?うまくいけば植物の繁栄の助けになって、緑化するかもよ?」
早口で、3が提案する。いつもの彼からは想像できないほどの勢いでまくしたてられ、2は手の中の缶詰を開けることをあきらめた。申し訳なさそうに、二人の顔を見つめる。
「……ああ、うん、何か悪いな……」
「いや、そんなことないから!」
3が、残像ができそうな速度で首を振る。
「もういいだろ?俺様、これで帰るからな!」
「私も、急用が……またね、カイン。楽しかったよ」
そして、2の返事を待たず、1と3は帰って行った。
「何をそんなに慌ててるんだ?あいつら……」
呆気にとられつつ2は首をかしげたが、答えてくれる者はいなかった。
一人になった2は、3の提案を採用し、近くの砂漠まで飛んだ。オアシスがあるところに、缶を埋める。オアシスで憩う旅人が被害を被る可能性もあるが、どうせ効果は長くても半日だ。
そして、彼の手元には最後の一つが残された。中身はわかっている。パンとワイン。贈り主の象徴だ。
何となく落ち着かなくて、ナンナルの街をふらふらしていた2は、路地裏でガラの悪い三人の男がしゃがみこんでいるのを見つけた。
「うう……腹減った……」
「もう、何日も食べてねえもんな……」
「ちきしょう、人を襲う体力もねえ……」
情けない顔で、男たちは弱音を吐いている。彼らの空腹状態は、かなり深刻のようだ。犯罪を辞さない台詞から察するに、よそから来たごろつき、と言ったところか。
思案した後、2はごろつきたちに声をかけることにした。世間からはみ出たアウトローは、彼の取り分である。
「おい、お前ら」
突然の部外者の登場に、弾かれたようにごろつきたちは振り返る。警戒する彼らの前で、2は缶詰を開けた。小さな缶に入っていたとは思えない量のパンとワインが、ごろつきたちの前にずらりと並べられる。無造作にそれらを指さし、2は告げる。
「腹減ってんなら、食っていいぞ」
突然の救世主の登場にごろつきたちは顔を輝かせ、そして。
2は、思いがけずに新たな舎弟を得ることになったのだった。
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