L-Triangle!4-2
- 2014/05/23
- 20:20
1と2が、ごろつき三人組に出会ったのと同じ頃、3は教会にいた。礼拝堂では、休憩中のシスターたちが、噂話に花を咲かせている。
「それでね、そのひとがすっごくかっこよかったのよ!」
シスターのうちの一人が、頬を紅潮させながら話す。本日の話題の中心は、彼女のようだ。
「へえ……私も会ってみたいなあ」
羨ましそうに、他のシスターたちが彼女を見る。3は、彼女たちに声をかけた。
「やあ、君たち、楽しそうだね」
「あ、フォース様!」
憧れの貴公子の登場に、シスターたちは顔を輝かせた。彼女たちは、たびたび教会を訪れる3のファンクラブのようなものを結成しているのである。先ほどまで何事かを懸命に報告していたシスターが、3の方へと身を乗り出した。
「聞いてください、フォース様!この街に勇者様が現れたんです!」
「……へえ、勇者様が?」
うれしそうなシスターに、3は問い返す。この世界に関する話題は彼にとってはどれも心惹かれるものだが、中でも勇者のことについては、特に気になっていた。
何しろ、この街を救ったのだと噂される勇者の正体は、彼の友人なのだから。
勢いよく頷いて、シスターは語り出した。
「私、さっき街中で怖い人たちに絡まれたんですけど、勇者様が助けてくださったんですよ!すっごく強くて、あっという間に怖い人たちを追い払ってくださったんです!」
「そうか……怪我がなくて良かったね」
興奮冷めやらず、といった様子の彼女に、3は労わりの言葉をかけた。どうやら、彼が想定していたのとは別の勇者の話のようだが、それはそれで興味深い。
「……ああ、でもあのお方……もう一度お会いしたいわあ……」
瞳に星を輝かせ、シスターが呟く。完全に自分の世界に入ってしまった彼女はしばらく放っておくことにして、他のシスターたちは別の話題に移っていた。
「最近、この街にも怖いひとが増えたわよね」
「魔王が現れるよりは全然ましだけど、やっぱり怖いわ」
一人が顔を曇らせ、もう一人が、身震いする。若く、活力に満ちているとはいえ、彼女たちはただの少女だ。ならず者も、十分に脅威である。
「……ああ、うん。そうだね……」
それに対する3の返答は、どこか歯切れが悪かった。
乙女の勘がいやに鋭い彼女たちでも、すでにこの街には魔王が三人いて、そのうちの一人が目の前にいるとは思わないだろう。
(真実を知ったら、みんなはどんな顔をするのかな?)
シスターたちのころころ変わる話題に耳を傾けつつ、3はそんなことを考えていた。
「アニキ!連れてきやした!」
トマスが、勢いよく駆けてくる。路地裏の行き止まりで待機していた1と2は、トマスの後からゆっくりとついてくる赤毛の少年に目を遣った。少年の方は、1と2ではなく、彼らにくっついているパウロとタダイを睨んでいる。
「お前ら、さっきのごろつきか……こんなところに呼び出して、何の用だ」
「そんなでかいクチ聞いてられるのもいまのうちだぜ!」
「アニキ!この生意気な野郎をやっちゃってください!」
パウロとタダイが、期待に満ちた目で2をけしかける。典型的な虎の威を狩る狐状態の舎弟たちに、2は半眼になった。
「バカ野郎。誰が戦うなんて言ったよ?」
「アンタが、こいつらのボスか?」
赤毛の少年が、2をじろじろと値踏みする。長身であるもののスレンダーな体型の2は、小悪党の親玉のイメージからはほど遠い。むしろ、隣の赤コートの巨漢の方がその役割にはふさわしいと、彼は思った。
「ちょっと面倒見てるだけだ。こいつらの話だけじゃアテになんねえからな。お前の話も聞こうと思ってよ」
「別に話すことなんてないさ。お前らみたいなゴミ相手にな」
少年の返答は、にべもない。不躾な応対に、2の態度もまた、剣呑なものになった。
「……お前が、こいつらに因縁をつけて怪我をさせた。そう解釈していいのか?」
確認するように、ゆっくりと問いかける。それだけで、周囲の空気が張りつめたものに変化した。いまにも戦いが始まりそうな空気の中、口を開いたのは予想外の存在だった。
「違うわよ!キリヤは悪くないわ!悪いのはあんたたちじゃないの!」
赤毛の少年の連れの翼竜が、甲高い声で非難する。しゃべれたのか。しかもメスかと、当事者たち以外の誰もが思った。
「お前は黙ってろ」
「だって……!」
ぶっきらぼうに、少年が竜に告げる。なおも言い募ろうとする翼竜を無視して、少年は背負っていた大剣を抜いた。
「これ以上話しても時間の無駄だ。お前と、その後ろのでかいの。まとめてかかってこい」
少年が、剣を正眼に構える。大剣を扱っているというのに、剣先にも足元にも、ぶれがない。外見に似合わぬ怪力の持ち主のようだ。
「何でそんなに好戦的なんだお前……。俺は真実が知りたいだけだってのに」
少年のあまりに話が通じない様子に2があきれ返っていると、彼を押しのけて1が進み出た。楽しそうに、指の関節を鳴らす。
「いい度胸してんじゃねえか、チビ。後悔するぜ?」
「そういうセリフは聞き飽きた。お前らみたいな小悪党の駆除は、もう飽き飽きするほどやってきているんでね」
うんざりしたように、少年が言い返す。威勢のいい答えに、1はほくそ笑んだ。
「……ほう……ぬかしやがる」
「シーザー!」
戦る気満々の1を、2が咎める。この少年がいかに強かろうと、地獄の王であり、自分と同等の実力を持つ1にかなうはずがない。少年が一方的に嬲られる結果になるのは目に見えていた。
「安心しろ、死なねえ程度には手加減してやる」
自分がやろうとしているのは弱い者いじめだということは、1も承知しているらしい。止めても無駄だとわかり、2は肩をすくめた。
「……わーったよ。ほどほどにな」
もののついでに、期待に胸を躍らせている舎弟たちも下がらせる。様子を静観していた少年が、嫌悪感を露わに呟いた。
「こちらが何を言おうと、どうせお前らは因縁をつけて戦いに持ち込みたがるんだ。お前らの相手をマジメにするほど、こっちは暇じゃないんだよ」
「そのわりには話がなげえ。とっととかかってこいや」
1が、少年を中指で招く。殺気を放ちつつ、少年は1に向かって飛びかかって行った。
一方、3はまだ教会にいた。シスターたちが用意した紅茶とクッキーが、机に並べられている。さしずめ、午後のティータイムといったところか。
「女の子のピンチに助けに入る勇者……か。最近読んだ英雄譚に、そういう話があったなあ」
私が焼いたんです、とクッキーを交互に薦められ、それらをひとつずつ味わいながら、3は先ほどの勇者の件を思い返す。赤毛の少年に助けられたシスターが、即座に食いついてきた。
「どんなお話ですか?」
「女の子が悪者に襲われているところを、勇者が颯爽と現れて助けるんだ」
「それで、それで?」
「その場は丸く収まるんだけど、悪者が彼らのボスにその件を報告してね、悪者のボスが勇者に復讐をしようとする」
3の話に、他のシスターたちもどよめく。彼女たちを安心させるように、3は微笑んだ。
「だけど、そのボスも勇者は退治してしまうんだ。そして街は平和になる」
それは、よくある英雄伝説の冒頭部分だった。主人公の強さを見せつけるための、演出のひとつに過ぎない。
「な、何だか今の状況と似ていない?」
「私もそう思うわ!」
顔を見合わせ、シスター達は頷き合った。まるで、自分が物語の登場人物の一人になったかのようである。
「あの方、大丈夫かしら……」
シスターが、赤毛の少年の身を案じる。泣き出しそうな少女の肩に、3はそっと手を置いた。
「大丈夫だよ。彼が本当に正しき者なら、きっと勝つさ」
「そ、そうですよね!」
美貌の青年の優しさに触れ、少女はたちまち元気を取り戻した。他のシスターたちの羨望の眼差しが心地よい。そんなシスター達の悲喜こもごもに、3は全く気付いていなかった。
英雄譚の主役は、ごろつきに絡まれるなどというどうでもいい場面で敗北することは、まずない。ならば、現実はどうかと言うと……。
大剣を地面に置き、赤毛の少年はがっくりとひざをついた。呼吸が乱れ、立っているのも、もう限界だ。1の方はというと、息切れひとつしていない。
「お前、人間にしてはなかなかやるな。楽しめたぜ」
「……ぐ……っ」
満足げに、1は少年を見下した。1から受けた打撃により、少年はかなりのダメージを負っていた。致命傷はないが、それは自分が避けたからではない。相手が、あえてそこを外したからだ。
「キリヤ!!」
翼竜が、少年の名を呼ぶ。その声は、キリヤには届いていなかった。圧倒的な実力差をまざまざと見せつけられて、絶望に打ちひしがれている。
「ば、バカな……この俺が、こんなやつらに……!」
「頭は冷えたか?事情、ちゃんと説明しろよ」
戦いは終わったと判断した2が、キリヤに近づいていく。翼竜は、気丈な態度で彼を睨みつけた。
「さっきから言ってるじゃないの!キリヤは悪くないわ!そこのやつらが女の子に絡んでいたのを助けたのよ!」
翼竜の言葉に、2の足が止まる。怒気をにじませながら、2はゆっくりとごろつき達の方を振り返った。
「……お前ら」
「ご、誤解ですぜ!俺らは案内を頼もうとしただけで……!」
「明らかにあの子、嫌がってたじゃないの!最低!」
あわてて、パウロが弁解する。翼竜のヒステリックな怒鳴り声が、それに重なった。
「……とりあえず、多少の誤解はあったってことか」
額を押さえ、2は今度こそキリヤに声をかけた。
「おい、立てるか?悪かったな、因縁つけたみたいになっちまって」
呆けたように、キリヤが顔を上げる。彼が今まで叩きのめしてきた悪党たちは、こんな真摯な態度はとらなかった。
「……あんたら、一体……」
「世の中は広いんだよ、そういうことにしておけ」
2の隣まで来ていた1が、キリヤに手を差し伸べる。少年は、苦笑した。自らの強さを信じ込み、いきがっていたことを恥ずかしく思う。
「……ふっ、そのようだな……」
1の手を、がしっと掴んで立ち上がる。先ほどの張りつめた様子とはうってかわって、晴れ晴れとした顔でキリヤは尋ねた。
「俺の名はキリヤ。あんたたちの名前が知りたいな」
「俺様はシーザーだ。こっちはカイン」
「覚えておくよ」
年相応の笑みを見せて、キリヤは踵を返す。少しふらつきながらも、しっかりした足取りで進んでいく彼を見て、手当は必要なさそうだと1は思った。
「あ、キリヤ、待ってよ~!」
翼竜が、あわてて後を追う。少年と竜は、通路の角を曲がって姿を消した。
「あのガキ、大した腕だったな」
「俺様には遠く及ばねえけどな」
感心する2の隣で、1が胸を張る。それから、2は気まずそうにしているごろつき二人に視線を向けた。
「……さてと」
「ひいっ!!」
パウロとタダイが、びくりと痙攣する。今回は無関係のトマスは、二人から若干距離を置いた。地獄の底から響くような低音で、2が説教を開始する。
「お前ら、てめえの恨み言に俺たちを巻き込みやがったな」
「す、すいやせんアニキ!!」
「俺ら、街の連中に相手にされないどころかあんなガキにまでこけにされて、悔しくって……」
パウロとタダイが、しどろもどろ言い訳をする。苛立たしげに、2が手近な壁に平手を打ちつけた。派手な音に驚いて、二人は沈黙する。
「大した努力もしねえで、悔しいとかほざいてんじゃねえよ!!」
2の怒鳴り声が、路地裏に響き渡った。地獄の亡者どころか、高位の悪魔すら震え上がるほどの剣幕だ。
「あんなガキ一匹をのしたところで、お前らの境遇は改善されねえだろが!自分や仲間が惨めになるような、みっともない真似するんじゃねえ!!」
「……まあ、それくらいにしておけや。俺様、気分がいいんだからよ」
ごろつきたちに助け船を出したのは、意外にも1だった。毒気を抜かれ、2は冷静さを取り戻す。
「ったく……この街に定住するつもりなら、もう少し考えて行動しろ。あと、一応こいつにも礼言っとけ」
「へ、へい!」
2が、ごろつき達に促す。姿勢を正し、パウロとタダイは1に向かって頭を下げた。
「ありがとうございやした、シーザーのアニキ!」
「……俺にまで懐いてくるんじゃねえよ」
嫌そうに、1が二人をあしらう。2の教育のせいか、ごろつき達は妙なところで礼儀正しい。人の悪い笑みを浮かべて、2はそれを見守った。
「ま、いいじゃねえか。さて、一件落着したところで、もう帰ろうぜ」
渋い顔の1を引き連れて、2は歩き出す。
「お疲れさまっした!」
二人の背中に向かって、ごろつき三人が敬礼した。
キリヤと翼竜は、大通りに出ていた。手負いの彼の周りを、翼竜が気遣わしげに飛び回る。
「災難だったわね、キリヤ」
「ああ、まったくだ」
嘆息する翼竜に、キリヤは同意する。怪訝そうに、翼竜は彼をしげしげと見つめた。この少年は、無愛想が通常の状態なのだ。普通の受け答えをすること自体、非常に珍しい。
「……何だかご機嫌ね?」
「別に」
わずかに笑みを含んだ顔で、キリヤが言い返してくる。やっぱり変だ、と翼竜が首をかしげていると、人が近づく気配がした。
「あ、あの……!」
「?」
呼びとめられて、振り向く。声の主は、先ほど助けたシスターの少女だった。
「さ、さっきは、ありがとうございました!」
「……ああ」
ぎこちない様子で頭を下げるシスターに、キリヤはいつものクールな調子で返す。
「フォース様、この方です!さっき、助けてくださった……」
シスターが、連れの青年を見た。翼竜が、息を呑んで美貌の青年を凝視する。
「君が、勇者様か」
3は、人好きのしそうな笑顔をキリヤに向けた。その友好的な態度にかえってうさんくささを感じ、キリヤは3をにらむ。
「あんた、何だ?」
「私はフォース。この娘の友人だよ。彼女から、君のことは聞いた」
「それで、何の用だ」
キリヤが、ぶっきらぼうに問う。いつもどおりのキリヤだ、と翼竜は安堵したが、これはこれでいらぬ誤解を招くので困りものである。険悪な空気を感じ、シスターは恐縮した。
「す、すみません、私が……」
「この娘が、君のことを心配していてね。私はその付き添いだよ」
言葉を詰まらせる少女に代わり、3が説明する。キリヤは、不思議そうな顔になった。
「心配?俺の?」
「あ、あなたが、さっきの人たちに仕返しをされているんじゃないかと」
「思いっきりやられたわよね」
シスターの表情が、不安に曇る。図星を突かれて硬直するキリヤに、翼竜がそっと耳打ちした。
「あんたたちが気にすることじゃない……っ」
3とシスターに背を向けようとして、キリヤはよろめいた。驚いて、シスターが彼を気遣う。
「だ、大丈夫ですか!?」
「かすり傷だ」
体を支えようとするシスターを、キリヤが制する。そのやりとりの隙をついて、3が少年に触れた。
「……ちょっと失礼」
キリヤが何かを言う前に、3は少年の傷を浄化する。自分を苛んでいた痛みや疲労から瞬時に解放され、キリヤは目を見開いた。
「すぐに手当てを……!」
「いや、必要ない。今、必要なくなった」
シスターの申し出を、キリヤは辞退する。彼女は、連れの美青年が何をしたのか気づいていないようだが、それでも、少年の体調が目に見えて回復したことは理解したらしい。
「なら、良かったですけど……無理しないでくださいね」
胸をなで下ろすシスターから顔を背け、キリヤは疑惑の視線を3に向ける。この美青年が自分の傷を癒したことについては、疑いの余地がない。当の3は、にこにこしながら状況を見守っていた。己の能力をひけらかすつもりは、この青年にはないらしい。
彼について聞いても無駄だと悟り、キリヤは話題を変えた。傷を癒すために、今日はもう宿に泊まろうと考えていたのだが、これだけ回復したのなら当初の予定通りに動けそうだ。
「あんたら、ここの出身か?この街について知りたいんだが」
「それなら、教会にいらしてください!神官様がいらっしゃいますし、書庫には歴史資料も置いてあります」
シスターが、弾かれたように即答する。恩人の役に立てるかもしれないという思いが、彼女に力を与えていた。
「案内を頼めるか?」
「は、はい、喜んで!」
キリヤの申し出を、シスターは快諾する。こうして改めて見ると、彼は中性的な美しさを持っていた。少女のような愛らしさと、戦士の凛々しさが、絶妙なバランスで溶け込んでいる。
「良かったね」
「あ、はい」
幸福感に浸るシスターを、3が祝福する。キリヤと3、タイプは若干異なるものの魅力的な男性に囲まれて、これは夢かもしれない、と彼女は半ば本気で思った。
「じゃあ、私はここで失礼するよ。彼女のことは、君に任せたからね」
「…………はあ」
満足そうに頷いて、3はキリヤにシスターを託した。彼の生返事を聞き流し、立ち去ろうとする。
「また教会にいらしてくださいね、フォース様!」
シスターが、3に手を振って見送る。手を振り返し、3は人ごみへ姿を消した。
「……何者なんだ?一体」
キリヤは、名残惜しそうな顔のシスターに尋ねた。彼の傍らで、翼竜も似たような表情をしているが、それは無視する。
「フォース様ですか?少し前にこの街に来た方で、よく教会を訪ねてくださるんです。とっても、いい方ですよ」
「徳の高い神官か何かなのか?」
3の素性について、推測を述べてみる。祈りによって奇跡を起し、難病を癒す神官がいるという話を聞いたことがあった。
「さあ……本人、何もおっしゃらないので。どこかの国の貴族様がお忍びでいらしているんじゃないかっていうのが、私たちの予想なんですけど」
「……ふーん」
うっとりと夢見がちなことを言うシスターに、キリヤはさほど感銘を受けなかった。
そのまま、教会へ向かって歩き出す。
「この街について、何をお知りになりたいですか?私が知っていることでよろしければ、お答えしますけど」
道中、シスターが懸命に話しかけてくる。彼女にとっては、キリヤと二人っきりで話せる絶好のチャンスである。翼竜の存在は、彼女の目に入っておらず、竜がこっそりと牙を剥いているのにも、気がついていない。
「俺がこの街に来た目的はひとつだ」
「何ですか?」
シスターが、真剣な表情で身を乗り出す。すでに、教会は目の前だ。建物の屋根を見上げ、キリヤは言った。
「この街を救ったという勇者に会いたい。あんた、そいつの居場所を知らないか?」
1と2が去った後、ごろつきたちはまだ路地裏にいた。2が以前、置いて行ってくれた保存食を口にしつつ、今日の出来事を振り返る。
「シーザーさん、強かったなあ」
「あんなすげえ御方とお知り合いだなんて、やっぱアニキは格が違うぜ」
パウロとタダイが、あさっての方向を向いたままで会話する。その視線は、落ち着きなく泳いでいた。彼らの中で、複雑な思いが渦巻いている。意を決したように、トマスが口を開いた。
「……あのガキ……キリヤって、言ってたよな」
他の二人が、ごくりと唾を飲みこむ。彼らも、同じことを考えていた。
「……勇者、キリヤ……」
「ああ。あの強さだ、間違いねえ」
背中に冷たい汗が伝うのを、三人は感じていた。過去の、忌まわしい思い出がよみがえる。
「あんなガキだったとは思わなかった……」
「でも、幸運だったぜ。あいつも、俺たちのこと知らねえみてえだし」
「知ってるわけねえだろ?俺らみたいな、下っ端なんか」
トマスの自嘲に、二人もぎこちない笑みを見せる。無言で、三人は干し肉を噛みちぎった。
「なあ、キリヤが生きてるってことは……あいつ、どうなったんだろうな?」
思い出したように、パウロが言う。トマスとタダイは、顔を引きつらせた。タダイが言わんとする人物に、彼らも心当たりがあるらしい。
「バカ、そんなの殺られちまってるに決まってるだろうが」
「でも、あいつ、かなりしぶといし……」
トマスの言葉にパウロが反論しようとした時、
「おやおや、ずいぶんな言いようだね」
ヒールの音が響き、通路の陰から女が姿を現した。派手な化粧をした、露出度の高い衣装をまとう妖女だが、その動作に隙がない。
「サロメア……!」
目を白黒させて、パウロが女の名を呼ぶ。彼らがついさっきまで話題にしていたのは、彼女のことだった。
「久しぶりだってのに、相変わらずシケた面してるねえ」
警戒する男たちに、サロメアが歩み寄る。逃げ出したい衝動に駆られつつ、トマスが答えた。
「お前がいるってことは……やっぱり、あいつが例のキリヤなんだな!?」
「そうだよ。あいつが、あんたらのボスで、あたしの愛しいひとの仇さ」
サロメアが、蠱惑的な笑みを浮かべる。その目は、笑っていなかった。
「お前……まだ、あいつを追って……」
「当たり前だろ」
笑みを消し、サロメアは即答した。うなだれて、トマスは首を振る。
「やめとけよ。あのガキ、しゃれにならないほど強いじゃねえか」
「そうかい?そのわりにはさっき、ぼろ負けだったじゃないか」
サロメアの言葉に、男たちはどよめいた。どうやら、どこからか見ていたらしい。ふところから取り出した金貨を指で弾きつつ、サロメアは彼らに流し目を送った。
「あの赤いコートの男について、教えておくれ。もちろん、タダじゃないよ」
「ふざけるな!そんな、チクるような真似できるかよ!」
「バカだねえ。あの男の情報なんざ、街の連中に聞けばすぐわかるだろ。そこを、あえて同郷のよしみであんたたちに金を払って聞いてやろうって言ってるんじゃないか」
感謝してほしいもんだ、とサロメアは肩をすくめた。三人は、顔を見合わせる。彼らのふところが困窮しているのは事実だ。このままだと、明日以降、食事にありつけるかどうかもあやしい。
もらえる金ならば、もらっておいた方がいい。罪悪感を感じつつも、彼らは女の誘惑に屈したのだった。
「それでね、そのひとがすっごくかっこよかったのよ!」
シスターのうちの一人が、頬を紅潮させながら話す。本日の話題の中心は、彼女のようだ。
「へえ……私も会ってみたいなあ」
羨ましそうに、他のシスターたちが彼女を見る。3は、彼女たちに声をかけた。
「やあ、君たち、楽しそうだね」
「あ、フォース様!」
憧れの貴公子の登場に、シスターたちは顔を輝かせた。彼女たちは、たびたび教会を訪れる3のファンクラブのようなものを結成しているのである。先ほどまで何事かを懸命に報告していたシスターが、3の方へと身を乗り出した。
「聞いてください、フォース様!この街に勇者様が現れたんです!」
「……へえ、勇者様が?」
うれしそうなシスターに、3は問い返す。この世界に関する話題は彼にとってはどれも心惹かれるものだが、中でも勇者のことについては、特に気になっていた。
何しろ、この街を救ったのだと噂される勇者の正体は、彼の友人なのだから。
勢いよく頷いて、シスターは語り出した。
「私、さっき街中で怖い人たちに絡まれたんですけど、勇者様が助けてくださったんですよ!すっごく強くて、あっという間に怖い人たちを追い払ってくださったんです!」
「そうか……怪我がなくて良かったね」
興奮冷めやらず、といった様子の彼女に、3は労わりの言葉をかけた。どうやら、彼が想定していたのとは別の勇者の話のようだが、それはそれで興味深い。
「……ああ、でもあのお方……もう一度お会いしたいわあ……」
瞳に星を輝かせ、シスターが呟く。完全に自分の世界に入ってしまった彼女はしばらく放っておくことにして、他のシスターたちは別の話題に移っていた。
「最近、この街にも怖いひとが増えたわよね」
「魔王が現れるよりは全然ましだけど、やっぱり怖いわ」
一人が顔を曇らせ、もう一人が、身震いする。若く、活力に満ちているとはいえ、彼女たちはただの少女だ。ならず者も、十分に脅威である。
「……ああ、うん。そうだね……」
それに対する3の返答は、どこか歯切れが悪かった。
乙女の勘がいやに鋭い彼女たちでも、すでにこの街には魔王が三人いて、そのうちの一人が目の前にいるとは思わないだろう。
(真実を知ったら、みんなはどんな顔をするのかな?)
シスターたちのころころ変わる話題に耳を傾けつつ、3はそんなことを考えていた。
「アニキ!連れてきやした!」
トマスが、勢いよく駆けてくる。路地裏の行き止まりで待機していた1と2は、トマスの後からゆっくりとついてくる赤毛の少年に目を遣った。少年の方は、1と2ではなく、彼らにくっついているパウロとタダイを睨んでいる。
「お前ら、さっきのごろつきか……こんなところに呼び出して、何の用だ」
「そんなでかいクチ聞いてられるのもいまのうちだぜ!」
「アニキ!この生意気な野郎をやっちゃってください!」
パウロとタダイが、期待に満ちた目で2をけしかける。典型的な虎の威を狩る狐状態の舎弟たちに、2は半眼になった。
「バカ野郎。誰が戦うなんて言ったよ?」
「アンタが、こいつらのボスか?」
赤毛の少年が、2をじろじろと値踏みする。長身であるもののスレンダーな体型の2は、小悪党の親玉のイメージからはほど遠い。むしろ、隣の赤コートの巨漢の方がその役割にはふさわしいと、彼は思った。
「ちょっと面倒見てるだけだ。こいつらの話だけじゃアテになんねえからな。お前の話も聞こうと思ってよ」
「別に話すことなんてないさ。お前らみたいなゴミ相手にな」
少年の返答は、にべもない。不躾な応対に、2の態度もまた、剣呑なものになった。
「……お前が、こいつらに因縁をつけて怪我をさせた。そう解釈していいのか?」
確認するように、ゆっくりと問いかける。それだけで、周囲の空気が張りつめたものに変化した。いまにも戦いが始まりそうな空気の中、口を開いたのは予想外の存在だった。
「違うわよ!キリヤは悪くないわ!悪いのはあんたたちじゃないの!」
赤毛の少年の連れの翼竜が、甲高い声で非難する。しゃべれたのか。しかもメスかと、当事者たち以外の誰もが思った。
「お前は黙ってろ」
「だって……!」
ぶっきらぼうに、少年が竜に告げる。なおも言い募ろうとする翼竜を無視して、少年は背負っていた大剣を抜いた。
「これ以上話しても時間の無駄だ。お前と、その後ろのでかいの。まとめてかかってこい」
少年が、剣を正眼に構える。大剣を扱っているというのに、剣先にも足元にも、ぶれがない。外見に似合わぬ怪力の持ち主のようだ。
「何でそんなに好戦的なんだお前……。俺は真実が知りたいだけだってのに」
少年のあまりに話が通じない様子に2があきれ返っていると、彼を押しのけて1が進み出た。楽しそうに、指の関節を鳴らす。
「いい度胸してんじゃねえか、チビ。後悔するぜ?」
「そういうセリフは聞き飽きた。お前らみたいな小悪党の駆除は、もう飽き飽きするほどやってきているんでね」
うんざりしたように、少年が言い返す。威勢のいい答えに、1はほくそ笑んだ。
「……ほう……ぬかしやがる」
「シーザー!」
戦る気満々の1を、2が咎める。この少年がいかに強かろうと、地獄の王であり、自分と同等の実力を持つ1にかなうはずがない。少年が一方的に嬲られる結果になるのは目に見えていた。
「安心しろ、死なねえ程度には手加減してやる」
自分がやろうとしているのは弱い者いじめだということは、1も承知しているらしい。止めても無駄だとわかり、2は肩をすくめた。
「……わーったよ。ほどほどにな」
もののついでに、期待に胸を躍らせている舎弟たちも下がらせる。様子を静観していた少年が、嫌悪感を露わに呟いた。
「こちらが何を言おうと、どうせお前らは因縁をつけて戦いに持ち込みたがるんだ。お前らの相手をマジメにするほど、こっちは暇じゃないんだよ」
「そのわりには話がなげえ。とっととかかってこいや」
1が、少年を中指で招く。殺気を放ちつつ、少年は1に向かって飛びかかって行った。
一方、3はまだ教会にいた。シスターたちが用意した紅茶とクッキーが、机に並べられている。さしずめ、午後のティータイムといったところか。
「女の子のピンチに助けに入る勇者……か。最近読んだ英雄譚に、そういう話があったなあ」
私が焼いたんです、とクッキーを交互に薦められ、それらをひとつずつ味わいながら、3は先ほどの勇者の件を思い返す。赤毛の少年に助けられたシスターが、即座に食いついてきた。
「どんなお話ですか?」
「女の子が悪者に襲われているところを、勇者が颯爽と現れて助けるんだ」
「それで、それで?」
「その場は丸く収まるんだけど、悪者が彼らのボスにその件を報告してね、悪者のボスが勇者に復讐をしようとする」
3の話に、他のシスターたちもどよめく。彼女たちを安心させるように、3は微笑んだ。
「だけど、そのボスも勇者は退治してしまうんだ。そして街は平和になる」
それは、よくある英雄伝説の冒頭部分だった。主人公の強さを見せつけるための、演出のひとつに過ぎない。
「な、何だか今の状況と似ていない?」
「私もそう思うわ!」
顔を見合わせ、シスター達は頷き合った。まるで、自分が物語の登場人物の一人になったかのようである。
「あの方、大丈夫かしら……」
シスターが、赤毛の少年の身を案じる。泣き出しそうな少女の肩に、3はそっと手を置いた。
「大丈夫だよ。彼が本当に正しき者なら、きっと勝つさ」
「そ、そうですよね!」
美貌の青年の優しさに触れ、少女はたちまち元気を取り戻した。他のシスターたちの羨望の眼差しが心地よい。そんなシスター達の悲喜こもごもに、3は全く気付いていなかった。
英雄譚の主役は、ごろつきに絡まれるなどというどうでもいい場面で敗北することは、まずない。ならば、現実はどうかと言うと……。
大剣を地面に置き、赤毛の少年はがっくりとひざをついた。呼吸が乱れ、立っているのも、もう限界だ。1の方はというと、息切れひとつしていない。
「お前、人間にしてはなかなかやるな。楽しめたぜ」
「……ぐ……っ」
満足げに、1は少年を見下した。1から受けた打撃により、少年はかなりのダメージを負っていた。致命傷はないが、それは自分が避けたからではない。相手が、あえてそこを外したからだ。
「キリヤ!!」
翼竜が、少年の名を呼ぶ。その声は、キリヤには届いていなかった。圧倒的な実力差をまざまざと見せつけられて、絶望に打ちひしがれている。
「ば、バカな……この俺が、こんなやつらに……!」
「頭は冷えたか?事情、ちゃんと説明しろよ」
戦いは終わったと判断した2が、キリヤに近づいていく。翼竜は、気丈な態度で彼を睨みつけた。
「さっきから言ってるじゃないの!キリヤは悪くないわ!そこのやつらが女の子に絡んでいたのを助けたのよ!」
翼竜の言葉に、2の足が止まる。怒気をにじませながら、2はゆっくりとごろつき達の方を振り返った。
「……お前ら」
「ご、誤解ですぜ!俺らは案内を頼もうとしただけで……!」
「明らかにあの子、嫌がってたじゃないの!最低!」
あわてて、パウロが弁解する。翼竜のヒステリックな怒鳴り声が、それに重なった。
「……とりあえず、多少の誤解はあったってことか」
額を押さえ、2は今度こそキリヤに声をかけた。
「おい、立てるか?悪かったな、因縁つけたみたいになっちまって」
呆けたように、キリヤが顔を上げる。彼が今まで叩きのめしてきた悪党たちは、こんな真摯な態度はとらなかった。
「……あんたら、一体……」
「世の中は広いんだよ、そういうことにしておけ」
2の隣まで来ていた1が、キリヤに手を差し伸べる。少年は、苦笑した。自らの強さを信じ込み、いきがっていたことを恥ずかしく思う。
「……ふっ、そのようだな……」
1の手を、がしっと掴んで立ち上がる。先ほどの張りつめた様子とはうってかわって、晴れ晴れとした顔でキリヤは尋ねた。
「俺の名はキリヤ。あんたたちの名前が知りたいな」
「俺様はシーザーだ。こっちはカイン」
「覚えておくよ」
年相応の笑みを見せて、キリヤは踵を返す。少しふらつきながらも、しっかりした足取りで進んでいく彼を見て、手当は必要なさそうだと1は思った。
「あ、キリヤ、待ってよ~!」
翼竜が、あわてて後を追う。少年と竜は、通路の角を曲がって姿を消した。
「あのガキ、大した腕だったな」
「俺様には遠く及ばねえけどな」
感心する2の隣で、1が胸を張る。それから、2は気まずそうにしているごろつき二人に視線を向けた。
「……さてと」
「ひいっ!!」
パウロとタダイが、びくりと痙攣する。今回は無関係のトマスは、二人から若干距離を置いた。地獄の底から響くような低音で、2が説教を開始する。
「お前ら、てめえの恨み言に俺たちを巻き込みやがったな」
「す、すいやせんアニキ!!」
「俺ら、街の連中に相手にされないどころかあんなガキにまでこけにされて、悔しくって……」
パウロとタダイが、しどろもどろ言い訳をする。苛立たしげに、2が手近な壁に平手を打ちつけた。派手な音に驚いて、二人は沈黙する。
「大した努力もしねえで、悔しいとかほざいてんじゃねえよ!!」
2の怒鳴り声が、路地裏に響き渡った。地獄の亡者どころか、高位の悪魔すら震え上がるほどの剣幕だ。
「あんなガキ一匹をのしたところで、お前らの境遇は改善されねえだろが!自分や仲間が惨めになるような、みっともない真似するんじゃねえ!!」
「……まあ、それくらいにしておけや。俺様、気分がいいんだからよ」
ごろつきたちに助け船を出したのは、意外にも1だった。毒気を抜かれ、2は冷静さを取り戻す。
「ったく……この街に定住するつもりなら、もう少し考えて行動しろ。あと、一応こいつにも礼言っとけ」
「へ、へい!」
2が、ごろつき達に促す。姿勢を正し、パウロとタダイは1に向かって頭を下げた。
「ありがとうございやした、シーザーのアニキ!」
「……俺にまで懐いてくるんじゃねえよ」
嫌そうに、1が二人をあしらう。2の教育のせいか、ごろつき達は妙なところで礼儀正しい。人の悪い笑みを浮かべて、2はそれを見守った。
「ま、いいじゃねえか。さて、一件落着したところで、もう帰ろうぜ」
渋い顔の1を引き連れて、2は歩き出す。
「お疲れさまっした!」
二人の背中に向かって、ごろつき三人が敬礼した。
キリヤと翼竜は、大通りに出ていた。手負いの彼の周りを、翼竜が気遣わしげに飛び回る。
「災難だったわね、キリヤ」
「ああ、まったくだ」
嘆息する翼竜に、キリヤは同意する。怪訝そうに、翼竜は彼をしげしげと見つめた。この少年は、無愛想が通常の状態なのだ。普通の受け答えをすること自体、非常に珍しい。
「……何だかご機嫌ね?」
「別に」
わずかに笑みを含んだ顔で、キリヤが言い返してくる。やっぱり変だ、と翼竜が首をかしげていると、人が近づく気配がした。
「あ、あの……!」
「?」
呼びとめられて、振り向く。声の主は、先ほど助けたシスターの少女だった。
「さ、さっきは、ありがとうございました!」
「……ああ」
ぎこちない様子で頭を下げるシスターに、キリヤはいつものクールな調子で返す。
「フォース様、この方です!さっき、助けてくださった……」
シスターが、連れの青年を見た。翼竜が、息を呑んで美貌の青年を凝視する。
「君が、勇者様か」
3は、人好きのしそうな笑顔をキリヤに向けた。その友好的な態度にかえってうさんくささを感じ、キリヤは3をにらむ。
「あんた、何だ?」
「私はフォース。この娘の友人だよ。彼女から、君のことは聞いた」
「それで、何の用だ」
キリヤが、ぶっきらぼうに問う。いつもどおりのキリヤだ、と翼竜は安堵したが、これはこれでいらぬ誤解を招くので困りものである。険悪な空気を感じ、シスターは恐縮した。
「す、すみません、私が……」
「この娘が、君のことを心配していてね。私はその付き添いだよ」
言葉を詰まらせる少女に代わり、3が説明する。キリヤは、不思議そうな顔になった。
「心配?俺の?」
「あ、あなたが、さっきの人たちに仕返しをされているんじゃないかと」
「思いっきりやられたわよね」
シスターの表情が、不安に曇る。図星を突かれて硬直するキリヤに、翼竜がそっと耳打ちした。
「あんたたちが気にすることじゃない……っ」
3とシスターに背を向けようとして、キリヤはよろめいた。驚いて、シスターが彼を気遣う。
「だ、大丈夫ですか!?」
「かすり傷だ」
体を支えようとするシスターを、キリヤが制する。そのやりとりの隙をついて、3が少年に触れた。
「……ちょっと失礼」
キリヤが何かを言う前に、3は少年の傷を浄化する。自分を苛んでいた痛みや疲労から瞬時に解放され、キリヤは目を見開いた。
「すぐに手当てを……!」
「いや、必要ない。今、必要なくなった」
シスターの申し出を、キリヤは辞退する。彼女は、連れの美青年が何をしたのか気づいていないようだが、それでも、少年の体調が目に見えて回復したことは理解したらしい。
「なら、良かったですけど……無理しないでくださいね」
胸をなで下ろすシスターから顔を背け、キリヤは疑惑の視線を3に向ける。この美青年が自分の傷を癒したことについては、疑いの余地がない。当の3は、にこにこしながら状況を見守っていた。己の能力をひけらかすつもりは、この青年にはないらしい。
彼について聞いても無駄だと悟り、キリヤは話題を変えた。傷を癒すために、今日はもう宿に泊まろうと考えていたのだが、これだけ回復したのなら当初の予定通りに動けそうだ。
「あんたら、ここの出身か?この街について知りたいんだが」
「それなら、教会にいらしてください!神官様がいらっしゃいますし、書庫には歴史資料も置いてあります」
シスターが、弾かれたように即答する。恩人の役に立てるかもしれないという思いが、彼女に力を与えていた。
「案内を頼めるか?」
「は、はい、喜んで!」
キリヤの申し出を、シスターは快諾する。こうして改めて見ると、彼は中性的な美しさを持っていた。少女のような愛らしさと、戦士の凛々しさが、絶妙なバランスで溶け込んでいる。
「良かったね」
「あ、はい」
幸福感に浸るシスターを、3が祝福する。キリヤと3、タイプは若干異なるものの魅力的な男性に囲まれて、これは夢かもしれない、と彼女は半ば本気で思った。
「じゃあ、私はここで失礼するよ。彼女のことは、君に任せたからね」
「…………はあ」
満足そうに頷いて、3はキリヤにシスターを託した。彼の生返事を聞き流し、立ち去ろうとする。
「また教会にいらしてくださいね、フォース様!」
シスターが、3に手を振って見送る。手を振り返し、3は人ごみへ姿を消した。
「……何者なんだ?一体」
キリヤは、名残惜しそうな顔のシスターに尋ねた。彼の傍らで、翼竜も似たような表情をしているが、それは無視する。
「フォース様ですか?少し前にこの街に来た方で、よく教会を訪ねてくださるんです。とっても、いい方ですよ」
「徳の高い神官か何かなのか?」
3の素性について、推測を述べてみる。祈りによって奇跡を起し、難病を癒す神官がいるという話を聞いたことがあった。
「さあ……本人、何もおっしゃらないので。どこかの国の貴族様がお忍びでいらしているんじゃないかっていうのが、私たちの予想なんですけど」
「……ふーん」
うっとりと夢見がちなことを言うシスターに、キリヤはさほど感銘を受けなかった。
そのまま、教会へ向かって歩き出す。
「この街について、何をお知りになりたいですか?私が知っていることでよろしければ、お答えしますけど」
道中、シスターが懸命に話しかけてくる。彼女にとっては、キリヤと二人っきりで話せる絶好のチャンスである。翼竜の存在は、彼女の目に入っておらず、竜がこっそりと牙を剥いているのにも、気がついていない。
「俺がこの街に来た目的はひとつだ」
「何ですか?」
シスターが、真剣な表情で身を乗り出す。すでに、教会は目の前だ。建物の屋根を見上げ、キリヤは言った。
「この街を救ったという勇者に会いたい。あんた、そいつの居場所を知らないか?」
1と2が去った後、ごろつきたちはまだ路地裏にいた。2が以前、置いて行ってくれた保存食を口にしつつ、今日の出来事を振り返る。
「シーザーさん、強かったなあ」
「あんなすげえ御方とお知り合いだなんて、やっぱアニキは格が違うぜ」
パウロとタダイが、あさっての方向を向いたままで会話する。その視線は、落ち着きなく泳いでいた。彼らの中で、複雑な思いが渦巻いている。意を決したように、トマスが口を開いた。
「……あのガキ……キリヤって、言ってたよな」
他の二人が、ごくりと唾を飲みこむ。彼らも、同じことを考えていた。
「……勇者、キリヤ……」
「ああ。あの強さだ、間違いねえ」
背中に冷たい汗が伝うのを、三人は感じていた。過去の、忌まわしい思い出がよみがえる。
「あんなガキだったとは思わなかった……」
「でも、幸運だったぜ。あいつも、俺たちのこと知らねえみてえだし」
「知ってるわけねえだろ?俺らみたいな、下っ端なんか」
トマスの自嘲に、二人もぎこちない笑みを見せる。無言で、三人は干し肉を噛みちぎった。
「なあ、キリヤが生きてるってことは……あいつ、どうなったんだろうな?」
思い出したように、パウロが言う。トマスとタダイは、顔を引きつらせた。タダイが言わんとする人物に、彼らも心当たりがあるらしい。
「バカ、そんなの殺られちまってるに決まってるだろうが」
「でも、あいつ、かなりしぶといし……」
トマスの言葉にパウロが反論しようとした時、
「おやおや、ずいぶんな言いようだね」
ヒールの音が響き、通路の陰から女が姿を現した。派手な化粧をした、露出度の高い衣装をまとう妖女だが、その動作に隙がない。
「サロメア……!」
目を白黒させて、パウロが女の名を呼ぶ。彼らがついさっきまで話題にしていたのは、彼女のことだった。
「久しぶりだってのに、相変わらずシケた面してるねえ」
警戒する男たちに、サロメアが歩み寄る。逃げ出したい衝動に駆られつつ、トマスが答えた。
「お前がいるってことは……やっぱり、あいつが例のキリヤなんだな!?」
「そうだよ。あいつが、あんたらのボスで、あたしの愛しいひとの仇さ」
サロメアが、蠱惑的な笑みを浮かべる。その目は、笑っていなかった。
「お前……まだ、あいつを追って……」
「当たり前だろ」
笑みを消し、サロメアは即答した。うなだれて、トマスは首を振る。
「やめとけよ。あのガキ、しゃれにならないほど強いじゃねえか」
「そうかい?そのわりにはさっき、ぼろ負けだったじゃないか」
サロメアの言葉に、男たちはどよめいた。どうやら、どこからか見ていたらしい。ふところから取り出した金貨を指で弾きつつ、サロメアは彼らに流し目を送った。
「あの赤いコートの男について、教えておくれ。もちろん、タダじゃないよ」
「ふざけるな!そんな、チクるような真似できるかよ!」
「バカだねえ。あの男の情報なんざ、街の連中に聞けばすぐわかるだろ。そこを、あえて同郷のよしみであんたたちに金を払って聞いてやろうって言ってるんじゃないか」
感謝してほしいもんだ、とサロメアは肩をすくめた。三人は、顔を見合わせる。彼らのふところが困窮しているのは事実だ。このままだと、明日以降、食事にありつけるかどうかもあやしい。
もらえる金ならば、もらっておいた方がいい。罪悪感を感じつつも、彼らは女の誘惑に屈したのだった。
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