L-Triangle!4-3
- 2014/05/26
- 20:41
夕焼けが街を赤く染め始めた頃、屋敷に戻ってきた1と2は、玄関先で3にばったりと出くわした。
「やあ。おかえり」
にっこり笑って、3が言う。くすぐったいような、居心地の悪さを感じて1は顔をしかめた。
「ここは俺らの家じゃねえだろ」
「どうでもいいじゃねえか、そんなこと」
1と似た感想を持ったもののあえて彼に同意せず、2は玄関の扉を開けた。広間へ移動し、各々が定位置につく。1が露店で買ってきた品物に目をつけていた2が、彼の許可を得ずに紙袋を漁り出した。当然、1は阻止しようとするが、それをかいくぐって2が品物をテーブルに並べていく。
「何か面白いことはあった?」
1と2の子どもっぽい攻防を観戦つつ、3が問う。
「おう。こいつ、妙な奴らとつるんでいやがった」
2の頭に拳を押し当てながら、1は答えた。
「カインが?友だちができたのかい?」
「友だちじゃねえ、舎弟だ。つい最近、この街に来たやつらだよ」
1から奪い取った果実をかじりつつ、2が説明する。その隣で、戦利品を彼から防衛することをあきらめた1が、ため息をついていた。
「……もしかして、シスターたちが言っていた、よそから来た怖いひとって……」
「あー、たぶん、それ。やつらが空腹で死にかけてたのを助けてやったら、懐かれちまってな」
おずおずと尋ねる3に、あっさりと2は頷いた。あのごろつき三人組が街の人々から煙たがられているのを、彼は十分承知している。3は、胸をなで下ろした。
「そっか。カインの知り合いなら、本当は悪いひとじゃないんだね」
「大したことねえよ、あんなの」
2が手をつけていない果実を3に向かって放り、1が鼻で笑う。あの程度の小悪党ならば、この平和ボケしたナンナルでも脅威のうちには入らない、というのが彼の見立てだった。
砂糖をたっぷりまぶした揚げドーナツに噛みつきながら、2は1をにらみつける。
「言ってろ。俺の指導のもと、りっぱな大悪党に成長させる予定なんだからな」
「え!?大悪党って……」
「この世界で仕事をするのも、悪くないと思ってな」
指についた砂糖を舐めつつ、2が凶悪な笑みを浮かべる。彼の仕事は、人間を悪へと誘惑し、地獄へ堕とすことである。3の当惑を気にも留めずに、2はドーナツをたいらげた。
「ここなら、天使どもの邪魔も入りにくい。穴場ってやつだ」
「……たとえば、どんなことをさせるつもり?」
2に冷茶を手渡しつつ、3が怪訝そうな顔をする。2が喉の渇きを潤している間に、1が彼に代わって具体例を提示しだした。
「大悪党っつったら、大金を盗むとか、人を殺しまくるとか……」
「バカ。いきなりそんな物騒なことしたら、目立つだろうが」
グラスから口を離し、2が首を振る。彼が大きな力を使役すれば、彼の世界の天使たちも黙っていないだろう。
「じゃあ、一体何を……」
「それは、成功してのお楽しみだ」
含みのある言い方をする2を見て、3は不安になった。表情を曇らせる彼を安心させるように、2が笑いかける。
「心配すんなって。この街には迷惑かけねえからよ」
「それなら、まあいい、のかなあ……?」
自信なさそうに、3は逡巡する。2のことを信頼していないわけではないのだが、何かがおかしい。だが、現時点で3は違和感の正体に気づけなかった。
「ま、何をするのか知らねえが、この世界を手に入れるのは俺様だからな。そこのところ、覚えとけよ」
炒り豆を頬張りつつ、1が釘を刺す。まだ世界征服を諦めていないらしい。半ばあきれつつ、2は1の横から炒り豆の袋に手を突っ込んだ。
「世界なんかいらねえよ。俺が欲しいのは……」
「ああ?」
「……やっぱやめた」
意味ありげに返して、2は炒り豆を口に放り込む。味が気に入ったのか、更に豆を横取りしようとしたところ、1に手を引っぱたかれた。
「さっきから何だよ、男ならはっきりしやがれ」
苛々しながら、1が2に詰め寄る。空気が少々、険悪なものになったのに気づき、3はあわてて話題を変えた。
「あ、そうだ。知ってる?今、この街に勇者が来てるんだって」
「知ってるも何も……戦って、ぶっ飛ばした」
緑色の乾燥キノコが大量に入った袋を開けつつ、1が答える。3が言っているのはキリヤのことだと、容易に推測できた。
「ええ!?」
「安心しろよ。誤解は解けたから」
驚きの声を上げる3に、2がすかさずフォローの言葉を付け加える。
「あの子に怪我させたの……ひょっとして、君たち?」
呆れたように、3が1と2を交互に見比べる。シスターが話していた怖い人たちとは二人のことか、という疑念が頭をかすめたが、2の舎弟のことを思い出し、おそらくはそちらが正解なのだろうと結論づける。1の手の中にあるキノコの袋を珍しそうに眺めていた2が、3に視線を向けた。
「何だ。お前もキリヤに会ったのか」
「あの年にしては、大した使い手だったぜ。あれは、今後も伸びるな」
キノコをひとつ口に放り込み、噛み砕きながら1がキリヤを評価する。意外そうに、3が目を見開いた。
「シーザーがそこまで褒めるのは珍しいね。その子のこと、気に入ったの?」
「そんなんじゃねえよ」
物欲しそうな2にキノコを与えつつ、1が否定する。キリヤに悪くない感情を抱いているのは確かだが、他人に指摘されると癪に障る。
キリヤと出会った時の状況をもう少し詳しく聞こうと思った3だったが、2が発した奇声によってそれを中断させられた。顔を真っ赤にしながら、2が涙目で咳き込む。どうやら、キノコの正体は激辛香辛料だったらしい。あわてて、3は冷茶のおかわりを2に差し出した。その一連のやり取りを、1はにやにやしながら楽しんでいた。
それから、しばし雑談したのち、2と3は元の世界へ帰って行った。酒場の件についても話したのだが、どうやら二人とも予定があるらしい。結局、1は一人で飲むことにした。夜の酒場は、仕事帰りの男たちで活気にあふれている。
「……あー、やっぱ、この世界の食い物はうめえわ」
店主自慢の魚料理を豪快に平らげ、1は満足げに息をつく。常にそこかしこで抗争が勃発している1の世界では、飲み食いできるだけでも幸せと言える。自分のような高位の者でさえ、この世界のように質の高い料理を口にすることは難しい。美食は、平和の産物である。
何本目かの酒に手を伸ばした時、テーブルの向こうに誰かが立つ気配がした。顔を上げると、先刻別れたばかりの人物が、自分を覗き込んでいる。
「……お前……!」
「奇遇だな。良かったら、一緒に飲もうぜ」
向かいの席に腰掛けつつ、キリヤが人懐っこい笑みを浮かべる。お供の竜は、今は別行動のようだ。
「この街は、平和だな。たまには、こういうのもいい」
1に酌をしつつ、キリヤが目を細める。確かに、ナンナルの街は1の世界に比べると信じられないほど無防備だ。それは、ここ以外の街と比べてもそうなのだろうか。
「お前、よそから来たんだろ?」
「ああ。各地を旅して回ってる」
「ふーん……ここには、旅の途中で立ち寄っただけってとこか」
キリヤがこの街に来た理由を、1は推測する。平和だけが取り柄のナンナルには、この少年の興味を惹くものがあるとは思えなかった。しかし、無難な予想は、外れるものである。
「いや、目的があって来たんだ」
「目的?」
キリヤが追加注文した手羽先肉を勝手にもらいつつ、1が話半分に問いかける。酒杯を置き、キリヤは姿勢を正した。熱がこもった視線に気づき、1は訝しげに少年を見返す。
「シーザー……あんたに会うためさ」
「は?」
呆けたように、1は動きを止める。この少年と自分の接点に、まったく心当たりがない。1の反応で説明が必要だと悟ったのか、キリヤが苦笑した。
「魔四天王って言葉に、聞き覚えはあるか?」
「……あー、まあな」
曖昧な返答をしつつ、1は記憶を掘り起こす。そんな連中がいたのは、確かに知っているし、自分たちが関わったのも事実。だが、キリヤの姿を見た覚えはなかった。
「ちょっと前まで、猛威を振るっていた連中だ。それが、ある時を境にぱったりとおとなしくなっちまった。
何でも、この街に大軍を率いて進行したが、街を守る勇者に撃退されて失敗に終わったらしい。そんな話を聞いてな」
キリヤの話を、1は黙って聞いている。少年の、憧れの存在を前にしたようなきらきらした目が、なぜか気になった。
「それで、俺はその勇者に会いに来たんだ。同じ勇者として、どっちが強いかを知るために」
キリヤが、楽しそうに笑う。ここまで聞いて、ようやく1は得心がいった。うすうす気づいていたが、キリヤは、自分と同様に異世界から召喚された存在なのだ。
ただし、魔王を倒す、勇者として。
「あんたなんだろ?その勇者ってのは」
「いや、悪ぃけど、それ俺じゃねえよ」
身を乗り出すキリヤに、1は片手を振って否定する。ナンナルに進撃した魔物の大軍を撃退したのは、彼ではなく2だ。しかし、1の言葉をキリヤはそのままの意味で受け取ってはくれなかった。
「謙遜するなって。俺、あんたのこと見たんだ」
「へ?どこでだ」
キリヤの勘違いを訂正しようとした1は、その件をとりあえず脇に置いておくことにした。誤解を解いても2は特に喜ばないだろうし、正直な話、キリヤがどういういきさつで1を勇者だと断定したかの方が気になる。
「魔四天王の一人・ゲメーティスが拠点としていた塔で。俺もあいつを倒すために、あそこに向かっていたんだ」
「……あー……それは確かに俺様だわ」
色々と記憶が繋がり、1はうんざりしつつもキリヤの言葉を肯定した。今日の昼の、商人との会話の際に感じた違和感の正体は、これだったのだ。商人が言っていた勇者様というのは、彼自身のことだったのである。
そんな1の胸中を知るよしもなく、キリヤが言葉を続ける。
「いや、傑作だったぜ?あの難解な仕掛けの塔を、爆砕しちまうんだものな。俺もあれには悩まされたから、正直、すっげーすっきりした」
「お前……いつから見てたんだよ」
明らかに笑いをこらえているキリヤに、1はジト目で問う。1本人はゲメーティスに散々バカにされたあげくのヤケ状態での行動だったわけだが、傍から見る分にはさぞや爽快だったことだろう。
「俺が見たのは塔が爆発したところだけだ。あと、あんたが飛び去って行く後姿だけ。でも、俺は確信したね。あの男は、強いって」
「期待通りだったろ?」
「ああ。それ以上だよ」
グラスを差し出す1に、キリヤはにやりと笑って倣う。二つのグラスが、澄んだ音を立てて触れ合った。
すっかり打ち解けた1とキリヤは、和やかな雰囲気で杯を重ねていった。
「勇者ってことは、お前も別の世界から来たのか?」
「うん。突然召喚されて、気がついたらここにいたんだ。驚いたな」
頷いて、キリヤがもう何杯目かのグラスを空にする。1の方が先に飲んでいたとはいえ、あれからかなりの時間が経過している。思わぬ酒豪の登場に、人は見かけによらねえな、と1は思った。
「その時からあれだけ戦えたのか?」
「全然。俺の世界には魔王も魔物もいなくて、平和そのものって感じの世界だった。戦争とかもあるけど、俺がいた国では関係なかったしな」
どこか遠くを見るように、キリヤが述懐する。彼が一体いつからこの世界にいるのかも気になるが、1としてはこの少年がいかにして強くなったか、という方に関心があった。
「ということは、ここで鍛えたってわけか」
「そうだよ。元々、体を動かすのは好きだったし、こういう生活に憧れてたから、今の方が断然楽しいよ」
「そりゃ良かったな」
活き活きとした様子のキリヤに、1は柄にもなく微笑ましい気分で相槌を打つ。短期間でここまで腕を上げたこの少年からは将来性を感じるし、何より、まっすぐに強さを求める姿勢が好ましい。
「あんたは?あんたはどうなんだ?召喚される前から強かったのか?」
「まあな。俺様のところは力が全てだからな、強くなけりゃ何もできねえ」
自分の世界の荒廃した赤い空を思い起こしつつ、1は告げる。この世界のような平穏は望めないが、それでも彼は自身の生まれ育った世界を誇らしく思っていた。
そんな1の想いが通じたのか、キリヤが無邪気に目を輝かせる。
「あんたの世界も楽しそうだな」
「ああ、楽しいぜ。お前も来てみるか?」
何の気なしに、1はキリヤを誘う。この少年ならば、1の世界でもたくましく生き抜いていくことだろう。しばし逡巡したのち、キリヤは少しだけ申し訳なさそうな顔をした。
「そうだなあ……今は遠慮しとくよ。この世界が気に入ってるんだ」
「いきなり召喚されたってのにか」
「元の世界に、俺の居場所はなかったから」
キリヤの一言に、1は沈黙する。それを詳細説明の要求と受け取り、キリヤは先ほどと同じような遠い目をして話し始めた。
「俺さ、親がいないんだ。施設で育ったんだけど、そこが酷いところで、脱走して……
でも、身寄りのないガキが独りで生きていけるわけがないだろ?だから生きていくために色々やって、でも行き詰って……これはやばいなってところで、気がついたらこの世界にいたんだ」
1は、黙って聞いている。さすがに酔いが回って来たか、キリヤの頬にも赤みが差していた。
「最初はびっくりしたぜ?俺を見つけたやつが、勇者様だなんて騒ぎ立ててさ。あんなに期待の視線を向けられて、優しくされたのは初めてだった」
キリヤに酌をしようとして、1はやめた。彼は、もう十分に酔っている。ならば、その小さい身体に抱えているものを全て吐き出させてやった方がいいだろうと思えた。
「それで、調子に乗って人助けなんかして、魔物を倒したりしているうちに何とか恰好がついてきて……いつの間にか、俺より強いやつはほとんどいなくなってた」
キリヤの回想は、まだ続いている。波乱万丈の人生だな、と1は胸中で感想を述べた。彼とて他人のことは言えない生き方をしているが、この少年が生きてきた長さは、1の十分の一にも満たないのだ。
「だから俺、強いやつを求めて旅をしているんだ。魔王なんて名乗ってるやつらも何体か倒したけど、何だか満たされなかった」
俯いていたキリヤが、顔を上げた。またあの目だ、と1は思う。この少年は、先ほどからやたらと1に憧憬の眼差しを向けてくる。その理由が、今は何となくわかる気がした。
「シーザー。俺、あんたに会えてうれしいよ。あんたは強い。あんたは、俺に目標を与えてくれた。必ず、あんたを超えてみせる」
「へっ……そう簡単に超えられてたまるかよ」
力強く宣言するキリヤに、1も不敵に笑って応じる。酔っ払いの戯言、の一言では片づけられないほどに、少年の瞳は真剣だった。しばし無言で見つめ合っていると、キリヤの表情がとろんとしたものに変わった。本当に、限界が来たらしい。
「おい、大丈夫か?送ってやるから、宿の名前と部屋番号、教えろ」
飲ませすぎたか、と後悔するも、時すでに遅し。強がる気力もないのか、キリヤは意外にもあっさりと1の申し出を受けた。少年を背負い、その軽さに驚いている1の耳に、キリヤが囁いてくる。
「本当に、あんたは、強いよ……。あんたなら、あいつを止められるかもしれない……」
「……あいつって誰だ?」
気になって尋ねるものの、返ってくるのは寝息のみ。ため息をついて、1は店主に見送られながら酒場を後にした。
「やあ。おかえり」
にっこり笑って、3が言う。くすぐったいような、居心地の悪さを感じて1は顔をしかめた。
「ここは俺らの家じゃねえだろ」
「どうでもいいじゃねえか、そんなこと」
1と似た感想を持ったもののあえて彼に同意せず、2は玄関の扉を開けた。広間へ移動し、各々が定位置につく。1が露店で買ってきた品物に目をつけていた2が、彼の許可を得ずに紙袋を漁り出した。当然、1は阻止しようとするが、それをかいくぐって2が品物をテーブルに並べていく。
「何か面白いことはあった?」
1と2の子どもっぽい攻防を観戦つつ、3が問う。
「おう。こいつ、妙な奴らとつるんでいやがった」
2の頭に拳を押し当てながら、1は答えた。
「カインが?友だちができたのかい?」
「友だちじゃねえ、舎弟だ。つい最近、この街に来たやつらだよ」
1から奪い取った果実をかじりつつ、2が説明する。その隣で、戦利品を彼から防衛することをあきらめた1が、ため息をついていた。
「……もしかして、シスターたちが言っていた、よそから来た怖いひとって……」
「あー、たぶん、それ。やつらが空腹で死にかけてたのを助けてやったら、懐かれちまってな」
おずおずと尋ねる3に、あっさりと2は頷いた。あのごろつき三人組が街の人々から煙たがられているのを、彼は十分承知している。3は、胸をなで下ろした。
「そっか。カインの知り合いなら、本当は悪いひとじゃないんだね」
「大したことねえよ、あんなの」
2が手をつけていない果実を3に向かって放り、1が鼻で笑う。あの程度の小悪党ならば、この平和ボケしたナンナルでも脅威のうちには入らない、というのが彼の見立てだった。
砂糖をたっぷりまぶした揚げドーナツに噛みつきながら、2は1をにらみつける。
「言ってろ。俺の指導のもと、りっぱな大悪党に成長させる予定なんだからな」
「え!?大悪党って……」
「この世界で仕事をするのも、悪くないと思ってな」
指についた砂糖を舐めつつ、2が凶悪な笑みを浮かべる。彼の仕事は、人間を悪へと誘惑し、地獄へ堕とすことである。3の当惑を気にも留めずに、2はドーナツをたいらげた。
「ここなら、天使どもの邪魔も入りにくい。穴場ってやつだ」
「……たとえば、どんなことをさせるつもり?」
2に冷茶を手渡しつつ、3が怪訝そうな顔をする。2が喉の渇きを潤している間に、1が彼に代わって具体例を提示しだした。
「大悪党っつったら、大金を盗むとか、人を殺しまくるとか……」
「バカ。いきなりそんな物騒なことしたら、目立つだろうが」
グラスから口を離し、2が首を振る。彼が大きな力を使役すれば、彼の世界の天使たちも黙っていないだろう。
「じゃあ、一体何を……」
「それは、成功してのお楽しみだ」
含みのある言い方をする2を見て、3は不安になった。表情を曇らせる彼を安心させるように、2が笑いかける。
「心配すんなって。この街には迷惑かけねえからよ」
「それなら、まあいい、のかなあ……?」
自信なさそうに、3は逡巡する。2のことを信頼していないわけではないのだが、何かがおかしい。だが、現時点で3は違和感の正体に気づけなかった。
「ま、何をするのか知らねえが、この世界を手に入れるのは俺様だからな。そこのところ、覚えとけよ」
炒り豆を頬張りつつ、1が釘を刺す。まだ世界征服を諦めていないらしい。半ばあきれつつ、2は1の横から炒り豆の袋に手を突っ込んだ。
「世界なんかいらねえよ。俺が欲しいのは……」
「ああ?」
「……やっぱやめた」
意味ありげに返して、2は炒り豆を口に放り込む。味が気に入ったのか、更に豆を横取りしようとしたところ、1に手を引っぱたかれた。
「さっきから何だよ、男ならはっきりしやがれ」
苛々しながら、1が2に詰め寄る。空気が少々、険悪なものになったのに気づき、3はあわてて話題を変えた。
「あ、そうだ。知ってる?今、この街に勇者が来てるんだって」
「知ってるも何も……戦って、ぶっ飛ばした」
緑色の乾燥キノコが大量に入った袋を開けつつ、1が答える。3が言っているのはキリヤのことだと、容易に推測できた。
「ええ!?」
「安心しろよ。誤解は解けたから」
驚きの声を上げる3に、2がすかさずフォローの言葉を付け加える。
「あの子に怪我させたの……ひょっとして、君たち?」
呆れたように、3が1と2を交互に見比べる。シスターが話していた怖い人たちとは二人のことか、という疑念が頭をかすめたが、2の舎弟のことを思い出し、おそらくはそちらが正解なのだろうと結論づける。1の手の中にあるキノコの袋を珍しそうに眺めていた2が、3に視線を向けた。
「何だ。お前もキリヤに会ったのか」
「あの年にしては、大した使い手だったぜ。あれは、今後も伸びるな」
キノコをひとつ口に放り込み、噛み砕きながら1がキリヤを評価する。意外そうに、3が目を見開いた。
「シーザーがそこまで褒めるのは珍しいね。その子のこと、気に入ったの?」
「そんなんじゃねえよ」
物欲しそうな2にキノコを与えつつ、1が否定する。キリヤに悪くない感情を抱いているのは確かだが、他人に指摘されると癪に障る。
キリヤと出会った時の状況をもう少し詳しく聞こうと思った3だったが、2が発した奇声によってそれを中断させられた。顔を真っ赤にしながら、2が涙目で咳き込む。どうやら、キノコの正体は激辛香辛料だったらしい。あわてて、3は冷茶のおかわりを2に差し出した。その一連のやり取りを、1はにやにやしながら楽しんでいた。
それから、しばし雑談したのち、2と3は元の世界へ帰って行った。酒場の件についても話したのだが、どうやら二人とも予定があるらしい。結局、1は一人で飲むことにした。夜の酒場は、仕事帰りの男たちで活気にあふれている。
「……あー、やっぱ、この世界の食い物はうめえわ」
店主自慢の魚料理を豪快に平らげ、1は満足げに息をつく。常にそこかしこで抗争が勃発している1の世界では、飲み食いできるだけでも幸せと言える。自分のような高位の者でさえ、この世界のように質の高い料理を口にすることは難しい。美食は、平和の産物である。
何本目かの酒に手を伸ばした時、テーブルの向こうに誰かが立つ気配がした。顔を上げると、先刻別れたばかりの人物が、自分を覗き込んでいる。
「……お前……!」
「奇遇だな。良かったら、一緒に飲もうぜ」
向かいの席に腰掛けつつ、キリヤが人懐っこい笑みを浮かべる。お供の竜は、今は別行動のようだ。
「この街は、平和だな。たまには、こういうのもいい」
1に酌をしつつ、キリヤが目を細める。確かに、ナンナルの街は1の世界に比べると信じられないほど無防備だ。それは、ここ以外の街と比べてもそうなのだろうか。
「お前、よそから来たんだろ?」
「ああ。各地を旅して回ってる」
「ふーん……ここには、旅の途中で立ち寄っただけってとこか」
キリヤがこの街に来た理由を、1は推測する。平和だけが取り柄のナンナルには、この少年の興味を惹くものがあるとは思えなかった。しかし、無難な予想は、外れるものである。
「いや、目的があって来たんだ」
「目的?」
キリヤが追加注文した手羽先肉を勝手にもらいつつ、1が話半分に問いかける。酒杯を置き、キリヤは姿勢を正した。熱がこもった視線に気づき、1は訝しげに少年を見返す。
「シーザー……あんたに会うためさ」
「は?」
呆けたように、1は動きを止める。この少年と自分の接点に、まったく心当たりがない。1の反応で説明が必要だと悟ったのか、キリヤが苦笑した。
「魔四天王って言葉に、聞き覚えはあるか?」
「……あー、まあな」
曖昧な返答をしつつ、1は記憶を掘り起こす。そんな連中がいたのは、確かに知っているし、自分たちが関わったのも事実。だが、キリヤの姿を見た覚えはなかった。
「ちょっと前まで、猛威を振るっていた連中だ。それが、ある時を境にぱったりとおとなしくなっちまった。
何でも、この街に大軍を率いて進行したが、街を守る勇者に撃退されて失敗に終わったらしい。そんな話を聞いてな」
キリヤの話を、1は黙って聞いている。少年の、憧れの存在を前にしたようなきらきらした目が、なぜか気になった。
「それで、俺はその勇者に会いに来たんだ。同じ勇者として、どっちが強いかを知るために」
キリヤが、楽しそうに笑う。ここまで聞いて、ようやく1は得心がいった。うすうす気づいていたが、キリヤは、自分と同様に異世界から召喚された存在なのだ。
ただし、魔王を倒す、勇者として。
「あんたなんだろ?その勇者ってのは」
「いや、悪ぃけど、それ俺じゃねえよ」
身を乗り出すキリヤに、1は片手を振って否定する。ナンナルに進撃した魔物の大軍を撃退したのは、彼ではなく2だ。しかし、1の言葉をキリヤはそのままの意味で受け取ってはくれなかった。
「謙遜するなって。俺、あんたのこと見たんだ」
「へ?どこでだ」
キリヤの勘違いを訂正しようとした1は、その件をとりあえず脇に置いておくことにした。誤解を解いても2は特に喜ばないだろうし、正直な話、キリヤがどういういきさつで1を勇者だと断定したかの方が気になる。
「魔四天王の一人・ゲメーティスが拠点としていた塔で。俺もあいつを倒すために、あそこに向かっていたんだ」
「……あー……それは確かに俺様だわ」
色々と記憶が繋がり、1はうんざりしつつもキリヤの言葉を肯定した。今日の昼の、商人との会話の際に感じた違和感の正体は、これだったのだ。商人が言っていた勇者様というのは、彼自身のことだったのである。
そんな1の胸中を知るよしもなく、キリヤが言葉を続ける。
「いや、傑作だったぜ?あの難解な仕掛けの塔を、爆砕しちまうんだものな。俺もあれには悩まされたから、正直、すっげーすっきりした」
「お前……いつから見てたんだよ」
明らかに笑いをこらえているキリヤに、1はジト目で問う。1本人はゲメーティスに散々バカにされたあげくのヤケ状態での行動だったわけだが、傍から見る分にはさぞや爽快だったことだろう。
「俺が見たのは塔が爆発したところだけだ。あと、あんたが飛び去って行く後姿だけ。でも、俺は確信したね。あの男は、強いって」
「期待通りだったろ?」
「ああ。それ以上だよ」
グラスを差し出す1に、キリヤはにやりと笑って倣う。二つのグラスが、澄んだ音を立てて触れ合った。
すっかり打ち解けた1とキリヤは、和やかな雰囲気で杯を重ねていった。
「勇者ってことは、お前も別の世界から来たのか?」
「うん。突然召喚されて、気がついたらここにいたんだ。驚いたな」
頷いて、キリヤがもう何杯目かのグラスを空にする。1の方が先に飲んでいたとはいえ、あれからかなりの時間が経過している。思わぬ酒豪の登場に、人は見かけによらねえな、と1は思った。
「その時からあれだけ戦えたのか?」
「全然。俺の世界には魔王も魔物もいなくて、平和そのものって感じの世界だった。戦争とかもあるけど、俺がいた国では関係なかったしな」
どこか遠くを見るように、キリヤが述懐する。彼が一体いつからこの世界にいるのかも気になるが、1としてはこの少年がいかにして強くなったか、という方に関心があった。
「ということは、ここで鍛えたってわけか」
「そうだよ。元々、体を動かすのは好きだったし、こういう生活に憧れてたから、今の方が断然楽しいよ」
「そりゃ良かったな」
活き活きとした様子のキリヤに、1は柄にもなく微笑ましい気分で相槌を打つ。短期間でここまで腕を上げたこの少年からは将来性を感じるし、何より、まっすぐに強さを求める姿勢が好ましい。
「あんたは?あんたはどうなんだ?召喚される前から強かったのか?」
「まあな。俺様のところは力が全てだからな、強くなけりゃ何もできねえ」
自分の世界の荒廃した赤い空を思い起こしつつ、1は告げる。この世界のような平穏は望めないが、それでも彼は自身の生まれ育った世界を誇らしく思っていた。
そんな1の想いが通じたのか、キリヤが無邪気に目を輝かせる。
「あんたの世界も楽しそうだな」
「ああ、楽しいぜ。お前も来てみるか?」
何の気なしに、1はキリヤを誘う。この少年ならば、1の世界でもたくましく生き抜いていくことだろう。しばし逡巡したのち、キリヤは少しだけ申し訳なさそうな顔をした。
「そうだなあ……今は遠慮しとくよ。この世界が気に入ってるんだ」
「いきなり召喚されたってのにか」
「元の世界に、俺の居場所はなかったから」
キリヤの一言に、1は沈黙する。それを詳細説明の要求と受け取り、キリヤは先ほどと同じような遠い目をして話し始めた。
「俺さ、親がいないんだ。施設で育ったんだけど、そこが酷いところで、脱走して……
でも、身寄りのないガキが独りで生きていけるわけがないだろ?だから生きていくために色々やって、でも行き詰って……これはやばいなってところで、気がついたらこの世界にいたんだ」
1は、黙って聞いている。さすがに酔いが回って来たか、キリヤの頬にも赤みが差していた。
「最初はびっくりしたぜ?俺を見つけたやつが、勇者様だなんて騒ぎ立ててさ。あんなに期待の視線を向けられて、優しくされたのは初めてだった」
キリヤに酌をしようとして、1はやめた。彼は、もう十分に酔っている。ならば、その小さい身体に抱えているものを全て吐き出させてやった方がいいだろうと思えた。
「それで、調子に乗って人助けなんかして、魔物を倒したりしているうちに何とか恰好がついてきて……いつの間にか、俺より強いやつはほとんどいなくなってた」
キリヤの回想は、まだ続いている。波乱万丈の人生だな、と1は胸中で感想を述べた。彼とて他人のことは言えない生き方をしているが、この少年が生きてきた長さは、1の十分の一にも満たないのだ。
「だから俺、強いやつを求めて旅をしているんだ。魔王なんて名乗ってるやつらも何体か倒したけど、何だか満たされなかった」
俯いていたキリヤが、顔を上げた。またあの目だ、と1は思う。この少年は、先ほどからやたらと1に憧憬の眼差しを向けてくる。その理由が、今は何となくわかる気がした。
「シーザー。俺、あんたに会えてうれしいよ。あんたは強い。あんたは、俺に目標を与えてくれた。必ず、あんたを超えてみせる」
「へっ……そう簡単に超えられてたまるかよ」
力強く宣言するキリヤに、1も不敵に笑って応じる。酔っ払いの戯言、の一言では片づけられないほどに、少年の瞳は真剣だった。しばし無言で見つめ合っていると、キリヤの表情がとろんとしたものに変わった。本当に、限界が来たらしい。
「おい、大丈夫か?送ってやるから、宿の名前と部屋番号、教えろ」
飲ませすぎたか、と後悔するも、時すでに遅し。強がる気力もないのか、キリヤは意外にもあっさりと1の申し出を受けた。少年を背負い、その軽さに驚いている1の耳に、キリヤが囁いてくる。
「本当に、あんたは、強いよ……。あんたなら、あいつを止められるかもしれない……」
「……あいつって誰だ?」
気になって尋ねるものの、返ってくるのは寝息のみ。ため息をついて、1は店主に見送られながら酒場を後にした。
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- テーマ:自作小説(ファンタジー)
- ジャンル:小説・文学
- カテゴリ:L-Triangle!4
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