L-Triangle!5-3
- 2014/06/30
- 20:12
何人かに道を聞いて、エストとユーリスはようやく教会へ着いた。街の中心部にある教会は、他の建物と比べると立派な造りをしている。
「……ぅ……」
門の前で、ユーリスが呻く。彼の教会嫌いは、ただのわがままではない。教会の雰囲気が、どうしても苦手なのだ。理由は、本人にもわからない。おそらく、体質的なものなのだろう。
「ユーリス、入り口で待っててね」
ユーリスの頭を撫でて、エストは礼拝堂に入る。堂内には人はまばらで、教壇付近にいた老神官が、彼女に声をかけてきた。
「教会へようこそ、お嬢さん。どのようなご用件がおありですかな?」
老神官が、にこやかに尋ねる。彼は、いつもこうして困った人々の手助けをしているのだろう。さっそく、エストはこの神官に話を聞くことにした。
「この街に、勇者様がいるって聞いて、会いに来たんです」
「ほう……最近、多いですな」
老神官が、少し驚いたような顔をする。
「私の他にも、そういう人がいたんですか」
「ええ、何人か」
エストの問いに、老神官は頷いた。この街の勇者は、彼女が思っているよりもずっと有名なのかもしれない。
「勇者様がどこにいるのか、ご存知ありませんか?」
これは有力な情報が得られそうだと期待しつつ、エストは老神官に問いかける。彼ならば、勇者の顔を見たことくらいはあるだろう。
「それは……私にもわからないのです」
しかし、予想は見事に裏切られた。
「え……?神官様にも、ですか?」
想定外の事態に、エストは戸惑う。老神官は、礼拝堂の一角に飾られているタペストリーに視線を向けた。そこには、魔物を撃退する勇者の絵が織り込まれている。
「勇者様は、今まで何度も奇跡を起こし、私たちを助けてくださいました。しかし、そのお姿を見た者は誰もいないのです」
「奇跡……?」
「魔王を倒して荒野を聖地に変えたり、魔物の軍を退けたり……これは勇者様とは直接関係ないかもしれませんが、最近は天使と悪魔の戦いがあったりもしましたな」
タペストリーを指さしながら、老神官は説明する。勇者の他にも、天使や、悪魔の姿も見受けられた。
「それほどの力を持っていながら、どうして……」
エストは、丁寧に織り込まれた勇者の刺繍を凝視する。神官の話がすべて本当ならば、勇者の姿を誰も見たことがないという現状は、あまりにも不自然だ。事件解決後に旅に出た、というのならわかるが、いくつかの事件を解決したというなら、勇者はこの街に留まり続けていることになる。
「どういう理由がおありなのかはわかりませんが、称賛されることを望んではおられないのでしょう。それで、我々も勇者様については特に追求せず、祈りを捧げるのみに留めているのです」
老神官は、今度は教壇に立てかけられたボードを見た。コルクのボードには、いくつかのメッセージが掲示されている。それのほとんどが、勇者に感謝を捧げたものだった。まるで神様みたい、とエストは思う。
「……では、勇者様にはお会いできないということですか?」
当てが外れて落ち込むのを隠しきれず、エストは俯く。そんな彼女に、老神官は優しく微笑んだ。
「どうでしょう。あなたが会いたいと強く望めば、勇者様の方から姿を見せてくださるかもしれませんね」
神官に礼を言い、エストは礼拝堂を出て行く。結局、成果はないも同然だった。
ため息をついて、ユーリスと合流しようとしたエストは、少年の傍に誰かがいることに気づいた。つややかな黒髪に、すらりとした長身……遠目にも、彼が整った顔立ちをしていることはわかる。
それは、先ほど見失った、あの青年だった。
「どうしたの?具合が悪いのかい?」
何も言わずに震えている金髪の少年を前に、3は困り果てていた。
仕事を無事に終えた彼は、報告と、果物のおすそ分けを兼ねて教会へ向かった。用件を済ませて帰ろうとした時、3は具合が悪そうにしている少年を見つけ、声をかけたのだが……。
「…………っ」
少年は、怯えているばかりで返事してくれない。先ほどからずっとこの調子で、むしろ、3の姿を見てから容体が悪化しているような気がする。神官を呼ぼうと3が決めたとき、礼拝堂の方から足音が近づいてきた。
「ユーリス!」
長い髪の少女が、少年に駆け寄る。3は、彼女に見覚えがあった。
以前、この世界の魔王はどんなものかと訪問した際に出会った、女勇者だ。
「君は……」
「ユーリス!!しっかりして!」
3の言葉を遮り、少女……エストが、悲鳴を上げる。彼女の姿を見たユーリスは、安心して気を失ってしまったのだ。
「ど、どうしよう……とにかく、すぐにここを離れないと!」
「手伝おうか?」
3は、おろおろするエストに助力を申し出た。色々と聞きたいことはあるが、今はこの少年を安静にさせることが先決だ。
とりあえず運ぼうと、3はユーリスに触れる。その瞬間、電流のようなものが、少年の全身を駆け巡った。
「うあああ!」
「!!」
絶叫し、ユーリスが痙攣する。あわてて、3は少年から手を離した。それと同時に光は止み、ユーリスもおとなしくなる。命に別状はないようだが、これでは、手の打ちようがない。
「何で……?こんなこと、今までなかったのに……」
顔面蒼白になり、エストが呟く。これはもう、自分の手には余ると判断し、3は他のルシファー達に知恵を借りようと考えた。
「カイン、戻ってるかなあ……とにかく、人目のないところへ運ぼう」
そう提案し、3はエストの荷物を背負う。彼の意図を察したエストは、ユーリスをおぶった。そしてそのまま、ルシファー達が溜まり場にしている屋敷に向かう。
その間中、ユーリスはうなされていた。彼がどんな悪夢を見ているのかは、彼自身にしかわからないことだった。
屋敷の広間では、1と2が好き勝手に飲み食いしていた。この時間帯は、まだ酒場は営業していなかったため、ここで飲み会をすることにしたのだ。
「あー、酒がうめえなあ」
よく冷えたビールを一気に煽り、1が満足げに息を吐く。その顔は、何とも幸せそうだ。
「試合の後は格別だぜ……ん?誰か来たか?」
2は、玄関の扉が開く音に気づいた。しばらくして、3が広間に顔を出す。
「あ、良かった、いたいた」
ルシファー二人の姿を認め、3は安堵する。その横で、エストが顔をしかめていた。
「……酒くさ……って、あんたたち、さっきのちんぴら!」
部屋にいた二人に、彼女は見覚えがあることに気づく。ユーリスにちょっかいをかけてきた、ならず者たちだ。
「ああ?誰がちんぴらだコラ」
1が、エストをぎろりと睨む。彼は、売られたケンカは買う主義である。向かいのソファーで、2は呆れ顔で3を見た。
「またナンパしてきたのかよ、フォース」
「いや、そうじゃなくて……」
何やら誤解されているようなので、3はあわてて弁解する。彼らのやり取りを聞いて、エストが気色ばんだ。
「ナ、ナンパ!?ユーリスの心配をしてくれたんじゃなかったの!?」
「おい、どうしたんだそのガキ」
ややこしいことになった、と3が顔を引きつらせる中、ふいに2が立ち上がり、エストに近づいた。彼女の背中でぐったりしているユーリスに、手を伸ばす。
「触らないでよ!」
警戒心をむき出しにし、エストが後ずさる。だが、2は退かなかった。
「いいから見せろ」
真剣な表情で、2はユーリスの額に手を当てる。顔色が悪いものの、熱はないし、呼吸も正常。このまま少し休ませれば大丈夫だろう……人間の医者ならば、そう診断するところだろうが、それとは別に、彼には思い当たる節があった。
「……こいつは……」
ユーリスの体を抱え、ソファーへと横たえる。2は、少年の容体をつぶさに点検し始めた。
「返して!返してよ!!」
ユーリスから引き離されて、エストは半狂乱になる。3が、落ち着いて、大丈夫だからと宥めるも、少女の耳には届いていなかった。彼女からすれば、どこの馬ともしれない酔っ払いに仲間の少年を好き勝手されている状態なので、無理もない。
「うるせえ。止まってろ」
あまりの騒がしさに嫌気がさしたのか、舌打ちし、1がエストに向かって手をかざした。その刹那、あれほどやかましかった少女が、ぴたりと沈黙する。1は、時間を操る能力を使ってエストの時を停めたのだ。
エストが動かなくなったことで、急に静かになる。とりあえず彼女はそのままにしておくことにして、3は2に問いかけた。
「カイン、この子……」
「ああ。人間じゃねえな。どっちかっつーと、俺らの同類だろ」
ようやく確信を得て、2は頷く。
「弱い悪魔が聖なる気に当てられて拒絶反応を示すと、ちょうどこんな感じになる」
「教会にいたときに具合が悪そうだったのは、そういうことか……」
神妙な面持ちで、3はユーリスの寝顔をまじまじと見つめた。少年の顔色は、先ほどよりはましになっている。2が、何かしらの応急処置を施したのだろう。
「何でここまで連れてきたんだ?お前が治してやりゃいいだろ」
「それが、私が触れた瞬間に電撃が走って、余計に酷いことになってね」
2の素朴な疑問に、沈痛な面持ちで3は答える。それ以前の段階で、ユーリスは明らかに彼を恐れていた。その時点で気づくことができれば、と悔やむ。
触れるだけで誰かを傷つけることがあるなどと、考えたこともなかった。
「あー……強力な聖具に触れると、そんな感じになるな……。まあ、お前も天使みたいなもんだからなあ」
すっかり落ち込んでしまった3を、2が苦笑しつつ慰める。普段、聖人だの王子様だのと持ち上げられている3には、ユーリスの反応はかなりこたえただろう。
「一応、分類上は私も悪魔なんだけど」
「このガキにとっちゃあ天使と大差ねえってことだろ、このエセ悪魔」
3の弁解を、1がばっさりと切り捨てる。3の世界の天使と悪魔の違いは、所属している場所が天界か地獄かだけの話で、見た目も能力も大差ないのだ。
「ああ……ちょっと傷つくなあ……。それで、どう?治せそうかい?」
暗い顔で不平を言いつつも、3はユーリスを気遣う。
「こんなの、ちょっと気合い入れてやりゃ復活するだろ」
そう告げて、2はユーリスの胸に手を置いた。少年の波長に合わせて調節し、力を注ぎこむ。しばらくして、眠り続けていたユーリスが、身じろぎした。
「……う……っ」
「お、目が覚めたな。坊主、しゃべれるか?この指何本だ」
ようやく意識が戻った少年に、2が声をかける。
「あ、さっきの……」
覚醒したばかりでぼんやりとしていたユーリスだが、微動だにしないエストに気づき、我に返った。
「エ、エスト!?」
「騒ぐな。うるせえから、時を止めただけだ」
狼狽える少年に、1がめんどくさそうに説明する。理解できず、ユーリスは言葉に詰まった。1としては、そのままの意味で言ったのだが、時を操る存在がいるとは、普通は考えないものである。
「あの……元に戻せるんですか?」
わけがわからないながらも、おずおずと問いかける。この大きなひとが、エストに何かをしたことだけは確かなのだ。
「俺がその気になりゃあな」
「その、できたら、戻してほしいんですけど……」
遠慮がちに、ユーリスは1に請うた。少年の願いを珍しく素直に聞き入れ、1はエストの時を正常に戻す。その途端、今までずっとおとなしかった少女は、暴れ始めた。
「返して……って、あれ?」
「エスト!良かった……!」
ユーリスが、エストに抱きつく。逆上していた彼女も、さすがに冷静さを取り戻した。
「ユーリス!もう、大丈夫なの!?」
「うん!平気だよ!」
泣きそうな顔で聞いてくるエストに、ユーリスは力強く頷く。そこへ、2が冷めた口調で言葉を投げかけた。
「解決したか?なら、とっとと帰れ」
「言われなくてもそうするわよ!!」
あまりにぶっきらぼうな物言いに、エストはかっとなる。時を停められていた彼女は、事態を把握できていなかった。気がついたらユーリスが元気になっていて、酔っ払いたちは相変わらず。ルシファー達は、エストの評価を上げる機会を自らふいにしていた。
「ありがとう、お兄ちゃんたち!」
満面の笑顔で、ユーリスが1と2に礼を言う。これ以上、酔っ払いたちと同じ空間にユーリスをいさせてはいけないと判断し、エストは少年の背中を押した。そしてそのまま、戸惑う彼を、半ば強引に広間の外へと押し出す。
「お・邪・魔・し・ま・し・た!」
噛みつかんばかりの勢いでそう言い捨てて、エストは勢いよくドアを閉めた。乱暴な足音が徐々に遠ざかり、玄関のとびらの開閉の音を最後に、広間は再び静かになる。
「何だったんだ、あいつら」
呆れ果てて、1がぼやく。自称・最強の悪魔である彼でも、女のヒステリーに当てられると消耗するようだ。
「まあ、元気になって良かったじゃないか。ありがとう、助かったよ」
げんなりした顔の二人に、3は礼を言う。果物をもらっていたことを思い出し、彼はテーブルにそれらを並べた。
「お前、ナンパもほどほどにしろよ」
赤い果実をかじりながら、2が3に忠告する。リンゴに似ているが、違う種類のものらしい。悪くない味だが、皮の苦さが後を引く。
「だから、ナンパじゃないって。あの娘、勇者なんだよ」
果物の皮をむきつつ、3は2の誤解を解こうと努める。
「勇者……?」
「そう。前、魔四天王のひとりに会いに行ったときに知り合ったんだ」
怪訝そうな2に、3は説明した。魔四天王とは、その名の通り、四人の魔王たちの同盟である。かつては世界各地で猛威を奮っていたが、ルシファー達と不幸にして関わりを持ってしまったため、今はすっかりおとなしくなっていた。
「……今度は、お前の縁かよ……」
ビールをあおり、1が嫌そうに呟く。彼も同じく魔四天王のひとりに殴り込みをかけ、その結果、勇者の少年に懐かれたり、かたき討ちに巻き込まれたりしていた。
「彼女が無事でいるってことは、魔王を倒せたんだろうね」
3が、皿に盛りつけた果物をテーブルに置く。きれいに皮を取り除かれたそれは、2によってあっという間に数を減らされた。
「ってことは、強えのか?」
興味を惹かれ、1が身を乗り出す。彼は、3が差し出した皿に目もくれず、赤い果実をそのまま丸かじりしていた。少しくらい苦い方が好みらしい。
「さあ?それは、どうだろうね。でも、女の子だし、いじめちゃだめだよ?」
「最強に男も女も関係ねえだろ」
やんわりと3が釘をさすものの、1は意に介さない。彼の世界の女は、レディファーストを逆手にとり、男たちをやり込めるくらい強かだ。1自身も、彼女たちから何度煮え湯を飲まされたかわからない。
「……ひょっとして、あいつもこの街の勇者に会いに来たクチか?」
3が果物の皮をむき終わるのを待ちながら、2は顔を引きつらせる。嫌な予感がするのを、ひしひしと感じた。
「そうかもしれないね」
「だったら、会えたんだから良かったじゃねえか。なあ、勇者サマ?」
3の発言に乗っかり、1が2を揶揄する。ふてくされたように、2は3から中身が増えた果物皿を受け取った。
「うるせえよ。そうなると、しばらくは居座る可能性が高えな」
「めんどくせえなあ……フォース、てめえが責任とって面倒みろや」
心底わずらわしそうに、1が3に水を向ける。あの少女と同様に、魔四天王がらみで勇者の少年が自分を訪ねてきた際、彼はそれなりに世話を焼いたつもりだ。今度は、3の番のはずである。
だが、3は申し訳なさそうに首を振った。
「そうしたいのは山々だけど……しばらく、来れないんだよね」
「何かヘマやらかしたのか?」
果物皿を抱えたまま、2が身を乗り出す。3の世界の地獄は、できたばかりなのだ。色々と試行錯誤しつつも、失敗をするのはやむを得ないだろう。
「ヘマっていうか……神のヘマだよね。うちの地獄が不安定だって、前に話しただろう?」
「はあ?まだ直ってねえのかよ!?」
呆れたように、2が声を張り上げる。3からその話を聞いたのは、だいぶ前だったように思える。
「直ってないっていうか……あれを完全に修復するのは無理だね。だから、定期的に浄化しないといけなくて」
渋面になり、3は見解を述べる。地獄の浄化には、彼の配下の悪魔たちを総出で当たらせたとしても、かなりの日数がかかる見込みだ。
「何だかよくわからねえが、神に文句言えばいいんじゃねえのか?」
果実の芯をゴミ箱に投げ入れて、1が意見する。彼ならば、当然そうするだろうことを、3がためらうのが不思議だった。3の表情が、目に見えて曇る。
「……それが……会ってくれないんだよ」
「ああ?」
「何度も謁見を申し出たんだけどね。突っぱねられちゃって」
果物ナイフを置いて、3が俯く。彼も、1と同じことを考え、どうにかしようとすでに行動していたのだ。しかし、神はそれを拒絶した。拝謁の扉は固く閉ざされ、とりつく島もない。
「何だよそれ……理由、ちゃんと聞いたか?」
怒りがふつふつとわき上がるのを感じ、2は苛立つ。同じルシファーである3が、不当な理由で神に邪険にされるのは、他人事ながら不愉快だった。
「ミカエルが言うには、『お膳立てはしてやったんだから自力で何とかしろ』の一点張りだそうでね。ホント、頭が固いったら」
軽い口調と裏腹に、3の表情が、憂いを帯びたものになる。彼の世界の神がこういった態度をとるのは、珍しくないことだった。何か考えがあってのことかもしれないが、天使長だった頃は、それでよく悩まされたものである。
「お前……ひょっとして、地獄ができてから神に会ってねえの?」
「基本的に、神に直接面会できるのは天使長だけだからね」
2の疑問に答え、3が自嘲の笑みを浮かべる。かつて天使長だったのは彼だが、今は弟がその地位にいる。神にとっては、自分の存在は役割が変わったら縁が遠ざかる程度のものだったのかもしれない。
「お高くとまりやがって……気に入らねえな」
2と同様に、1も剣呑な目つきになる。大体からして、3の世界の天界は心象が悪いのだ。二人が自分のために怒ってくれるのを見て、3は少し元気になった。
「まあ、地獄の存在を許してくれているだけでよしとするよ。彼に甘えるのも癪だしね」
果物の皮を片づけながら、そう結論付ける。自分は、神の考えに異を唱え、離反した身だ。あまり贅沢を言っていては、罰が当たる。
「そういうわけだから、あの子たちの相手、頼んだよ」
「それならしょうがねえが……どうすっかな……」
3の言い分に納得しつつも、2は思案する。あの女勇者は、彼らにかなりの悪印象を抱いている。相手をするのは、相当骨が折れそうだ。
「別にいつもどおりにしてりゃいいじゃねえか。あいつら、二度と来ねえかもしれねえし」
酒瓶に手をかざしながら、1が楽観的な見解を述べた。時間を戻し、温くなったビールを冷やしているらしい。
「あのうるせえ女はどうでもいいけど……ガキの方がな」
歯切れの悪い返答をしつつ、2は1が冷やしたビールを奪い取る。1が非難の視線を向けるが、当人は歯牙にもかけない。
「あの子のことが、気になる?」
「……別に、そういうわけじゃねえ」
3の問いにそっけなく返し、2はビールを煽る。その発言が彼の真意とはかけ離れていることは、明白だった。
「お前も、妙なところでお節介だからな。どういう基準だか知らねえが」
残り少なくなった果実を手に取りながら、1が肩をすくめる。過剰なのではないかと思うほど世話を焼いたり、冷たく突き放したりと、2の他者に対する態度は一貫しない。気まぐれなのだ、と言ってしまえばそれまでだが、振り回されるのは彼以外の者たちだ。
「……俺は、神が見離すようなやつらでも見捨てねえ。それだけだ」
遠くを見るような目で、2が窓の外を眺める。空は、赤く染まり始めていた。物思いにふける彼の頭に、1が投げた果実の芯が直撃する。気分を台無しにされ、2は1に飛びかかる。
頃合いのいいところで3が止めに入るまで、彼らの取っ組み合いは続いたのだった。
「……ぅ……」
門の前で、ユーリスが呻く。彼の教会嫌いは、ただのわがままではない。教会の雰囲気が、どうしても苦手なのだ。理由は、本人にもわからない。おそらく、体質的なものなのだろう。
「ユーリス、入り口で待っててね」
ユーリスの頭を撫でて、エストは礼拝堂に入る。堂内には人はまばらで、教壇付近にいた老神官が、彼女に声をかけてきた。
「教会へようこそ、お嬢さん。どのようなご用件がおありですかな?」
老神官が、にこやかに尋ねる。彼は、いつもこうして困った人々の手助けをしているのだろう。さっそく、エストはこの神官に話を聞くことにした。
「この街に、勇者様がいるって聞いて、会いに来たんです」
「ほう……最近、多いですな」
老神官が、少し驚いたような顔をする。
「私の他にも、そういう人がいたんですか」
「ええ、何人か」
エストの問いに、老神官は頷いた。この街の勇者は、彼女が思っているよりもずっと有名なのかもしれない。
「勇者様がどこにいるのか、ご存知ありませんか?」
これは有力な情報が得られそうだと期待しつつ、エストは老神官に問いかける。彼ならば、勇者の顔を見たことくらいはあるだろう。
「それは……私にもわからないのです」
しかし、予想は見事に裏切られた。
「え……?神官様にも、ですか?」
想定外の事態に、エストは戸惑う。老神官は、礼拝堂の一角に飾られているタペストリーに視線を向けた。そこには、魔物を撃退する勇者の絵が織り込まれている。
「勇者様は、今まで何度も奇跡を起こし、私たちを助けてくださいました。しかし、そのお姿を見た者は誰もいないのです」
「奇跡……?」
「魔王を倒して荒野を聖地に変えたり、魔物の軍を退けたり……これは勇者様とは直接関係ないかもしれませんが、最近は天使と悪魔の戦いがあったりもしましたな」
タペストリーを指さしながら、老神官は説明する。勇者の他にも、天使や、悪魔の姿も見受けられた。
「それほどの力を持っていながら、どうして……」
エストは、丁寧に織り込まれた勇者の刺繍を凝視する。神官の話がすべて本当ならば、勇者の姿を誰も見たことがないという現状は、あまりにも不自然だ。事件解決後に旅に出た、というのならわかるが、いくつかの事件を解決したというなら、勇者はこの街に留まり続けていることになる。
「どういう理由がおありなのかはわかりませんが、称賛されることを望んではおられないのでしょう。それで、我々も勇者様については特に追求せず、祈りを捧げるのみに留めているのです」
老神官は、今度は教壇に立てかけられたボードを見た。コルクのボードには、いくつかのメッセージが掲示されている。それのほとんどが、勇者に感謝を捧げたものだった。まるで神様みたい、とエストは思う。
「……では、勇者様にはお会いできないということですか?」
当てが外れて落ち込むのを隠しきれず、エストは俯く。そんな彼女に、老神官は優しく微笑んだ。
「どうでしょう。あなたが会いたいと強く望めば、勇者様の方から姿を見せてくださるかもしれませんね」
神官に礼を言い、エストは礼拝堂を出て行く。結局、成果はないも同然だった。
ため息をついて、ユーリスと合流しようとしたエストは、少年の傍に誰かがいることに気づいた。つややかな黒髪に、すらりとした長身……遠目にも、彼が整った顔立ちをしていることはわかる。
それは、先ほど見失った、あの青年だった。
「どうしたの?具合が悪いのかい?」
何も言わずに震えている金髪の少年を前に、3は困り果てていた。
仕事を無事に終えた彼は、報告と、果物のおすそ分けを兼ねて教会へ向かった。用件を済ませて帰ろうとした時、3は具合が悪そうにしている少年を見つけ、声をかけたのだが……。
「…………っ」
少年は、怯えているばかりで返事してくれない。先ほどからずっとこの調子で、むしろ、3の姿を見てから容体が悪化しているような気がする。神官を呼ぼうと3が決めたとき、礼拝堂の方から足音が近づいてきた。
「ユーリス!」
長い髪の少女が、少年に駆け寄る。3は、彼女に見覚えがあった。
以前、この世界の魔王はどんなものかと訪問した際に出会った、女勇者だ。
「君は……」
「ユーリス!!しっかりして!」
3の言葉を遮り、少女……エストが、悲鳴を上げる。彼女の姿を見たユーリスは、安心して気を失ってしまったのだ。
「ど、どうしよう……とにかく、すぐにここを離れないと!」
「手伝おうか?」
3は、おろおろするエストに助力を申し出た。色々と聞きたいことはあるが、今はこの少年を安静にさせることが先決だ。
とりあえず運ぼうと、3はユーリスに触れる。その瞬間、電流のようなものが、少年の全身を駆け巡った。
「うあああ!」
「!!」
絶叫し、ユーリスが痙攣する。あわてて、3は少年から手を離した。それと同時に光は止み、ユーリスもおとなしくなる。命に別状はないようだが、これでは、手の打ちようがない。
「何で……?こんなこと、今までなかったのに……」
顔面蒼白になり、エストが呟く。これはもう、自分の手には余ると判断し、3は他のルシファー達に知恵を借りようと考えた。
「カイン、戻ってるかなあ……とにかく、人目のないところへ運ぼう」
そう提案し、3はエストの荷物を背負う。彼の意図を察したエストは、ユーリスをおぶった。そしてそのまま、ルシファー達が溜まり場にしている屋敷に向かう。
その間中、ユーリスはうなされていた。彼がどんな悪夢を見ているのかは、彼自身にしかわからないことだった。
屋敷の広間では、1と2が好き勝手に飲み食いしていた。この時間帯は、まだ酒場は営業していなかったため、ここで飲み会をすることにしたのだ。
「あー、酒がうめえなあ」
よく冷えたビールを一気に煽り、1が満足げに息を吐く。その顔は、何とも幸せそうだ。
「試合の後は格別だぜ……ん?誰か来たか?」
2は、玄関の扉が開く音に気づいた。しばらくして、3が広間に顔を出す。
「あ、良かった、いたいた」
ルシファー二人の姿を認め、3は安堵する。その横で、エストが顔をしかめていた。
「……酒くさ……って、あんたたち、さっきのちんぴら!」
部屋にいた二人に、彼女は見覚えがあることに気づく。ユーリスにちょっかいをかけてきた、ならず者たちだ。
「ああ?誰がちんぴらだコラ」
1が、エストをぎろりと睨む。彼は、売られたケンカは買う主義である。向かいのソファーで、2は呆れ顔で3を見た。
「またナンパしてきたのかよ、フォース」
「いや、そうじゃなくて……」
何やら誤解されているようなので、3はあわてて弁解する。彼らのやり取りを聞いて、エストが気色ばんだ。
「ナ、ナンパ!?ユーリスの心配をしてくれたんじゃなかったの!?」
「おい、どうしたんだそのガキ」
ややこしいことになった、と3が顔を引きつらせる中、ふいに2が立ち上がり、エストに近づいた。彼女の背中でぐったりしているユーリスに、手を伸ばす。
「触らないでよ!」
警戒心をむき出しにし、エストが後ずさる。だが、2は退かなかった。
「いいから見せろ」
真剣な表情で、2はユーリスの額に手を当てる。顔色が悪いものの、熱はないし、呼吸も正常。このまま少し休ませれば大丈夫だろう……人間の医者ならば、そう診断するところだろうが、それとは別に、彼には思い当たる節があった。
「……こいつは……」
ユーリスの体を抱え、ソファーへと横たえる。2は、少年の容体をつぶさに点検し始めた。
「返して!返してよ!!」
ユーリスから引き離されて、エストは半狂乱になる。3が、落ち着いて、大丈夫だからと宥めるも、少女の耳には届いていなかった。彼女からすれば、どこの馬ともしれない酔っ払いに仲間の少年を好き勝手されている状態なので、無理もない。
「うるせえ。止まってろ」
あまりの騒がしさに嫌気がさしたのか、舌打ちし、1がエストに向かって手をかざした。その刹那、あれほどやかましかった少女が、ぴたりと沈黙する。1は、時間を操る能力を使ってエストの時を停めたのだ。
エストが動かなくなったことで、急に静かになる。とりあえず彼女はそのままにしておくことにして、3は2に問いかけた。
「カイン、この子……」
「ああ。人間じゃねえな。どっちかっつーと、俺らの同類だろ」
ようやく確信を得て、2は頷く。
「弱い悪魔が聖なる気に当てられて拒絶反応を示すと、ちょうどこんな感じになる」
「教会にいたときに具合が悪そうだったのは、そういうことか……」
神妙な面持ちで、3はユーリスの寝顔をまじまじと見つめた。少年の顔色は、先ほどよりはましになっている。2が、何かしらの応急処置を施したのだろう。
「何でここまで連れてきたんだ?お前が治してやりゃいいだろ」
「それが、私が触れた瞬間に電撃が走って、余計に酷いことになってね」
2の素朴な疑問に、沈痛な面持ちで3は答える。それ以前の段階で、ユーリスは明らかに彼を恐れていた。その時点で気づくことができれば、と悔やむ。
触れるだけで誰かを傷つけることがあるなどと、考えたこともなかった。
「あー……強力な聖具に触れると、そんな感じになるな……。まあ、お前も天使みたいなもんだからなあ」
すっかり落ち込んでしまった3を、2が苦笑しつつ慰める。普段、聖人だの王子様だのと持ち上げられている3には、ユーリスの反応はかなりこたえただろう。
「一応、分類上は私も悪魔なんだけど」
「このガキにとっちゃあ天使と大差ねえってことだろ、このエセ悪魔」
3の弁解を、1がばっさりと切り捨てる。3の世界の天使と悪魔の違いは、所属している場所が天界か地獄かだけの話で、見た目も能力も大差ないのだ。
「ああ……ちょっと傷つくなあ……。それで、どう?治せそうかい?」
暗い顔で不平を言いつつも、3はユーリスを気遣う。
「こんなの、ちょっと気合い入れてやりゃ復活するだろ」
そう告げて、2はユーリスの胸に手を置いた。少年の波長に合わせて調節し、力を注ぎこむ。しばらくして、眠り続けていたユーリスが、身じろぎした。
「……う……っ」
「お、目が覚めたな。坊主、しゃべれるか?この指何本だ」
ようやく意識が戻った少年に、2が声をかける。
「あ、さっきの……」
覚醒したばかりでぼんやりとしていたユーリスだが、微動だにしないエストに気づき、我に返った。
「エ、エスト!?」
「騒ぐな。うるせえから、時を止めただけだ」
狼狽える少年に、1がめんどくさそうに説明する。理解できず、ユーリスは言葉に詰まった。1としては、そのままの意味で言ったのだが、時を操る存在がいるとは、普通は考えないものである。
「あの……元に戻せるんですか?」
わけがわからないながらも、おずおずと問いかける。この大きなひとが、エストに何かをしたことだけは確かなのだ。
「俺がその気になりゃあな」
「その、できたら、戻してほしいんですけど……」
遠慮がちに、ユーリスは1に請うた。少年の願いを珍しく素直に聞き入れ、1はエストの時を正常に戻す。その途端、今までずっとおとなしかった少女は、暴れ始めた。
「返して……って、あれ?」
「エスト!良かった……!」
ユーリスが、エストに抱きつく。逆上していた彼女も、さすがに冷静さを取り戻した。
「ユーリス!もう、大丈夫なの!?」
「うん!平気だよ!」
泣きそうな顔で聞いてくるエストに、ユーリスは力強く頷く。そこへ、2が冷めた口調で言葉を投げかけた。
「解決したか?なら、とっとと帰れ」
「言われなくてもそうするわよ!!」
あまりにぶっきらぼうな物言いに、エストはかっとなる。時を停められていた彼女は、事態を把握できていなかった。気がついたらユーリスが元気になっていて、酔っ払いたちは相変わらず。ルシファー達は、エストの評価を上げる機会を自らふいにしていた。
「ありがとう、お兄ちゃんたち!」
満面の笑顔で、ユーリスが1と2に礼を言う。これ以上、酔っ払いたちと同じ空間にユーリスをいさせてはいけないと判断し、エストは少年の背中を押した。そしてそのまま、戸惑う彼を、半ば強引に広間の外へと押し出す。
「お・邪・魔・し・ま・し・た!」
噛みつかんばかりの勢いでそう言い捨てて、エストは勢いよくドアを閉めた。乱暴な足音が徐々に遠ざかり、玄関のとびらの開閉の音を最後に、広間は再び静かになる。
「何だったんだ、あいつら」
呆れ果てて、1がぼやく。自称・最強の悪魔である彼でも、女のヒステリーに当てられると消耗するようだ。
「まあ、元気になって良かったじゃないか。ありがとう、助かったよ」
げんなりした顔の二人に、3は礼を言う。果物をもらっていたことを思い出し、彼はテーブルにそれらを並べた。
「お前、ナンパもほどほどにしろよ」
赤い果実をかじりながら、2が3に忠告する。リンゴに似ているが、違う種類のものらしい。悪くない味だが、皮の苦さが後を引く。
「だから、ナンパじゃないって。あの娘、勇者なんだよ」
果物の皮をむきつつ、3は2の誤解を解こうと努める。
「勇者……?」
「そう。前、魔四天王のひとりに会いに行ったときに知り合ったんだ」
怪訝そうな2に、3は説明した。魔四天王とは、その名の通り、四人の魔王たちの同盟である。かつては世界各地で猛威を奮っていたが、ルシファー達と不幸にして関わりを持ってしまったため、今はすっかりおとなしくなっていた。
「……今度は、お前の縁かよ……」
ビールをあおり、1が嫌そうに呟く。彼も同じく魔四天王のひとりに殴り込みをかけ、その結果、勇者の少年に懐かれたり、かたき討ちに巻き込まれたりしていた。
「彼女が無事でいるってことは、魔王を倒せたんだろうね」
3が、皿に盛りつけた果物をテーブルに置く。きれいに皮を取り除かれたそれは、2によってあっという間に数を減らされた。
「ってことは、強えのか?」
興味を惹かれ、1が身を乗り出す。彼は、3が差し出した皿に目もくれず、赤い果実をそのまま丸かじりしていた。少しくらい苦い方が好みらしい。
「さあ?それは、どうだろうね。でも、女の子だし、いじめちゃだめだよ?」
「最強に男も女も関係ねえだろ」
やんわりと3が釘をさすものの、1は意に介さない。彼の世界の女は、レディファーストを逆手にとり、男たちをやり込めるくらい強かだ。1自身も、彼女たちから何度煮え湯を飲まされたかわからない。
「……ひょっとして、あいつもこの街の勇者に会いに来たクチか?」
3が果物の皮をむき終わるのを待ちながら、2は顔を引きつらせる。嫌な予感がするのを、ひしひしと感じた。
「そうかもしれないね」
「だったら、会えたんだから良かったじゃねえか。なあ、勇者サマ?」
3の発言に乗っかり、1が2を揶揄する。ふてくされたように、2は3から中身が増えた果物皿を受け取った。
「うるせえよ。そうなると、しばらくは居座る可能性が高えな」
「めんどくせえなあ……フォース、てめえが責任とって面倒みろや」
心底わずらわしそうに、1が3に水を向ける。あの少女と同様に、魔四天王がらみで勇者の少年が自分を訪ねてきた際、彼はそれなりに世話を焼いたつもりだ。今度は、3の番のはずである。
だが、3は申し訳なさそうに首を振った。
「そうしたいのは山々だけど……しばらく、来れないんだよね」
「何かヘマやらかしたのか?」
果物皿を抱えたまま、2が身を乗り出す。3の世界の地獄は、できたばかりなのだ。色々と試行錯誤しつつも、失敗をするのはやむを得ないだろう。
「ヘマっていうか……神のヘマだよね。うちの地獄が不安定だって、前に話しただろう?」
「はあ?まだ直ってねえのかよ!?」
呆れたように、2が声を張り上げる。3からその話を聞いたのは、だいぶ前だったように思える。
「直ってないっていうか……あれを完全に修復するのは無理だね。だから、定期的に浄化しないといけなくて」
渋面になり、3は見解を述べる。地獄の浄化には、彼の配下の悪魔たちを総出で当たらせたとしても、かなりの日数がかかる見込みだ。
「何だかよくわからねえが、神に文句言えばいいんじゃねえのか?」
果実の芯をゴミ箱に投げ入れて、1が意見する。彼ならば、当然そうするだろうことを、3がためらうのが不思議だった。3の表情が、目に見えて曇る。
「……それが……会ってくれないんだよ」
「ああ?」
「何度も謁見を申し出たんだけどね。突っぱねられちゃって」
果物ナイフを置いて、3が俯く。彼も、1と同じことを考え、どうにかしようとすでに行動していたのだ。しかし、神はそれを拒絶した。拝謁の扉は固く閉ざされ、とりつく島もない。
「何だよそれ……理由、ちゃんと聞いたか?」
怒りがふつふつとわき上がるのを感じ、2は苛立つ。同じルシファーである3が、不当な理由で神に邪険にされるのは、他人事ながら不愉快だった。
「ミカエルが言うには、『お膳立てはしてやったんだから自力で何とかしろ』の一点張りだそうでね。ホント、頭が固いったら」
軽い口調と裏腹に、3の表情が、憂いを帯びたものになる。彼の世界の神がこういった態度をとるのは、珍しくないことだった。何か考えがあってのことかもしれないが、天使長だった頃は、それでよく悩まされたものである。
「お前……ひょっとして、地獄ができてから神に会ってねえの?」
「基本的に、神に直接面会できるのは天使長だけだからね」
2の疑問に答え、3が自嘲の笑みを浮かべる。かつて天使長だったのは彼だが、今は弟がその地位にいる。神にとっては、自分の存在は役割が変わったら縁が遠ざかる程度のものだったのかもしれない。
「お高くとまりやがって……気に入らねえな」
2と同様に、1も剣呑な目つきになる。大体からして、3の世界の天界は心象が悪いのだ。二人が自分のために怒ってくれるのを見て、3は少し元気になった。
「まあ、地獄の存在を許してくれているだけでよしとするよ。彼に甘えるのも癪だしね」
果物の皮を片づけながら、そう結論付ける。自分は、神の考えに異を唱え、離反した身だ。あまり贅沢を言っていては、罰が当たる。
「そういうわけだから、あの子たちの相手、頼んだよ」
「それならしょうがねえが……どうすっかな……」
3の言い分に納得しつつも、2は思案する。あの女勇者は、彼らにかなりの悪印象を抱いている。相手をするのは、相当骨が折れそうだ。
「別にいつもどおりにしてりゃいいじゃねえか。あいつら、二度と来ねえかもしれねえし」
酒瓶に手をかざしながら、1が楽観的な見解を述べた。時間を戻し、温くなったビールを冷やしているらしい。
「あのうるせえ女はどうでもいいけど……ガキの方がな」
歯切れの悪い返答をしつつ、2は1が冷やしたビールを奪い取る。1が非難の視線を向けるが、当人は歯牙にもかけない。
「あの子のことが、気になる?」
「……別に、そういうわけじゃねえ」
3の問いにそっけなく返し、2はビールを煽る。その発言が彼の真意とはかけ離れていることは、明白だった。
「お前も、妙なところでお節介だからな。どういう基準だか知らねえが」
残り少なくなった果実を手に取りながら、1が肩をすくめる。過剰なのではないかと思うほど世話を焼いたり、冷たく突き放したりと、2の他者に対する態度は一貫しない。気まぐれなのだ、と言ってしまえばそれまでだが、振り回されるのは彼以外の者たちだ。
「……俺は、神が見離すようなやつらでも見捨てねえ。それだけだ」
遠くを見るような目で、2が窓の外を眺める。空は、赤く染まり始めていた。物思いにふける彼の頭に、1が投げた果実の芯が直撃する。気分を台無しにされ、2は1に飛びかかる。
頃合いのいいところで3が止めに入るまで、彼らの取っ組み合いは続いたのだった。
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