L-Triangle!4-5
- 2014/05/30
- 20:48
教会では、ちょうど早朝のミサが終わったところだった。神や天界が存在しないので、色々と曖昧なところがあるこの世界の宗教だが、形式的なものは一応あるらしい。
3は、礼拝堂にいた顔見知りの神官に声をかけた。初老の神官は、3のいつになくあらたまった様子を察し、彼を相談室へと案内する。
「お忙しいところ、すみません」
木製の椅子に腰かけ、3は頭を下げた。向かいに座り、神官はゆったりと首を振る。
「いえいえ。何でも相談に乗りますよ」
穏やかに微笑み、神官は3の話に耳を傾けた。言葉を選びつつ、3は神官に2の舎弟たちのことを話す。さすがに街の中心部である教会にいるだけあって、神官はごろつき三人組のことを知っていた。
「彼らのことは、私も聞いています。それこそ、彼らに対する不安や苦情が最近、よく人々から寄せられましてな」
「……やっぱり……」
神官の言葉に、3は表情を曇らせる。やはり、彼らはナンナルの人々に受け入れられていないのだ。のどかな田舎街のナンナルでも、閉鎖的なところはあるし、ごろつき達も仲間内で固まってしまって、交流の幅を広げようとしていない。
「私自身は、彼らに救いの手を差し伸べたいと考えています。ただ―――」
「何か、問題がありますか」
いくつかの推測を想定しつつ、3は問いかける。神官は、困ったように眉を寄せた。
「教会内にも、彼らの受け入れを反対する者がいましてな。彼らが、教会で悪事を働くのではないかと」
探るような視線が、3に向けられる。3は、ごろつき達の悪評をはっきりと否定することができなかった。3自身はごろつき達と直接話をしたことがないので、無責任に彼らをフォローすることができない。不用意に事を進めれば、今度は教会に迷惑がかかるかもしれないのだ。
順番を間違えたかな、と3が後悔し始めたとき、神官が彼を安心させるように言った。
「やはり、こういうことは自分の目で確かめないといけませんな。近日中に、私が彼らと話をしてみることにします」
「神官様が……ですか?」
「ええ」
神官が、茶を飲みながら頷く。3は、この穏健な老神官がごろつき三人組を説き伏せることができるのかと少しだけ心配になった。
「あの、よろしければ、私が代わりに……」
「……フォースさん」
3の申し出を、神官は最後まで聞かずに遮った。そこに強い意志を感じ、3は口を閉ざす。
「この件は、教会と彼らの問題です。お気持ちはありがたいですが、我々を信じていただけませんかな?」
「あ、いえ、決して、神官様を信頼していないわけでは……」
おろおろしながら、3は弁解する。自分は、彼ら人間よりも遥かに高位の存在だ。それを鼻にかけて、いらぬお節介を焼いてしまっていたのだと、内心、反省する。
3は、後は流れに任せることにした。ごろつき達が教会の申し出を断ったとしても、それはそれで仕方がない。
相手を心から納得させなければ、真の更生とは言えない。それは、地獄での彼の仕事に通じるものがあった。
「彼らのことを、よろしくお願いします」
3は、神官に向かって一礼した。人間には、多くのことを教えられる。だからこそ、彼らと関わるのはやめられないのだと3は思った。
用件を終えて、3は教会を出た。結果がどうなるかはわからないが、良い方向に話が進めばいい。そんなことを考えつつ、大通りを歩く。上機嫌な彼は、いつもよりも油断していたのだろう。物陰から勢いよく引っ張られたとき、抵抗するのが一瞬遅れた。
「え……!?」
驚き、状況を把握する前に、狭い路地に引き込まれ、石畳に押し倒される。胸元を、圧迫感が襲った。派手な外見の女が、3の胸部に片膝を乗せ、体重をかけている。
「動くな。喉が裂けるよ」
脅しとともに、喉元にナイフの刃が当てられる。その声から、3は彼女が今朝、1と話し込んでいた女だと気づいた。
「君は……?」
確か、サロメアという名だったかな、と思い出しつつ、3はとりあえず、無難な質問をする。
「とぼけるな。あんた、あたしと赤コートのやりとりを盗み聞きしてただろ」
「ああ……君も、気づいてたんだ……」
「見くびるんじゃないよ。これでも、あたしは暗殺者なんだ」
憤然として、サロメアが3を見下す。キリヤに負かされっぱなしだとは言え、彼女は長年、腕利きの暗殺者として名をとどろかせていた。あんな素人丸出しの盗聴に気づけないほど間抜けだと思われるのは、かなりの屈辱だ。
「それで、私に何の用?デートのお誘いなら、嬉しいんだけどな」
「半分正解だね。あいつをその気にさせるために、協力してほしいのさ」
「協力、って……」
ふいに、サロメアが3の黒髪を引っ張った。苦痛に眉を寄せる彼に、顔を近づけて囁く。
「仲間を人質にとられりゃ、赤コートもあたしの頼みを聞いてくれるんじゃないかと思ってね」
至近距離で凄まれて、3は面食らった。サロメアの思惑は、見当違いも甚だしい。1が、同じルシファーである3のことを心配してくれるはずがない。新手のプレイかと、からかわれるのがオチだ。
「……やめた方が、いいと思うけど……」
「そんなの、やってみないとわからないじゃないか」
3の意見を、サロメアは即座に却下する。何しろ、3は彼女にとって、1の貴重な関係者なのだ。みすみす逃す手はない。
「そうじゃなくて……復讐自体を、だよ。そんなことをしても、恋人さんは喜ばないよ……?」
「うるさい!」
激怒し、サロメアは3の頬に平手打ちを見舞った。
「そんな上っ面だけのきれいごとなんざ、とうの昔に聞き飽きてるんだよ!」
「きれいごとじゃない、事実だ。君だって、本当はもうやめたいと思っているんだろう?」
今度は、もう片側の頬を打たれる。髪を振り乱し、サロメアは叫んだ。
「ふざけたこと言うんじゃない!あんたに、あたしの何がわかるってんだ!」
3の真摯な表情が、サロメアの中で、過去の幻影と重なる。
サロメアはかつて、親が罪を犯したために故郷の人々から迫害されていた。そんな彼女にただ一人救いの手を差し伸べたのが、領主だったのだ。愛情に飢えたサロメアを、彼は優しさで満たしてくれた。大恩を受け、彼女は領主がどのような選択をしようと、彼につき従ってきたのである。
3のどこか憂いある、それでいて全てを受け入れる強さを持つ瞳は、サロメアに領主を思い出させた。愛しい人を他の男に重ね合わせてしまったことで、彼を汚された気がして、余計に許せなくなる。
「確かに、君に会ったのは今日が初めてだけど……君みたいなひとを、もう何人も見てきた。私は、そういう人々を救いたいと思っているんだ。だから……」
サロメアの荒れ狂う内面を知らない3は、説得を続ける。たとえ、顔をぼこぼこにされようと、諦めるつもりはない。このままだと、激情のままに3を殺してしまいそうだと思い、彼の話を遮って、サロメアは3の口元に布を当てた。薬品の匂いがして、3は顔をしかめる。
「おやすみ」
どうやら、薬品の正体は睡眠薬らしい。正直なところ、人間ではない3には効果がなかったのだが、いったん様子を見るために、3は寝たふりをすることにした。そんな彼の頭を、サロメアが軽く蹴りつける。
「ったく……いけ好かねえやつ」
そう吐き捨て、サロメアは3の腕を後ろ手に縛り、猿轡を噛ませると、路地裏のゴミ捨て場の影に彼を放り込んだ。
(うう……酷いよ……)
あまりに手荒い扱いに文句を言いたくなった3だが、ぐっとこらえる。サロメアが遠ざかる足音が聞こえ、3はゆっくりと身を起した。束縛をといて、軽く全身のほこりを払う。浄化している暇はない。
今度は、彼女に気づかれないように尾行しなければ。そう決意して、彼もまた、歩き出した。
ナンナルの数少ない宿屋のひとつ。1は、キリヤの部屋を訪れていた。
「シーザー!」
1の姿を見るなり、キリヤがうれしそうな顔をする。酔いつぶれたというのに、二日酔いに苦しめられている気配はない。翼竜が飛来し、警戒心をあらわに1に向かって牙を剥いた。
「あーっ!昨日の、筋肉ダルマ!何しに来たのよ!」
「誰が筋肉ダルマだ、このトカゲ!」
出会いがしらに罵られ、1は即座に言い返す。昨晩、キリヤを送り届けたとき、翼竜は不在だった。翼竜にとっては、1はキリヤをぼこぼこにした憎い敵のままである。
「何よ!あたしには、ガエネっていう可愛い名前があるんだから!」
「うるせえよ。俺様は、キリヤに用があって来たんだ、関係ねえやつは引っ込んでろ!」
「……とりあえず、入ってくれ」
体格差などものともせずに同レベルで言い争う両者に呆れつつ、キリヤは1を促す。
部屋には、昨日、街に着いたばかりのせいか、荷物が適当に置かれていた。
「それで、どうしたんだ」
ドアを閉め、キリヤが腕組みをする。翼竜……ガエネが無言で怒りの視線を送ってくるのを無視して、1は本題に入ることにした。
「サロメアって女が、お前を殺す依頼を持って来た」
「…………!」
「あの女、またキリヤを狙って!」
キリヤが、息を呑む。ガエネが、忌々しそうに毒づいた。ふたりとも驚いてはいるものの、どこかこの状況を想定していたような反応だ。
「……それで、シーザーは俺を殺しに来たのか……?」
キリヤが、哀しげに1を見つめてくる。捨てられた仔犬のような表情に、何とも言えない気分になりながら、1は首を振った。
「んなわけねえだろ。妙なものを連れてきやがって、苦情を言いに来たんだよ」
「……ごめん。でも、あんたにも関係があることなんだぜ?」
「はあ?」
心底ほっとした様子で、キリヤが1に告げる。彼の言葉の意味が解らず、1は訝しげに問い返した。
「あの女の恋人が仕えていた魔王っていうのが、あんたが塔を爆破したゲメーティスだからさ」
思いもよらなかった事実が、何の緊張感もなく明かされる。この少年に会って以来、こんなことばかりだ。
「ってことは、あの女の恋人の仇って、実は俺様!?」
「魔王が倒されたのを公表したのは俺だから、サロメアが俺を恨むのもわかるけどな」
1の言葉を、キリヤは否定も肯定もしない。複雑な心境のまま、1は状況を整理しようと考えた。昨晩のキリヤの話と、今朝のサロメアの話、そして自身の経験を総合する。
サロメアの恋人である領主が魔王の支配に屈し、1が魔王を倒し、キリヤが街に報告して、街は解放され、そして領主は……
「……もともと、あの女の恋人は領民に処刑されたんだったか」
それは、サロメアから得た情報だったが、確認のために、キリヤにも聞いてみる。少年は、憂いを帯びた顔で俯いた。
「そうらしいな。でも、誰が直接手を下したかは、あの女にとっては問題じゃないそうだ」
「じゃあ、何が問題なんだよ」
「あいつの言い分によると、俺は、領主を穢したんだと」
1の頭上を、疑問符が舞う。少し長くなるがいいか、と前置きをし、キリヤは話し始めた。
「魔王の下で悪事を働いていたのは、領主個人だけじゃない。当然、領民たちもだ。
周辺の領地から人材や金品を搾取することで、彼らが生活の恩恵を受けていた部分もあった」
「領地全体が盗賊団みてえになってたってわけか。それで?」
「だが、魔王が倒されて、そんなことは続けられなくなった。他の領地から報復を受けないためにも、誰か一人に総ての責任をかぶせる必要があったのさ」
言葉を選びながら、キリヤは説明する。彼とて、一部始終を見ていたわけではない。サロメアの話と、旅先で得た情報から導き出した推測だ。
「それで、領主を処刑……か」
「領民の命を守るために魔王に屈した領主が、大罪人として最悪の形で殺された……その原因を作ったのは、確かに俺だ。
事情がわかってりゃ、領主をフォローしてやることもできたんだが、俺は魔王が倒された後に、あんたを追ってあの地を去ってしまったからな……」
あらかた語り終え、キリヤがため息をつく。彼が求めるのは強さであって、魔王退治は己を鍛えるための手段だ。それでも、魔王の支配から救われた人々に感謝されて悪い気はしない。魔王を退治してこれほど憎まれたのは、これが初めてだった。
「キリヤが、そんなことまでする必要なんかないわよ!あの女が、逆恨みしているだけなのに!」
大いに憤慨した様子で、ガエネが牙を剥く。内心、1も同意見だった。復讐は直接手を下したやつで終わらせとけ、と胸中でぼやく。
「あの女を説得しようとは思わなかったのか?……まあ、話を聞くタマには見えなかったが」
「俺を憎むことで、生きる活力を得ているような女だからな。それに、あいつが差し向けてくる刺客と戦うのも楽しかったし」
「お前……けっこう、無茶な生き方してるのな……」
妙なところでポジティブなキリヤに、1は感心しつつも呆れた。1が何を考えているのかを察し、キリヤが照れたように頬を掻く。
「強くなるためには、場数を踏まないと。そうだろ?」
「まあな。そういうの、嫌いじゃないぜ」
「…………へへ」
嬉しそうに、キリヤははにかんだ笑みを見せる。その無邪気な様は、とても歴戦の勇者には見えない。そうしていればそのへんの子どもと大差ないんだがな、と1は思った。
「だが、その生活ももう終わりだ。復讐の相手を間違えてるってこと、教えてやる」
「ゲメーティスを倒したのがあんただって、サロメアに話すのか?」
「当たり前だ。お前に、いつまでも俺様の尻拭いをさせていられるかよ」
意外そうな顔をするキリヤに、1は断言する。サロメアの件は彼にとって害にしかならないが、この少年に借りを作り続けるのはプライドが許さない。
「俺は、別にこのままでも構わないが……」
「俺様が構うんだよ!」
「良かったわね~、キリヤ!これで、やっとあの女から解放されるわ~!」
ガエネが、上機嫌で宙返りをする。彼女の方は、サロメアにつけ狙われて大いに迷惑していたのだ。もうここには用はない、と言わんばかりに部屋を出ようとする1の後を、キリヤがあわてて追った。
「サロメアの居場所、わかるのか?」
「どうせ、遅かれ早かれ、コンタクトをとってくるだろ」
廊下を並んで歩きつつ、1は答える。何でついてくるんだ、と疑問を感じつつも、彼はあえて問いたださなかった。ちなみに、キリヤの傍にはガエネもいる。
「あの女、目的のためには手段を選ばないからな……。そうだ、あんた、家族や恋人はいるのか?」
「いきなり何だよ」
唐突な問いかけに、1は訝しげに少年を見遣る。言いにくそうに、キリヤは打ち明けた。
「いや……俺を殺させるための刺客として目をつけた相手の家族を、人質にとったことがあったからさ……」
「そんなことまでやってんのか!?よく今まで生きてたな、あの女も」
キリヤの言葉に、1は愕然とする。サロメアのことを色々とタガが外れた女だと思っていたが、そこまで無茶をやらかしていたとは思わなかった。
「あいつ自身も、腕の立つ暗殺者だから……あんたの大事なひとが、危ないかもしれない」
「大事なやつなんかいねえよ。少なくとも、この世界にはな」
真剣に思案するキリヤに、1は気楽な調子で返す。この世界での1の関係者と言えば、他のルシファー二人だが、彼ら相手にサロメアが何かできるとは考えられない。
ちょうどその時、3が彼女に脅されている最中だったのだが、そんなことを1が知るはずもなかった。
3は、礼拝堂にいた顔見知りの神官に声をかけた。初老の神官は、3のいつになくあらたまった様子を察し、彼を相談室へと案内する。
「お忙しいところ、すみません」
木製の椅子に腰かけ、3は頭を下げた。向かいに座り、神官はゆったりと首を振る。
「いえいえ。何でも相談に乗りますよ」
穏やかに微笑み、神官は3の話に耳を傾けた。言葉を選びつつ、3は神官に2の舎弟たちのことを話す。さすがに街の中心部である教会にいるだけあって、神官はごろつき三人組のことを知っていた。
「彼らのことは、私も聞いています。それこそ、彼らに対する不安や苦情が最近、よく人々から寄せられましてな」
「……やっぱり……」
神官の言葉に、3は表情を曇らせる。やはり、彼らはナンナルの人々に受け入れられていないのだ。のどかな田舎街のナンナルでも、閉鎖的なところはあるし、ごろつき達も仲間内で固まってしまって、交流の幅を広げようとしていない。
「私自身は、彼らに救いの手を差し伸べたいと考えています。ただ―――」
「何か、問題がありますか」
いくつかの推測を想定しつつ、3は問いかける。神官は、困ったように眉を寄せた。
「教会内にも、彼らの受け入れを反対する者がいましてな。彼らが、教会で悪事を働くのではないかと」
探るような視線が、3に向けられる。3は、ごろつき達の悪評をはっきりと否定することができなかった。3自身はごろつき達と直接話をしたことがないので、無責任に彼らをフォローすることができない。不用意に事を進めれば、今度は教会に迷惑がかかるかもしれないのだ。
順番を間違えたかな、と3が後悔し始めたとき、神官が彼を安心させるように言った。
「やはり、こういうことは自分の目で確かめないといけませんな。近日中に、私が彼らと話をしてみることにします」
「神官様が……ですか?」
「ええ」
神官が、茶を飲みながら頷く。3は、この穏健な老神官がごろつき三人組を説き伏せることができるのかと少しだけ心配になった。
「あの、よろしければ、私が代わりに……」
「……フォースさん」
3の申し出を、神官は最後まで聞かずに遮った。そこに強い意志を感じ、3は口を閉ざす。
「この件は、教会と彼らの問題です。お気持ちはありがたいですが、我々を信じていただけませんかな?」
「あ、いえ、決して、神官様を信頼していないわけでは……」
おろおろしながら、3は弁解する。自分は、彼ら人間よりも遥かに高位の存在だ。それを鼻にかけて、いらぬお節介を焼いてしまっていたのだと、内心、反省する。
3は、後は流れに任せることにした。ごろつき達が教会の申し出を断ったとしても、それはそれで仕方がない。
相手を心から納得させなければ、真の更生とは言えない。それは、地獄での彼の仕事に通じるものがあった。
「彼らのことを、よろしくお願いします」
3は、神官に向かって一礼した。人間には、多くのことを教えられる。だからこそ、彼らと関わるのはやめられないのだと3は思った。
用件を終えて、3は教会を出た。結果がどうなるかはわからないが、良い方向に話が進めばいい。そんなことを考えつつ、大通りを歩く。上機嫌な彼は、いつもよりも油断していたのだろう。物陰から勢いよく引っ張られたとき、抵抗するのが一瞬遅れた。
「え……!?」
驚き、状況を把握する前に、狭い路地に引き込まれ、石畳に押し倒される。胸元を、圧迫感が襲った。派手な外見の女が、3の胸部に片膝を乗せ、体重をかけている。
「動くな。喉が裂けるよ」
脅しとともに、喉元にナイフの刃が当てられる。その声から、3は彼女が今朝、1と話し込んでいた女だと気づいた。
「君は……?」
確か、サロメアという名だったかな、と思い出しつつ、3はとりあえず、無難な質問をする。
「とぼけるな。あんた、あたしと赤コートのやりとりを盗み聞きしてただろ」
「ああ……君も、気づいてたんだ……」
「見くびるんじゃないよ。これでも、あたしは暗殺者なんだ」
憤然として、サロメアが3を見下す。キリヤに負かされっぱなしだとは言え、彼女は長年、腕利きの暗殺者として名をとどろかせていた。あんな素人丸出しの盗聴に気づけないほど間抜けだと思われるのは、かなりの屈辱だ。
「それで、私に何の用?デートのお誘いなら、嬉しいんだけどな」
「半分正解だね。あいつをその気にさせるために、協力してほしいのさ」
「協力、って……」
ふいに、サロメアが3の黒髪を引っ張った。苦痛に眉を寄せる彼に、顔を近づけて囁く。
「仲間を人質にとられりゃ、赤コートもあたしの頼みを聞いてくれるんじゃないかと思ってね」
至近距離で凄まれて、3は面食らった。サロメアの思惑は、見当違いも甚だしい。1が、同じルシファーである3のことを心配してくれるはずがない。新手のプレイかと、からかわれるのがオチだ。
「……やめた方が、いいと思うけど……」
「そんなの、やってみないとわからないじゃないか」
3の意見を、サロメアは即座に却下する。何しろ、3は彼女にとって、1の貴重な関係者なのだ。みすみす逃す手はない。
「そうじゃなくて……復讐自体を、だよ。そんなことをしても、恋人さんは喜ばないよ……?」
「うるさい!」
激怒し、サロメアは3の頬に平手打ちを見舞った。
「そんな上っ面だけのきれいごとなんざ、とうの昔に聞き飽きてるんだよ!」
「きれいごとじゃない、事実だ。君だって、本当はもうやめたいと思っているんだろう?」
今度は、もう片側の頬を打たれる。髪を振り乱し、サロメアは叫んだ。
「ふざけたこと言うんじゃない!あんたに、あたしの何がわかるってんだ!」
3の真摯な表情が、サロメアの中で、過去の幻影と重なる。
サロメアはかつて、親が罪を犯したために故郷の人々から迫害されていた。そんな彼女にただ一人救いの手を差し伸べたのが、領主だったのだ。愛情に飢えたサロメアを、彼は優しさで満たしてくれた。大恩を受け、彼女は領主がどのような選択をしようと、彼につき従ってきたのである。
3のどこか憂いある、それでいて全てを受け入れる強さを持つ瞳は、サロメアに領主を思い出させた。愛しい人を他の男に重ね合わせてしまったことで、彼を汚された気がして、余計に許せなくなる。
「確かに、君に会ったのは今日が初めてだけど……君みたいなひとを、もう何人も見てきた。私は、そういう人々を救いたいと思っているんだ。だから……」
サロメアの荒れ狂う内面を知らない3は、説得を続ける。たとえ、顔をぼこぼこにされようと、諦めるつもりはない。このままだと、激情のままに3を殺してしまいそうだと思い、彼の話を遮って、サロメアは3の口元に布を当てた。薬品の匂いがして、3は顔をしかめる。
「おやすみ」
どうやら、薬品の正体は睡眠薬らしい。正直なところ、人間ではない3には効果がなかったのだが、いったん様子を見るために、3は寝たふりをすることにした。そんな彼の頭を、サロメアが軽く蹴りつける。
「ったく……いけ好かねえやつ」
そう吐き捨て、サロメアは3の腕を後ろ手に縛り、猿轡を噛ませると、路地裏のゴミ捨て場の影に彼を放り込んだ。
(うう……酷いよ……)
あまりに手荒い扱いに文句を言いたくなった3だが、ぐっとこらえる。サロメアが遠ざかる足音が聞こえ、3はゆっくりと身を起した。束縛をといて、軽く全身のほこりを払う。浄化している暇はない。
今度は、彼女に気づかれないように尾行しなければ。そう決意して、彼もまた、歩き出した。
ナンナルの数少ない宿屋のひとつ。1は、キリヤの部屋を訪れていた。
「シーザー!」
1の姿を見るなり、キリヤがうれしそうな顔をする。酔いつぶれたというのに、二日酔いに苦しめられている気配はない。翼竜が飛来し、警戒心をあらわに1に向かって牙を剥いた。
「あーっ!昨日の、筋肉ダルマ!何しに来たのよ!」
「誰が筋肉ダルマだ、このトカゲ!」
出会いがしらに罵られ、1は即座に言い返す。昨晩、キリヤを送り届けたとき、翼竜は不在だった。翼竜にとっては、1はキリヤをぼこぼこにした憎い敵のままである。
「何よ!あたしには、ガエネっていう可愛い名前があるんだから!」
「うるせえよ。俺様は、キリヤに用があって来たんだ、関係ねえやつは引っ込んでろ!」
「……とりあえず、入ってくれ」
体格差などものともせずに同レベルで言い争う両者に呆れつつ、キリヤは1を促す。
部屋には、昨日、街に着いたばかりのせいか、荷物が適当に置かれていた。
「それで、どうしたんだ」
ドアを閉め、キリヤが腕組みをする。翼竜……ガエネが無言で怒りの視線を送ってくるのを無視して、1は本題に入ることにした。
「サロメアって女が、お前を殺す依頼を持って来た」
「…………!」
「あの女、またキリヤを狙って!」
キリヤが、息を呑む。ガエネが、忌々しそうに毒づいた。ふたりとも驚いてはいるものの、どこかこの状況を想定していたような反応だ。
「……それで、シーザーは俺を殺しに来たのか……?」
キリヤが、哀しげに1を見つめてくる。捨てられた仔犬のような表情に、何とも言えない気分になりながら、1は首を振った。
「んなわけねえだろ。妙なものを連れてきやがって、苦情を言いに来たんだよ」
「……ごめん。でも、あんたにも関係があることなんだぜ?」
「はあ?」
心底ほっとした様子で、キリヤが1に告げる。彼の言葉の意味が解らず、1は訝しげに問い返した。
「あの女の恋人が仕えていた魔王っていうのが、あんたが塔を爆破したゲメーティスだからさ」
思いもよらなかった事実が、何の緊張感もなく明かされる。この少年に会って以来、こんなことばかりだ。
「ってことは、あの女の恋人の仇って、実は俺様!?」
「魔王が倒されたのを公表したのは俺だから、サロメアが俺を恨むのもわかるけどな」
1の言葉を、キリヤは否定も肯定もしない。複雑な心境のまま、1は状況を整理しようと考えた。昨晩のキリヤの話と、今朝のサロメアの話、そして自身の経験を総合する。
サロメアの恋人である領主が魔王の支配に屈し、1が魔王を倒し、キリヤが街に報告して、街は解放され、そして領主は……
「……もともと、あの女の恋人は領民に処刑されたんだったか」
それは、サロメアから得た情報だったが、確認のために、キリヤにも聞いてみる。少年は、憂いを帯びた顔で俯いた。
「そうらしいな。でも、誰が直接手を下したかは、あの女にとっては問題じゃないそうだ」
「じゃあ、何が問題なんだよ」
「あいつの言い分によると、俺は、領主を穢したんだと」
1の頭上を、疑問符が舞う。少し長くなるがいいか、と前置きをし、キリヤは話し始めた。
「魔王の下で悪事を働いていたのは、領主個人だけじゃない。当然、領民たちもだ。
周辺の領地から人材や金品を搾取することで、彼らが生活の恩恵を受けていた部分もあった」
「領地全体が盗賊団みてえになってたってわけか。それで?」
「だが、魔王が倒されて、そんなことは続けられなくなった。他の領地から報復を受けないためにも、誰か一人に総ての責任をかぶせる必要があったのさ」
言葉を選びながら、キリヤは説明する。彼とて、一部始終を見ていたわけではない。サロメアの話と、旅先で得た情報から導き出した推測だ。
「それで、領主を処刑……か」
「領民の命を守るために魔王に屈した領主が、大罪人として最悪の形で殺された……その原因を作ったのは、確かに俺だ。
事情がわかってりゃ、領主をフォローしてやることもできたんだが、俺は魔王が倒された後に、あんたを追ってあの地を去ってしまったからな……」
あらかた語り終え、キリヤがため息をつく。彼が求めるのは強さであって、魔王退治は己を鍛えるための手段だ。それでも、魔王の支配から救われた人々に感謝されて悪い気はしない。魔王を退治してこれほど憎まれたのは、これが初めてだった。
「キリヤが、そんなことまでする必要なんかないわよ!あの女が、逆恨みしているだけなのに!」
大いに憤慨した様子で、ガエネが牙を剥く。内心、1も同意見だった。復讐は直接手を下したやつで終わらせとけ、と胸中でぼやく。
「あの女を説得しようとは思わなかったのか?……まあ、話を聞くタマには見えなかったが」
「俺を憎むことで、生きる活力を得ているような女だからな。それに、あいつが差し向けてくる刺客と戦うのも楽しかったし」
「お前……けっこう、無茶な生き方してるのな……」
妙なところでポジティブなキリヤに、1は感心しつつも呆れた。1が何を考えているのかを察し、キリヤが照れたように頬を掻く。
「強くなるためには、場数を踏まないと。そうだろ?」
「まあな。そういうの、嫌いじゃないぜ」
「…………へへ」
嬉しそうに、キリヤははにかんだ笑みを見せる。その無邪気な様は、とても歴戦の勇者には見えない。そうしていればそのへんの子どもと大差ないんだがな、と1は思った。
「だが、その生活ももう終わりだ。復讐の相手を間違えてるってこと、教えてやる」
「ゲメーティスを倒したのがあんただって、サロメアに話すのか?」
「当たり前だ。お前に、いつまでも俺様の尻拭いをさせていられるかよ」
意外そうな顔をするキリヤに、1は断言する。サロメアの件は彼にとって害にしかならないが、この少年に借りを作り続けるのはプライドが許さない。
「俺は、別にこのままでも構わないが……」
「俺様が構うんだよ!」
「良かったわね~、キリヤ!これで、やっとあの女から解放されるわ~!」
ガエネが、上機嫌で宙返りをする。彼女の方は、サロメアにつけ狙われて大いに迷惑していたのだ。もうここには用はない、と言わんばかりに部屋を出ようとする1の後を、キリヤがあわてて追った。
「サロメアの居場所、わかるのか?」
「どうせ、遅かれ早かれ、コンタクトをとってくるだろ」
廊下を並んで歩きつつ、1は答える。何でついてくるんだ、と疑問を感じつつも、彼はあえて問いたださなかった。ちなみに、キリヤの傍にはガエネもいる。
「あの女、目的のためには手段を選ばないからな……。そうだ、あんた、家族や恋人はいるのか?」
「いきなり何だよ」
唐突な問いかけに、1は訝しげに少年を見遣る。言いにくそうに、キリヤは打ち明けた。
「いや……俺を殺させるための刺客として目をつけた相手の家族を、人質にとったことがあったからさ……」
「そんなことまでやってんのか!?よく今まで生きてたな、あの女も」
キリヤの言葉に、1は愕然とする。サロメアのことを色々とタガが外れた女だと思っていたが、そこまで無茶をやらかしていたとは思わなかった。
「あいつ自身も、腕の立つ暗殺者だから……あんたの大事なひとが、危ないかもしれない」
「大事なやつなんかいねえよ。少なくとも、この世界にはな」
真剣に思案するキリヤに、1は気楽な調子で返す。この世界での1の関係者と言えば、他のルシファー二人だが、彼ら相手にサロメアが何かできるとは考えられない。
ちょうどその時、3が彼女に脅されている最中だったのだが、そんなことを1が知るはずもなかった。
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- テーマ:自作小説(ファンタジー)
- ジャンル:小説・文学
- カテゴリ:L-Triangle!4
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