L-Triangle!5-1
- 2014/06/26
- 20:51
「はぁー……今日も、いい天気ね」
街道を歩きながら、雲一つない青空を見上げ、少女は伸びをする。涼しい風が、その美しさを愛でるように彼女の長い髪を微かに乱した。
「エスト、今度はどこへ行くの?また、魔王退治……?」
隣を歩いている少年が、不安そうに尋ねる。金髪の、おとなしそうな印象の彼は、少女より年下に見えた。実際、彼女より背が低く、並んでいると仲のいい姉弟に見える。
「ううん、魔王がらみじゃないわ」
肩に担いだリュックサックを背負い直し、エストと呼ばれた少女は首を振る。その細い身体に似合わず、かなりの大荷物である。これだけの荷物を抱え、かつ軽装の鎧を身にまとっているというのに、彼女は微塵も疲れを見せない。むしろ、武装もせず、必要最低限の荷物のみを持たされた少年の方が息が上がっている。
「魔四天王がおとなしくなって以来、危険な魔王が召喚されたっていう情報はないのよね」
少年に水筒を薦めつつ、エストは説明する。その顔は、うれしそうでもあり、どこか不満げでもあった。
「良かった……エストは強いけど、怪我したり危ない目に遭ったりしたら、嫌だよ」
少年が、胸をなで下ろす。その様子が健気に感じられ、エストは少年の髪を撫でた。さらさらとした感触が、心地いい。
「心配してくれてありがとね、ユーリス」
エストに笑いかけられ、少年……ユーリスは、照れたように顔を赤くして俯いた。そんな彼を可愛いと思いつつ、エストは旅の目的を明かすことにした。
「今回の目的地はね、実は私も行ったことがないの。ロードの話によると、何にもない田舎街だって話だけどね」
「そうなの?」
水筒を返しつつ、どうしてそんなところに、とユーリスは思う。普段の彼女ならば、平和な街よりも危険な場所へと赴くはずだ。人々を、救うために。
少年の疑問を察したのか、エストは付け加える。
「その街……ナンナルには、街の危機を幾度も救った勇者様がいるんだって。同じ立場の者としては、やっぱり会ってみたくなるじゃない?」
そして、少女はいたずらっぽく微笑んだ。ユーリスもまた、好奇心に目を輝かせる。街道を進んだ先でどのような出会いが待っているのか、想像するだけでわくわくした。少し元気が出てきたのか、ユーリスの歩調が幾分か軽いものになる。
目的地は、もう、すぐそこだった。
少女と少年が期待に胸を膨らませているのと同じ空の下では、果実の収穫が行われていた。果樹園の規模はそれほど大きなものではなく、作業をしているのは二人だけである。それは、田舎街・ナンナルではさほど珍しくない光景だが、そのうちの一人の姿を見たら、誰もが目を奪われるだろう。
こののどかな光景にはいささか不釣り合いなほど美しい青年が、はしごの上で果実を慎重に収穫している。太陽の恵みを受けたそれらを、祝福するかのように優しく手に取る様は、楽園に降臨した天使のようだ。
「これで最後ですか?」
赤い果実を手渡しながら、ルシファーその3……略して3が、もう一人の作業員である中年の女性に問いかける。頷いて、女性は3から受け取った果実をかごに入れた。
「いや、助かったよ。主人が腰を痛めちまってさ、どうしようかと思ってたんだ」
「お役に立てて良かったです」
愛想よく返し、3は収穫物をあらためて確認する。果実がいっぱい詰まった大きなかごがずらりと並ぶのは、壮観である。自分が収穫に携わったのなら、なおのことだ。
「外見だけじゃなくて性格もいいなんて……あたしがあと十年若けりゃ放っておかないよ、ねえ?」
女性に冗談半分で流し目を送られ、3は照れたように笑う。
3は、この街の人々ともっと広い範囲で親睦を深めようと考えていた。他者と関わるのが好きだから、というのもあるが、下心もある。ナンナルの人々と仲良くなれば、自分や、友人たちがうっかり何かをやらかしてしまったときに、いい方向にフォローしてもらえるかもしれないのだ。
その第一歩が、果樹園の収穫の手伝いというわけである。
「それに引き替え、うちの主人の情けないことと言ったら!」
女性が、腰に手を当てて憤慨する。彼女は、果物屋のおかみで、普段は夫とともにこの果樹園で収穫した果物を売っている。事情により夫が仕事ができない状態になったため、助けを求めたのだ。
「ご主人は、この果樹園で魔物に襲われたと聞きましたが?」
かごをリヤカーに載せつつ、3が尋ねる。彼に仕事を紹介したのは、教会である。教会には、今回のような日雇いの仕事を斡旋してくれる窓口があるのだ。誰も請け負わない仕事は、奉仕活動として教会内部の者たちに回される。
「あれはね……実は、建前なんだよ」
おかみは、ばつが悪そうに言葉を濁した。きょとんとした顔の3に、ごまかすのはさすがに良心が咎めると観念する。
「ここで主人が魔物に遭遇したっていうのは本当さ。でも、襲われたわけじゃなくて、姿をちらっと見ただけでね」
「え……じゃあ、ご主人は、どうして……」
3が戸惑っていると、果樹園の脇の道を、若者たちの一団が通りかかった。皆、同じ方向へと走っていく。おかみは、頭を抱えた。
「……あれだよ」
「??」
「この時期になると、男どもはみんな、あれに夢中になるんだ」
深々とため息をつく、おかみ。開けた場所に着いた若者たちは、何やら固まって騒いでいる。ケンカをしているのかと3は訝ったが、そうではないらしい。
「あれって……え?」
「知らないのかい?あんた、確かよそから来たんだったね」
「あ……はい。あれは、何をしているんですか?」
土煙をあげて激しく動き回る若者たちを目で追いつつ、3はおそるおそる問いかけた。
実を言うと、彼はこの世界の住人ではなく、別の世界から召喚された存在なのだ。そのことは、一部の者たち以外には秘密である。あまりに世間知らずだとそれを悟られてしまうため、こういった場面では慎重になってしまう。
だが、その心配は杞憂に終わった。よく見えていないのだろうと判断したか、おかみが説明してくれる。
「あれはね、サッカーをやってるんだよ。この地方では毎年、大規模なサッカーの大会が開催されるんだ。それで影響を受けちゃってね」
「サッカー……」
小声で、3はその単語を反復する。3の世界にはない競技である。
「うちの主人も、年甲斐もなくあれに参加して、筋肉痛ってわけ」
おかみが、やれやれと肩をすくめる。3は、あらためて若者たちを観察した。どうやら、ただ走り回っているわけではなく、ひとつのボールを取り合っているようだ。
「おい、パス回せ!こっちだ!」
彼らの一団から少し離れたところにいた細身の青年が、声を張り上げる。その声には、聞き覚えがあった。
「あれ、もしかして……カイン?」
目を凝らし、3はもう一度その青年に視線を注ぐ。もはや、見間違いようがない。彼の友人の一人であり、同類でもあるルシファーその2……略して2の姿が、そこにあった。彼もまた別の世界から来た者であり、この世界ではカインと名乗っている。
若者たちの群れから弾き飛ばされたボールを片足で受け止め、2はそれを思いきり蹴り飛ばした。網を張り巡らされた簡素なテントのようなものに、ボールが突き刺さる。
「っしゃ、ゴール!!」
歓声とともに、2が拳を突き上げる。すぐさま何人かが駆け寄り、彼のくせっ毛を掻きまわしたり、薄い胸板を小突いたりして、喜びを分かち合った。若者たちとひとしきりじゃれ合った後、2はこちらを向いた。どうやら、3に気づいたらしい。
「わりぃ、ちょっと抜けるわ」
断りを入れて、2は3に近づく。激しい運動の後だというのに息ひとつ乱していないのは、さすがというべきか。
「よお、フォース!こんなところで何やってんだ?」
「それはこっちの台詞だよ。君、サッカーを知っているの?」
いつになく上機嫌な2に、3は尋ねる。フォースというのは、この世界での3の名前である。
「え?お前、知らねえの?」
「私の世界にはないスポーツだからね」
意外そうに問い返され、3は頷く。3の世界でスポーツ等の娯楽に興じることができるのは、神に目をかけられた王侯貴族たちだけである。あんな風に、激しくぶつかり合う競技は、彼らの肌には合わないだろう。
「ふーん……俺の世界ではメジャーだけどな。ま、この世界にもサッカーがあるって聞いたときは、驚いたけど」
2が、土煙を上げて走り回る若者たちをちらりと見遣る。彼の世界では、サッカーは誰もが知っている人気スポーツのひとつであり、世界規模で大会が開かれることすらある。
「楽しそうだね」
若者たちと2を交互に見て、3は目を細めた。普段、無愛想で気だるげにしていることが多い2が楽しそうにしている様子は、実に微笑ましい。3が興味を示したことに気を良くしたのか、2は身を乗り出した。
「お前もやるか?」
「そうしたいのはやまやまだけど、まだ仕事が残ってるんだ」
申し訳なさそうに、3は果樹園を指さす。果物屋のおかみが、すでに積載が終わったリヤカーとともに3を待っている。特に急かす様子はないが、あまり時間をとらせるのはさすがに悪い。
「仕事?お前、休みだってのに仕事してるのか?変なやつだなあ」
「本業と違うことをするっていうのは、それだけで息抜きになるからね」
「ふーん……」
さほど興味がなさそうに、2が相槌を打つ。2も3も、自分の世界では重要な役割を担っている。この世界に来るのは、休日の息抜きだ。その貴重な時間すら労働に費やすとは、2からすれば物好きもいいところである。
「試合を中断させちゃって、ごめんね。またあとで」
そう言い残し、3は果樹園の仕事に戻っていく。その姿がある程度遠ざかったとき、サッカーボールが2の方へ飛んできた。ボールは、頭上を越えて草むらに消える。
「おーい、カイン!ボール、とってくれよー!」
若者の一人が、2に向かって呼びかけた。ボールとともに試合に復帰しろと、暗に言っている。ここ数日で、2はサッカーを通じて彼らとすっかり仲良くなっていた。
「しょうがねえなあ……」
頭を掻きつつ、繁みをかき分けて入っていく。ボールは、すぐに見つかった。
「……ん……?」
ボールを抱えて戻ろうとした時、2は視線を感じた。また3かと思ったが、そうではないらしい。
「誰かいるのか?」
鬱蒼とした木々の群れに向かって、声をかける。あの木々を抜けると、確か街の外に通じているはずだと2は記憶していた。旅人が道にでも迷ったか、と推測していると、草を踏みしめる音が聞こえてきた。明らかにこちらの呼びかけに応える動きは、野生動物の類いではない。
成り行きを見守る2に、暗い影が覆いかぶさる。おずおずと姿を現したのは……巨大な、魔物だった。
「ふう、意外と遠かったわね……ユーリス、大丈夫?」
「う、うん……」
ナンナルの街の中央通りを歩きながら、エストは同行者の少年を気遣う。それに対する返事は返って来たものの、少年は俯いたままだ。
「無理しないで。こんなに遠出したの、久しぶりだものね。どこかで休もっか」
そう提案した直後、喫茶店らしき看板が目に入る。いいタイミングだと思い、二人は店に入った。店内はそれほど混んでおらず、エストとユーリスは窓辺の席に腰掛ける。
「のどかな街よね。本当に勇者がいるのかしら?」
窓から景色を眺めながら、エストが頬杖をつく。着いたばかりなので何とも言えないが、今のところ、どこにでもある普通の街に見えた。
「怖いひとじゃないといいな……」
その向かいの席では、ユーリスが今更ながら不安そうな顔をする。
「大丈夫よ。勇者としてふさわしくないやつだったら、私がやっつけてやるんだから!」
少年を元気づけていると、店主が、彼らの注文を持ってテーブルに来た。きつね色に焼けたパンに、とろりとしたチーズと肉厚のハムを挟んだホットサンドを前に、ユーリスは目を輝かせる。
「見慣れない顔だね。旅人さんかい?」
エストの前に新鮮な野菜をきれいに盛り付けたサラダと、クリームパスタを置きながら、店主が話しかけてくる。髭をまばらに生やした、いかつい顔の店主は、外見に似合わず子ども好きであるらしかった。
「こんな小さい子を連れて、大変だったろう?ゆっくり休んでいきなよ」
「ありがとうございます!あの、この街に勇者様がいるって本当ですか?」
チーズで舌をやけどしたユーリスに水を薦めつつ、エストは店主に聞いた。驚いたように、店主が目を丸くする。
「おや、勇者様のこと、あんたみたいな旅人にも広まっているのかい?」
「ええ。魔物の軍勢を追い返したって、すごいことですもの!」
どうやら、例の勇者は街の住人……少なくともこの店主には、好意的に見られているらしい。エストは、彼に調子を合わせた。
「ああ……。あの時は、みんな覚悟したものさ。今、こうしていられるのも勇者様のおかげだね」
過去を懐かしむように、店主が遠い目をする。現在の平和な様子を見ると嘘のようだが、魔物の軍勢がこの街に襲撃に来たのは、誇張などではなく、本当にあったことらしい。
「勇者様って、どんなひとなんですか?」
クリームパスタを口に運びつつ、エストは店主にさらなる情報を求めた。細かく砕かれたチーズが、クリームにからんでほどよい塩気と風味を提供している。
店主は、すまなそうに首を振った。
「それが、わからないんだよ」
「え?」
クリームパスタに関心の大半を奪われていたエストは、意外そうに顔を上げる。魔物の軍勢の撃退、などという功績をあげた勇者なら、街の住人の誰もがよく知っていると思っていたのだ。
「この街にいるのは確かなんだろうけど、どこにいるのか、どんなお方なのか、誰も知らないのさ。事件が起こった時に、ぱっと現れて、ぱっといなくなってしまうんだ」
「そ、そうなんですか……」
ぎこちなく、エストは相槌を打つ。隣のテーブルを拭きつつ、店主が補足した。
「街のことなら、教会の神官様が詳しいと思うから、聞いてみなよ」
水のおかわりを二人のコップに注ぎ、店主はカウンターの奥へと姿を消す。エストは、向かいのユーリスが困ったようにこちらを見ているのに気づいた。おそらくは、彼女自身も似たような表情をしているのだろう。
「……どういうことかしら?」
「不思議だね」
聞く者もいないだろうが、少し声を落として言葉を交わす。
「街に居座っている勇者っていうと、魔王退治もせずに人々から恩恵を受けているだけのろくでなしが多いけど……」
サラダに手をつけながら、エストは思案した。
この世界には、邪悪な魔王がたびたび現れる。それを打倒するために、勇者もまた、異世界から召喚されるのだ。彼女も、そのうちの一人である。
一口に勇者と言っても、様々なタイプがおり、強いだけで人々を救うにふさわしい正義感を持ち合わせていない者もいる。そういった輩を更生させるのも、彼女の役目のひとつだった。
「人前に、姿を現さないのには、何か理由があるのかな」
付け合せの野菜を、ホットサンドより遥かに遅いペースで消化しつつ、ユーリスが首をかしげる。その疑問の答えは、エストにもわからなかった。
「とりあえず、教会に行ってみましょ」
ユーリスが食べ終わり、落ち着くのを待ってから、席を立つ。それを聞いて、少年の顔が曇った。
「え……教会は、苦手だな……」
「ごめんね、我慢して」
カウンター奥から出てきた店主に料金を払いながら、エストは謝る。ユーリスの気持ちはわかるが、せっかく得た情報を利用しない手はないのだ。
「……うん、わかった」
決心したように、ユーリスが承諾する。彼の頭をくしゃくしゃ、となでて、エストは店を後にした。
ナンナルの郊外の、普段は人通りが少ないその場所に、ぽつんと屋敷が建っている。その一角にある空き部屋に、突如魔方陣が現れた。魔方陣は光を打ち上げ、赤いコートを纏った大柄の人影が姿を現す。
「だいぶ遅い時間になっちまったな。今日は、誰もいねえのか……?」
呟いて、ルシファーその1……略して1は、部屋のドアを開ける。彼は、たった今、自分の世界から次元を渡ってやってきたばかりだ。
階下の広間へ向かおうとした時、玄関から2が飛び込んできた。
「シーザー!」
異世界での1の名を呼び、2は階段を一気に駆け上がる。少し待てば相手が来ることはわかっているはずなのに、無駄な動きをする彼を見て、1は困惑した。
「ちょうどいいタイミングで来たな。メンツが足りなくて困ってたんだ」
「何の話だよ」
とりあえず階段を降りつつ、1は2に問う。この時点で、何となく予想はついていた。
「決まってんだろ?サッカーだよ」
「……やっぱりか……」
目を輝かせて断言する2に、1はげんなりする。彼は、街でサッカーが流行していることも、2が街の若者たちの練習に混ざっていることもすでに知っていた。
「だーかーら、俺様はやらねえって言っただろうが!わざわざてめえのレベルを下げてまで、人間どもと馴れ合う趣味はねえっつの!」
嫌そうに顔をしかめ、1は断固拒否の姿勢をとる。1の世界にもサッカーはあるが、2のところとは違って世界規模のものではなく、あくまで子どものお遊びだ。大人たちは戦争にかかりきりで、サッカーに興じている余裕はない。
「いいからいいから。絶対楽しめる!保証する!」
1の話を聞いているのかいないのか、2はきっぱりと言い切った。いつになく強引かつ楽しそうな2の勢いに押され、1はずるずると引きずられていく。
普段は犬猿の仲である2に、なぜこんなに馴れ馴れしくされなければならないのか。
(……まったく、調子狂うぜ)
抵抗を諦めた1は、そんなことを考えていた。
街道を歩きながら、雲一つない青空を見上げ、少女は伸びをする。涼しい風が、その美しさを愛でるように彼女の長い髪を微かに乱した。
「エスト、今度はどこへ行くの?また、魔王退治……?」
隣を歩いている少年が、不安そうに尋ねる。金髪の、おとなしそうな印象の彼は、少女より年下に見えた。実際、彼女より背が低く、並んでいると仲のいい姉弟に見える。
「ううん、魔王がらみじゃないわ」
肩に担いだリュックサックを背負い直し、エストと呼ばれた少女は首を振る。その細い身体に似合わず、かなりの大荷物である。これだけの荷物を抱え、かつ軽装の鎧を身にまとっているというのに、彼女は微塵も疲れを見せない。むしろ、武装もせず、必要最低限の荷物のみを持たされた少年の方が息が上がっている。
「魔四天王がおとなしくなって以来、危険な魔王が召喚されたっていう情報はないのよね」
少年に水筒を薦めつつ、エストは説明する。その顔は、うれしそうでもあり、どこか不満げでもあった。
「良かった……エストは強いけど、怪我したり危ない目に遭ったりしたら、嫌だよ」
少年が、胸をなで下ろす。その様子が健気に感じられ、エストは少年の髪を撫でた。さらさらとした感触が、心地いい。
「心配してくれてありがとね、ユーリス」
エストに笑いかけられ、少年……ユーリスは、照れたように顔を赤くして俯いた。そんな彼を可愛いと思いつつ、エストは旅の目的を明かすことにした。
「今回の目的地はね、実は私も行ったことがないの。ロードの話によると、何にもない田舎街だって話だけどね」
「そうなの?」
水筒を返しつつ、どうしてそんなところに、とユーリスは思う。普段の彼女ならば、平和な街よりも危険な場所へと赴くはずだ。人々を、救うために。
少年の疑問を察したのか、エストは付け加える。
「その街……ナンナルには、街の危機を幾度も救った勇者様がいるんだって。同じ立場の者としては、やっぱり会ってみたくなるじゃない?」
そして、少女はいたずらっぽく微笑んだ。ユーリスもまた、好奇心に目を輝かせる。街道を進んだ先でどのような出会いが待っているのか、想像するだけでわくわくした。少し元気が出てきたのか、ユーリスの歩調が幾分か軽いものになる。
目的地は、もう、すぐそこだった。
少女と少年が期待に胸を膨らませているのと同じ空の下では、果実の収穫が行われていた。果樹園の規模はそれほど大きなものではなく、作業をしているのは二人だけである。それは、田舎街・ナンナルではさほど珍しくない光景だが、そのうちの一人の姿を見たら、誰もが目を奪われるだろう。
こののどかな光景にはいささか不釣り合いなほど美しい青年が、はしごの上で果実を慎重に収穫している。太陽の恵みを受けたそれらを、祝福するかのように優しく手に取る様は、楽園に降臨した天使のようだ。
「これで最後ですか?」
赤い果実を手渡しながら、ルシファーその3……略して3が、もう一人の作業員である中年の女性に問いかける。頷いて、女性は3から受け取った果実をかごに入れた。
「いや、助かったよ。主人が腰を痛めちまってさ、どうしようかと思ってたんだ」
「お役に立てて良かったです」
愛想よく返し、3は収穫物をあらためて確認する。果実がいっぱい詰まった大きなかごがずらりと並ぶのは、壮観である。自分が収穫に携わったのなら、なおのことだ。
「外見だけじゃなくて性格もいいなんて……あたしがあと十年若けりゃ放っておかないよ、ねえ?」
女性に冗談半分で流し目を送られ、3は照れたように笑う。
3は、この街の人々ともっと広い範囲で親睦を深めようと考えていた。他者と関わるのが好きだから、というのもあるが、下心もある。ナンナルの人々と仲良くなれば、自分や、友人たちがうっかり何かをやらかしてしまったときに、いい方向にフォローしてもらえるかもしれないのだ。
その第一歩が、果樹園の収穫の手伝いというわけである。
「それに引き替え、うちの主人の情けないことと言ったら!」
女性が、腰に手を当てて憤慨する。彼女は、果物屋のおかみで、普段は夫とともにこの果樹園で収穫した果物を売っている。事情により夫が仕事ができない状態になったため、助けを求めたのだ。
「ご主人は、この果樹園で魔物に襲われたと聞きましたが?」
かごをリヤカーに載せつつ、3が尋ねる。彼に仕事を紹介したのは、教会である。教会には、今回のような日雇いの仕事を斡旋してくれる窓口があるのだ。誰も請け負わない仕事は、奉仕活動として教会内部の者たちに回される。
「あれはね……実は、建前なんだよ」
おかみは、ばつが悪そうに言葉を濁した。きょとんとした顔の3に、ごまかすのはさすがに良心が咎めると観念する。
「ここで主人が魔物に遭遇したっていうのは本当さ。でも、襲われたわけじゃなくて、姿をちらっと見ただけでね」
「え……じゃあ、ご主人は、どうして……」
3が戸惑っていると、果樹園の脇の道を、若者たちの一団が通りかかった。皆、同じ方向へと走っていく。おかみは、頭を抱えた。
「……あれだよ」
「??」
「この時期になると、男どもはみんな、あれに夢中になるんだ」
深々とため息をつく、おかみ。開けた場所に着いた若者たちは、何やら固まって騒いでいる。ケンカをしているのかと3は訝ったが、そうではないらしい。
「あれって……え?」
「知らないのかい?あんた、確かよそから来たんだったね」
「あ……はい。あれは、何をしているんですか?」
土煙をあげて激しく動き回る若者たちを目で追いつつ、3はおそるおそる問いかけた。
実を言うと、彼はこの世界の住人ではなく、別の世界から召喚された存在なのだ。そのことは、一部の者たち以外には秘密である。あまりに世間知らずだとそれを悟られてしまうため、こういった場面では慎重になってしまう。
だが、その心配は杞憂に終わった。よく見えていないのだろうと判断したか、おかみが説明してくれる。
「あれはね、サッカーをやってるんだよ。この地方では毎年、大規模なサッカーの大会が開催されるんだ。それで影響を受けちゃってね」
「サッカー……」
小声で、3はその単語を反復する。3の世界にはない競技である。
「うちの主人も、年甲斐もなくあれに参加して、筋肉痛ってわけ」
おかみが、やれやれと肩をすくめる。3は、あらためて若者たちを観察した。どうやら、ただ走り回っているわけではなく、ひとつのボールを取り合っているようだ。
「おい、パス回せ!こっちだ!」
彼らの一団から少し離れたところにいた細身の青年が、声を張り上げる。その声には、聞き覚えがあった。
「あれ、もしかして……カイン?」
目を凝らし、3はもう一度その青年に視線を注ぐ。もはや、見間違いようがない。彼の友人の一人であり、同類でもあるルシファーその2……略して2の姿が、そこにあった。彼もまた別の世界から来た者であり、この世界ではカインと名乗っている。
若者たちの群れから弾き飛ばされたボールを片足で受け止め、2はそれを思いきり蹴り飛ばした。網を張り巡らされた簡素なテントのようなものに、ボールが突き刺さる。
「っしゃ、ゴール!!」
歓声とともに、2が拳を突き上げる。すぐさま何人かが駆け寄り、彼のくせっ毛を掻きまわしたり、薄い胸板を小突いたりして、喜びを分かち合った。若者たちとひとしきりじゃれ合った後、2はこちらを向いた。どうやら、3に気づいたらしい。
「わりぃ、ちょっと抜けるわ」
断りを入れて、2は3に近づく。激しい運動の後だというのに息ひとつ乱していないのは、さすがというべきか。
「よお、フォース!こんなところで何やってんだ?」
「それはこっちの台詞だよ。君、サッカーを知っているの?」
いつになく上機嫌な2に、3は尋ねる。フォースというのは、この世界での3の名前である。
「え?お前、知らねえの?」
「私の世界にはないスポーツだからね」
意外そうに問い返され、3は頷く。3の世界でスポーツ等の娯楽に興じることができるのは、神に目をかけられた王侯貴族たちだけである。あんな風に、激しくぶつかり合う競技は、彼らの肌には合わないだろう。
「ふーん……俺の世界ではメジャーだけどな。ま、この世界にもサッカーがあるって聞いたときは、驚いたけど」
2が、土煙を上げて走り回る若者たちをちらりと見遣る。彼の世界では、サッカーは誰もが知っている人気スポーツのひとつであり、世界規模で大会が開かれることすらある。
「楽しそうだね」
若者たちと2を交互に見て、3は目を細めた。普段、無愛想で気だるげにしていることが多い2が楽しそうにしている様子は、実に微笑ましい。3が興味を示したことに気を良くしたのか、2は身を乗り出した。
「お前もやるか?」
「そうしたいのはやまやまだけど、まだ仕事が残ってるんだ」
申し訳なさそうに、3は果樹園を指さす。果物屋のおかみが、すでに積載が終わったリヤカーとともに3を待っている。特に急かす様子はないが、あまり時間をとらせるのはさすがに悪い。
「仕事?お前、休みだってのに仕事してるのか?変なやつだなあ」
「本業と違うことをするっていうのは、それだけで息抜きになるからね」
「ふーん……」
さほど興味がなさそうに、2が相槌を打つ。2も3も、自分の世界では重要な役割を担っている。この世界に来るのは、休日の息抜きだ。その貴重な時間すら労働に費やすとは、2からすれば物好きもいいところである。
「試合を中断させちゃって、ごめんね。またあとで」
そう言い残し、3は果樹園の仕事に戻っていく。その姿がある程度遠ざかったとき、サッカーボールが2の方へ飛んできた。ボールは、頭上を越えて草むらに消える。
「おーい、カイン!ボール、とってくれよー!」
若者の一人が、2に向かって呼びかけた。ボールとともに試合に復帰しろと、暗に言っている。ここ数日で、2はサッカーを通じて彼らとすっかり仲良くなっていた。
「しょうがねえなあ……」
頭を掻きつつ、繁みをかき分けて入っていく。ボールは、すぐに見つかった。
「……ん……?」
ボールを抱えて戻ろうとした時、2は視線を感じた。また3かと思ったが、そうではないらしい。
「誰かいるのか?」
鬱蒼とした木々の群れに向かって、声をかける。あの木々を抜けると、確か街の外に通じているはずだと2は記憶していた。旅人が道にでも迷ったか、と推測していると、草を踏みしめる音が聞こえてきた。明らかにこちらの呼びかけに応える動きは、野生動物の類いではない。
成り行きを見守る2に、暗い影が覆いかぶさる。おずおずと姿を現したのは……巨大な、魔物だった。
「ふう、意外と遠かったわね……ユーリス、大丈夫?」
「う、うん……」
ナンナルの街の中央通りを歩きながら、エストは同行者の少年を気遣う。それに対する返事は返って来たものの、少年は俯いたままだ。
「無理しないで。こんなに遠出したの、久しぶりだものね。どこかで休もっか」
そう提案した直後、喫茶店らしき看板が目に入る。いいタイミングだと思い、二人は店に入った。店内はそれほど混んでおらず、エストとユーリスは窓辺の席に腰掛ける。
「のどかな街よね。本当に勇者がいるのかしら?」
窓から景色を眺めながら、エストが頬杖をつく。着いたばかりなので何とも言えないが、今のところ、どこにでもある普通の街に見えた。
「怖いひとじゃないといいな……」
その向かいの席では、ユーリスが今更ながら不安そうな顔をする。
「大丈夫よ。勇者としてふさわしくないやつだったら、私がやっつけてやるんだから!」
少年を元気づけていると、店主が、彼らの注文を持ってテーブルに来た。きつね色に焼けたパンに、とろりとしたチーズと肉厚のハムを挟んだホットサンドを前に、ユーリスは目を輝かせる。
「見慣れない顔だね。旅人さんかい?」
エストの前に新鮮な野菜をきれいに盛り付けたサラダと、クリームパスタを置きながら、店主が話しかけてくる。髭をまばらに生やした、いかつい顔の店主は、外見に似合わず子ども好きであるらしかった。
「こんな小さい子を連れて、大変だったろう?ゆっくり休んでいきなよ」
「ありがとうございます!あの、この街に勇者様がいるって本当ですか?」
チーズで舌をやけどしたユーリスに水を薦めつつ、エストは店主に聞いた。驚いたように、店主が目を丸くする。
「おや、勇者様のこと、あんたみたいな旅人にも広まっているのかい?」
「ええ。魔物の軍勢を追い返したって、すごいことですもの!」
どうやら、例の勇者は街の住人……少なくともこの店主には、好意的に見られているらしい。エストは、彼に調子を合わせた。
「ああ……。あの時は、みんな覚悟したものさ。今、こうしていられるのも勇者様のおかげだね」
過去を懐かしむように、店主が遠い目をする。現在の平和な様子を見ると嘘のようだが、魔物の軍勢がこの街に襲撃に来たのは、誇張などではなく、本当にあったことらしい。
「勇者様って、どんなひとなんですか?」
クリームパスタを口に運びつつ、エストは店主にさらなる情報を求めた。細かく砕かれたチーズが、クリームにからんでほどよい塩気と風味を提供している。
店主は、すまなそうに首を振った。
「それが、わからないんだよ」
「え?」
クリームパスタに関心の大半を奪われていたエストは、意外そうに顔を上げる。魔物の軍勢の撃退、などという功績をあげた勇者なら、街の住人の誰もがよく知っていると思っていたのだ。
「この街にいるのは確かなんだろうけど、どこにいるのか、どんなお方なのか、誰も知らないのさ。事件が起こった時に、ぱっと現れて、ぱっといなくなってしまうんだ」
「そ、そうなんですか……」
ぎこちなく、エストは相槌を打つ。隣のテーブルを拭きつつ、店主が補足した。
「街のことなら、教会の神官様が詳しいと思うから、聞いてみなよ」
水のおかわりを二人のコップに注ぎ、店主はカウンターの奥へと姿を消す。エストは、向かいのユーリスが困ったようにこちらを見ているのに気づいた。おそらくは、彼女自身も似たような表情をしているのだろう。
「……どういうことかしら?」
「不思議だね」
聞く者もいないだろうが、少し声を落として言葉を交わす。
「街に居座っている勇者っていうと、魔王退治もせずに人々から恩恵を受けているだけのろくでなしが多いけど……」
サラダに手をつけながら、エストは思案した。
この世界には、邪悪な魔王がたびたび現れる。それを打倒するために、勇者もまた、異世界から召喚されるのだ。彼女も、そのうちの一人である。
一口に勇者と言っても、様々なタイプがおり、強いだけで人々を救うにふさわしい正義感を持ち合わせていない者もいる。そういった輩を更生させるのも、彼女の役目のひとつだった。
「人前に、姿を現さないのには、何か理由があるのかな」
付け合せの野菜を、ホットサンドより遥かに遅いペースで消化しつつ、ユーリスが首をかしげる。その疑問の答えは、エストにもわからなかった。
「とりあえず、教会に行ってみましょ」
ユーリスが食べ終わり、落ち着くのを待ってから、席を立つ。それを聞いて、少年の顔が曇った。
「え……教会は、苦手だな……」
「ごめんね、我慢して」
カウンター奥から出てきた店主に料金を払いながら、エストは謝る。ユーリスの気持ちはわかるが、せっかく得た情報を利用しない手はないのだ。
「……うん、わかった」
決心したように、ユーリスが承諾する。彼の頭をくしゃくしゃ、となでて、エストは店を後にした。
ナンナルの郊外の、普段は人通りが少ないその場所に、ぽつんと屋敷が建っている。その一角にある空き部屋に、突如魔方陣が現れた。魔方陣は光を打ち上げ、赤いコートを纏った大柄の人影が姿を現す。
「だいぶ遅い時間になっちまったな。今日は、誰もいねえのか……?」
呟いて、ルシファーその1……略して1は、部屋のドアを開ける。彼は、たった今、自分の世界から次元を渡ってやってきたばかりだ。
階下の広間へ向かおうとした時、玄関から2が飛び込んできた。
「シーザー!」
異世界での1の名を呼び、2は階段を一気に駆け上がる。少し待てば相手が来ることはわかっているはずなのに、無駄な動きをする彼を見て、1は困惑した。
「ちょうどいいタイミングで来たな。メンツが足りなくて困ってたんだ」
「何の話だよ」
とりあえず階段を降りつつ、1は2に問う。この時点で、何となく予想はついていた。
「決まってんだろ?サッカーだよ」
「……やっぱりか……」
目を輝かせて断言する2に、1はげんなりする。彼は、街でサッカーが流行していることも、2が街の若者たちの練習に混ざっていることもすでに知っていた。
「だーかーら、俺様はやらねえって言っただろうが!わざわざてめえのレベルを下げてまで、人間どもと馴れ合う趣味はねえっつの!」
嫌そうに顔をしかめ、1は断固拒否の姿勢をとる。1の世界にもサッカーはあるが、2のところとは違って世界規模のものではなく、あくまで子どものお遊びだ。大人たちは戦争にかかりきりで、サッカーに興じている余裕はない。
「いいからいいから。絶対楽しめる!保証する!」
1の話を聞いているのかいないのか、2はきっぱりと言い切った。いつになく強引かつ楽しそうな2の勢いに押され、1はずるずると引きずられていく。
普段は犬猿の仲である2に、なぜこんなに馴れ馴れしくされなければならないのか。
(……まったく、調子狂うぜ)
抵抗を諦めた1は、そんなことを考えていた。
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