L-Triangle!3-7(完結)
- 2014/04/24
- 00:03
そして、決戦の日が来た。大闘技場は、景気がいいにぎわいを見せている。ここは、もともと悪魔たちの娯楽の場として日頃から様々な余興を提供しており、ルシファー決定戦の会場でもあった。建物は円形で、戦いの場となる広場を客席が取り囲む形になっている。中央広場には、まだ闘技者ふたりは入場しておらず、司会の女性がマイクを片手にアナウンスを始めている。
「皆様、本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます!これから始まりますのは、歴史上かつてない、まさに前代未聞の決闘です!」
応えるように、観客たちが大きくざわめく。野次を飛ばす者もいる。
喧騒は、控室にも届いていた。ベンチに腰かけ、柔軟体操をしていた1が、にやりと笑う。
「反響は上々みてえだな」
「当然でしょう。地獄中の悪魔たちが、貴方の動向を見守っています」
傍らで、リリスが冷静に告げる。場合によっては、今日で自らも地位を失うかもしれないというのに、彼女は至って平静だ。
いつもと変わらぬ二人とは対照的に、1ミカは無言である。緊張のためか、心なしか顔色が悪い。1が彼女に声をかけようとしたとき、控室のドアが開いた。
「失礼します」
入ってきたのは、カマエルだった。先日とは違い、シックなデザインのドレスを着ている。
「!!」
彼女に続いて入室した人物を見て、1ミカがびくりと震えた。砂色の髪をなでつけた、紳士的な雰囲気を漂わせた男が、堂々たる態度で姿を現す。白い外套が、ふわりと揺れた。
「本日はお招きいただき、ありがとうございます」
慇懃に、カマエルが一礼する。皆の注目を集めているのが彼女ではなく、背後の男性であることに気づき、カマエルは上品な手振りで彼を指し示した。
「こちらが、天界の天使長、メタトロンです」
カマエルの紹介に応えるように、メタトロンが微笑する。立ち上がり、1はメタトロンに近づいた。こうして見ると、相手も自分と負けず劣らず体格がいい。これは楽しめそうだ、と1は内心ほくそ笑んだ。
「ルシファーだ。こうして顔を突き合わせんのは初めてだな」
「確かに」
メタトロンが、1に同意する。柔らかな、よく通る声だ。
「先ほどの司会の話ではないが、前代未聞だ。まして、両者が戦うなど」
軽く首を振り、メタトロンはカマエルを促した。頷いて、カマエルは1ミカに近づく。何事かと警戒する1ミカに、彼女は笑いかけた。
「では、参りましょうか、ミカエル」
「どこへ行こうと言うのだ」
「もちろん、お召し替えにですよ。貴女は本日の主役のひとりですもの、美しく着飾らなくては」
唐突に提案されて、1ミカは困惑した。どうしたものかとリリスの方を見ると、彼女もカマエルと同意見らしく、控室の外へ向かって歩き出していた。
「衣裳部屋は、こちらでございます」
リリスとカマエルに挟まれては、1ミカも反発できない。1の方を気にしつつ、彼女は退室していった。
1ミカの姿が完全に見えなくなったのを確認し、メタトロンがふっと息を吐いた。それと同時に、彼を取り巻く空気もぴりぴりしたものに変わる。
「……ハイメラインに、狼藉を働いてはいないだろうな?」
「ハイメライン?」
「彼女の本当の名だ」
メタトロンに説明され、1は納得した。1の世界ではルシファーやリリス、ミカエルといった呼び名は、それぞれの役職に付随する称号であり、彼らの本名は別にある。ちなみに、1の本名は異世界で名乗っているものと同じで、シーザーだ。
「そんなことは、俺様に勝ってから本人に聞けよ。野暮ってもんだろ」
挑発するように、1は返す。本当のところ、何もしていないのだが、相手がその気になればなるほど戦いは面白くなる。
「……下賤な悪魔風情が……」
舌打ちし、メタトロンが吐き捨てた。さっきまでのお利口ぶった態度とはえらい違いじゃねえか、と1は愉快に思う。
「相手の意志を無視して縛りつけるような心が狭い野郎に、あれこれ言われたくねえな。女の方から求めてくるようにするのが男ってもんだろ?」
「……ハイメラインは、まだ目覚めていないのだよ。前世の記憶を取り戻せば、私が彼女にとって最愛の者だということがわかるはずだ」
煽るような1の指摘に対し、苦々しげに、メタトロンが答える。1は、鼻先で笑い飛ばした。
「あれだけ嫌がってるってのに、これ以上どうやって説得するんだよ。死んだ方がマシだとか言ってたぞ」
「それは、幼さゆえの反抗心に過ぎない。情を交わせば、彼女は真実の愛へと開花する!これは、宿命なのだ!」
1から告げられる真実に、メタトロンは激しく抗弁する。その言葉とは裏腹に、色々と心当たりがあるように見受けられる。更なる反撃の手口を思いつき、1はにやりと笑った。
「へえ……そんなにあっちのテクに自信があるってのか。結構なこったな」
「……この……っ!!」
わざと大げさに肩を含め、下品な言い方をする。メタトロンの顔が、怒りで真っ赤に染まった。場外乱闘も悪くねえな、と1は構えたが、相手が殴りかかってくることはさすがになかった。
「……まあ、いい。すぐに、そんな減らす口も聞けなくなる」
呼吸を整え、メタトロンはベンチにどっかりと座る。これくらいにしておくか、と、1も少し離れたところで拳にバンデージを巻く作業に取り掛かった。
「覚悟しておけ。貴様など、私に指一本触れることなく倒されるのだからな」
1の背中に、天使長の恨みがましい視線が突き刺さる。彼の言葉を、1はあえて無視した。
決戦の時は、すぐそこまで迫っている。
一方その頃。衣裳部屋で、1ミカは着せ替え人形と化していた。カマエルとリリスが見立てた上等な白いドレスを身にまとい、純度の高い宝石に繊細な細工を施した装飾品の数々が、彼女の美しさを一層引き立てている。
「よく似合っていますよ、ミカエル」
1ミカの唇に紅を引き、カマエルが満足げに微笑んだ。それに対し、1ミカは不平を述べる。
「……まるっきり優勝トロフィー扱いだな、わたくしは」
「そのようなことを言うものではありませんよ、ふたりの殿方が、貴女を巡って命がけで戦うのですから」
マイペースを貫くカマエルに、1ミカは仏頂面になる。外野は気楽なものだ、と胸中で毒づいた。メイクが完成したところを見計らって、リリスが声をかけてくる。
「そろそろ時間です」
「…………」
無言のままで、1ミカはリリスに連れられて衣裳部屋を出た。通路を抜けて彼女が向かう先は、二階のバルコニー。そこは、他の客席よりも突出しており、戦いの様子が一番よく見える。それと同時に、他の客席からも注目される場所だ。『景品』である彼女が戦いを見守る様も、客たちにとってはいい見世物なのである。
1ミカがバルコニーに足を踏み入れた瞬間、会場からは大きな歓声が沸き起こった。
「たった今、姿を現しましたこの美女!彼女が、大天使ミカエル様です!ご覧ください、凛とした涼やかな美貌を!天界と地獄の王者が彼女の愛を獲得せんとするのも、無理からぬことでしょう!」
司会者の紹介につられるように、観客たちの視線が1ミカに集中する。恥ずかしくなり1ミカはうつむきかけたが、すぐに気を取り直して毅然とした態度で前を見据えた。自分は、何も間違ったことはしていない。己の意志を証明するためには、この程度の重圧に負けてなどいられないのだ。
「殺伐とした決闘の場で燦然と輝く水宝玉を手に入れるのは、一体どちらの勇者なのか!?
これより、両者の入場になります!」
司会者の声を合図に、二人の男が中央広場へ入場する。1の方へ向けて、司会者が片手を広げた。
「吹き荒ぶ赤い旋風!史上最強の悪魔!時空すらも彼には逆らえない!我らが王・ルシファー!!」
歓声が、場内を揺るがす。慣れた様子で、1は拳を突き上げた。いつもの赤いコートは脱いで、たくましい上半身をさらけ出している。闘技場でこの高揚感を味わうのは、久しぶりのことである。そして、司会者は彼の反対側から歩いてくるメタトロンへと向き直った。
「対するは、謎のベールに包まれた天界の覇者!その実力は未知数ながら、天使たちを統率する手腕は本物だ!天使長・メタトロン!!」
先ほどと同じく、歓声が上がる。メタトロンは、優雅に手を振り返した。1とは違い、彼は白い外套を身に着けたままだ。やがて、広場の真ん中で二人は向かい合う。
「楽しませろよ?天使長サマ」
「そのつもりはない。すぐ終わらせる」
短いやりとりの後、両者は距離をとった。
闘技場の最上階に位置する貴賓室で、リリスとカマエルは中央広場を見下ろしていた。距離的には戦いの様子が見づらいが、室内にモニターが設置されているため、観戦するのに不自由はない。
「リリス殿は、ずいぶんと冷静なのですね?」
穏やかに、カマエルがリリスに話しかける。この女性は、常にたおやかな笑みを絶やさない。1ミカとは別の意味で、リリスとは逆のタイプだ。
「主君の勝利を信じておりますので」
カマエルに対し、リリスは無愛想に応じる。リリスは、彼女のことを苦手としていた。一見友好的だが、腹の中で何を考えているかわからない。
「大した忠誠心ですね。素晴らしいわ」
「…………」
カマエルの言葉の裏に、悪意のようなものを感じとり、リリスは眉をひそめる。彼女の表情が険しいものになったことに気づき、カマエルがあわててとりつくろう。
「あら、ごめんなさい、何か失礼なことを言いました?」
「いえ、別に」
そっけなく返して、リリスは中央広場の方へ目を向けた。広場では、闘士ふたりが睨みあっている。髪を整えながら、カマエルが再び、話し始めた。
「リリス殿の気持ちもわかります。ルシファー殿は、時間を操る力をお持ちですものね」
それは、一見すると独り言のようだったが、明らかにリリスに向けて放たれていた。リリスは無言を貫くが、気にせずカマエルはさらに続ける。
「彼と互角に渡り合える戦士は、地獄中どこを探してもいないでしょう。どれほど深手を負わせても、時間を巻き戻して傷自体をなかったことにしてしまう。
でも――――」
ふいに、カマエルがリリスの顔を覗き込んだ。くすくす笑いながら、彼女の耳元でささやく。
「一思いに首を刎ねられたら、それでおしまいでしょう?」
怪訝そうに、リリスはカマエルを睨んだ。先ほどの悪意は、やはり気のせいではなかったようだ。何の根拠があってそんなことを、とリリスが反論する前に、カマエルが口を開く。
「ルシファー様は、メタトロン様に触れることすら叶いません。
なぜなら、あの方は神の祝福を受けており、この世界の誰にも傷つけられることがないのですから」
「!!」
驚愕のあまり、リリスは息を呑んだ。もしそれが事実ならば、1は何もできないまま嬲り殺しにされる。あわてて中央広場を確認すると、メタトロンが放つ真空の刃を1が回避していた。場内を動き回り、攻撃をさばいている。ひとまず、様子見といったところか。
「私の言葉が真実かどうかは、すぐにわかります」
愉快そうに、カマエルが薄く笑う。今までの気品に満ちた振る舞いはどこへやら、獲物をいたぶるような目で、リリスと、広場の1を見下す。ちょうどその時、メタトロンの隙をついて、1が殴りかかるところだった。
「彼の腕は、メタトロン様に届く前にずたずたに切り裂かれるでしょう」
「ルシファー様!!」
リリスが、悲鳴に近い声を上げる。当然だが、貴賓室からでは彼女の声は届かない。
余裕の笑みを浮かべ、メタトロンが1の方を振り返る。あえて回避せずに、1に絶望を与えるつもりのようだ。
1は、そのまま拳を振り上げ―――――そして、下ろした。
短い悲鳴とともに巨体が地に倒れ伏し、土煙が巻き起こる。闘技場全体が、静まり返った。
「…………おい」
信じられないというように、1はメタトロンに呼びかける。その声は、乾ききっていた。
「何で、避けねえんだ?」
そう。ダメージを受けたのは、メタトロンの方だったのだ。鼻を押さえながら、メタトロンがよろよろと起き上がる。
「な、なぜだ……なぜ、貴様の攻撃は私に届く!?」
「知らねえよ、そんなこと」
訝しげに、1は答えた。メタトロンが受けた神の祝福のことなど、当然彼は知らないし、対策を練ることもしていない。
ただ、彼は装着しただけだ。この世界の神の干渉を受けない、異世界のバンデージを。
「……まあいいや、ミカエルと約束したしな」
殴った方の手首を軽く回しつつ、1が言葉を続ける。メタトロンの方は、未だショックから立ち直れずに、狼狽していた。
「あいつの分まで、てめえをぶん殴るって。覚悟決めろ」
拳を握り直し、1は再び構えた。彼の全身に、赤い闘気がみなぎる。
そして、戦いは再開した。
貴賓室では、カマエルがメタトロンと同様、硬直していた。信じられないものを見るような目で中央広場を凝視していた彼女は、リリスが動いたことに気づき、顔を上げる。
「―――――さて」
姿勢を正し、リリスはカマエルに声をかけた。青ざめた彼女の顔をたっぷりと時間をかけて観賞した後、淡々と言い放つ。
「先ほどのお話……もう一度お聞かせ願えますか?」
リリスのえぐるような皮肉に対し、カマエルは反論する言葉を持たなかった。
階下にて、1の渾身の一撃によりメタトロンが昏倒したのは、ちょうどその時だった。
勝敗が決まり、闘技場が大歓声に包まれる。
「勝者、ルシファー!!」
司会の声が、会場に響き渡った。腰に手を当て、1は首を左右に動かす。彼にとっては、期待外れもいいところだ。
「ルシファー殿!!」
勝者を祝福する花びらや紙吹雪が舞う中で、1ミカが彼に駆け寄る。彼女を見て、ずいぶんと飾り立てられたな、と1は思った。そのまま抱きつかれることは予想済みだったが、避けるような無粋な真似はさすがにしない。
「わたくしは……わたくしは、信じていたぞ!」
1にしがみついたままで、1ミカが肩を震わせた。歓声が、一層大きなものになる。そんな彼らに、司会者が近づいてきた。愛想笑いを浮かべつつ、マイクを1の方へ向けてくる。
「おめでとうございます!今のお気持ちをどうぞ!」
「あー……一応、言っておくが、俺様は身を固めるつもりはねえからな」
面倒くさそうに、1は告げる。きょとんとした様子で、司会者が首をかしげた。
「ミカエル様と、ご結婚するのではないのですか?」
それは、会場にいる観客全員の総意である。頷いて、1は言葉を続ける。
「俺様は、まだ自分の強さを追及してえんだよ。今回戦ったのは、こいつの自由を勝ち取るためだ」
「では、今後も婚約者候補を増やす予定である、と」
「飛躍しすぎだろ!?」
1のツッコミは、しかし、大音量の歓声に掻き消された。さすがは悪魔の王だ、複数の女を囲う器だと、野次が飛ぶ。司会者を鋭く睨むと、彼女は素知らぬ様子でそっぽを向いていた。エンターティナーとしては、スキャンダルは派手な方がいいらしい。
苦み走った顔で立ち尽くす1の腕を、ふいに1ミカがつねりあげた。上目づかいで、ねめつけるような視線を送ってくる。
「……つまらぬ女との浮気は許さぬぞ、あなた」
1の眉間のしわが、一層深くなる。視界の端で、メタトロンが担架に乗せられて搬送されていた。
かくして、大盛況のまま決闘は終了した。あまりに一方的であったため戦いとしてのレベルは低いものの、自分たちの王が敵対勢力の大将をボコボコにしたということで、悪魔たちとしては大満足である。
確約どおり、1ミカは地獄に留まることを許された。とりあえずは秘書見習いという肩書で、リリスの補佐を務める予定である。だが、天界側が彼女をあきらめたわけではないのは明白だった。何度でもぶちのめすからかかって来い、と1はメタトロンに書簡を送っている。当然、それに対する返事はなかった。
1とリリスは、1ミカを地獄中の諸侯にお披露目するために、またしても各地を回ることになった。諸侯たちの反応は様々だが、中には1の無事を秘かに残念がる者もいるだろう。連日の宴や雑務で、日々が忙殺されていく。
そしてこの日、1は久しぶりに異世界に足を踏み入れた。転移先は、いつもの屋敷の二階の一室。この部屋だけは、家具がどこにも置かれていない。殺風景な空間が、懐かしかった。
「お、生きてやがったか」
「勝ったんだね、おめでとう」
一階の広間に顔を出した1を、2と3が温かく迎える。渋面になり、1は二人のルシファーを睨みつけた。
「何でてめえらが事情を知っていやがる」
「だって、ミカエルさんが決闘前にこの世界に来たからさ」
「聞いてねえぞ!?」
仰天し、1は声を荒げる。それと同時に、納得もしていた。メタトロンが受けた神の祝福についての話は、リリスから聞いている。己の勝利が、この異世界の干渉によるものだということを、1はようやく知ることとなった。
「バンデージ、ちゃんと使ったか?あいつから受け取ったんだろ?」
「……何か、気に入らねえ。結局は、誰かの手のうちかよ」
2の質問に答えずに、ぶつぶつと不平を述べる。この二人が1ミカに何らかの形で助力したことは、容易に推測できた。本来ならば、彼らに感謝するべきだと頭ではわかっていても、つまらないプライドが邪魔をする。微笑んで、3がカップを差し出した。コーヒーのいい香りが、鼻腔をくすぐる。
「まあ、座りなよ。君の話を聞きたくて、ずっと待っていたんだから」
不承不承、1は勧めに応じた。午後の穏やかな陽光が差し込む中で、ルシファー二人が彼を見つめている。何となく居心地の悪さを感じたが、決して不快ではないことに1は薄々気づいていた。深く息を吐き、口を開く。
地獄の王の優雅なひとときは、始まったばかりだった。
「皆様、本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます!これから始まりますのは、歴史上かつてない、まさに前代未聞の決闘です!」
応えるように、観客たちが大きくざわめく。野次を飛ばす者もいる。
喧騒は、控室にも届いていた。ベンチに腰かけ、柔軟体操をしていた1が、にやりと笑う。
「反響は上々みてえだな」
「当然でしょう。地獄中の悪魔たちが、貴方の動向を見守っています」
傍らで、リリスが冷静に告げる。場合によっては、今日で自らも地位を失うかもしれないというのに、彼女は至って平静だ。
いつもと変わらぬ二人とは対照的に、1ミカは無言である。緊張のためか、心なしか顔色が悪い。1が彼女に声をかけようとしたとき、控室のドアが開いた。
「失礼します」
入ってきたのは、カマエルだった。先日とは違い、シックなデザインのドレスを着ている。
「!!」
彼女に続いて入室した人物を見て、1ミカがびくりと震えた。砂色の髪をなでつけた、紳士的な雰囲気を漂わせた男が、堂々たる態度で姿を現す。白い外套が、ふわりと揺れた。
「本日はお招きいただき、ありがとうございます」
慇懃に、カマエルが一礼する。皆の注目を集めているのが彼女ではなく、背後の男性であることに気づき、カマエルは上品な手振りで彼を指し示した。
「こちらが、天界の天使長、メタトロンです」
カマエルの紹介に応えるように、メタトロンが微笑する。立ち上がり、1はメタトロンに近づいた。こうして見ると、相手も自分と負けず劣らず体格がいい。これは楽しめそうだ、と1は内心ほくそ笑んだ。
「ルシファーだ。こうして顔を突き合わせんのは初めてだな」
「確かに」
メタトロンが、1に同意する。柔らかな、よく通る声だ。
「先ほどの司会の話ではないが、前代未聞だ。まして、両者が戦うなど」
軽く首を振り、メタトロンはカマエルを促した。頷いて、カマエルは1ミカに近づく。何事かと警戒する1ミカに、彼女は笑いかけた。
「では、参りましょうか、ミカエル」
「どこへ行こうと言うのだ」
「もちろん、お召し替えにですよ。貴女は本日の主役のひとりですもの、美しく着飾らなくては」
唐突に提案されて、1ミカは困惑した。どうしたものかとリリスの方を見ると、彼女もカマエルと同意見らしく、控室の外へ向かって歩き出していた。
「衣裳部屋は、こちらでございます」
リリスとカマエルに挟まれては、1ミカも反発できない。1の方を気にしつつ、彼女は退室していった。
1ミカの姿が完全に見えなくなったのを確認し、メタトロンがふっと息を吐いた。それと同時に、彼を取り巻く空気もぴりぴりしたものに変わる。
「……ハイメラインに、狼藉を働いてはいないだろうな?」
「ハイメライン?」
「彼女の本当の名だ」
メタトロンに説明され、1は納得した。1の世界ではルシファーやリリス、ミカエルといった呼び名は、それぞれの役職に付随する称号であり、彼らの本名は別にある。ちなみに、1の本名は異世界で名乗っているものと同じで、シーザーだ。
「そんなことは、俺様に勝ってから本人に聞けよ。野暮ってもんだろ」
挑発するように、1は返す。本当のところ、何もしていないのだが、相手がその気になればなるほど戦いは面白くなる。
「……下賤な悪魔風情が……」
舌打ちし、メタトロンが吐き捨てた。さっきまでのお利口ぶった態度とはえらい違いじゃねえか、と1は愉快に思う。
「相手の意志を無視して縛りつけるような心が狭い野郎に、あれこれ言われたくねえな。女の方から求めてくるようにするのが男ってもんだろ?」
「……ハイメラインは、まだ目覚めていないのだよ。前世の記憶を取り戻せば、私が彼女にとって最愛の者だということがわかるはずだ」
煽るような1の指摘に対し、苦々しげに、メタトロンが答える。1は、鼻先で笑い飛ばした。
「あれだけ嫌がってるってのに、これ以上どうやって説得するんだよ。死んだ方がマシだとか言ってたぞ」
「それは、幼さゆえの反抗心に過ぎない。情を交わせば、彼女は真実の愛へと開花する!これは、宿命なのだ!」
1から告げられる真実に、メタトロンは激しく抗弁する。その言葉とは裏腹に、色々と心当たりがあるように見受けられる。更なる反撃の手口を思いつき、1はにやりと笑った。
「へえ……そんなにあっちのテクに自信があるってのか。結構なこったな」
「……この……っ!!」
わざと大げさに肩を含め、下品な言い方をする。メタトロンの顔が、怒りで真っ赤に染まった。場外乱闘も悪くねえな、と1は構えたが、相手が殴りかかってくることはさすがになかった。
「……まあ、いい。すぐに、そんな減らす口も聞けなくなる」
呼吸を整え、メタトロンはベンチにどっかりと座る。これくらいにしておくか、と、1も少し離れたところで拳にバンデージを巻く作業に取り掛かった。
「覚悟しておけ。貴様など、私に指一本触れることなく倒されるのだからな」
1の背中に、天使長の恨みがましい視線が突き刺さる。彼の言葉を、1はあえて無視した。
決戦の時は、すぐそこまで迫っている。
一方その頃。衣裳部屋で、1ミカは着せ替え人形と化していた。カマエルとリリスが見立てた上等な白いドレスを身にまとい、純度の高い宝石に繊細な細工を施した装飾品の数々が、彼女の美しさを一層引き立てている。
「よく似合っていますよ、ミカエル」
1ミカの唇に紅を引き、カマエルが満足げに微笑んだ。それに対し、1ミカは不平を述べる。
「……まるっきり優勝トロフィー扱いだな、わたくしは」
「そのようなことを言うものではありませんよ、ふたりの殿方が、貴女を巡って命がけで戦うのですから」
マイペースを貫くカマエルに、1ミカは仏頂面になる。外野は気楽なものだ、と胸中で毒づいた。メイクが完成したところを見計らって、リリスが声をかけてくる。
「そろそろ時間です」
「…………」
無言のままで、1ミカはリリスに連れられて衣裳部屋を出た。通路を抜けて彼女が向かう先は、二階のバルコニー。そこは、他の客席よりも突出しており、戦いの様子が一番よく見える。それと同時に、他の客席からも注目される場所だ。『景品』である彼女が戦いを見守る様も、客たちにとってはいい見世物なのである。
1ミカがバルコニーに足を踏み入れた瞬間、会場からは大きな歓声が沸き起こった。
「たった今、姿を現しましたこの美女!彼女が、大天使ミカエル様です!ご覧ください、凛とした涼やかな美貌を!天界と地獄の王者が彼女の愛を獲得せんとするのも、無理からぬことでしょう!」
司会者の紹介につられるように、観客たちの視線が1ミカに集中する。恥ずかしくなり1ミカはうつむきかけたが、すぐに気を取り直して毅然とした態度で前を見据えた。自分は、何も間違ったことはしていない。己の意志を証明するためには、この程度の重圧に負けてなどいられないのだ。
「殺伐とした決闘の場で燦然と輝く水宝玉を手に入れるのは、一体どちらの勇者なのか!?
これより、両者の入場になります!」
司会者の声を合図に、二人の男が中央広場へ入場する。1の方へ向けて、司会者が片手を広げた。
「吹き荒ぶ赤い旋風!史上最強の悪魔!時空すらも彼には逆らえない!我らが王・ルシファー!!」
歓声が、場内を揺るがす。慣れた様子で、1は拳を突き上げた。いつもの赤いコートは脱いで、たくましい上半身をさらけ出している。闘技場でこの高揚感を味わうのは、久しぶりのことである。そして、司会者は彼の反対側から歩いてくるメタトロンへと向き直った。
「対するは、謎のベールに包まれた天界の覇者!その実力は未知数ながら、天使たちを統率する手腕は本物だ!天使長・メタトロン!!」
先ほどと同じく、歓声が上がる。メタトロンは、優雅に手を振り返した。1とは違い、彼は白い外套を身に着けたままだ。やがて、広場の真ん中で二人は向かい合う。
「楽しませろよ?天使長サマ」
「そのつもりはない。すぐ終わらせる」
短いやりとりの後、両者は距離をとった。
闘技場の最上階に位置する貴賓室で、リリスとカマエルは中央広場を見下ろしていた。距離的には戦いの様子が見づらいが、室内にモニターが設置されているため、観戦するのに不自由はない。
「リリス殿は、ずいぶんと冷静なのですね?」
穏やかに、カマエルがリリスに話しかける。この女性は、常にたおやかな笑みを絶やさない。1ミカとは別の意味で、リリスとは逆のタイプだ。
「主君の勝利を信じておりますので」
カマエルに対し、リリスは無愛想に応じる。リリスは、彼女のことを苦手としていた。一見友好的だが、腹の中で何を考えているかわからない。
「大した忠誠心ですね。素晴らしいわ」
「…………」
カマエルの言葉の裏に、悪意のようなものを感じとり、リリスは眉をひそめる。彼女の表情が険しいものになったことに気づき、カマエルがあわててとりつくろう。
「あら、ごめんなさい、何か失礼なことを言いました?」
「いえ、別に」
そっけなく返して、リリスは中央広場の方へ目を向けた。広場では、闘士ふたりが睨みあっている。髪を整えながら、カマエルが再び、話し始めた。
「リリス殿の気持ちもわかります。ルシファー殿は、時間を操る力をお持ちですものね」
それは、一見すると独り言のようだったが、明らかにリリスに向けて放たれていた。リリスは無言を貫くが、気にせずカマエルはさらに続ける。
「彼と互角に渡り合える戦士は、地獄中どこを探してもいないでしょう。どれほど深手を負わせても、時間を巻き戻して傷自体をなかったことにしてしまう。
でも――――」
ふいに、カマエルがリリスの顔を覗き込んだ。くすくす笑いながら、彼女の耳元でささやく。
「一思いに首を刎ねられたら、それでおしまいでしょう?」
怪訝そうに、リリスはカマエルを睨んだ。先ほどの悪意は、やはり気のせいではなかったようだ。何の根拠があってそんなことを、とリリスが反論する前に、カマエルが口を開く。
「ルシファー様は、メタトロン様に触れることすら叶いません。
なぜなら、あの方は神の祝福を受けており、この世界の誰にも傷つけられることがないのですから」
「!!」
驚愕のあまり、リリスは息を呑んだ。もしそれが事実ならば、1は何もできないまま嬲り殺しにされる。あわてて中央広場を確認すると、メタトロンが放つ真空の刃を1が回避していた。場内を動き回り、攻撃をさばいている。ひとまず、様子見といったところか。
「私の言葉が真実かどうかは、すぐにわかります」
愉快そうに、カマエルが薄く笑う。今までの気品に満ちた振る舞いはどこへやら、獲物をいたぶるような目で、リリスと、広場の1を見下す。ちょうどその時、メタトロンの隙をついて、1が殴りかかるところだった。
「彼の腕は、メタトロン様に届く前にずたずたに切り裂かれるでしょう」
「ルシファー様!!」
リリスが、悲鳴に近い声を上げる。当然だが、貴賓室からでは彼女の声は届かない。
余裕の笑みを浮かべ、メタトロンが1の方を振り返る。あえて回避せずに、1に絶望を与えるつもりのようだ。
1は、そのまま拳を振り上げ―――――そして、下ろした。
短い悲鳴とともに巨体が地に倒れ伏し、土煙が巻き起こる。闘技場全体が、静まり返った。
「…………おい」
信じられないというように、1はメタトロンに呼びかける。その声は、乾ききっていた。
「何で、避けねえんだ?」
そう。ダメージを受けたのは、メタトロンの方だったのだ。鼻を押さえながら、メタトロンがよろよろと起き上がる。
「な、なぜだ……なぜ、貴様の攻撃は私に届く!?」
「知らねえよ、そんなこと」
訝しげに、1は答えた。メタトロンが受けた神の祝福のことなど、当然彼は知らないし、対策を練ることもしていない。
ただ、彼は装着しただけだ。この世界の神の干渉を受けない、異世界のバンデージを。
「……まあいいや、ミカエルと約束したしな」
殴った方の手首を軽く回しつつ、1が言葉を続ける。メタトロンの方は、未だショックから立ち直れずに、狼狽していた。
「あいつの分まで、てめえをぶん殴るって。覚悟決めろ」
拳を握り直し、1は再び構えた。彼の全身に、赤い闘気がみなぎる。
そして、戦いは再開した。
貴賓室では、カマエルがメタトロンと同様、硬直していた。信じられないものを見るような目で中央広場を凝視していた彼女は、リリスが動いたことに気づき、顔を上げる。
「―――――さて」
姿勢を正し、リリスはカマエルに声をかけた。青ざめた彼女の顔をたっぷりと時間をかけて観賞した後、淡々と言い放つ。
「先ほどのお話……もう一度お聞かせ願えますか?」
リリスのえぐるような皮肉に対し、カマエルは反論する言葉を持たなかった。
階下にて、1の渾身の一撃によりメタトロンが昏倒したのは、ちょうどその時だった。
勝敗が決まり、闘技場が大歓声に包まれる。
「勝者、ルシファー!!」
司会の声が、会場に響き渡った。腰に手を当て、1は首を左右に動かす。彼にとっては、期待外れもいいところだ。
「ルシファー殿!!」
勝者を祝福する花びらや紙吹雪が舞う中で、1ミカが彼に駆け寄る。彼女を見て、ずいぶんと飾り立てられたな、と1は思った。そのまま抱きつかれることは予想済みだったが、避けるような無粋な真似はさすがにしない。
「わたくしは……わたくしは、信じていたぞ!」
1にしがみついたままで、1ミカが肩を震わせた。歓声が、一層大きなものになる。そんな彼らに、司会者が近づいてきた。愛想笑いを浮かべつつ、マイクを1の方へ向けてくる。
「おめでとうございます!今のお気持ちをどうぞ!」
「あー……一応、言っておくが、俺様は身を固めるつもりはねえからな」
面倒くさそうに、1は告げる。きょとんとした様子で、司会者が首をかしげた。
「ミカエル様と、ご結婚するのではないのですか?」
それは、会場にいる観客全員の総意である。頷いて、1は言葉を続ける。
「俺様は、まだ自分の強さを追及してえんだよ。今回戦ったのは、こいつの自由を勝ち取るためだ」
「では、今後も婚約者候補を増やす予定である、と」
「飛躍しすぎだろ!?」
1のツッコミは、しかし、大音量の歓声に掻き消された。さすがは悪魔の王だ、複数の女を囲う器だと、野次が飛ぶ。司会者を鋭く睨むと、彼女は素知らぬ様子でそっぽを向いていた。エンターティナーとしては、スキャンダルは派手な方がいいらしい。
苦み走った顔で立ち尽くす1の腕を、ふいに1ミカがつねりあげた。上目づかいで、ねめつけるような視線を送ってくる。
「……つまらぬ女との浮気は許さぬぞ、あなた」
1の眉間のしわが、一層深くなる。視界の端で、メタトロンが担架に乗せられて搬送されていた。
かくして、大盛況のまま決闘は終了した。あまりに一方的であったため戦いとしてのレベルは低いものの、自分たちの王が敵対勢力の大将をボコボコにしたということで、悪魔たちとしては大満足である。
確約どおり、1ミカは地獄に留まることを許された。とりあえずは秘書見習いという肩書で、リリスの補佐を務める予定である。だが、天界側が彼女をあきらめたわけではないのは明白だった。何度でもぶちのめすからかかって来い、と1はメタトロンに書簡を送っている。当然、それに対する返事はなかった。
1とリリスは、1ミカを地獄中の諸侯にお披露目するために、またしても各地を回ることになった。諸侯たちの反応は様々だが、中には1の無事を秘かに残念がる者もいるだろう。連日の宴や雑務で、日々が忙殺されていく。
そしてこの日、1は久しぶりに異世界に足を踏み入れた。転移先は、いつもの屋敷の二階の一室。この部屋だけは、家具がどこにも置かれていない。殺風景な空間が、懐かしかった。
「お、生きてやがったか」
「勝ったんだね、おめでとう」
一階の広間に顔を出した1を、2と3が温かく迎える。渋面になり、1は二人のルシファーを睨みつけた。
「何でてめえらが事情を知っていやがる」
「だって、ミカエルさんが決闘前にこの世界に来たからさ」
「聞いてねえぞ!?」
仰天し、1は声を荒げる。それと同時に、納得もしていた。メタトロンが受けた神の祝福についての話は、リリスから聞いている。己の勝利が、この異世界の干渉によるものだということを、1はようやく知ることとなった。
「バンデージ、ちゃんと使ったか?あいつから受け取ったんだろ?」
「……何か、気に入らねえ。結局は、誰かの手のうちかよ」
2の質問に答えずに、ぶつぶつと不平を述べる。この二人が1ミカに何らかの形で助力したことは、容易に推測できた。本来ならば、彼らに感謝するべきだと頭ではわかっていても、つまらないプライドが邪魔をする。微笑んで、3がカップを差し出した。コーヒーのいい香りが、鼻腔をくすぐる。
「まあ、座りなよ。君の話を聞きたくて、ずっと待っていたんだから」
不承不承、1は勧めに応じた。午後の穏やかな陽光が差し込む中で、ルシファー二人が彼を見つめている。何となく居心地の悪さを感じたが、決して不快ではないことに1は薄々気づいていた。深く息を吐き、口を開く。
地獄の王の優雅なひとときは、始まったばかりだった。
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