L-Triangle!4-6
- 2014/06/01
- 20:49
さて、もう片方のルシファーである2が、何をしていたかというと。彼は、ごろつき三人を相手に、講習を実施していた。ごろつき達にすぐに悪事を働かせるのは難しいと悟った2は、まずは彼らに悪の心構えを伝授することにしたのだ。灰色の石壁に図を描きつつ指導する2を、ごろつき三人は熱心に見つめている。
「さて、ここでまとめだ。ひとを騙す前に、まず自分自身を騙すこと。その行為が本当に正しいことで、相手のためになると思い込む。これが重要なんだ。よく覚えとけよ」
「へい、わかりやした!」
「勉強になりやす!」
「ありがとうございます、アニキ!」
ごろつき達が、交互に返事を返す。その目には、一点の曇りもない。成果は上々だ、と2は満足げに笑った。
「……今日は、このへんにしておくか。さて、メシにでも……」
図を消して、2は本日の講習に区切りをつける。メシ、の一言にごろつき達が目を輝かせる中、ヒールの音が近づいてきた。暗がりから姿を現したのは、先日と同じ来訪者だった。
「あんた達、相変わらずくだらないことをやってるのかい?」
「サロメア!」
トマスが、警戒しつつ女の名を呼ぶ。この中で唯一、彼女と初対面の2は、イメージ通りの悪女だな、という感想を持った。
「ああ、この女が、例の……」
「……何だ。余計なのも混ざってるのか」
部外者である2に目を留めて、サロメアは舌打ちする。3をどこか別の場所へ運ぶのに、ごろつきたちを雇おうと考えていたのだ。そんな彼女に、2はからかうように言葉を投げかけた。
「シーザーは、その気になってくれそうか?」
「あんた達……こいつに、話したのか……!?」
「カイン兄貴は、信頼できる御方だからな!」
サロメアが、ごろつき達を咎める。鈍感なタダイが、自信ありげに胸を張った。
「てめえらまで、あのひとを裏切りやがって……!」
歯噛みして殺気を漲らせる、サロメア。怖気づいて、ごろつきたちは2の近くにまで後退する。
「お前さあ、そんなにキリヤってやつを殺したいのか?」
「あんたには関係ないだろ」
場違いなほどにのんきな2の問いかけに、サロメアはぶっきらぼうに応じる。次に彼から放たれたのは、意外な言葉だった。
「条件によっては、俺がお前の依頼を受けてやってもいいぜ」
「何……!?」
驚いて、サロメアは2をまじまじと見つめる。意表を突かれたのは彼女だけではないらしく、ごろつき達もどよめいていた。バカにしたように、サロメアは鼻で笑う。
「……冷やかしをやりたいなら、相手を選ぶんだね」
「俺を信用できねえって言うなら、それでもいいけどな。シーザー相手に、報われない努力でもしてろ」
「余計なお世話だよ。こっちは、ちゃんと手を打って……」
話の途中で、気配を感じてサロメアは振り返った。
「うわ、そんな、いきなり……!」
ばっちりと視線が合ってしまい、物陰から顔を出していた3が、あわてふためく。
「あんた、どうやって……!薬は効かなかったのか!?」
「あいにく、鈍い体質でね」
平然と告げる3を、ありえない、といわんばかりに凝視する。サロメアが愛用している睡眠薬は、魔物すら一瞬で昏倒する代物なのだ。
「あいつ、何なんだ……?」
「あいつの名前は、フォース。俺とシーザーの共通の知り合いだよ」
タダイが、3を見ながらパウロに小声で話しかける。彼が何か言う前に、2が3を紹介した。それを聞いて何かを察知したトマスが、半眼になる。
「サロメア……お前、またやったのかよ」
「うるさい、黙ってろ」
呆れたように声をかけてくるトマスを、サロメアがきつく睨む。その一連の会話を、2は聞き逃さなかった。
「どういうことだ?」
「ターゲットを従わせるために家族や恋人を人質にとるの、こいつの常とう手段なんスよ」
「人質を監禁する手伝い、よくやらされたよなー」
2の問いかけに、パウロとタダイがあっさりと白状する。直接、大きな悪事に関わったことはないものの、ごろつき三人組は様々な分野のアシストを手広くやっていたのだ。
「ああ、そういう……」
「永遠に黙らせてやろうか、てめえら!!」
納得する2とは逆に、自身の計画をばらされたサロメアは怒り心頭である。
「フォースお前、こんなのにいいようにされたのかよ。マヌケだなあ」
「様子を見ようと思ってね。……あっさり、見つかっちゃったけど」
自分の後ろに引っこむごろつき達を宥めつつ、2は3を茶化す。恥ずかしそうに、3が目を逸らした。彼としては細心の注意を払ったつもりだったが、うまくいかないものである。
「それと、尾行へたすぎ」
「しょうがないじゃないか、そういう訓練、受けてないんだから……」
2の容赦ない指摘に、3はふてくされる。あまりに能天気なやりとりに、つきあっていられるか、とサロメアは踵を返した。
「待てよ。さっきの返事、まだ聞いてねえぞ」
「あんたなんかには、頼まねえよ!そんなやつの、仲間なんかに!」
忌々しげに、吐き捨てる。今や、サロメアは3を心底嫌っていた。領主を思い起こさせる3は、彼女とっては愛しい人の劣化コピーであり、オリジナルを穢す存在である。
「強がるなよ。もう、打つ手はねえんだろ?」
「…………」
2に痛いところを突かれ、サロメアは沈黙した。3が、横から口をはさむ。
「ちょっとカイン……君、本気なの?」
「ああ。こいつ次第だけどな」
2の言葉を聞き、ごろつき達は先ほどと同様にあわてふためいた。冗談かと思ったが、やはり本気だったのだ、と今更ながら気づく。
「ア、アニキ!無茶しないでくだせえ!相手はあのキリヤだ、いくらアニキでも……!」
「大したことねえさ、あんなの」
パウロが必死の形相で2にすがりつく。キリヤを叩きのめした1と同等の実力を彼が備えていることを、ごろつき達は知らない。バカにしたように、サロメアはせせら笑った。
「……あんた達の新しい親分は、ずいぶんとめでたいおつむの持ち主のようだね」
「何だと!?アニキをバカにする気か!」
「だって、そうじゃないか。そんな細っこい腕じゃ、子どもだって殺せやしないだろ」
タダイが2を擁護するものの、サロメアは意に介さない。あんまりな言いように、2は苦笑した。
「おいおい……ひとを見かけで判断するなよ」
「だったら、実力の一つでも見せてみろってんだ」
「それも、一理あるか」
投げやりなサロメアの挑発を受け、2はタダイに向かって右手をかざす。その直後、彼はふわり、と宙に浮いた。
「うひゃあ!?」
「タダイ!」
悲鳴を上げるタダイに、トマスがあわてて駆け寄る。ごろつき三人の中でも、タダイは太めの体型をしている。まかり間違っても、重力に逆らうような真似ができるはずがない。
「安心しろ、怪我なんかさせねえから……ほーらよっと」
ごみを放るように、2は右手を上空へ振り上げる。絶叫しながら、タダイは宙を舞い……彼が戻ってきたのは、たいぶ後のことだった。地面に激突する前に落下の勢いがそがれ、ふわりと着地する。
「タダイ、大丈夫か!?」
トマスが声をかけるものの、返事はない。タダイは、白目をむいて気絶していた。かわいそうに、と3は哀れな舎弟に同情する。サロメアはというと、ぽかんと口を開けて、一連のやり取りをただ眺めていた。
「何だよ、これくらいで情けねえな」
「……今の、本当にあんたがやったのか……!?」
「正真正銘、俺の力だ。嘘だと思うなら、お前も空を飛んでみるか?」
2の申し出を、サロメアは無言で辞退した。2がやったことが、幻術の類いではないことはわかる。
「ひでえッスよ、アニキ……」
「メシ奢ってやってるだろ。これくらい協力しろよ」
意識を取り戻したタダイが、恨みがましい目で2を仰ぎ見る。一方、2は、舎弟が味わった恐怖など歯牙にもかけなかった。サロメアは黙ったまま思案に暮れていたが、やがて用心深く言葉を紡ぎ出した。
「……それで、もしあたしが依頼をしたとして……あんた、何を要求するつもりだい」
「お、その気になったか?」
揶揄するように、2が問う。無視して、サロメアは話を続けた。
「あの赤コートの仲間だ。金にも女にも、興味はないんだろ?」
「まあ、そのへんはどうでもいいな」
サロメアの推測を、2は肯定する。地獄の王たる彼がその気になれば、大抵の欲望は叶えられる。楽に手に入るものに、執着する理由はなかった。
「俺がお前に求めるのは、ひとつ」
2は、おもむろにサロメアに近づいた。警戒する彼女の耳元で、囁く。
「魂だ」
「何……!?」
反射的に飛びのいて、サロメアは彼が提示した条件に改めて愕然とする。先ほどまでは何とも思わなかったが、今は2の表情に禍々しさを感じた。畳み掛けるように、2が告げる。
「俺に、てめえの魂を捧げろ。そうすれば、どんな願いもかなえてやる」
「それは……あたしに、死ねってのか……!?」
「まあ、そうだな。お前の道連れに、あいつを確実に殺せる。どうだ?」
青ざめた顔で、サロメアは沈黙した。自分を改心させる冗談かと一瞬、疑ったものの、2の凶悪な笑みを目の当たりにし、彼が本気なのだと悟る。困ったように眉を寄せ、3が2をたしなめた。
「もう、カインってば……そんな条件、呑むわけが……」
「…………はは」
乾いた笑みが、サロメアの口から洩れる。3とごろつき達は、ぎょっとしたように彼女を見た。心底愉快そうにひとしきり笑った後、サロメアは言葉を発する。
「あたしの屑みてえな命で、あの勇者を殺せるってのか!傑作だね!」
「サロメア……!?」
トマスが、遠慮がちにサロメアの名を呼ぶ。当然のように、彼女は無視した。にやにやしながら彼女の返事を待っている2に向かって、不敵に言い放つ。
「いいだろう。その話、のってやる」
「お、おい、早まるな!」
「あのひとを……ヨハネを失くした時点で、あたしはとうに死んだも同然だ」
ごろつき達の制止は、サロメアにとって何の効果もない。狂気をはらんだ瞳で、サロメアは叫んだ。
「ヨハネの恨みを晴らせるのなら、この命、くれてやるよ!」
「……契約成立だな」
2が、満足げに頷いた、その直後。青い炎が、彼の全身から噴出した。突如生じた風圧に、3はどうにか踏みとどまったものの、ごろつきたちはなすすべもなく吹き飛ばされる。
「充電完了……っと。たまにはやっておかないと、鈍るんだよなあ」
首を左右に傾げて、2がのんきに呟く。もともと色素が薄い肌は青白さを増し、赤い瞳が、爛々と輝いていた。
そんな彼を、サロメアは、魅入られたように見つめている。この時点では、彼女の魂は狩られていないようだ。サロメアに、2が手を差し伸べる。
「さあ、行こうぜ。お前の願いが叶う瞬間、しっかりと目に焼き付けろよ」
そして、サロメアの腰に手を回し、彼女を抱えたまま2は飛翔した。恍惚とした表情で、サロメアが彼に寄り添う。
「カイン!!」
我に返り、3が2の名を呼ぶが、彼が止まることはない。身を寄せ合って震えているごろつきたちを置き去りにして、3は後を追った。
1とキリヤは遅めの朝食をすませた後、通りを歩いていた。
「シーザー、時間あるか?もう一度、手合せしてほしいんだが」
期待に満ちた目で、キリヤが1を見上げる。少し離れたところで、ガエネが珍獣でも見るような顔で彼を観察していた。この少年の今の状態が、いかにいつもと違うのかを知るのは、彼女だけである。
「俺様はこれから仕事なんだよ。また今度な」
「えー……残念だなあ……」
本日の仕事内容を頭に浮かべつつ、1はキリヤの誘いを断る。すねたように唇をとがらせるキリヤを、ガエネは本気で病院に連れて行きたくなった。
世間話をしている間に、それは来た。唐突に、キリヤの目の前に人影が降り立つ。周囲の人々が、大きくどよめいた。
「よお」
翼をしまい、2が片手を上げる。ほのかに青い光をまとっている彼を見て、1は嫌な予感がした。
「カイン、てめえ何やってんだ?それに……」
「……サロメア……」
キリヤが、2の同行者の方へ視線を向ける。2の胸元に手を添えたままで、サロメアは妖艶に微笑んだ。傍から見ると、彼の愛人にでもなったかのようだ。
「久しぶりだね、キリヤ。今日こそ、あんたを殺しに来たよ」
それは、親しげな友人か、あるいは恋人に向けられたかのような優しい響きを伴っていた。
「てめえ……この女の依頼を、受けたってのか……!?」
「ああ。報酬をもらったんでな」
1の問いに、2は静かに頷く。現実に直面しながらも、1には2がサロメアの復讐に加担したことが信じられなかった。挑戦を受けて立つと言わんばかりに、キリヤが1を押しのける。
「いいだろう。あんたと戦うのは初めてだな」
「キリヤ、やめとけ。そいつは、お前の手に負える相手じゃねえ!」
1は、キリヤを諌めた。彼にとっては、サロメアの刺客を撃退するのはいつものことであっても、今度ばかりは相手が悪すぎる。しかし、キリヤは1の言葉を聞き入れなかった。
街の人々が不安そうに成り行きを見守っていることに気づき、2はキリヤに提案する。
「ここで戦うと、被害が大きすぎるな。場所を変えるぞ」
「望むところだ」
キリヤが、好戦的に応じる。2の瞳が輝き、石畳に魔方陣が浮かび上がった。おそらくは、どこかへ転移するつもりだろう。
「ちっ……」
舌打ちし、1が2に向かって手をかざす。だが、妨害されることなく転移の術は発動し、2とサロメア・キリヤの姿は掻き消えた。
「キリヤ!!」
「くそっ!」
人々のざわめきの中、ガエネの声がひときわ大きく響く。忌々しげに、1は地面を蹴りつけた。
「シーザー!カインがこっちに飛んでこなかった!?」
そこへ、2とサロメアの後を追っていた3が駆け寄ってくる。
「ああ、来たぜ。キリヤを連れて、どこかへ行っちまった」
「止められなかったの?君、確か時間を操れるんじゃ……」
一足遅かったのだと知り、3が1に詰め寄る。1がその気になれば、不可能はないはずだ。3をにらみつけ、1は八つ当たり気味に怒鳴り返した。
「俺様より長く生きているやつの時間を停めることはできねえんだよ!」
「ええ!?」
初めて明かされた事実に、3は蒼白になる。自分と2が、1より遥かに長い時を生きていると判明したのは、つい先日のことだった。
「時間操作は、万能じゃねえんだ」
ばつが悪そうに、1は視線を逸らす。時間は、蓄積された長さによって重みが変わってくる。1が自由にできるのは、あくまで彼が生きてきた時間の範疇内だ。責めるようなことをしてごめん、と3は謝った。
「ねえ、あんた達!お願いだから、キリヤを探してよ!」
「そ、そうだね。このままだと、彼、たぶん……」
ガエネが、1と3に必死の形相ですがる。彼女に同意しつつ、3は言葉を濁した。今の2は、サロメアの命がけの祈りを吸収し、普段よりも数段、力が増している。もしかしたら、1を凌ぐかもしれない。1に完全敗北を喫したキリヤが2と戦えば、無事では済まないだろう。
「上空から探した方が早いだろ。飛ぶぞ!」
そう言うなり飛翔しようとする、1。ここは街中だということを忘れているらしい。3は彼を路地裏へ引っぱりこみ、人目がないことを確認してから、ともに空を舞った。
一面に咲き乱れる花々が、風に煽られ花弁をまき散らす。あまりに美しい光景に、一足飛びに天国へ来てしまったのか、とキリヤは目を疑った。
「ここは……」
「街からちょっと離れたとこだよ。ここなら、誰も来ねえ」
呆けたように辺りを見回すキリヤに、2が水を差す。ここは、かつては荒野の一部でしかなかった土地だが、3が浄化したため、このような緑野に生まれ変わったのだ。ナンナルの人々からは聖地と呼ばれているため、めったにひとが立ち入らない。
「お前の願いが叶うように、祈ってろ」
キリヤと同様、景色に見とれているサロメアに、2は下がるよう促す。ふらつきながら、彼女は2の指示に従った。
「待たせたな。始めようぜ」
「ずいぶんと余裕だな。すぐに後悔させてやる!」
厳しい表情で、キリヤは剣を抜いた。目の前の男が油断ならない存在だということは、彼も理解している。身構えることなく、2は冷たく蔑むように少年を見据えた。無数の魔方陣が虚空に現れて、2の周囲を旋回する。魔方陣が光り輝き、青い炎の矢がキリヤに向かって放たれた。
轟音と共に、炎が花畑を薙いでいく。2の攻撃を、キリヤは跳躍してかわした。尽きることがないかのように、炎の矢は四方に飛び散る。
「辺り一面、炎の海にするつもりか」
呟いて、剣を振る。剣の風圧が、炎の矢を掻き消した。当然、普通の剣技ではこんなことは不可能だ。勇者であるキリヤだからこそできる、神技だった。
しかし、向こうの攻撃をしのぐだけでは、勝機はない。何とか隙を見いだせないものか、とキリヤは敵を観察した。魔方陣の群れの中央にいる2は、微動だにしない。これだけの力を制御しているのだから、攻撃だけで手一杯なのだろう。そう判断し、キリヤは剣を構えて走り出した。
無数の炎が彼の行く手を阻むが、多少の火傷は気にせずつっこんでいく。幾多の炎撃をかいくぐり、キリヤは2に迫った。1の知り合いだからと言って、躊躇などしていられない。相手の胸板を貫く勢いで、剣を突き出す。刃の切っ先が届く直前、2がかすかに笑った。
嫌な予感がして、キリヤは反射的に飛び退く。その着地点に、魔方陣が出現した。
しまった、と思った時にはすでに遅く、魔方陣の呪縛にキリヤは絡め取られる。完全に動きを封じられた勇者に、2が声をかけた。
「……もう、おしまいか」
「く……ぅ……っ」
どうにかして束縛を振り切ろうともがくが、指一本動かせない。悔しげな呻き声が、キリヤの口から洩れた。遠くから観戦していたサロメアが、こちらに駆け寄ってくる。
「すごい……あのキリヤが、こんなにあっけなく……!」
素直に賞賛の言葉を述べるサロメアに、2は視線を向ける。完全勝利にも、彼女の賛辞にも、彼は全く心を動かされなかった。
「さてと。どんな殺し方がいいんだ」
「……え……?」
淡々と事務的な口調で問われ、サロメアは気が抜けた反応を返す。2の戦いぶりに圧倒されて失念していたが、彼女の目的はキリヤを殺すことだ。故郷で讃えられているキリヤを惨殺し、勇者などあっけないものだと証明する。そうすることで、情人の無念を晴らすのが、彼女の悲願だった。
その夢が、今、手の届くところにあるというのに、何の感慨も浮かばない。
「……そういや、お前の恋人は処刑されたんだっけか。だったら……」
躊躇するサロメアにしびれを切らしたか、2がキリヤにゆっくりと近づいていく。キリヤは、自分の命はここで終わるのだと悟った。
「……シーザー……」
ふと、1の面影が脳裏をよぎり、名を呟く。2が静かに構え、そして、次の瞬間。
キリヤの意識は、完全に途切れた。
「シーザー!本当にこっちなの!?」
一定の方向へ猛スピードで飛んでいく1の後を追いつつ、3が確認する。現在、街から離れて荒野を突き進んでいるのだが、これで間違っていたら一大事だ。
「ああ。声が聞こえた」
速度はそのままで、1は答えた。自分には何も聞こえなかったけど、と首をかしげつつも、3は1の直感を信じて彼に付き従う。やがて、二人は荒野の中にぽつんとある草原にたどり着いた。この地には、彼らも見覚えがある。出会ったばかりの頃に三人で飲み明かした、思い出の場所だ。
花畑の中央に、二人は降り立った。美しく咲き乱れていた花々は、戦いにより、無残に焼き払われている。
その破壊跡の中心に、2の姿があった。二人に背を向けた状態で、茶色いくせっ毛が、ばさばさと風になぶられている。
「……よお、遅かったな」
二人に気づき、2が振り返る。紺色のスーツに、赤黒い飛沫が散っていた。彼がそれまで見上げていたものが何であるかを理解し、1と3は言葉を失う。
「今、全部終わったぜ」
彼らより少し遅れて飛来してきたガエネが、悲鳴を上げる。
それは、木の十字架にはりつけにされたキリヤの姿だった。一見すると気を失っているだけのようだが、左胸に大穴が空いている。
キリヤは、完全に事切れていた。
「さて、ここでまとめだ。ひとを騙す前に、まず自分自身を騙すこと。その行為が本当に正しいことで、相手のためになると思い込む。これが重要なんだ。よく覚えとけよ」
「へい、わかりやした!」
「勉強になりやす!」
「ありがとうございます、アニキ!」
ごろつき達が、交互に返事を返す。その目には、一点の曇りもない。成果は上々だ、と2は満足げに笑った。
「……今日は、このへんにしておくか。さて、メシにでも……」
図を消して、2は本日の講習に区切りをつける。メシ、の一言にごろつき達が目を輝かせる中、ヒールの音が近づいてきた。暗がりから姿を現したのは、先日と同じ来訪者だった。
「あんた達、相変わらずくだらないことをやってるのかい?」
「サロメア!」
トマスが、警戒しつつ女の名を呼ぶ。この中で唯一、彼女と初対面の2は、イメージ通りの悪女だな、という感想を持った。
「ああ、この女が、例の……」
「……何だ。余計なのも混ざってるのか」
部外者である2に目を留めて、サロメアは舌打ちする。3をどこか別の場所へ運ぶのに、ごろつきたちを雇おうと考えていたのだ。そんな彼女に、2はからかうように言葉を投げかけた。
「シーザーは、その気になってくれそうか?」
「あんた達……こいつに、話したのか……!?」
「カイン兄貴は、信頼できる御方だからな!」
サロメアが、ごろつき達を咎める。鈍感なタダイが、自信ありげに胸を張った。
「てめえらまで、あのひとを裏切りやがって……!」
歯噛みして殺気を漲らせる、サロメア。怖気づいて、ごろつきたちは2の近くにまで後退する。
「お前さあ、そんなにキリヤってやつを殺したいのか?」
「あんたには関係ないだろ」
場違いなほどにのんきな2の問いかけに、サロメアはぶっきらぼうに応じる。次に彼から放たれたのは、意外な言葉だった。
「条件によっては、俺がお前の依頼を受けてやってもいいぜ」
「何……!?」
驚いて、サロメアは2をまじまじと見つめる。意表を突かれたのは彼女だけではないらしく、ごろつき達もどよめいていた。バカにしたように、サロメアは鼻で笑う。
「……冷やかしをやりたいなら、相手を選ぶんだね」
「俺を信用できねえって言うなら、それでもいいけどな。シーザー相手に、報われない努力でもしてろ」
「余計なお世話だよ。こっちは、ちゃんと手を打って……」
話の途中で、気配を感じてサロメアは振り返った。
「うわ、そんな、いきなり……!」
ばっちりと視線が合ってしまい、物陰から顔を出していた3が、あわてふためく。
「あんた、どうやって……!薬は効かなかったのか!?」
「あいにく、鈍い体質でね」
平然と告げる3を、ありえない、といわんばかりに凝視する。サロメアが愛用している睡眠薬は、魔物すら一瞬で昏倒する代物なのだ。
「あいつ、何なんだ……?」
「あいつの名前は、フォース。俺とシーザーの共通の知り合いだよ」
タダイが、3を見ながらパウロに小声で話しかける。彼が何か言う前に、2が3を紹介した。それを聞いて何かを察知したトマスが、半眼になる。
「サロメア……お前、またやったのかよ」
「うるさい、黙ってろ」
呆れたように声をかけてくるトマスを、サロメアがきつく睨む。その一連の会話を、2は聞き逃さなかった。
「どういうことだ?」
「ターゲットを従わせるために家族や恋人を人質にとるの、こいつの常とう手段なんスよ」
「人質を監禁する手伝い、よくやらされたよなー」
2の問いかけに、パウロとタダイがあっさりと白状する。直接、大きな悪事に関わったことはないものの、ごろつき三人組は様々な分野のアシストを手広くやっていたのだ。
「ああ、そういう……」
「永遠に黙らせてやろうか、てめえら!!」
納得する2とは逆に、自身の計画をばらされたサロメアは怒り心頭である。
「フォースお前、こんなのにいいようにされたのかよ。マヌケだなあ」
「様子を見ようと思ってね。……あっさり、見つかっちゃったけど」
自分の後ろに引っこむごろつき達を宥めつつ、2は3を茶化す。恥ずかしそうに、3が目を逸らした。彼としては細心の注意を払ったつもりだったが、うまくいかないものである。
「それと、尾行へたすぎ」
「しょうがないじゃないか、そういう訓練、受けてないんだから……」
2の容赦ない指摘に、3はふてくされる。あまりに能天気なやりとりに、つきあっていられるか、とサロメアは踵を返した。
「待てよ。さっきの返事、まだ聞いてねえぞ」
「あんたなんかには、頼まねえよ!そんなやつの、仲間なんかに!」
忌々しげに、吐き捨てる。今や、サロメアは3を心底嫌っていた。領主を思い起こさせる3は、彼女とっては愛しい人の劣化コピーであり、オリジナルを穢す存在である。
「強がるなよ。もう、打つ手はねえんだろ?」
「…………」
2に痛いところを突かれ、サロメアは沈黙した。3が、横から口をはさむ。
「ちょっとカイン……君、本気なの?」
「ああ。こいつ次第だけどな」
2の言葉を聞き、ごろつき達は先ほどと同様にあわてふためいた。冗談かと思ったが、やはり本気だったのだ、と今更ながら気づく。
「ア、アニキ!無茶しないでくだせえ!相手はあのキリヤだ、いくらアニキでも……!」
「大したことねえさ、あんなの」
パウロが必死の形相で2にすがりつく。キリヤを叩きのめした1と同等の実力を彼が備えていることを、ごろつき達は知らない。バカにしたように、サロメアはせせら笑った。
「……あんた達の新しい親分は、ずいぶんとめでたいおつむの持ち主のようだね」
「何だと!?アニキをバカにする気か!」
「だって、そうじゃないか。そんな細っこい腕じゃ、子どもだって殺せやしないだろ」
タダイが2を擁護するものの、サロメアは意に介さない。あんまりな言いように、2は苦笑した。
「おいおい……ひとを見かけで判断するなよ」
「だったら、実力の一つでも見せてみろってんだ」
「それも、一理あるか」
投げやりなサロメアの挑発を受け、2はタダイに向かって右手をかざす。その直後、彼はふわり、と宙に浮いた。
「うひゃあ!?」
「タダイ!」
悲鳴を上げるタダイに、トマスがあわてて駆け寄る。ごろつき三人の中でも、タダイは太めの体型をしている。まかり間違っても、重力に逆らうような真似ができるはずがない。
「安心しろ、怪我なんかさせねえから……ほーらよっと」
ごみを放るように、2は右手を上空へ振り上げる。絶叫しながら、タダイは宙を舞い……彼が戻ってきたのは、たいぶ後のことだった。地面に激突する前に落下の勢いがそがれ、ふわりと着地する。
「タダイ、大丈夫か!?」
トマスが声をかけるものの、返事はない。タダイは、白目をむいて気絶していた。かわいそうに、と3は哀れな舎弟に同情する。サロメアはというと、ぽかんと口を開けて、一連のやり取りをただ眺めていた。
「何だよ、これくらいで情けねえな」
「……今の、本当にあんたがやったのか……!?」
「正真正銘、俺の力だ。嘘だと思うなら、お前も空を飛んでみるか?」
2の申し出を、サロメアは無言で辞退した。2がやったことが、幻術の類いではないことはわかる。
「ひでえッスよ、アニキ……」
「メシ奢ってやってるだろ。これくらい協力しろよ」
意識を取り戻したタダイが、恨みがましい目で2を仰ぎ見る。一方、2は、舎弟が味わった恐怖など歯牙にもかけなかった。サロメアは黙ったまま思案に暮れていたが、やがて用心深く言葉を紡ぎ出した。
「……それで、もしあたしが依頼をしたとして……あんた、何を要求するつもりだい」
「お、その気になったか?」
揶揄するように、2が問う。無視して、サロメアは話を続けた。
「あの赤コートの仲間だ。金にも女にも、興味はないんだろ?」
「まあ、そのへんはどうでもいいな」
サロメアの推測を、2は肯定する。地獄の王たる彼がその気になれば、大抵の欲望は叶えられる。楽に手に入るものに、執着する理由はなかった。
「俺がお前に求めるのは、ひとつ」
2は、おもむろにサロメアに近づいた。警戒する彼女の耳元で、囁く。
「魂だ」
「何……!?」
反射的に飛びのいて、サロメアは彼が提示した条件に改めて愕然とする。先ほどまでは何とも思わなかったが、今は2の表情に禍々しさを感じた。畳み掛けるように、2が告げる。
「俺に、てめえの魂を捧げろ。そうすれば、どんな願いもかなえてやる」
「それは……あたしに、死ねってのか……!?」
「まあ、そうだな。お前の道連れに、あいつを確実に殺せる。どうだ?」
青ざめた顔で、サロメアは沈黙した。自分を改心させる冗談かと一瞬、疑ったものの、2の凶悪な笑みを目の当たりにし、彼が本気なのだと悟る。困ったように眉を寄せ、3が2をたしなめた。
「もう、カインってば……そんな条件、呑むわけが……」
「…………はは」
乾いた笑みが、サロメアの口から洩れる。3とごろつき達は、ぎょっとしたように彼女を見た。心底愉快そうにひとしきり笑った後、サロメアは言葉を発する。
「あたしの屑みてえな命で、あの勇者を殺せるってのか!傑作だね!」
「サロメア……!?」
トマスが、遠慮がちにサロメアの名を呼ぶ。当然のように、彼女は無視した。にやにやしながら彼女の返事を待っている2に向かって、不敵に言い放つ。
「いいだろう。その話、のってやる」
「お、おい、早まるな!」
「あのひとを……ヨハネを失くした時点で、あたしはとうに死んだも同然だ」
ごろつき達の制止は、サロメアにとって何の効果もない。狂気をはらんだ瞳で、サロメアは叫んだ。
「ヨハネの恨みを晴らせるのなら、この命、くれてやるよ!」
「……契約成立だな」
2が、満足げに頷いた、その直後。青い炎が、彼の全身から噴出した。突如生じた風圧に、3はどうにか踏みとどまったものの、ごろつきたちはなすすべもなく吹き飛ばされる。
「充電完了……っと。たまにはやっておかないと、鈍るんだよなあ」
首を左右に傾げて、2がのんきに呟く。もともと色素が薄い肌は青白さを増し、赤い瞳が、爛々と輝いていた。
そんな彼を、サロメアは、魅入られたように見つめている。この時点では、彼女の魂は狩られていないようだ。サロメアに、2が手を差し伸べる。
「さあ、行こうぜ。お前の願いが叶う瞬間、しっかりと目に焼き付けろよ」
そして、サロメアの腰に手を回し、彼女を抱えたまま2は飛翔した。恍惚とした表情で、サロメアが彼に寄り添う。
「カイン!!」
我に返り、3が2の名を呼ぶが、彼が止まることはない。身を寄せ合って震えているごろつきたちを置き去りにして、3は後を追った。
1とキリヤは遅めの朝食をすませた後、通りを歩いていた。
「シーザー、時間あるか?もう一度、手合せしてほしいんだが」
期待に満ちた目で、キリヤが1を見上げる。少し離れたところで、ガエネが珍獣でも見るような顔で彼を観察していた。この少年の今の状態が、いかにいつもと違うのかを知るのは、彼女だけである。
「俺様はこれから仕事なんだよ。また今度な」
「えー……残念だなあ……」
本日の仕事内容を頭に浮かべつつ、1はキリヤの誘いを断る。すねたように唇をとがらせるキリヤを、ガエネは本気で病院に連れて行きたくなった。
世間話をしている間に、それは来た。唐突に、キリヤの目の前に人影が降り立つ。周囲の人々が、大きくどよめいた。
「よお」
翼をしまい、2が片手を上げる。ほのかに青い光をまとっている彼を見て、1は嫌な予感がした。
「カイン、てめえ何やってんだ?それに……」
「……サロメア……」
キリヤが、2の同行者の方へ視線を向ける。2の胸元に手を添えたままで、サロメアは妖艶に微笑んだ。傍から見ると、彼の愛人にでもなったかのようだ。
「久しぶりだね、キリヤ。今日こそ、あんたを殺しに来たよ」
それは、親しげな友人か、あるいは恋人に向けられたかのような優しい響きを伴っていた。
「てめえ……この女の依頼を、受けたってのか……!?」
「ああ。報酬をもらったんでな」
1の問いに、2は静かに頷く。現実に直面しながらも、1には2がサロメアの復讐に加担したことが信じられなかった。挑戦を受けて立つと言わんばかりに、キリヤが1を押しのける。
「いいだろう。あんたと戦うのは初めてだな」
「キリヤ、やめとけ。そいつは、お前の手に負える相手じゃねえ!」
1は、キリヤを諌めた。彼にとっては、サロメアの刺客を撃退するのはいつものことであっても、今度ばかりは相手が悪すぎる。しかし、キリヤは1の言葉を聞き入れなかった。
街の人々が不安そうに成り行きを見守っていることに気づき、2はキリヤに提案する。
「ここで戦うと、被害が大きすぎるな。場所を変えるぞ」
「望むところだ」
キリヤが、好戦的に応じる。2の瞳が輝き、石畳に魔方陣が浮かび上がった。おそらくは、どこかへ転移するつもりだろう。
「ちっ……」
舌打ちし、1が2に向かって手をかざす。だが、妨害されることなく転移の術は発動し、2とサロメア・キリヤの姿は掻き消えた。
「キリヤ!!」
「くそっ!」
人々のざわめきの中、ガエネの声がひときわ大きく響く。忌々しげに、1は地面を蹴りつけた。
「シーザー!カインがこっちに飛んでこなかった!?」
そこへ、2とサロメアの後を追っていた3が駆け寄ってくる。
「ああ、来たぜ。キリヤを連れて、どこかへ行っちまった」
「止められなかったの?君、確か時間を操れるんじゃ……」
一足遅かったのだと知り、3が1に詰め寄る。1がその気になれば、不可能はないはずだ。3をにらみつけ、1は八つ当たり気味に怒鳴り返した。
「俺様より長く生きているやつの時間を停めることはできねえんだよ!」
「ええ!?」
初めて明かされた事実に、3は蒼白になる。自分と2が、1より遥かに長い時を生きていると判明したのは、つい先日のことだった。
「時間操作は、万能じゃねえんだ」
ばつが悪そうに、1は視線を逸らす。時間は、蓄積された長さによって重みが変わってくる。1が自由にできるのは、あくまで彼が生きてきた時間の範疇内だ。責めるようなことをしてごめん、と3は謝った。
「ねえ、あんた達!お願いだから、キリヤを探してよ!」
「そ、そうだね。このままだと、彼、たぶん……」
ガエネが、1と3に必死の形相ですがる。彼女に同意しつつ、3は言葉を濁した。今の2は、サロメアの命がけの祈りを吸収し、普段よりも数段、力が増している。もしかしたら、1を凌ぐかもしれない。1に完全敗北を喫したキリヤが2と戦えば、無事では済まないだろう。
「上空から探した方が早いだろ。飛ぶぞ!」
そう言うなり飛翔しようとする、1。ここは街中だということを忘れているらしい。3は彼を路地裏へ引っぱりこみ、人目がないことを確認してから、ともに空を舞った。
一面に咲き乱れる花々が、風に煽られ花弁をまき散らす。あまりに美しい光景に、一足飛びに天国へ来てしまったのか、とキリヤは目を疑った。
「ここは……」
「街からちょっと離れたとこだよ。ここなら、誰も来ねえ」
呆けたように辺りを見回すキリヤに、2が水を差す。ここは、かつては荒野の一部でしかなかった土地だが、3が浄化したため、このような緑野に生まれ変わったのだ。ナンナルの人々からは聖地と呼ばれているため、めったにひとが立ち入らない。
「お前の願いが叶うように、祈ってろ」
キリヤと同様、景色に見とれているサロメアに、2は下がるよう促す。ふらつきながら、彼女は2の指示に従った。
「待たせたな。始めようぜ」
「ずいぶんと余裕だな。すぐに後悔させてやる!」
厳しい表情で、キリヤは剣を抜いた。目の前の男が油断ならない存在だということは、彼も理解している。身構えることなく、2は冷たく蔑むように少年を見据えた。無数の魔方陣が虚空に現れて、2の周囲を旋回する。魔方陣が光り輝き、青い炎の矢がキリヤに向かって放たれた。
轟音と共に、炎が花畑を薙いでいく。2の攻撃を、キリヤは跳躍してかわした。尽きることがないかのように、炎の矢は四方に飛び散る。
「辺り一面、炎の海にするつもりか」
呟いて、剣を振る。剣の風圧が、炎の矢を掻き消した。当然、普通の剣技ではこんなことは不可能だ。勇者であるキリヤだからこそできる、神技だった。
しかし、向こうの攻撃をしのぐだけでは、勝機はない。何とか隙を見いだせないものか、とキリヤは敵を観察した。魔方陣の群れの中央にいる2は、微動だにしない。これだけの力を制御しているのだから、攻撃だけで手一杯なのだろう。そう判断し、キリヤは剣を構えて走り出した。
無数の炎が彼の行く手を阻むが、多少の火傷は気にせずつっこんでいく。幾多の炎撃をかいくぐり、キリヤは2に迫った。1の知り合いだからと言って、躊躇などしていられない。相手の胸板を貫く勢いで、剣を突き出す。刃の切っ先が届く直前、2がかすかに笑った。
嫌な予感がして、キリヤは反射的に飛び退く。その着地点に、魔方陣が出現した。
しまった、と思った時にはすでに遅く、魔方陣の呪縛にキリヤは絡め取られる。完全に動きを封じられた勇者に、2が声をかけた。
「……もう、おしまいか」
「く……ぅ……っ」
どうにかして束縛を振り切ろうともがくが、指一本動かせない。悔しげな呻き声が、キリヤの口から洩れた。遠くから観戦していたサロメアが、こちらに駆け寄ってくる。
「すごい……あのキリヤが、こんなにあっけなく……!」
素直に賞賛の言葉を述べるサロメアに、2は視線を向ける。完全勝利にも、彼女の賛辞にも、彼は全く心を動かされなかった。
「さてと。どんな殺し方がいいんだ」
「……え……?」
淡々と事務的な口調で問われ、サロメアは気が抜けた反応を返す。2の戦いぶりに圧倒されて失念していたが、彼女の目的はキリヤを殺すことだ。故郷で讃えられているキリヤを惨殺し、勇者などあっけないものだと証明する。そうすることで、情人の無念を晴らすのが、彼女の悲願だった。
その夢が、今、手の届くところにあるというのに、何の感慨も浮かばない。
「……そういや、お前の恋人は処刑されたんだっけか。だったら……」
躊躇するサロメアにしびれを切らしたか、2がキリヤにゆっくりと近づいていく。キリヤは、自分の命はここで終わるのだと悟った。
「……シーザー……」
ふと、1の面影が脳裏をよぎり、名を呟く。2が静かに構え、そして、次の瞬間。
キリヤの意識は、完全に途切れた。
「シーザー!本当にこっちなの!?」
一定の方向へ猛スピードで飛んでいく1の後を追いつつ、3が確認する。現在、街から離れて荒野を突き進んでいるのだが、これで間違っていたら一大事だ。
「ああ。声が聞こえた」
速度はそのままで、1は答えた。自分には何も聞こえなかったけど、と首をかしげつつも、3は1の直感を信じて彼に付き従う。やがて、二人は荒野の中にぽつんとある草原にたどり着いた。この地には、彼らも見覚えがある。出会ったばかりの頃に三人で飲み明かした、思い出の場所だ。
花畑の中央に、二人は降り立った。美しく咲き乱れていた花々は、戦いにより、無残に焼き払われている。
その破壊跡の中心に、2の姿があった。二人に背を向けた状態で、茶色いくせっ毛が、ばさばさと風になぶられている。
「……よお、遅かったな」
二人に気づき、2が振り返る。紺色のスーツに、赤黒い飛沫が散っていた。彼がそれまで見上げていたものが何であるかを理解し、1と3は言葉を失う。
「今、全部終わったぜ」
彼らより少し遅れて飛来してきたガエネが、悲鳴を上げる。
それは、木の十字架にはりつけにされたキリヤの姿だった。一見すると気を失っているだけのようだが、左胸に大穴が空いている。
キリヤは、完全に事切れていた。
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