L-Triangle!4-7
- 2014/06/03
- 21:14
一陣の風が、半ば焼け野原となった花畑を吹き抜けていく。
「キリヤ!キリヤ!そんな……目を開けてよ!!」
ガエネがキリヤにすがりついて泣く中、1と3は何もできずに立ち尽くしていた。
心のどこかで、期待していた。2は、キリヤを殺したりなんかしない。何とかうまいことサロメアを言いくるめて、彼らの仲立ちをするつもりなのだ、と。
なぜなら、2の世界は天界と地獄が共存するほど平和で、天使たちもお人好しで……2自身も、無駄な争いを好まないと常日頃から公言していたのだから。
だが、現実はそうではなかった。甘かったのは自分だ、と1は拳をきつく握りしめる。
「あ……だめ、待ってよ!」
ガエネの悲痛な叫びに、ふとキリヤの方を改めて見た1は、少年の姿が少しずつ希薄になっていくのに気づいた。
「何だ?何が起きてるんだ!?」
「勇者は死ぬと、この世界から消えてしまうの!」
「……それは、さすがにまずいな」
キリヤに手をかざし、彼の時を停める。キリヤの消滅の進行が突然止まり、ガエネが驚いたように1を凝視した。
「とりあえず、このままで待っとけ」
何かを問いたげなガエネにそう言い残し、1は2を、噛みつかんばかりの勢いで睨みつけた。
「どうした?」
「どうした、じゃねえよ!何で、キリヤを殺した!」
1がなぜこれほど憤っているのか理解できない様子の2に、詰問する。自分と同等の実力を持つ彼ならば、もっと他にやり方があったはずだ。らしくないと思いつつも、問わずにはいられない。
「ああ、話してなかったか?魂をもらう代わりに願いを叶えるのが、俺の世界の悪魔の仕事なんだ」
2が、他のルシファー二人に解説する。2の世界では誰もが一度は耳にしたことがある話だが、1と3にとっては初耳である。
「ってことは、その女は、てめえに魂を売り渡したってことかよ」
歯噛みしつつ、1がサロメアの方へ視線を向ける。彼女は、それに対して何の反応も返さなかった。ただ、無表情でキリヤの躯にじっと視線を注いでいる。サロメアを援護するように、2が口を開いた。
「魂を提供する代わりに、恋人の仇を討つ。それが、この女の願いだ」
「……だったら、俺様の相手もしてもらおうか」
唸るように言葉を吐き出し、1は2に向かって構えをとる。本気で意表を突かれたらしく、2が眉をひそめた。
「はあ?何でだよ。お前、関係ねえだろ?」
「おい、女。お前が大きな勘違いをしてるってこと、教えてやるよ」
2の問いを無視し、1はサロメアに呼びかける。さすがに、今度は彼女も1の存在を無視せず、不思議そうに彼を見つめ返してくる。一気に毒が抜けてしまったサロメアを薄気味悪く感じつつ、1は自身を指さした。
「魔王ゲメーティスを倒したのは、この俺様だ。キリヤは、魔王が退治されたことを街に報告しただけに過ぎねえ」
「何だって……!?」
サロメアが、瞠目する。1を支持するように、ガエネが涙混じりに叫んだ。
「そうよ!キリヤは何も悪くないのに!それなのに……何で、こんな目に遭わなくちゃならないのよ!」
「嘘だ!!そんなの、でたらめに決まってる!だったら、最初からそう言えばいいじゃないか!!領民たちだって……」
「そっちが勝手に勘違いしただけでしょ!?キリヤは、報告した後すぐに街を去ったんだから!彼は、ちやほやされたくて魔王退治をやっているわけじゃないんだからね!」
真相を受け入れられずに反論するサロメアに、ガエネが非難を浴びせる。愕然としつつ、サロメアは今聞いた情報と、自分の記憶を重ね合わせた。愛しい恋人……ヨハネが処刑されたあの日、広場には確かにキリヤの姿はなかった。もし彼がいたら、真っ先に人々に祭り上げられていたはずだ。
「そんな……じゃあ、あたしは、何のために……」
冷たい汗が背中を伝うのを感じながら、サロメアが身震いする。畳み掛けるように、1が彼女に言葉を投げかけた。
「キリヤのやつ、言ってたぜ。てめえは憎しみにすがることで生きている女だってな。そんな状態でも、死ぬよりマシだと思ってつき合ってくれてたんじゃねえか?」
「…………!!」
自分がキリヤに情けをかけられていたのだと知り、サロメアは絶句した。真の仇ではないにも関わらず、この少年は、彼女を殺すことも、絶望させることもなく、ただ憎しみを受け止めてくれていたのだ。
だが、そのキリヤも、もういない。自分が殺した。自ら手を下したのではなくても、そう仕組んだのは自分だ。真っ青になるサロメアに、今度は2が話しかけた。
「……で、どうするんだ?やるのか?」
「ぐだぐだ言わずに、とっとと始めるぞ!」
「てめえに聞いてるんじゃねえ」
今にもとびかかってきそうな1を制し、2はサロメアに尋ねる。
「シーザーの首も欲しいなら、くれてやる。俺は契約者に従うのみだ」
サロメアは、答えない。ため息をついて、どこか優しい口調で2は問いを重ねた。
「あんたのかたき討ちってのは、どこまでやれば終わりなんだ?シーザーか?保身のために恋人を生贄にした、領民も全部か。
俺としては、それでもいいんだぜ?あんたが、心からそれを願うのならな」
2が、諭すように、どこか憐れむように言葉を紡ぐ。それは、言外に、復讐にはきりがない、と言っているも同然だった。
「……ねえ……もう、やめよう?」
いたたまれなくなり、3が悲しげにサロメアを説得する。
「これ以上誰かを殺したって、空しいだけだよ」
以前の彼女ならば、3がこんなことを言おうものなら、きれいごとだと彼に平手を飛ばしたことだろう。だが、今は反発する気も起らなかった。憎しみという支えを失って、からっぽになった心に、3の忠告が染み入ってくる。
「キリヤ君が死んだとき、君は本当にうれしかった?……満たされなかったはずだ。
だって、彼が死んだって、恋人は戻ってこないんだから」
「……ヨハネが、戻って……」
呟いた後、何かに気づいたように、サロメアは必死の形相で2にすがりついた。
「なあ!あんた、何でも願いをかなえられるって言ったよな!?
だったら、もしかしてヨハネを生き返らせることも……」
「ん?ああ、できたさ」
「…………な」
あっさりと肯定され、サロメアは絶句する。悪びれもせずに、2は続けた。
「でも、お前は願わなかった。恋人より、てめえの感情を優先させた結果が、これだ」
そして、キリヤの遺体と、彼にすがりついて泣くガエネを指し示す。ふつふつとした怒りが、サロメアの胸中にわいてきた。
「何で言ってくれなかったんだよ!気づいてたんだろ!?」
鬼気迫る顔で、激情を2にぶつける。それに対する返答は、冷淡なものだった。
「何でもかんでも、他人のせいかよ。いい加減、全部自分が原因だってことに気づけ」
そう言い返した2の表情が、徐々に凶悪なものに変化していく。恐怖を感じて逃げようとするサロメアだったが、足がすくんで動けない。
顔だけではなく、2の体全体が、人外のものへと徐々に形を変えようとしていた。頭部に角が生え、顔の骨格が肉食獣のそれに変化する。白い肌が、禍々しい色に染まっていた。
「恋人を守れなかったのは、お前。
憎しみを止められなかったのも、他の連中を巻き込んだのも、キリヤを殺したのも……
そして、恋人を生き返らせるチャンスをみすみす逃したのも、全てお前の責任だ!」
巨大な悪魔の姿になった2が、咆哮する。サロメアは、自身の足元が奇妙にぬかるんでいることに気がついた。まるで地の底へ誘うかのように、真っ赤に染まった大地が、獲物を飲みこんでいく。
「何、あれ……化け物……!?」
キリヤをかばうように前に出つつ、ガエネが乾いた声で呟く。徐々に沈んでいく体をどうにかしようと身をよじるサロメアを宥めるように、2が猫なで声を出す。
「……ああ。安心しろよ。お前みたいに救いようのないやつでも、俺は見捨てたりはしねえ。契約は果たされた。てめえの魂は、俺のものだ」
突然、赤い大地から無数の腕が出現した。腕は、サロメアの体を押さえつけ、底なし沼と化した地面へと引きずり込もうとする。
「最後の審判まで、たっぷりと可愛がってやるよ。地獄でなあ!!」
サロメアが、絶望の悲鳴を上げた。2の哄笑が、それに重なる。誰もが放心したように状況を見守る中、動いたのは、3だった。
「待って!!」
翼を広げて、2の眼前まで飛翔する。白い羽が光となって舞い散る中、忌々しそうに、2は顔を歪めた。
「カイン!もう、いいだろう?彼女だって、後悔しているはずだ!」
「ったく……こういう時に邪魔しに入るところ、ホントに天使みてえだな」
聞こえるか聞こえないかの声で、ぼやく。2の軽口を無視して、3は懇願した。
「彼女には、更生の余地がある。だから……」
「何、きれいごと言ってやがる。こっちは、ボランティアじゃねえんだぞ?対価は、しっかり払ってもらわねえとな」
心底あきれた、というように、悪魔と化した2が抗弁する。その口調は、いつもの彼のものだった。これは説得の余地があると判断し、3は問いかける。
「……それは、キリヤ君を殺したことを言っているの?」
「それ以外に、何があるんだ」
2の返答に、3はしばし考えた後、1に目配せをした。
「……シーザー」
「わかってるよ」
応えるように、1がキリヤの時間を逆行させる。少年の傷が段々と塞がっていき、火傷の跡も、胸の大穴も、数秒後には嘘であったかのように消え失せた。
キリヤの目が、ゆっくりと開かれる。
「……あれ?俺は……」
「キリヤ!!」
不思議そうに身を起すキリヤに、ガエネが飛びつく。苦み走った顔で、2は1を威嚇した。
「てめえまで、何の真似だ」
「お前ごときが魔王っぽいことをしようなんてな、生意気なんだよ」
「何だと!?」
1にからかわれて、2が牙を剥く。
「さて、これで、何もかも元通りだよね」
今にも口げんかが始まりそうな気配を制し、3は普段よりもいささか強い口調で2に念を押した。
確固たる意志を持って放たれた一言に、2はしばらくの間迷っていたが、
「……勝手にしろ」
ついに折れて、細身の青年の姿に戻った。それと同時に、サロメアも地獄への吸引から開放される。1が、その場にへたり込む彼女をちらりと見た。
「それで、この女をどうするつもりだ?放置するのか」
「ああ、それなんだけど……君、私のところへ来ない?」
地上に降りて、3がサロメアに手を差し伸べる。
「私、君みたいに罪を犯した人々を更生させるために働いているんだ。そこで、心機一転、やり直してみるのもいいんじゃないかな」
「更生……あたしが……?」
呆けたように、サロメアが3の言葉を繰り返す。私怨のために多くの人を巻き込み、傷つけた自分を、受け入れようとする3が信じられなかった。
「いいんじゃねえの?どうせ、この世界じゃ指名手配でもされてるんだろうしな」
問題が自分の手を離れたと悟り、1が無責任に後押しをする。彼自身は3の世界に行ったことがないので、サロメアがどのような扱いを受けるかは推測すらできない状態だ。
「何だかよくわからないが、良かったな」
「キリヤ……」
1に乗っかるかたちで、キリヤもまた、サロメアの門出を素直に祝福した。少年の懐の深さが、サロメアの胸に響く。
「真人間になったら、ちゃんと謝りに来なさいよね!」
ガエネの激励に、サロメアは無言で頷く。その肩を、3がうれしそうに抱いた。
「……決まりだね。一名様、地獄にご案内~!」
そう言うなり、3は彼の世界へ転移するための術を紡ぐ。その発言にぎょっとして、サロメアが勢いよく彼を見た。
「はあ!?結局、地獄へ行くのかよ!!」
「大丈夫大丈夫。ちゃんと、きれいにしてあげるからね?」
にっこり微笑んで、3がサロメアに囁く。頼もしさより先にうさんくささを感じ、サロメアは3の手を振りほどこうと暴れ始めた。
「ちょっ……てめえ、ふざけんな!!こんなの、詐欺……」
抵抗も空しく術は発動し、3とサロメアは光に包まれ、姿を消す。
「……行ったか」
「ちょっと……あれ、大丈夫なの!?」
サロメアと同様、不安になったのか、ガエネが1に聞いてくる。彼女の身の安全を完璧には保証できない1は、若干目を逸らしつつ答えた。
「たぶん、な。あいつの世界の地獄は、死人が行くところじゃねえし」
「……ま、生きていれば、何とかなるわね」
ガエネが、悟ったような表情で肩をすくめる。サロメアの心配をそこまでする義理はないことを、今更ながら思い出した。
身体のあちこちを探りつつ、キリヤが1に問う。
「シーザー……あんたが、俺を生き返らせてくれたのか?」
「てめえは死ぬにはまだ早えよ。あんだけ大口を叩いたんだ。もっと俺様を楽しませろ」
遠慮がちに見上げてくる少年に、にやりと笑って1は応じた。やはり1が助けてくれたのだとわかり、キリヤは顔を輝かせる。
「……ありがとう……!必ず、あんたの期待に応えてみせるよ!」
ふてくされた2を除いて、一件落着ムードの中。穏やかな空気をかき乱すかのように無遠慮な光が天上から差し込んできたのは、そんな時だった。
「何だ!?」
「……あ。何か、覚えがあるような……」
キリヤが、剣の柄に手をかける。嫌な予感とともに、1は上空を見た。
光に包まれて、一人の天使が姿を現す。その顔には、見覚えがある。2の世界の天使長であり、2の弟である、ミカエル……略して、2ミカだ。厳しい表情で地上を見下ろし、2ミカは堂々と名乗りを上げた。
「そこまでだ、悪魔よ!この私が来たからには、お前の好きにはさせん!!
大天使ミカエル、見参!!」
「……出やがった……」
2が、このうえないほど嫌そうに毒づく。2ミカと初対面のキリヤとガエネは、目を丸くしていた。微妙な雰囲気を察して、2ミカが、不安げにきょろきょろとあたりを見回す。
「……あれ?何か、様子が……」
「あのな。もう、全部終わったから。帰っていいぞ」
深々とため息をつき、1が2ミカを追い払うようなしぐさをする。そのあまりにぞんざいな扱いに、2ミカは異議を申し立てた。
「そんな!?確かに、魂が地獄へ引き込まれる気配を感じたのに!」
「そいつは、フォースが助けた。だから、てめえの出る幕はねえ」
1にきっぱりと言い切られ、2ミカはよろめきつつも兄の方へと視線を向ける。
「兄さん、失敗したの……?」
「そうだよ!取り逃がしたんだよ!!俺の計画、全部台無しだ!!」
「そっか、良かった……」
不機嫌絶頂な2は、八つ当たり気味に弟を怒鳴りつけた。それを聞いて、2ミカは胸をなで下ろす。彼は兄が悪行を重ねずにすんだことを喜んでいたのだが、自分の失敗を弟が嘲笑っているのだと解釈した2は、ますますいきりたった。
「わかったら、とっとと失せろ!その面、目障りなんだよ!」
「なっ……!」
2の暴言に、2ミカは顔を真っ赤にして黙りこくる。さらに追い打ちをかけるように、2は弟のすぐ傍まで飛翔した。
「思いきりかっこつけて出てきやがって、何が『大天使ミカエル見参!』だよ!?
マジ寒すぎ!コキュートスより寒ぃ!」
「う、うぅ……っ!」
指を突きつけ、心の底からバカにしたように、2は弟を責めたてる。自分でも恥ずかしくなったのか、2ミカは顔から火が出そうな気分になり、俯いた。
「何だよ、悔しいのか?残念でしたぁー!お前の出番はありませんー!
ざまあみろ、ばーかばーか!」
一度エンジンがかかってしまうと止まれないのか、2が2ミカの周囲を飛び回る。完全に、小学生のケンカである。拳を握りしめて震えていた2ミカだが、ついに限界が来た。涙をためた瞳で、兄を睨みつける。
「うるさい、うるさい!兄さんなんか……兄さんなんか、だいっきらいだあああああああ!!」
泣きわめいて、2ミカは兄に向って両手をかざした。莫大な規模の紅蓮の炎が巻き起こり、2を襲う。
「ちょ、ま……、ぐあああああああ!!」
あわてて炎を防ごうとするものの、勢いが強すぎるのか、2は抵抗空しく吹っ飛ばされた。そのまま花畑へ墜落し、黒い煙をあげながら突っ伏する。
「何なんだ、あれ……」
「気にすんな。単なる兄弟げんかだ」
目を点にしたまま、キリヤが呟く。その横で、1が遠い目をして答えた。
「あたしとしては、すっきりしたけどね、うん」
2ミカが泣きながら帰っていくのを視線だけで見送りつつ、ガエネがしみじみと頷く。
黒こげになった2は、もうしばらくは動く気配がなかった。
「キリヤ!キリヤ!そんな……目を開けてよ!!」
ガエネがキリヤにすがりついて泣く中、1と3は何もできずに立ち尽くしていた。
心のどこかで、期待していた。2は、キリヤを殺したりなんかしない。何とかうまいことサロメアを言いくるめて、彼らの仲立ちをするつもりなのだ、と。
なぜなら、2の世界は天界と地獄が共存するほど平和で、天使たちもお人好しで……2自身も、無駄な争いを好まないと常日頃から公言していたのだから。
だが、現実はそうではなかった。甘かったのは自分だ、と1は拳をきつく握りしめる。
「あ……だめ、待ってよ!」
ガエネの悲痛な叫びに、ふとキリヤの方を改めて見た1は、少年の姿が少しずつ希薄になっていくのに気づいた。
「何だ?何が起きてるんだ!?」
「勇者は死ぬと、この世界から消えてしまうの!」
「……それは、さすがにまずいな」
キリヤに手をかざし、彼の時を停める。キリヤの消滅の進行が突然止まり、ガエネが驚いたように1を凝視した。
「とりあえず、このままで待っとけ」
何かを問いたげなガエネにそう言い残し、1は2を、噛みつかんばかりの勢いで睨みつけた。
「どうした?」
「どうした、じゃねえよ!何で、キリヤを殺した!」
1がなぜこれほど憤っているのか理解できない様子の2に、詰問する。自分と同等の実力を持つ彼ならば、もっと他にやり方があったはずだ。らしくないと思いつつも、問わずにはいられない。
「ああ、話してなかったか?魂をもらう代わりに願いを叶えるのが、俺の世界の悪魔の仕事なんだ」
2が、他のルシファー二人に解説する。2の世界では誰もが一度は耳にしたことがある話だが、1と3にとっては初耳である。
「ってことは、その女は、てめえに魂を売り渡したってことかよ」
歯噛みしつつ、1がサロメアの方へ視線を向ける。彼女は、それに対して何の反応も返さなかった。ただ、無表情でキリヤの躯にじっと視線を注いでいる。サロメアを援護するように、2が口を開いた。
「魂を提供する代わりに、恋人の仇を討つ。それが、この女の願いだ」
「……だったら、俺様の相手もしてもらおうか」
唸るように言葉を吐き出し、1は2に向かって構えをとる。本気で意表を突かれたらしく、2が眉をひそめた。
「はあ?何でだよ。お前、関係ねえだろ?」
「おい、女。お前が大きな勘違いをしてるってこと、教えてやるよ」
2の問いを無視し、1はサロメアに呼びかける。さすがに、今度は彼女も1の存在を無視せず、不思議そうに彼を見つめ返してくる。一気に毒が抜けてしまったサロメアを薄気味悪く感じつつ、1は自身を指さした。
「魔王ゲメーティスを倒したのは、この俺様だ。キリヤは、魔王が退治されたことを街に報告しただけに過ぎねえ」
「何だって……!?」
サロメアが、瞠目する。1を支持するように、ガエネが涙混じりに叫んだ。
「そうよ!キリヤは何も悪くないのに!それなのに……何で、こんな目に遭わなくちゃならないのよ!」
「嘘だ!!そんなの、でたらめに決まってる!だったら、最初からそう言えばいいじゃないか!!領民たちだって……」
「そっちが勝手に勘違いしただけでしょ!?キリヤは、報告した後すぐに街を去ったんだから!彼は、ちやほやされたくて魔王退治をやっているわけじゃないんだからね!」
真相を受け入れられずに反論するサロメアに、ガエネが非難を浴びせる。愕然としつつ、サロメアは今聞いた情報と、自分の記憶を重ね合わせた。愛しい恋人……ヨハネが処刑されたあの日、広場には確かにキリヤの姿はなかった。もし彼がいたら、真っ先に人々に祭り上げられていたはずだ。
「そんな……じゃあ、あたしは、何のために……」
冷たい汗が背中を伝うのを感じながら、サロメアが身震いする。畳み掛けるように、1が彼女に言葉を投げかけた。
「キリヤのやつ、言ってたぜ。てめえは憎しみにすがることで生きている女だってな。そんな状態でも、死ぬよりマシだと思ってつき合ってくれてたんじゃねえか?」
「…………!!」
自分がキリヤに情けをかけられていたのだと知り、サロメアは絶句した。真の仇ではないにも関わらず、この少年は、彼女を殺すことも、絶望させることもなく、ただ憎しみを受け止めてくれていたのだ。
だが、そのキリヤも、もういない。自分が殺した。自ら手を下したのではなくても、そう仕組んだのは自分だ。真っ青になるサロメアに、今度は2が話しかけた。
「……で、どうするんだ?やるのか?」
「ぐだぐだ言わずに、とっとと始めるぞ!」
「てめえに聞いてるんじゃねえ」
今にもとびかかってきそうな1を制し、2はサロメアに尋ねる。
「シーザーの首も欲しいなら、くれてやる。俺は契約者に従うのみだ」
サロメアは、答えない。ため息をついて、どこか優しい口調で2は問いを重ねた。
「あんたのかたき討ちってのは、どこまでやれば終わりなんだ?シーザーか?保身のために恋人を生贄にした、領民も全部か。
俺としては、それでもいいんだぜ?あんたが、心からそれを願うのならな」
2が、諭すように、どこか憐れむように言葉を紡ぐ。それは、言外に、復讐にはきりがない、と言っているも同然だった。
「……ねえ……もう、やめよう?」
いたたまれなくなり、3が悲しげにサロメアを説得する。
「これ以上誰かを殺したって、空しいだけだよ」
以前の彼女ならば、3がこんなことを言おうものなら、きれいごとだと彼に平手を飛ばしたことだろう。だが、今は反発する気も起らなかった。憎しみという支えを失って、からっぽになった心に、3の忠告が染み入ってくる。
「キリヤ君が死んだとき、君は本当にうれしかった?……満たされなかったはずだ。
だって、彼が死んだって、恋人は戻ってこないんだから」
「……ヨハネが、戻って……」
呟いた後、何かに気づいたように、サロメアは必死の形相で2にすがりついた。
「なあ!あんた、何でも願いをかなえられるって言ったよな!?
だったら、もしかしてヨハネを生き返らせることも……」
「ん?ああ、できたさ」
「…………な」
あっさりと肯定され、サロメアは絶句する。悪びれもせずに、2は続けた。
「でも、お前は願わなかった。恋人より、てめえの感情を優先させた結果が、これだ」
そして、キリヤの遺体と、彼にすがりついて泣くガエネを指し示す。ふつふつとした怒りが、サロメアの胸中にわいてきた。
「何で言ってくれなかったんだよ!気づいてたんだろ!?」
鬼気迫る顔で、激情を2にぶつける。それに対する返答は、冷淡なものだった。
「何でもかんでも、他人のせいかよ。いい加減、全部自分が原因だってことに気づけ」
そう言い返した2の表情が、徐々に凶悪なものに変化していく。恐怖を感じて逃げようとするサロメアだったが、足がすくんで動けない。
顔だけではなく、2の体全体が、人外のものへと徐々に形を変えようとしていた。頭部に角が生え、顔の骨格が肉食獣のそれに変化する。白い肌が、禍々しい色に染まっていた。
「恋人を守れなかったのは、お前。
憎しみを止められなかったのも、他の連中を巻き込んだのも、キリヤを殺したのも……
そして、恋人を生き返らせるチャンスをみすみす逃したのも、全てお前の責任だ!」
巨大な悪魔の姿になった2が、咆哮する。サロメアは、自身の足元が奇妙にぬかるんでいることに気がついた。まるで地の底へ誘うかのように、真っ赤に染まった大地が、獲物を飲みこんでいく。
「何、あれ……化け物……!?」
キリヤをかばうように前に出つつ、ガエネが乾いた声で呟く。徐々に沈んでいく体をどうにかしようと身をよじるサロメアを宥めるように、2が猫なで声を出す。
「……ああ。安心しろよ。お前みたいに救いようのないやつでも、俺は見捨てたりはしねえ。契約は果たされた。てめえの魂は、俺のものだ」
突然、赤い大地から無数の腕が出現した。腕は、サロメアの体を押さえつけ、底なし沼と化した地面へと引きずり込もうとする。
「最後の審判まで、たっぷりと可愛がってやるよ。地獄でなあ!!」
サロメアが、絶望の悲鳴を上げた。2の哄笑が、それに重なる。誰もが放心したように状況を見守る中、動いたのは、3だった。
「待って!!」
翼を広げて、2の眼前まで飛翔する。白い羽が光となって舞い散る中、忌々しそうに、2は顔を歪めた。
「カイン!もう、いいだろう?彼女だって、後悔しているはずだ!」
「ったく……こういう時に邪魔しに入るところ、ホントに天使みてえだな」
聞こえるか聞こえないかの声で、ぼやく。2の軽口を無視して、3は懇願した。
「彼女には、更生の余地がある。だから……」
「何、きれいごと言ってやがる。こっちは、ボランティアじゃねえんだぞ?対価は、しっかり払ってもらわねえとな」
心底あきれた、というように、悪魔と化した2が抗弁する。その口調は、いつもの彼のものだった。これは説得の余地があると判断し、3は問いかける。
「……それは、キリヤ君を殺したことを言っているの?」
「それ以外に、何があるんだ」
2の返答に、3はしばし考えた後、1に目配せをした。
「……シーザー」
「わかってるよ」
応えるように、1がキリヤの時間を逆行させる。少年の傷が段々と塞がっていき、火傷の跡も、胸の大穴も、数秒後には嘘であったかのように消え失せた。
キリヤの目が、ゆっくりと開かれる。
「……あれ?俺は……」
「キリヤ!!」
不思議そうに身を起すキリヤに、ガエネが飛びつく。苦み走った顔で、2は1を威嚇した。
「てめえまで、何の真似だ」
「お前ごときが魔王っぽいことをしようなんてな、生意気なんだよ」
「何だと!?」
1にからかわれて、2が牙を剥く。
「さて、これで、何もかも元通りだよね」
今にも口げんかが始まりそうな気配を制し、3は普段よりもいささか強い口調で2に念を押した。
確固たる意志を持って放たれた一言に、2はしばらくの間迷っていたが、
「……勝手にしろ」
ついに折れて、細身の青年の姿に戻った。それと同時に、サロメアも地獄への吸引から開放される。1が、その場にへたり込む彼女をちらりと見た。
「それで、この女をどうするつもりだ?放置するのか」
「ああ、それなんだけど……君、私のところへ来ない?」
地上に降りて、3がサロメアに手を差し伸べる。
「私、君みたいに罪を犯した人々を更生させるために働いているんだ。そこで、心機一転、やり直してみるのもいいんじゃないかな」
「更生……あたしが……?」
呆けたように、サロメアが3の言葉を繰り返す。私怨のために多くの人を巻き込み、傷つけた自分を、受け入れようとする3が信じられなかった。
「いいんじゃねえの?どうせ、この世界じゃ指名手配でもされてるんだろうしな」
問題が自分の手を離れたと悟り、1が無責任に後押しをする。彼自身は3の世界に行ったことがないので、サロメアがどのような扱いを受けるかは推測すらできない状態だ。
「何だかよくわからないが、良かったな」
「キリヤ……」
1に乗っかるかたちで、キリヤもまた、サロメアの門出を素直に祝福した。少年の懐の深さが、サロメアの胸に響く。
「真人間になったら、ちゃんと謝りに来なさいよね!」
ガエネの激励に、サロメアは無言で頷く。その肩を、3がうれしそうに抱いた。
「……決まりだね。一名様、地獄にご案内~!」
そう言うなり、3は彼の世界へ転移するための術を紡ぐ。その発言にぎょっとして、サロメアが勢いよく彼を見た。
「はあ!?結局、地獄へ行くのかよ!!」
「大丈夫大丈夫。ちゃんと、きれいにしてあげるからね?」
にっこり微笑んで、3がサロメアに囁く。頼もしさより先にうさんくささを感じ、サロメアは3の手を振りほどこうと暴れ始めた。
「ちょっ……てめえ、ふざけんな!!こんなの、詐欺……」
抵抗も空しく術は発動し、3とサロメアは光に包まれ、姿を消す。
「……行ったか」
「ちょっと……あれ、大丈夫なの!?」
サロメアと同様、不安になったのか、ガエネが1に聞いてくる。彼女の身の安全を完璧には保証できない1は、若干目を逸らしつつ答えた。
「たぶん、な。あいつの世界の地獄は、死人が行くところじゃねえし」
「……ま、生きていれば、何とかなるわね」
ガエネが、悟ったような表情で肩をすくめる。サロメアの心配をそこまでする義理はないことを、今更ながら思い出した。
身体のあちこちを探りつつ、キリヤが1に問う。
「シーザー……あんたが、俺を生き返らせてくれたのか?」
「てめえは死ぬにはまだ早えよ。あんだけ大口を叩いたんだ。もっと俺様を楽しませろ」
遠慮がちに見上げてくる少年に、にやりと笑って1は応じた。やはり1が助けてくれたのだとわかり、キリヤは顔を輝かせる。
「……ありがとう……!必ず、あんたの期待に応えてみせるよ!」
ふてくされた2を除いて、一件落着ムードの中。穏やかな空気をかき乱すかのように無遠慮な光が天上から差し込んできたのは、そんな時だった。
「何だ!?」
「……あ。何か、覚えがあるような……」
キリヤが、剣の柄に手をかける。嫌な予感とともに、1は上空を見た。
光に包まれて、一人の天使が姿を現す。その顔には、見覚えがある。2の世界の天使長であり、2の弟である、ミカエル……略して、2ミカだ。厳しい表情で地上を見下ろし、2ミカは堂々と名乗りを上げた。
「そこまでだ、悪魔よ!この私が来たからには、お前の好きにはさせん!!
大天使ミカエル、見参!!」
「……出やがった……」
2が、このうえないほど嫌そうに毒づく。2ミカと初対面のキリヤとガエネは、目を丸くしていた。微妙な雰囲気を察して、2ミカが、不安げにきょろきょろとあたりを見回す。
「……あれ?何か、様子が……」
「あのな。もう、全部終わったから。帰っていいぞ」
深々とため息をつき、1が2ミカを追い払うようなしぐさをする。そのあまりにぞんざいな扱いに、2ミカは異議を申し立てた。
「そんな!?確かに、魂が地獄へ引き込まれる気配を感じたのに!」
「そいつは、フォースが助けた。だから、てめえの出る幕はねえ」
1にきっぱりと言い切られ、2ミカはよろめきつつも兄の方へと視線を向ける。
「兄さん、失敗したの……?」
「そうだよ!取り逃がしたんだよ!!俺の計画、全部台無しだ!!」
「そっか、良かった……」
不機嫌絶頂な2は、八つ当たり気味に弟を怒鳴りつけた。それを聞いて、2ミカは胸をなで下ろす。彼は兄が悪行を重ねずにすんだことを喜んでいたのだが、自分の失敗を弟が嘲笑っているのだと解釈した2は、ますますいきりたった。
「わかったら、とっとと失せろ!その面、目障りなんだよ!」
「なっ……!」
2の暴言に、2ミカは顔を真っ赤にして黙りこくる。さらに追い打ちをかけるように、2は弟のすぐ傍まで飛翔した。
「思いきりかっこつけて出てきやがって、何が『大天使ミカエル見参!』だよ!?
マジ寒すぎ!コキュートスより寒ぃ!」
「う、うぅ……っ!」
指を突きつけ、心の底からバカにしたように、2は弟を責めたてる。自分でも恥ずかしくなったのか、2ミカは顔から火が出そうな気分になり、俯いた。
「何だよ、悔しいのか?残念でしたぁー!お前の出番はありませんー!
ざまあみろ、ばーかばーか!」
一度エンジンがかかってしまうと止まれないのか、2が2ミカの周囲を飛び回る。完全に、小学生のケンカである。拳を握りしめて震えていた2ミカだが、ついに限界が来た。涙をためた瞳で、兄を睨みつける。
「うるさい、うるさい!兄さんなんか……兄さんなんか、だいっきらいだあああああああ!!」
泣きわめいて、2ミカは兄に向って両手をかざした。莫大な規模の紅蓮の炎が巻き起こり、2を襲う。
「ちょ、ま……、ぐあああああああ!!」
あわてて炎を防ごうとするものの、勢いが強すぎるのか、2は抵抗空しく吹っ飛ばされた。そのまま花畑へ墜落し、黒い煙をあげながら突っ伏する。
「何なんだ、あれ……」
「気にすんな。単なる兄弟げんかだ」
目を点にしたまま、キリヤが呟く。その横で、1が遠い目をして答えた。
「あたしとしては、すっきりしたけどね、うん」
2ミカが泣きながら帰っていくのを視線だけで見送りつつ、ガエネがしみじみと頷く。
黒こげになった2は、もうしばらくは動く気配がなかった。
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