L-Triangle!外伝③(後編)
- 2014/06/11
- 20:20
そして、夜。教会前で三人を出迎えたのは、3にとっては顔なじみの初老の神官だった。
「皆様、お待ちしておりました」
いつもと同じように、老神官が温和な笑みを浮かべる。三人を代表して、3が頭を下げた。
「こんばんは、神官様。セイシュさんは……?」
「彼は、第二礼拝堂で儀式の準備中です。カインさん、シーザーさん、教会へようこそ」
3の問いに答え、老神官は1と2に挨拶した。3とは違い、1と2はガラが悪く、お世辞にも友好的とは言えない。それにも関わらず、老神官は彼らを差別する考えはないようだ。
「悪ぃな、色々と手間をとらせちまってよ」
神官の人柄を、信頼できるものと判断したのだろう。2は、態度を軟化させた。
「いえいえ、これも教会の勤めですので」
そして、老神官を先頭に、教会の回廊を歩いて行く。中庭を挟んで向こう側にいたシスター達が、彼らに気がついた。
「見て、フォース様よ!」
シスターの一人が、3を指さす。それにつられるようにして、他の娘たちも身を乗り出した。
「今日は、お友達も一緒なのね」
「あなた、聞いてないの?あの、悪魔にとりつかれたっていう……」
のんきなことを言う娘に、他のシスターが小声で教える。教会で働いている彼女たちは、今夜、悪魔祓いの儀式が行われることを知っていた。
「……あの方が、そうなの?」
シスター達の視線が、2に集中する。距離があるので、ルシファー三人は彼女たちに気づいていないようだ。
「ホントだ……何だか、目つきが鋭い方ね。怖いわ……」
シスターの一人が、身震いする。黙っていると、1ほどではないが、2もそれなりに威圧感がある。すらりと高い身長も、痩せ細った体も、少女たちにとっては心証が悪い。
「もう一人の方も……すごい傷……」
他のシスターが1を見て、眉をひそめた。彼女たちの目には、筋骨隆々で傷だらけの1は魔物か野盗の親せきにでも見えるのだろう。
「フォース様、あの人たちにいじめられたりしていないかしら……」
好き勝手な想像をしつつ、彼女たちは憧れの君である3の身を案じた。そんな中、ただ黙って老神官の後ろを歩いていたルシファー達に変化があった。3が、2に気遣うような素振りで声をかける。それに対し、2が笑って何事かを返した。1もからかうような表情でそれに加わる。
「……仲が良さそうね」
ぽかんと口を開け、シスターの一人が呟く。あれほど恐ろしかった1と2が、今は普通の若者に見えた。彼女たちの前では優雅な貴公子である3も、他の二人に違和感なく溶け込んでいる。
「いつもと違うフォース様を見た気がするわ……」
結局、シスター達に気づくことなく、和気あいあいとじゃれながら三人は通り過ぎていく。少女達は、それを呆然と見送っていた。
教会の本堂から離れたところに、第二礼拝堂の建物はある。中庭にぽつんと立っているそこに、三人は案内された。
「こちらです」
「ここに来たのは、初めてだなあ……」
老神官が、第二礼拝堂のとびらの前で立ち止まる。3は、建物をしげしげと見つめた。教会に足しげく通っている彼だが、ここまで奥まった場所に足を踏み入れたことはなかった。
「特別な催事のとき以外、使われていませんので。それでは、カインさん、無事に儀式を終えられるよう、お祈りしています」
老神官が、2に一礼する。意表を突かれ、2は老神官に尋ねた。
「あんたは儀式には出ないのか?」
それは、1と3も疑問に思ったことだった。老神官は、この教会の最高責任者ではないにせよ、それなりの地位にいるように見受けられる。ならば、監督役として彼ほどふさわしい人物はいないだろう。
「関係者以外は立ち入らないようにと、セイシュ殿から指示がありまして」
「……ますます、うさんくせえな。大丈夫か、あのセイシュとかいうやつ」
1が、苦虫を噛み潰したような表情になった。教会の一角を提供している時点で、この老神官や、ナンナルの教会の者たちは立派な関係者である。それを排除するということは、向こうがナンナルの教会を格下に見ているも同然ではないか。
「実は、私どもにもウェヌスの教会のことはよくわからないのです。あちらの教会の規模は大きく、総本山への連絡口となっているため、無碍にはできないというのが現状でして」
苛立たしげな1を、老神官が困ったように宥める。
「……権力は、あちらの方が上ってことか」
老神官の話から、2が客観的に分析した。ナンナルの街以外をほとんど知らない彼でも、ここが他と比べて大した力を持っていないことくらいは容易に想像できる。
「私どもの内部事情に巻き込んでしまい、申し訳ありません。ただ、セイシュ殿は善意で儀式を行ってくださるのだと思います」
心底申し訳なさそうに、老神官が頭を垂れる。三人の表情は、それだけでは晴れなかった。
「……善意、ねえ……」
意地の悪い一言が、1の口をついて出る。老神官を責める意図はないのだが、教会に対する不審をこらえきれなかったのだ。
「何か不快なことがございましたら、遠慮なく仰って下さい。責任は私がとりますので」
「いえ、神官様が悪いわけでは……」
あわてて、3が老神官の申し出を断る。神官には、何の落ち度もないのだ。
「……爺さん、何かあったらよろしくな」
2が、老神官に念を押す。彼としても、この人のよさそうな神官に何かを押しつけるつもりはない。だが、教会内部に味方がいれば、いざというときの打開策の幅が段違いに広がる。それを理解したのか、老神官は重々しく頷き、彼らのことを気にしつつ立ち去った。
礼拝堂の扉が、ゆっくりと開かれる。おそらくは香でも焚いているのだろうか、むっとした甘い匂いが、ルシファー達を迎えた。第二礼拝堂は、普段訪れている礼拝堂より規模は小さいものの造りは大差なく、長椅子がずらりと並び、そこから数段上がった最奥に教壇がある。左右に配置された燭台の炎が、妖しくゆらめいていた。
「お待ちしていました」
教壇机に祭具を並べていたセイシュが、笑いかけてくる。彼から少し離れたところに、屈強な男たちが四人、控えていた。
「こいつらは何なんだ」
「私とともに教会から派遣された者たちです。悪魔が暴れないとも限りませんので、護衛のようなものですね」
1の指摘に、セイシュは平然と返す。男たちは、彼と似たデザインの、詰襟服を着ていた。
「カイン、台上へどうぞ」
セイシュが2に向かって、手招きをする。1と3は、最前列の席に腰掛けた。階段を上り、2はセイシュの前に立つ。
「……で、何をすればいいんだ」
瞳に何の感情も浮かべずに、ぶっきらぼうに問う。こんな茶番は、さっさと終わらせてしまうに限る。セイシュは、会った時と同様に2の全身をねめつけるように見回した。
「そうですね。まずは……服を脱いでください」
「は?」
セイシュが、淡々と指示する。2は、思わず聞き返していた。
「悪魔の印が体に刻まれていないか、確認するためです」
それが当然である、と言わんばかりに、セイシュが補足する。医者のような、事務的な口調だ。
「ここでか……?」
戸惑い、2は堂内を見渡す。今、彼とセイシュは数段上の位置にいるので、実によく目立つ。
「ご安心を。ここにいるのは、関係者だけです。婦人もいませんし、男同士で気にすることもないでしょう?」
微笑んで、セイシュが2を促す。確かに、ここにいるのはこの退魔士と、あとはルシファー二人・それに人形のように微動だにしない護衛たちだけだ。
「……カイン、嫌なら、言っていいんだよ?」
階下で、3がおずおずと声をかけてくる。自分が原因の問題で、他者に気を遣わせるわけにはいかないと思い、2は、退魔士に従うことを決めた。ベストを無造作に脱ぎ捨て、ワイシャツのボタンをゆっくりと外す。白い肌が、薄明かりに照らしだされた。
「……カイン……」
3が、不安そうに眉を寄せる。2の裸身を見たのは、これが初めてだった。
「華奢な身体してんのな。折れちまいそうだ」
2に聞こえないように、1は率直な感想を述べた。無駄な脂肪は一切なく、それどころか必要なところにも足りていない。浮き出た鎖骨やあばらが、ここからでもよく見える。普段は何とも思わないが、この状況下で、2の細い身体は何とも頼りなく映った。
上半身裸になった2は、これでいいだろ、と言わんばかりに、仁王立ちする。
「衣服は、それだけではないでしょう?」
だが、退魔士はこれだけでは許さなかった。彼の意図を理解し、2は絶句する。
「……全部、脱げってか」
「ちょっと……!それは、あんまり……!」
さすがに、3が異議を申し立てた。彼ら三人にとっては、この儀式は本気の退魔ではなく、単なる形式的なものに過ぎない。そんなことで、これ以上の辱めを受けるのはあまりに酷だ。
「悪魔の印は、通常、目立つところにはないものです。ああいったものは、隠されているのですよ。普段、目につかない、きわどいところに……」
しかし、退魔士は譲るつもりはないようだ。3が、怒気をはらんだ瞳でセイシュを睨みつける。美貌の青年が感情をむき出しにする様を存分に楽しんで、セイシュは肩をすくめた。
「私としては、ここで辞めても構わないのですよ?ただ、儀式は失敗ということになり、街の人々は一層不安になるでしょうが」
セイシュの脅しともとれる言葉に、3の目が動揺に揺らぐ。この退魔士は、ナンナルより上の教会に所属しているため、ルシファー達よりずっと、社会的な信用がある。彼が悪評を広めることで困るのは、自分ではなく2だ。
「……ったく、しょうがねえな」
ため息をついて、2はベルトに手をかける。
「カイン!」
「女じゃあるまいし、裸になるくらい、どうってことねえよ」
蒼白になる3に、2は笑みを投げかけた。そしてしばし後、とうとう一糸まとわぬ姿になる。ほのかな照明の中、臆することなく堂々としている様は、彫刻のようでいっそ清々しい。セイシュに手渡された薄い布を、2は腰に巻きつけた。
「ほら。悪魔の印とやらを、とっとと探せ」
セイシュの前に、自身の裸体を晒す。2の純白の絹のような滑らかな肌には、あざひとつ見当たらない。退魔士の瞳が、驚愕に見開かれた。
「……なんと……これほど疵のない身体が、この世に存在するというのか……!」
セイシュの震える指が、2の胸部を撫でる。
「ちょっ……どこ触ってんだ、この野郎」
無遠慮に触れられ、2は抗議の声を上げた。しかし、退魔士には彼の言葉は届いていない。恍惚とした表情で、セイシュは2の肌触りを堪能する。その指先が、胸から腹部にかけて、何度も往復した。鳥肌を立てて2が身をよじるが、セイシュはそれをやめようとはしない。
「美しい……ああ、こんなことは、初めてだ……」
「……きめえ」
目の前で繰り広げられる光景に、1はげんなりしたように呟く。彼には、退魔士が何に感動しているのか全く理解できない。ただ、ひたすらにドン引きするのみだ。
「この、いい加減に……!」
拳を握りしめて、3が席を立とうとした時、2がセイシュの手を振り払った。
「それで、どうなんだよ?印なんてねえだろが」
冷静な問いかけに、セイシュは我に返る。咳払いをし、彼は情欲を引っ込めた。話が進みそうなので、3も渋々いすに掛け直す。
「見ただけでは、やはりわかりませんね。聖なるものが触れたときに、悪魔の刻印は出現する。そういうものです」
もっともらしいことを言いつつ、セイシュは机に置かれていた祭具のひとつを手に取る。それは、大ぶりのナイフほどの大きさの、鳥の羽根だった。
「これは、神の使い・神鳥の羽根。邪気を払う力があると言われています」
「……やけにでけえ鳥だな」
目の前でひらひらとはためかされ、2は訝しげに羽根を見つめる。その大きさは、天使の羽根はもちろん、ダチョウのそれをも遥かに上回っていた。
「人が乗れるほどの大きさですからね」
「……そんなものが、この世界に……ふあぁ!?」
話の途中で、2は悲鳴を上げた。神鳥の羽根が、首筋をかすめたのだ。
「おや、どうしました?」
「どうしました、じゃねえ!くすぐってえだろが!」
わざとらしく問いかけてくるセイシュを、首をさすりつつ怒鳴りつける。ふわふわとした羽毛の感触は、十分すぎるほどの存在感があった。
「先ほど、お話ししたでしょう?この羽には、邪気を払う力があると」
2の怒りを歯牙にもかけず、優しく諭すようにセイシュが解説する。羽根が、2のわき腹をなぞった。
「ん……っ」
嫌悪感を露わに、2が身をすくませる。また、おかしな声を出してしまいそうだった。
「この羽で、全身をくまなく清めてさしあげますよ」
狼狽える彼に、退魔士は冷たく宣告する。その表情は、獲物をいたぶる肉食獣のような、愉悦に満ちていた。
「や、めろ……!」
血相を変え、2が後ずさる。そんなもので全身をくまなく嬲られたら、おかしくなってしまいそうだ。
「もう、我慢の限界だ……行ってくる!」
「おお」
さすがに見かねたか、額に青筋を浮かべ、3が席を立つ。1は、もとより止めるつもりはないようだ。壇上に上がろうとした3だったが、その行く手を、護衛の男たちに阻まれる。
「大事な儀式の最中です。邪魔をしてはなりませんよ」
「どいてください!こんなのが、神聖な儀式であるはずがない!」
セイシュと、無表情な護衛たちに向かって、3は激昂する。3にとっては、男たちを排除することはた易い。しかし、ここで騒ぎを起せばナンナルの教会に迷惑がかかるという事実が、彼に決断を鈍らせた。
「……しょうがねえな……耐えれば、いいんだろ……」
どこか諦めたように、2が吐息を漏らす。自分は、地獄の王ルシファーだ。悪魔たちの首領だ。自分の不始末くらい、自分でケリをつける。こんな退魔士の稚拙な責めくらい、どうということはない。そう、自身に言い聞かせる。
「……いい子だ」
満足げに笑い、セイシュは再び、2の身体をまさぐり始めた。
神鳥の羽根が、胸部をゆっくりとなぞる。今度は心構えができたせいか、耐えていることができた。毛先が身体を離れ、安心したのもつかの間、胸の突起をくすぐられる。声を上げそうになり、2は自身の手で口を覆った。緩急をつけて、羽がそこを往復する。ただそれだけのことなのに、全身に震えが走る。
「どうしました?呼吸が、荒いですね」
「…………」
セイシュが、低く囁きかける。2は、答えなかった。
「それに、顔も赤い……感じているのですか?」
「うるせえ、この変態……っ」
かすれた声で、2は退魔士を罵る。その瞳は、悔しさゆえか、潤んでいた。
反抗の仕置きとばかりに、セイシュの指が乳首をひねる。痛みと快感が電流のように走り、2の口からあえぎ声が漏れた。
「素直じゃないですね。では、身体に直接、聞いてみましょう」
羽根が、内股を愛撫する。甘い疼きに、立っていられなくなり、2は床に座り込んだ。相手の身動きが取れなくなったのをいいことに、セイシュの手が、腰布へと伸びる。
その瞬間、派手な破壊音が、礼拝堂に響き渡った。見ると、3が、護衛の一人を殴り倒したところだった。他の護衛たちが彼を取り押さえようとするが、そのうちの一人が1によって投げ飛ばされ、もう一人は3の回し蹴りをくらい、転倒する。最後の一人に1が頭突きを食らわせ、護衛たちは完全に沈黙した。
「な……っ!」
「悪ぃな。そこまでだ」
指の関節を鳴らしながら、1があっけにとられるセイシュに近づく。その脇をすり抜け、3が2に駆け寄った。
「カイン、カイン……!ごめんね、もう、大丈夫だから」
「……ぐえ」
思い切り抱きつかれて、2は目を白黒させた。体の火照りは、いつの間にか消えている。おそらく、3が浄化してくれたのだろう。
「バカな……香は、きかなかったのか……!?」
愕然としながら、セイシュが呟く。どうやら、礼拝堂に蔓延していた香には、動きを抑制する何がしかの効果があったらしい。これで1と3の無力化を狙ったようだが、あいにく彼らには通用しなかった。
「やっぱり、何か小細工してたみてえだな。そんなことしてまで、何がしたかったんだこいつ」
わけがわからない、というように、1が首をひねる。
「何って……こーいうことだろ。悪魔祓いにかこつけて、セクハラ三昧やらかしてたんだ」
3の腕の中で、2が推測する。人間の悪徳宗教家が、弱みにつけこんで金品や肉体関係を要求するのはよくあることだ。それに対し、セイシュは激しく反論する。
「違う!私は、真の退魔士だ!ただ、この方法は周囲の理解を得ることは難しいから、邪魔が入らないようにしただけで……!」
「本物か偽物かなんて、そんなことはどうでもいい。あなたは、私の大事な友人を辱めた。もう二度と、彼には近づかないでください」
2を抱きしめたままで、3がぴしゃりと言い放つ。2としてはいい加減離してほしいのだが、3は聞いてくれなさそうだ。有無を言わさぬ勢いで、3がてきぱきと2に衣服を着せていく。恨めしげに、セイシュが呻いた。
「……儀式は、失敗のようですね。これでは、人々は……」
「まだ言うかこの野郎。てめえがだまってりゃ、穏便に済む話だろうが!」
1が、怒気をはらんだ声で恫喝する。セクハラ云々はさておき、同じルシファーである2を貶めたことに関しては、1も憤りを感じている。殺気を放つ彼を前にしても、セイシュは屈しなかった。
「脅しても無駄です。それとも、口封じに私に何かするつもりですか?それこそ、大問題になると思いますが」
それが、ただのプライドの高さゆえか、退魔士としての矜持なのかはわからない。1は、険しい表情のまま沈黙した。どうやってこの生意気な人間のプライドをへし折ろうかと思考を巡らせる。静寂を破ったのは、2だった。
「……あー、もういいや。失敗で」
「カイン……?」
驚いたように、3が2を見つめる。意表を突かれたのはセイシュも同じだったらしく、彼もまた、目を丸くしていた。退魔士を見下し、2は言い放つ。
「好きなだけ言いふらせ。その代わり、てめえの言いなりにはならねえ」
「……後悔しますよ」
「あいにくだがな。神様ってのは、ちゃんと見てるんだよ。行くぞ」
セイシュの負け惜しみを、2はばっさりと切り捨てる。そして、まだ暴れ足りない様子の1と、心配そうな3を引きつれて、彼は教会を後にした。
もうすでにだいぶ遅い時刻になっていたらしく、ナンナルの街は静寂に包まれていた。仕事帰りの酔っ払いや、野良猫すら見かけない。ルシファー三人は、しばらく夜風に当たりながら散策していたが、中央広場まで来て、ふと、立ち止まった。
「あれで、良かったのかな……?」
3が、石畳へ視線を落とす。闇に染まった街は、いつもとは違って、冷たい印象を抱かせる。忌々しげに、1が道端の小石を蹴り飛ばした。
「良くはねえだろ。あの野郎、絶対にあることないこと言いふらすぜ」
「……これから、どうしよう……」
哀しげに、3はうなだれる。彼も、内心は1と同意見だった。セイシュがナンナルの教会にどんな報告をするかはわからない。儀式は失敗し、2の中にはまだ悪魔がいる。同居人も、すでに彼の手のうちだ……といったところだろうか。ナンナルの人々がそれを真に受ければ、ルシファー達はここにはいられなくなる。
「だから、その前に手を打つんだよ」
広場の噴水前の柵に、2がひょいと飛び乗った。その顔に、悲壮感はない。暗い表情の二人に、2はいたずらっぽく笑いかけた。
「そのためには、お前らの力が必要なんだけどな」
「何か、いい方法があるのか?」
「私にできることなら、手伝うよ」
1が、身を乗り出す。3も顔を上げ、助力を申し出た。
「よし。じゃあ、やるか」
そして、2はずっと頭に描いていた解決策を提示する。その案に、3は目を輝かせ、1もにやりと笑って同意を示した。
「やっぱり、事件の幕は派手に閉じねえとな」
月の光の下、三人は頷き合う。そして次の瞬間から、彼らは己の成すべきことをするために、行動に移った。
その夜、ナンナルの人々は天使の啓示をきいた。天使は、この街で猛威を振るった悪魔は滅んだことを告げ、恐れることはないのだと、人々を励ました。そして数日後、荒野の方からやってきた商人が、焼け野原になっていた聖地がいつの間にか元の美しさを取り戻したことを報告する。
ナンナルの人々は、事件が完全に終わったことを悟ったのだった。
それから、また数日経ったある日。ルシファー達は、街中をうろついていた。ちゃんと、思惑通りに事が運んだのかを確認するためである。
「みんな、いつも通りだね」
3が、周囲を見回して満足げに言う。あの日、天使として街の人々に啓示を与えたのは、彼である。
「また、祭りでもやるのかと思ってたんだがな。あてが外れたぜ」
おどけた調子で、1が肩をすくめる。時間を操作し、聖地を修復したのは彼だ。
「そんな毎回、祭りなんてやってられねえだろ。開催費だってタダじゃねえんだろうし」
2が、半眼で指摘する。彼は、相変わらず注目の的だ。しかし、人々が2を見る視線は、以前のように恐怖を伴うものではなく、穏やかになっていた。
三人が教会に通じる道を歩いていると、前方から馬車がやってくるのが見えた。教会から来たらしいそれは、ここらでは見かけない大型のものだ。何事かと客車を覗き込むと、乗っていたのは、セイシュだった。こちらに気づいたのか、窓の外をちらりと一瞥し、すぐに顔を背ける。馬車は、そのまま土煙をあげて去って行った。
「二度と来るなよ!」
「まったくだね」
1が馬車の背に向かって中指を立て、3が同意する。そんな二人を見て、2は苦笑したのだった。
「皆様、お待ちしておりました」
いつもと同じように、老神官が温和な笑みを浮かべる。三人を代表して、3が頭を下げた。
「こんばんは、神官様。セイシュさんは……?」
「彼は、第二礼拝堂で儀式の準備中です。カインさん、シーザーさん、教会へようこそ」
3の問いに答え、老神官は1と2に挨拶した。3とは違い、1と2はガラが悪く、お世辞にも友好的とは言えない。それにも関わらず、老神官は彼らを差別する考えはないようだ。
「悪ぃな、色々と手間をとらせちまってよ」
神官の人柄を、信頼できるものと判断したのだろう。2は、態度を軟化させた。
「いえいえ、これも教会の勤めですので」
そして、老神官を先頭に、教会の回廊を歩いて行く。中庭を挟んで向こう側にいたシスター達が、彼らに気がついた。
「見て、フォース様よ!」
シスターの一人が、3を指さす。それにつられるようにして、他の娘たちも身を乗り出した。
「今日は、お友達も一緒なのね」
「あなた、聞いてないの?あの、悪魔にとりつかれたっていう……」
のんきなことを言う娘に、他のシスターが小声で教える。教会で働いている彼女たちは、今夜、悪魔祓いの儀式が行われることを知っていた。
「……あの方が、そうなの?」
シスター達の視線が、2に集中する。距離があるので、ルシファー三人は彼女たちに気づいていないようだ。
「ホントだ……何だか、目つきが鋭い方ね。怖いわ……」
シスターの一人が、身震いする。黙っていると、1ほどではないが、2もそれなりに威圧感がある。すらりと高い身長も、痩せ細った体も、少女たちにとっては心証が悪い。
「もう一人の方も……すごい傷……」
他のシスターが1を見て、眉をひそめた。彼女たちの目には、筋骨隆々で傷だらけの1は魔物か野盗の親せきにでも見えるのだろう。
「フォース様、あの人たちにいじめられたりしていないかしら……」
好き勝手な想像をしつつ、彼女たちは憧れの君である3の身を案じた。そんな中、ただ黙って老神官の後ろを歩いていたルシファー達に変化があった。3が、2に気遣うような素振りで声をかける。それに対し、2が笑って何事かを返した。1もからかうような表情でそれに加わる。
「……仲が良さそうね」
ぽかんと口を開け、シスターの一人が呟く。あれほど恐ろしかった1と2が、今は普通の若者に見えた。彼女たちの前では優雅な貴公子である3も、他の二人に違和感なく溶け込んでいる。
「いつもと違うフォース様を見た気がするわ……」
結局、シスター達に気づくことなく、和気あいあいとじゃれながら三人は通り過ぎていく。少女達は、それを呆然と見送っていた。
教会の本堂から離れたところに、第二礼拝堂の建物はある。中庭にぽつんと立っているそこに、三人は案内された。
「こちらです」
「ここに来たのは、初めてだなあ……」
老神官が、第二礼拝堂のとびらの前で立ち止まる。3は、建物をしげしげと見つめた。教会に足しげく通っている彼だが、ここまで奥まった場所に足を踏み入れたことはなかった。
「特別な催事のとき以外、使われていませんので。それでは、カインさん、無事に儀式を終えられるよう、お祈りしています」
老神官が、2に一礼する。意表を突かれ、2は老神官に尋ねた。
「あんたは儀式には出ないのか?」
それは、1と3も疑問に思ったことだった。老神官は、この教会の最高責任者ではないにせよ、それなりの地位にいるように見受けられる。ならば、監督役として彼ほどふさわしい人物はいないだろう。
「関係者以外は立ち入らないようにと、セイシュ殿から指示がありまして」
「……ますます、うさんくせえな。大丈夫か、あのセイシュとかいうやつ」
1が、苦虫を噛み潰したような表情になった。教会の一角を提供している時点で、この老神官や、ナンナルの教会の者たちは立派な関係者である。それを排除するということは、向こうがナンナルの教会を格下に見ているも同然ではないか。
「実は、私どもにもウェヌスの教会のことはよくわからないのです。あちらの教会の規模は大きく、総本山への連絡口となっているため、無碍にはできないというのが現状でして」
苛立たしげな1を、老神官が困ったように宥める。
「……権力は、あちらの方が上ってことか」
老神官の話から、2が客観的に分析した。ナンナルの街以外をほとんど知らない彼でも、ここが他と比べて大した力を持っていないことくらいは容易に想像できる。
「私どもの内部事情に巻き込んでしまい、申し訳ありません。ただ、セイシュ殿は善意で儀式を行ってくださるのだと思います」
心底申し訳なさそうに、老神官が頭を垂れる。三人の表情は、それだけでは晴れなかった。
「……善意、ねえ……」
意地の悪い一言が、1の口をついて出る。老神官を責める意図はないのだが、教会に対する不審をこらえきれなかったのだ。
「何か不快なことがございましたら、遠慮なく仰って下さい。責任は私がとりますので」
「いえ、神官様が悪いわけでは……」
あわてて、3が老神官の申し出を断る。神官には、何の落ち度もないのだ。
「……爺さん、何かあったらよろしくな」
2が、老神官に念を押す。彼としても、この人のよさそうな神官に何かを押しつけるつもりはない。だが、教会内部に味方がいれば、いざというときの打開策の幅が段違いに広がる。それを理解したのか、老神官は重々しく頷き、彼らのことを気にしつつ立ち去った。
礼拝堂の扉が、ゆっくりと開かれる。おそらくは香でも焚いているのだろうか、むっとした甘い匂いが、ルシファー達を迎えた。第二礼拝堂は、普段訪れている礼拝堂より規模は小さいものの造りは大差なく、長椅子がずらりと並び、そこから数段上がった最奥に教壇がある。左右に配置された燭台の炎が、妖しくゆらめいていた。
「お待ちしていました」
教壇机に祭具を並べていたセイシュが、笑いかけてくる。彼から少し離れたところに、屈強な男たちが四人、控えていた。
「こいつらは何なんだ」
「私とともに教会から派遣された者たちです。悪魔が暴れないとも限りませんので、護衛のようなものですね」
1の指摘に、セイシュは平然と返す。男たちは、彼と似たデザインの、詰襟服を着ていた。
「カイン、台上へどうぞ」
セイシュが2に向かって、手招きをする。1と3は、最前列の席に腰掛けた。階段を上り、2はセイシュの前に立つ。
「……で、何をすればいいんだ」
瞳に何の感情も浮かべずに、ぶっきらぼうに問う。こんな茶番は、さっさと終わらせてしまうに限る。セイシュは、会った時と同様に2の全身をねめつけるように見回した。
「そうですね。まずは……服を脱いでください」
「は?」
セイシュが、淡々と指示する。2は、思わず聞き返していた。
「悪魔の印が体に刻まれていないか、確認するためです」
それが当然である、と言わんばかりに、セイシュが補足する。医者のような、事務的な口調だ。
「ここでか……?」
戸惑い、2は堂内を見渡す。今、彼とセイシュは数段上の位置にいるので、実によく目立つ。
「ご安心を。ここにいるのは、関係者だけです。婦人もいませんし、男同士で気にすることもないでしょう?」
微笑んで、セイシュが2を促す。確かに、ここにいるのはこの退魔士と、あとはルシファー二人・それに人形のように微動だにしない護衛たちだけだ。
「……カイン、嫌なら、言っていいんだよ?」
階下で、3がおずおずと声をかけてくる。自分が原因の問題で、他者に気を遣わせるわけにはいかないと思い、2は、退魔士に従うことを決めた。ベストを無造作に脱ぎ捨て、ワイシャツのボタンをゆっくりと外す。白い肌が、薄明かりに照らしだされた。
「……カイン……」
3が、不安そうに眉を寄せる。2の裸身を見たのは、これが初めてだった。
「華奢な身体してんのな。折れちまいそうだ」
2に聞こえないように、1は率直な感想を述べた。無駄な脂肪は一切なく、それどころか必要なところにも足りていない。浮き出た鎖骨やあばらが、ここからでもよく見える。普段は何とも思わないが、この状況下で、2の細い身体は何とも頼りなく映った。
上半身裸になった2は、これでいいだろ、と言わんばかりに、仁王立ちする。
「衣服は、それだけではないでしょう?」
だが、退魔士はこれだけでは許さなかった。彼の意図を理解し、2は絶句する。
「……全部、脱げってか」
「ちょっと……!それは、あんまり……!」
さすがに、3が異議を申し立てた。彼ら三人にとっては、この儀式は本気の退魔ではなく、単なる形式的なものに過ぎない。そんなことで、これ以上の辱めを受けるのはあまりに酷だ。
「悪魔の印は、通常、目立つところにはないものです。ああいったものは、隠されているのですよ。普段、目につかない、きわどいところに……」
しかし、退魔士は譲るつもりはないようだ。3が、怒気をはらんだ瞳でセイシュを睨みつける。美貌の青年が感情をむき出しにする様を存分に楽しんで、セイシュは肩をすくめた。
「私としては、ここで辞めても構わないのですよ?ただ、儀式は失敗ということになり、街の人々は一層不安になるでしょうが」
セイシュの脅しともとれる言葉に、3の目が動揺に揺らぐ。この退魔士は、ナンナルより上の教会に所属しているため、ルシファー達よりずっと、社会的な信用がある。彼が悪評を広めることで困るのは、自分ではなく2だ。
「……ったく、しょうがねえな」
ため息をついて、2はベルトに手をかける。
「カイン!」
「女じゃあるまいし、裸になるくらい、どうってことねえよ」
蒼白になる3に、2は笑みを投げかけた。そしてしばし後、とうとう一糸まとわぬ姿になる。ほのかな照明の中、臆することなく堂々としている様は、彫刻のようでいっそ清々しい。セイシュに手渡された薄い布を、2は腰に巻きつけた。
「ほら。悪魔の印とやらを、とっとと探せ」
セイシュの前に、自身の裸体を晒す。2の純白の絹のような滑らかな肌には、あざひとつ見当たらない。退魔士の瞳が、驚愕に見開かれた。
「……なんと……これほど疵のない身体が、この世に存在するというのか……!」
セイシュの震える指が、2の胸部を撫でる。
「ちょっ……どこ触ってんだ、この野郎」
無遠慮に触れられ、2は抗議の声を上げた。しかし、退魔士には彼の言葉は届いていない。恍惚とした表情で、セイシュは2の肌触りを堪能する。その指先が、胸から腹部にかけて、何度も往復した。鳥肌を立てて2が身をよじるが、セイシュはそれをやめようとはしない。
「美しい……ああ、こんなことは、初めてだ……」
「……きめえ」
目の前で繰り広げられる光景に、1はげんなりしたように呟く。彼には、退魔士が何に感動しているのか全く理解できない。ただ、ひたすらにドン引きするのみだ。
「この、いい加減に……!」
拳を握りしめて、3が席を立とうとした時、2がセイシュの手を振り払った。
「それで、どうなんだよ?印なんてねえだろが」
冷静な問いかけに、セイシュは我に返る。咳払いをし、彼は情欲を引っ込めた。話が進みそうなので、3も渋々いすに掛け直す。
「見ただけでは、やはりわかりませんね。聖なるものが触れたときに、悪魔の刻印は出現する。そういうものです」
もっともらしいことを言いつつ、セイシュは机に置かれていた祭具のひとつを手に取る。それは、大ぶりのナイフほどの大きさの、鳥の羽根だった。
「これは、神の使い・神鳥の羽根。邪気を払う力があると言われています」
「……やけにでけえ鳥だな」
目の前でひらひらとはためかされ、2は訝しげに羽根を見つめる。その大きさは、天使の羽根はもちろん、ダチョウのそれをも遥かに上回っていた。
「人が乗れるほどの大きさですからね」
「……そんなものが、この世界に……ふあぁ!?」
話の途中で、2は悲鳴を上げた。神鳥の羽根が、首筋をかすめたのだ。
「おや、どうしました?」
「どうしました、じゃねえ!くすぐってえだろが!」
わざとらしく問いかけてくるセイシュを、首をさすりつつ怒鳴りつける。ふわふわとした羽毛の感触は、十分すぎるほどの存在感があった。
「先ほど、お話ししたでしょう?この羽には、邪気を払う力があると」
2の怒りを歯牙にもかけず、優しく諭すようにセイシュが解説する。羽根が、2のわき腹をなぞった。
「ん……っ」
嫌悪感を露わに、2が身をすくませる。また、おかしな声を出してしまいそうだった。
「この羽で、全身をくまなく清めてさしあげますよ」
狼狽える彼に、退魔士は冷たく宣告する。その表情は、獲物をいたぶる肉食獣のような、愉悦に満ちていた。
「や、めろ……!」
血相を変え、2が後ずさる。そんなもので全身をくまなく嬲られたら、おかしくなってしまいそうだ。
「もう、我慢の限界だ……行ってくる!」
「おお」
さすがに見かねたか、額に青筋を浮かべ、3が席を立つ。1は、もとより止めるつもりはないようだ。壇上に上がろうとした3だったが、その行く手を、護衛の男たちに阻まれる。
「大事な儀式の最中です。邪魔をしてはなりませんよ」
「どいてください!こんなのが、神聖な儀式であるはずがない!」
セイシュと、無表情な護衛たちに向かって、3は激昂する。3にとっては、男たちを排除することはた易い。しかし、ここで騒ぎを起せばナンナルの教会に迷惑がかかるという事実が、彼に決断を鈍らせた。
「……しょうがねえな……耐えれば、いいんだろ……」
どこか諦めたように、2が吐息を漏らす。自分は、地獄の王ルシファーだ。悪魔たちの首領だ。自分の不始末くらい、自分でケリをつける。こんな退魔士の稚拙な責めくらい、どうということはない。そう、自身に言い聞かせる。
「……いい子だ」
満足げに笑い、セイシュは再び、2の身体をまさぐり始めた。
神鳥の羽根が、胸部をゆっくりとなぞる。今度は心構えができたせいか、耐えていることができた。毛先が身体を離れ、安心したのもつかの間、胸の突起をくすぐられる。声を上げそうになり、2は自身の手で口を覆った。緩急をつけて、羽がそこを往復する。ただそれだけのことなのに、全身に震えが走る。
「どうしました?呼吸が、荒いですね」
「…………」
セイシュが、低く囁きかける。2は、答えなかった。
「それに、顔も赤い……感じているのですか?」
「うるせえ、この変態……っ」
かすれた声で、2は退魔士を罵る。その瞳は、悔しさゆえか、潤んでいた。
反抗の仕置きとばかりに、セイシュの指が乳首をひねる。痛みと快感が電流のように走り、2の口からあえぎ声が漏れた。
「素直じゃないですね。では、身体に直接、聞いてみましょう」
羽根が、内股を愛撫する。甘い疼きに、立っていられなくなり、2は床に座り込んだ。相手の身動きが取れなくなったのをいいことに、セイシュの手が、腰布へと伸びる。
その瞬間、派手な破壊音が、礼拝堂に響き渡った。見ると、3が、護衛の一人を殴り倒したところだった。他の護衛たちが彼を取り押さえようとするが、そのうちの一人が1によって投げ飛ばされ、もう一人は3の回し蹴りをくらい、転倒する。最後の一人に1が頭突きを食らわせ、護衛たちは完全に沈黙した。
「な……っ!」
「悪ぃな。そこまでだ」
指の関節を鳴らしながら、1があっけにとられるセイシュに近づく。その脇をすり抜け、3が2に駆け寄った。
「カイン、カイン……!ごめんね、もう、大丈夫だから」
「……ぐえ」
思い切り抱きつかれて、2は目を白黒させた。体の火照りは、いつの間にか消えている。おそらく、3が浄化してくれたのだろう。
「バカな……香は、きかなかったのか……!?」
愕然としながら、セイシュが呟く。どうやら、礼拝堂に蔓延していた香には、動きを抑制する何がしかの効果があったらしい。これで1と3の無力化を狙ったようだが、あいにく彼らには通用しなかった。
「やっぱり、何か小細工してたみてえだな。そんなことしてまで、何がしたかったんだこいつ」
わけがわからない、というように、1が首をひねる。
「何って……こーいうことだろ。悪魔祓いにかこつけて、セクハラ三昧やらかしてたんだ」
3の腕の中で、2が推測する。人間の悪徳宗教家が、弱みにつけこんで金品や肉体関係を要求するのはよくあることだ。それに対し、セイシュは激しく反論する。
「違う!私は、真の退魔士だ!ただ、この方法は周囲の理解を得ることは難しいから、邪魔が入らないようにしただけで……!」
「本物か偽物かなんて、そんなことはどうでもいい。あなたは、私の大事な友人を辱めた。もう二度と、彼には近づかないでください」
2を抱きしめたままで、3がぴしゃりと言い放つ。2としてはいい加減離してほしいのだが、3は聞いてくれなさそうだ。有無を言わさぬ勢いで、3がてきぱきと2に衣服を着せていく。恨めしげに、セイシュが呻いた。
「……儀式は、失敗のようですね。これでは、人々は……」
「まだ言うかこの野郎。てめえがだまってりゃ、穏便に済む話だろうが!」
1が、怒気をはらんだ声で恫喝する。セクハラ云々はさておき、同じルシファーである2を貶めたことに関しては、1も憤りを感じている。殺気を放つ彼を前にしても、セイシュは屈しなかった。
「脅しても無駄です。それとも、口封じに私に何かするつもりですか?それこそ、大問題になると思いますが」
それが、ただのプライドの高さゆえか、退魔士としての矜持なのかはわからない。1は、険しい表情のまま沈黙した。どうやってこの生意気な人間のプライドをへし折ろうかと思考を巡らせる。静寂を破ったのは、2だった。
「……あー、もういいや。失敗で」
「カイン……?」
驚いたように、3が2を見つめる。意表を突かれたのはセイシュも同じだったらしく、彼もまた、目を丸くしていた。退魔士を見下し、2は言い放つ。
「好きなだけ言いふらせ。その代わり、てめえの言いなりにはならねえ」
「……後悔しますよ」
「あいにくだがな。神様ってのは、ちゃんと見てるんだよ。行くぞ」
セイシュの負け惜しみを、2はばっさりと切り捨てる。そして、まだ暴れ足りない様子の1と、心配そうな3を引きつれて、彼は教会を後にした。
もうすでにだいぶ遅い時刻になっていたらしく、ナンナルの街は静寂に包まれていた。仕事帰りの酔っ払いや、野良猫すら見かけない。ルシファー三人は、しばらく夜風に当たりながら散策していたが、中央広場まで来て、ふと、立ち止まった。
「あれで、良かったのかな……?」
3が、石畳へ視線を落とす。闇に染まった街は、いつもとは違って、冷たい印象を抱かせる。忌々しげに、1が道端の小石を蹴り飛ばした。
「良くはねえだろ。あの野郎、絶対にあることないこと言いふらすぜ」
「……これから、どうしよう……」
哀しげに、3はうなだれる。彼も、内心は1と同意見だった。セイシュがナンナルの教会にどんな報告をするかはわからない。儀式は失敗し、2の中にはまだ悪魔がいる。同居人も、すでに彼の手のうちだ……といったところだろうか。ナンナルの人々がそれを真に受ければ、ルシファー達はここにはいられなくなる。
「だから、その前に手を打つんだよ」
広場の噴水前の柵に、2がひょいと飛び乗った。その顔に、悲壮感はない。暗い表情の二人に、2はいたずらっぽく笑いかけた。
「そのためには、お前らの力が必要なんだけどな」
「何か、いい方法があるのか?」
「私にできることなら、手伝うよ」
1が、身を乗り出す。3も顔を上げ、助力を申し出た。
「よし。じゃあ、やるか」
そして、2はずっと頭に描いていた解決策を提示する。その案に、3は目を輝かせ、1もにやりと笑って同意を示した。
「やっぱり、事件の幕は派手に閉じねえとな」
月の光の下、三人は頷き合う。そして次の瞬間から、彼らは己の成すべきことをするために、行動に移った。
その夜、ナンナルの人々は天使の啓示をきいた。天使は、この街で猛威を振るった悪魔は滅んだことを告げ、恐れることはないのだと、人々を励ました。そして数日後、荒野の方からやってきた商人が、焼け野原になっていた聖地がいつの間にか元の美しさを取り戻したことを報告する。
ナンナルの人々は、事件が完全に終わったことを悟ったのだった。
それから、また数日経ったある日。ルシファー達は、街中をうろついていた。ちゃんと、思惑通りに事が運んだのかを確認するためである。
「みんな、いつも通りだね」
3が、周囲を見回して満足げに言う。あの日、天使として街の人々に啓示を与えたのは、彼である。
「また、祭りでもやるのかと思ってたんだがな。あてが外れたぜ」
おどけた調子で、1が肩をすくめる。時間を操作し、聖地を修復したのは彼だ。
「そんな毎回、祭りなんてやってられねえだろ。開催費だってタダじゃねえんだろうし」
2が、半眼で指摘する。彼は、相変わらず注目の的だ。しかし、人々が2を見る視線は、以前のように恐怖を伴うものではなく、穏やかになっていた。
三人が教会に通じる道を歩いていると、前方から馬車がやってくるのが見えた。教会から来たらしいそれは、ここらでは見かけない大型のものだ。何事かと客車を覗き込むと、乗っていたのは、セイシュだった。こちらに気づいたのか、窓の外をちらりと一瞥し、すぐに顔を背ける。馬車は、そのまま土煙をあげて去って行った。
「二度と来るなよ!」
「まったくだね」
1が馬車の背に向かって中指を立て、3が同意する。そんな二人を見て、2は苦笑したのだった。
スポンサーサイト
- テーマ:BL小説
- ジャンル:小説・文学
- カテゴリ:L-Triangle!外伝③
- CM:0
- TB:0